奥州観音霊場 第三十三番 天台寺(二戸市)

2016年10月28日(金) 八葉山天台寺の所在地は岩手県二戸市浄法寺町御山久保33番地、天台宗の寺院である。ご本尊Pa280115は木造聖観音立像(国指定重要文化財)。当寺の由緒は、『天台寺の登り口にカツラの大木があり、その根元から清水が湧いていて、「桂清水」と呼ばれてきました。太古から、この清水は霊水として知られ、桂清水はこの地方の霊木・霊水信仰の地だったと思われます。天台寺は神亀五年(728)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山したと伝えられています。八つの峰、八つの谷からなるこの山を「八葉山」と名づけ、山中のカツラの大木を刻んで本尊聖観音菩薩としたといわれます。天台寺は北奥の観音霊場としてその時々の人々から崇敬されてPa280090きました。山上の本堂(観音堂)は、江戸時代の万治元年(1658)盛岡藩主南部重直が再興したもので、典型的な密教様式の仏堂であり、国の重要文化財に指定されています。藩主の祈願所として、また、糠部三十三所、奥州三十三所の詣り納めの観音霊場として庶民からも深い信仰を集めてきました』。
仙台を7:50に出発、泉ICから東北道に乗り、中尊寺PA、岩手山SAで運転交代、八戸道に移り浄法寺ICで高速道を降りる。11:40最北の奥州観音霊場である第33番札所天台寺の駐車場に到着。昭和62年(1987)から平成17年(2005)まで瀬戸内寂聴が住職を務めるようになって、天台寺は俄かに脚光を浴び、有名になったが、それ以前は檀家僅か28軒の荒れ寺であった由。文化財保護協力金という名目の入山料300円を受付で納める。国指定重要文化財の仁王門と本堂は、あいにく保存修理工事中(平成25年9月~平成32年3月)で拝観できない。仮本堂の寂庵に、ご本尊聖観音立像の模刻像が祀られており、般若心経を唱えてお参りすPa280076る。その後境内を一巡り、薬師堂、姥杉焼け跡(直径約5m、周囲約15m、平成13年3月復元)、毘沙門堂、伝長慶天皇陵、月山神社を見学しお参りする。最後に宝物収蔵庫で、国重文の木造聖観音立像(御本尊:通称桂泉観音)と木造十一面観音立像、岩手県指定文化財の木造伝薬師如来立像、木造伝広目天立像、木造伝多聞天立像、木造伝吉祥天立像、長胴太鼓などを見学する。休憩所で薬草24種入りの天台寺茶をご馳走になり境内を後にする。12:40車に戻り、車内でサンドイッチのお昼を食べてから十和田湖へ。

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奥州観音霊場 第六番 瑞巌寺三聖堂(松島町) 

2016年10月27日(木) 三聖堂の所在地は宮城県宮城郡松島町松島字町内68番地。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左Pa270043に達磨大師像、右に菅原道真公を安置する。天和二年(1682)瑞巌寺101世鵬雲(ほううん)によって建立された。御堂は方二間の素木造、屋根は宝形造で茅葺、正面に一間の向拝がついた、質朴端正な建物であり、松島町の文化財に指定されている。
松島散歩の途中で立ち寄り参詣、瑞巌寺境内の有料域ではなく、円通院の近くにあり拝観は無料、有難い。奥州観音霊場を示す案内や立て札・看板の類は無く、観光客は皆素通り、小さな御堂と狭い境内はひっそりと静まる。堂内を覗いてみたが真っ暗で何も見えず、堂前で般若心経を唱えただけで退出、福浦島へ向かう。

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奥州観音霊場 第八番 梅渓寺(石巻市)

2016年9月27日(火) 両峯山梅渓寺(りょうほうざんばいけいじ)の所在地は、宮城県石巻市港牧山8番地、標高250mの牧山の中腹に建つ曹洞宗の寺院である。ご本尊は聖観世音菩薩。貞治二年(1363)無盡天全が、当初梅谷寺と称してP9270506いた天台宗の寺院を曹洞宗に改宗し中興開山した。一方、同じ牧山に境内を構えていた延喜式内社・零羊崎(ひつじさき)神社の別当寺で、延暦十七年(798)創建と伝わる魔鬼山寺(後代、牧山寺、さらに長禅寺と寺号を改称)には、坂上田村麻呂が勧請したと伝わる観世音菩薩が祀られており、牧山観音と称せられて、松島町の富山観音、涌谷町の箟岳(ののだけ)観音と共に奥州三観音の一つとして、又、奥州観音霊場第八番札所に選定されたこともあって、広く篤く信仰を集めていた。しかし、明治初頭の神仏分離令により長禅寺は廃寺となり、その仏像や仏具、並びに奥州観音霊場第八番札所は、同じ牧山山中の梅渓寺に引き継がれて今に至っている。
10:20境内駐車場着。本堂も庫裡も新しい立派な寺院である。本堂の前に進み般若心経を二回唱える。境内にこれといった見どころはないのですぐに帰路に就く。

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奥州観音霊場 第二十三番 長承寺(登米市)

