奥州観音霊場 第十七番 龍雲山大祥寺(一関市)

P61503152017年6月15日(木) 龍雲山大祥寺の所在地は岩手県一関市花泉町老松字水沢屋敷58番地、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は十一面観世音菩薩。開創当時は白龍山岡寺と号し天台宗の寺院であったが、衰退して廃寺となってしまい、正平九年(1354)月泉良印禅師が再興開山、曹洞宗に改宗し寺号を改めた。大祥寺は奥州屈指の古刹として知られている。
15:20参道入口駐車場着。長い参道を進み、山門をくぐる。山門前に何故か2頭のライオン像が置かれている。山門に祀られているのは仁王像ではなく、青く塗られた阿形の那羅延(なP6150323らえん)金剛像と、吽形の迹(しゃく)金剛像、本堂も庫裡も新しく、伽藍は皆立派で大寺である。観音堂(平成七年(1995)改築)は左手の丘上に建つ。本尊は等身大(像高166.6㎝)の木造十一面観世音菩薩、平安末期の作で岩手県文化財に指定されている。御堂の扉には固く鍵がかかり内部は覗けない。般若心経を唱えてお参りし、本日の巡礼は滞りなく終了、天気が怪しくなってきたので急いで引きあげる。15:45出発、帰りも国道4号線を走り、18:10無事帰宅。本日の走行距離214㎞。

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奥州観音霊場 第十八番 松澤山六角堂(一関市)

P61503132017年6月15日(木) 松澤山六角堂の所在地は岩手県一関市花泉町老松字舘平31番地、本尊は如意輪観世音菩薩。
14:55交差点角の園地に建つ六角堂に到着、傍らの草地に車を駐める。呼称は六角堂であるが実物は方形、多分元の御堂が六角形だったのであろう。一関市老松公民館と老松地区お宝保存会が作成した境内の案内板に、「六角堂は奥州三十三観音霊場のうち第十八番札所で、聖武天皇の命により、天平時代(729-748)に茂呂志賀なるものが建立したと伝えられ、如意輪観音菩薩が安置される。当初は観音森金提寺にありましたが、その後豊隆神社境内に移され、文化P6150311五年(1808)には皆川家の土地に観音堂を建立し、現在に至っています。陸中最古の観音堂です」と説明がある。堂守の皆川家がどの家なのか案内がないので分からないが、御朱印は皆川氏宅でもらえる様である。覗き穴からご本尊を拝観し、般若心経を唱えてお参りする。次は本日の巡礼の最後、第17番札所の龍雲山大祥寺へ。

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奥州観音霊場 第十九番 新山観音堂(一関市)

P61502952017年6月15日(木) 新山観音堂の所在地は岩手県一関市花泉町金沢字長沢前46番地、本尊は十一面観世音菩薩。観音堂は文政年間(1818-1829)、在家別当の熊谷家二代目が建立。
14:30参道入口に到着、舗装道路の行き止まりに道標が立つ。道路は狭く駐車場も無いので、少し戻って民家の入り口スペースに車を駐める。耕作地に挟まれた畦道のような参道を登って行くと、まもなく杉林に入り、丘上のスギ林の中の開けた場所にこじんまりと観音堂が建っている。境内に一関市教育委員会の案内板があり、宝暦十一年(1761)頃この観音堂P6150298に納められた札所納札が個人蔵で市内に残っており、一関市の無形文化財に指定されているとのこと。御堂の扉は開くけれど、ご本尊が安置されているかは垂れ幕の蔭で分からない。般若心経を唱えてお参りしてから引き返す。観音堂の下に堂守の熊谷俊一氏宅があり、もはや無住の様であるが、連絡先の電話番号と、留守の際の参拝作法を示した紙が玄関のガラス戸に貼ってある。それによると、御朱印帳は堂内に備えてある由、納経料300円を賽銭箱に納めて受け取る仕組みらしく、道理で御堂の扉が開いた訳である。次は同じ花泉町の松澤山六角堂へ。

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奥州観音霊場 第二十番 中興山徳寿院(一関市)

2017年6月15日(木) 中興山徳寿院の所在地は岩手県一関市花泉町花泉字西郷目30番地、曹洞宗の寺院である。本尊は延命地蔵尊、札所P6150291本尊は千手観世音菩薩。開山は長禄三年(1459)。
13:55山門前駐車場着。観音堂は本堂の左手前に建つこじんまりした御堂で昭和六十二年(1987)の建築、まだ新しい。傍らの石碑に御詠歌「たのめただ くらきにまよふ のちのよも てらさせ給へ 観音の慈悲」が刻まれている。御賽銭箱に百円玉を入れ、般若心経を唱えてお参りする。堂内を覗いてみたが薄暗くてご本尊は拝めず、境内に他に見るべきものもなく、直ぐに同じ町内の第十九番新山観音堂へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十一番 円通山観音寺(栗原市)

