鎌倉五山第五位 浄明寺

2009年9月10日(木) 山門前に立つ鎌倉市の説明案内板を読むと、「稲荷山浄妙寺は臨済宗建長寺派に属し、P1100192 源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を開山として文治四年(1188)に建立、行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧である。鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代は境内に二十三の塔頭を持つ大寺院であったが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残るのみ、茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成三年に復元されたものである。本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされる」とある。受付で拝観料を納め、本堂にお参りする。さすがに立派な建物である。枯山水の庭を覗いてから境内を奥へ登っていくと、最上部の塔頭跡に洋館が建ちイングリッシュガーデンまである。そこは浄明寺が経営するレストランであり、中に入って庭を眺めながらアイスコーヒーを飲む。何とも異質な空間、精進料理なら理解できるが、昼から般若湯(ワイン)を飲んで食事をしている婦人連が多い。さすがは鎌倉、寺院商売もここまでやるかと感心する。和風庭園もありシモツケソウやハギも若干咲いてはいるが、他には特に見るべきものもなく、納経印を戴いて早々に退散する。

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鎌倉五山第四位 浄智寺

P1070350 2008年4月26日(土) 金宝山浄智寺は臨済宗円覚寺派の寺院である。北条時頼の三男宗政が二十九歳の若さで 弘安四年(1281)に歿しているが、間もなく宗政夫人が一族の助けを得て寺を起こし、亡夫と幼少の師時を開基にしたとされている。開山には中国の名僧兀庵普寧(ごったんふねい)と仏源禅師大休正念(請待開山)、および日本僧の真応禅師南州宏海(準開山)の三人が名をつらねている。浄智寺を訪ねるのは初めてである。受付で拝観料200円を納め、鐘楼を兼ねた中国風の珍しい山門をくぐる。曇華殿と名付けられた仏殿に入ると、神奈川県重要文化財に指定されているご本尊「木造三世坐像」が祀られている。向って左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三尊像で、各々過去仏、現在仏、未来仏を代表する。有り難くお参りした後、鎌倉第一の巨木コウヤマキを眺め、木造観音菩薩立像を拝む。裏庭の隧道を抜けると、岩窟に弥勒菩薩の化身といわれる布袋尊が祀られている。お腹をなでてから浄智寺を後にし、建長寺へ向う。

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鎌倉五山第三位 寿福寺

P10703882008年4月26日(土) 建長寺を後にし寿福寺へ移動する頃から雨も本降りになる。 寿福寺境内は非公開のため拝観できないが、外門から山門に至る石畳の参道は風情があり趣がある。神奈川県教育委員会が設置した説明板「国指定史跡 寿福寺境内 昭和41年3月22日指定」によると、「亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治二年(1200年)に頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山第三位の寺であります。この地は、もと源頼朝P1070385の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした頼朝はここに館を造ろうとしましたが、 岡崎義美が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでやめたといわれています。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などですが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、また仏殿前に四株の柏槇があり、往時のおもかげを残しています」、簡潔にして明瞭な説明である。また日本語、英語、中国語、韓国語の四ヶ国語の説明板も別にあり、P1070384さすがは鎌倉と感心する。山門から境内を眺めていると、御朱印の案内があるので右手から庫裡へ回ってみる。 ご住職になんとか御朱印帳に記帳してもらいほっとする。その後裏手の墓地にあるという北条政子と源実朝の墓を訪ねる。墓地最上部の岩壁にやぐら(岩石をうがった墓所)は沢山並んでおり、名札がなければ誰のものかわからない。お参りする人があると見え、どちらにも生花が供えてある。墓地には海上寿子(歌人)、大佛次郎(作家)、菊岡久利(詩人)、高浜虚子(俳人)、高浜年尾(俳人)P1070383、田辺松坡(漢詩人)、星野立子(俳人)、米川稔(歌人)らの文人墓もある。一々の確認は出来なかったが、その傍らには次の歌碑や句碑が建っているとのことである。「抜いでむふしはねがはずくれ竹のむなしき をこそこころとはせめ」(海上寿子)、「ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とおと)に鳴る潮の大海(おうみ)の響動(とよみ)きはまらめやも」(米川稔)、「雛飾りつつふと命惜しきかな」(星野立子)。

