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晩白柚(ばんぺいゆ)

2017年1月28日(土) バルカン半島6か国の旅を終えて、昨夜遅く帰宅したところ、山口市にお住いのK様から珍果晩白柚が届いておりました。K様はきのこ道の大先輩、ホームページ20170119p1290001「きのこワールド」を拝見したのがご縁で、以来メール等のお付き合いを頂いておりますが、まだ一度もお目にかかったことはありません。それなのに、ご自宅で大切に育てている晩白柚を三年連続でご恵贈いただくとは・・、御親切誠に勿体なくかたじけなく存じます。晩白柚は超大型のミカン、試しに計測してみると、直径は各々16、17、18㎝、重さは1350g、1474g、1490gもあります。いつものように果肉は生食で、果皮はグラッセに加工して頂こうと考えております。ありがとうございました。 

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イスタンブール土産 ロクム(LOQUM)

2017年1月27日(金) 乗り継ぎのイスタンブールの空港で、成田行きTK52便を待つ間に、トルコのお菓子ロクムを購入しました。4箱セットで22€、免税店向けの商品で特別提供価格とのことです。ロクムの主原料は砂糖とコーンスターチとナッツですが、もちもちした食感とナッツの風味は日本のくるみゆべしに似ています。1箱250g、4箱のそれぞれは、①ピスタチオ味(ピスタチオ20%入り:Double Roasted Pistachio-rich)、②ミックスナッツ&ココナッツ味(ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、アーモンドが計15%とココナッツ7%入り:Mixed Nuts Coconut Covered)、③ミックスナッツ&フルーツ味(ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、アーモンドが計15%とレモン、ミント、バラの香料入り:Assorted Nuts & Fruit Flavoured)、④ブラックベリーとサワーチェリー味(Blackberry & Sour Cherry Flavored)。トルコのお菓子に共通する甘みがくどい点がいまいちです。
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帰国(プリシュティナ→イスタンブール→成田)

P12711422017年1月26日(木) 17:30プリシュティナ空港着、9日間・2,200㎞の長丁場を無事安全に走ってくれたサーシャさんに寸志を渡し、空港ビルに入る。トルコ航空のカウンター脇でSCを開けてラキヤを詰め直し、18:30チェックインして搭乗券を受け取る。SCの重量は20.2㎏で制限の20㎏をオーバーしているが何も言われない。出発ゲート202に進み、チョコアイスを食べる。20:15イスタンブール行きTK1020便に搭乗、13F席に座る。機材はAIRBUS 319-100、ほぼ満席。22:20イスタンブール空港着、時計を2時間進める(→0:20)。
1月27日(金) 空港免税店で土産にロクムを4箱買う。2:00成田行きP1271143TK52便に搭乗、通路側の30G席に座る。機材はAIRBUS330-200/300、2-4-2席ならびで隣が空席、ついている。3:05離陸、時計を日本時間に戻す(→9:05)。10:15一回目の食事、赤ワインを飲む。恩田陸著「蒲公英草紙」を読む。12:30トイレで歯磨き、あと7H30M。映画「The Duel」(2016年米国制作、邦題「ある決闘-セントヘレナの掟-」、2017年6月劇場公開予定)を観る。クラシックを聴きながらうとうと。再び「蒲公英草紙」を読む。20:09成田空港安着。JRを利用し、成田、安孫子で乗り換えて南柏駅着、妻に車で駅まで迎えに来てもらい、23:00無事帰宅。(完)

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コソボ共和国のビール

コソボ共和国で試飲したビールも PEJA Pilsner 唯1種類、プリズレンのレストランで小瓶(2€)を、プリシュティナのホテルで生小(2€)を、ペヤのレストランでも生小(1€)を飲みました。原麦汁エキス10.5%、アルコール分4.2%、原材料は大麦麦芽とホップのみの麦芽100%ビールです。すっきり、温和で向飲性(Weitertrinkenkeit)があり、個人的評価は☆☆☆。特に地元ペヤのレストランは、なみなみと注がれた生ビールがたった1€、痺れました。製造元はペヤ市に本社・工場があるBIRRA PEJA INT.Sh.A.(1968年創業、2012年からスイスのCOOP傘下)。
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コソボ土産(2/2) ラキヤ(Rakija)

P12900022017年1月26日(木) 世界で一番寒いと云う、冷凍庫にでも入ったようなペーチ修道院の3つの教会、その外陣・内陣を見学すると確かに身体が芯まで冷えてしまう。体を温めましょうと案内役の修道女に優しく売店に導かれ、修道院自家製のスモモのラキヤの試飲を薦められる。アルコール分は55%、小さなおちょこで1杯、殆どのメンバーが試供品を馳走になったはずだが、誰も商品を買おうとはしない。仕方がないので皆を代表して、大きい瓶の方を1本8€で購入する。ラキヤはバルカン半島諸国で発酵させた果実から造られる蒸留酒、スモモから作られるものはシュリヴォヴィツァと呼ばれる。教会内部はもとより外観の撮影も禁止という厳格なペーチ修道院がラベルにデザインされており、市販では絶対に手に入らない逸品、良い買い物でした。ラベルのキリル文字は、上段が「祝福(Blagoslov)」と「修道院(Manastir)」、下段が「ペーチ(Peja)」と「総主教座(Patrijarhalan)」のようです。

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コソボ土産(1/2) ドロップ

P12900082017年1月26日(木) プリシュティナからデチャニ修道院へ向かう途中、トイレ休憩に立ち寄ったスーパーマーケットNORAで購入。コーヒー味とワイルドベリー味、それとフルーツ味のドロップが計3缶、各200g入り、各1.45€、合計4.35€(545円)でした。てっきりコソボ産かと思いきや、何とオーストリア産でした。メーカーはGUNZ GmbH、1986年創業、オーストリアの西端の町Maederにある会社です。

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世界遺産「コソボの中世建造物群」

2017年1月26日(木) 9:05バスに戻りデチャニ修道院へ。雪が晴れ青空覗く。トイレ休憩にGSに寄るが、外トイレのため水道管が凍結していて使えない。10:00スーパーマーケットNORAに緊急停止、店内のトイレを借用できることになり事なきを得る。申し訳ないのでドロップを3缶購入。11:00デチャニ修道院(標高640m)到着。セルビア正教会の寺院であるP1261098ため、アルバニア系パルチザンに襲撃される恐れがあり、それを防ぐためにアクセス道路や正門前に監視所があって、イタリア人を主力とするコソボ治安維持部隊(KFOR)が守っている。デチャニ修道院は、同名で2004年世界文化遺産に単独登録されたが、その後2006年に周辺の3つの教会、即ちペーチ総主教修道院、リエヴィシャの生神女教会、グラチャニツァ修道院が加えられ、登録名が「コソボの中世建造物群」に変更された。デチャニ修道院はセルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキによって1327年に建設が始められ、王の死後、息子のステファン・ドウシャンに引き継がれて、建物は1335年に完成、壁画はP12610811350年頃完成した。分厚い石造りの正門をくぐると、敷地中央に建つ大聖堂を取り囲むように、正門から左右に僧院の建物が延びる。まるで要塞のような造りである。今日は境内に雪が30㎝ほど積もり、神域を清浄に荘厳する。全能者ハリストス(キリスト)に献堂された大聖堂は、建材にオニクス・マーブルやレンガを使っており、中世に建てられたものとしてはバルカン半島最大。現在25人の修道士が居り、そのうちの一人、長身・黒髯のペトラ神父が案内してくれる。外観の撮影はOKだが内部の撮影は禁止とのこと、セルビア正教会は厳格である。左側のP1261083_2入り口から堂内に入る。壁と天井に隙間なく描かれた外陣のフレスコ画はやや傷みが目立つが、内陣の方は状態が良く色彩も鮮やか、青(紺)・黄(金)・赤の塗料をふんだんに使っており、近年修復されたものかもしれない。フレスコ画には新約聖書の物語と、1000人を超える聖人像が描かれているらしいが、門外漢にはさっぱり分からない。内陣の左右に聖ディミトリウス、聖ニコラの2つの礼拝堂があり、正面のイコノスタシスは14~17世紀に作られた60面以上の大小のイコンで埋め尽くされている。内陣には他にステファン王の遺体を納めた石棺、典院(修道院の長)の座などもある。ペトラ神父がショップの売り子に早変わりし、1冊10€のガイドブック購入を勧められたがパス、境内の端にあるトイレへ行く。トイレはトルコ式だがペーパーが備えてあり非常に清潔、電熱式温風器まで置いてあり感激する。11:45バスに戻りペーチ修道院へ。北へ12㎞ほど、12:05コソボで三番目に大きな町ペーチ(標高500m)に入る。12:15セルビア正教の大主教座が置かれているペーP1261102チ修道院着。大主教は安全上の理由からベオグラードに居るとのこと、ここの守備はKFORではなく警察の管轄。やはり内部の撮影は厳禁、それと構内はOKだが聖堂本体は外観撮影もダメと厳しい。現在20名の修道女が務めており、そのうちの一人が案内してくれる。聖堂前に樹齢800年という桑の巨樹が生えている。聖堂に入ると拝廊があり、3つの教会の入り口がある。真ん中の聖使徒教会が一番古く、13世紀の中頃大主教アルセニイェ1世により創建された。向かって左側(北側)の聖デメトリウス教会は大主教ニコディム1世により1320年頃に、向P1261110_2かって右側(南側)のホデゲトリアの生神女教会(聖母マリア教会)は大主教ダニロ2世によって1330年頃に建てられた。先ず聖使徒教会に入る。フレスコ画は1260年頃のオリジナル、剥離してしまい岩が剝き出しになってる個所もある。大主教が代わるごとに作られる玉座(オリーブの木で作る)が据えてあり、地下にはセルビア正教の最も大事な聖人、聖サヴァが眠っている。内部は冷凍庫に入っているかの如く深々と冷える。世界で一番寒い教会とのこと、納得。次に左側の聖デメトリウス教会に入る。正面に聖母マリアのイコンが掲げられ、左側の壁にP1261112聖デメトリウスが奇跡を起こした場面が、入り口上の壁には剣を持つ王の姿が描かれている。床は大理石とオニキス製。さらに右側の聖母マリア教会に入る。正面に6枚のイコンが飾られ、うち1枚は聖ダニロが聖母マリアにこの教会を捧げる絵柄。右の壁に聖母マリア誕生の場面が、入り口上の壁に聖母アリアが亡くなる場面が描かれている。青い塗料が多用されているのは、青が聖母マリアの色ゆえ。外へ出て南に付け足しの様に建つ聖ニコラオス教会も見学する。この教会もダニロ2世が建てたもの、堂内は聖ニコラオスの生涯を描いたフレスコ画で荘厳されている。案内役の修道女さんにP1261121導かれて売店に進み、勧められるままに修道院特製のラキヤをご馳走になる。アルコール分55%、お猪口1杯で目が回る。小瓶と中瓶が販売されているが、試飲するだけで誰も買おうとしない。やむなく代表して中瓶を1本、8€で購入する。出口の門の蔭からこっそり聖堂の写真を撮り、13:05バスに戻る。街中のレストランKULLA E ZENEL BEUTで昼食(13:15-14:10)、コーンスープ、マス料理、ケーキを食べ、コソボ産ビールのPEJA生を飲む。生ビール350ミリリットルの値段が僅か1€、めちゃくちゃ安い。食後、殆どの人がペーチ中心部の観光へ繰り出したが、レストラン残P1271131留組の3人に加わりコーヒータイム、4人でおしゃべりしながらゆっくりとした時間を過ごす。14:45バスに戻り、最後の観光となるグラチャニツァ修道院へ。15:10 PEJAビール工場の傍を通る。原料サイロや発酵・貯蔵用のコニカルタンクが林立し、設備は最新式とみえる。ガソリンスタンドbes Oilでトイレ休憩(15:55-16:10)。16:25人口2万5千人のグラチャニツァの町に入る。早や薄暗くなる。10分ほどでグラチャニツァ修道院(標高630m)到着。町の人口の90%がセルビア人、10%がロマとのことで、此処はアルメニア系パルチザンの攻撃も心配ないと思われるが、やはり長大且つ堅固な石塀に囲まれている。黒門から境内に入り、待ちくたびれていた様子の神父さんに聖堂内を案内してもらう。ここも聖堂内部の撮影は禁止!。1321年の創建、外陣のフレスP1271134コ画はダメージが大きく、一部石やレンガが剥き出しとなっている。天使のように羽を生やしたキリスト像は珍しいとのこと、14世紀当時のまま。内陣のフレスコ画の方が状態は良く、キューポラにイエス・キリスト像、両側の壁には、この聖堂を建てたセルビア王ステファン・ウロシュ2世ミルティン王と王妃の姿、聖母マリアが亡くなり天国の窓が開かれている様子、ゴルゴダの丘の磔刑のキリストと3日後の復活の場面などが描かれている。全部で4000人の聖人が内陣のフレスコ画に描かれており、1月1日から12月31日まで365人の聖人も揃っているとか。堂内の照明が暗く、神父さん、懐中電灯の光を当てて熱心に説明してくれる。17:10ようやくバスに戻り、帰国の途に就くべくプリシュティナ空港へ向かう。(続く)

