京都御所

2009年11月3日(火) Dsc004918:30新都ホテルをチェックアウト、荷物をクロークに預け身軽になる。先ず天皇陛下御即位20年を記念して特別公開中(11月1日~10日)の京都御所へ向かう。 地下鉄で丸田町に出て京都御所の宣秋門着が9:20、午前9時からの入場というのに早くも長蛇の列が出来ている。拝観料が無料というのが嬉しい。京都御所は元弘元年(1331)以来明治二年(1869)に至るまで500年以上も皇居であったところ、現在の建物は概ね安政二年(1855)の再建であるが、平安時代の寝殿造りや室町時代の書院造り様式が展開し、古の天皇家の生活や儀式、王朝文学の世界までも偲ぶことが出来る。宣秋門をくぐり、御車寄(おくるまよせ)、諸大夫の間Dsc00506(しょだいぶのま)、新御車寄(しんみくるまよせ)の順に見学する。今日は新御車寄の前に造られた舞台で、特別に五節舞(ごせちのまい)が行われるとのことで、  最前列に陣取って待つこと30分間、十二単をまとう4人の舞姫がゆったりした所作であでやかに天女を舞う。まさに王朝の雅そのものである。順路に従い、 建礼門(けんれいもん)、宣陽殿(せんようでん)、紫宸殿(ししんでん)、清涼殿(せいりょうでん)、 小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)と拝観する。 後が閊える状態なので立ち止まってゆっくり見学することは出来ないが、いずれの建物も技術Dsc00521の粋を凝らし贅の限りを尽くしたもの、さすがに雲上人のお住まいは違う。続いて、御池庭(おいけにわ)、御内庭(ごないてい)を眺め、御常御殿(おつねごてん)を見学し、例年は公開していない北側の殿舎の皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)、玄輝門(げんきもん)、朔平門(さくへいもん)、若宮姫宮御殿(わかみやひめみやごてん)も見学、11:05出口の清所門をくぐり拝観を終える。午後は再び西国観音霊場巡り、山科にある番外の元慶寺へ向かうため一旦京都駅に戻る。

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奈良国立博物館・第61回正倉院展

2009年11月2日(月) 奈良国立博物館ではちょうど正倉院展の開催中、01 今年が第61回であるが、天皇陛下御即位二十年を記念し例年より名品の出陳数が多く開催期間も3日間長いとのこと。朝から盛況であるが平日のせいか行列や待ち時間はなく、無料のコインロッカーに荷物を預けることも出来る。11:00から見学を開始、出陳数は66点、宝物だけに名称が仰々しく、総てが漢字のため読み下すのに骨が折れる。例えば、小刀が「斑犀把緑牙撥鏤鞘金銀荘刀子(はんさいのつかりょくげばちるのさやきんぎんそうのとうす)」であり、絞り染めの帯が「紺地浅緑目交纐纈絁間縫帯(こんじあさみどりもっこうこうけちあしぎぬのまぬいのおび)」である。千年以上も前の品物だけに保存状態はまちまちであるが、宝鏡類(漆背金銀平脱八角鏡、平螺鈿背円鏡)や紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)、桑木木画棊局(くわのきもくがのききょく;寄木細工の碁盤)などは保存状態が極めて良好で、高度な技法が駆使された超一級の美術工芸品である。また、光明皇后直筆の「楽毅論」は第一回正倉院展以来の出展とのこと、美しくも力強い楷書体に皇后の人柄が偲ばれる。古文書類のコーナーにさしかかる頃には自由に身動きできないほど館内に人が多くなる。照明を落としてある上に、老眼が進んでいることもあり、何より漢文なので読もうとする気力が萎え退却、12:40売店で図録を購入して見学を終える。一服してから本館の平常展も鑑賞する。平常展は中国・朝鮮の渡来仏を含む仏像と、中国古代青銅器(坂本コレクション)が展示の中心であるが、その中に南円堂から寄託されている法相宗六祖像(いずれも国宝)のうちの二体がある。伝行賀像と伝神叡像であるが、南円堂では拝観できないだけに思いがけない嬉しい出合いである。他には、秋篠寺から寄託されている伝救脱菩薩立像と伝梵天立像(いずれも重文)は、元は伎芸天立像と一組の仏像であったとされるだけあって、彩色も当時のまま残り非常に美しい。14:10見学を終える。今日の奈良国立博物館と正倉院展は自分にとっての初めて物語、満足して会場を後にする。、

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日光レークサイドホテルの一夜

2009年10月16日(金) 今日の宿泊先は中禅寺湖畔の日光レークサイドホテル、明治27年(1894)創業の老舗ホテルである。Dsc09696奥日光にOBも利用できる会社の保養所があるので、これまでリゾートホテルとは全く縁がなく、これが初めて物語。16:00にチェックインし湖畔側の223号室に入る。湖畔の湯と名付けられた温泉は本館から50mほどの離れ、昔風の落ち着いた木造浴場である。早速夕食前に一風呂浴びに行く。泉質は含硫黄、カルシウム・ナトリウム炭酸塩泉で、源泉温度78℃、pH6.4とのこと、奥日光ならではの濁り湯である。日帰り入浴(1,000円)にやって来る人も多い。夕食はダイニングルーム華厳でフランス料理のフルコース、普段縄文時代の漁労採集生活のような質素な食事をしているので胃腸が吃驚しないとよいが・・・。まあ偶には豪華料理を食べても罰は当たるまい。前菜はコラーゲン入り特性テリーヌ、鴨の燻製、スモーク湯波(①)、スープはコンソメスープ・タピオカ浮かし(②)、魚料理はスズキのポワレ、ヴィネグレットソース蟹添え(③)、口直しが桃のシャーベット(④)、メインは霧降高原牛フィレ肉のポワレ・きのこソース(⑤)、デザートはパッションムースとメープルシフォンケーキに紅茶かコーヒー付き(⑥)、舌を噛みそうな料理に舌鼓、フランスパンもライ麦パンも美味しく満腹になる。料理長は金子眞一氏、ご馳走様でした。食後再び湖畔の湯へ、今晩は心ゆくまでリゾートホテルライフを楽しむ。(写真は上段左が①、右が②、中段左が③、右が④、下段左が⑤、右が⑥)Dsc09704_2 Dsc09705_2Dsc09706 Dsc09707 Dsc09709_2 Dsc09711_2 

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小川芋銭・河童の碑

2009年10月13日(火) 筑波山登山へ向かう途中の牛久市内で左折、Dsc09562以前から気になっていた「小川芋銭(おがわうせん)・河童の碑」に立ち寄ることにしました。左折地点から4㎞の道程は狭くくねくね、途中から道標も分りにくくなり辿り着くのに四苦八苦。入口に車数台が置ける駐車場があり、お手洗いも建っています。場所は牛久沼の畔の高台ですが、木立が邪魔して湖面は見えません。河童の碑は昭和26年、小川家をはじめ芋銭を敬慕する人たちによって建立されたもので、碑面には芋銭晩年の作である「河童図」と「誰識古人画龍心」の 文字が刻まれています。「改善一歩」と刻まれた道標の先へ進むと芋銭が最晩年を過ごDsc09568した居宅兼画室の「雲魚亭」が建っています。芋銭生誕120年記念にあたり、昭和63年小川家から牛久市に寄贈され、現在は小川芋銭記念館としてゆかりの品々が展示されているようです。屋内公開は土日・祝日のみで今日は見学できません。来る11月7日~23日、第3回小川芋銭展がシャトーカミヤ(牛久市内にある日本初のワイン醸造所)本館2階で開催されるとのこと、その折にでも再訪してとくと拝見させてもらうことにします。因みに、小川芋銭(1868-1938)は日本画家であり、牛久藩の江戸藩邸で武士の子として生まれました。初めは洋画を学び、後に日本画に転向、1893年以降住いとした郷里牛久村の田園風景、農村生活、河童などを扱った幻想的世界を題材に描き、独自の新南画的世界を確立しました。代表作に、「河童百図」、「沼四題」、「樹下石人談」などがあります。

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銀座テアトルシネマ

Dsc09094 2009年9月30日(水) 昨日春日部、今日銀座、明日は陸奥仙台へ・・・、自由人とは忙しいものである。銀座テアトルシネマで上映中の「あの日、欲望の大地で」(原題:The Burning Plain)を観る。昨年の第65回ヴェネチィア国際映画祭出品作品で、「バベル」「21グラム」の脚本家であるギジェルモ・アリエガの監督作品、何よりもシャーリーズ・セロンとキム・ベイシンガーの美人女優競演とくれば見逃せない。と、思って期待して出かけたものの内容はいまいち、現在と過去を行き来するプロット(脚本)を時系列的に眺めれば、平凡な不倫ドラマに過ぎない。Dsc09099 そして、シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)が34歳、最もセクシーな女性(2007年、米のエクスワイヤー誌選出)も盛りを過ぎつつあり、キム・ベイシンガーにいたっては55歳、「ネバーセイ・ネバーアゲイン」でボンドガールを演じた面影はもうない。美しく齢を重ねることは美人であっても、否、美人だからこそ難しい。映画の後、近くにある銀座アスター本店で昼食、ランチセットの桂花を注文する。食事後も雨降り止まず、銀ブラを諦め直帰。 

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鎌倉散策(金沢街道コース)

2009年9月10日(木) 朝一、6日の釣行記をブログにアップ、その後畑へ行って水撒き。10:30ホッキ飯のお握りを2個もらい鎌倉へ。P1100195 12:35鎌倉駅着、何時来ても鎌倉は人で一杯である。駅前からバスに乗って浄明寺で下車、早速拝観料を納め山門をくぐる。稲荷山浄明寺は臨済宗建長寺派に属し文治四年(1188)の建立、開基は源頼朝の重臣足利義兼(よしかね)で開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)である。鎌倉五山第五位の由緒ある寺で室町時代は境内に23の塔頭を持つ大寺院であったが、現在は衰退し、総門、本堂、客殿、庫裡が残るにすぎない。境内の最奥最上部の塔頭跡に洋風レストランが建ちイングリッシュガーデンまである。テラスでアイスコーヒーを飲んだが 何とも異質な空間、納経印を貰い早々に退散する。二箇所目は報国寺、P1100212名物の孟宗竹林の拝観料は200円である。功臣山報国寺も臨済宗建長寺派に属し建武元年(1334)の建立、開基は足利家時で開山は天岸慧広(てんがんえこう)である。竹林が有名で竹寺と呼ばれるらしいが、入ってみるとそれ程広いわけでもない。込み入り過ぎで少し間引いた方が涼感が出るのではと思うほど、そこにも竹林の奥に茶店があり繁盛している。鎌倉のお寺はどこも商売熱心である。坂東三十三観音霊場の第一番札所杉本観音は以前お参りしているのでパス、三箇所目の瑞泉寺へ向かう。 錦屏山瑞泉寺は臨済宗円覚寺派に属し嘉暦二年(1327)の建立、中興開基は足利基氏(もとうじ)で開山は夢窓疎石(夢窓国師)である。P1100259鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺として鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられた格式ある寺院で、鎌倉随一の花の名所といわれる。今は純白の芙蓉の花盛り、所狭しと咲いている。納経印をもらってから境内の藤棚の下で一服、持参のお握りを食べる。寺背の山の頂にある一覧亭に登りたかったが、登り口の池泉式庭園左奥の木戸は閉まっており立入禁止のようである。境内にある文学碑や歌碑をチェックする。大宅壮一や久保田万太郎の文学碑と並んで、 高崎市出身の歌人吉野秀雄の歌碑(「死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」)が建つ。P1100266以前高崎で暮らしていたとき、高崎市タワー美術館で開催中の「吉野秀雄生誕百周年企画展」を観賞した事(日記をめくると2002年12月6日)を懐かしく思い出す。「ふた方に浅間白根の噴きけむり直立つかもよゆく春の空」(吉野秀雄)、群馬県の山々が懐かしい。四箇所目は鎌倉宮、創建は明治二年(1869)と新しく、祭神は後醍醐天皇の皇子護良親王(大塔宮)である。社殿の後ろ手に親王最期の地と伝わる土牢が残るらしいがパス、市指定天然記念物のオガタマノキを見物し、拝殿でお参りしただけ で五箇所目の荏柄(えがら)天神社へ向かう。荏柄天神はP1100405長治元年(1104)の創建、祭神は菅原道真で古くは荏柄山天満宮とも称し、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並び日本三天神のひとつに数えられていたらしい。本殿は国の重要文化財である。石段を登りきると右手に市指定天然記念物のご神木、乳イチョウの巨樹が聳える。境内には尾崎迷堂の句碑も建つ。六箇所目は源頼朝の墓、小山の中腹に建つ。元は頼朝自身の持佛堂であった法華堂の跡で、現在の供養塔は薩摩藩第八代藩主島津重豪(しげひで)(1745-1833)が整備したものとされている。頼朝の墓所の右脇に「元祖島津豊後守忠久石塔道」と刻まれた石碑が建ち、その右手に山道が続いている。登ってみると崖の中腹に穿たれた岩窟の中に三つの墓が並んでいる。頼朝の側近で鎌倉府の政所初代別当の大江広元(1148-1225)、島津氏の祖島津忠久(生年不詳-1227)、大江広元の四男毛利季光(1202-1247)の墓である。傍らの墓碑に「奉寄進 玉垣兩所 石燈籠兩基 石盥盤一箇 安永八年(1779)己亥二月 薩摩中将源重豪」と刻まれている。 恐らく安永年中に頼朝の墓と一緒に整備されたものであろう。P1100415先祖墓を頼朝の墓より高処に造るなど、見様によってはこちらの方が立派である。七箇所目は宝戒寺、鎌倉一の萩の名所である。金龍山宝戒寺(天台宗)は建武二年(1335)の創建、開基は後醍醐天皇で開山は五代国師(円観慧鎮)である。到着したのが閉門10分前でゆっくり拝観はできなかったが、滅亡した北条一族の霊を弔うかのように境内一面に白萩が咲く。最後は鶴岡八幡宮、もう夕方の5時近くというのに修学旅行と思われる生徒がぞろぞろ参拝に訪れる。ここも白花の蓮池が美しい。今日は四ヶ寺、三社にお参りしてさすがに草臥れる。豊島屋本店でダイヤ糖を購入し17:16の成田空港行きに乗る。19:30帰宅、直ぐにうがいと手洗いを行う。

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男みちのく五能線

2009年9月4日(金) 5:00、地区のDsc08637チャイムで目が覚める。田舎の朝は早い。今日は五能線に乗って仙台に帰るだけであるが、一度ゆっくり訪れて十二湖巡りなどやってみたいもの。朝食の膳には、 魚の照焼き、イカの塩辛、ワラビの漬物、モロヘイヤのお浸し、きのこ汁など一般のホテル泊では味わえない家庭料理が並ぶ。8:30お土産にアオサノリと昼食用のお握りをもらい、十二湖駅へ車で送ってもらう(歩いても10分ほどか)。五能線下り弘前行きが到着すると、団体旅行客がぞろぞろ下りてくる。Dsc08653駅前には大型観光バス2台が待ち受けており、これから十二湖観光へ向かうのであろう。9:09発、車輌左側の座席に陣取る。五能線は鯵ヶ沢駅までは海岸に沿って走るので日本海を常時眺めることが出来るが、逆に海際から急激に立ち上がる白神山地は近過ぎるため拝めない。沿線風景は田畑が主で特にドラマチックな眺望が得られるわけではないが、目に優しい景色が続く。 9:40深浦駅着、深浦市は西津軽の中心地、江戸時代北前船の風待ち湊で栄えた街であるが、Dsc08659昨今の地方都市の例に漏れず元気がない。列車は景色の良い箇所にさしかかると何となくスピードを落としてくれるような気がする。ローカル線ならではの乗客サービスかも、JRも漸く民間会社らしくなったということであろう。 艫作(へなし)、驫木(とどろき)、風合瀬(かそせ)など 読み方の難しい駅名が多い。水森かおりが歌う「五能線」(作詞木下龍太郎、作曲弦哲也)に出てくるよ うな女人は車内に見当たらない。「どこへ行ったらあなたから旅立つことが出来るでしょうか Dsc08667残りの夢を詰め込んだ鞄を膝に列車旅 女みちのく五能線 窓いっぱいに日本海・・・」。五能線にはリゾートしらかみ号のような新型電車より、一、二輌編成の旧式電車のほうがよく似合う。途中から降雨、岩木山も雲に隠れ裾野しか見えない。鯵ヶ沢駅に到着すると日本海の景色ともお別れ、それにしても地方都市の寂れようは只事ではない。駅前といえども閑散、建物も人も皆くたびれていて全く活気がない。列車は広々とした津軽の野に出る。リンゴ畑も現れる。岩木川を渡ると間もなく五所川原駅に着く。Dsc08687今年の夏も五所川原名物の立佞武多(たちねぶた)が多くの観光客を魅了したことであろう。岩木山から漸く雲が取れる。あの山頂に立ったのは去年の夏のことであるが、遠い昔のように懐かしい。周りは見渡す限りのリンゴ園が続くようになる。たわわに実るリンゴは収穫を待つばかり、陸奥板柳駅前にはリンゴ用の大型冷蔵貯蔵庫も見える。12:14弘前駅に到着、3時間の五能線の旅が終わる。さほど旅情をかき立てられる訳でもなし、最果てという感じでもしないし、どちらかといえば平凡なローカル線である。まあ、本当の良さは途中下車し、不老ふ死温泉などに寄り道しないと分らないのであろう。昨年同様、駅ビル内のドトールコーヒーでアイス・バニラ・ラテを飲みながら休憩、序にもらったお握りを食べる。12:40の秋田行きに乗り13:28大館着、名物の明けがらすを土産に買い13:49発の花輪線盛岡行列車に乗り込む。

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松島散策(円通院・観瀾亭・雄島)