P72403222016年7月24日(日) 大白山長承寺の所在地は宮城県登米市中田町上沼字大泉門畑28番地、曹洞宗の寺院。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は千手観世音菩薩。弘仁元年(810)慈覚大師が東奥巡錫の折、当大泉に柴庵を結び、千手観世音像ほか諸尊像を自ら彫刻し、諸堂を整備し、補陀落山観音寺と号した。その後、長承元年(1132)天台宗の覚源法印が観音寺に住し諸堂を再建、補陀落山長承寺と改めた。建武年中(1334~1338)葛西の一族平武治公観音堂を再建したが、葛西氏没落するに及び重ねて荒廃に帰した。文禄元年(1592)寺池村大白山永明寺五世日峯天輪和尚は同寺を去っP7240326て長承寺を再建し、天台宗を改めて曹洞宗とし山号を大白山と改めた。元和元年(1615)狼川原村大慈寺六世華嶽道春大和尚を勧請して長承寺中興開山第一祖と仰ぎ大慈寺の末寺となって現在に至る。
16:40到着、境内に車を入れる。本堂を右手に見て石段を駆け上がり、圓通閣と名付けられた観音堂にお参りし、今日六度目となる般若心経を唱える。観音堂の中を覗いてみたが、やはり真っ暗で何も見えない。五葉山登拝後、奥州観音霊場六ケ寺巡礼を行いふらふら、漸く仙台へ。

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奥州観音霊場 第二十四番 長谷寺(登米市)

P72403052016年7月24日(日) 遮那山長谷寺の所在地は、宮城県登米市中田町浅水字長谷山288番地、宗派は天台宗。本尊は十一面観世音菩薩立像で三十三年に一度開帳される秘仏。寛永十年(1633)登米伊達家の家臣高橋五郎兵衛重昭が主家の繁栄と武運長久を祈願して奉納したもの、像高2m18㎝、旧中田町指定文化財。此の寺の由緒は古く、天平宝字六年(762)、陸奥守藤原恵美朝臣朝獦が山頂に笏を納め、神護景雲二年(768)釈勝道上人が世尊山法誓寺を建立したのが始まりと伝えられる。その後、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征に出陣するにあたって大和国初P7240307_2瀬山長谷寺に戦勝祈願し、蝦夷平定後の大同二年(807)当山に初瀬山長谷寺を勧請し長谷観音院と号した。田村麻呂が陸奥国七か所に建立した観音堂の第三番。
16:15長谷寺に着き、裏参道を駆け上がり観音堂手前まで車を乗り入れる。早速本堂の観音堂にお参りし、般若心経を唱える。堂内は暗くて何も見えない。観音堂の前に旧中田町指定天然記念物の「遮那桜」が聳える。文治三年(1187)、源義経が当寺を訪ねた時に植えたと伝わるエドヒガンザクラは太さ4.45mの巨樹、樹齢は800年余?。山号「遮那山」も義経の童名遮那王丸に由来する。また表参道の降り口に、田村麻呂お手植えと伝わるケヤキ(左近欅)の巨大な根株が覆い屋に護られて残っている。古刹&名刹の境内をゆっくり見学したかったが今日は時間がない。本日最後の参詣に同じ町内の第二十三番太白山長承寺へ向かう。

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奥州観音霊場 第十四番 大慈寺(登米市)

2016年7月24日(日) 法輪山大慈寺の所在地は、宮城県登米市東和町米川町下56番地、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は聖観世P7240302音菩薩。由緒は詳らかではないが、前身は奥州藤原氏の開創と伝えられ、天台宗諏訪森大慈寺と号する寺院であった。藤原氏の滅亡後荒廃していたが、永享元年(1429)黒石の正法寺四世中山良用大和尚が自らの隠居寺として入山、天台宗を曹洞宗に改めて再興し、寺号も法輪山大慈寺に改めた。
15:15大慈寺到着、山門前の公園スペースに駐車する。山門は再興時の永享元年の建立と推定され市指定文化財。山門をくぐり境内に入る。観音堂を探したが見当たらず、どうやら聖観世音は本堂内に祀られている模様、然らばと本堂前で般若心経を唱える。境内の一角に西行法師が当寺を詠んだ歌碑「頼母しや大慈の法の誓には玉のうてなに花の白雲」が建つ。時間が押しているので直ぐに退出、次は同じ登米市の第24番長谷寺へ。

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奥州観音霊場 第三十番 補陀寺(気仙沼市)

P72402982016年7月24日(日) 白華山補陀寺の所在地は宮城県気仙沼市古町2-2-51、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は恵心僧都の作とされる如意輪観世音像で33年に一度開帳される秘仏。寺伝によると、寛平二年(890)補陀落寺と号する天台宗寺院として開かれたのが始まり、保安四年(1123)名取老女(旭神子)が名取郡に熊野山三所権現を勧請し、奥州を巡礼して三十三カ所の観音堂を建立、補陀落寺を三十番札所にしたと云う。
14:00海を見下ろす高台にある補陀寺臨時駐車場着。山門をくぐり境内に入ると、市指定天然記念物の「補陀寺の樅(モP7240295
ミ)」が聳えている。樹齢約五百年、高さ28m、幹回り4.73mの堂々たる巨木である。本堂にお参りしてから、朱塗りの六角観音堂にお参りし般若心経を唱える。県指定有形文化財、宝暦十二年(1762)建立の六角堂は、八角堂を通例とする和洋円堂としては全国でも稀な建築物とされる。正面に懸かる扁額「観世音」は仙台・瑞鳳寺十四世南山古梁筆。次は登米市の第14番大慈寺へ。