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コソボの首都プリシュティナ散策

P12610532017年1月26日(木) いよいよ最終日、5:15起床。スリッパと古パジャマを捨てる。6:00 MC、その後瞬間停電が2回、直ぐに回復し事なきを得る。外は真っ白、雪が舞っている。髯をそり爪を切る。6:45-7:15朝食。紅茶はポットサービス、コーヒーはテーブル席まで注ぎに来てくれる。まあ五つ星を謳う高級ホテルだけのことはある。ハム各種、ドライフルーツ(干しアンズとレーズン)、オリーブ塩漬け、ヨーグルト、ミカン、プルーン、バナナを食べ、リンゴジュースとコーヒーを飲む。外は寒そうなのでSCを開けて厚手のセーターを取り出す。8:05現地ガイドのイブラミさんと一緒にバスに乗り込み、先ずプリシュティナ市内観光へ。車窓から国立図P1261056書館、教育省などモダンな建物を眺める。アメリカの資金援助で造ったものとのこと。8:25旧市街の一角でバスを降り、徒歩観光開始。歩道に雪が残っていて足元が危うく気が抜けない。オスマン朝コソボ州の行政府が置かれたオーストリア=ハンガリー様式の建築物・コソボ博物館、最も美しいモスクとされるジャシャール・パシャ・ジャミーア、時計塔、オスマン朝スルタンのメフメト2世(1432-1481)によって建てられたプリシュティナ最大にしてコソボ最古のイスラム寺院ファーティヒ・ジャミーア(ドームの大きさ15.5m)の順に見学。ファーティヒ・ジャミーアから引き返し新市P1261063_2街へ。マザーテレサ大通りに入り、コソボの政治家イブラヒム・ルゴヴァ(Ibrahim Rugoya)像、中世アルバニアの民族的英雄スカンデルベグ騎馬像(アルバニアの首都ティラナのスカンデルベグ広場にも建っていたが・・)、マザー・テレサ像など見学する。雪は本降り、道はつるつる、観光どころではないけれどホッカイロが暖かい。9:05早々にバスに戻り、デチャニ修道院へ向かう。(続く)

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エメラルドホテル(Emerald Hotel)

201年1月25日(水) 15:15プリズレンを後にしプリシュティナへ。サーシャさん高速道路を快調に飛ばす。16:00-16:15ガソリンスタンドbes Oilでトイレ休憩、無料。売店を覗くと、500ミリリットP1261020ル入りミネラルウォーターのペットボトルが0.25€(30円)、国産ビール小瓶が0.8€(100円)、輸入ビールの小瓶が1.1€(140円)と安い。三菱自動車と起亜自動車の販売店が仲良く同じビルに店を構えている。17時を過ぎ暗くなるが、灯りの点いていない建物が多い。点いていても照明は暗い。節電?、省エネ?、それとも電力不足?。日本の夜が不必要に明る過ぎるのかもしれない。17:05郊外の幹線道路に面した真新しいホテルエメラルドに到着、219号室に入る。さすがは五つ星、ゆったりした部屋にダブルベッド1台、書き物机に椅子、ソファとテーブルが置いてあり、家具類はベージュ色の木目調、天井と壁は城をP1261022基調とする大人の雰囲気。セーフティーボックス、ミニバー、電気ポット、ティーバッグ、それにスリッパまで付いている。浴室はシャワーだけだが、液体石鹸、シャンプー、シャワージェル、櫛、爪ヤスリ、綿棒、シャワーキャップ、ティッシュボックス、ワードローブがあり、至れり尽くせり。18:00-19:15ホテルのレストランで夕食。前菜(マッシュルーム炒め他)、ハンバーグ&ローストチキン、チーズケーキを食べ、コソボ産ビールPEJAの生小を飲む(2€)。料理の味は良いが如何せん量が多過ぎる。部屋に戻りSCの最終梱包、明日はいよいよ帰国日。20:15風呂から上がり、お茶を飲もうと沸かしておいた電気ポットを見たら何とお湯が漏れている。やっぱりね。(続く)

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プリズレン(Prizren)散歩

2017年1月25日(水) 10:15バスに戻り、コソボ共和国のプリズレンへ。10:30-10:45ガソリンスタンドBESA PETROLでトイレ休憩、トルコ式、無料。サーシャさんがバスに給油する。山P1251006道にさしかかると、道端の積雪は1mを超えているのに道路には雪が無く乾いている。幹線道路はまめに除雪されている模様。11:00マケドニアとコソボの国境(標高400m)に到着、マケドニアの出入国管理棟は白い石の細長い建物、審査官がバスに乗り込んできて一人一人のパスポートをチェック、バーコード読み取り機に通してから返してくれる。コソボ側の管理棟は黄土色のレンガの建物、やはり審査官が乗り込んできてパスポートを集めて去る。寒々とした雪景色の中にモスクのミナレットや赤レンガの建物が見える。待つこと暫し、スタンプが押されて返ってくる。11:30六か国めのコソボ共和国に無事入国。コソボの人口は180万P1251011人、岐阜県と同じくらいの面積で、民族構成はアルバニア人が92%。コソボ議会は2008年2月に独立を宣言、2015年8月時点でコソボを国として承認している国は日本を含む111ヶ国、未承認国はセルビアはじめ、中国、ロシア、スペインなど。その先、どこもかしこも雪景色なのでついうとうと、広葉樹が生える山峡の道を行く。12:30海抜880mの峠道で渋滞、パトカーが来ており、2台の乗用車が正面衝突事故を起こしている。高速道に乗ると周りの雪が消え、13:00プリズレン(標高412m)の街に入る。ビリストリカ川の畔に建つレP1251017ストランAmbientで昼食(13:15-14:15)、前菜、サラダ、シシケバブとケーキを食べ、コソボ産ビールPEJAの小瓶(2€)を飲む。食後、プリズレン散策(14:20-15:10)。人口は17万人、コソボで最も美しい町と云うので期待したが、現地ガイドもなし、市街地図も無しで手も足も出ない。レストランを出て川沿いに歩き、イスラム寺院のスイナン・パシャ・ジャミーヤの前を通り、旧市街中心のシャドルヴァン広場に出る。凍て付いた雪を作業員がスコップで引き剝がし、トラックの荷台に載せている。広場から南に延びる職人街を途中まで歩き、引き返してオスマン帝国時代(16世紀建造)の石橋をP1251013_2渡る。橋の上から東を望めば、山の上にプリズレン城塞が見える。確か「コソボの中世建造物群」として世界遺産に登録されているリェヴィシャの生神女教会がどこかにある筈と思い探してみたがさっぱり分からず、石橋の下流にある橋に辿り着くのが精一杯。"Blue Bridge of Love"と名付けられ、欄干の金網に恋人たちの誓いの鍵が沢山かけてある。橋の袂で栗を焼いて売っている。買おうかと思ったが、2€、3€、5€用の新聞紙の袋が思いの外小さい。15:15バスに戻り、コソボの首都プリシュティナへ向かう。(続く)

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マケドニアの首都スコピエ散歩

2017年1月25日(水) 5:10起床。お湯を沸かしコーヒーを飲む。CNNは8CH、ようやく英語放送にたどり着く。ニュースは「トランプ大統領の最初の100日」の話題ばかり。窓から外を見ると、歩道には雪が積もっているので足拵えは登山靴とP1250865し、ホッカイロもポケットに忍ばせる。6:30-7:00朝食。ゆで卵、チーズ、サラミ、オリーブ塩漬け、缶詰の桃を食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。7時を過ぎると明るくなり、バスや車、歩く人が多くなる。皆黒っぽい服装の重装備。7:50現地ガイドのゾランさんと一緒にバスに乗りスコピエ市内観光へ。スコピエの人口は50万人、盆地のため、夏は暑く(これまでの?)最高気温43℃、冬は寒く最低気温-27℃。今日は外気温-4℃。8:05ヴァルダル川沿いのスコピエ城塞の麓でバスを降り、丘上の城塞に上る。雪が深い。川向こうに広がる新市街の眺めが素晴らしく、体育館や陸上競技場(ピリッポス2世アレナ)も見P1250871える。城塞から下りて旧市街チャイル地区見学へ。先ずムスタファ・パシナ・ジャミーヤへ歩く。スコピエがオスマン朝によって陥落して間もない1492年、オスマン朝の第9代皇帝セリム1世に仕えた宰相ムスタファ・パシャが建てたイスラム寺院。マケドニアに数多く残るイスラム寺院の中でも屈指の造形美を誇るとのこと。境内には入ったが内部の見学はなし。マケドニア国立博物館の傍を通り、坂道を下って行く。積もった雪が一旦融けて凍ったとみえツルツル、こんなところで転んで骨折でもしたら寝たきりになりかねない。トルコ人の家、ジュエリー街、ドレス街、オールドバザール、カパン・ハーン(15世紀頃造られた隊商P1250914宿)と、ごたごたした感じの街を通り抜ける。その中の豆屋を覗くと、ピスタチオ 1㎏が900デナル(1DEN約2円ゆえ1,800円)、ヒヨコマメ 1㎏が350デナル(700円)、カシューナッツ 1㎏が1,000デナル(2,000円)、日本のYahoo!ショッピング等の値段とあまり変わらない。いや寧ろ高め、全て輸入品?。またランチの値段はケバブと豆料理とサラダとパンの3皿で2.5€(300円)、食堂の値段は日本の二分の一から三分の一。トルコ人街を抜けると、アレキサンダー大王の父、ピリッポス2世像が聳える広場に出る。その台座の下段P1250921には、ピリッポス2世と王妃の間に挟まれて座る子供時代のアレキサンダー大王像が見られる。9:15広場の南角にあるホテルSTONE BRIDGEでお手洗いを借用する。雪中行軍は体が芯から冷える。自分をはじめ年寄りが多いのでどうしてもトイレが近くなる。無料で使わせてくれる。チップも受け取らない。さすがは五つ星ホテル、有難い。ヴァルダル川に架かる石橋カメン・モスト(1451~1469年建造)を渡り新市街へ。石橋入り口の左右に聖人像が建つ。右側が聖キリルと聖メトディウスの2人、左側が聖ナウムと聖クレメントの2人、オフリドで見たものとは像形が異なる。旧市街側河岸段丘の右にマP1250927ケドニア自治独立闘争博物館の角ばった建物が、左にギリシャ神殿風の曲線的なマケドニア考古学博物館が建つ。どちらも新しく近年の建築かもしれない。橋を渡ると新市街ツェンタル地区の中心マケドニア広場に出る。中央にアレキサンダー大王騎馬像が建ち、その下の噴水は雪に埋もれている。広場の近くに、1979年のノーベル平和賞受賞者、マザー・テレサの生誕地を示す黒い石碑が置かれている。マケドニア大通りを南下して行くと左手に3階建てのマザー・テレサ記念館が建ち、その傍らに大きなマザー・テレサ像が立つ。記念館に入場すると、1階は管理棟、2階は資料展示室、3階は小さな礼P1250955_2拝堂となっており、ダライ・ラマ14世と会談した写真も展示してある。近代建築が建ち並ぶ大通りを更に南下。スコピエは1963年の直下型地震で壊滅的被害を受けたが、その後の都市計画を日本の建築家丹下健三氏(1913-2005)が手掛けたため、スコピエ市民は親日とのこと。大通りの南端に到達すると、目の前にスコピエ博物館(旧鉄道駅)が建つ。壁面の大時計は、大震災が起きた1963年7月26日の5時17分で止まったままである。10:15無事にバスに戻る。誰も転ばず、誰も怪我せず、何よりのこと、登山靴の足指の先が冷たい。(続く)