2009年8月28日(金) 榴ヶ岡駅11:39の電車で松島散策へ。松島駅で降り真っ直ぐ円通院へと思ったが、その手前の瑞雲峰天麟院に立ち寄る。伊達政宗の長女五郎八(いろは)姫の菩提寺であり、65歳から亡くなるまでの3年間を過したお寺である。三陸三十三観音霊場第二番札所でもあるが拝観は無料、今時奇特で有り難い。臨済宗妙心寺派に属し御本尊は江戸時代中期作の釈迦如来坐像である。Dsc08288境内で総高6m、イタリア産大理石製の子育水子地蔵尊を拝観してから、墓地の石段を登り最奥の高台に建つ五郎八姫の霊屋(墓所)にお参りする。傍らの説明には「万治元年五月八日没、享年六十八歳、法諡を天麟院瑞雲全祥尼大姉と号す」とあるが、寛文元年(1661)の誤りではないか。徳川家康の六男である高田藩六十一万石の領主松平忠輝の正室に納まりながら、忠輝改易に伴い離縁され、後半生は仙台近郊で暮らしたという薄幸の佳人である。 説明の続きを読む。「寛文三年(1663)伊達家四代綱村によって霊屋が創建され、瑞巌寺百世天麟院開山洞水和尚の書になる『定照』の扁額が掲げられた。明治二年霊屋が解体、明治二十二年十四代伊達宗基伯爵の墓銘になる墓が建立され、仮霊屋として現在に至る」。こんな所に五郎八姫の墓所があったとは・・・、燈台下暗しというか迂闊にも今日初めて気がつく有様、装飾の殆どない仮霊屋は質素で地味であり、瑞巌寺にある愛姫(めごひめ)の絢爛豪華な霊屋とは雲泥の開きがある。五郎八姫は亡くなってからも幸薄い。せめてもの慰めは側に聳える樹齢350年というハリモミの大樹、霊屋創建時に植えられたもので松島町の天然記念物であり、Dsc08284姫の廟所を護るかのように立ち続ける。墓地の左手に更に石段があり、 それを登った高台には宮城県指定重要文化財の日吉山王神社が建つ。由緒書きには、「天長五年(828)慈覚大師が延福寺(瑞巌寺のこと)創建のとき、その護神として近江坂本の山王社の分霊を勧請し、天竜庵(五大堂向いの小高い丘)のほとりに祀ってあったものを、寛永十七年(1639)時の瑞巌寺住職雲居禅師によって現在の地に祀られたが、宝永八(1711)年とその後数回にわたり修復が行われた。社殿は江戸時代中期の秀作とされ、昭和43年春、本殿拝殿が修理された。主祭神大山咋神(おほやまくひのかみ)、相殿に国常立神(くにとこたちのかみ)、日仲彦神、伊弉神を祀る」とある。氏子に地元の有力者が多いようで今も修復工事の最中である。お参りしてから円通院へ。Dsc08296 臨済宗妙心寺派円通院は三陸三十三観音第一番札所であり、伊達政宗の嫡孫光宗君の菩提寺、松島の名庭園として有名である。瑞巌寺は何回も拝観したが円通院に入るのは初めてである。拝観料は300円、山門をくぐると直ぐ左手に縁結び観音が祀ってあり、数多の善男善女が奉納したミニこけしが並んでいる。名庭園と謳うだけあって石庭と苔庭は美しく、竜安寺と西芳寺をミックスしたような感じ、光宗君の霊屋三慧殿(さんけいでん)は二代藩主忠宗により建立されたもので、国の重文に指定されている。その内に納まる宮殿型厨子は豪華絢爛華麗、中には馬上束帯光宗像と殉死した7人の像が祀られている。厨子の図案には、支倉六右衛門常長が Dsc08301西欧より持ち帰った様々な文様、例えば洋バラ、水仙、トランプ模様が随所に施されている。三慧殿は正保三年(1646)の建立以来、鎖国制度を施行していた徳川幕府の嫌疑を避けるべく開扉されることはなかったといわれる。伊達家350年の秘蔵と謳っているので公開されたのは近年のことと思われる。三慧殿の右奥には700年前の洞窟群があり、その内部には数多くの墓石や供養塔が立ち並ぶ。伊達家一族のものと思われるが幽玄な雰囲気の場所である。 建武五年(1338)記銘板碑、寺院には珍しい洋バラ園、樹齢700年のオンコ(イチイ)の大樹などを見物してから本堂の大非亭に至り、御本尊の木造聖観世音菩薩像(鎌倉時代の作、松島町指定文化財)にお参りする。大非亭は光宗君の江戸納涼の亭を正保四年(1647)海路で運び移築したもの、室内では数珠作り体験とて大勢の人が励んでいる。どこのお寺さんも最近は商売熱心である。Dsc08338冷たい麦茶をいただきながら円通院紹介ビデオを観る。ツアー旅行の駆け足拝観ではないのでマイペースでゆっくりできるのが良い。三箇所目は観瀾亭、併設の松島博物館と合せて拝観料は200円である。中里介仙の「大菩薩峠」の中で観瀾亭の襖絵が絶賛されているので大いに期待して入ったが、抹茶(400円)を注文しないと座敷には上りにくい雰囲気、縁の外から透き見するだけではじっくり観賞することは難しい。この建物は元々京都伏見桃山城内の一棟で、文禄年中に政宗が秀吉から拝領し江戸品川の藩邸に移築したもの、それを二代藩主忠宗がこの地に更に移築したものである。東北唯一の純桃山建築と謳う建物は茅葺の質素なもの、但し、床の間、Dsc08340 襖、障子腰板を飾る極彩色の林木花卉と渓流図は壮麗、伊達家お抱えの狩野派絵師(一説では狩野法眼山楽の筆)の作と見られている。今日は蒸し暑いがさすがは納涼亭、海風が通り心地好い。松島博物館には伊達家の大名道具等ゆかりの品々が展示されている。正面入口は閉鎖されており観瀾亭側から入館するようになっているが、以前は独立していたのであろう。現在、特別展示として武田信玄自筆書状と伊達政宗自筆書状が陳列されているが全く読めない。内容の説明書きが欲しいところ、これでは全く有難味が伝わらない。他には青葉城本丸上段の間の金張付に描かれていたという「仙台城本丸障壁画鳳凰図」、旧瑞宝殿の「手水盤」、同じく「阿吽の龍」などの見所がある。ここには歴女も訪れず静かなものである。最後は、芭蕉と曾良が訪れた雄島へ行く。Dsc08378 雄島は、新古今和歌集に「立ち帰り またも来てみん 松島や 雄島のとまや 浪にあらすな」(藤原俊成)、「心ある 雄島のあまの 袂かな 目やどれとは ぬれぬものから」(後鳥羽院の宮女源師光の女)と詠まれているように、歌枕として昔から有名である。元禄二年五月九日(1689年陽暦6月25日)、芭蕉と曾良は塩釜から船で松島海岸に着き、瑞巌寺に詣でた後雄島を訪れている。当時は道心者や隠者が庵を結び修業に励んでいた松島随一の霊場も、今は多くの岩窟に佇む石仏や卒塔婆が往時の面影を伝えるのみ、訪れる人も少なくひっそりとしている。渡月橋を渡り、真珠稲荷、座禅堂(把不住軒)、頼賢の碑(国指定重要文化財)、芭蕉句碑「朝よさを誰まつしまぞ片心」、曾良句碑「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」、妙覚庵敷、見佛堂跡と一通り島内を巡る。現在は通俗的観光地のイメージが強い松島であるが、旧蹟を訪ねてみると当時は東北有数の大霊場だったことが判る。16:20松島駅に戻る。

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特別展「知られざるタオの世界・道教の美術」

01 2009年7月29日(水) 日本橋の三井記念美術館(三井本館7階)で開催中の「道教の美術」展を鑑賞する。道教は、日本でいえば神道にあたり、不老長寿や福(子孫繁栄)・禄(地位向上)・寿(健康長命)といった現世利益を願う中国の民俗宗教である。道教の神々には、天界の最高神とされる元始天尊、霊宝天尊(太上道君)、道徳天尊(太上老君)の三清(さんせい)と、三清を補佐する玉皇上帝、北極紫微大帝、鉤陳天皇大帝(こうちんてんこうたいてい)、后土皇地祇(こうどこうちぎ)の四御(しぎょ)、星辰日月や山川草木のような自然界の神々、十王のような冥界の神々、神仙思想による神話伝説上の人物、霊獣・怪獣のような架空の動物、歴史上の人物(関羽、鐘馗、媽祖)などがあり、およそ世俗の願いを叶えてくれそうな多種多様な神々が祀られる。老荘思想の祖である老子(=太上老君)を教祖として神格化し、経典「道蔵」を編纂し、道教像(道像)を作り、道観を建立するなど、仏教に習って組織と体裁を整え、儒教などとも習合しながら、中国独自の宗教として発展してきたものである。現代に至っても中国人(漢民族)の人生観・世界観の根幹をなしているとのこと、以上はパンフレットや解説文の要約である。組織だった宗教としては導入されなかったため日本では馴染みが薄いが、役の行者を開祖とし蔵王権現や不動明王を祀る山岳修験道、陰陽道として展開された暦法や占星術、青面金剛尊を祀る庚申信仰、北極星または北斗七星を神格化したとされる妙見菩薩信仰、七福神のひとつで南極老人星(竜骨座の主星カノーブス)の化身とされる寿老人(福禄寿)信仰、七夕祭り、恵方(えほう)など道教由来とされる信仰や習俗は数多く、現代に受け継がれているものもある。慣れないものを見てすっかり疲れたので、帰る前に1階にある千疋屋のパーラーに入り、名物のソフトクリームで一息入れる。

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剱岳・点の記

Dsc07572 2009年7月22日(水) つくばエクスプレス流山おおたかの森駅前のSC三階にあるシネコン、TOHOシネマズで、「剱岳 点の記」を家人と鑑賞する。毎週水曜日はレディス・デーなので家人は1,000円、自分はシニア(60歳以上)で1,000円の積りで出かけたが、ペアの片方が50歳以上であればいつでも2人で2,000円とのこと、何のこっちゃ。原作は新田次郎の同名小説であるが、映画が原作を超えるのは難しい。役者を揃えてはいるが、浅野忠信も香川照之も山屋の足の運びではないし・・・、それにあれほどの雪崩や滑落事故に遭えば全員無事でいられるはずもない。新田次郎の小説は、小説といいながらもノンフィクションに近く、淡々としているので、そのまま忠実に映画化しても面白みに欠けるかもしれないが、原作にないことを付け足して、その結果が軽佻浮薄な印象を与えるようでは仕様がない。まあ、それはともかく、原作も読んだし、映画も観たしで、あとは老骨に鞭打って剱岳に登るだけ、さていつにしよう。 

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父の日プレゼント

2009年6月20日(土) ロシア旅行から帰ってきたら、娘と息子から父の日プレゼントが届いていました。娘からはTHE NORTH FACEのシャツ、御殿場のアウトレットで調達してきたようです。妻が買ってくるユニクロやしまむらのものと違ってゆったりと着心地がよく、大きい胸ポケットが2つ付いているので趣味の山歩きや旅行に重宝します。これは嬉しい。息子からは地ビール8本、萌木の村株式会社八ヶ岳ブルワリー製の清里ラガー、ピルスナー、デュンケル、プレミアムロック・ボック各2本のセットです。そこの醸造長のYさんは25年来の知り合いで、超一流のビール職人です。事実、全日本国際酒類振興会主催の2006年全国酒類コンクール「地ビール部門」で見事第一位の栄誉に輝いています。これも嬉しい。父の日や誕生日にプレゼントをもらうのは嬉しいことですが、後のことを考えると単純に喜んでばかりはいられません。先楽後憂というか、5倍返し、10倍返しは当たり前の世界、時には100倍返しもあるかと思うと、複雑な思いがあります。Dsc06840 Dsc06844

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エルミタージュ美術館

2009年6月10日(水)14:45~18:00 宮殿装飾巡りの後で、西欧美術作品を中心に鑑賞。イタリア美術部門では、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ベヌアの聖母」と「リッタの聖母」、P1090491ティツアーノの「ダナエ」と「悔悟するマグダラのマリア」、ラファエロの「コネスタビレの聖母」と「聖家族」、ミケランジェロの「うずくまる少年」、カラバッジオの「リュートを弾く若者」、マッシモ・スタンツィオーネの「クレオパトラの死」、アントニオ・カナレットの「フランス大使のヴェネツィア到着」など。スペイン美術・フランダース美術部門では、ゴヤの「アントニア・サラテの肖像」、レンブラントの「ダナエ」と「フローラ」と「放蕩息子の帰還」、グレコの「使徒ペテロとパウロ」など。19~20世紀ヨーロッパ美術部門では、セザンヌの「セント・ヴィクトワール山」、モネの「ジヴェルニーの干草」、ルノワールの「扇子を持つ女」と「ジャンヌ・サマリーの肖像」、コローの「牛を追う農夫」、ゴッホの「わらぶき屋根の小屋」と「ライラックの潅木」と「エッテンの庭の思い出」、ゴーギャンの「果実を持つ女」、マティスの「ダンス」、ピカソの「農夫の妻」など。超一級の作品をへとへとになるほど堪能する。なお、エルミタージュ美術館のウエブサイト「The State Hermitage Museum」(www.hermitagemuseum.org)は、わざわざロシアまで行かなくてもよい位充実している。(写真は「クレオパトラの死」)

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飛鳥山公園

2009年5月20日(水) 旧古河庭園Dsc06228から上中里駅へ戻る途中、和菓子屋平塚亭に立ち寄り柏餅を仕入れる。そして平塚神社に参拝する。平塚神社は、平安後期の元永年中(1118-1119)創建とされる古社で、八幡太郎源義家命、加茂次郎源義綱命、新羅三郎源義光命の三柱を祀る。時間があるので、上中里駅前から王子駅へ延びる飛鳥の小径を歩いて飛鳥山公園へ。 東京の桜の名所だけあって、桜樹が鬱蒼たる緑陰を作る。公園の一角にある旧渋沢庭園を訪ね、国指定重要文化財の「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」を見学する。旧渋沢庭園は、日本資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一(1840-1931)が、Dsc06223明治12年(1879)から亡くなる昭和6年(1931)まで、初めは別荘として、後には本邸として住まいした「曖依村荘(あいいそんそう)」跡である。住居等の主要部分は昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまい、 晩香廬と青淵文庫の2つの小建築物だけが昔の面影をとどめている。晩香廬は大正6年(1917)の建築で、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝い、合資会社清水組(現清水建設㈱)の清水満之助が長年の厚誼を謝して贈った小亭である。因みに晩香廬の名は、バンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。青淵文庫は大正14年(1925)の建築、渋沢栄 一(号・青淵)Dsc06232の傘寿(80歳)と子爵に昇爵した祝いに、門下生の団体「竜門社」より寄贈された建物である。渋沢の収集した論語関係の書籍の収蔵と閲覧を目的とした書庫として建てられたが、書籍類が関東大震災で焼失してしまったため、実際には内外の賓客の接待に使用された。公開はどちらの建物も毎週土曜日の12:30~15:45のみ、残念ながらここも内部の見学は出来ない。懐かしの王子駅に出て、懐かしの都電に34年ぶりに乗る。昭和44年(1969)春に上京し、勤め先の事業所に通うのに6年半利用した駅と都電である。いつしか40年の時が流れ王子駅界隈も様変わり、それにしても懐かしい。都電で町屋に出て、千代田線に乗り換える。

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旧古河庭園

2009年5月20日(水) 東京都北区にある旧古河庭園へ今が盛りの春バラ鑑賞に出かける。Dsc06129 パンフレットには、「庭園は武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。この土地はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、宗光の次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました(当時の建物は現存していません)。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に多大な貢献をした英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852-1920)です。日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川Dsc06167治兵衛(1860-1933)で、洋風庭園 に勝るとも劣らない魅力的な名園を造り上げています。旧古河庭園は、大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在であり、平成18(2006)年1月26日に国の名勝に指定されました」とある。入園料は一般150円、良心的な価格である。平日にも関わらず見学者が多く、園内にはむせるようなバラの香りが漂う。洋館の周囲や洋風庭園には何十種類ものバラが植えてあり、中には珍しい青バラ系統の品種も見られる。青の軌跡(作出年:2008年、開発国:日本)、アブラカタブラ(1993、米国)、王朝(1983、日本)、オーナー(1980、米国)、Dsc06209オクラホマ(1964、米国)、ガーデンパーティー(1959、米国)、乾杯(1984、日本)、クレオパトラ(1994、独)、香貴(1995、日本)、ゴールデンメダイヨン (1984、独)、紫雲(1984、日本)、ジッフェ(1982、独)、シャルルドゥゴール(1974、仏)、朱王(1982、日本)、シルバースター(1964、独)、スターリングシルバー(1957、米国)、ダイアナプリンセスオブウェールズ(1999、米国)、デザートピース(1992、仏)、ニューアベマリア(1983、独)、熱情(1993、日本)、初恋(1994、日本)、パパメイアン(1963、仏)、ビッグドリーム(1984、米国)、フラグラントレディ(1991、仏)、ブルームーン(1964、独)、Dsc06212 フレンチレース(1982、米国)、マサコ(別名エグランタイン、1994、英)、ルージュメイアン(1983、仏)、レオニダス(1995、仏)、レディメイアン(1983、仏)、ロイヤルハイネス(1962、米国)、ロイヤルプリンセス(2002、仏)、わたらせ(1977、日本)、・・・・・。33種類を数えたところで力尽きたが、とにかく華やかなものである。心字池を中心にした日本庭園も落ち着いている。十三重塔や奥の院型灯篭のフォルムが良く、崩れ石積と茶室の景色も捨てがたい。洋館内も見学したかったが、往復はがきによる事前申込が必要とのことで叶わず。ベンチが全部埋まっているので休む場所もなく、一巡して引きあげる。(写真のバラは、上がクレオパトラ、下が初恋)

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国営ひたち海浜公園

2009年4月20日(月) いばらきの花名所、 国営ひたち海浜公園Dsc05704の最大の売り物といえば、みはらしの丘一面をライトブルーに彩る450万本のネモフィラの花。そのネモフィラが今年は早くも見頃を迎えているとのこと、早速見物に出かける。ネモフィラ(瑠璃唐草)はハゼリソウ科(APG分類体系ではムラサキ科)の一年草で北米原産、みはらしの丘に植えてあるのは、ネモフィラの中でもインシグニズブルーという品種で、その花姿と色からベイビー・ブルー・アイズ(赤ちゃんの青い瞳)と呼ばれている。自宅からひたち海浜公園まで約100㎞、柏ICから常磐道 と北関東道を走ると2時間弱で到着する。J・Hの駐車場に車を置き、入園料400円を支払い、Dsc05786西口・翼のゲートから入園する。最初に、たまごの森フラワーガーデンで163品種26万本という 広大なチューリップ園を見物。チューリップは今が花盛りで、ムスカリーとの競演や配色も見事であるが、アカマツ林の林間に何箇所かに分けて植栽してあるため、開放感や広がりはあまり感じられない。景色はあけぼの山農業公園の方に軍配が上る。みはらしの丘のネモフィラの眺めはさすがに圧巻、関東では秩父・羊山公園の芝桜の眺めと双璧か。羊山公園は武甲山を借景にして雄大だが、こちらの背景には太平洋の壮観がある。見晴らしの丘の 頂に登り、常陸那珂港や阿字ヶ浦の海岸線と太平洋とを見渡す。今日は曇りで遠望はいDsc05718まいち、近くの高鈴山が見える程度で、西の那須連山や南の富士山は望めない。里の家に下りて囲炉裏端に座り一休みした後、スイセンガーデンを通り抜けて、ひたちなか自然の森へ行く。583品種100万本もあるという水仙の花は遅咲きの品種を除けば終わりかけている。ひたちなか自然の森は、里山の自然をなるべくそのままの形で残しているというアカマツ林、きのこの観察にも良さそうな所である。今日はマツの立枯れにヒトクチタケを認めたに過ぎないが、季節が進めば色々な茸が出るかも知れぬ。そのうち又観察に来て見よう。2時間ほど園内を歩き回って納得したので引き揚げる。西口を出た所にある露店でお土産に「ネモフィラの風」なるお菓子を買う。

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松ヶ崎城跡とあけぼの山農業公園

Dsc055822009年4月16日(木)  北柏駅近くの松ヶ崎城跡が今日から史跡公園として公開されるというので、早速訪ねてみる。柏市指定文化財(平成16年7月1日指定)である松ヶ崎城跡は、手賀沼西端の舌状台地の先端部に造られた戦国時代の中世城館跡で、城主は不明であるが、戦国時代の15世紀後半から16世紀前半頃の築城と考えられている。行ってみるとまだ整備が始まったばかりで満足な遊歩道すらない。主郭の周りに柵を巡らす工事が漸く終了したところで、至る所に伐木や木の根が転がっている。来園者はちらほら、肝心要の手賀沼の景色もビル群に遮られてDsc05587 見渡せない。仕様が無いので、あけぼの山農業公園へ。平日にもかかわらず農業公園の方は大盛況である。それもそのはず、入園、駐車場、フィールドアスレチック、レンタサイクルなど全て利用料がかからず、安近短のレジャーを楽しむには最高のスポットである。今はチューリップと菜の花と八重桜が花盛り、地場野菜や草餅を商う露店もある。天気は良いし、花は綺麗だし、ゆべしは美味しい。どうやら今日も無事、申し分ない。

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この樹何の木?

