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世界遺産「ブハラの歴史地区」(1)

2018年8月24日(金) 5:50起床、髭を剃り顔と腕に日焼け止めクリームをぬる。MWを沸かし緑茶を飲む。部屋が広すぎてエアコンの効きが今一。7:00-7:30朝食。クッキー2枚、目玉焼き、ハム、ソーセージを食べオレンジジュースとコーヒーを飲む。それとデザートにスイカとメロン。8:30出発、今日はブハラ市内終日観光、予想最高気温34℃。朝はまだ爽やかだが太陽がぎらぎらと輝き暑くなりそう。今日も日傘代わりの雨傘が手離せない。撮影料はP8240346今日一日分合計でひとり2万スム(320円)也。ブハラは、パミール高原の雪解け水を集めたザラフシャーン川流域に発達したオアシス都市、交通の要衛に位置し、7~8世紀にはシルクロードを通じた東西交易で繁栄した。黄金期は9~10世紀のイラン系サーマーン朝の時代、しかしその繁栄も1220年のチンギス・ハーンの来襲で灰燼に帰してしまう。16世紀のシャイバニ朝時代になって再び甦り、多くのモスクやメドレセが建造された。見学の初めはイスマイール・サーマーニ廟(9:00-9:25)。892年から943年にかけて造られた中央アジアに現存する最古のイスラーム建築で、サーP8240348マーン朝のイスマイール・サーマーニが父親のために建てた霊廟だが、のちになって彼も、彼の孫も葬られて、サーマーン朝王族の霊廟となった。モンゴル来襲で街が破壊されたとき、殆どが土中に埋もれており、又周りが墓地だったために気づかれなかったらしい。1925年に発掘された。大きさは9m四方、壁の厚さ1.8m、日干し煉瓦を積み上げた半球ドーム型の屋根の単純な構造だが、垂直ではなく内転び(鉛直方向に対して内側に傾いた造り)を持つ外壁など、その意匠には注目すべき要素が多い。また、レンガの積み方を工夫することによって精緻な模様と陰影を生み出しており、当時の建築家の技術と美意識は見事。廟の周りを反時計回りに3度回ると願いが叶うと云うP8240369ので皆一所懸命。観光の二か所目はチャシュマ・アイユブ(9:30-9:45)。ヨブの泉の意味で、人々が水不足で苦しんでいた時、預言者ヨブがそこを杖で叩いたら、泉が湧き出たという伝説による。泉は建物の中にあり、建物は水の博物館となっている。泉の水は眼病に効くと云われ、今も汲みに来る人が多いと見えて、泉の前に蛇口が3か所設けられている。備え付けの茶碗もあり、4人組の女性の一人が口にしていたが、大丈夫?。工事中の道悪を10分ほど歩き、三ヵ所目のアルク城へ向かう途中、ボラハウズ・モスクの中庭でトイレ休憩。ボラハウズ・モスクは、前面に彫刻が美しいP824037220本のクルミの柱が並び、軒の正面や天井はカラフルに塗り上げられている。アイヴァンという建築様式らしく、1712年に建立されたブハラ・ハン専用のモスクである。皆がトイレに行っている隙に中へ入ってみる(9:55-10:10)。現在も礼拝に使われている様で、ミフラーブの前に座り祈りをささげる男性が一人、内部は青色と菫色に荘厳されていてブルーラグーン状態、臙脂色の絨毯とのコントラストが美しい。皆と合流してアルク城へ。城の前の広大なスペースはレギスタン広場、10:20分厚くて高い城壁に囲まれたアルク城に石畳のスロープを上って入城する。この城がいつ築かれたかP8240396は定かでないが、ブハラ発祥の地がその辺り、2000年以上前に遡るといわれる。城門をくぐると、左側に獄舎が並ぶ。前面に木の柱が並ぶジャーミー・モスク内を見学してから玉座が据えてある謁見の間へ。そこのテラスに露店を出していた細密画(ミニアチュール)の作家と値引き交渉をしているうちに、ツアーメンバーの皆とはぐれてしまう。はてさて、どこへ行ったものやら、仕方がないので、10:45城門を出てレギスタン広場まで下りてみたがやはり見当たらない(後で聞くと、一番上の博物館見学へ行っていたとのこと)。いやはや困りました。スマホは持っていないので添乗員のEさんに連絡はできないし、広場に屯する現地の人に尋ねても自分の流暢な?英語がさっぱり通じない。緑の制服の警察官もやはり駄P8240401目。さりとてウズベク語やロシア語は話せないし、いやはや弱りました。今朝、ドストンさんが今日一日の予定を話してくれた時のメモには、アルク城の次はカラーン・ミナレットと書いてある。それではと、ガイドブックの地図を見ながら広場を反時計周りに回り込み、フッジャ・ヌラバット通りを東へ歩いてカラーン・ミナレットを目指す。カラーン・ミナレットは高さ46m、町のどこからでも見えるブハラのシンボルである。11:00カラーン・ミナレットとカラーン・モスク、それとミル・アラブ・メドレセに囲まれた広場に着いたが、そこにも仲間は居ない。けれども運良く、同じ阪急社の別のグループと遭遇し、添乗員のTさんに我がグループと連絡を取ってもらう。地獄に仏とはこのこと、ミル・アラブ・メドレセの入口階段に座って仲間がやってくるのをじっと待つことに。Tさん、有難う。待つこと30分、やっと仲間に合流、自分が居ないことに誰も気が付かなかったと聞いてショック、誰一人心配していなかったと分かりダブルショック!。やれやれ。ドストンさんの案内で先ずカラーン・ミナレットを見学、1127年の建立でP8240408内部には105段の螺旋階段があり、以前は上ることが出来たが現在は不可。次いでカラーン・モスクを見学、現在の建物は1514年の建造、ブハラ最大のモスクで中庭は1万人収容でき、金曜礼拝に使われている。回廊やモスク内のミフラーブとミンバル(説教壇)を見てから退場し、次は絨毯工房のブハラ・シルク・カーペット(12:00-12:20)へ。ラクダの毛で織った50㎝X50㎝が最も安く100米ドル、シルクの足ふきマットサイズで10万円~60万円とピンキリ。結局、お茶をご馳走になっただけで誰も購入せず。昼食をとるため、有名レストランのドロン(Doron)へ向かう。(続く)