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奥州観音霊場 第二十九番 普門寺(陸前高田市)

P72402792016年7月24日(日) 海岸山普門寺の所在地は岩手県陸前高田市米崎町字地竹沢181番地、曹洞宗の寺院である。本尊は聖観世音菩薩。仁治二年(1241)に中山館主の安倍定俊が臨済宗の栄西の弟子・記外を招いて開山したと伝えられる。その後明応三年(1494)ないし永正元年(1504)に如幻が中興開山し、曹洞宗に改められた。本尊の木造聖観音坐像(永禄二年(1559)制作)と三重塔(文化六年(1809)建立)と絹本著色愛染明王画像(室町時代の作)は岩手県指定文化財、推定樹齢三百年超の「普門寺のサルスベリ」は県指定天然記念物。
P724027012:45普門寺の駐車場着。構えからして大寺であることが分かる。両側に老杉が聳え立ち、ヤマユリが咲く参道を進むと、芝地に小さな五百羅漢像が沢山並べてある。東日本大震災の犠牲者を追悼するため、五百羅漢制作実行委員会が主催する「五百羅漢をつくろう」に賛同する善男善女によって制作された鎮魂の羅漢像でる。境内に天然記念物の「普門寺のサルスベリ」の大樹がそびえる。本堂にお参りしてから裏手の庭園へ進み三重塔を見学、その傍に建つ観音堂にお参りして般若心経を唱える。観音堂は両袖に仁王像を祀る特異な形、内部の厨子は閉じておりご本尊は拝めない。参道の松林できのこ観察、シロハツ、ニオイコベニタケ、ツルタケ、テングタケ、ヘイキノコモドキ、ヤマドリタケモドキを見つける。次は、気仙沼市の第三十番補陀寺へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十八番 蛸浦観音(大船渡市)

P7240246_22016年7月24日(日) 大善院蛸浦観音の所在地は岩手県大船渡市赤崎町鳥澤75番地、ご本尊は千手観世音菩薩。名取老女旭が奥州に三十三か所の札所を設置する旅の途中、この山に祀られた尾崎神社の霊気を感得し、二十八番札所を設けたと伝えられる。
五葉山から下山し、大船渡から仙台へ帰る途中、奥州観音霊場六カ所に立ち寄り参拝することに。最初は大船渡市の第28番札所、蛸浦観音へ。11:45蛸ノ浦漁港近くの広場に車を駐める。札所の案内看板は立つが接続道路の復旧工事中、停止中の重機の間を縫って、漁港岸壁の傍近くの尾崎神社鳥居P7240252前広場に出る。参道入り口に赤崎漁協婦人部が創立二十周年記念に建立した「魚介藻の碑」が建つ。石段を登り、気仙郡総鎮守、延暦二年(783)創建の尾崎神社拝殿(本殿は尾崎山山頂に鎮座)にお参りする。次いで拝殿の右手に建つ観音堂にお参りして般若心経を唱える。拝殿や御堂が建つ境内地は海面より15~20m高く、大震災の津波は床下を洗う程度までは押し寄せても本体は無事だった模様、湾奥ではなく岬の先端部に位置する事が幸いしたのであろう。次は陸前高田市の第29番普門寺へ。

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奥州観音霊場 第十番 興福寺(登米市)

P72301032016年7月23日(土) 大嶽山興福寺(おおだけさんこうふくじ)の所在地は宮城県登米市南方町本郷大嶽18番地、天台宗の寺院である。本尊の十一面観世音菩薩は33年に一度開帳される秘仏。度重なる焼失で古い記録が失われ由緒は詳らかでないものの、一説には平安時代に一帯を支配した豪族大武丸(おおだけまる)を、大同二年(807)征夷大将軍坂上田村麻呂が討伐、その亡骸を葬った塚の上に観音堂を建てたのが始まりと伝えられる。
仙台を出発し徳仙丈山登山へ向かう途中、9:00道の駅米山で小休止。近くに奥州観音霊場第十番札所興福寺があったのP7230102で寄り道して参詣することに。9:20東郷公民館前の駐車場に車を駐める。参道の両側に紫陽花があふれるほど植栽されている。山門をくぐり、まず興福寺名物の六角堂(旧南方町指定文化財)を見学。観音堂の再建に先立ち、明治十七年(1884)に建立された擬洋風の建物で、当時仮本堂(現在は持仏堂)とされた御堂である。境内の最上部に上り、観音堂にお参りして般若心経を唱える。観音堂は明治二十一年(1888)の再建、回廊に中国古来の二十四孝を題材とする壁画が色鮮やかに描かれている。何とも風変わりなお寺さんである。

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