Dsc055622009年4月13日(月) 落葉高木で、葉の付き方は対生、奇数羽状複葉のようです。芽だしが紅く華やかなこと、まるで花が咲いているように見えます。手持ちの図鑑で調べても名前が判りません。ご存知の方があれば是非ご教示ください。

→早速whiteさんから「栴檀(せんだん)」ではと教えてもらいました。ありがとうございました。

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常盤平さくら通り(松戸市)

Dsc05329 2009年4月4日(土) 春爛漫、今日は妻とふたりでお花見を兼ねたサイクリング。手始めは近所の廣池学園、時間が早かったこともあり人出はまばら、静かで上品なお花見を楽しみました。次いで松戸市の常盤平さくら通りへ。「日本の道百選」にも選ばれているさくら通りは、新京成電鉄五香駅から八柱駅間の3.1㎞。通りの両側は文字通りの桜並木で、630本のソメイヨシノやオオシマザクラが作るサクラのトンネルは圧巻、素晴らしい!。常盤平駅の有料駐輪場に自転車を預け、五香駅までの間を歩き、お祭り気分の賑やかなお花見。土曜日とあってDsc05320通りは人、人、人で埋め尽くされ、 まるで松戸市民総出の如き観を呈す。それに加えて道の両側には、全国津々浦々から集まる露天商の屋台が、隙間もなくびっしりと連なる。間断なく飛び交う威勢の良い呼び込みの声につられて、つい長崎発いわしげんこつや山形直送玉こんにゃく、そして山形牛入り本場芋煮や搗きたての納豆餅、更にさつまスティック、どこやらのゆべし・・・と次々に引っ掛かっては食べ歩き。道交法遵守のため生ビールはじっと我慢。さくら通りも尽きるところの八百屋で、珍しいコゴミと間引きメロンを購入し、今度は裏通りを歩いて常盤平駅へ戻りました。

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真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)

2009年3月30日(月) 天気が良いDsc05163ので家族3人でお花見に出かける。行き先は市川市真間の弘法寺、境内にある伏姫桜(ふせひめざくら)が満開なそうな。 自宅から17㎞、弘法寺は住宅地に囲まれた高台に建つが、アクセス道路が狭く辿り着くのに四苦八苦。20台位の駐車スペースは当然満車であったが、帰る車があって辛うじて後釜に納まる。お目当ての伏姫桜は樹齢400年を越すシダレザクラの古木、樹勢今なお盛んで枝張りも見事である。カメラを手にした見物客が引きもきらず、平日とは思えぬ人出、それを目当てに沢山の露店も並ぶ。市川市教育委員会の説明板には、「弘法寺は、奈良時代、Dsc05170行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりであり、その後平安時代、弘法大師が七堂を構えて真間山弘法寺とし、さらにその後天台宗に転じたとされる。鎌倉時代、この地に及んだ日蓮の布教を受けて、建治元年(1275)、 時の住持了性(りょうしょう)が日蓮の弟子で中山法華経寺の開祖日常(にちじょう)との問答の末やぶれ、日蓮宗に転じ、日常の子で六老僧の一人日頂(にっちょう)を初代の貫首としたと伝える。鎌倉末期の元亨三年(1323)には千葉胤貞により寺領の寄進を受け、延文三年(1358)の日樹置文(にちじゅ・おきぶみ)によれば葛飾郡一帯や千田庄(多古町)に多くの寺領や信徒を擁していたことが知られる。また室町・戦国時代には山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展し、賑わいをみせていた。天正十九年(1591)、徳川家康より朱印地30石を与えられ、元禄八年(1695)には水戸光圀も来訪したと言われる。明治二十一年(1888)の火災のため諸堂は焼失してしまったが、明治二十三年(1890)に再建され、Dsc05138現在に至っている。境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天をまつる太刀大黒尊天堂、 水戸光圀が賞賛して名づけたといわれる遍覧亭、袴腰の鐘楼、仁王門、伏姫桜とよばれる枝垂桜があり、小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある」とある。伏姫桜を堪能してから境内を一巡し、太刀大黒尊天堂や里見龍神堂に参詣する。更に、伝説の美女、真間の手児奈(てこな)を祀る山麓の手児奈霊堂にもお参りして引き揚げる。帰路、イオン柏ショッピングセンターに寄り、インド料理専門店のガネーシャ・ガルでカリーランチの昼食。

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廣池学園

2009年3月28日(土) 今日も花冷え、2月下旬から3月上旬の気温がここ数日間続いている。例年ならこの時期満開の廣池学園のサクラも、ソメイヨシノはまだ2分咲きといったところ、花見客の少ない園内は静かである。イチョウの大木の下、ツツジの植込みの中を覗きこみ、今年もトガリアミガサタケが群生していることを確かめる。サクラの見頃は来週末くらいか、出直すことにして学園を後にする。Dsc05115 Dsc05114

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松島四大観・多聞山

2009年1月16日(金) 12:00多聞山駐車場着、辺りは公園風に整備され昔の素朴な面影は失われている。Dsc04488 山頂に葉衣(ようえ)観音を祀る深山権現社があるが、これは個人のお社で、七ヶ浜町代ヶ崎浜の伊藤家の氏神様とのことである。この辺りの地主か網元か、ともかくも有力者であろう。因みに、葉衣観音は変化観音のひとつで帝釈身を現わすらしい。山頂から少し下って、毘沙門堂が建つ松島四大観展望所へ。そこは海面が近いだけに景色が一層鮮やかである。傍らの説明板には、「多聞山 多聞山は標高56メートルの景勝地で、多聞天像を安置する毘沙門堂があるので多聞山と呼ばれるようになった。多聞山は眼下に馬放(まはなし)水道、塩釜港を臨み、松島湾の南部景観の好点を占め大高森、富山、Dsc04483 扇谷と合せ松島四大観として知られ、多聞山からの景観は美観と称されている。多聞山の美観は、大小の島々が名園の配石の様に所を得て、その姿態、色調が巧妙であり、富山、大高森の遠景がよく調和された一幅の大観となり、老松の間から展望されるところにある。馬放島と地蔵島が脚下に横たわり、老松の間から抜け出た白色の灯台と海の青とが調和し、前面に点在する島々が、松の緑を競い、東方洋上ははるかに、霊峰は金華山を望み、北方に松島湾の全景を遠望し、更に山頂からは雄大で変化に富む景観の転回を楽しむことができる。多聞山を海上から望見するのもまた、一興である。馬放水道からそそり立つ山のたたずまい、Dsc04481老松の美しさ、林間に穏見する古さびた 毘沙門堂も奥ゆかしく、訪れる人を楽しませている地でもある。七ヶ浜町・七ヶ浜町観光協会」とある。仏教では、多聞天はじめ四天王は世界の中心に聳える山・須弥山を守る役目を担っており、須弥山において帝釈天に仕えると言われているので、多聞山を須弥山に見立て、山頂に帝釈天(ここでは葉衣観音)を祀り、北面の中腹に毘沙門堂を築いて多聞天を祀るようになったものと思われる。もしかしてもっと昔は、中腹の東西南北に御堂が建ち、東の御堂には持国天像、西には増長天像、南には広目天像が祀られており、また山名も帝釈山と呼ばれていたのでは・・・などと想像を逞しくしながら多聞山を後にする。帰路、南蒲生の松林に立ち寄り、伐採されたばかりのサクラやニセアカシアの丸太を拾う。

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松島四大観・富山

2009年1月16日(金) 榴ヶ岡駅前のコンビニで買ってきた日経新聞をゆっくり読んでから松島四大観の富山へ出発、マンションでの一人暮らしはなかなか快適である。Dsc044771時間ぴったりで富山観音入口の駐車場に着く。風邪が冷たい。前回ここに来たのは10年前(1998年8月16日)であるが、いつの間にか参道の石段が立派に修復されている。山頂に建つ観音堂も仁王門も最近立て替えられたようで真新しい。特に朱塗りの観音堂は派手派手、以前の古色蒼然たる御堂の床しき面影はどこにもない。観音堂を取り巻いて鬱蒼と繁っていた老杉は伐られ、延宝六年(1678)銘の石灯籠は崩れ落ち、五郎八姫の像も打ち捨てられている。建物は新しくなったがこれでは罰当たりでは、むしろ境内には荒んだ雰囲気が漂う。松島四大観のひとつとしてこれから大々的に打って出て、観光客を呼び込もうというのかも知れないが、感心しない。Dsc04467 東屋から昔と変わるところがない松島の景色をほっとしながら眺め、観音堂にお参りしてから、もうひとつの四大観・多聞山へ向う。因みに、平成13年9月松島町教育委員会作成の説明板には、『松島町指定文化財・富山観音堂(The shrine of Avalokitesvara) 観音堂は、坂上田村麻呂が大同年間(806-810)に慈覚大師作の観音菩薩像を安置したと伝えられ、石巻市牧山、涌谷町篦嶽(ののだけ)とあわせて奥州三観音として信仰されてきました。堂は、伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)が貞応三年(1654)に改修させたもので、方三間、屋根宝形造瓦葺で、石積みの基壇は珍しいと言われています。東方にある梵鐘(宮城県指定文化財)は明暦三年(1657)に五郎八姫によって寄進されたものであります。堂の南東下には、瑞巌寺第100世洞水和尚が開山した大仰寺があります。富山は、標高116.8mで、文政六年(1823)仙台藩の儒学者舟山万年が松島湾を眺望するに最も素晴らしい松島四大観の一つ「麗観」と紹介しています。』とある。

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梅ヶ瀬渓谷

2008年11月26日(水) 今日は家人を伴い養老渓谷の紅葉見物。9:30出発、R16、館山道、R297を走る。Dsc03888途中、道の駅「あずの里いちはら」で休憩、“煮いちじく”と“むかご”を購入する。 12:10小湊鉄道養老渓谷駅到着、駅近くの路上スペースに駐車する。初めは中瀬遊歩道を軽く歩き、清澄寺にお参りに行く積りであったが、案内図に「梅ヶ瀬渓谷」という名前を見つけ急遽予定を変更、一日ハイキングに切り替える。梅ヶ瀬渓谷最奥にある「日高邸跡」は千葉県有数の紅葉の名所らしい。駅から梅ヶ瀬渓谷入口まで車道を2㎞歩き、渓谷入口から日高邸跡まで谷底を3㎞歩く。渓谷は梅ヶ瀬川の浸蝕作用により形成されたものであるが、谷の両側に断層が30mもの高さで聳え立つ。Dsc03913整備された遊歩道などはなくて山道であり、浅い水の流れを踏み石で何回も徒渉し、両岸を登ったり下ったり高巻きしたりへつったりする。ハイカーの殆どはリュックに登山靴の本格的装備、当方はウォーキングシューズのため難儀する。谷筋の紅葉はいまいち、紅葉まつりも23日に始まったばかりである。倒木が多く湿っぽいのでナラタケが出ている。きのこ採りをしながら進むと14:00ようやく日高邸跡に着く。そこは小広い台地で3本の大モミジの木が生えている。枝先を彩る紅葉も申し分なく美しいが、一面に散り敷いた紅葉が大地を紅に染める様がなんといっても素晴らしい。なるほど見事な景色である。それにしてもこんな谷の奥に屋敷跡とはと不思議に思い、傍らに立つ千葉県環境部自然保護課作成の説明板を読む。日高邸跡とは日高誠実(のぶざね)という篤志家の屋敷があった所であり、そのプロフィールは「天保七年(1836)日向国高鍋藩士の家に生まれる。元治元年(1864)江戸に再度遊学し、Dsc03905帰藩後藩校明倫堂の教授となる。 明治5年(1872)陸軍省に出仕、勝海舟、山県有朋、伊藤博文らと親しく接する。明治18年(1885)市原市大久保に188町4反の官有地の払い下げを受ける。明治19年(1886)陸軍を辞し、人生の後半を理想郷の建設にかけるべく、市原市大久保の地に居を移した。そこは標高296mの大福山山麓の仙境であり、誠実の夢はここに大和国月ヶ瀬に匹敵する東海の名勝地を作ることであった(梅ヶ瀬という地名も月ヶ瀬をもじったもの)。 誠実はウメ、ダイダイのほか1600本余をDsc03925植樹した。誠実が梅ヶ瀬で計画した事業は、梅林の造成、林業、牧畜、養魚などであった。明治21年(1888)誠実は居宅の裏に梅ヶ瀬書堂を建て、講師を招いて近隣の子弟に国漢、英数、書道、剣道を教えた。書堂の全盛時には、市原、君津、長生、山武、夷隅の5郡に及ぶ師弟が学び、多くの地方人材を輩出した。塾生は延べ千人にも及んだと言われる。大正4年(1915)享年80歳で生涯を終える。」とある。当地に日高翁の顕彰碑が幾つも建てられており、今尚地元の人々に尊敬されている御仁である。邸跡のベンチに坐り稲荷寿司を食べる。房総半島最深部の紅葉を心ゆくまで味わってから往路を引き返す。車に戻ったのは15:45、日本三大虚空蔵尊の千光山清澄寺お参りは又の機会にして家路に着く。

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塔のへつり・大内宿

2008年11月10日(月) 芦ノ牧温泉不動館小谷の湯に前日から宿泊、熱い温泉が効いたのか久し振りにぐっすり眠る。7:30朝食、2階の大広間に下りる。アジの開き、ゼンマイの煮付け、カニ汁など出るがいまいち。8:45支払いを済ませホテルを出発、“塔の岪(へつり)”へ向う。Dsc03517 湯野上温泉を通り抜け9:10塔の岪入口の大駐車場に着く。昭和18年8月24日国の天然記念物に指定された塔の岪は天下の景勝地であり、阿賀川(大川)が百万年もの長い歳月をかけて浸蝕した渓谷に奇岩怪石が塔のようにそそり立つ。特に今の時期は錦秋をまとって見事な景観を見せている。10本の岩塔は右岸に集中しており、上流側から鷲塔岩、鷹塔岩、獅子塔岩、屋形塔岩、櫓塔岩、九輪塔岩、尾形塔岩、象塔岩、護摩塔岩、烏帽子塔岩と名付けられている。木々に隠れているのか、7、8塔しか数えられない。各塔岩の下部に流水の浸蝕により形成された回廊があり、昔はそこをへつって歩けたようである(現在は立入り禁止)。吊り橋で対岸(右岸)に渡り、護摩塔岩の基部の岩窟に祀られている虚空蔵尊にお参りする。虚空蔵尊縁起の掲示板には、「抑 当所 虚空蔵菩薩は運慶一刀三礼の御作にて霊現験かなる大満薩埋と拝ませ給ふに曰く能満処弁 大非虚空蔵と名付く故 信心の輩は諸難の拂ひ知慧福徳をしたしめ 後世は罪を滅し浄土の宝殿に導かせ給へり 御手に剣 如意 宝珠を持たせ給う 現世二世の尊像なり」とある。まあ何にしても有り難い。露店で原木栽培ナメコを購入して車に戻り、次の観光地“大内宿”へ向う。Dsc03543 10:00大内宿入口にある大駐車場着、外気温は6℃しかない。会津の山間部に雪が降るのも間もなくであろう。「重要伝統的建造物群保存地区下郷町大内宿」と題する高札には、「国選定 昭和56年4月18日 大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つである。この南山通りは会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。Dsc03548大内宿が宿駅として整えられたのは十七世紀中頃と推定され、 本陣・脇本陣がおかれた。保存地区は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約500メートル、東西約100メートルの範囲にある。本地区の町並の特長は寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられていることである。主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、Dsc03552道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の二室を座敷としている。道路の中央には広い溝が設けられ宿場の用水路として利用されたが、明治十九年になって埋め立てられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなど変遷があった。 この町並は、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。また周囲の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている。文部省・福島県・下郷町」とある。藁葺き屋根の建物が未舗装路の両側に並ぶ佇まいは昔の宿場町のままであるが、殆ど全ての家が今や通りに面した縁と座敷とを改造し、土産物や食べ物を商っている。じゅうねん味噌の焼き団子、栃の実モチ、みしらず柿など珍しいが、Dsc03566中でも 民宿大和屋の名物、長ネギ1本で食べるネギ蕎麦に行列ができている。大型観光バスから観光客が続々と下りて来て狭い通りに人が溢れる。町並の突き当りから浄土宗正法寺の高みに登り、大内宿の全貌を目に収める。そこから急な石段を下った三佛堂の辺りは観光客の姿も少なく、軒下には干し柿やトウガラシの束が吊り下がり、晩秋の山里の情趣が深い。11:00駐車場に戻り帰路に着く。今年の9月下旬に開通したばかりのR289を通り、真新しい甲子トンネルを抜けて白河へ向う。途中から眺める二岐山の山頂部は霧氷で真っ白である。西郷村の阿武隈川渓谷展望台から眺める大白森山の頂も又白い。R4、新国道4号線、R16と一般道のみを走り16:40帰宅。2日間の走行距離は632キロメートル。(完)  

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上野不忍池界隈散歩

2008年10月8日(水) 上野の東京都美術館で開催中の「第37回日本文人画府展」を観に出かける。家人の知人、Mさんが所属する水墨画作家団体の展覧会で、招待券を頂いたものである。芸術の秋らしく、東京都美術館では特別企画の「フェルメール展」とともに、「一線展」、「研展」、「創展」、「AJAC展」、「汎美・秋季展」、「日本表現派展」、「現水展」、「南画院展」、「元陽展」、「大翔展」などDsc02096、実に様々なグループの発表展示会が開催されている。日本文人画府展の会場は広く、大きなグループのようである。ネットで調べると、日本文人画府の会員数は約220名、水墨画作家による自主運営の非営利文化事業団体で創立は1972年、 毎年春に東京都芸術劇場で春季展覧会を、10月には東京都美術館で全国公募による本展を開催している。東京都の後援を受け、文化庁から文部科学大臣奨励賞を授与されるなど本格派である。今回は139点の出品があり、いずれも大作、力作揃い、まずMさんの作品を確かめたのち、会場を二回りして水墨画の世界にゆっくり浸る。それから不忍池へ下り、大黒天堂と弁天堂にお参りする。附近に立つ魚塚、ふく供養塔、鳥塚、包丁塚などを見物してから、不忍池の向側、池之端にある「重要文化財・旧岩崎邸庭園」を見学に行く。Dsc02124 三菱財閥の三代目総帥岩崎久弥の旧邸宅とあれば、三菱グループの企業にお世話になったものとして、一度は訪ねる義理がある。入園料は400円、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により明治29年(1896)に完成した洋館は、外国人や賓客を招いてのパーティーに使用されただけに、細部に亘り贅を凝らした建物である。特に二階の二部屋の客室は、2003年の修復工事により金唐紙(壁紙)が復元され、往時の華やかさを取り戻している。洋館に結合された和館は、大名屋敷の伝統を受け継ぐ書院造りであり、純和風の落ち着いた空間である。薄れかけてはいるが、明治を代表する日本画家、橋本雅邦作といわれる障壁画も残る。最後にスイス山小屋風の造りの撞球室(ビリヤード室)を見て引き揚げる。久し振りの東京散歩はくたびれる。

