瑠璃光山勝常寺

Dsc03510 2008年11月9日(日) 会津三十三観音第十番札所 瑠璃光山勝常寺(真言宗)

御本尊:薬師如来坐像(国宝)・十一面観音立像(重文)

所在地:福島県河沼郡湯川村大字勝常字代舞1764

御詠歌:いくたびもあゆみをはこぶしょうじょうじ うまれあいづのなかのみほとけ

略縁起:勝常寺は大同二年(802)に法相宗の僧徳一大師が開いたとされる古刹である。徳一が会津に開いた5箇所ある薬師堂の一つとされ、寺内には薬師如来坐像、日光菩薩立像(左脇侍)、月光菩薩立像(右脇侍)(以上3体国宝)、聖観音立像、天部立像(伝虚空蔵菩薩)、十一面観音立像、地蔵菩薩立像(延命地蔵)、地蔵菩薩立像(雨降り地蔵)、多聞天立像、持国天立像、増長天立像(以上8体重文)の11体もの国宝、重要文化財に指定された仏像が残る。いずれも平安前期にあたる9世紀~10世紀初め頃の像と見られ、当時の栄華を偲ばせる。なかでも室町時代初期に建立された薬師堂に安置される薬師如来坐像と、収蔵庫の日光・月光菩薩立像は、会津地方のみならず東北地方を代表する傑作として名高い。13世紀後半に衰微していたところを京都仁和寺から下向した玄海僧都が中興。その後16世紀半ばの廃絶の危機には、同じく仁和寺の覚成法印が下向し法灯を継いだ。勝常寺の伽藍は天正十七年(1589)の兵乱で焼失したが、唯一薬師堂だけが戦火を免れ今日に至っている。

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霊巌山圓蔵寺(福満虚空蔵尊)

Dsc03451 2008年11月9日(日) 会津三十三観音霊場番外 霊巌山圓蔵寺(臨済宗妙心寺派)

御本尊:虚空蔵菩薩

所在地:福島県河沼郡柳津町

御詠歌:柳津は岩にそびえて懸造り 前には只見の舟の浮はし

略縁起:「柳津虚空蔵尊絵巻縁起」天正十二年(1584)によると、今から凡そ千百八十有余年の昔、大同年間(元年806年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられる。Dsc03477御本尊福満虚空蔵尊は弘法大師の御作と伝えられ、日本三所(他の二所は千葉県安房郡天津小湊町の千光山清澄寺能満虚空蔵尊と、茨城県那珂郡東海村の村松山日高寺大満虚空蔵尊)の一として霊験の顕著なこと他に比なしと云われている。至徳二年(1385)大師の遠孫義乗法師、臨済宗興徳寺に参禅修業し改宗、興徳寺末山となる。その後二、三改宗を試みたが定まらず、寛永四年(1627)南宗和尚代、再び臨済宗妙心寺派に属し宗旨を確立した。老若男女貴賎を問わず参拝者は数多く、 中でも戦国の武将織田信長、豊臣秀吉、秀次、蒲生氏郷、加藤嘉明諸公何れも菩薩を尊信し、特使を代参させ寺領等を寄進された。徳Dsc03484川将軍家では、永久祈願所とし、十万石待遇の礼をとり五年毎に住職を江戸城に招き、将軍との謁見を許され厚く保護された。会津保科家(三代より松平姓)は、正之公以来明治維新に至るまで山林荘田寺領等の寄進に歴代心を尽くされたと記録されている。当山は開山以来水害火災等による堂塔伽藍の焼失崩壊は止むことなく続き、現堂宇菊光堂は八回目の御堂である。文政元年(1818)の火災により灰燼に帰したものの、住職喝巌和尚を始め六宗徒の信者達の並々ならぬ尽力と、藩主松平家の特別の保護により、文政十三年(1830)八月十三日見事落慶した。爾来臨済宗の法灯は今日も燃え続けている。

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普門山弘安寺(中田観音)

Dsc03502 2008年11月9日(日) 会津ころり三観音の三、会津三十三観音第三十番札所 普門山弘安寺(曹洞宗)

御本尊:十一面観世音菩薩立像(国指定重文)

所在地:福島県会津美里町米田字堂ノ後甲147

御詠歌:めぐりきてよものちさとをながむれば これぞあいづのなかだなるらん

略縁起:文永十一年(1274)長者江川常俊が娘の菩提を弔うために十一面観世音菩薩を鋳造し愛娘の心が宿るここ中田の里に納めたといわれる。次いで弘安二年(1279)富塚伊賀守盛勝公が伽藍を造営し普門山円通閣と称した。その後、普門山弘安寺と改名され、観音堂におさめられて現在に至る。なお、弘安寺は野口英世の母・シカが月参りして息子の無事を祈願し続けたことでも知られる。