P61502822017年6月15日(木) 円通山観音寺の所在地は宮城県栗原市金成有壁館下69-1番地、曹洞宗の寺院である。札所本尊は馬頭観世音菩薩。開創は大同二年(807)坂上田村麻呂、三上大明神本地観音を建立し、伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号し、天台宗にして一時は坊舎24坊を数え繁栄したが、後廃退してしまった。有壁城主、菅原帯刀長尚が弘治三年(1557)、登米郡永明寺(葛西氏菩提寺)五世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号す。葛西氏没落とともに永明寺も廃寺となったので現在は永明寺の本寺である京都の船井郡京丹波町の玉雲寺末寺となっているP6150285(境内説明板のまま)。
13:15奥州街道旧有壁宿にある観音寺に着き、入り口スペースに車を駐める。坂を上って先ず本堂にお参りする。本堂の左手、墓地の上方へ延びる石段を登っていくと、丘上に「水月堂」の扁額を掲げた観音堂がひっそりと建っている。扉が開いていたので中を覗くと、ご本尊は金ぴかの馬頭観音像、般若心経を唱えてお参りする。大名の参勤交代の宿、旧有壁宿本陣(延享元年(1744)改築)も見学したかったが、今日は霊場を7か所回らねばならず、時間が押しているので、次の第二十番徳寿院へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十二番 楽峰山勝大寺(栗原市)

2017年6月15日(木) 楽峰山勝大寺の所在地は宮城県栗原市金成津久毛字小迫三嶋45番地、真言宗智山派の寺院である。本尊は不動明王、札所本尊は十一面観世音菩薩。遠く平安の昔、延暦二十三年(P6150266804)、坂上田村麻呂が奥州の蝦夷平定の際、此の地に鎮座する白山神社に戦勝の祈願をなし、その帰途勝利の奉賛として境内に観音堂を建立したと伝えられる(坂上田村麻呂が建立した奥州七観音のひとつ)。また、源頼朝が平泉の藤原泰衡を討っての帰途此の地に立ち寄り御礼として流鏑馬(やぶさめ)の一種と思われる那須与一の扇の的を射る野祭りを行った。それが平泉藤原時代の延年の舞と習合して今に伝わり、小迫まつり(小迫の延年)になったと伝えられ、毎年4月の例祭に古式豊かな平安の調べと武者絵巻が繰り広げられる。「小迫P6150271の延年」は昭和五十四年(1979)、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
12:30白山神社鳥居前の草地に車を駐める。鳥居をくぐり随神門をくぐると、立派な観音堂(江戸時代中期)が建ち、その右側に白山神社へ続く石段が上っていく。観音堂の扉は固く閉まっており、ご本尊の十一面観世音菩薩は拝めない(本尊は三十三年に一度開扉の秘仏、前立の観音像があるらしい)。般若心経を唱えてお参りする。石段を上って白山神社にも参詣、その後境内を一回りすると、奥に弓道場がある。随神門の板壁に掛かる的竹奉納札を珍しいものとして眺め、道路の反対側に建つ本堂を拝観してから退場、第21番の円通山観音寺へ向かう。

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奥州観音霊場 第三十三番 天台寺(二戸市)

2016年10月28日(金) 八葉山天台寺の所在地は岩手県二戸市浄法寺町御山久保33番地、天台宗の寺院である。ご本尊Pa280115は木造聖観音立像(国指定重要文化財)。当寺の由緒は、『天台寺の登り口にカツラの大木があり、その根元から清水が湧いていて、「桂清水」と呼ばれてきました。太古から、この清水は霊水として知られ、桂清水はこの地方の霊木・霊水信仰の地だったと思われます。天台寺は神亀五年(728)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山したと伝えられています。八つの峰、八つの谷からなるこの山を「八葉山」と名づけ、山中のカツラの大木を刻んで本尊聖観音菩薩としたといわれます。天台寺は北奥の観音霊場としてその時々の人々から崇敬されてPa280090きました。山上の本堂(観音堂)は、江戸時代の万治元年(1658)盛岡藩主南部重直が再興したもので、典型的な密教様式の仏堂であり、国の重要文化財に指定されています。藩主の祈願所として、また、糠部三十三所、奥州三十三所の詣り納めの観音霊場として庶民からも深い信仰を集めてきました』。
仙台を7:50に出発、泉ICから東北道に乗り、中尊寺PA、岩手山SAで運転交代、八戸道に移り浄法寺ICで高速道を降りる。11:40最北の奥州観音霊場である第33番札所天台寺の駐車場に到着。昭和62年(1987)から平成17年(2005)まで瀬戸内寂聴が住職を務めるようになって、天台寺は俄かに脚光を浴び、有名になったが、それ以前は檀家僅か28軒の荒れ寺であった由。文化財保護協力金という名目の入山料300円を受付で納める。国指定重要文化財の仁王門と本堂は、あいにく保存修理工事中(平成25年9月~平成32年3月)で拝観できない。仮本堂の寂庵に、ご本尊聖観音立像の模刻像が祀られており、般若心経を唱えてお参りすPa280076る。その後境内を一巡り、薬師堂、姥杉焼け跡(直径約5m、周囲約15m、平成13年3月復元)、毘沙門堂、伝長慶天皇陵、月山神社を見学しお参りする。最後に宝物収蔵庫で、国重文の木造聖観音立像(御本尊:通称桂泉観音)と木造十一面観音立像、岩手県指定文化財の木造伝薬師如来立像、木造伝広目天立像、木造伝多聞天立像、木造伝吉祥天立像、長胴太鼓などを見学する。休憩所で薬草24種入りの天台寺茶をご馳走になり境内を後にする。12:40車に戻り、車内でサンドイッチのお昼を食べてから十和田湖へ。