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越前大野と永平寺

2008年9月2日(火) 7:00起床、昨夜遅くて入り損ねた温泉大浴場へ行く。福井温泉と云い、アルカリ性単純泉である。アパホテル福井片町は歓楽街のど真ん中、こんな所に天然温泉が湧くのであろうか。P1080183お湯はさらさらで温泉らしさは感じられないが、スパもサウナもあり設備はまずまず、日帰り入浴料は1,000円とあり、ビルの谷間で朝風呂を楽しむ。このホテルの売り物は、天然温泉があることと歓楽街の真っ只中に立地することなのであろう。8:00朝食に一階のレストランに下りる。見ればANNEX館の酒類自販機は全てK、北陸支社は良くやっている。9:30昨日と同じバスで出発、今日も晴れており今回の旅は天気に恵まれる。 越前平野に黄金の稲穂と白いソバの花が揺れる。10:20越前大野の平成大野屋前の駐車場に着く。越前大野は奥越の小京都と呼ばれ、織田信長の武将、金森長近が築いた城下町である。P1080179 時間がないので亀山城へ登るのを諦め、七間通り、寺町通り、石灯籠通りの順に町中を散策する。いずれも昔の面影が色濃く残る石畳の道である。七間通りの露店でマタタビの実(虫こぶ)と里芋の茎を買う。こじんまりした町であるが、街路が碁盤目状に区画され、通り名が番号で表されていたり、寺町通りがあったりして仙台に似ている。お寺も昔風の佇まいで好感がもてる。11:30バスにもどり永平寺へ向う。12:05永平寺着、吉祥山永平寺は寛元二(1244)年曹洞宗の開祖道元禅師によって開かれた座禅修業の道場である。現在では横浜鶴見の総持寺とともに曹洞宗の大本山となっている。P1080190 小家の菩提寺大林寺の宗派も曹洞宗なので、今日は本山にお参りするということで身も心も引き締まる。能登の門前町にある祖院総持寺と鶴見の総持寺はお参りした事があるが、永平寺は今回が初めてである。団体受付があり、最初に鉄筋コンクリート5階建ての吉祥閣の一室に招じ入れられ、一同修行僧より拝観心得を神妙に聴く。質実剛健な座禅道場を思い描いてきたが、意外に近代的でシステマティックである。順路に従い、笠松閣(さんしょうかく)、僧堂(雲堂・座禅堂)、仏殿、法堂(はっとう)、大庫院(だいくいん)、山門、祠堂殿の順番に拝観する。奈良、京都の有名寺院の如き国宝・重文級の建物や仏像はないが、修業の中心となる僧堂にずらりと並ぶ単(座禅席)、大庫院前に吊り下げられた大擂粉木(おおすりこぎ)、祠堂殿内壁に掛けられた大数珠などは一見の価値がある。仏殿でご本尊の釈迦牟尼仏を有り難く拝み、祠堂殿で偶々行われていた法要の読経に聴き入る。さすがは大本山、読経も一味違う。ここでP1080192 供養することが出来ればご先祖様も喜ぶのであろうが・・・。山門には永平寺の命名の由来である「吉祥の額」が掲げられており、「南閻浮提日本国越前国吉田郡志比庄傘松峯從今日名吉祥山 諸仏如来大功徳 諸吉祥中最無上 諸仏倶来入此処 是故此地最吉祥 宝治二年(1248)十一月一日」と大書してある。最後に総受所で納経帳に御朱印を頂く。建物を出て参道を下って行くと、杉木立の林床にシロイボカサタケやアセタケ属が沢山生えている。門前町のバス駐車場に戻り土産物店で福井銘菓の“けんけら”(大豆を粗挽し白胡麻、水飴などを加えたひねり菓子)を買う。14:10永平寺を出発、バスは北陸道、名神高速、東名を走り真っ直ぐ東京へ向う。走り出した途端驟雨が来る。湖北の辺りで豪雨に変わる。危うくセーフ、実についている。20:20海老名SA、神戸屋のメロンパンをタイムサービス価格でGET、誠に幸運である。新宿駅西口で大半の同行者を降ろし、22:00バスは漸く上野駅西口に滑り込む。(完)

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おわら風の盆

2008年9月1日(月) 5:30起床、夜来の雨上がる。7:54のバスに乗り北小金駅へ。今日から2日間、クラブツーリズム㈱の企画「越中八尾おわら風の盆見物と永平寺参拝」の旅に出る。P1080137 8:55上野公園口駐車場でツアーバスに乗車、7月末の湯西川温泉行の時には、ここにずらりとバスが並んでいたものだが今日はたったの2台、夏休みが終わると旅人もぐっと減る。新宿の都庁駐車場前でも参加者を乗せ、練馬ICから関越道に乗る。11:15高坂SA、13:00東部湯の丸SA、連日の不安定な天気も少し落ち着いたようで、今日は陽射しが暑い。浅間山の頂は雲に隠れて見えないまま。上信道から北陸道に入り有磯海PAで3回目の休憩、ドライバー2名が交代で運転するバスは淡々と走る。富山西ICで下り、16:40ようやく八尾の町民広場に隣接する観光バス降車場に着く。約4時間、21:00の集合までおわら風の盆初日の自由見学である。P1080145 八尾町には11地区(福島、天満町、下新町、今町、東町、西町、鏡町、諏訪町、上新町、東新町、西新町)があり、それぞれの町内で“町流し”や“輪踊り”が気ままに行われる他、7箇所の特設ステージで“舞台踊り”が行われるとのこと、舞台踊り以外は時間も決まっておらず、各地区の地方(じかた)や踊り手の気分次第で始まるらしい。井田川を禅寺橋で渡り、玉石垣の坂を登って西町に入る。道沿いに並ぶぼんぼり(雪洞)を除けば飾りらしい飾りもなく、ぞろぞろ歩く観光客がいなければ何の変哲もない田舎町である。突然西町で輪踊りが始まり、幸運にも明るいうちにおわら風の盆の一端に触れる。P1080149 なるほど昼見ても艶な踊りである。日本の道百選に選ばれている諏訪町の石畳の道(町道諏訪町本通り線)を南進し、東新町の若宮八幡社の前で町流しの始まるのを待つ。序に若宮八幡社にお参りする。社殿の“蚕養宮(さんようぐう) ”は富山市民俗文化財に指定されており、由緒を見ると天明元(1781)年の建立、陸奥の国から御神霊を勧請し、蚕・養蚕業を祀ったとのこと、明治十一年下新町八幡神社から御神体を分けてもらい若宮八幡社を合祀、昭和二年に改築して現在に至る。八尾町は養蚕業、特に蚕種(蚕の卵)を生産出荷することで発展し、戦前に至るまで町の基幹産業だったとのこと、P1080151 若宮八幡社(蚕養宮)はその守護神として厚く崇敬されてきたのであろう。老杉の巨樹に囲まれた立派な社殿である。薄暗くなり雪洞に灯がともる。三々五々地方や踊り手が集まり、東新町でも輪踊りが始まる。地方が胡弓や三味線を切々とかき鳴らし、その哀調に和して越中おわら節が唄われる。そして楽器の音色と唄とに導かれるまま、無言の男踊りと女踊りがいつ果てるともなく繰り広げられる。「八尾よいとこおわらの本場(きたさのさーどっこいさのさ)二百十日を(おわら)出て踊る」、七七七五調の越中おわら節の歌詞は幾通りもあるらしい。「わたしゃ野山の兎じゃないか月夜月夜に(オワラ)逢いに来る」(野口雨情)、P1080173_2 文人墨客を招いて詠んで貰った秀歌もある。東新町の町流しを観てから諏訪町へ進む。途中の屋台で“富山湾の宝石”と呼ばれるシロエビの唐揚げを買い求め、それを肴にISの生ビールを飲む。旨い!。最後に諏訪町の町流しを見物、諏訪町の踊り手が一番洗練されているかもしれない。町流しが本格化するのは、舞台踊りが終わる夜の10時過ぎから翌日の明け方5時頃迄、時間に制約がある団体ツアーでは真の風流を味わうのは難しい。又の機会、後楽とすることにして20:15町民広場に戻る。団体ツアー客用シャトルバスの行列に並びながら、町民広場の特設舞台で演じられる舞台踊りを観る。工業団地に待機するツアーバスまでシャトルバスで送ってもらい、21:50八尾の町を後にする。もう一度高橋治の小説「風の盆恋歌」を読んでみよう。再び富山西ICから北陸道に乗り、福井北ICで下りる。24:00漸くアパホテル福井片町にチェックイン、八尾近辺のホテルはこの時期一泊3万円に跳ね上がるとのことで、どうしてもぎりぎりツアーの宿は遠くなる。506号室はツインルームであるが非常に狭い。NHKのニュースを見ると福田首相の突然の辞任を報じている。やれやれ、この頃の自民党政治は国民置き去り、国会議員は政局(保身)ばかり考えている。一国のリーダーたるものがこんな無様な姿を2回も続けて曝け出しては、若い人に示しがつかず、国が良くなる筈もない。(続く)

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松島散策(五大堂・福浦島・瑞巌寺)

2008年8月9日(土) 今日は松島散策、11:30家を出る。仙台は暑いといっても木陰に入れば風が涼しい。仙石線松島海岸駅で下車し、先ず五大堂へ向う。Dsc09383 五大堂には、瑞巌寺守護のための五大明王(不動明王・金剛夜叉明王・大威徳明王・降三世明王・軍荼利明王)像が祀られている。小さな島の上に建てられているので、3つの橋を渡って行くが、後の2つは“すかし橋”になっている。参詣の前に脚下を良く照顧して身も心も引き締めさせるための配慮と云うが、結構隙間が大きく海面からの高度感もある。高所恐怖症の人はおっかなびっくり、みな腰が引けている。五大堂縁起に拠ると、平安時代初期の807年坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、 828年慈覚大師が瑞巌寺の前身、松島寺を建てて五大明王像Dsc09388を祀ったとのこと、それ以来五大堂と呼ばれるようになったらしい。現在の建物は1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立したもの、方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に家型厨子を置き、五大明王像を安置する。有名な蟇股(かえるまた)の彫刻など、雄健な桃山建築として、国重要文化財に指定されている。残念ながら扉が閉まっており五大明王像は拝めない。堂宇を一回りして蟇股の十二支の彫物を鑑賞する。確かに五大堂を待合わせ場所にすれば判り易いが、逃げ場はない。井上ひさしDsc09392著「青葉繁れる」の待合わせ場面を思い出し、 思わずひとり笑いが浮かぶ。そこから福浦橋(通行料200円)を渡り、福浦島に上陸する。福浦橋は出逢い橋とも呼ばれ、1967年に完成した全長252m、朱塗りの美しい橋であるが、灯台下暗し、渡るのは今回が初めてである。湾内の水色も嘗ての高度経済成長期の頃と較べると、少し改善されたようである。福浦島は自然植物園として保護されており、250種の植物が自生しているとのこと、樹木に名札が掛けられているのが嬉しい。 島内には弁天堂が建ち、茶店もあり、遊歩道が縦横に巡っていDsc09425るが自然度は高い。キノコ観察をしてみると、(オオミノ)クロアワタケやコゲチャイロガワリなど7種類を見つける。仙台も雨が少なかったのか種類、量ともいまいち。カワラナデシコ、キツネノカミソリ、コオニユリ、ミヤマウズラ(?)、ヤブランなどの野の花も咲いている。樹木はアカマツを主体に、コナラ、タブ、モミなど、松島というがアカマツやクロマツの純林という訳ではない。第一展望台より毘沙門島、引通島(ひきどうししま)、馬放島(まはなしじま)などを、第二展望台から九の島、青鰻島(あおなぎしま)、獺島(かわうそしま)などを眺める。 松島の本当の美しさは島に渡ってみないと分からない。Dsc09491 満足して福浦島を後にし、最後に瑞巌寺見学へ向う。瑞巌寺は正しくは松島青龍山瑞巌円福禅寺といい、臨済宗妙心寺派の寺である。天長五(828)年、慈覚大師円仁により開創され、天台宗延福寺と称した。鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼公が法身性西和尚(俗名真壁平四郎)を開山とし円福寺と改称、建長寺派の禅寺に改めた。円福寺は鎌倉幕府庇護のもとに大いに栄え、室町時代にも五山十刹制度の諸山に位置づけられ、末寺を作り発展した。 しかし戦国時代に寺勢は衰え、その末期に妙心寺に属した。江戸時代の初め、Dsc09467仙台62万石の祖となった伊達政宗公が、師傅虎哉禅師のすすめで現在の大伽藍を完成させた。工事は慶長九(1604)年に始まり、檜、杉、欅の良材を熊野に求め、京都・根来の名工を集め、5年がかりで完成した。本堂御成玄関、庫裡廻廊は国宝に、御成門、中門は重文に指定されている。史跡瑞巌寺洞窟群と、その前に並ぶ西国三十三観音巡拝所の観音像を眺めた後、拝観料700円を支払い境内に入る。瑞巌寺を拝観するのは3度目か4度目であるが、今日はひとりなのでじっくり見学できる。法身窟、中門、伊達政宗公が朝鮮から持ち帰った樹齢400年の紅白の臥竜梅、本堂、庫裡、宝物殿の順に巡る。本堂の障壁画はレプリカではあるが豪華絢爛、上段の間、上々段の間は特に素晴らしい。つい回廊を二回りもしてしまう。宝物館の青龍殿では瑞巌寺中興の祖、第99世雲居希膺禅師の350年遠忌(平成20年9月8日)を記念し、特別展が開催されている。重要文化財の1326年製雲版をはじめ、伊達政宗公甲冑像など見応えのあるものが多い。一日中歩き回ってすっかり疲れ18:00帰宅。

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10年ぶりの七夕見物

2008年8月8日(金) 仙台も今日は朝から暑い。洗濯を仕掛け、部屋の掃除を済ませてから仏壇にお茶と線香をあげる。Dsc09328夏の高校野球、宮城仙台育英が4対1で三重菰野高校に快勝。午後一、大林寺に墓参、一休みしてからの16:00、最終日の七夕見物に出かける。今年は珍しく3日間とも晴天に恵まれる。前回見物したのは仙台に勤務していた頃の1998年、あれからもう10年にもなる。仙台駅東口まで歩き、地下自由通路で西口へ出て、名掛丁から一番町と七夕飾りの華やかな所を一通り見物する。西條八十作詞、古関祐而作曲、 島倉千代子が唄う「ミス・仙台」の歌がアーケード街に流れる。「1.杜の都の花乙女 月に棹さす廣瀬川 若きひと夜の戀ごころ 仙臺、仙臺、Dsc09353なつかしや。2.夏の祭は七夕に 星も逢瀬の笹の露 君と歩みし想い出や 仙臺、仙臺、なつかしや。3.青葉城下に秋立てば ネオン色めく一番町 三味の音いろも泣きぬれて 仙臺、仙臺、なつかしや。4.戀も涙も想い出も 雪に埋もるる北の国 枝垂櫻の春を待つ 仙臺、仙臺、なつかしや。」(昭和11年、日本コロンビア制作・発売)。歌は昔と変わらないが、通りの両側に並ぶ店舗は様変わりしている。駅前商店街の不振や後継者難で老舗が消えてしまい、携帯電話販売会社や金融機関、Dsc09356 それに何を商うのかカタカナ名前のお店がやたらに増える。見物する側もしっとりした浴衣姿の女性は数えるほどしか見当たらず、星祭には似合わないショートパンツの勇ましい姿ばかりが目立つ。やれやれ、これも時代の流れであろう。因みに、7種類の七夕飾りの意味するところは「1.吹流し:七夕は旗織姫、織女星のお話なので糸をかたどって飾り祝う。 2.折鶴:その家で一番年上の者の歳の数だけ折って長生きしてくださいと願う。3.短冊:願い事を墨で書いてその願いがかなう様に又文字が上手になる様Dsc09375に祈る。4.打あみ:魚をとる網を形どり、豊年豊作大漁を祈る。5.屑かご:七夕の飾りを作って出た紙屑を入れて吊るし、物の始末整理整頓を教える。6.着物:自分達の身を守ってくれる着物に御礼の心を捧げ、裁縫が上手になる様に祈る。7.巾ちゃく:お金の無駄遣いをやめ貯えの精神を教える。」とのこと。三越前から定禅寺通へ出て“星の宵祭り”のパレードを眺める。秋保消防団の木遣り唄を聴き、勇壮な梯子乗りの妙技を観てから、再び歩いてマンションに戻る。賑やかなのは名掛丁と一番町だけで、昔のような町内会や子供会の七夕飾りは街から全く姿を消している。もはや仙台市民あげてのお祭りではなくなり、これも時代の流れなのか、いやはや淋しいことである。

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千葉公園のオオガハス

Dsc08923 2008年7月16日(水) 午後、千葉市中央区にある千葉公園に、家人と一緒にオオガハスの見物に行く。自宅から35㎞しかないが、国道16号線は相変わらずの混雑で1時間半ほどかかる。スポーツ施設利用者駐車場に車を置かせてもらい、体育館とプールの間を通って蓮池へ降りる。千葉駅から徒歩10分の好立地ながら、16ヘクタールもの広大な面積を持つ大公園は、緑濃く、ユリノキやクスノキなどの大樹も多い。蓮池はそれほど広くはないが、二千年ハスとも呼Dsc08918ばれる古代ハスが池を埋め尽くし可憐に咲き誇る。 例年より開花が遅れたらしいが、今がちょうど見頃である。天に向って競うように伸びるピンク色の大輪の花は高貴にして清楚、さながら貴婦人のようである。管理人さんの話では、午前中の方が花の色艶が良いらしい。午後は日焼けして褪色し白っぽくなるとのこと、酔芙蓉とは逆である。昭和26年、千葉市検見川の東京大学厚生農場(現在の東大検見川総合運動場)で、大賀一郎博士らの手により推定2000年以前のハスの実が3粒発見され、そのうちの1粒が翌年7月18日見事に開花したとのこと、この花は「大賀蓮」と名付けられ、昭和29年千葉県の天然記念物に指定されている。また千葉市の市の花でもある。蓮華亭でひと涼みしてから満足して引き揚げる。

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榴岡公園

2008年6月18日(水) 自宅のあDsc07898るマンションの東隣は榴岡公園、11階から眺めると、東部市街地を越えて仙台平野と仙台港、太平洋までも見渡せる。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地クリネックススタジアム宮城も指呼の間、試合がある日は声援が賑やかに昇ってくる。榴岡公園は明治35年開園の仙台市内有数の公園であり、面積は11.2ヘクタール、平成2年には「日本の都市公園100選」にも選ばれている。仙台藩第四代藩主伊達綱村が京都から取り寄せたシダレザクラ1,000本を植えて以来、市内有数のサクラの名所としてつとに名高い。現在、歴史民俗資料館として利用されている旧第四連隊兵舎は、宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの、Dsc07896昭和53年6月16日、仙台市の有形文化財に指定されている。瓦葺寄棟造り木造2階建で、漆喰塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーン、ガラス入り上下窓、出入り口のポーチには洋風円柱、雲形を有する階段等の特徴を持つ。これらは明治6年完成の名古屋第六連隊兵舎と似ていることから、当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる。終戦まで60年間に亘り旧陸軍の兵舎として使用された後、終戦から昭和31年までは米軍が駐留、その後、昭和50年まで東北管区警察学校等に使用された 。内部はその都度改造されているが、 昭和53年文化財に指定された後、明治37年の状態Dsc07889に復元された。なお、同様の兵舎が7棟残されていたが、これ以外の兵舎や本部等の建物は、榴岡公園整備のため昭和52年2月に取り壊された。公園入口に建つのは民間ユネスコ運動発祥記念の「ブーツの娘」像、作者は仙台出身の彫刻家、佐藤忠良氏である。園内には子供の時分から馴染の樹木も多く、散策すると昔の記憶が懐かしく甦る。仙台は四季のバランスが良く暮らしやすい(県庁所在地の中では真夏日と真冬日の合計日数が最も少ないらしい)。何よりも山と海に近い。そろそろ関東の暮らしを切り上げて故郷に帰る時期やもしれぬ。

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多賀城碑(壷の碑)