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マケドニアのビール

P1240783マケドニアで試飲したビール銘柄はSKOPSKO唯1種類。原麦汁濃度11%、アルコール分4.9%、原材料は麦芽と副原料(とうもろこし?)とホップ。SKOPSKOは同国のNO.1ブランドでマーケットシェア64%、製造元は、首都スコピエに本社・工場があるSKOPJE BREWERY(1924年創業、1998年からハイネケン傘下)。昼食時オフリドのレストランで、また夕食時スコピエのホテルレストランで2回飲みましたが、いまいち美味しくありません。評価は☆☆。値段は330ミリリットル入り小瓶がどちらも2€、同じものがホテルのミニバーにも入っていましたが、それは1.62€。

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ホテル・カルポシュ(HOTEL KARPOS)

P12508352017年1月24日(火) 15:45オフリドを後にしスコピエへ。斑に雪が残る平原を走り、やがて峠越えの山岳道路を走る。周りは又銀世界に戻る。17:00-17:15海抜1200mの峠にあるレストラン(Mekitsite od Strazha)でお手洗い休憩、トイレは雪が積もる階段の上の上にあり、辿り着くまで難儀する。まあ無料なので文句は言えない。道路脇は1mほどの積雪、反対側にガソリンスタンドもある。もうすっかり暗くなる。下界に降りて、短区間の高速道路を何回か走る。18:15マケドニアの首都スコピエの街に入る。標高は240mしかないが、車道以外は雪が積もっている。18:35四つ星ホテル・カルポP1250836シュ(Sekspirova B.B. Skopje Macedonia)到着、最上階(4階)の303号室に入る。広い部屋にダブルベッドが1台、書き物机と椅子、ソファと丸テーブル、TV(Philips)、ミニバーが備えてある。また嬉しいことに電気ポットとネスカフェのインウタントコーヒー、紅茶バッグのサービスまである。浴室にも浴槽が付いており、シャンプーは髪と体兼用のDOVE、手洗いはLUX、アメニティは充実している。バルカン諸国のSPクラスのホテルは、新しく快適な宿が多い。19:15-20:00、1階のレストランで夕食。前菜(ハム、サラミ、チーズ、オリーブ塩漬け、キュウリ)、サラダ(刻みキャベツと刻みニンP1250840ジン)、鶏肉のロースト、ケーキを食べ、マケドニア産ビールSKOPSKOの小瓶(2€)を飲む。料理の味はまずまず、ビールの味はこれまでの中では一番落ちる。部屋に戻って運転手サーシャさんの友達から差し入れてもらったリンゴを食べる。サーシャさん、今晩はスコピエにある自宅に泊まるとのこと、この一週間の疲れが抜けるとよいが。日本茶を500ミリリットル作り、備え付けのネスカフェのインスタントコーヒーを飲む。不味。風呂に入り、デジカメ電池の充電を仕掛けてからベッドに入る。(続く)

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世界遺産「オフリド地方の歴史的建造物と自然」

2017年1月24日(火) 8:00サーシャさんのバスが迎えに来る。ちょうど小中学生の登校時間、8:10 GRAND WHITE CITYで残る19人をピックアップ、オフリド(Ohrid)へ向かう。平坦地P1240751が続く。葡萄畑、オリーブ畑、ミカン園、果樹園があり、ビニール温室が建つ。野焼きの煙も上る。自転車に乗る人、ヒッチハイクの人も居る。8:45昨日トイレを借用したPILO RARA HOTEL前を通過、バスは昨日来た道を戻っている。途中から内陸部へ折れて、エルバサン(Elbasan)の町のガソリンスタンドALPETでトイレ休憩(9:25-9:45)。水がほとんど流れていない大きな川(シュクンビニ川)の左岸を遡り、上流の山間地へ。奥に白銀の山が見えてくる。次第に谷が深くなり両側に迫る山壁が高くなる。干し草を満載したトラックが行く。路面は快適、バスは峠へ向かってぐんぐん上ってP1240765いく。10:50-11:05国境近くのHOTEL ODESSA(標高925m)のお手洗いを借用、雪の広場に大きなマザーテレサ像が立ち、右手の斜面にトーチカが数基並んでいる。11:10アルバニアとマケドニアの国境(標高1000m)に到着。パスポート審査を受けることなくアルバニアを出国、マケドニア入国はパスポートが集められる。11:35スムースに5か国目に入る。右下に大きな湖広がる。面積350平方キロメートル、最大水深285m、500万年前の地殻変動で形成された世界最古の湖のひとつ、オフリド湖である。一気に山を下りオフリドへ。マケドニアの人口は204万人、面積は九州の3分の2P1240800の2万5千平方キロメートル。オフリドの人口は5万人、マケドニアで6番目の都市。オフリドの街に入り、旧市街の手前でバスを降りる。標高695m、雪が無いのでほっとする。近くのモスクのミナレットから正午の礼拝を呼びかけるアザーンの大音量が流れる。両側にブティックやレストラン、カフェなどが軒を連ねる石畳の道を暫く歩き、国立博物館の先にあるレストランVilla Sv Safiaで昼食(12:20-13:10)。スープ、鱒のグリル、ケーキを食べ、マケドニア産ビールSKOPSKOの小瓶(2€)を飲む。昼食後、現地ガイドのアントニオさんに引率されて旧市街散歩へ。直ぐに聖ソフィア教会の境内にP1240809入る。11世紀に建てられ、市内に365もある教会を代表する大聖堂であったが、オスマン朝が支配した時代にイスラム寺院へと転用され、内部のフレスコ画は塗りつぶされてしまった。第2次世界大戦後にキリスト教会に戻り、復旧作業によってフレスコ画も再びその姿を現しているらしいが内部には入らずじまい、外観を眺めただけで次へ。サミュエル要塞目指して登っていく坂の途中から、聖クレメント教会とイコン博物館を眺める。聖クレメント教会は内壁を覆いつくす13世紀末のフレスコ画が必見とのこと、またイコン博物館は11世紀から19世紀にかけての国宝級イコン(価値は25億円相当)をP124081340枚収集・展示しているとのこと、どちらも内部を見学したかったが・・。遥々と此処まで来た甲斐もなく残念。その先にギリシャ時代の古代劇場がある。1950年代に発掘されたとのことで、修復・保存状態が良く、3000席ある観客席と舞台はコンサートなどに活用されている。13:50旧市街の丘の上に聳えるサミュエル要塞に到着。マケドニアで最も保存状態が良い要塞は、10世紀末から11世紀初め頃にブルガリア帝国の皇帝でオフリドを首都に定めたサミュエルによって築かれた。20分のフリータイムに城壁へ上る。城壁の上の歩廊が歩けるように整備されP1240816ており、左右の階段を昇って両端まで歩いてみる。町全体とオフリド湖を見渡すことができ、非常に眺めがよい。聖パンテレモン教会を写真に納めて城壁から降りる。帰りは、岬の先端に建つ聖ヨハネ・カネヨ教会に下る。聖ヨハネ・カネヨ教会は10世紀頃の創建、ギリシャ正十字の形をしたこじんまりした外観と湖畔に佇む姿が良いので、今ではオフリドきっての人気教会らしいが、内部のフレスコ画の保存状態はあまり良くないとのこと、結局素通り。湖畔の遊歩道を歩き、昼食のレストランに戻ってお手洗いを使わせてもらう。フェリー乗り場がある広場へ出てアントニオさんと別れ、30分間のフリータイム。広場P1240824_2には聖人像をはじめいろいろな像が立つが、銘板がキリル文字ゆえ全く読めない。帰国後、キリル文字を読み解くと、聖書を持つ像が聖ナウム、オフリドの町を持つ像が聖クレメント、二人一緒の像は聖キリルと聖メトディウスの兄弟像である。聖ナウムと聖クレメントは聖キリルとメトディウスの弟子で、9世紀にオフリドに到来し、キリスト教関係の文献をスラヴ語に翻訳する学校を開設し、スラヴ語で伝道活動を行った。また「キュリロス賛辞集」など多くの著作を残し、スラヴ世界でのキリスト教の普及に尽力、キリスト教文化の発展に大きな役割を果たした。フェリー乗り場から突き出た桟橋の先端まで歩く。湖水は澄んでいるが魚の姿は見えない。コハクチョウ、バン、カモメなど水鳥が浮かび、観光船は休業状態。15:45バスに戻り、今宵の宿があるマケドニアの首都スコピエ(Skopje)へ。

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HOTEL WHITE CITY (2)

2017年1月24日(火) 5:00起床。6:00のMCはドアのノック。6:30-7:00朝食。4階の展望レストランへ上がってみると、昨日GRAND WHITE CITYで見かけたクラブツーリズムのプレミアムステージツアーの10名と一緒になP1240724り吃驚。コソボから入り6か国を周遊してベオグラードから帰るとのことで我々とは全く逆コース、飛行機はビジネスクラス利用らしく皆さん裕福そうな感じ。食堂は狭く12席しかないので、空いた席から相席で座らせてもらう。窓からマンガレム地区が見渡せる。旧市街のど真ん中にある此のホテル、町一番の高級ホテルとのこと、分宿組は結果オーライ&幸運だったようである。ゆで卵、ハム、ソーセージ、ヨーグルト、カステラを食べ、コーヒーを飲む。バスが迎えに来るまで時間があるので、腹ごなしの散歩に外へ出る。ホテル前の大通り公園を西へ5分ほど歩き、オスム川に架かる橋の上からマンガレム地区とゴリツァ地区の昼の景色を撮る。
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アルバニアのビール

P1230597アルバニアで試飲したビールも1種類、なにせ1国1日の観光なので、色々な銘柄を飲もうにもチャンスは少ない。KORCA Blondはギリシア国境に近いコルチャ市に本社・工場を構えるBIRRA KORCA(1928年創業、2004年以降Infan Hysenbelliuの傘下)の主力銘柄、ピルスナータイプのビールでアルコール分4.1%、原材料は麦芽・ホップ・トウモロコシ、風味はすっきりしているがやや水っぽい感じ。首都ティラナで昼食時に小瓶を、ベラートの宿泊先ホテルで夕食時に小瓶を飲みましたが、どちらも値段は2€。

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HOTEL WHITE CITY (1)

2017年1月23日(月) 今回の旅の参加者22名の中に一人参加は14名もおり、男性に限っても6名いる。どうして自分たち3P1240699名が分宿組に選ばれたのか、しかもグランドの付いていないランク落ちの様なホテルにと腑に落ちないまま、19:10旧市街に建つ4階建てのこじんまりしたホテルWHITE CITY(Lagjia 22 Tetori Bulevardi Repubblika Berat. Albania)に到着、一応四つ星なのでその点は安堵したが、はたして入り口が狭くエレベーターもない。ポーターが2階のレセプションまで荷上げしてくれる。部屋はレセプション前に並ぶ3部屋で、NO.1がSさん、NO.2がKさん、自分はNO.3に入る。入って見て吃驚、壁の色がラベンダー色、家具や什器も真っ白でどうにも落ち着かない。それと天井が無駄に高過ぎる。コンパクトな部屋にダブルベッドが1台、P1240694書き物机と椅子、壁掛けTV、ミニバーがあり、クローゼットは奥廊下。浴室にはシャワールームしかないが、ドライヤー、歯磨きセット、シェービングキット、シャンプー、バスジェルが付いており、おまけにスリッパまである。アメニティーは申し分ない。風呂から上がると20:50、明日から又氷点下の雪中行軍となりそうなので、厚手のシャツとセーター、ズボンの準備をし、ウォーキングシューズをしまい登山靴を出す。なかなか快適なベッド、硬さも適度で布団も厚く暖かい。21時半頃潜り込む。(続く)