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金塔山恵隆寺(立木観音)

Dsc03494 2008年11月9日(日) 会津ころり三観音の二、会津三十三観音第三十一番札所 金塔山恵隆寺(真言宗豊山派)

御本尊:千手観世音菩薩立像(国指定重文)

所在地:福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944

御詠歌:はるばるとまいりておがむえりゅうでら いつもたえせぬまつかぜのおと

略縁起:立木観音恵隆寺は人皇第二十九代欽明天皇元年(540)に高寺として創建され大同三年(808)弘法大師によって本尊立木観音と雷神、風神、二十八部衆が彫刻され寺号を「石塔山恵隆寺」と称し七堂伽藍をととのえ、更に三十六の坊舎、加えて三千有余の子院を有し東北の高野山と称された。ところが建久元年(1190)源平合戦の禍にまきこまれ、惨めにも高寺おろしとなり現在地に移転、「金塔山恵隆寺」と改め伽藍を整備して再出発する。応永十四年(1407)斗張供養を行い、以後三十三年毎に掛替とする。この時から現在のような斗張(観音像の前に掛けてある垂れ幕)を掛ける。慶長十六年(1611)会津一円大地震に襲われ観音堂大破、その他の堂倒れる。元和三年(1617)観音堂大修理。明治三十七年(1904)観音堂特別保護建造物国宝指定、大正四年(1915)本尊立木千手観音国宝指定、昭和二十五年(1950)本尊・観音堂国重文に指定替えされ現在に至る。

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金剛山如法寺(鳥追観音)

Dsc034242008年11月9日(日) 会津ころり三観音の一、会津三十三観音番外・結願所 金剛山如法寺

御本尊:聖観世音菩薩坐像(県指定重文)

所在地:福島県耶麻郡西会津町野沢

御詠歌:かねこわきやまのごときののりのてら まことだいひのじょうどなるらん

略縁起:今を去る千二百七十年前、天平八年(736)の春、行基菩薩が会津巡錫の折、この地の貧しい農家に宿されました。子にも恵まれず、鳥獣害による不作の貧苦と悲嘆にくれる農夫に憐れみをかけ、念持佛である一寸八分の正観音の御尊像をお授けになられました。爾来その霊験まことにいちじるしく「鳥追観音」と尊称されるようになりました。大同二年(807)、弘法大師と徳一大師は西方浄土の寺を建立しようと志し阿賀川の御身ケ淵をお通りになった時、観世音の佛勅を賜り、坂上田村麻呂の帰依を受けて金剛山如法寺を建立されました。御本尊は行基菩薩が自ら敬刻開眼された正観音を奉安し、胎内佛に一寸八分の尊像を入佛秘されたと伝え、脇立に不動明王、毘沙門天王が安置されています。堂宇は慶長十六年(1611)の地震に倒壊のため、慶長十八年会津藩主蒲生公の重臣、津川城主、岡半兵衛重政が再建されました。御堂の形は西方浄土の意味を現わし、山の神の因縁を伝承する全国でも珍しい観音堂であります。開創以来千二百年、観音経に無限の力を説かれているように信心すれば影身に添うて守護し、悪事災難は我代って受け、貧者には福を授け、病者には薬を与え、短命のものには寿命を授けると仰せられ、子授、安産、子育、出世の応援と限りない御慈悲を伝えております。又、ころり観音と称せられますこの信仰は、御本尊に祈念をこらして金剛寿命尊をなで、肌守を念持すれば病魔を除いて心身が軽くなり、死病のときには願う月日に観音様のお迎えがあると伝えられております。このように鳥追観音に対する信仰と広大無辺な霊験とは枚挙にいとまありません。