2007年6月17日(火) 多賀城碑は平成十年六月三十日指定の重要文化財である。長い間真贋論争があったためか指定日は意外に新しい。Dsc07883多賀城政庁跡にほど近い台地の中腹に立ち、覆い堂に護られている。傍らに説明板があり、『多賀城碑は、砂岩を加工して碑面をつくり文字を彫り込んだもので、高さ約二メートル、幅約一メートル、厚さ約七〇センチメートルで、碑面は西を向いて立てられています。多賀城 京去一千五百里 蝦夷国界去一百二十里 常陸国界去四百十二里 下野国界去二百七十四里 靺鞨国界去三千里 此城神亀元年歳次甲子按察使兼鎮守将軍従四位上勲四等大野朝臣東人之所置也 天平寶字六年歳次壬寅参議東海東山節度使従四位上仁武省卿兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝獦修造也 天平寳字六年十二月一日。碑面には、上部に大きく「西」の字があり、その下の長方形の枠線の中に十一行一四〇字が刻まれています。碑文の内容は大きく分けて二つの部分から成ります。前半は、多賀城の位置を京や国の境からの距離で示しています。後半は、多賀城が神亀元年(724)に大野朝臣東人(おおのあそんあずまびと)によって設置されたこと、Dsc07852 天平宝字六年(762)藤原恵美朝臣朝獦(ふじわらえみあそんあさかり)によって修造されたことが記され、最後に碑が建てられた年月日が刻まれています。碑文の内容から藤原恵美朝臣朝獦の業績を顕彰するために建てられた多賀城の修造記念碑とみることができます。また、碑は、歌枕として有名な「壷碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれており、元禄二年(1689)には松尾芭蕉もこの碑を訪れ、深く感動し、涙を流した様子を「おくのほそ道」の中に書き残しています。多賀城碑は、群馬県吉井町の多胡碑(たごひ)、栃木県湯津上村の那須国造碑(なすこくぞうひ)とともに日本三古碑のひとつです。平成十一年三月 多賀城市教育委員会』とある。以前見た時に比べDsc07858 碑面の文字が薄れて読みにくくなったような気がする。芭蕉の「おくのほそ道」の「壷の碑」の項には、『かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。壷の碑 市川村多賀城に有。つぼの石ぶみは、高六尺余、横三尺計歟。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。「此城、神亀元年、按察使鎮守符将軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣獏修造而。十二月朔日」と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて、泪も落るばかり也』と記されている。同行の曾良の日記によれば元禄二年(1689)五月八日のことである。 入口に立つ道標銘は享保十四年五月己酉(1729)、芭蕉が訪れてから40年後に建てられたものである。日本三古碑のうち、吉井町の多胡碑は高崎に住んでいた頃何回か訪ねているので、残るは那須国造碑、そのうち見学に行ってみよう。

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史都・多賀城の史跡めぐり

2008年6月17日(火) 10:00新しい自転車で多賀城の史跡めぐりサイクリングに出発、多賀城まで10㎞以上あるが、爽やかな好天の中、風を切って走るのが心地好い。途中上州屋に寄って岸壁チョイ投げ用の釣り道具を購入し、多賀城ジャスコ近くの幸楽苑でラーメンを食べる。 息子達のアパートへ釣り道具を預けて身軽になり、いよいよ史跡巡りにかかる。Dsc07838多賀城には是まで数え切れないほど来ているが、史跡をじっくり見学するのは初めてである。先ずは「多賀城廃寺跡」へ。多賀城廃寺は、奈良時代に陸奥国府と鎮守府のおかれた多賀城の附属寺院として建立されたもので、国家の安定と、東北地方の順調な経営を願ったといわれている。建物の配置は、東に三重塔、西に金堂が互いに向い合い、中央部南には門があり、中央部北には講堂がある。また南の門の左右から築地がつくられ、塔金堂を囲んで北の講堂の左右に取り付いている。このような伽藍配置は、福岡県太宰府の観世音寺とよく似ている。昭和41年4月、多賀城跡とともに国の特別史跡に指定されている。 現在は基壇と礎石があるばかり、初夏の陽光が遺跡に燦燦と降り注ぎ、辺りに静かな虚無感が漂う。道路1本挟んだ隣地に「多賀神社」が鎮座する。Dsc07846由緒には「此の地は、かって陸奥国多賀郷の中心地で陸奥国府鎮護寺の境内にあり、当時任務に赴いた国司、開拓移民が崇敬していた江州多賀神社(現滋賀県多賀大社)を遷祀したとされている。奈良時代の風土記に当時の神事が記載されており、平安時代には桓武天皇より西暦七九六年に従五位下の位を受けるなど、朝廷や民衆より崇敬を受けていた古社である。しかし、朝廷が陸奥征服を果たし、軍事拠点であった多賀城の繁栄も途絶えるのに伴い、当社の所在も不明になるほど一時衰退した。明治に入り村社を決める際、所在さえ定かでなかった為いろいろ論議されたが、明治五年九月に「延喜式内社」として村社格に加列される。昭和四十年当社境内地を含めた一円が、国の特別史跡に指定され、史跡公園の施工に伴い、多賀城廃寺跡東塔基壇上に鎮座した神殿、Dsc07868その他の施設を移転し、現在の地に神霊を安鎮した。平成十三年、氏子崇敬者協力のもと、社殿を改築し現在に至る。多賀神社總代」とある。 三箇所目は「壷の碑(つぼのいしぶみ)」、日本三古碑のひとつであり、元禄二年(1689)五月八日に松尾芭蕉も此の地を訪れ、「おくのほそ道」の中にその感懐を記している(壷の碑については別途投稿予定)。四箇所目が「多賀城政庁跡」、いつの間にか大駐車場が設けられ、付近は大々的に整備されつつある。いよいよ多賀城市も「多賀城跡」を核に、東北の鎌倉と謳う史都を前面に押し出し、観光立市を図ろうとするらしい。多賀城の造営は大きく4期に分けられる。即ち、第Ⅰ期Dsc07881 :神亀元(724)年、大野東人により多賀城が創建される。最初に造営された政庁の建物は全て掘立式であり、主要建物は瓦葺であったと考えられている。第Ⅱ期:天平宝字六(762)年、藤原朝獦により多賀城の大改修が行われる。建物はすべて礎石式、瓦葺に建て替えられる。伊治公砦麻呂の乱で消失。第Ⅲ期:宝亀十一(780)年、伊治公砦麻呂による焼き討ち後再建、869年の大地震で被害を受ける。第Ⅳ期:貞観十一(869)年、陸奥国大地震被害後の復興。災害復興は主に瓦の葺き替えが行われた。その後、新たに北方建物が造られた。最高所の政庁正殿跡に登り、多賀城跡の全景を眺め、1200年余の昔に思いを馳せる。後村上天皇(在位1339-1368)や明治天皇(同1868-1912)も巡幸されたのか、傍らに「後村上天皇御座之處」と「明治天皇御霊跡」の石碑が建つ。いきなりの長距離サイクリングですっかり腰が痛くなったので、史跡巡りを切り上げ真っ直ぐ仙台へ帰る。15:30漸く帰宅。

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松島四大観・扇谷

Dsc07796 2008年6月15日(日) 松島四大観の一、扇谷(標高60m)に登り、山頂に建つ東屋から眺めると、脚下の渓谷が海辺で扇を広げた形に開け、松島湾と外洋に浮かぶ島々が見渡せる。四大観(他は大高森、富山、多聞山)はいずれも甲乙つけ難い松島の展望台であるが、「幽観」とされる扇谷の眺めが一番好ましいように思われる。四大観の中では最も瑞巌寺や五大堂に近く、せっかく松島までやって来ながら扇谷を訪れないでは勿体無い。山頂近くに「金翅塔(こんじとう)」なる岩窟があり、中に 瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師と第114世丹源文叔、第116世牧舟禅慧の墓がある。また、山頂には「金翅堂(達磨堂)」が建つ。もともとはこの山谷の静寂を愛した瑞巌寺第99世雲古希膺(うんごきよう)が寛永14(1637)年に座禅堂を構えて以来、明治期に至るまで寺院があった所である。Dsc07793夫々説明板があり、金翅塔は『金翅は毒龍を餌とする火の鳥・加楼羅(かるら)の事で、塔は瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師(ほううんとうばくぜんじ)(1612?~1703)の墓所である。鵬雲は尾張総見寺北禅禅秀(妙心寺第200世) の下で僧となり、長じて松島に行脚、瑞巌寺第100世洞水東初(1605~1671)に参じ嗣法した。寛文元年(1661)瑞巌寺第101世に、同6年本山妙心寺に第207世として登山した。松島に千仏閣・三聖堂・天童庵・一華庵、大沢(扇谷)に海無量寺を開創、黒川郡宮床に慶雲寺(現称覚照寺)を、志田郡鹿島台に慈明寺を開創した。瑞巌寺には39年間住職、大領義猷(だいりょうぎゆう)(当山102世)、夢庵如幻(同104世)など13名の法嗣を育成し遷化の翌年、東山天皇から妙道虚玄禅師の勅諡号を賜っている。中央が鵬雲、右が丹源文叔(たんげんぶんしゅく)、左がDsc07799牧舟禅慧(ぼくしゅうぜんね)の墓。平成13年整備事業を行った。平成14年10月20日鵬雲300年遠諱記念 瑞巌寺建立』、金翅堂は『松島という地名発祥の伝承に、達磨大師が来て聖徳太子の成長を待ったとあり、「待島」が「松島」になったと伝える。幕末に著された「奥州名所図会」に拠れば、元禄8(1695)年瑞巌寺第101世鵬雲東搏禅師が堂を造営し、中央に聖徳太子、左に緋衣の達磨像を、右に鵬雲像を安置したと記す。達磨像は鵬雲が本山妙心寺住持として上洛の折、男山八幡宮麓に安置の達磨像に感動、仏工に摸刻せしめたものと伝えるが現存しない。平成13年、鵬雲の没後300年を記念し、堂の基壇・屋根等を修理して環境を整え、中国河南省熊耳山麓・空廂寺(達磨大師の塔所)から将来した魏元象元年住職寿庵建立・宗還修復銘の達磨像を摸刻して、14年10月20日再落慶法要を厳修した。平成14年10月20日瑞巌寺建立』とある。両所にお参りし、扇谷の景色をもう一度眺めてから山を降りる。

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松島四大観・大高森

Dsc07783 2008年6月15日(日) 釣りの合間に松島四大観の一、大高森(106m)に登る。湾奥遠くに聳える蔵王連峰を背景に、鏡のように穏やかな青い海面に浮かぶ数多の緑島の大観は、何度来て何回眺めても秀逸である。山頂には二等三角点と方位盤が置かれ、東屋や雷神塔が建つ。いつの間にか土井晩翠の詩碑も建立されている。「壮観」と云われる大高森に晩翠も登り、その時の感懐を詠じたものである。晩翠碑、「仙府むかしのあこがれを 傳へてこゝに二千年 東海のDsc07771うえ扶桑の端 竝びて呼びあふ八百の島。あすは萬里の外の旅 故国なごりの姿をと 誘ふは有情の波の声、起ちて、落つる日雲染めて 海黄金を溶かす時 大高森の頂に。頂高く今も見る 真なるもの美なるもの おほいなるもの常に新、左太平洋の波 散るは奔馬の狂か、右や一湾松島の 沈静さながら夢に似て。あゝ色ありておほいなる 生ける詩何をかたどるや 彼人生の活動を、是心境の平和を。」(平成四年元旦建立)。前回訪れたのは10年も前になるか、山頂直下にあった茶屋は既になくなり、時の流れはここでも容赦がない。

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忍野八海

Dsc07687 2008年6月7日(土) 富士急行線下吉田駅から杓子山、鹿留山に登り、忍野村内野地区に下山した後、国指定天然記念物(昭和9年5月1日指定)の忍野八海を見学に行く。忍野八海とは、富士山伏流水が地表に湧出する8つの泉池、即ち出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池の総称である。忍野村最大の観光資源であることは分るが、中央に大きな人工池を掘り、その周りに土産物屋や食堂が密集するなど自然破壊が進行している。Dsc07697 自然が売り物の筈であるが主役の忍野八海は建物群の中に埋没してしまっている。本来であれば忍野八海地区を囲い込み、自然のままに保全した上で、そこに通じる(有料の)出入り口を設け、外側に物販店や食堂を配置すべきだったのでは。既得権益がからんでいたのかもしれないが、乱開発と営利第一主義の手本を見るようで余り感心しない。日本名水百選に選ばれている“忍野八海神の水”を一杯ご馳走になり、湧池、濁池、銚子池、御釜池の4箇所を見学しただけで引き揚げる。

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モディリアーニ展(2008.05.12)

04 アメデオ・モディリアーニ

《カリアティッド》(Cariatide)

1913年

油彩/カンヴァスで裏打ちした紙

92×53㎝

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モディリアーニ展(2008.05.12)

02 アメデオ・モディリアーニ

《女の肖像》(通称:マリー・ローランサン)

1917年

油彩/カンヴァス

61×38㎝

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モディリアーニ展

01 2008年5月12日(月) 連日3月頃の気温という肌寒い日が続く。今日は家人と国立新美術館で開催中のモディリアーニ展を観に行く。南柏から千代田線1本で行くことができるし、乃木坂駅で降りれば地下道が国立新美術館に直結しているので上野の美術館へ行くよりずっと楽である。昼時だったので、先ず東京ミッドタウン・ガレリアのB1Fにある平田牧場に立ち寄り腹ごしらえ、三元豚(さんげんとん)のヒレかつ膳(1,400円)とロースかつ膳(1,300円)を食べる。山形県庄内地方にある平田牧場生産の豚肉のアンテナショップで、牛肉より美味しいと謳うだけあってトンカツの味は申し分ない。ご飯も庄内米なのか美味、ビールがキリンなのも嬉しい。国立新美術館に来るのは「大回顧展モネ」以来二度目、庭園のサツキは散り花であるが樹木の若葉は美しい。エコール・ド・パリを代表する画家モディリアーニ(1884-1920)の初期作品群から独自様式を確立した晩年の肖像画群まで、油彩58点、素描93点が出品されている。殆どが人物画であり、アーモンド形の顔、同形の無表情な目、細長い首、極端な撫で肩などの独特の画風は、アフリカやオセアニア、アジアなどの原始芸術(特に仮面やトーテム)の影響を色濃く受けているとのこと、なるほどと納得する。不健康と経済的理由とから彫刻家になる夢を諦め、生活の為に描いたのであろう作品群には、モディリアーニの諦念と寂寥が漂うようである。

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鎌倉・横浜散歩

P1070395 2008年4月26日(土) 天気は余りよくないが気分転換のため、家人を誘い鎌倉散策へ出かける。南柏駅でホリデーパスを購入し、北千住、日暮里、東京で乗り換えて北鎌倉駅で下りる。今日は鎌倉五山のお寺を巡ることにし、第二位円覚寺、第四位浄智寺、第一位建長寺、第三位寿福寺の順に歩いて、各々のお寺で御朱印帳に記帳してもらう。途中から雨が降ってきたし、歩き疲れたしで、第五位の浄妙寺は次回廻しと決め鎌倉駅へ出る。駅前の豊島屋で鳩サブレーP1070396 と小鳩豆楽を土産に買う。帰路、横浜駅で途中下車し、みなとみらい地区の赤レンガ倉庫へ立ち寄る。倉庫前広場では新潟の見附太鼓の実演をやっており、威勢の良い音が辺りに響き渡る。2号館3Fにあるカフェ&ダイニングの“chano-ma”に入り、ピザや唐揚げを菜に生ビール(IS)を飲む。店内は薄暗く、キャンドルライトの灯りはあるが、老眼ではメニューを読むのもひと苦労、場違いな所に迷い込んだ気分である。テラスから暮れなずむ横浜市街を眺めた後、酔いを醒ましながら桜木町駅へ歩く。

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廣池学園

P1070136 2008年3月30日(日) 久し振りに冬のような気温に逆戻りし肌寒い一日、お花見日和とはいえませんが、近所の学校法人廣池学園(麗澤大学等を運営)へ恒例の観桜に行ってきました。園内のソメイヨシノの古木は満開で、サクラ並木のトンネルはとりわけ見事です。外にも、オオシマザクラ、カワズザクラ、コブシ、シデコブシ、ヤブツバキ、紅白のアセビなどが咲き競う、良く手入れが行き届いた園内は、柏市内から繰り出してきた家族連れやカップルで溢れています。P1070132その誰もが花を愛でている中で、 独りツツジの植込みを覗き込み、今年も無事トガリアミガサタケを見つけることができました。大きなシロで、ざっと数えても50本ぐらいは群生しています。佃煮やバター炒めにすると美味しいキノコですが、ここは学園内、採取することは許されません。実は入園時にレッドカード(「ご来園の皆さまへ」と題して14項目の注意事項が記されており、その中に「植え込みへの立ち入り、樹木草花の採取はご遠慮ください」と記されているピンク色の用紙)を受け取ってしまったので、さすがの私も写真撮影だけに止めざるをえなくなりました。P1070142 P1070138

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日本三奇橋・甲斐の猿橋

Dsc06491 2008年3月29日(土) 大月市の高川山と岩殿山に登った帰り、日本三奇橋と呼ばれる「猿橋」に立ち寄りました。着いたのは日没寸前の時刻だったので、既に他の観光客の姿はなく、ライトアップされた幻想的な猿橋をゆっくり見物できました。一見すると何の変哲もない木造橋ですが、桂川の深い渓谷に架橋するために、橋脚の代わりに両岸からせり出させた四層のはね木で本体を支えています(肘木けた式橋)。構造的には異なりますが、メキシコで見たマヤアーチをふと憶い出しました。Dsc06495 傍らの大月市教育委員会の説明板には、『猿橋架橋の始期については定かでないが、諸書によれば「昔、推古帝の頃(600年頃)百済の人、志羅呼(しらこ)、この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」とあり、その名はあるいは白癬(しらはた)、志耆麻呂(しきまろ)と様々であるが、これ以外の伝説は見当たらない。史実の中では、文明十八年(1486)二月、聖護院の門跡道興はこの地を過ぎ、猿橋の高く危うく渓谷の絶佳なるを賞して詩文を残し、過去の架け替えや伝説にも触れています。Dsc06494 応永三十三年(1426)武田信長と足利持氏、大永四年(1524)武田信虎と上杉憲房との合戦の場となった猿橋は、戦略上の要地でもありました。江戸時代に入り、五街道の制度が確立してから甲州街道の要衛として、御普請所工事(直轄工事)にて九回の架け替えと、十数回に及ぶ修理が行われてきました。この間、人々の往来が頻繁となり、文人墨客はこの絶景に杖をとめて、多くの作品を今に残しています。昭和七年、付近の大断崖と植生を含めて、猿橋は国の名勝指定を受け今に至っています。昭和九年Dsc06496 西方にある新猿橋の完成により、この橋の官道としての長い生命は終わりましたが、その後も名勝として生き続けています。今回の架け替えは、嘉永四年(1851)の出来形帳により架けられており、江戸時代を通してこの姿や規模でありました。昭和五十八年着工、昭和五十九年八月完成、総工費三億八千三百万円であります。橋の長さ、30.9メートル、橋の幅、3.3メートル、橋より水際まで30メートルです。』、と記されています。因みに、日本三奇橋は、一般的には、「甲斐の猿橋」、「岩国の錦帯橋」、「祖谷のかずら橋」をさすようです。

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手賀の丘公園の庚申塚(柏市)