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鎌倉五山第二位 円覚寺

2008年4月26日(土) 圓覚寺は臨済宗圓覚寺派大本山であるP1070207。山号寺号を瑞鹿山圓覚興聖禅寺といい、鎌倉幕府第八代執権北条時宗が弘安五年(1282)に創建、開山は無学祖元(むがくそげん)である。 円覚寺に来るのも二度目であるが、やはり境内をじっくり拝観するのは今回が初めて。受付を済ませ、天明三年(1783)再建の立派な山門をくぐり、仏殿の中に入る。仏殿に祀られる御本尊は「宝冠釈迦如来像」である。通常日本の釈迦如来像は、頭に肉髻を備えて髪を螺髪にし、装身具を着けない姿が多いが、冠を被っているとは珍しい。これは、P1070223 釈迦如来像を盧遮那仏と同体であるとする考え方があり、盧遮那仏は華厳経などには華やかに飾られると説かれているので、「華厳の釈迦」とも称されるこのような姿に造られるようになったらしい。お参りした後、道順に従い、 仏を選び出す堂宇「選仏場」、禅を志す在家のための座禅道場「居士林」、市指定天然記念物の「柏槙」などを眺めながら方丈へ。方丈の庭園には、江戸時代、拙叟尊者により奉安された「百観音」が安置されている。更に境内の奥へ進み、妙香池畔の「虎頭岩」、国宝の「舎利殿」、北条時宗のみたまや「開基廟」、山号の由来ともなった「白鹿洞」などを眺め、最奥の「黄梅院」に登る。そこに建つ観音堂にお参りしてから往路を戻る。最後に、国宝の「洪鐘(おおがね)」を吊るす鐘楼と弁天堂が建つ高台に上る。「洪鐘」はどっしりした重量感があり、さすがに立派であるが、鐘楼の柱や桁の太さにも感心する。国宝の梵鐘を納めるのにふさわしい建物である。高台からは東慶寺の伽藍や鎌倉の山並を眺めることができ見晴らしが良い。傍らで商う弁天堂茶屋で福あま酒でも飲んで一服したかったが、大蔵卿の局のお許しが出ないので、御朱印帳を受け取りに出口へ向う。

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鎌倉五山第一位 建長寺

P1070358 2008年4月26日(土) 建長寺は臨済宗建長寺派の大本山である。山号寺号を巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉幕府五代執権北条時頼が建長五年(1253)に建立、開山は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)である。建長寺にはこれまでも何度か来ているが、境内をじっくり拝観するのは今回が初めてである。総門(巨福門)をくぐって受付を済ませ、朱印所に御朱印帳を預けた後、重文の三門、国宝の梵鐘、新日本名木百選の柏槙(ビャクシン)を眺め、重文の仏殿の中に入る。P1070365 仏殿に祀られる御本尊は現世利益をもたらすとされる地蔵菩薩坐像である。地蔵菩薩は戦勝祈願など武将の信仰と結びついたともいわれているので不思議でもないが、建長寺のような大寺の御本尊とは珍しい。蓮華座に座る大きなお地蔵様は、型どおり右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。お参りした後、同じく重文の法堂(はっとう)の中に入る。法堂は文化十一年(1814)に再建された関東最大の木造建築であり、千手観音菩薩像と釈迦苦行像(愛知万博のために建立された像で、その後パキスタン・イスラム共和国より奉納されたもの)が祀られている。お参りした後、境内最奥にある名称史跡の庭園を眺めに行く。大玄関から方丈(龍王殿)に上がり、回廊から庭園を眺めるうちに雨が落ちてくる。庭園の裏山中腹にある建長寺の鎮守、半増坊大権現は鎌倉市内、相模湾、富士山を眺望できるview pointであるが、今日は登るのを諦めて朱印所へ戻る。尚、「建長汁(けんちんじる)」は建長寺発祥の料理とのこと、又ひとつ勉強になる。 

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