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セルビア第2の都市ノヴィ・サド

2017年1月19日(木) ツアーディレクターはキャリア10年のI氏(男性、40歳前後)、参加者P1190052は22名。メンバーの内訳は、一人参加が自分を含め13名(男性6名、女性7名)、ご夫婦3組、スポーツジム仲間という女性3名。48人乗りの大型バスなので1人2席を占めゆったり、ドライバーはマケドニア出身のサシャさん、今回は最終日まで通し運転とのこと。空港を9:05出発、ベオグラードから北西に50㎞、セルビア第2の都市、ヴォイヴォディナ自治州の州都ノヴィ・サド(Novi Sad)へ向けバスは疾駆する。辺りは一面雪を被った茫々たる平坦地、融雪剤をまき除雪しているのか道路に雪はない。ヴォイヴォディナ平原はセルビアで最も肥沃な穀倉地帯とのことで、ジャガイモ、小麦、P1190057大麦、ライ麦、ビートの生産が盛んらしい。看板はキリル文字標記!、全く読めない。9:45-10:00ガソリンスタンドOMVでトイレ休憩、売店VIVAでセルビア産ビールの小瓶1本を購入する。その先でドナウ川を渡る。川の半分は氷で覆われている。10:30ペトロヴァラディン要塞の駐車場に着きバスを降りる。ドナウ川の右岸に建つペトロヴァラディン要塞は、ハプスブルクのジブラルタルとも呼ばれた堅固な要塞であったが、現在は多くの芸術家が集う場所として数多くのギャラリーがひしめき合い、毎年夏には欧州一の野外音楽祭イグジット(Exit)の会場として利用されている。現P1190068地ガイドのラドさんの案内で要塞へ上る。先週は-20℃まで気温が下がったそうであるが今日は-2℃、いやはや幸運というべきか。車道や遊歩道、石段に雪はなく、塩化カルシウムなどを撒いている模様。要塞の歴史資料館であるノヴィ・サド博物館の外壁はマリア・テレジア・イエロー色、ハプスブルク家支配の名残が感じられる。その前を通りレストランやギャラリーが建ち並ぶ最上部のテラスへ。団体観光客は我々以外になく、レストランも客は1組、2組、殆どが開店休業状態にある。テラスに出てドナウ川と対岸のノヴィ・サド市街地を眺める。ドナウ川を氷塊が流れて去く。帰国したら、宮本輝の「ドナウの旅人」を再読してみよう。テラスの先端に建つ時計塔は、ドナウ川を航行する船からも時間が分かりやすいように、長身が時針に、短針が分針になっている。時計塔を管理しているのは、テラスの露店で土産物を商う男性、親切に時計塔のドアを開放して中を見せてくれる。振り子に1702年と刻まれている故建造されたのは300年以上前か、ノヴィ・サドロータP1190090リークラブの銘板が掛かり、2015年と2016年に大規模修繕?がなされた事を示している。帰りはトンネル内の214段のレンガ階段を下る。バスに戻り、ドナウ川対岸の旧市街の中心地スロヴォダ広場へ。ノヴィ・サドはセルビア語で「新しい入植地」の意味、町が築かれたのは1694年、その後一大文化拠点に成長し、「セルビアのアテネ」と称される文化都市である。劇場広場の角でバスを降り、セルビア国立劇場(1861年建造、南スラブ最古)を左に眺めながらスロヴォダ広場に出る。ユリウス暦を使うセルビア正教の降誕祭(クリスマス)は1月7日のために、広場の周辺には時ならぬ?クP1190081リスマスマーケットの露店が軒を連ねている。長方形の広場は、東面がノヴィ・サド最古のホテルでオーストリア皇后のエリーザベト(シシィ)も宿泊したと云うホテル・ヴォイヴォディナ、西面が新古典主義の建築物であるヴォイヴォジャンスカ銀行本店、南面が市庁舎、北面がカトリック大聖堂に囲まれる。市庁舎寄りの中央に厳めしく立つ像は、ノヴィ・サド市長を務めたSVETOZAR MILETIC(1826-1901)。フリータイムの25分はカトリック大聖堂に入場して内部を見学したり、ホテル・ヴォイヴォディナの1階ブランドショップを覗いたりするうちに過ぎる。12:20バスに戻って昼食レストランへ。レストランAlaska Barkaはドナウ河畔の公園内に建つ高級レストランのひとつ(と、別れ際に現地ガイドのラドさんが言っていたが)、12:30-13:30の間、赤絨毯が敷かれた館内で、サラダ、鶏肉とソーセージのリゾット、アイスクリームを食べ、セルビア産ビールJelenの小瓶を飲む。小瓶ではあるがビール1本200円は安い。12:40バスに戻り、ベオグラードへ。(続く)

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