Dsc06255 2008年3月21日(金) きのこ観察は振るわなかったので、公園内の一角にある庚申塚の調査に切り替える。この庚申塚には17基もの庚申塔が建ち、一番古いものは延宝三(1675)年に、一番新しいものは昭和55年に建立されたものである。銘文を読むと、全てが手賀の丘公園に隣接する片山地区の庚申講中により奉安されたものと判る。それにしても江戸時代に盛んであった庚申講が、平成の今に到るまで連綿と受け継がれていることに驚嘆する。山間僻地の平家の落人集落とでも云うのなら 分らない事も無いが、この辺りは今や宅地開発が進み東京通勤圏の住宅地である。Dsc06256因みに17基の庚申塔を建立された時代別に区分すると、江戸時代13基、明治時代2基、昭和1基、碑面が摩滅して時代不明のもの1基である。時代による造塔様式の変遷を一箇所で確かめることが出来る点で、歴史的にも民俗学的にも貴重な庚申塚と思われる。個別の造塔年と碑文は以下の通りである。(○は不明文字、写真下は⑥)

①延宝三乙卯天八月日 「奉造立庚申待供養」 相馬郡南相馬○片山村同行廿人(1675年)、②元禄二己巳天「奉造立庚申待為二世安○也」九月廿九日敬白(1689年)、③寛延元戊辰天「奉待庚申」十月吉日(1748年)、④宝暦八戊寅天十一月吉日「奉供養青面金剛尊」片山村(1758年)、⑤明和九壬辰十一月吉日「庚申供養塔」講中二十三人(1772年)、⑥安永七戊戌星○月吉日「青面金剛像」(1778年)、⑦寛政六寅天「青面金剛王」十一月吉日(1794年)、⑧寛政十二年「青面金剛王」庚申十月吉日 講中二十六人(1800年)、⑨文化十癸酉十一月吉日「青面金剛」 講中四十六人(1813年)、⑩文政九丙戌十一月吉日「庚申塔」(1826年)、⑪天保八丁酉年十一月吉日「庚申塔」(1837年)、⑫弘化四丁未十月吉日「庚申塔」(1847年)、⑬安政四丁巳十月吉日「庚申塔」(1857年)、⑭明治七戊年「庚申塔」(1874年)、⑮明治十五午年十一月「庚申塔」(1882年)、⑯世界平和「庚申塔」交通安全 昭和55年12月13日建 片山庚申講々員一同(1980年)、⑰不明

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ホワイトデー

Dsc06245 2008年3月14日(金) 先月の14日、「要らない、要らない、もうお気遣いご無用、お気持ちだけで結構です」と宣言しておいた甲斐も無く、無理やり家人と娘から押し付けられたチョコレート、仕方なく今日柏駅前の高島屋に行きお返しを買ってきました。ふたりとも甘いものが大好きなので、鎌倉源吉兆庵の和菓子、「干柿粋甘粛」、「御行つれづれ」、「琥珀羹梅」、それと「柚寿乃実」の4種類にしました。昔、現役の頃には倍返し、5倍返し、10倍返しを強要され泣く泣く応じたこともありましたが、最近は年金生活の身の上なので無理が効きません。分相応に等価返しを心がけております。

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ウルビーノのヴィーナス展(2008.03.12)

01_2 アレッサンドロ・アッローリ

《ヴィーナスとキューピッド》

油彩/板 29×38.5㎝

フィレンツェ、ウフィツィ美術館

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ウルビーノのヴィーナス展

02 2008年3月12日(水) 御徒町で野暮用を済ませた後、上野の国立西洋美術館へ行き、「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」展を鑑賞してきました。目玉は勿論、ウフィツィ美術館の至宝というティツィアーノ作《ウルビーノのヴィーナス》ですが、他にも紀元前4世紀から17世紀にかけて制作された皿や壷の絵柄、彫像、カメオ、書籍の挿絵、絵画などに表現された様々なヴィーナスが75点出展されていました。2004年のイタリア旅行時は美術館巡りが全く出来ず心残りでしたが、本展を観ることで宿題の一部を片付けた気分になりました。但し、ルーブル美術館で《ミロのヴィーナス》を観てきたばかりなのと、個人的にはボッティチェッリの《ヴィーナスの誕生》の方が好ましく思うことが重なり、額縁の豪華さは別としてさほどの感銘は受けませんでした。官能性を追求したヴィーナス図像としては傑作中の傑作という折り紙つきなので、きっと当方に観る眼が無いのでしょう。《ウルビーノのヴィーナス》は、ウルビーノ公家最後の継承者のヴィットーリア・デッラ・ローヴェレが 1634年にトスカーナ公フェルディナンド2世と結婚したことにより、アペニン山脈を越えてフィレンツェに持ち込まれたとのこと、メディチ家コレクションが誇るラファエッロやティツィアーノの傑作の殆どがヴィットーリアの嫁入りの持参品だったとは全く知りませんでした。他にも「パリスの審判」や「ヴィーナスとアドニス」など神話に題材を取った絵の意味も学ぶなど、収穫の多い美術展でした。

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秩父華厳の滝

Dsc06209 2008年2月29日(金) 秩父八景の破風山(はっぶざん)に登った帰りに、やはり秩父八景に選ばれている秩父華厳の滝を見物に行きました。入口に立つ看板には「全国10位に選ばれました 秩父華厳の滝 云々」と大書されており、1位から17位までの滝や渓谷名が表示されています。「1位.くろくまの滝(青森県鯵ヶ沢町)、2位.ぬさがけの滝(岩手県矢巾町)、3位.秋保大滝(仙台市)、4位.安の滝(秋田県阿仁町)、5位.面白山紅葉川渓谷(山形市)、6位.幕滝(福島市)、7位.袋田の滝(茨城県大子町)、8位.湯滝(栃木県日光市)、9位.吹割の滝(群馬県利根町)、10位.秩父華厳の滝(埼玉県皆野町)、11位.栗又の滝(千葉県大多喜町)、12位.ほっさわの滝(東京都桧原村)、13位.しゃすいの滝(神奈川県山北町)、14位.苗名滝(新潟県妙高高原町)、15位.七ツ釜五段の滝(山梨県三富町)、16位.唐沢の滝(長野県真田町)、  17位.黄金の大滝(静岡県引佐町)」。Dsc06213_2全国といっても東日本に偏っているようだし、何よりも日本3名瀑の日光華厳の滝や那智の滝が選ばれていないのが腑に落ちません。誰がどういう基準で選んだものかさっぱり分りませんが、まあ目くじらを立てるほどのこともなしと奥に進んで実物を見物しました。落差はせいぜい10数メートル位、水量もさほど多くはなく、可愛らしい華厳の滝です。この程度の滝なら全国にゴマンとあるのではと、第10位の意味がますます分らなくなりました。滝上に鎮座する不動明王像にお参りに行くと、憤怒の表情ではなく、とぼけた感じの優しいお顔をしております。どちらもユーモアなのかもしれないなと思い、地元の皆さんのおもてなしに納得いたしました。

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行念寺の十九夜塔(柏市)

Dsc06172 先日紹介した庚申塚の道路を挟んだ向側に、行念寺という浄土宗のお寺がある。正式には金龍山行念寺不退院と称し、創建は室町後期の明応二年(1493年)、小金・東漸寺開山の經誉愚底上人の開基で、集落全十四戸を祖徒とする小さなお寺さんである。その境内に各種の石塔が並んでいる。そのうちの一つに、「明和四丁亥年(1767年) 十九夜女中講中 十月吉日 中新宿村」銘の“十九夜塔”がある。文字の上部には、十九夜講の守り本尊である如意輪観音像も浮き彫りされている。庚申塔の片方の建立年(1762年)とほぼ同時代のものDsc06163である。江戸時代には、子宝や安産を祈願するため、陰暦十九日の夜に若妻たちが集り、供物を供え念仏を唱えながら月の出を待つと云う行事(十九夜講)が盛んに行われていたとのこと、240年前に此処中新宿に暮らしていた女性達が建てた供養塔である。庚申塔といい十九夜塔といい、昔は事ある毎に集落で寄り合いを持ち、運命共同体としての結束を図っていたことが良く分る。陰暦十三日、十七日、二十三日、二十六日の夜にも無病息災や豊作を祈願する同じような月待ちの行事があったらしいが、それらの石塔は境内には見当たらない。そういえば二十六夜塔をどこかで見たような覚えもあるが・・・、さてどこだったか、最近は記憶力がめっきり衰えてしまい、昔のことを想い出すのは容易なことではない。 

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中新宿の庚申塚(柏市)

近所に庚申塚なるバス停がある。その近くの道路沿いの土手の上には、今でも古い庚申塔が2基建っている。バス停名に採用される位なので、Dsc06027昔はもっと沢山の庚申塔が建ち並んでいた場所なのであろう。現在東武バスが走るこの2車線道路は旧国道6号線(旧水戸街道)であり、江戸と水戸を結ぶ往時の主要往還である。庚申塔は街道筋や街道が交わる箇所に建てられたとのこと、ロケーションも納得できる。2基の庚申塔のうち、向って左のものには庚申講の本尊であり、病魔を払い除く青面金剛(しょうめんこんごう)が浮き彫りされている。青面金剛は仏教由来の尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰の中で独自に発展した尊像といわれている。 しかしながら、一面三眼六臂の像容は持物の武器や法具も含めて、密教の明王像である軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)やDsc06026金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)或いは降三世明王(ごうざんぜみょうおう)に通じるものがある。享保九甲辰(きのえたつ)(1724)年十月吉日の奉安、願主は小金領中新宿村の講中13名である。向って右のものには「青面金剛尊」と文字のみ彫刻されており、左のものに比べると形も小さく地味である。時代が下るにつれて庚申塔も簡素になり、「庚申塔」「庚申塚」「庚申尊天」などと文字だけが刻まれる作例が多くなるとのこと、右のものの建立年は宝暦十二壬午(みずのえうま)(1762)年十月吉日である。願主は同じく中新宿村の講中12名。現在では“庚申待ち”(60日に一度巡ってくる庚申の日の夜、仏家では帝釈天及び青面金剛を、神道では猿田彦を祭って、寝ないで徹夜する習俗。その夜眠ると、人身に棲む悪い虫“三し”が人の眠りに乗じてその罪を天帝に告げるとも、“三し”が人の命を短くするとも言う。中国の道教の守庚申に由来する禁忌で、平安時代に伝わり、江戸時代に盛行。庚申祭、庚申会とも云う。庚申待ちを営む仲間が庚申講であり、庚申講のメンバーが庚申供養のために建てたものが庚申塔である)の風習もすっかり廃れてしまったが、偶には遠い昔に思いを馳せてみるのも悪くはない。因みに、次の庚申の日は3月21日(金)である。  

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清水公園(野田市)

Dsc05995 2008年1月30日(水) ロウバイが見頃だというニュースを聞いて、家人と一緒に野田市の清水公園に行ってきました。本格的に鑑賞するなら秩父の宝登山ですが、まだフランス旅行の疲れが抜けず遠出する気になれません。自宅から23㎞、野田市総合運動公園の駐車場に車を駐め、一人350円也を支払って花ファンタジアに入場しました。今の時期は花の種類が少なく、その上ロウバイも寒牡丹もやや見頃を過ぎていたのは残念でした。それでも今日は18日ぶりに最高気温が10℃を超える小春日和、ゆっくり園内のそぞろ歩きを楽しむことができました。(写真は蝋梅、寒牡丹、ミツマタ)Dsc06013_2 Dsc06011  

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カサブランカ・CASABLANCA

Dsc05987 2008年1月9日(水) 妻は高島屋の着物市、義父は病院、義母はデイケアサービスにそれぞれ出かけてしまい、今日は有り難くも留守居役である。時間つぶしにDVDで1943年のアカデミー賞受賞映画「カサブランカ」を鑑賞する。小宅にはなぜか「カサブランカ」のDVDが2巻ある。ひとつは特別版で、ハンフリー・ボガート主演8作品のオリジナル劇場予告編も収録してあるもの、もうひとつはシンプルな廉価版である。今日は特別版の方を観る。「時の過ぎゆくままに(As time goes by)」のメロディーに乗せて、男と女の甘く切ない出逢いと別れを、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが見事に演じ切る。何度観ても飽きない。特にラストの滅私利他の場面が秀逸、男と女の別れは何時の世にも損得抜きで、かくありたいものである。作中のイヴォンヌとリックのやりとり、「ゆうべどこに?」「そんな昔のことは覚えちゃいない(That's so long ago , I don't remenber.)」「今夜逢える?」「そんな先のことは分らない(I never make plans that far ahead.)」、こんな格好いいセリフを一度でいいから言ってみたかったが、還暦を過ぎた今となっては、もはや手遅れである。

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フィラデルフィア美術館展(2007.12.06)

02 ギュスターヴ・クールベ

《スペインの女》

1855年

カンヴァス、油彩

80.3×64.8㎝

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フィラデルフィア美術館展

01 2007年12月6日(木) 上野公園にある東京都美術館で開催中(10月10日-12月24日)のフィラデルフィア美術館展を家人と観に行く。フィラデルフィアは初めての海外出張の時に訪れた街であるが、当時美術館に立ち寄る余裕などは全く無く、その存在すらも知らなかったほど。会場にはルノワール、モネら印象派の作品を中心に47作家77点の作品が展示されている。同館のコレクションの中から日本人受けする作家の作品を選び出し、時代順(グループ順)に並べてあるだけのような印象を受ける。気に入った絵は、クールベの「スペインの女」、ピサロの「ラクロワ島、ルーアン(霧の印象)」、ルノアールの「ルグラン嬢の肖像」など写実主義派や印象派の作品ばかり、人間が単純に出来ているせいかキュビズムやシュルレアリスムの奇を衒う作品はどうにも理解しがたい。最後の第5区画に入ると、ヨーロッパ美術の影響を受けたアメリカ人作家の作品をまとめて展示してある。この第5区画はちょっと押し付けがましい感じがする。これらの作品は前4区画の中の近いグループに(時代順に)もぐりこませた方が素直なのでは、などと愚考する。いつものように上野駅構内で食事をしてから帰宅。

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東京モーターショー2007

P1050547 2007年11月8日(木)11:30~16:00 今日はぐっと趣向を変えて東京モーターショーの見物、ずいぶん久し振りに幕張メッセに行ってきました。残る会期もあと4日、平日なので割合空いていましたが、主催者発表によると本日の入場者数は60,500人(累計1,119,400人)とのこと、若者の自動車離れが進み一時は200万人を越えたこともあるモーターショー人気も下降気味です。1,300円の当日券を買い北ホール(商用車・二輪車展示)、中央ホール、東ホール、西ホールP1050754 (3ホールとも乗用車展示)の順に観て回りましたが、人気車種や美人コンパニオンの前は黒山の人だかり、写真撮影も順番待ちの状態でした。見学者の中には、コンパニオンや未来カーには目もくれず、ひたすらボンネットやドアを開けてはガスケットやネジ等の撮影に専念している人もおりました。おそらく部品メーカーの人だと思いますが、華やかなショーの影で厳しい企業間競争が繰り広げられているようです。デジカメの電池が切れたので引き揚げてきましたが、眼福の一日でした。

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ムンク展(2007.11.06)

01_2

Edvard Munch

《声/夏の夜》(The Voice/Summer Night)

1893年

油彩、カンヴァス

90×119.5㎝

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ムンク展(国立西洋美術館)

101 2007年11月6日(火) 芸術の秋を楽しむべく家人を連れて久し振りに上野の国立西洋美術館へ。開催中のムンク展を鑑賞する。出展作品108点のうち3点を除き所蔵先は全てオスロ市立ムンク美術館、1990年の北欧旅行でオスロに行った時のコースに組み込まれていたのはヴァイキング船博物館とコンティキ号博物館とフログネル公園のみ、ムンク美術館には立ち寄れず心残りになっていた案件がこれで幾分解消できる。展示内容は装飾画家としてのムンクに光を当てたもの、会場は「第1章〈生命のフリーズ〉:装飾への道」「第2章〈人魚〉:アクセル・ハイベルク邸の装飾」「第3章〈リンデ・フリーズ〉:マックス・リンデ邸の装飾」「第4章〈ラインハルト・フリーズ〉:ベルリン小劇場の装飾」「第5章〈オーラ〉:オスロ大学講堂の壁画」「第6章〈フレイア・フリーズ〉:チョコレート工場の装飾」「第7章〈労働者フリーズ〉:オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト」の7区画に分けられ、装飾画家としての軌跡を辿れるものとなっている。ただムンクが遺言でオスロ市に寄贈した作品数は、油絵が1,100点、スケッチが4,500点、版画が18,000点にも及ぶ膨大なもの、それだけあれば今後も色々な切り口で展覧会が出来る。出展作品の中のお気に入りは「声/夏の夜」と「マドンナ」の2点、後者は大原美術館でも観ている。カタログを購入し、常設展をさっと観てから国立西洋美術館を後にする。丁度12時を回ったところなので、上野駅構内のパスタ専門店BRAVOに入りお昼を食べる。

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柏の葉公園

Dsc04813 2007年10月12日(金) 柏の葉公園にある薔薇園が開園し秋バラが咲いているとのこと、早速家人を誘って見物に行きました。薔薇園にはアメリカ、ドイツ、フランス、日本の代表的品種58種、1,580株が植栽されており、春(5~6月)と秋(10~11月)の開園時期に無料で鑑賞することができます。春に較べて花が一回り小さいような感じを受けましたが、プリンセス・モナコなどの大輪はさすがに見事、良く手入れが行き届いていました。序に日本庭園も一巡り、池泉回遊式庭園の秋景も味わいました。Dsc04831 帰宅して早速“いしざか びんが”のCD「山の歌・美しき恋人たちのメロディー」の中の「百万本のバラ」を掛け、家人に聴かせました。これで忘れていた家人の誕生日を遅ればせながら精一杯祝った積りですが・・・、まあ駄目かもしれません。後でやはり金品を要求されるかも・・・、“男の甲斐性”などと煽てられて・・・、なかなか生きるのも大変です(年金生活になると)。

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塩屋崎灯台

Dsc04764_2 2007年10月8日(月) 仙台から国道6号線を使って柏に戻る途中、いわき市のシンボル塩屋崎灯台に寄り道しました。灯台下の駐車場の一角に美空ひばりが唄う「みだれ髪」の歌碑が、更に灯台へ登る石段入口に若山彰が唄う「喜びも悲しみも幾歳月」の歌碑が建っています。どちらも団塊世代には馴染の懐かしい歌ですが、最近の若い人は知らないかもしれません。

俺ら岬のDsc04780燈台守は妻と二人で沖行く船の無事を祈って灯をかざす灯をかざす

冬がきたぞと海鳥鳴けば北は雪国吹雪の夜の沖に霧笛がよびかけるよびかける 

離れ小島に南の風が吹けば春くる花の香だより遠い故郷思い出す思い出す

あしたに夕べに入船出船妻よ頑張れ涙をぬぐえ燃えてきらめく夏の海夏の海Dsc04786

星を数へて波の音きいて共に過した幾歳月のよろこび悲しみ目に浮かぶ目に浮かぶ (作詞作曲 木下忠司)

灯台の崖に咲く純白のハマギクだけは昔日の姿と変りませんが、昭和の時代もすっかり遠くなりました。

 