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奥州観音霊場 第六番 瑞巌寺三聖堂(松島町) 

2016年10月27日(木) 三聖堂の所在地は宮城県宮城郡松島町松島字町内68番地。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左Pa270043に達磨大師像、右に菅原道真公を安置する。天和二年(1682)瑞巌寺101世鵬雲(ほううん)によって建立された。御堂は方二間の素木造、屋根は宝形造で茅葺、正面に一間の向拝がついた、質朴端正な建物であり、松島町の文化財に指定されている。
松島散歩の途中で立ち寄り参詣、瑞巌寺境内の有料域ではなく、円通院の近くにあり拝観は無料、有難い。奥州観音霊場を示す案内や立て札・看板の類は無く、観光客は皆素通り、小さな御堂と狭い境内はひっそりと静まる。堂内を覗いてみたが真っ暗で何も見えず、堂前で般若心経を唱えただけで退出、福浦島へ向かう。

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奥州観音霊場 第八番 梅渓寺(石巻市)

2016年9月27日(火) 両峯山梅渓寺(りょうほうざんばいけいじ)の所在地は、宮城県石巻市港牧山8番地、標高250mの牧山の中腹に建つ曹洞宗の寺院である。ご本尊は聖観世音菩薩。貞治二年(1363)無盡天全が、当初梅谷寺と称してP9270506いた天台宗の寺院を曹洞宗に改宗し中興開山した。一方、同じ牧山に境内を構えていた延喜式内社・零羊崎(ひつじさき)神社の別当寺で、延暦十七年(798)創建と伝わる魔鬼山寺(後代、牧山寺、さらに長禅寺と寺号を改称)には、坂上田村麻呂が勧請したと伝わる観世音菩薩が祀られており、牧山観音と称せられて、松島町の富山観音、涌谷町の箟岳(ののだけ)観音と共に奥州三観音の一つとして、又、奥州観音霊場第八番札所に選定されたこともあって、広く篤く信仰を集めていた。しかし、明治初頭の神仏分離令により長禅寺は廃寺となり、その仏像や仏具、並びに奥州観音霊場第八番札所は、同じ牧山山中の梅渓寺に引き継がれて今に至っている。
10:20境内駐車場着。本堂も庫裡も新しい立派な寺院である。本堂の前に進み般若心経を二回唱える。境内にこれといった見どころはないのですぐに帰路に就く。

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奥州観音霊場 第二十三番 長承寺(登米市)

P72403222016年7月24日(日) 大白山長承寺の所在地は宮城県登米市中田町上沼字大泉門畑28番地、曹洞宗の寺院。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は千手観世音菩薩。弘仁元年(810)慈覚大師が東奥巡錫の折、当大泉に柴庵を結び、千手観世音像ほか諸尊像を自ら彫刻し、諸堂を整備し、補陀落山観音寺と号した。その後、長承元年(1132)天台宗の覚源法印が観音寺に住し諸堂を再建、補陀落山長承寺と改めた。建武年中(1334~1338)葛西の一族平武治公観音堂を再建したが、葛西氏没落するに及び重ねて荒廃に帰した。文禄元年(1592)寺池村大白山永明寺五世日峯天輪和尚は同寺を去っP7240326て長承寺を再建し、天台宗を改めて曹洞宗とし山号を大白山と改めた。元和元年(1615)狼川原村大慈寺六世華嶽道春大和尚を勧請して長承寺中興開山第一祖と仰ぎ大慈寺の末寺となって現在に至る。
16:40到着、境内に車を入れる。本堂を右手に見て石段を駆け上がり、圓通閣と名付けられた観音堂にお参りし、今日六度目となる般若心経を唱える。観音堂の中を覗いてみたが、やはり真っ暗で何も見えない。五葉山登拝後、奥州観音霊場六ケ寺巡礼を行いふらふら、漸く仙台へ。

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