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伊良部島・下地島(→那覇→柏)

2014年2月1日(土) 13:10バスに戻り伊良部島へ。宮古島には高校までしかなく就職口も限られるため、高校を卒業すると若い人は進学するにしろ就職するにしろ全員が島を出Dsc07818る。沖縄本島に渡る若者が多く、島の人間は県外に出たがらない。また、昔の長寿県も今は全国一の肥満県、特に宮古島の人はメタボ、泡盛をたらふく飲んだ後の締めにステーキを食べる習慣のせいか。今は県を挙げて最長寿県を取り戻すべく取り組み中(2013年都道府県別長寿ランキングによると、沖縄県は男性が30位、女性は3位。トップは男女とも長野県)。因みに、泡盛の製造所は県内に48か所、原料はタイ米。13:40平良港に到着しバスごとカーフェリーに乗り込む。小さなフェリーで片方しか開口しないためバスはバックで入る。13:50出船、建設中の長大橋、伊良部大橋(平成27年1月完成予定、全長3540m)が見える。本島に見える2本の大煙突は沖縄電力Dsc07821の火力発電所か。海峡を一跨ぎして14:15佐良浜港接岸。伊良部島も本島と同じく隆起珊瑚礁から成る石灰岩台地、最高所の海抜は89m、周囲26.6㎞、人口6000人。海辺に建つ二階建て住宅は全て築40年のカツオ御殿、当時はソロモン諸島など南方へカツオ漁に繰り出し、1年で家が建つほどの稼ぎがあった。留守家族への毎月の仕送り20万円、一航海のボーナスが500万円はざら、昭和40年代の話ゆえもの凄い。佐良浜地区は今でも近海カツオ漁など漁業中心の集落であり、もうひとつの伊良部地区はサトウキビ、葉タバコ、カボチャなどの農業と牧畜主体の集落である。西岸の景勝地佐和田の浜(さわだのはま)Dsc07822へ。大潮の干潮時とあって遠浅の干潟に大岩がごろごろ、やはり明和八年(1771)の八重山地震に伴う大津波の置き土産とされている。独特の景観は「日本の 渚百選」。20mほどの短い橋を渡り地続きのような下地島に入ると、遠浅の海(ここも佐和田の浜?)に魚垣(ながき)が設けられている。干潟に石垣を積み上げ、潮の干満で垣の内側に取り残される魚を捕える伝統的漁法である。魚垣は、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれており、旧伊良部町の文化遺産に指定されている。珍しいものを見せてもらい感激、先人の知恵に感心する。下地島は周囲17.5㎞、人口48人、住民登録は1世Dsc07830帯。昭和54年(1979)、ジャンボ機のパイロット訓 練専用の下地空港が開港している。今日は天気が良くないせいか訓練は行われておらず、残念ながらタッチアンドゴーは見られない。進入誘導灯の桟橋が700mも遠浅の礁湖へ突き出しているのが印象的。島の西端、国指定天然記念物「通り池(とおりいけ)」へ。駐車場からはアダンとモモタマナの林の中を歩いて行く。海蝕断崖の上に通り池と第一の池の2つの丸い池が隣接している。吸い込まれそうな紫紺色の水をたたえる池の周囲は絶壁、石灰岩台地の天井が崩れ落ち、地下に水が溜まった空洞部分が現れたもので、メキシコのユカタン半島で見た「セノテ」と同じであDsc07831る。2つの池はどちらも地下洞窟で海とつながっており、熟練ダイバーなら海側から到達することも出来る由。更にその先に第三の池と称する3つ目の池もあるが、木道が途中で壊れており辿り着けない。ハート形の葉をしたユウナが淡黄色の花を開いている。伊良部島に渡り返して最後の観光地は渡口の浜(とぐちのはま)、もはや海もビーチも食傷気味であるが、砂が小麦粉のようにきめ細かい。売店でペットとして飼われているヤシガニを見せてもらい、お返しに生姜入り黒糖を買う。佐良浜港から16:10発のフェリーに乗り、平良港経由、17:00宮古空港着。ANA1728便那覇行きに搭乗、機種はB737-500(126席)、ほぼ満席、17:51離陸。18:33那覇空港着陸、待ち時間に弁当を買って食べる。ANA136便羽田行きに搭乗、機種はB777-300(514席)、略満席。19:50離陸、飛行中、宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」を読む。21:45羽田空港着。浜松町、西日暮里経由、南柏駅からタクシー、0:00ジャスト帰宅。

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