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勿来関

Dsc04601 2007年10月5日(金) 所用があって仙台へ車で帰る途中、27、8年ぶりに勿来関に立ち寄りました。昔は関碑以外何も無い侘しい史跡だったように記憶していますが、現在は県立公園として整備が進み、いわき市勿来関文学歴史館や多目的和空間の“吹風殿”が建ち、文学歴史館と勿来関碑を結ぶ道は“詩歌の古道”と名付けられて、古今の歌人の歌碑・句碑・詩碑が林立しています。その幾つかを紹介しますと、「吹く風をなこその関とおもへども道もせに散Dsc04573 るやま桜かな(吹風遠那古曽能關登思弊登裳美遅毛勢耳散山櫻可難)」(源義家)、「風流のはしめやおくの田植うた」(はせを(芭蕉))、「名こそ世になこその関は行きかふと人もとがめず名のみなりけり」(源信明(みなもとさねあきら))、「みるめ刈る海女の往来の湊路に勿来関をわれすえなくに」(小野小町)、「なこそとは誰かは云ひしいわねとも心にすうる関とこそみれ」(和泉式部)、「東路はなこその関もあるものをいかでか春の越えてきつらん」(源師賢)、「九面や(ここつらや)潮満ちくれは道もなしここを勿来Dsc04614 の関といふらん」(飛鳥井宗勝)、「桜木の石にもなりてくちぬなを関のこなたにととめけるかも」(海上比佐子)、「山桜われも日本の武士にして」(永野修身)、「みちのくの勿来へ入らむ山がひに梅干ふふむあれとあがつま」(斉藤茂吉)など。周囲の樹木が育ったためか東屋から眺める太平洋の景色はいまいちですが、櫻の名所は格好の市民憩いの場になっているようです。展望台入口にあるアカマツ林でハツタケを見つけるおまけまで付いて、すっかり満足してみちのく路に入りました。

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映画「長江哀歌」

Photo 2007年8月28日(火) 暇なので再び家人と映画鑑賞へ。有楽町駅で下りてシャンテ・シネに着いたのは上映開始ぎりぎりの11:40、既に満席で次の14:25の指定席券を購入しました。平日なのに満席とは・・・、2006年ベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリを射止めた作品の人気は絶大です。時間が有り余るので先ず日比谷シャンテB2Fのレストラン街へ行きパスタの店“壁の穴”でランチ、ちょうど昼時で長い行列に並びました。その後日比谷公園を散策しましたが蒸し暑いので早々に退散、帝国ホテルに入って涼みながらショッピングモール探訪などをしました。14:25からようやく「長江哀歌」(ジャ・ジャンクー監督)を鑑賞、三峡ダム建設という国家巨大プロジェクトにまつわる影の部分を描いた作品の感想は「・・・」、最初から最後まで寝ている人もいました。極端な格差社会に生きる中国の下層階級の人々の、どうあがいても浮かび上がれない非情な現実を描いた、暗く・けだるく・息苦しく・やりきれない内容でした。中国には何度か行って底辺の人々の暮らしも見ているので自分はそれほど新鮮味も驚きも感じませんでしたが、この映画で初めてそれを観る人はカルチャーショックを受けるかもしれません。当局の検閲や発禁を受けることなくよくも世界に開示されたものだと、その点だけに感心して映画館を後にしました。

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映画「22才の別れ」

2201 8月23日(木) 娘からペア券をもらったので久し振りに新宿へ行き家人と映画を観てきました。上映館のテアトル新宿は伊勢丹メンズ館隣とのこと、東口に出てみると駅前はビルが建て込み伊勢丹の方角が分かりません。とうとう東口交番の警察官に尋ねる羽目になりました。映画館で座席の予約をしてから近くのビル4Fにあるタイ屋台料理の店チャンパーへ行きランチセットを食べました。値段と味のバランスがリーズナブルなせいか大繁盛、トムヤンクンや生春巻きが美味でした。映画は13:10~15:30、平日とあって館内はガラガラ、椅子は飛行機のビジネスクラス並みにゆったり、冷房が心地好く眠くなりました。大林宣彦監督、筧利夫主演の映画の内容は、伊勢正三が歌う「22才の別れ」の歌詞をなぞったたわいのないものでしたが、遠い昔の自分にもあった「出逢いと別れ」を懐かしく想い出しました。

ひとつだけこんなわたしのわがままきいてくれるなら あなたはあなたのままで変らずにいてください そのままで 

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六義園・つつじ祭り

Dsc009482007年4月26日(木) 家人と一緒につつじ祭りの梯子、午前が根津神社、午後は駒込の六義園(りくぎえん)。 躑躅だけなら断然根津神社に軍配が挙がるが、六義園の回遊式築山泉水庭園をそぞろ歩けば気分はお殿様、カラスがやたらに多いのは気になるが、東京の街中とは思えない深い緑の空間に癒される。入園料は300円也。

《六義園》元禄15(1702)年川越藩主柳沢吉保が自ら設計指揮して完成した回遊式築山泉水庭園。園は吉保の文学的教養により作庭され、園名は古今和歌集の序文に見える六義にちなみ命名され、園内八十八箇所の名勝とともに元禄時代を 代表する和歌趣味豊かな大名庭園。明治時代三菱の創業者である岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13(1938)年岩崎家より東京市(都)に寄付、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定されて現在に至る。(六義園パンフレットより)

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根津神社・つつじまつり

Dsc00925 2007年4月26日(木) 今日は家人と東京散策、根津神社と六義園の躑躅祭りを見物してきました。 

《根津神社》 御祭神; 素戔鳴尊(すさのおのみこと)外四柱、例大祭;九月二十一日、鎮座地;文京区根津1-28-9、景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀、後文明年間に太田道灌が社殿を奉建した。現在の社殿は宝永三年五代将軍徳川綱吉が嗣子家宣の氏神社として当地に奉建したもので、当時の唐門、透塀、楼門等の結構がすべて現存、 国の重要文化財に指定されている。又その祭礼は天下祭として有名で今に伝えられている。境内は約七千坪、古来つつじが岡と称せられ、今も花季には数千本が咲き競う名勝である。(「元准勅祭神社 東京十社めぐり」より転載)

つつじまつり:4月7日(土)~5月6日(日)、入園料(神苑整備の寄進名目):200円、境内茶店の酒饅頭:6個500円(お茶のサービス付き)

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殿塚・姫塚/柴山仁王尊

2007年4月24日(火) 九十九里浜へキノコ観察へ行った帰り道、Dsc00889いつも素通りしていた柴山町の国指定史跡「殿塚・姫塚」に行って 見ました。どちらも古墳時代後期の6世紀末に築造された前方後円墳で、殿塚は長軸88m・高さ13m、姫塚は長軸58m・高さ6mあるそうです。1956年早稲田大学が発掘調査を行い、その結果全国でも稀な形象埴輪(農夫、馬武人、婦人など)の行列がほぼ完全な状態で出土し、一躍有名になったとのことです。その後の1958年6月28日に国指定史跡に登録され、現在に至っております。出土品の埴輪は柴山仁王尊の芝山はにわDsc00900 博物館に展示公開されているとのこと、そちらも訪ねてみました。柴山仁王尊は正式には天応山観音教寺と言いますが、火事泥棒除けにご利益ある仁王様が人々の信仰を集めた結果、「柴山仁王尊」の名で呼び親しまれるようになったそうです。天応元(781)年創建の天台宗の古刹で、ご本尊は十一面観世音菩薩です。中世には房総を支配した千葉氏の祈願寺として栄え、江戸時代には徳川幕府の庇護のもと十万石の格式を持ち、「伴頭寺」にその名を連ねた房総を代表する大寺とのこと、確かに立派なお寺でDsc00896、博物館の展示物も、一階の埴輪、二階の「釈尊絵伝」を中心に大変充実しておりました。

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羊山公園

P1040321 2007年4月20日(金) 秩父観音巡礼を結願し安心したところで、芝櫻で有名な秩父市の羊山公園(ひつじやまこうえん)へ行ってきました。羊山公園の一角、16,000平方メートルの芝桜の丘には、8種類(オーキントンブルー、エメラルドクッション、マックダニエルクッション、多摩の流れ、オータムローズ、スカーレットフレーム、アメージンググレース、リットルドット)の芝櫻が35万株植えられているとのこと、未だ7、8分咲きというところでしたが、秩父の名山武甲山を背景に見事な花の絨毯を広げておりました。なんでも花模様は、秩父夜祭の屋台や笠鉾の囃し手の襦袢模様と躍動感とをデザインしたものとか、一度秩父夜祭も見物したくなりました。 芝桜の丘の入園料は300円(大人)、周辺の駐車場料金は500円と良心的なので、家族でゆっくり一日を楽しめます。平日にもかかわらず本日は18,000人が訪れたとのこと、明日からは土日・祝日の市内交通規制も始まり、GW明けまで一段と賑わうことでしょう。

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あけぼの山農業公園(柏市)

P1040247 2007年4月16日(月) 今年も又行ってきました、あけぼの山農業公園。今や柏市だけでなく関東有数のチューリップの名所、一目10万本の花花花を楽しんできました。恒例のチューリップ祭りは昨日、おとといで終り、今日は今にも降り出しそうな空と平日のせいで人出も少なく、ゆっくりじっくり鑑賞できました。チューリップのほかに満開の菜の花と芝桜も楽しめ、これで入園料も駐車場も無料では余りにも申し訳なく、園内の野菜直売店で新鮮なダイコンとカブとネギを求め、ハウス露店で草餅を買ってきました。

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モネ大回顧展

01_296 2007年4月12日(木)、国立新美術館。3年半ぶりに原宿・六本木地区に足を踏み入れる。2003年の六本木ヒルズに続き、つい最近東京ミッドタウンも開業して、この地区の変貌は著しい。日比谷線六本木駅4a出口から歩くこと5分、黒川紀章氏設計の国立新美術館に着く。付近は角張った高層ビルが建ち並ぶ息苦しい処、その中でガウディ建築を思わせる曲面低層の美術館は異彩を放つ。グリーンを基調にした色使いも良く、都心のオアシス、癒しの空間と言える。その新美術館の杮落としに選ばれた企画が「モネ大回顧展」、モネ独特の点描風タッチと柔らかい色使いの絵画も癒し調、日本人好みで無難な選択である。オルセー美術館はじめ国内外から集められた97点もの作品が展示されている。やはりモネは水辺の風景を描いた作品が秀逸、水面のミラー効果を十二分に意識し、実像と虚像、光と影を巧に扱う技は他の追随を許さない。日本の春の里山を、芽吹き時の「山笑う」を、あのタッチで描かせたらさぞかし・・・などと仕方も無いことを考える。モネ鑑賞だけで疲れてしまったので、東京ミッドタウンの見学はパス、乃木坂駅から千代田線に乗って帰る。

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廣池学園

Dsc00580 2007年4月1日(日)、自宅から歩いて5分の廣池学園(麗澤大学、高校、中学校、幼稚園を運営、モラロジー教育が有名)、柏市有数のサクラの名所である。最近は警備が厳しくなかなか構内に入れてもらえないがこの時期ばかりは別、門戸が開放され遠方から車で訪れる市民も多い。学園内なので酒類の持ち込みや鳴り物は当然禁止、お陰で上品にお花見を楽しめる。ソメイヨシノの古木が立ち並ぶ中央通路はサクラのトンネルが一際見事、皆頭上の花を愛でながら写真撮影に余念が無い。 そんな中で植え込みの陰や草むらに目を配るのは自分ひとり、言わずもがなのキノコ観察である。努力の甲斐あって漸くトガリアミガサタケを発見、まさに花より団子とはこの事である。

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偕楽園(水戸市)

Dsc00350 2007年3月7日(水) 百種三千本の梅の香が満つる偕楽園へ今日はドライブ。偕楽園は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭(烈公:1800~1860)が天保十二年(1841)から十三年にかけて造園したもの、名称は「孟子」第一巻・梁恵王章句上・第二章にある「古(いにしえ)のひとは民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」から採られている。あずまや“好文亭”へと続く南崖に建つ正岡子規の句碑は「崖急に梅ことごとく斜なり」。好文亭の名前は梅の異名好文木に由来する。Dsc00335 二層三階の建物は戦災で焼失したのを昭和33年に復元したもの、一階各室(菊の間、桃の間、つつじの間、紅葉の間、松の間、竹の間、梅の間、萩の間、サクラの間、etc)の襖絵、太鼓橋廊下、客室対古軒(たいこけん)、茶室何陋庵(かろうあん)、三階の楽寿楼(らくじゅろう)などことごとく数寄を凝らした造りである。対古軒の名前の由来は、古歌「世をすてて山に入る人山にても なおうきときはいづち行くらん」に対し、烈公が「世をすてて山に入る人山にても なおうきときはここに来てまし」と詠んだからとか。Dsc00323楽寿楼から眺める千波湖の景色は秀逸、ミス梅祭りもなかなかの美形である。園内の六名木と云われるのは、白難波(しろなにわ)、虎の尾(とらのお)、柳川枝垂(やながわしだれ)、烈公梅(れっこうばい)、江南所無(こうなんしょむ)、月影(つきかげ)、好文亭とともに必見である。又、今はトサミズキ、ヤブツバキ、クロッカスも咲いている。見所は盛り沢山、これで入園料無料(好文亭のみ190円)は申し訳ないほど。

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オルセー美術館展(2007.03.01)

Photo_22 Pierre-Auguste RENOIR(ルノワール)

《ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子供)》

1887年

油彩、カンヴァス

65.5×53.5㎝

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オルセー美術館展(2007.03.01)

Photo_21 Edouard MANET(エドゥアール・マネ)

《すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ》

1872年

油彩、カンヴァス

55×38㎝

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オルセー美術館展

01_2692007年3月1日(木)、家人と二人で久し振りに上野の森へ。東京都美術館で開催中の表記展覧会を鑑賞に行く。会場へ着くと、人・人・人・、平日なのに入場まで30分待ちの行列が出来ている。東京は本当に人が多い。オルセー美術館展は1996年と1999年にも開催されており今回が3回目、トリロジー(3部作)の最終章という位置づけらしい。今回は「19世紀 芸術家たちの楽園」 というテーマで、ミレー(1814-1875)、マネ(1832-1883)、ドガ(1834-1917)、ラトゥール(1836-1904)、セザンヌ(1839-1906)、シスレー(1839-1899)、モネ(1840-1926)、ルノワール(1841-1919)、ゴーガン(1848-1903)、バルトロメ(1848-1928)、ゴッホ(1853-1890)、ロートレック(1864-1901)など錚錚たる画家の作品が並ぶ。1850年頃の初期銀塩写真の展示もあったが、写真の登場が当時の絵画界に与えたであろう衝撃の大きさは想像に余りある。従来の記録性重視の写実的絵画は後退を余儀なくされ、デフォルメや積極的省略、非現実・超現実主義、抽象・虚構主義など、写真との違いを際立たせる今日的絵画世界が誕生する契機になったものと想われる。くたくたになって帰宅。

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伊能忠敬記念館(香取市)

Dsc002032007年2月25日(日) 伊能忠敬記念館を見学するため香取市(旧佐原市)までドライブ。記念館が建つ小野川河畔一帯の街並は、平成8年に関東で初めての「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。今でも呉服屋、荒物屋、乾物屋など旧い商家が建ち並び、「江戸優り」とまで謳われた往時の佐原の繁栄を彷彿とさせる。伊能忠敬(1745-1818年)は、50歳を過ぎてから暦学・測量術を学び、日本全国の海岸線を踏破・測量して「大日本沿海輿地全図」を作成したが、Dsc00200非常に正確なものであり、明治時代の内務省・陸軍省・海軍省も活用したとされている。 井上ひさし著「四千万歩の男」を読んでみたくなる。記念館を出た後旧宅を見学、忠敬茶屋で忠敬弁当(1,000円)を食べる。更に伊能家17代当主が営む喫茶店“珈琲遅歩庵いのう”でブレンドコーヒー(450円)を飲む。今日の千葉市の最低気温は今冬初めての氷点下(-0.2度)、利根川を渡る風が冷たい。

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大エルミタージュ美術館展(2006.11.15)

01_213 パブロ・ピカソ

《農夫の妻(全身像)》

1908年

油彩・カンヴァス

81.2×65.3㎝

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大エルミタージュ美術館展

2006年11月15日(水) 上野公園の東京都美術館で開催(10月19日~12月24日)中の「いま甦る巨匠たち400年の記憶 大エルミタージュ美術館展 02_80ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで」を観に行く。昨年11月のプーシキン美術館展も見学したので、これでロシアの2大美術館所蔵の作品(の一部)を鑑賞することになる。東京都美術館では現在日展も開催中で大混雑、それにしても平日なのにと思ったら、何と今日は「シルバーの日」で65歳以上の人なら誰でも無料で入場できる。それにしても年金、医療費、マル優貯蓄をはじめ各種優遇政策に恵まれる日本はまさに高齢者天国、これでは現役世代が気の毒になる。「とんでもない日に来てしまった」と妻のぼやくことぼやくこと、間も無くシルバーの仲間入りする自分としては何も言えない。入館するまで30分間行列し、館内も押し合い圧し合いの人だかり、とても絵をゆっくり鑑賞する気分になれない。油彩画80点の中の目玉は、ゴーギャンの「果実を持つ女」(写真)、ルノアールの「扇子を持つ女」、ピカソの「農夫の妻(全身像)」などであるがどうも印象が薄い。今後第3水曜日は出歩かないで家に沈澱することにしよう。

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特別展「一木にこめられた祈り 仏像」

01_202 2006年10月13日(金) 上野の東京国立博物館で開催中の特別展「一木にこめられた祈り 仏像」を観に行く。奈良時代から江戸時代にかけて、一木彫(いちぼくちょう:一本の木材から像を彫り出す技法)で造られた国宝・重文45体を含む146体の仏像が出品されている。奈良・唐招提寺の伝薬師如来立像や神奈川・弘明寺の十一面観音菩薩立像は現地で拝観したことがあるだけに殊更懐かしい。使われている材はカヤ、クスノキ、トチ、ケヤキ、カツラ、スギなど大樹に育つ種類ばかり、ご神木ご霊木として崇められた巨樹巨木から彫り出されたであろう仏像は有り難味もひとしおである。江戸時代の円空仏と木喰仏は庶民の仏様、一見簡素であるが、素材をなるべく削り込まずに「木のいのち、木のこころ」を最大限に生かしている。貴顕のための仏像と違って、容貌やお姿にほのぼのとした温かみがある。これなら自分にも彫れそうである。六十の手習いで仏像を彫ってみようか、でも百観音巡礼も未だ残っているし・・・、これ以上手を広げると収拾がつかなくなる。あとなし人よ、さてどうする。

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大原美術館(2006.09.30)

Photo_13エル・グレコ

《受胎告知》(Annunciation)

1590-1603年頃

油彩・画布

109.0×80.0㎝

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大原美術館(2006.09.30)

Photo_10エドヴァルド・ムンク

《マドンナ》(Madonna)

1895-1902年

石版・紙

46.3×41.0㎝

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足立美術館(2006.09.28)

Photo_11伊藤深水

《春の雪》

1948年

絹本彩色、額装

61.0×72.0㎝

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足立美術館(2006.09.28)

Photo_9 安田靫彦

《王昭君》

1947年再興第32回院展

紙本彩色、額装

88.0×55.3㎝

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国立西洋美術館(2006.09.14)

02_66クロード・モネ

《睡蓮》

1916年

油彩・カンヴァス

200.5×201㎝

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国立西洋美術館(2006.09.14)

01_188 ピエール=オーギュスト・ルノワール

《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》

1872年

油彩・カンヴァス

156×128.8㎝

(国立西洋美術館の常設展は充実している。しかも入館料470円、藝術の秋にひと時を過ごすにはもっってこい。)

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ベルギー王立美術館展(2006.09.14)

01_183 ルネ・マグリット

《光の帝国》

1954年

油彩・カンヴァス

146.0×114.0㎝

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ベルギー王立美術館展

2006年9月14日(木)、国立西洋美術館で開催中(9月12日~12月10日)のベルギー王立美術館展を観に行く。 16、17世紀のフランドル絵画と01_184 20世紀のシュルレアリストの作品を主体に、油彩画70点とデッサン39点が出展されている。中でも目玉は、ベルギー王立美術館を代表する傑作として名高い、ブリューゲル(父)の《イカロスの墜落》(油彩・カンヴァス、73.5×112.0㎝)である。近年、作者をめぐって真筆論争が起きているらしいが、本当に人を感動させる絵であれば作者は誰でも構わない。大家が書けばどんなものでも珍重されるという方がおかしい。欧州の古代神話や宗教に通暁していないこともあって、フランドル絵画は心に響くものは少なかったが、シュルレアリスムの画家の作品にはハッとさせられるものもある。

