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カラカル・パクスタン共和国の都城址巡り

2018年8月26日(日) 6:00目覚まし時計で起床。髭を剃り日焼け止めクリームを顔に塗る。今日は灼熱砂漠の城址観光なのでシャツは長袖。昨夜洗った下着は完全に乾いている。恐ろしいほどドライ、こんなに乾燥していては蚊もいないけれど、きのこも全く期P8260616待できない。昨夜ちょろちょろだったお湯が朝は回復、たっぷり出る。持参の電気ポットでMWを沸かして日本茶を喫す。7:00-7:40朝食、目玉焼きと干しブドウを食べ、チェリージュースとコーヒーを飲む。8:30バスに乗り出発、カラカル・パクスタン共和国の都城址巡りへ。アラル海に注ぐアムダリア川下流の東側には古代ホレズム帝国時代、紀元前4世紀~紀元後7世紀に築かれたカラ(都城、城砦)跡が数百㎞にわたって点在し、その数は1000か所以上に上る。アムダリア川が流れを変えるたびに城砦を造り替えねばならなかったとのこと。9:00州都ウルゲンチ通過、ソ連時代に区画整理されて出来上がった町だけに、四角四面の大きなビルが建ち並び、六車線道路が街を貫く。緑が多く街路樹や花壇も整備されていP8260628るが、特にこれといった見どころはないらしくあっさり通過。郊外にかかると舗装道路が切れ、埃っぽいデコボコ道になる。民家の庭に色とりどりのダリアが咲いている。最後の集落を過ぎると砂漠地帯へ突入。灌漑用水路沿いに、もやもやした赤紫の細かい花を付けた灌木が生えている。左奥に広大なダム湖が見えてきて、辺り一帯は綿花畑に変わる。最初の見学先、トプラク・カラの丘が見えてくると、その麓にある天幕式住居(ユルタ)群の無料トイレを借用し休憩(10:05-10:20)。ペーパー付だし、水はちょろちょろながら一応水洗、こんな砂漠の真ん中でどこから給水しているのだP8260642ろう。城址の麓へバス移動して、トプラク・カラへ上る。紀元前1世紀か紀元後5世紀のホレズム帝国のシャー・ウシュ朝が築いたとされる都城で「粘土の宮殿」と呼ばれる。500X350mの長方形の日干しレンガ造りの城壁に囲まれ、北西隅には3つの楼閣を持つ宮殿がある。広場、ゾロアスター教の神殿などが並び、域内の3分の2は住民の居住区だったと云うが、どこがどこやら。一番高い所に上って日干し煉瓦の壁で区画されている城内を眺め、茫漠とした大地と、その果ての低い山並みとを眺める。かつて傍を流れていた筈のアムダリア川は全く見えない。バスに戻り、次は「風の城」と呼ばれるアヤズ・カラへ。又も麓に天幕式住居群がある所P8260661でバスを降りる。どうやら、これらユルタは都城址観光の前線基地となっており、食事もとれるし宿泊も可能な、いわば砂漠のホテルである。暑い!、雨傘をさしながら40℃はありそうな灼熱の砂漠歩き。丘上の城址めがけて傾斜の緩い道を時計回りに進んでいくが、かなり距離があり遠い。辺り一面に枯れた茎を直立させて群生している植物はウイキョウ(フェンネル)とのこと、ホップが使われる以前のビールに使用された薬用植物であるが、まさかこんな厳しい環境に生えているとは・・。2つの丘上遺跡からなるアヤズ・カラは6、7世紀頃の都城址であるが、トプラク・カラよりも保存状態が悪く、崩れP8260675かけた外壁しか残っていない。高い方の城址に上り、低い方の城址と果てしのない乾燥平原とを眺めやる。かつてはこの城址同士が橋で繋がれていたらしい。それから城壁上部の回廊歩きを試みる。途中、崩れていたり天井下に余裕がなかったりで4分の1周くらいしか回れない。遥々と訪ねてきたが、城址マニアでもなければ見どころを見つけるのは難しい。出土品の博物館でもあれば、もっと興味が持てるかもしれないが。12:30バス駐車場に戻り、ユルタの一つに入って昼食をとる。ユルタ内は日陰というだけで涼しく快適。大根サラダ、牛肉入りスープ、トマトとナス炒め、ウズベキスタン風ロールキャベツなどを食べ、干しブドウと豆菓子をつまみながらウオッカを試飲する。デザートは定番のスイカとメロン。ビールはサルバストの中瓶だったのでパス。13:30バスに戻りヒヴァへ帰る。15:30ホテル到着、15:50のロビー再集合まで部屋で大休止。(続く)

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コメント

トプラク及びアヤズカラは、砂漠地帯で6年前と変わっておりませんね。ただ、当時は、付近にユンタもなくて、トイレが青空トイレで特に女性が困っていたことが思い出されます。高速道路も整備されて快適な旅と思われます。
ナヴォイだったと思いますが、ここに韓国企業が進出し、高速道路や空港を整備し、大韓航空機が直接乗り入れている姿が見られました。ウズベキスタンも親日家が多く、日本人の活躍が期待されます。
楽しい旅の発信を続けてください。楽しみにしています。

投稿: バルカンの友、 A・K | 2018年9月18日 (火) 16:22

A.Kさま
こんばんは。ウズベキスタンに行ってまいりました。2016年にカリモフ大統領が死去し、25年間にわたる長期独裁政権に終止符が打たれたことで、ウズベキスタンはこの2年間で色々と変わりつつあるようです。ロシア語(キリル文字)の看板が減っているのはその一例ですが、自由民主主義者は大分暮らしやすくなったようです。今後、機会があれば、隣国のキルギスやタジキスタン、カザフスタンへも行ってみたいと思いますが、果たしてどうなりますか。ありがとうございまいた。

投稿: shikamasonjin | 2018年9月18日 (火) 19:51

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