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世界遺産「ベラトの歴史地区」

2017年1月23日(月) 14:05アルバニアの首都ティラナを後にしベラト(Berat)へ向かう。ティラナ市内は大改造中で至P1240659る所が工事中、休日でもないのに昼日中の人出が多く、バスは満員、オープンカフェのテラスも満席、人口42万人の都市にしては活気がある。然し一歩郊外へ出れば、草を食む牛や羊の群れ、羊飼いが現れるなど長閑な田園風景が続く。14:50ドゥラス(Durres)の町を通過、アドリア海がちらりと見える。15:10-15:25トイレ休憩、三ツ星ホテルPILO RARAのお手洗いを借用する。有料0.5€。前方に浅間山によく似た大きい山が見えてくる。アルバニア第2の高峰トモリット山(標高2414m)である。16:00ベラト郊外の今宵の宿、四つ星ホテルのP1240680GRAND WHITE CITY到着、現地ガイドのエリックさんをピックアップしベラト城址へ向かう。ベラト城の基礎は紀元前4世紀にアルバニア人の祖先であるイリリア人が築いた由、バスは両側にオリーブ畑が広がる坂道をぐんぐん上る。終点広場でバスを降り石畳の坂道を上る。大きな城址で、城壁、門、赤いモスクと呼ばれるミナレットなど石積みの遺構が残っている。城址内に500人ほどの住民が住んでいるとのこと、殆どが赤瓦と白い漆喰壁の素朴な建物、オリーブ栽培を生業とする農家のようであるが、中にはホテル、レストラン、土産物店、八百屋などもある。展望台(嘗ての監視塔跡?)へ上P1240677がり、湾曲するオスム川の流れと、対岸の山裾に広がるゴリツァ地区の箱庭のような街並を眺める。スケールこそ小さいが、まるで雲南省徳欽県で見た金沙江大湾のような眺め、素晴らしい。ゴリツァ地区はビザンチン帝国時代以来のキリスト教徒居住区であり、川を挟んだマンガレム地区(展望台からは真下に当るため見えない)はオスマン帝国時代以来のイスラム教徒居住区である。ベラトの旧市街は2008年、「ベラトとジロカストラの歴史地区」として、先行登録されていた「ジロカストラの博物館都市」の拡大登録の形で世界文化遺産に登録された。新市街が旧市P1240684街の東側に扇型に広がる。ベラトはベラト州の州都で人口6万5千人、オスム川中流に位置し、農産物加工の中心地である。特にオリーブ油の製造が盛んとのこと。新市街の後方には、雪を頂くトモリット山がどっしりと横たわる。バスへ戻る途中、2軒の土産物屋があり、店内に吸い込まれた女性陣がなかなか帰ってこない。日もとっぷり暮れた頃ようやくバスに戻り、「千の窓を持つ街」の異名をとるマンガレム地区へ。先ほど上った展望台(Cathle Tower)の下の斜面に広がる街並がライトアップされている。「千の窓」とは数が多いと云う意味であろうが、縦長の小窓を幾つも持つ同じ様な家が建ち並P1240692ぶ。ゴリツァ地区のライトアップはなし、両地区を結ぶ橋の上から写真を撮る。GRND WHITE CITYに戻り、22名中19名のメンバーは割り当ての部屋に入る。自分を含む一人参加の男性3名は、このホテルに部屋を確保できなかったとの理由で分宿組となり、レストランで早めの夕食(17:40-18:45)。前菜、スープ、牛肉料理、ケーキを食べ、日本茶とアルバニア産ビールKORCAの小瓶(2€)を飲む。18:55ホテルのVWバンで旧市街にある系列ホテルのWHITE CITYへ送ってもらう。GRNDが付かないので、ランク落ちではと心配。(続く)

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アルバニアの首都ティラナ(Tirana)

2017年1月23日(月) 5:20起床。お湯を沸かして味噌汁とコーヒーを飲む。6:30-7:15朝食。ゆで卵、ベーコン、ソーセージ、ハム、サラミ、トマト、キュウリ、オリーブ、アーモンドを食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。8:00出発、今日はいよいよバルカンの秘境・神秘の国アルバニアに入P1230591国。出発して間もなく右手に広大な湿原と大きな湖が現れる。バルカン半島最大の湖シュコダル湖(季節により変動し面積は370~530平方キロメートル、1996年ラムサール条約登録湿地)で、周辺にはペリカンなど270種の鳥が生息、ヨーロッパ最大の鳥類保護区となっている。8:25モンテネグロとアルバニアの国境到着、トラックが数珠つなぎに並んでおり、物資の出入りは活発。審査官がバス車内に乗り込んできて一人づつ顔とパスポートをチェックし、又携帯型バーコード読み取り機にかける。8:50出国。アルバニア入国は、運転手のサーシャさんが全員のパスポートを、件の金品と一緒に審査窓口に提出する。9:05あっさり入国、アルバニアの面積は28700平方キロメートルで四国の1.5倍ほど、人口は304万人(2016年)。道路は実に滑らか。総二階建て、総三階建てのカラフルな民家が目立つ。第二次世界大戦後の共産主義国家時代に鎖国政策を敷いて世界から孤立し、1990年の民主化以降もねずみ講事件(1997年)により国民の3分の1が財産を失うなど、P1230616ヨーロッパ最貧国とされたアルバニアであるが、当時の混乱から抜け出し、経済が順調に発展しているように見える。それでも、2015年国民一人当たりのGDPは188ヶ国中110位の3,946ドルとバルカン諸国中最下位。ベンツが走っているかと思うと荷馬車が走っており貧富の差は大きい。9:40-10:00シュコダル郊外のGS敷地内のレストランのトイレを借用、洋式で清潔、無料。傍らの交差点に立つ道路標識にザグレブ848㎞、リュブリアナ969㎞、ウイーン1202㎞、プラハ1478㎞、ベルリン1906㎞とある。10:30 レジャ(Lezha)の町を通過、ポプラ並木、オリーブ園、糸杉の幼木圃場、川砂の採取場、ブドP1230624ウ畑、野菜畑、鉄路などが次々に車窓を流れ去る。首都のティラナに近づくにつれて道が悪くなる。穴ぼこだらけ、メモがとれないほど揺れる。市内に入ると今度は渋滞にはまる。11:50公園の角でバスを降りる。ひょろひょろとした奇抜な建物を右手に眺めながら、街中のレストランVILA FERDINANDへ行き昼食(12:05-13:00)、サラダ、鶏肉料理、カットフルーツを食べ、アルバニア産ビールKORCAを飲む。なかなかお洒落なレストランで壁に色々なアート作品が掛けてある。食後、現地ガイドのエミリさんの案内でティラナ市内徒歩観光へ。大統領官邸、国際会議場、ダシュモP1230630ラト・エ・コンビット大通り、大通りの南の突き当りにティラナ大学。松並木の大通りを北上し、ROGNER HOTEL、国際文化センターを右手に見て、街を東西に貫くルナ川を渡る。更に北上し、共産主義国家時代の廃墟ホテル、国立美術館の前を過ぎ、イスラム寺院のジャミーア・エトヘム・ベウト(エザム・ベイ・モスク)に至る。途中に幾つかあるアルバニア国旗を掲げた建物は政府関係の庁舎、どれも黄土色や臙脂色をした四角四面な建物で、何の役所なのかさっぱり分からない。ジャミーア・エトヘム・ベウトは1793~1821年の建造、導師(イマーム)のガイド付きで礼拝堂へ入ると、壁やドーム天井にフレP1230645スコ画がびっしり描かれている。アラベスク(幾何学的文様)だけでなく、西欧の画家によって描かれた当時の街並みや石橋のフレスコ画があり実にユニーク。見学を終えてティラナの中心スカンデルべグ広場へ出る。広場中央にスカンデルベグの騎馬像が建つ。スカンデルベグは15世紀のオスマン帝国の支配に抵抗し、一時(1443-1478)独立を勝ち取ったアルバニアの英雄。国旗のデザインの双頭の鷲もスカンデルベグ家の紋章である。広場を取り囲むのは、国立歴史博物館、ジャミーア・エトヘム・モスク、時計塔など、また時計塔の右に最高級ホテルのザ・プラザ・ティラナも建つ。一国の首都見学が僅か1時間、建物を外観から眺めるだけの見学なので、印象がはなはだ薄いままバスに戻り、14:05次の観光地ベラトへ向かう。(続く)

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モンテネグロのビール

モンテネグロで試飲したビールは1種類、同国で唯一のビール会社でニクシチ市(Niksic)に本社・工場があるTrebjesa Brewery(1896年創業、2012年からモルソン・クアーズ傘下)の銘柄Niksicko Pivoでした。コトル観光前の昼食時、レストランで飲んだ生ビール(330ml)は2.2€(275円)、首都ポドゴリツァの宿泊ホテルの食堂で飲んだ小瓶(330ml)は2€(250円)でした。アルコール分5%、原材料は大麦麦芽、挽き割りトウモロコシ、ホップとあり、風味はすっきり且つ温和、とてもまともなビールでした。
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ホテル・アウレル

2017年1月22日(日) 15:50バスに戻りポドゴリツァ(Podgorica)へ。行程は山越えの68㎞、バスはブドヴァP1230553_2の背後の山へ駆け上がり、ぐんぐん高度を稼ぐ。ちょうど先月のアマルフィからナポリへ戻る時の山越えとそっくり。16:15展望台で写真ストップ、バスから降りて暮れなずむアドリア海、ブドヴァの街並み、海岸線を眺める。ひと山越えて内陸部に入ると、一転してまたも雪景色に変わる。「振幅の大きい生活」を信条とする自分にぴったりの旅。17:00モンテネグロの首都ポドゴリツァの街に入る。標高は48m、雪は全くない。人口18万人の首都は長閑な感じ、沿道に日産とルノーの販売店が仲良く並んでいる。17:10幹線道路沿いに建つ四つ星ホテル・P1230555アウレル(AUREL)到着、1、2階はトヨタの営業所が入っており、ホテルのレセプションは3階。道路の向かい側は空き地と錆びた貨車のヤード、周りに何もない郊外立地型の中空ホテルである。209号室に入る。ゆったりした部屋に、シングルベッド2台、白い天板の大きな書き物机と椅子、円盤型電気スタンド、ソファと丸テーブル、壁掛けTV(SUMSUNG製)、ミニバー、大型クローゼット、セーフティボックスが備え付けてある。浴室に浴槽はなくシャワー室のみであるが、シャンプー、シャワージェル、ボディローション、固形石鹸、ドライヤーとアメニティーは揃っている。全体P1230558_2に新しく、白壁と木材をふんだんに使った直線基調のシャープな内装は高級感が漂う。18:15-19:30夕食。今回の旅は早めにホテルに入り、ホテル内のレストランで夕食をとるので非常に体が楽。焼き魚、トマト、キュウリ、ニンジン、オリーブなどを肴に、モンテネグロ産ビールNiksicko Pivoの小瓶を飲む。風呂に入ると、シャワー室の扉の密閉度は完璧、外へ全く水が漏れない。また有難いことに熱い湯がふんだんに出る。風呂から上るとまだ20:30、夜が長い。城壁登りで痛めた腰に、のびのびサロンシップを貼ってから、デジカメ電池の充電を仕掛ける。日本茶を沸かし、持参の乾しイモをかじる。(続く)