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若冲と江戸絵画展(2006.07.12)

02_51 曽我蕭白 筆 二幅

「寒山拾得図」

紙本墨画

各縦127.0㎝ 横53.5㎝

江戸時代 18世紀

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若冲と江戸絵画展

01_122  2006年7月12日(水)、東京国立博物館で開催中の「若冲と江戸絵画展」を観に行く。アメリカ人の実業家ジョー・プライス氏の江戸絵画コレクション600点余の中から、厳選された109点が展示される。伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪の異端・奇想の作品はやや息苦しいが、江戸琳派を代表する酒井抱一、鈴木其一の作品は軽妙洒脱、都会的センスに溢れる。また、今回光に変化を加えた展示室で屏風や掛幅を見せる工夫がなされている。光のゆらぎの中で観ると、作品のモチーフが浮き上がりそして沈み込む。面白い見せ方である。写真は伊藤若冲筆「旭日雄鶏図」(絹本着色、縦109.2㎝ 横48.5㎝、江戸時代 18世紀)。

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台北・故宮博物院(2006.6.20)

02_49 清乾隆 粉彩鏤空套瓶

高38.5cm 口径9.5cm 底径13.8cm

磁器

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ルーヴル美術館展(2006.6.27)

01_107パナティア祭型黒像式アンフォラ

製作:アッティカ派

製作年:前323-前322年

発見地:ベンガジ(リビア)

素材:陶器

大きさ:高66.5cm、径32.6cm

(備考:アンフォラとは二つの把手を意味し、相対する垂直の把手を持つ壺のような形状の容器の総称。ワイン、オリーブ油など液体の貯蔵と運搬用)

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ルーヴル美術館展 古代ギリシャ芸術・神々の遺産

02_42 6月27日(火)、久し振りに上野の森へ芸術観賞に行く。東京藝術大学の大学美術館で開催されている「ルーヴル美術館展 古代ギリシャ芸術・神々の遺産」である。何でもルーヴル美術館の古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門の展示室を改装するとのことで、その期間の海外貸出しである。隣の東京都美術館でも「プラド美術館展」を開催しているが、今年1月に現地で観た超一級品は含まれていない。ルーヴル美術館展もそんなに期待は出来かねる。上野駅構内で昼食を済ませ、東京藝術大学に初めて足を踏み入れる。最近W画伯の盗作騒ぎで大分株を下げた感はあるが、何といっても天下の藝大、さすがの雰囲気である。地下2階と地上3階に展示された134作品を2時間かけて観賞する。神々の遺産はちょっと大袈裟にしても、2,500年前の大理石の彫刻群は、見事なまでに“動と静”を表現する。写真は、世界で最も美しい少年、トロイの王子といわれるガニュメデス(製作年:130年頃、製作地:イタリア、原作者:エウフラノール、素材:大理石、大きさ:高56.0cm)、今回一番のお気に入りである。それにしても乳白色の石の彫刻を100体以上も熱心に観ると神経が疲れる。学食(大浦食堂)でコーヒーブレーク、一足先に帰る妻と別れて、国立博物館の常設展に仏像を観に行く。大理石で強張った神経を木でほぐす。やはり東洋美術の方が心が休まるようである。

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天台宗開宗1200年記念特別展「最澄と天台の国宝」

03_4  坂東33観音霊場の浅草寺にお参りしてからバスで上野へ出て、国立博物館で開催中(3月28日~5月7日)の「最澄と天台の国宝」展を観に行く。上野公園の桜は散り始めており、時折り花吹雪が舞う。展示作品166件中、国宝が31件、重要文化財が100件、全国80ケ寺から秘仏や本尊仏が集められた100年に一度の大展覧会とのこと、これは見逃せない。会場内に入ると、そこはかとなく薫香がたちこめており、どこからともなく声明も聞こえてくる。演出もなかなかにくい。写真は重要文化財の「伝教大師坐像」(滋賀・観音寺)である。小家の菩提寺(仙台の大林寺)は道元を開祖とする曹洞宗の寺であるが、道元も比叡山で出家をしているので天台宗の流れを汲んでいる。ありがたやありがたや。

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あけぼの山農業公園

午後北柏のあけぼの山を散策、Cimg3328 柏市随一の桜の名所である。山といっても利根川沿いにある小丘で、最近では隣の農業公園に咲く10万本のチューリップの方が有名である。今日は強風が吹き荒れ、周辺の畑地から舞いあがる土埃がひどい。ゆっくり落ち着いて花見もできないが、満開のソメイヨシノに寒緋桜、芝桜、三色スミレが咲き競う。恒例のチューリップ祭りは今月の15、16日、未だ蕾のものも多く見ごろは少し先になる。花より団子と露店で草餅を買う。一口頬張ればヨモギ特有の香りが馥郁と鼻腔に広がる。労せずして旬を味わい満足満足、草餅代500円・入園無料・駐車場無料、春遊にはうってつけの所である。

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藤田嗣冶展(2006.03.30)

01 「裸婦」(Nude)

1923年

油彩・キャンバス 144.0 x 87.5cm

フォール美術館

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生誕120年藤田嗣冶展

01_3 3月30日、満開の千鳥ケ淵の桜を初めて見物する。平日というのに人出がすごく、千鳥ケ淵緑道は押すな押すなの大盛況である。満々と水を湛えたお堀、高々とした江戸城の石垣、それに満開の桜とくれば無理もない。絵にもなるし写真にもなる。ただ残念なのはお堀の水色が悪い。「千鳥ケ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて・・・」は確か、さだまさしが歌う“風に立つライオン”の一節であるが、なるほどライトアップされた夜の方が好ましいかも。美しいものだけ見ることができる。桜見物の後、竹橋の東京国立近代美術館で開催中(3月28日~5月21日)の「生誕120年藤田嗣冶展」を観に行く。写真はパンフレットに採用されている「カフェにて」(油彩・キャンバス、77 x 65cm、1949-63年)である。この作品も含め、パリ時代から晩年に至るまでの97作品が展示されていたが、中では「素晴らしき乳白色」と称えられた裸婦を描いた1920年代の作品群が秀逸である。春うらら、眼の保養に努めた一日。

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東京国立近代美術館工芸館「所蔵作品展・近代工芸の百年」

01 2月2日(木) 九段にあるインド大使館にVISAの申請に行く。大学生の卒業旅行シーズンに当るためか結構混んでいる。10:00に入館して手続きを終えたのが11:00、受取りの17:00迄6時間も潰さねばならない。北の丸公園と皇居本丸部分を散策すると、サザンカ、カンツバキ、ロウバイ、マンサク、フユザクラなどが咲いている。今は冬の花と早春の花が両方見られる。赤い実が目立つ木は、イイギリ、クロガネモチ、モチノキ、ウメモドキ、マンリョウなどである。冬の皇居散歩もなかなか捨て難い味がある。東京国立近代美術館工芸館に行くと「所蔵作品展・近代工芸の百年」をやっている。写真は小名木陽一作「赤い手ぶくろ」(1976年)である。浜田庄司やバーナード・リーチの焼物は分るが、「骨の耳」とか「MELT」とか「苦闘する形態V-1」になると理解するのに苦闘する。遅い昼食の後スタバでコーヒータイム、「樅の木は残った」を読むうちに16:30を回る。

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プラド美術館(2006.01.15)

01 フランシスコ・デ・スルバラン

「無原罪のお宿り」

1630/35年頃

カンヴァス 139x104cm

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プラド美術館(2006.01.15)

01 エル・グレコ 

「胸に手をおく騎士の肖像」

1577/84年頃

カンヴァス 81x66cm

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北斎展

01   12月2日(金)  メキシコ旅行の疲れもとれたので、上野の国立博物館に北斎展を観に出かける。開催期間も残すところ 3日になったせいか、平日なのに入場制限まである大混雑である。本来手元で眺めるように意図されている小品の細密版画は、近寄らねばとても観賞できず、必然的に大渋滞が起きる。代表作の「富嶽三十六景」の前は黒山の人だかりである。北斎芸術は、肉筆画を除き彫師や摺師との共同作業の産物であるが、それら無名の健気組には全く陽が当たらない。いつの時代もそうであると、そんなことを考えながら11:00から14:00の間、500点の作品を観賞する。

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第37回日展

202 2005年11月8日(火) 昨日今日とポカポカ陽気が続く。家に沈殿しているのも勿体無いので、妻を誘い上野の東京都美術館で開催中の日展を観に出掛ける。会場は平日なのに大賑わい、高校生も多く、義理で来ている人も結構いる。彫刻、日本画、洋画、工芸美術、書と5時間かけてひと通り観たが、さすがにいずれも力作である。文部大臣賞や特選に選ばれた作品と入選作とは紙一重、どの作品に特選札が下がっていても違和感はない。会場を出る頃にはすっかり感化されて、ひとつ明日から彫刻でも始めようかという気分になる。ちょうど海外出張や旅行から帰ってきて暫くは、英会話を真面目に勉強したくなるのと同じである。一晩眠れば多分気持は静まる。60歳の手習いでは、”芸術家もどき”になるのすら難しい。

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プーシキン美術館展(2005.11.02)

01_89 ポール=セザール・エルー

「毛皮の帽子を被った女」

1990年代?

多色ドライポイント(4色刷り) 57.3×30.5㎝

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プーシキン美術館展

01_88 2005年11月2日(水) 秋晴れの好天に誘われ、上野の東京都美術館で開催中の「プーシキン美術館展」を観に出かける。モスクワにあるプーシキン美術館のコレクションは、サンクトペテルブルグにあるエミルタージュ美術館と並び、ロシア国内では双璧を成すとのこと。今回はフランス近代絵画と版画を中心にした出展で、目玉はアンリ・マティスの傑作「金魚」である。小生のお気に入りは、ポール=セザール・エルーの「毛皮の帽子を被った女」、どうもこの歳になっても相変わらず美人に弱い。

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「華麗なる伊万里、雅の京焼」展

2005年10月7日(金) 国会図書館で調べ物をして6階の食堂”おあしす”で昼食を済ませた後、上野の国立博物館に特別展「華麗なる伊万里、雅の京焼」を観に行く。先ず本館で、興福寺創建1300年記念特別公開の「国宝仏頭」を拝観する。206 実に穏やかな良いお顔である。火災に遭っても奇跡的に焼失を免れた有り難い御仏である。 表慶館の特別展では、「初期伊万里」「伊万里・古九谷様式」「伊万里・柿右衛門様式」「金欄手」「鍋島」と時代順に17~18世紀の伊万里の名品を観る。「伊万里」「鍋島」は足利市の栗田美術館でも沢山観たが、国立博物館に並ぶものは一味違う。京焼は「仁清」「乾山」「奥田頴川」「青木木米」「仁阿弥道八」「永楽保全」と、やはり時代順に名工の逸品を観る。今日は芸術の秋を堪能して気分が良い。陶磁器の鑑識眼がどれほど研ぎ澄まされたか、来週火曜日の「開運なんでも鑑定団」が待ち遠しい。

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「遣唐使と唐の美術」展

205 2005年8月19日(金) 朝から陽射しが強く残暑が厳しい。家にいても暑いだけなので、涼を求めて上野の東京国立博物館に出かける。一年前から家人とふたりで友の会会員である。特別展は「遣唐使と唐の美術」、最近西安郊外で発見された”井真成”(セイシンセイ)なる遣唐留学生の「墓誌」が展示の目玉である。それにしても異国の地に骨を埋めてまでも知的探究心を燃やし続けた古代日本人のエネルギーはすさまじい。同時に展示されている唐時代の文物は大半が陝西省歴史博物館から借用したもの、初めて見れば唐三彩や精巧な金銀製品に感激したかも知れないが、今年の1月に西安で既に見学している。ガーデンテラスで昼食を済ませ、大谷探検隊の将来品を見学するため「東洋館」にも立ち寄る。館内は確かに涼しかったが行き帰りで汗だく、今日の東京の最高気温は34度である。

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五百城文哉展

204 2005年8月2日(火) 東京ステーションギャラリーで開催中の五百城文哉(イオキブンサイ)展に行く。近年再評価の気運が高まっている明治時代の洋画家である。日光の社寺や風景、植物を描いたものが多い。いずれも写実的で緻密な仕上がり、とても水彩画とは思えない。なかでも楽しみにして行った94点の高山植物写生図は見事、植物細密画(ボタニカル・アート)の先駆者といってよい。牧野富太郎博士とも交流があったとのこと、植物学者でもある。中に”ニョホウチドリ”なる高山性ランの画がある。これまではてっきり”ハクサンチドリ”かと思っていたが、むむ、またひとつ新しい勉強をする。これは女峰山にもう一度登る口実になるかも。

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ベルリンの至宝展(2005.04.05)

01_155ラファエロ・サンツィオ

「聖母子(コロンナの聖母)」

1508年頃

油彩、板  78.9×58.2㎝

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ベルリンの至宝展(2005.04.05)

Photo_4サンドロ・ボッティチェリ

「ヴィーナス」

1485年頃

テンペラ、カンヴァス 

158.0×68.5㎝

(2005年4月5日~6月12日、東京国立博物館平成館にて開催)

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中国国宝展

01_166 2004年9月28日(火)、東京国立博物館。久し振りに天候回復、妻と東京散策に出る。先ず今日から始まる中国国宝展へ。11:00から14:00まで見学、新規の発掘品と仏教美術品の展示である。多彩、精巧、華麗!中国は歴史も文明文化も底無しに奥が深い。その後上野精養軒で昼食、いつの間にか高級ホテルのような建物に変身している。建物は立派になったが、ランチセット、ビーフカレーとも値段の割りに味はいまいち。神田明神、湯島聖堂も見物して帰る。

「白磁龍首浄瓶」(写真)

磁器

高61㎝、径18.7㎝、底径10.9㎝

北宋時代・10世紀後半

1969年、河北省定州市浄衆院塔基出土

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馬頭町広重美術館(2004.04.24)

中山道広重美術館所蔵「木曽海道六拾九次展」、平成16年4月15日~5月16日、栃木県那須郡馬頭町の馬頭町広重美術館にて開催。01_173

写真は歌川広重の「木曽海道六拾九次之内 高崎」

天保8(1837)年頃、24.1㎝×36.6㎝

江戸時代の高崎は、松平右京亮八万二千石の城下町として大いに繁栄した。「木曽路名所図会」には、「この国都会の地にして、月ごとに六度の市あり」とある。画面中央の川は、画面左から流れる碓氷川と烏川が合流するところと考えられている。川向こうに見える集落は豊岡で、木曽街道はその奥の橋を通る。右の土手は高崎城でその裏が宿場である。川にせり出した茶店の男が見やるのは、青くかすんで見える榛名山、旅の長閑なひとこまを描出した、いかにも広重らしい作品。

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ファン・ゴッホ美術館(1997.09.26)

04_15Vincent van Gogh

View of Arles with Irises in the Foreground

May  1888

Canvas, 54×65㎝

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ファン・ゴッホ美術館(1997.09.26)

02_59 Vincent van Gogh

Vase with Sunflowers

January 1889

Canvas, 95×73㎝

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ファン・ゴッホ美術館(1997.09.26)

05_10 Vincent van Gogh

Self-portrait as Painter

January 1888

Canvas, 65.5×50.5㎝

(ドイツ・オランダ出張時に立ち寄り見学)

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アムステルダム国立美術館(1997.09.26)

02_58 ヨハネス・フェルメール

「手紙を読む女」

1662/1663年

画布 46.5×39㎝

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アムステルダム国立美術館(1997.09.26)

01_152 ヨハネス・フェルメール

「台所女」

1660年頃

画布 45.5×41㎝

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アムステルダム国立美術館(1997.09.26)

01_151

レンブラント・ファン・レイン

「夜警」(フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・レイテンブルフ中尉の部隊)

1642年

画布 363×437㎝(部分図)

(ドイツ・オランダ出張時に立ち寄り見学)

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マルク・シャガール展(1997.07.21)

01_164 マルク・シャガール

「恋人達と黄色い天使」

1981年

アクリル・油彩、カンヴァス

41.0×33.0㎝

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マルク・シャガール展(1997.07.21)

02_63 マルク・シャガール

「サーカスの情景」

1977年

グアッシュ、紙

67.0×52.0㎝

(1997年7月15日~8月17日、高崎市美術館にて開催)

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諏訪北澤美術館(1996.09.08)

01_169 1996年9月8日(日) 木曽駒高原寮前泊。標高1,200mの高原の夜は毛布と布団が必要なほど冷え込む。10月には炬燵を入れるとのことであるが、もう今から火が恋しい。前夜渓流釣りの話で意気投合した管理人さんからイワナ、ヤマメ、ウグイを土産にもらう。恐縮至極、8:30出発する。塩尻から高ボッチ高原に登り、10:10山頂駐車場着。虫の音を聞きながら山頂まで逍遥、マツムシソウ、ワレモコウ、アキノキリンソウが草原に咲く。山頂は360度の大観、北アルプス、乗鞍岳、中央アルプス、八ヶ岳、南アルプス全てが見渡せる。特に穂高と槍はくっきり見える。11:45諏訪北澤美術館に入る。エミール・ガレ、ドーム兄弟など19世紀末の仏アール・ヌーボーのガラス工芸品が展示されており、いずれも見事な出来栄え、藝術の域に達している。但し、女性の来場者目当てに館内が営利主義に走りすぎているようなのは少し気にかかる。中央高速、首都高を使い、17:30無事帰宅。イワナの塩焼きで一杯やった後、南柏21:45の電車で鶴見へ向う。

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北方騎馬民族の黄金マスク展(1996.07.07)

01_170モンゴル系の騎馬民族契丹族によって起こされた遼王国(916~1125年)の最盛期の皇族、陳国公主墓から出土した文物の展覧会。墓は内蒙自冶区チェリムモン盟ナイマン旗の青龍山鎮の北東10㎞の丘陵にあり、1985年村の貯水槽建設工事で偶然発見されたもの。

写真は、陳国公主金製仮面。装身具、副葬品の金、銀、玉、琥珀製品はいずれも高雅な造形、素晴らしい。

(1996年6月13日~7月14日、横浜そごう美術館にて開催)

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ボストン美術館の至宝展(1995.05.05)

01_160 ジャン・バティスト・カミーユ・コロー

「草刈り」(The Reaper with a Sickle)

1838年

油彩・カンヴァス

35.3×27㎝

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ボストン美術館の至宝展(1995.05.05)

01_159 ジャン・フランソワ・ミレー

「種をまく人」(The Sower)

1850年

油彩・カンヴァス

101.6×82.6㎝

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ボストン美術館の至宝展(1995.05.05)

01_158 ピエール・オーギュスト・ルノワール

「ブージヴァルの踊り」(Dance at Bougival)

1883年

油彩・カンヴァス

181.8×98.1㎝

(1995年4月27日~7月24日、横浜そごう美術館にて開催。19世紀ヨーロッパ美術コレクションから選りすぐった風俗画の傑作61点を展示。)

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富弘美術館(1994.03.06)

01_167 「コスモス」

風は見えない だけど木に吹けば 緑の風になり 花に吹けば 花の風になる 今、私を 過ぎていった 風は どんな風に なったのだろう

(星野富弘詩画集絵はがき 第4集 コスモスより)

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