« 国境の村モクラ・ゴラ(MOKRA GORA) | トップページ | ボスニア・ヘルツェゴビナ土産 絵葉書 »

世界遺産「ソコルル・メフメト・パシャ橋」

2017年1月20日(金) 13:25モクラ・ゴラ出発。5分ほどでセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境に到着、添乗員のI氏が全員のパスポートを集め運転手のサシャさんに渡す。先ずはセルビアの出国審査、通過する乗用車P1200245を見ていると窓口にパスポートを差し出し1分弱で審査終了。我々は5分程度、サシャさんが10€と缶ビール2本を審査官に提供しあっさりとOKが出る。賄賂という程の額ではないがサシャさんの自腹か?、余り良い気持ちはしない。緩衝地帯が1㎞ほどあって今度はボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査、再びサシャさんが全員のパスポートを持って窓口へ。そこも10分ほどで終了、極めてスムースに運んだ方らしい。パスポートを見ると出国も入国もスタンプは押されていない。14:10ボスニア側の国境の町ヴィシェグラードに到着し、観光案内所が建つ大駐車場でバスP1200256を降りる。目の前にドリナ川の青い流れと、2007年世界遺産に登録されたメフメット・パシャ・ソコロビッチ橋(セルビア語&ボスニア語読み)が見える。ヴィシェグラードの人口は約1万人、ボスニア・ヘルツエゴビナ唯一のノーベル賞受賞者である作家のイヴォ・アンドリッチが幼・少年時代を過ごし、彼の傑作小説「ドリナの橋」の舞台となった町である。ドリナの橋、即ちソコルル・メフメト・パシャ橋(トルコ語読み)は16世紀末の建造、オスマン朝のスルタンに仕えた大宰相メフメット・ソコルル・パシャの命により、宮廷建築家でトルコ史上最高の建築家として名高いミマール・スィナンの設計P1200250で建造された。11のアーチからなる全長175mの美しい橋はスィナンの最高傑作と評されているが、第1次世界大戦、更に第2次世界大戦でも破壊され、その都度修復されて現在に至っている。確かに美しい石橋であるが、これなら本耶馬渓の耶馬渓橋(別名オランダ橋、8連アーチの石橋、全長116m)や 岩国の錦帯橋(5連アーチの木橋、全長193m)なども世界遺産に登録される資格があるのでは?。最近、世界遺産の登録件数がやP1200261_2たらに増え、為に内容が希薄化し、価値の低下が著しい。観光案内所に詰めていた現地ガイドのアンドリッチさんに案内されて橋を渡る。橋の中央部の左右にテラスが張り出し、左側には背丈を超す壁が立ち、上部に白大理石の板がはめ込まれて、構築年等トルコ語の碑文が刻まれている。右側のテラスには手すりに沿って腰掛が取り付けてあり、季節の良い時期には川床の風情を楽しむことが出来る。対岸(左岸)に渡って写真を撮り、ドリナ川沿いに延びる町へ入ると、こじんまりしたピンクの外壁の平屋建て「イヴォ・アンドリッチの家」が見えてくる。門扉は固く施錠されており内部の見学はできない。外壁に架かるプレートに気付かなければ見逃してしまうほど何の変哲もない。そこから引き返す。今日は登山靴で大正解、雪が深く、所々ぬかるみもある。橋の袂のホテルANDRICEV KONACでトイレを借用、1人0.5€。気温が低く体が冷えるので皆我慢できず。観光案内所(兼売店)で絵葉書を買ってバスに戻る。15:10サラエボへ向け出発。ドリナ川P1210293左岸沿いの道を上流へ。河は全面結氷している個所もある。トンネルが連続、対岸にも道があり家が建つ。サーシャさん、山坂道を飛ばしに飛ばす。渓流でルアーを振る釣り師が二人、マス狙いか。標高が高くなり辺りは真っ白、道の両側に1mほどの雪壁が現れる。16:30標高1300mの峠にある食堂ROMANIJSKI RAJでトイレ休憩、トルコ式で有料0.5€。コーヒーを頼んだ人も居て思わぬ臨時収入に女将はニコニコ。その先除雪車の後ろについて暫くノロノロ運転。17:15とっぷり日も暮れて、漸くサラエボの街に下り着く。市庁舎前、旧市街、新市街と抜けて行くが街の灯りが暗い。人々が着ている衣服も黒が基調、まるで影絵が動く様である。但し車は多く、渋滞もあり、市電は鈴なり超満員。17:50今宵の宿ホテル・ハリウッド到着。(続く)

|

« 国境の村モクラ・ゴラ(MOKRA GORA) | トップページ | ボスニア・ヘルツェゴビナ土産 絵葉書 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 国境の村モクラ・ゴラ(MOKRA GORA) | トップページ | ボスニア・ヘルツェゴビナ土産 絵葉書 »