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平泉寺白山神社(勝山市)

2017年11月1日(水) 平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)の所在地は福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63。主祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)。養老元年(717)、白山を開山した泰澄禅師によって開かれたと伝わる。白山信仰の越前側の禅定道の拠点(越前馬場)として山伏僧兵Pb010152が集まるところとなり、室町時代後半の最盛期には、48社、36堂、6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した。寛政八年(1796)江戸幕府の裁定により、白山山頂が平泉寺領と定められ、白山頂上本社の祭祀権を獲得した。明治時代までは霊応山平泉寺という天台宗の有力な寺院だったが、神仏分離令により寺号を捨て神社となって今日に至る。
14:10駐車場着。今年が開創千三百年、そのせいか奥越の山の中であるに関わらず参拝客が結構多い。老杉が林立し苔むした参道を緩く上っていく。福井の苔寺と称されるPb010180らしいが、本家の西芳寺より素晴らしく、幽玄な雰囲気が漂う。一の鳥居をくぐり、国指定名勝の旧玄成院庭園、御手洗池に立ち寄り、二の鳥居をくぐる。その辺りから眺める拝殿へ延びる参道と、樹木の間一面を埋める緑の苔の景色は何とも厳かな雰囲気、霊域、神域として申し分ない。安政六年(1859)造営の簡素な造りの拝殿にお参りする。拝殿に掛かる「中宮平泉寺」の扁額は一品天眞親王の筆。天正二年(1574)兵火にかかって焼失する以前は、正面四十五間という我が国最大の拝殿であった由、その礎石が左右に残っており、往時の威容を偲ぶことができる。拝殿の後ろにPb010164回り、石段を昇って御本社にお参りする。寛政七年(1795)の造営で祭神は伊弉冊尊。御本社の右に天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀る別山社、左に大己貴尊(大国主)を祀る越南知社(おおなむちしゃ)を配し、三社は白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っている。たいていの参詣客はそこまでで下山するが、我々は更に最上部の三ノ宮と大楠公墓所まで上り詰める。三ノ宮は明治二十二年(1889)の改築、安産の守護神とのこと、その左手に建つ楠木正成公墓塔は、延元年間(約650年前)の建立。吉川英治著の「私本太平記」を読んだばかりなので、大楠公墓所には懇ろにお参りする。三ノ宮の後ろが白山禅Pb010174定道平泉寺登拝口、一本の山道が杉林の中を劔ノ宮へと続き、究極には白山御前峰へと登っていく。それを確かめて引き返し、途中、開山社にもお参りし、15:20車に戻る。福井市へ戻る途中、勝山市内の越前大仏(清大寺)に寄ってもらったが、広大な駐車場に参拝客の車は僅かに1、2台、門前町は軒並みシャッターが下りているし、がらんとして不気味だったので拝観は諦める。16:10無事社宅到着、娘は丸一日ひとりで長距離を運転し大分疲れた様子なので、夕食は適当に外で食べることにして福井アカデミアホテルへ引き上げる。(続く)

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