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ブドヴァ旧市街

P1220516_22017年1月22日(日) 14:30ブドヴァ(Budva)の街に入る。今日は日曜日なので人出が多く、カフェテラスは満席。街角でバスを降りてイヴァンナさんの案内で旧市街へ。ブドヴァはモンテネグロでも屈指のリゾートタウンとのこと、今もマンションやホテルの建設ラッシュとみえ、街中にクレーンがそそり立つ。イヴァンナさんの説明では、夏になるとロシア人の大金持ちが押し寄せ、豪華クルーザーを操りバカンスを楽しむらし。山の民モンテネグロの人々も海辺に住みたがるそうである。五つ星ホテル・アヴェラ(AVALA)の前を通り、旧市街のメインゲートをくぐる。直ぐにビーチヘ出るP1220519と、大勢の人々がオープンカフェで日光浴を楽しみながら人生を謳歌している。再び旧市街に入り、ローマ遺跡が店内床下に広がる洋品店を見物してから、5つの教会(聖サバ教会、聖三位一体教会、サンタ・マリア・ディカステッロ教会、初期キリスト教会跡、聖ヨハネ教会)が集積する広場へ。何かイベントでも開かれた名残りか、広場には簡易な観覧席が設けてある。広場の先に城塞があり、中には小規模な海洋博物館と図書館が設けられている。城塞の先端から青いアドリア海を眺める。旧市街は狭く、さほど見所もないままに見学終了、北門から出てマリーナへ。豪華クP1220532ルーザーが何隻も係留されている。全長24mのもので1.2億円するそうな、我々のような庶民には夢のまた夢。岸壁にトベラの鉢植えが並ぶ。15:10イヴァンナさんの引率案内が終わり、30分間のフリータイム。旧市街のどこかに、19世紀のセルビア文学を代表する作家、ブドヴァ出身のステファン・ミトロフ・リュビシャの家があるはずだが、コトルの城壁登りで疲れてしまったので探すのを諦め、トイレを借用したレストランでカプチーノ(1.5€)を飲み一休み。15:50バスに戻り、今宵の宿がある首都ポドゴリツァへ。

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世界遺産「コトル旧市街」

2017年1月22日(日) 6:00 MCで起床。エアコンの設定温度は30℃、こうしないと室温23℃は保てない。7:00-7:30朝食。目玉焼き、生ハム、ハム、サラミと黒パン、チョコレートプリンを食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。コーヒーが美味い。7:50バスに乗り込む。今日も長距離移動、再び最前P1220443列(といっても2列目)に座る。好天の中、東へ向かって走るので眩しい。8:50 ネヴェシニェ町(Nevesinje)通過(標高450m)、山岳道路という程ではないが大曲りが続き、路面に細かい凹凸があって良く揺れる。周りの景色は荒涼としており、ブッシュの様な灌木しか育たない荒蕪地、石灰岩の採掘場がある。9:05谷間の平坦地に広大な葡萄畑が現れる。動物注意の標識は牛の絵、この辺りの農家の生業は牧畜とブドウ栽培の様である。国道(R429)の筈だが擦れ違う車は稀で、バスは時速80~90㎞で快調に走る。糸杉や松、それに樹木に絡まる蔓性植物などが現れ始め、緑がどんどん目立つようになる。大地には相変わらず石がゴロゴロしていP1220464るけれど。トレビニェ(Trebinje)の町外れにあるガソリンスタンドでトイレ休憩(9:40-10:00)、無料。10:15ボスニア・ヘルツェゴビナとモンテネグロ国境の峠(海抜900m)に到着。サーシャさん、我々全員のパスポートと一緒に5€と缶ビールと缶の清涼飲料をボスニア・ヘルツェゴビナの審査官に提供、3分で出国する。2、3㎞走ると今度はモンテネグロの審査所、同じように金品を提供し10:35無事入国。モンテネグロは「黒い山」という意味で人口60万人の小国、EU未加盟であるがユーロを自国通貨に勝手に採用しているとのこと。10:55コトル(左)とドゥブロヴニク(右)の分岐点、そこを左へ曲がるとヤシやセンダンの木が現れ海岸通りを走るようになる。11:10 Josice港到着。P1220478_2大型バスを4、5台も積載すれば一杯になりそうな小型カーフェリーが待っており、11:20に出船したと思ったら、11:25には対岸の Lepetane港に到着、まことにあっけない。コトル湾がくびれて最も狭まった個所を渡海したものらしい。小さなティヴァト空港の前を通り、ティヴァト(Tivat)の町から長いトンネルを抜けて、湾最奥の港町コトル(Kotor)に入る。コトルは複雑な海岸線と険しい山々に囲まれている上、背後の山に沿って長さ4㎞の城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた。旧市街は「コトルの自然と文化-歴史地域」として、1979年に世界遺産に登録されている。11:50駐車場でバスを降り、シュクルダ川沿いに延びる北側の城塞・堡塁を眺めながら海の門(西門、P12204921555年建造)から旧市街に入る。入って直ぐの時計塔広場の北西角に建つブティックホテルCATTAROのレストランで昼食(12:00-12:40)。スープ、メルルーサのフライ、ケーキを食べ、モンテネグロ産ビールNiksicko Pivoを飲む。ウェイトレスが民族衣装でサービスしてくれる。12:50から現地ガイドのイヴァンナさんの案内で旧市街散歩。時計塔(1602年建造)の前を出発し反時計回りに一巡り、ロマネスク様式の聖トリファン大聖堂(1166年創建)、聖ルカ教会(1195年創建)、各宮殿や広場など主な見所を見学する。13:20時計塔広場に戻ったところで30分のフリータイム、海抜200mの城P1220507_2壁最上部・聖ジョバンニ要塞目指して行けるところまで登ってみる。町の北東部に入り口があり、石段と礫石の坂道が城壁へ続いている。上るほどに視界が開け絶景の連続、結局中腹に建つ聖母教会(1518年創建)まで上がったところで時間切れ、そこから引き返す。あと1時間もあれば上部城壁まで登れたのだが・・、残念。帰り道で、南側城壁(聖フランシス防御陣地)へ降りる道に踏み迷い、暫く下った処で誤りに気付く。危ういところ、結局集合時刻に5分ほど遅刻する。14:00バスに戻り、次の観光地ブドヴァへ向かう。(続く)

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ボスニア・ヘルツェゴビナのビール

2017年1月21日(土) ボスニア・ヘルツェゴビナで飲んだビールは1種類、首都サラエボに本社工場があるSarajevska P1210304Pivara(1864年創業)の主力銘柄Sarajevskoのみでした。20日の夕食時にサラエボのホテル・ハリウッドの食堂と、21日の夕食時にモスタルのホテル・ブリストルの食堂とで同銘柄を飲みましたが、すっきり・温和で飲みやすく、評価は☆☆★(2.5)。裏のラベルに、原麦汁濃度11.8%、アルコール分4.9%、使用原料が大麦麦芽・ひきわりトウモロコシ・ホップ・抗酸化剤(メタ重亜硫酸カリウム MAX10mg/l)・天然ミネラル水、と表示してあります。小瓶(330ミリリットル)の値段が両方のレストランとも2€(250円)、安心して飲めました。

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ホテル・ブリストル(HOTEL BRISTOL)

P12204082017年1月21日(土) 16:00 ネレトヴァ川に架かるTITOV橋の西側(右岸)袂に建つ四つ星ホテルのブリストルにチェックイン、306号室に入る。部屋はコンパクトであるが、シングルベッド2台、書き物机と椅子、TV(LG製24インチ)、ミニバーが備えてある。浴室はシャワーのみ、ドライヤーと石鹸とシャンプーはあるが、ティッシュボックスはなし。小綺麗でまずまず、但し、屑籠が洗面所に小さいもの1個しか置いてない。明日はアドリア海沿岸部の観光なので雪靴は不要、登山靴をスーツケースにしまう。18:00-19:00夕食。コンソメスープ、ハンバーグ、極甘ケーキを食べ、ボスニア産ビールSarajevskoを飲む。食後、ホテル近くP1220409のスーパーマーケットへ行って見たが、これといったものなし、リンゴジュース1本(83円)のみクレジットカード支払いで購入する。部屋のベランダから、ネレトヴァ川の流れと、対岸(東側)のムスリム地区の街並み、その向こうに山波が見える。風呂に入るとぬるめの湯しか出てこない。やれやれ。デジカメ電池の充電を仕掛け、20時半頃ベッドに潜り込む。(続く)

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世界遺産「スタリ・モスト」

2017年1月21日(土) 12:10バスに戻り、次の観光地モスタルへ。少しうとうと。目が覚めると、周囲の雪が消えており景色が暖かくなる。サラエボ(標高520m)から標高にして200mほど下り、アドリア海に近くなったP1210386ためで、久しぶりに青空が覗き日差しも出てくる。コニーツ(Konjic)と云う馬の町に降りる。その先、干上がったダム湖と河(ネレトヴァ川上流)を右に見ながら延々と走る。13:35ヤブラニツァ(Jablanica)の町に入る(標高170m)。橋の袂のレストランでトイレ休憩(13:40-14:00)、有難いことに無料。ドイツ軍の物資輸送の鉄路だったという橋が、パルチザンに爆破された当時のまま、川の中に倒れ懸かって残されて居る。それを見学してから出発。再び川を右手に見ながら下って行く。川面にマスの養殖用筏が点々と浮かぶ。水色はエメラルドグリーン、美しい。14:25ダム通過。14:35ヘルツェゴビナ地方の中心都市モスタル(Mostar、標高60m)に入る。この町に来るP1210405のは二度目、前回はアドリア海側からアプローチした2009年11月21日。14:45駐車場でバスを降り早速散策開始、雪が無いのでほっとする。真っすぐスタリ・モスト(Stari Most:古い橋)へ向う。橋は16世紀(1557~1566年)の建造、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1993年に破壊されたが、2004年に復旧工事が完了し、2005年ユネスコの世界文化遺産に登録された。橋は中心部が湾曲し、全長30m、全幅4m、川面からの高さは24m、両端に監視塔が立つ。二度目とあって新鮮味がなく感動も薄い。それよりも、ボスニア・ヘルツェゴビナの観光は石橋しかないのかと言いたくなる。今回も右岸に降りて下から写真を撮る。それから橋を渡り、トルコ風の土産物屋が軒を連ねるブラツェ・フェイツァ通りを北へ進み、1618年創建のイスラム寺院、コスキ・メフメト・パシナ・ジャミーヤの境内まで行って引き返す。15:50バスに戻る。16:00 今宵の宿、Titov橋の畔に建つホテル・ブリストル到着。(続く)

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ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ

