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松島散歩(1) 雄島

2016年10月27日(木) 奥州観音霊場第六番札所、瑞巌寺三聖堂の参詣に行く序に松島散Pa270027歩。11:25町営無料駐車場着。先ずは坂を下って雄島へ。途中、水族館跡地隣の真山地蔵尊(松島町指定文化財)にお参りする。半跏像のお姿がお地蔵さまとしては珍しい。雄島は松島の地名発祥の地と言われ、国指定重要文化財の「頼賢の碑」が建つが、大多数の観光客は瑞巌寺・五大堂・湾内島巡りに忙しく、訪れる人は少ない。松島観光の穴場のひとつ。入口に立つ宮城県作成の案内板には『この地は諸国から松島に集まった僧侶、巡礼の人々が修業したところで、その代表とも言える見佛上人が法華経六万部を読誦した「見佛堂跡」があり、鳥羽天皇からそのPa270028高徳を讃え、松の苗木、本尊を下賜されたので御島と呼ばれました。島内に点在する岩窟はその昔、108か所あったといわれており(現在は50あまり)、岩窟の中には卒塔婆、仏像、五輪塔、法名などが彫られたり安置されたりしており、全島が霊場だったと言うことが知られています。島の南端に建つ奥州三古碑の一つ「頼賢の碑」(1307年建立・昭和30年国指定重要文化財)はその様子を伝えています。又、雄島(御島)は古くから歌枕として和歌に詠まれました。1689年江戸時代の俳人、松尾芭蕉も瑞巌寺に詣でた後、この島を訪れており、弟子の曽良による「松島や鶴に身をPa270032かれほととぎす」の句碑があります。このように雄島は古代から松島を代表する島なので「松島」という地名発祥の地と伝えられ、島内から眺める五大堂、福浦島、双子島などはひとしお風情があります。』とある。朱塗りの真新しい渡月橋を渡り雄島に入る。南端の頼賢の碑に直行し、展望所の東屋から湾内に浮かぶ島々を眺める。頼賢の碑は柵で囲われた覆屋の中に保存されており、拝むことはできない。傍らに立つ案内板には『国指定重要文化財 奥州御島 頼賢の碑  この碑は、徳治二年(1307)に松島雄島妙覚庵主頼賢の徳行を後世に伝えようと弟子30余人が雄島の南端に建てたものであPa270034る。頼賢の碑は、中世奥州三古碑の一つと言われるものであり、板状の粘板岩の表面を上下に区画し、上欄には縦横おのおの7、8センチに一条の界線で区切り、その中央よりやや上に梵字の阿字を大きく表し、その右に「奥州御島妙覚庵」、左に「頼賢庵主行実銘並序」と楷書で記してある。下欄には、縦1.68メートル、横0.97メートルに一条の界線をめぐらし、その中に18行643字の碑文が草書で刻まれている。また、碑の周囲には雷文と唐草文、上欄と下欄の間には、双竜の陽刻を配している。碑文は、松島の歴史を物語るだけでなく、鎌倉建長寺の10世で、唐僧の一山一寧の撰ならびに書になる草書の碑Pa270040としても有名。』とある。その後、島内を一周し、雲居禅師の座禅堂「把不住軒」、芭蕉句碑「朝よさを誰まつしまぞ片心」(おくのほそ道の旅へ出る直前の元禄二年(1689)の春に詠まれた句、句碑建立は延享四年(1747))、曽良句碑「前出」(文化五年(1808)建立、曽良の百回忌記念)、松島最古の板碑(弘安八年(1285)建立)、松吟庵跡(妙覚庵址)、見佛堂跡などを見学する。

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