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宮古島

2014年2月1日(土) 7:20起床。8時から朝食 。ご飯、味噌汁、納豆、茹でインゲン、鱈幽庵焼き、油味噌、キンピラ等食べる。他に牛乳とグレープフルーツジュース、コーヒーを飲む。ホテルにバスが迎えに来るのは11時なので、それまで隣接Dsc07751_2するうえのドイツ文化村を散策。最初、宮古島とドイツの関係が分からなかったが、パンフレットによると、明治六年(1873)7月、ドイツ商船ロベルトソン号が航行中に台風に遭い、近くの宮国沖リーフに座礁難破する事故があったとのこと。その時、上野村(現宮古島市)の村民が乗組員を救助し、一ヶ月余も手厚く介護して、無事本国へ帰国させたと云う。以来ドイツ国と宮古島との交流が始まっている。戦前の小学校の修身教科書にはこの美談が取り上げられて全国に広く知られていたらしい。この史実は、慶長十四年(1609)、岩和田村(現千葉県御宿町)の沖合で、メキシコに帰る途中のスペイン船サンフランシスコ号が座礁難破した時、村民総出で乗組員を救出し、その後無事メキシコに帰国させた事とそっくりであり、しかも、それが縁で現在御宿町とメキシコ国が友好の絆で結ばれていることとも重なる。どちらも日本国民にもっと広く知られて良い話だが・・。うえのドイツ文化村は、「国際交流と地域活性化の拠点として、そして、祖先の勇気ある行動を称え、その博愛の心を広く文化遺産として後世に伝えるべく」1996年に開園。園内の一等地に当時の総理大臣近衛文麿公直筆の「独逸商船遭Dsc07760難の地」碑(昭和十一年建立)や、ドイツ連邦共和国ゲアハルト・シュレーダー首相来島記念碑(2007年7月21日、沖縄サミット時)が建つ。千葉県袖ケ浦市にある東京ドイツ村とは違い、存立趣旨が明らかなテーマパークと言える。しかしながら開園時期はバブル経済崩壊(1991年)後、失われた20年の最中とあって集客も伸び悩んだことであろう。メンテナンス費用の捻出も困難とみえ園内は荒びが目立つ。海に突き出したシーサー岩まで歩いてみたが、ドイツ・ボーデン湖のマイナウ島にある宮殿をモデルにしたという博愛パレス館は現在休館中、途中の外灯は傾いたり折れたりしているし、遊歩道の青銅製の手摺も緑青が吹き、部分的に欠けている。また、ベルリンの壁2枚を展示するというキンダーハウスも避雷針が抜け落ち塗装はDsc07771剥げている。如何せん、箱物が大き過ぎる。維持修理まで含め長期的に考えれば、到底小規模自治体の手に負える代物ではない。御宿町の高台に建つメキシコ記念塔程度に留めておくべきだったのでは・・、これも沖縄振興策の予算で建立した物件?。マルクスブルグ城を再現したという博愛記念館にも入ってみたが、ドイ ツの民族衣装を身に着けたスタッフの姿ばかりが目立ち来館者はぽつぽつ、皆手持無沙汰の様子。 このままでは、あと10年も経たぬうちに、台風と塩害により老朽化が加速し、廃墟になるやもしれぬ。ホテルへ戻る道で広葉樹の立ち枯れに初見のフルイタケを発見。11:00ホテルDsc07780をチェックアウトしバスに乗る。最初の行先は宮古島最大の景勝地 東平安名崎(ひがしへ んなさき)、島の南東に位置する2㎞の細長い岬は国指定名勝で日本都市公園百景にも選ばれている。11:30岬の付け根の駐車場に着き、先端に建つ平安名崎灯台まで散策。岬の中央を遊歩道が 貫き、その両側に風衝草原が広がる。草原には65科222種の植物が確認されており、今はイソノギク?、イリオモテアザミ、ジシバリ、テッポウユリ、テンノウメ(天梅;沖縄県天然記念物)、 ハマウド、ハマユウの花が見られる。途中、悲恋の末にこの岬の断崖から身を投げたと伝わる絶世の美Dsc07782女マムヤの墓が岩窟の中に造られており、宮古島市の指定史跡となっている。平安名崎灯台は昭和42年(1967)の初点灯、突端に立てば水平線が丸く見える。右に太平洋、左に東シナ海がどこまでも広がる。土産物店巡りなど止めて半日ぐらいのんびりしたくなる。断崖下の岸近くに点在する大岩は、明和八年(1771)発生の大地震に伴う津波により海底から運ばれてきたもの、津波のエネルギーはすさまじい。12:00バスに戻る。宮古島では3月から5月上旬の大潮に当たる時期、珊瑚礁が海面上に大きく姿を現し島民総出で潮干 狩りを楽しむ由、特に池間島沖合の八重干瀬(やびじ)が有名で、地ダコ、サザDsc07809エ、アワビなどの磯もんが採れる。一度そのような時期に訪れてみたいものである。昼食のためホテルへ戻る途中に4000KWのメガソーラー実証研究設備の前を通る。太陽光パネルの傾斜角が5度と通常の15度に比べ緩いのは、台風で剥ぎ取られてしまうのを防ぐため、何せ風力発電機が根元から折れてしまうほどの強風が襲う。12:25 VILLAGE琉球の風に着き、屋台村でオプションの昼食、沖縄料理には飽きたので参加せず。再びドイツ文化村をぶらぶらし、シーサー岩に向かう途中、干潮で出現したハート岩を写真に収める。岩場で竿を振る太公望を眺めながらラスクや伊予柑を食べる。

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