P12103262017年1月21日(土) 5:10起床。昨夜に続き今朝も早くから犬の鳴き声がうるさい。日本茶を飲み煎餅をかじる。天気予報を見ると、内陸部は-15~-5℃、沿岸部は-2~10℃。6:30-7:15朝食。目玉焼き、ソーセージ、オリーブの塩漬け、バナナ、ミカンを食べリンゴジュースとカプチーノを飲む。よく見ればこのホテル、河畔に建つリバーサイドホテル、近くに五つ星のHOTEL HILLとコングレスセンター・サラエボが建つ。8:45現地ガイドのモハメッドさんがホテルロビーで合流、サラエボ市内観光へ出発。旧市街近くの三叉路でバスを降り、ミリャッカ川に架かる橋を渡り左岸へ。そのP1210339角に建つ「戦う家](Inat Kuca)と名付けられた典型的ボスニアの民家を眺め、対岸の華やかな肌色の建物・旧市庁舎(現国立図書館)を眺めつつ、川沿いの遊歩道を西(下流)へ進む。3本目の石橋がかの有名なラティンスキー橋(旧プリンツィブ橋)、1914年6月28日、ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が、青年ボスニア党のセルビア人青年、ガブリロ・プリンツィプに狙撃され、第一次世界大戦のきっかけとなった場所。ラティンスキー橋を渡り返すと右岸の橋の畔に建つサラエボ博物館、館内には暗殺事件に関する詳細なP1210348展示・説明があるらしく、外壁の掲示板にも事件当日の様子や犯人プリンツィプの写真など展示されている。旧市街に入り、サラエボ最大且つバルカン半島全体でも最大級のセルビア正教会大聖堂(正式名は生神女誕生大聖堂、1863~1868年建造)を眺めながら、カトリック大聖堂(正式名はイエスの聖心大聖堂、1884~1889年建造)の前に出る。ノルウェー大使館とスウェーデン大使館が2階と3階に入っているビルの前を通り、細い路地に右折して、サラエボ最古のトイレへ行く。入り口の看板にはセルビア語で「JAVNI WC(公衆便所)-OVO JE PRVI JAVNI WC U SARJEVU(このサラエボP1210351最初の公衆トイレは)-IZGRADEN JE 1530(1530年に建設された)-ONISTEN 1992(1992年に破壊された)-OBNOVLJEN 2001.GOD(2001年に再建された)」と書いてある。せっかくなので中に入って見るとトルコ式、清潔であるがペーパーの備え付けはない。古いセルビア正教会を外から見物し、旧市街中心地のバルチャルシア広場へ出てモハメッドさんと別れ、フリータイム(10:15-11:00)。広場に店を出している八百屋を覗くと、全て1㎏単位の値段が付いており、リンゴと青リンゴとレモンは各2マルカ(1KM=70円ゆえ約140円)、オレンジとマンダリンオレンジ(小)が各2.8KM(約200円)、マンダリンオレンジ(中)が3KM(210円)、キウイが4KM(280円)、栗が6KM(420円)。果物は日本の3分の1位の値段か。オスマン朝時代の名残をとどめる職人街を歩く。銅製のお茶道具、コーヒーミルやカップ、水差し、お盆など同じような品物を並べた店が軒を連ねる。指輪やアクセサリーなどの金銀細工を扱う店も多い。石造りの旧バザール棟にも入って見たが土産物屋ばかり、御客が少ないP1210367ので売り子が欠伸をしている。これといって買いたいものはなく、体が芯から冷えてきたので、少し早めに昼食のレストランへ。足元はツルツル、溶けた雪が凍っており実に危ない。レストランは古いセルビア教会近くのDULA GIN DVORという店、スープ、サルマ(トルコ料理、葡萄の葉に肉入りピラフを包んだ温野菜)、蜂蜜漬けの極甘菓子を食べる。料理は香辛料が強すぎて不味、デザートは甘すぎて不味。12:10バスに乗りモスタルへ向かう。

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ホテル・ハリウッド(HOTEL HOLLYWOOD)

2017年1月20日(金) 17:50サラエボ郊外の巨大ホテル、5階建て(一部6階)のホテル・ハリウッドに到着。18:15 APT50号P1210311室に入る。6階の角部屋でカーテンを引くと180度の眺めもさることながら広さに吃驚。ダブルベッド1台はシングル仕様であるが、浴室が2つあり、入り口に近い方はコンパクトでシャワー室と洗面所、奥の方は広くてジャグジー付き浴槽が備えてあり、洗面所が付いている。そしてどちらの浴室にもシャンプー、コンディショナー、シャワージェルが合計20本、固形石鹸も16個置いてある。1人で1泊しかしないのに何かの間違いでは?。ソファが2台(大型3人掛けと1人用)、46インチの大型TV(メーカー不明)、書き物机と椅子、ミニバー、セーフティーボックス、ドライヤー、ティッシュP1210301ボックスに加え、何とスリッパと歯磨きセットまである。内装は安っぽいがアメニティーは至れり尽くせり。1階の食堂でビュッフェ式の夕食(19:00-19:45)。鶏肉の照り焼き、イカのリング揚げ、春雨もどき、ソーセージ、ピクルス、パプリカなどを食べ、ボスニア産ビールのSARAJEVSKOを飲む。料理は香辛料がきつい。ビールは小瓶が2€。早々に部屋に戻り、浴槽風呂に入ってさっぱり。お湯を沸かして日清のシーフードヌードルを食べる。部屋は暖房が効きすぎて暑いほど、デジカメの電池充電を仕掛け、ベッドに潜り込む。外で犬の鳴き声がうるさい。(続く)

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ボスニア・ヘルツェゴビナ土産 絵葉書

Img049_4現地ガイド兼観光案内所員のアンドリッチさんから、ヴィシェグラード観光の記念として、世界文化遺産「ソコルル・メフメト・パシャ橋」の横長の絵葉書を購入。1枚0.5€。

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世界遺産「ソコルル・メフメト・パシャ橋」

2017年1月20日(金) 13:25モクラ・ゴラ出発。5分ほどでセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境に到着、添乗員のI氏が全員のパスポートを集め運転手のサシャさんに渡す。先ずはセルビアの出国審査、通過する乗用車P1200245を見ていると窓口にパスポートを差し出し1分弱で審査終了。我々は5分程度、サシャさんが10€と缶ビール2本を審査官に提供しあっさりとOKが出る。賄賂という程の額ではないがサシャさんの自腹か?、余り良い気持ちはしない。緩衝地帯が1㎞ほどあって今度はボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査、再びサシャさんが全員のパスポートを持って窓口へ。そこも10分ほどで終了、極めてスムースに運んだ方らしい。パスポートを見ると出国も入国もスタンプは押されていない。14:10ボスニア側の国境の町ヴィシェグラードに到着し、観光案内所が建つ大駐車場でバスP1200256を降りる。目の前にドリナ川の青い流れと、2007年世界遺産に登録されたメフメット・パシャ・ソコロビッチ橋(セルビア語&ボスニア語読み)が見える。ヴィシェグラードの人口は約1万人、ボスニア・ヘルツエゴビナ唯一のノーベル賞受賞者である作家のイヴォ・アンドリッチが幼・少年時代を過ごし、彼の傑作小説「ドリナの橋」の舞台となった町である。ドリナの橋、即ちソコルル・メフメト・パシャ橋(トルコ語読み)は16世紀末の建造、オスマン朝のスルタンに仕えた大宰相メフメット・ソコルル・パシャの命により、宮廷建築家でトルコ史上最高の建築家として名高いミマール・スィナンの設計P1200250で建造された。11のアーチからなる全長175mの美しい橋はスィナンの最高傑作と評されているが、第1次世界大戦、更に第2次世界大戦でも破壊され、その都度修復されて現在に至っている。確かに美しい石橋であるが、これなら本耶馬渓の耶馬渓橋(別名オランダ橋、8連アーチの石橋、全長116m)や 岩国の錦帯橋(5連アーチの木橋、全長193m)なども世界遺産に登録される資格があるのでは?。最近、世界遺産の登録件数がやP1200261_2たらに増え、為に内容が希薄化し、価値の低下が著しい。観光案内所に詰めていた現地ガイドのアンドリッチさんに案内されて橋を渡る。橋の中央部の左右にテラスが張り出し、左側には背丈を超す壁が立ち、上部に白大理石の板がはめ込まれて、構築年等トルコ語の碑文が刻まれている。右側のテラスには手すりに沿って腰掛が取り付けてあり、季節の良い時期には川床の風情を楽しむことが出来る。対岸(左岸)に渡って写真を撮り、ドリナ川沿いに延びる町へ入ると、こじんまりしたピンクの外壁の平屋建て「イヴォ・アンドリッチの家」が見えてくる。門扉は固く施錠されており内部の見学はできない。外壁に架かるプレートに気付かなければ見逃してしまうほど何の変哲もない。そこから引き返す。今日は登山靴で大正解、雪が深く、所々ぬかるみもある。橋の袂のホテルANDRICEV KONACでトイレを借用、1人0.5€。気温が低く体が冷えるので皆我慢できず。観光案内所(兼売店)で絵葉書を買ってバスに戻る。15:10サラエボへ向け出発。ドリナ川P1210293左岸沿いの道を上流へ。河は全面結氷している個所もある。トンネルが連続、対岸にも道があり家が建つ。サーシャさん、山坂道を飛ばしに飛ばす。渓流でルアーを振る釣り師が二人、マス狙いか。標高が高くなり辺りは真っ白、道の両側に1mほどの雪壁が現れる。16:30標高1300mの峠にある食堂ROMANIJSKI RAJでトイレ休憩、トルコ式で有料0.5€。コーヒーを頼んだ人も居て思わぬ臨時収入に女将はニコニコ。その先除雪車の後ろについて暫くノロノロ運転。17:15とっぷり日も暮れて、漸くサラエボの街に下り着く。市庁舎前、旧市街、新市街と抜けて行くが街の灯りが暗い。人々が着ている衣服も黒が基調、まるで影絵が動く様である。但し車は多く、渋滞もあり、市電は鈴なり超満員。17:50今宵の宿ホテル・ハリウッド到着。(続く)

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国境の村モクラ・ゴラ(MOKRA GORA)

2017年1月20日(金) 5:00起床。お湯を沸かしてASTORIAのモカブレンドを飲み煎餅をかじる。静電気バチバチ、室内は物凄く乾燥している。枕銭は不要とのことであったが、余っても困るセルビアのお金故100ディナール枕元に置いておく。6:00正確にモーニングコールP1200195(MC)が鳴る。今日から靴を登山靴に履き替える。6:30-7:00朝食。ベーコン、ソーセージ、ゆで卵、焼きナス、オリーブの塩漬けを食べ、オレンジジュースとコーヒーを飲む。7:30日の出、太陽が昇り好天の兆し。7:50バス乗車、最前列(前から2列目)に座る。今日の走行距離は309㎞、ほぼ移動日、先ずは国境近くの村モクラ・ゴラへ向う。天気は薄曇り。ベオグラードの街中を走り、東方正教系の教会としては最大規模の聖サヴァ教会が正面に見えてきたところで右折、太陽の光が眩しい。東へ東へ。バスの座席には肩掛式の3点支持シートベルトが付いているが、セルビアはEU未加盟の為高速道路でもシートベルトの着用義務はないとのこと。セルビア出身の有名人と云えば、男子プロテニス選手のノバク・ジョコビッチか。濃い霧が発生し幻想的であるが直前の車も見えない。8:40外国人のツアー客を乗せた大型バスと大型トラックが衝突しP1200227ている現場にさしかかり、事故渋滞につかまる。トラックがスリップして対向車線にはみ出した模様。この寒空にバスの乗客は外に出されて代替バスを待っている。霧に出たり入ったり、周りは真っ白な平原や丘陵地帯、幹線道路なのかガソリンスタンド(GS)が多い。点々と建つ農家の煙突から煙が立ち上る。負け惜しみではないけれど、俗化した観光地へ行くよりもよほど清々しい。オフシーズン結構、ゆったりと観光できる。養蜂の箱が並んでいるが、蜂はどこへ避寒させているのか。リーグ(Ljig)から乗った高速道をチャチャク(Chachak)で降りると、大型バスの通行料金は僅か440DIN(440円)。10:05-10:20 GSでトイレ休憩。売店でグミとチョコを買う。乗り物酔いのひどい女性と席を代わり真んP1200223中の座席に移る。凍結したダム湖の脇を通り、山越えの路にかかる。トンネルが連続し、道路はシャーベット状、実に危うい。漸く上り切って高原台地(標高約900m)を走る。白一色の世界にぽつんぽつんと佇む農家の景色はまるでお伽の国、干し草の積み藁の形が日本の稲藁積み(藁にお、藁にご、にょう)とよく似ている。平地では雑木林しか見かけなかったが、標高が上がると針葉樹の黒木(モミ?)が圧倒的に多くなる。最後にトンネルをくぐると一気に下り始め、12:05モクラ・ゴラ到着、鉄道駅直下の駐車場でバスを降りる。歩行者用トンネルをくぐってP1200239駅へ上がる。駅舎の食堂で昼食(12:20-13:20)。スープ、ビーフシチュー、クレープを食べJelenの中瓶(500ml)を飲む。料理はさして美味しくなかったが、ビールの中瓶が150円と安い。ここモクラ・ゴラ(Mokra-Gora)は、観光&保存鉄道のシャルガンスカ・オスミツァ(Shargan 8)の発着駅、観光シーズンには、モクラ・ゴラ(標高590m)とシャルガン・ビタシ(Shargan-vitasi:標高820m)間の15.45㎞にレトロなSL列車が走り、古風な木造客車を引いて八の字型ループ軌道を力強く駆け上る。鉄道ファンの間では有名な村らしく、夏には多くの観光客で賑わうとのこと。もともとはベオグP1200238ラードとサラエボ間444㎞を結ぶ鉄道の山岳区間として1921年から1925年にかけて建設されたものであるが、その後道路網の整備が進み、鉄道路線は1974年に廃止された。1999年セルビア鉄道が観光資源として山岳区間を再建、2010年にはモクラ・ゴラとヴィシェグラードの27.6㎞区間も復活した。冬季の今は運休らしく、食堂にも駅舎隣のホテルにも観光客の姿はない。木製客車の内部を見学したり、写真を撮ったりした後、バスに戻る。いよいよ国境を越えてボスニア・ヘルツエゴビナのヴィシェグラードへ。(続く)

