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奥の細道三十三霊場 第六番 禅昌寺(石巻市)

2016年9月27日(火) 桂林山禅昌寺(けいりんざんぜんしょうじ)の所在地は宮城県石巻P9270494市山下町1-4-8、臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は如意輪観世音菩薩(伝行基作)。寺伝によれば、田道将軍の従者であった和恵と権三が、田道将軍の墓の傍に庵を建てたのが始まりで、のち慈覚大師がその庵を天台宗全正寺と改めたといわれている。その後、建長七年(1255)執権北条時頼の時代、鎌倉建長寺の末寺として大覚禅師開基、古澗和尚が中興開山、寛永十年(1633)松島瑞巌寺の雲居禅師によって桂林山禅昌寺と改められ、京都花園の大本山妙心寺の末寺となって現在に至っている。
今日は石巻市内の霊場巡り、8:00出発。国道45号線を走P9270500り、9:40禅昌寺山門前駐車場着。山門の左右の柱に「奥の細道三十三霊場 第六番」と「三陸三十三観音霊場 第七番」の看板が掲げてある。本堂前に進み般若心経を2回唱える。1回は東日本大震災で亡くなった人々の鎮魂のため、もう1回は両親と弟の供養のために。その後境内を一回り、97名の名前が刻まれた東日本大震災当山物故者鎮魂碑、若宮丸遭難供養碑、(株)宍戸寄進の大観音像などが建ち、東屋や庭園を備えた立派な寺院である。若宮丸供養碑の説明板には「この供養碑は、寛政十一年(1799)に石巻裏町の米澤屋平之丞が持船若宮丸の漂流を知り、生P9270496死不明のため七回忌供養として建立したとみられます。若宮丸は、寛政五年(1793)十一月二十七日、沖船頭平兵衛以下十六人が乗り組み、米千百石を積んで石巻河口を出帆して江戸に向かいましたが嵐に遭って漂流し金華山沖を北に流され、ロシアに流れ着きました。十六人のうち帰国できたのは津太夫、多十郎、佐平、儀兵衛の四人で、文化元年(1804)のことでした。ロシア使節の船に乗り、大西洋、太平洋を横断して帰国しましたが、奇しくも初めて世界一周した日本人となったのです。供養碑は平成元年の春、禅昌寺の庭園を直していた時に石橋の土台となっていたのが発見されて建て直されました。平成五年十一月二十七日 若宮丸乗組員海難二百年遠忌実行委員会」とある。井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」の主人公・大黒屋光太夫(天明二年(1782)漂流、寛政四年(1792)帰国)のような人物が、何と石巻にも居たのである。初めて知りました。尚、「奥の細道」にも「曾良旅日記」にも芭蕉らが当寺に参詣した記録は見当たりません。次は奥州観音霊場第八番の梅渓寺へ。

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