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ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ

P12103262017年1月21日(土) 5:10起床。昨夜に続き今朝も早くから犬の鳴き声がうるさい。日本茶を飲み煎餅をかじる。天気予報を見ると、内陸部は-15~-5℃、沿岸部は-2~10℃。6:30-7:15朝食。目玉焼き、ソーセージ、オリーブの塩漬け、バナナ、ミカンを食べリンゴジュースとカプチーノを飲む。よく見ればこのホテル、河畔に建つリバーサイドホテル、近くに五つ星のHOTEL HILLとコングレスセンター・サラエボが建つ。8:45現地ガイドのモハメッドさんがホテルロビーで合流、サラエボ市内観光へ出発。旧市街近くの三叉路でバスを降り、ミリャッカ川に架かる橋を渡り左岸へ。そのP1210339角に建つ「戦う家](Inat Kuca)と名付けられた典型的ボスニアの民家を眺め、対岸の華やかな肌色の建物・旧市庁舎(現国立図書館)を眺めつつ、川沿いの遊歩道を西(下流)へ進む。3本目の石橋がかの有名なラティンスキー橋(旧プリンツィブ橋)、1914年6月28日、ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が、青年ボスニア党のセルビア人青年、ガブリロ・プリンツィプに狙撃され、第一次世界大戦のきっかけとなった場所。ラティンスキー橋を渡り返すと右岸の橋の畔に建つサラエボ博物館、館内には暗殺事件に関する詳細なP1210348展示・説明があるらしく、外壁の掲示板にも事件当日の様子や犯人プリンツィプの写真など展示されている。旧市街に入り、サラエボ最大且つバルカン半島全体でも最大級のセルビア正教会大聖堂(正式名は生神女誕生大聖堂、1863~1868年建造)を眺めながら、カトリック大聖堂(正式名はイエスの聖心大聖堂、1884~1889年建造)の前に出る。ノルウェー大使館とスウェーデン大使館が2階と3階に入っているビルの前を通り、細い路地に右折して、サラエボ最古のトイレへ行く。入り口の看板にはセルビア語で「JAVNI WC(公衆便所)-OVO JE PRVI JAVNI WC U SARJEVU(このサラエボP1210351最初の公衆トイレは)-IZGRADEN JE 1530(1530年に建設された)-ONISTEN 1992(1992年に破壊された)-OBNOVLJEN 2001.GOD(2001年に再建された)」と書いてある。せっかくなので中に入って見るとトルコ式、清潔であるがペーパーの備え付けはない。古いセルビア正教会を外から見物し、旧市街中心地のバルチャルシア広場へ出てモハメッドさんと別れ、フリータイム(10:15-11:00)。広場に店を出している八百屋を覗くと、全て1㎏単位の値段が付いており、リンゴと青リンゴとレモンは各2マルカ(1KM=70円ゆえ約140円)、オレンジとマンダリンオレンジ(小)が各2.8KM(約200円)、マンダリンオレンジ(中)が3KM(210円)、キウイが4KM(280円)、栗が6KM(420円)。果物は日本の3分の1位の値段か。オスマン朝時代の名残をとどめる職人街を歩く。銅製のお茶道具、コーヒーミルやカップ、水差し、お盆など同じような品物を並べた店が軒を連ねる。指輪やアクセサリーなどの金銀細工を扱う店も多い。石造りの旧バザール棟にも入って見たが土産物屋ばかり、御客が少ないP1210367ので売り子が欠伸をしている。これといって買いたいものはなく、体が芯から冷えてきたので、少し早めに昼食のレストランへ。足元はツルツル、溶けた雪が凍っており実に危ない。レストランは古いセルビア教会近くのDULA GIN DVORという店、スープ、サルマ(トルコ料理、葡萄の葉に肉入りピラフを包んだ温野菜)、蜂蜜漬けの極甘菓子を食べる。料理は香辛料が強すぎて不味、デザートは甘すぎて不味。12:10バスに乗りモスタルへ向かう。

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