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セルビア土産 紙幣

結局、使い切れずに余ってしまったセルビアのお札、50ディナール紙幣1枚、20ディナール紙幣2枚、10ディナール紙幣1枚をお土産に持ち帰りました。
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セルビアのビール

Jelen_p12001812017年1月19日(木) バルカン半島6か国の旅は、最高気温が氷点下と云う国が多く、寒さに震えながらの観光となりました。それでもビールの試飲は止められず、セルビアでは牡鹿ラベルのJelenと、Zajecharskoの2種類を飲みました。セルビア語はキリル文字標記なので、ラベルの文字を読み取るのが一苦労ですが、Jelenは、アパティン市(Apatin)にあるApatin Brewery(1756年創業、2012年よりモルソン・クアーズ傘下)の製品でセルビアを代表する銘柄。原麦汁エキス10.9%、アルコール分4.6%、原材料は麦芽とホップ、すっきりして飲みやすく、個人的評価は☆☆★(2.5)。
Zajecharskoは、ザイェチャル市(Zajechar)にP1200183あるZajechar Brewery(1875年創業、2008年よりハイネケン傘下)の製品。アルコール分4.5%、原材料は麦芽とホップ、やや苦味が粗く日光臭?があり、評価は☆★(1.5)。
Jelenは、昼食時のレストランと宿泊ホテルの夕食時の食堂で飲み、小瓶(330ミリリットル)の値段がどちらも200ディナール(約200円)、Zajecharskoはガソリンスタンド併設の売店で購入したもので小瓶が110ディナール(約110円)、先月訪問したシチリア&南イタリアに比べれば半値でした。

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ホテル ベスト ウェスタン エム

P12001932017年1月19日(木) 17:20ホテル・ベスト・ウェスタン・エム(HOTEL BEST WESTERN M:BUREVAR OSLOBODENJA 56A SRB-11 BELGRADE SERBIA)到着、216号室に入る。ゆったりした部屋にダブルベッド1台、書き物机と椅子、テーブルとソファ、TV(SONY)、ミニバーが備えてある。浴室にはシャワールームしかないものの、タオルは2枚づつ付いているし、シャンプー、シャワージェル、シャワーキャップ、ドライヤー、ティッシュボックスなどアメニティーも十分、南イタリアやシチリアの四つ星ホテルよりずっと快適、暖房もよく聞いている。コソボ紛争(1996-1999)終結後に建設された比較的新しいホテルP1200175かもしれない。18:10-19:15ホテルの食堂で夕食。野菜スープ、サラダ、白身魚のフライ、ケーキを食べ、セルビア産ビールのイエレン(Jelen)を飲む。小瓶の値段は四つ星ホテルのレストランでも200DIN(200円)、物価は相当安い。部屋に戻りシャワーを浴びてさっぱりすると19:50、長い一日が漸く終わる。昼、GSの売店で購入したビールZajecharskoを試飲し、デジカメ電池の充電を仕掛け、歯磨きをしてベッドに入る。(続く)

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セルビアの首都ベオグラード

2017年1月19日(木) 午後も2時を回ると早や薄暗くなってくる。沿道にトヨタの販売店があP1190124る。日本からセルビアには、日本タバコ産業(2007年よりヴォイヴォディナ自治州センタ市に於いて紙巻きたばこを製造するJTIセンタ工場が稼働)とパナソニック電工(2010年よりスビライナッチ市で照明器具用の省エネ電子機器を製造)が進出している。セルビアでは葉タバコの栽培も盛んということか。失業率は20%に近く、国民ひとり当りのGDPは5100ドル、生活は厳しい様である。それでもバルカン6か国中ではセルビアが一番近代的で、インフラ整備等も進んでいるとか。ベオグラードはセルビア語で「白い町」の意味、人口は旧ユーゴスラビア地域最大の170万人超を数えP1190132る。15:00カレメグダン公園の駐車場に着く。現地ガイドのミロシュさんが合流し、公園上部のベオグラード要塞へ向かう。又も要塞見学?、セルビアの観光資源は要塞しかないのかと云いたくなる。開店休業状態のレストラン(Jelenの生が185DIN)の前を通り、自然史博物館の前を過ぎ、大砲や戦車が並べてある内堀(空堀)を渡り、時計塔のあるサハト門をくぐる。ダマト・アリ・パシャ(オーストリアとオスマン帝国がセルビアを主戦場として衝突した墺土戦争の際にオスマン軍を率いた宰相)の霊廟の前を通り、ようやく要塞のテラスに上がる。上流に発電所があるため凍らないサヴァP1190144川が左から、氷結したドナウ川に合流する様子を眺め、寒々と河岸に係留されたレストラン船や、ベオグラードのシンボル・勝者の記念碑(第一次大戦のセルビア王国の勝利を記念)を眺める。体が芯から冷えてきて長居は無用と下りにかかり、再び内堀を渡って軍事博物館の脇を通り、外堀(空堀)にいろいろな恐竜を並べたミニ・ジュラシックパークを過ぎ、フランスへの感謝の記念碑の前を通り、歩行者天国のメインストリート、ミハイロ公通りに進む。夏には大勢の人で賑わうという通りも厳冬期の今は閑散、先週は-15℃、今日も0℃では仕方がない。ブランドショップを眺めなP1200158がら南下し、とある角で左折して15:55バスに戻る。次は旧ユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトー大統領(1892-1980)の霊廟「花の家」へ。車窓を過ぎるホテル・モスクワ(ベオグラード最古のホテルで110年の歴史)、ベオグラード市庁舎(旧宮殿)、国会議事堂、セルビア郵政公社の建物など眺めるうち、外は急速に暗くなる。16:20ユーゴスラビア歴史博物館の駐車場でバスを降りる。石段を上り、先ずは博物館のトイレを借用、無料はありがたいが、女性3個室に対し男性は1個室しかない。歴史博物館は時間が遅いためか見学できず、チトー大統領の霊廟へ。歴史博物館の左手へ回り込み、チケットセンター(兼土産物店)を通り抜け、一旦下ってから丘上へ上り返す。途中にチトー像なP1200162どが立つが暗くて写真は撮れず。「花の家」と呼ばれるチトーの霊廟は天井がガラス張りで一見温室の様、中央に白大理石の墓石が置かれている。三番目の夫人と一緒に?眠っているらしい。霊廟の左側の部屋には、意匠を凝らした数多のバトン(チトーの誕生日の5月25日に毎年行われた「若者のリレー」に使われたトーチ型のもの)や軍服、手紙などの資料が置かれ、右側の部屋には執務室が復元されている。「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」と言われるほど複雑な多様性を内包する地域を、一つの国家として統率したチトー大統領は、毀誉褒貶はあるにしても、セルビア国内では未だ十分に敬愛されている。帰りに細長い建物の資料館にも立ち寄り、陳列されている各国からの贈り物やユーゴスラビア各地域の民族衣装など見物する。17:05見学終了、バスに戻る途中市街地を眺めると、セルビア正教の大本山聖サヴァ教会がライトアップされて美しく夜空に映える。もうヨロヨロ、早くホテルへ入りたい。(続く)

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セルビア第2の都市ノヴィ・サド

2017年1月19日(木) ツアーディレクターはキャリア10年のI氏(男性、40歳前後)、参加者P1190052は22名。メンバーの内訳は、一人参加が自分を含め13名(男性6名、女性7名)、ご夫婦3組、スポーツジム仲間という女性3名。48人乗りの大型バスなので1人2席を占めゆったり、ドライバーはマケドニア出身のサシャさん、今回は最終日まで通し運転とのこと。空港を9:05出発、ベオグラードから北西に50㎞、セルビア第2の都市、ヴォイヴォディナ自治州の州都ノヴィ・サド(Novi Sad)へ向けバスは疾駆する。辺りは一面雪を被った茫々たる平坦地、融雪剤をまき除雪しているのか道路に雪はない。ヴォイヴォディナ平原はセルビアで最も肥沃な穀倉地帯とのことで、ジャガイモ、小麦、P1190057大麦、ライ麦、ビートの生産が盛んらしい。看板はキリル文字標記!、全く読めない。9:45-10:00ガソリンスタンドOMVでトイレ休憩、売店VIVAでセルビア産ビールの小瓶1本を購入する。その先でドナウ川を渡る。川の半分は氷で覆われている。10:30ペトロヴァラディン要塞の駐車場に着きバスを降りる。ドナウ川の右岸に建つペトロヴァラディン要塞は、ハプスブルクのジブラルタルとも呼ばれた堅固な要塞であったが、現在は多くの芸術家が集う場所として数多くのギャラリーがひしめき合い、毎年夏には欧州一の野外音楽祭イグジット(Exit)の会場として利用されている。現P1190068地ガイドのラドさんの案内で要塞へ上る。先週は-20℃まで気温が下がったそうであるが今日は-2℃、いやはや幸運というべきか。車道や遊歩道、石段に雪はなく、塩化カルシウムなどを撒いている模様。要塞の歴史資料館であるノヴィ・サド博物館の外壁はマリア・テレジア・イエロー色、ハプスブルク家支配の名残が感じられる。その前を通りレストランやギャラリーが建ち並ぶ最上部のテラスへ。団体観光客は我々以外になく、レストランも客は1組、2組、殆どが開店休業状態にある。テラスに出てドナウ川と対岸のノヴィ・サド市街地を眺める。ドナウ川を氷塊が流れて去く。帰国したら、宮本輝の「ドナウの旅人」を再読してみよう。テラスの先端に建つ時計塔は、ドナウ川を航行する船からも時間が分かりやすいように、長身が時針に、短針が分針になっている。時計塔を管理しているのは、テラスの露店で土産物を商う男性、親切に時計塔のドアを開放して中を見せてくれる。振り子に1702年と刻まれている故建造されたのは300年以上前か、ノヴィ・サドロータP1190090リークラブの銘板が掛かり、2015年と2016年に大規模修繕?がなされた事を示している。帰りはトンネル内の214段のレンガ階段を下る。バスに戻り、ドナウ川対岸の旧市街の中心地スロヴォダ広場へ。ノヴィ・サドはセルビア語で「新しい入植地」の意味、町が築かれたのは1694年、その後一大文化拠点に成長し、「セルビアのアテネ」と称される文化都市である。劇場広場の角でバスを降り、セルビア国立劇場(1861年建造、南スラブ最古)を左に眺めながらスロヴォダ広場に出る。ユリウス暦を使うセルビア正教の降誕祭(クリスマス)は1月7日のために、広場の周辺には時ならぬ?クP1190081リスマスマーケットの露店が軒を連ねている。長方形の広場は、東面がノヴィ・サド最古のホテルでオーストリア皇后のエリーザベト(シシィ)も宿泊したと云うホテル・ヴォイヴォディナ、西面が新古典主義の建築物であるヴォイヴォジャンスカ銀行本店、南面が市庁舎、北面がカトリック大聖堂に囲まれる。市庁舎寄りの中央に厳めしく立つ像は、ノヴィ・サド市長を務めたSVETOZAR MILETIC(1826-1901)。フリータイムの25分はカトリック大聖堂に入場して内部を見学したり、ホテル・ヴォイヴォディナの1階ブランドショップを覗いたりするうちに過ぎる。12:20バスに戻って昼食レストランへ。レストランAlaska Barkaはドナウ河畔の公園内に建つ高級レストランのひとつ(と、別れ際に現地ガイドのラドさんが言っていたが)、12:30-13:30の間、赤絨毯が敷かれた館内で、サラダ、鶏肉とソーセージのリゾット、アイスクリームを食べ、セルビア産ビールJelenの小瓶を飲む。小瓶ではあるがビール1本200円は安い。12:40バスに戻り、ベオグラードへ。(続く)