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会津ころり三観音詣で

2008年11月9日(日) 4:15起床、稲荷寿司をこしらえて5:00出発。R16、新国道4号線を使い宇都宮ICから東北道に入る。上河内SA、磐越道五百川PAで休憩、西会津ICで高速を下り9:45漸く西会津町の「鳥追観音」に着く。峠を越えれば直ぐに新潟県津川町、辺りの山々の紅葉は既に盛りを過ぎている。Dsc03432 鳥追観音は寺号を金剛山如法寺といい、会津ころり三観音の第一霊場であり、会津三十三観音の番外・結願所でもある。十月一日から十一月三十日まで、徳一大師開創壱千弐百年鳥追観音紅葉祭特別御開帳が行われており、今日は運よくご本尊の正観世音菩薩像を拝むことができる。ご本尊を始め脇立の不動明王像や毘沙門天王像、金剛力士像、観音堂、仁王門は全て福島県指定の重要文化財、境内に聳える樹齢1200年のコウヤマキは県の天然記念物であり、これで拝観料が無料とは感激する。お寺さんはこうでなくてはならない。本堂に登り正観音像を拝し、般若心経と御詠歌(金剛き山の如きの法の寺まこと大悲の浄土なるらん)を唱える。堂内の身代わり撫で佛を一所懸命さすりながら「どうか惚けませんように」と心願する。Dsc03453 参拝に訪れる人々が引きも切らず、さすがは仏都会津、地元の人は皆信心深い。外気温は8、9℃、関東なら真冬の気候である。 次に柳津町の福満虚空蔵尊(霊巌山圓蔵寺)へ向う。ころり観音霊場ではないが、会津三十三観音霊場の番外であり、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊(千光山清澄寺)と、茨城県東海村の大満虚空蔵尊(村松山日光寺)と並び日本三大虚空蔵尊と云われる名刹、お参りしないわけにはいかぬ。10:40参拝者専用駐車場着、大型バスが並び参拝者の数は一段と多い。菊光堂(本堂)に登り虚空蔵尊を拝し、般若心経を唱え、虚空蔵菩薩陀羅尼経呪文(アキャシャキャラバヤヲンアリキャマクボクソハカ)を唱える。懸崖造りの舞台から只見川と錦秋に染まる山々を眺めてから奥の院・弁天堂へ向う。境内の紅葉は息を飲むほど美しく、三脚を立てたカメラマン諸氏はシャッターを押すのに余念がない。弁天堂は室町Dsc03491時代中頃(応永元(1393)年)の建立とみられ、国の重文に指定されている。お参りしてから門前町を散策する。柳津名物粟まんじゅうの元祖という岩井屋で、土産に粟まんじゅうと栗まんじゅうを12個づつ買う。魚淵で天然記念物のウグイの群泳を眺め、竹久夢二の歌碑(みちのくのめぐしをとめは魚淵の魚に卯の花購ひにけり)を見る。昭和5年、夢二46歳の夏、会津旅行で柳津を訪れたときに詠んだ歌とある。 再び表参道から山門をくぐり、撫で牛(郷土玩具赤べこのモデル)を撫でてから駐車場に戻る。次にころり三観音の第二霊場「立木観音」へ向う。12:00立木観音駐車場着、お参りの前に車内で稲荷寿司を食べる。立木観音は寺号を金塔山恵隆寺(えりゅうじ)といい、真言宗豊山派のお寺、会津三十三観音の第三十一番霊場でもある。ご本尊は身の丈8.5mの一木彫で、現在も床下に根のある東北地方で最大級の木造仏、千手観音菩薩である。観音堂とともに国の重文に指定されている。灯明料300円を納め観音堂内に入ってお参りする。般若心経と御詠歌(はるばるとまいりておがむ恵隆寺いつも絶えせぬ松風の音)を唱え、堂内の抱きつき柱に抱きついて「どうか寝込みませんように」と心願する。千手観音菩薩像の左右に祀られる二十Dsc03500八部衆と風神・雷神像は県の重要文化財である。堂前に奉納されている沢山の櫛は、苦と死を納め、少しでも病気の苦しみや死の恐怖を和らげる為と云う。四箇所目は、ころり三観音第三霊場の「中田観音」、13:05山門前駐車場に車を入れる。 中田観音は寺号を普門山弘安寺といい、曹洞宗の寺である。会津三十三観音の第三十番霊場でもあり、ご本尊は十一面観世音菩薩である。ここでも又堂前で般若心経を唱え、御詠歌(めぐりきてよものちさとをながむればこれぞあいづのなかだなるらん)を唱える。観音堂の右手から堂内に入り、抱きつき柱に抱きついて「どうかぽっくり逝けますように」と祈願する。さあこれで一安心、寿命安楽・福寿円満にして悲願のDsc03512大往生をとげることが出来るであろう。最後に徳一上人が開祖とされる瑠璃光山勝常寺へ向う。 会津三十三観音の第十番霊場であり、11体もの国宝・重文の仏像が残る東北屈指の古刹である。13:50勝常寺着、駐車場はなく山門前のスペースに車を駐める。境内に人の姿がなく、薬師堂も収蔵庫も固く扉を閉ざしひっそりと静まっている。おかしいなと思ったら、拝観するには事前連絡が必要とのこと、国宝の薬師如来像と両脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像を拝み損なう。仕方なく薬師堂の堂前でお参りする。室町時代初期の建立とされる五間四方の薬師堂は会津地方最大級の古建築、国の重文に指定されているだけあって非常に重厚な建物である。境内のイチョウの樹の下で暫しギンナン拾いに興じた後、今宵の宿がある芦の牧温泉へ向う。(続く)

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