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コメント

英語が通じない国、私大好き!!
自分が英語が話せないからなんですが、、、(笑)

添乗員さんが点呼を取らなかったのが悪いし、一番最後に歩いて人数の把握をしてほしいけれど、ツアーメンバーが多いとそれが難しいのでしょうか?

でも、大きなトラブルがなくて、よかった~。

いつも詳しい説明、うれしいです。
勉強になります。

旅行前にガイドブック等で、勉強してから行かれるのですか?

私は自分のガイドブックを作成してから旅行するのですが、現地ガイドと自分が調べたことが違っている事が多いし、知りたいわからない事を質問しても納得のできる答えを貰えないことが多く、、、、モヤモヤ。

私は自由行動で歩きたいのですが、(ツアーが終わってホテルに帰ってきてからの自由時間に)ウズベキスタンは一人でブラブラ歩く事は可能でしょうか?

投稿: いのぶー | 2018年9月11日 (火) 10:01

事前学習で、マイガイドブックを作っていくなんてすごい!。私の場合ですが、後日ネットやガイドブックで調べれば分かる説明は、現地ガイドの方には申し訳ないですが、まじめに聞いておりません。わざと最後尾を歩いて仲間が映りこまない写真を撮ったり、あれこれくだらない事をメモしているうちに、仲間とはぐれることはこれまでも何度もありました。
外国の街の女性の一人歩きはお勧めできませんが、ウズベキスタンは比較的治安が良く、親日家揃いなので、昼ならブハラやヒヴァの旧市街を散歩しても大丈夫かもしれません。ツアーメンバーの誰かと一緒に出掛けるのがベターですが・・。

投稿: shikamasonjin | 2018年9月11日 (火) 17:38

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