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悠久のバルカン半島6か国周遊10日間

2017年1月18日(水) 今日からバルカン半島冬の旅の始まり、クラブツーリズム主催のパック旅行に参加し、旧ユーゴスラビアの6か国を回る。家人に南柏駅まで車で送ってもらい、常磐線P1180002と成田線を使って、18:05成田空港第1ターミナルビル到着、Travelexで3万円をユーロに両替する(3万円→235€+562円)。集合時刻は19:55、早すぎたので椅子に座って読書、高村薫著「地を這う虫」を読む。19:20トルコ航空のカウンターへ行き自動機でチェックイン、通路側の座席を選び、航空券を2枚受け取る。パスポート、航空券、マイレージカードを有人カウンターへ提出し、スーツケース(SC)を預ける。スーツケースの重さは制限20㎏ぎりぎりの19.5㎏、現地の気温が-10℃~0℃で積雪もあると云うので、登山靴や厚手のパジャマ、セーターなどを詰め込んだため、大分重くなる。出国審査を終えてゲート47へ。イスタンブール行きTK53便は出発時刻が25分早まる。21:30搭乗、14B席に座る。AIRBUS 330-200/300は2-4-2席並び、8、9割の搭乗率P1190006で少し空席がある。最新機材でTV画面が大きい。22:30離陸、イスタンブールまで12時間・9000㎞の空の旅始まる。水平飛行に入るや直ぐに熱いおしぼりが出る。食事のメニュー表もあり、アメニティセット(スリッパ・靴下・アイマスク・耳栓・歯磨きセット)も配られる。トルコ航空はサービスが良い。23:00隣が空の12D席に移る。23:30第1回目の食事、トルコ産缶ビールEFES Pilsenerを飲む。

1月19日(木) 6:40エカテリンブルク上空、あと4時間。8:20第2回目の食事。10:30イスタンブールのアタチュルク空港着。現地時刻は4:30(時差マイナス6時間)。未だ外は真っ暗、寒いけれど雪はない。バスでターミナルビP1190016ルへ移動し国際線へ乗り継ぎ、ベルトを外し靴も脱がされるなど安全検査は厳しい。免税店でロクムをつまみ食いしたり、トイレで歯磨きしたりして過ごした後、搭乗口301へ進み、8:15ベオグラード行きTK1081便に搭乗、通路側の14C席に座る。機種はB737-800、これも最新機材で大型TVが備えてある。9:00離陸、外は明るくなったが曇天、ブルガリア上空を飛んで行く。9:30軽食、チーズを挟んだコッペパンが出る。機内のコーヒーは不味。上空から眺めるセルビアの大地は真っ白、寒々している。10:25(現地時間8:25、日本時間16:25)セルビアの首都ベオグラードのニコラ・テスラ空港に安着、家を出てからちょうど24時間経つ。SCを受け取り、空港両替所で10ユーロをセルビア通貨に交換、1180ディナール(DIN)を受け取る。9:00迎えのバスに乗り込み最初の観光地ノヴィ・サド(Novi Sad)へ。(続く)

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平成二十九年お年玉年賀切手

P11600012017年1月16日(月) 200枚余り頂いた年賀状を当選番号と照合した結果、三等が5枚見つかりました。昨年ほどではないにしろ、今年も確率よりは少し上、小吉くらいでしょうか。仙台市宮城野区のS.S.様、世田谷区上馬のM.Y様、大田区田園調布のS.T.様、横浜市鶴見区のM.A.さま、周南市のT.T.様、ありがとうございました。

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長寿きのこ・コフキサルノコシカケ

P11500072017年1月15日(日) 午後から散歩、唯歩くだけでもよかったのですが、せっかくなのでデジカメを持って小金原団地方面へ。あめりかふう通りからさくら通りを通り、旧根木内小学校、松戸中央自動車学校の前を通って戻りました。樹木のきのこを撮ろうにも、厳寒期の今、被写体になるものは殆どありませんが、サクラの古木に発生しているコフキサルノコシカケ(低地のものはオオミノコフキタケとの説もあります)にカメラを向けました。下の写真は同じきのこを2008年9月26日に撮影したもの、当時6層だったものが1年に1層づつ成長して、現在は14層にまで伸びております。すなわち、発生してから14、5年経っているDsc01490と思われますが、ヒトヨタケなど儚いものが多いきのこの中ではかなりの長寿、そのうち支点が重さに耐えきれずに落ちてしまうかもしれませんが、これからも観察を続けます。

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千葉菌類談話会 第25回スライド会

P11400032017年1月14日(土) 今日は千葉菌類談話会会員の勉強と懇親を兼ねた第25回スライド会、千葉県立中央博物館の講堂と研修室を会場に、10時半から16時半の間行われました。家を出たのは9時と出足が悪く、ぎりぎりセーフで何とか開演に間に合いました。夏休みの課題研究と云うNさん親子の微笑ましい発表に始まり、いつもながら心に染みるすずらんのハンドベルの演奏を聴いた後、N.A.さんの、円形系統樹描画ツールのグラフラン(GraphlAn)を利用した「菌の輪を描く」、H.H.さんの、図鑑にも載っていないマツカサキノコの「純粋培養による子実体形成」、S.Y.さんの、主に行田公園でP1140011撮影したと言う「2016年のきのこ」、Y.M.さんの光るきのこ・砂地のきのこ他を紹介する「南房総のきのこ」を楽しく拝聴しました。いろいろ忙しいために、14時で中座し、新年会もパスして帰ってきましたが、昼休みのきのこグッズ展示会で、高橋勝雄さん制作の竹製きのこ箆を1本、有難く頂戴してきました。従来、きのこを掘り出す目的で使ってきたのは小型スコップですが、この竹箆も七つ道具のひとつに加え、今後活用させていただきます。ありがとうございました。

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きのこ鍋

2017年1月12日(木) 一昨日、船橋県民の森で採集したエノキタケとヒラタケ、それにスーパーで購入したエリンギ、シイタケ、ブナシメジ、マイタケを加えてきのこ鍋を作りました。6種類のきのこが入った結果、良い出汁が出ました。最強寒波襲来の時節には嬉しい鍋料理、体も心も温まります。
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種ジャガイモ

P11200012017年1月11日(水) 昨日の船橋県民の森のきのこ観察の帰りに、ケイヨーD2名戸ヶ谷店に立ち寄り、種ジャガイモを買ってきました。去年は種芋代をけちり、前年収穫したヒネ芋を使いましたが、収穫は全く振るわず、散々な目に遭いました。種芋はメークインと男爵を各1㎏、合わせて526円でした。最近の家庭菜園流行りで、うっかりしていると、直ぐに種ジャガは売り切れてしまいます。植えるのは3月になってからですが、5倍に増えれば10㎏、10倍に増えれば20㎏と、今から何とかの皮算用をしております。

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初きのこ観察(2)/船橋県民の森

2017年1月10日(火) 前の記事(1)では、主に軟らかいきのこを紹介しましたが、厳冬期には、サルノコシカケ科の硬質菌も美しい姿を見せます。下の写真は、上から順に、クジラタケ、スルメタケ、ミノタケの、傘面と子実層托面(約12倍に拡大、全幅スケール7㎜)です。
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初きのこ観察(1)/船橋県民の森

2017年1月10日(火) 午後から船橋県民の森へ出かけ、今年初めての真面目なきのこ観察。セラピーコースの奥所と青少年キャンプ場の、倒木と伐木集積所を回り、材上生菌を写真に納める。出逢ったのは、エゴノキタケ、エノキタケ、オオウロコタケ、カイガラタケ、カミウロコタケ、カワラタケ、クジラタケ、コフキサルノコシカケ、サガリハリタケ、シックイタケ、スエヒロタケ、スルメタケ、センボンクヌギタケ、チャウロコタケ、ニクウスバタケ、ネンドタケ、ネンドタケモドキ?、ヒメシロアミタケ、ヒメシロカイメンタケ、ヒラタケ、ホウネンタケ、ミノタケなど。エノキタケとヒラタケは持ち帰る。(写真は、上段左上から時計回りに、エノキタケ、サガリハリタケ、センボンクヌギタケ、ヒラタケの順)
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初きのこ狩り/エノキタケ

2017年1月9日(月) 小雨が残る中、増尾城址公園へ行き、今年初めてとなるきのこ狩り。実は、先日の津辺野山で、すでにシイタケを2個ゲットしてはいるのですが。3、4年前までは溢れるように発生したエノキタケが、切り株の腐朽が進んだ結果、アミヒラタケやヤケイロタケと世代交代してしまい、めっきり出なくなりました。辛うじて2本の切り株に出ていたものを採集してきましたが大半は老菌、これっぽっちではどうにもなりません。
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グランドキリン 夜間飛行 Amber Ale

P10600022017年1月7日(土) 「凛とした静かな冬の夜にひとり、想いを馳せながら楽しめる、麦の甘く香ばしい、薫り高い深みのある1本です」、グランドキリン・夜間飛行のラベルの説明文です。アルコール分5.5%、原材料は麦芽とホップと糖類(乳糖)。深い琥珀色、丸みのある軟らかい味わい、変に尖ったところのない良いビールです。個人的評価は☆☆☆。

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中国歴史ドラマ「武則天」

2017年1月6日(金) マイブームというか最近はまっているのが中国の歴史ドラマ「武則天」、BS12チャンネルのトゥエルビで、毎週火曜日から金曜日の18:00-19:00に放映されております。中国史上唯一の女帝である武則天(武周朝:在位690-705)の生涯を描く一大歴史エンターテインメント、全82話。主演は中国のトップ女優ファン・ビンビン(范冰冰)、2015年中国ドラマ視聴率NO.1作品だそうです。壮大なスケールと豪華絢爛な衣装に圧倒され、ファン・ビンビンの美貌にしびれます。これを機に、陳舜臣作の「小説十八史略」と「中国の歴史」の、唐王朝の部分をもう一度読み返してみようと思っています。
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あじまる大根

P10600012017年1月5日(木) あじまる大根、太く短い大根です。重さは2㎏近くあります。正月に年始の挨拶にやって来た娘夫婦が持ってきてくれました。お婿さんのお父さんが家庭菜園で作ったものだそうです。立派です、達人です!、名人です!。私も見習わねば・・、種はジョイフル本田で売っているようなので、今秋にもチャレンジしてみます。

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津辺野山(鋸南町)

P10300732017年1月3日(火) 今日は、館山市に帰省している大学同期のYさんと、鋸南町に聳える房総の秘峰?の津辺野山(標高260m)に登ってきました。山中で出逢ったきのこは、カワラタケ、コフキサルノコシカケ、シイタケ、ダイダイタケ、チャウロコタケ、ハカワラタケなど。見慣れない蔓性の植物はフウトウカズラ、ブドウのような房状の橙色の実をつけていました。歩程4時間、最後は林道嶺岡中央三号線から富山水仙遊歩道を使って道の駅に下りましたが、今が房州水仙の花盛り、景色と香りを堪能しました。(詳しくは、姉妹ブログ「自惚山人ノオト」の記事「590.津辺野山」をご覧ください)
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あけましておめでとうございます!

3p10100012017年1月1日(日) あけましておめでとうございます。ことしもどうぞよろしくおねがいします。

穏やかに2017年の元日があけました。上天気です。早速、のし餅を焼いて仙台風雑煮(残念ながらハゼ出汁ではなく鶏出汁)と納豆もちを食べました。それと、娘夫婦から昨日届いたおせち料理も。仙台の老舗、伯養軒のおせち料理・三段重には、牡蠣佃煮、あわび煮貝、焼つぶ貝、伊達巻、笹かまぼこ、牛舌スモークなど珍味がいろいろ。美味しくいただきました。ありがとうございます。

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