若狭国一之宮 若狭彦神社/若狭姫神社(小浜市)

2017年11月2日(木) 若狭彦神社(上社)の所在地は、福井県小浜市竜前28-7、祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、創建は霊亀元年(715)。若狭姫神社(下社)の所在Pb020319地は、小浜市遠敷(おにゅう)65-41、祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、創建は養老五年(721)。
15:10 若狭姫神社到着、駐車場はなく、社の前を流れる掘割の傍のスペースに駐車。早速拝殿にお参りする。また、拝殿左側の瑞垣内に聳えるご神木「若狭一宮の千年杉」にも、作法通り下から梢を眺めて願い事をひとつ。それから南へ1.5㎞と云う若狭彦神社へ歩いて向かう。随分遠い。2~3㎞あるのでは。竜前地区の山裾に鎮座する若狭彦神社の参道を進むと、二の鳥居代わりの二本の大杉が聳え、次いで幹が2本に分かれた夫婦杉が現れる。こちらの境内は更に神さびている。すでに夕刻、境内には誰もいない。拝殿に参拝し直ぐに引きあげる。帰りもテクテク、16:20車に戻る。帰路は敦賀ICから北陸道に乗り、福井北ICで降りて、娘夫婦の社宅に18:45帰着。夕食に娘の手料理を御馳走になってからホテルに戻る。
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越前国一之宮 気比神宮(敦賀市)

2017年11月2日(木) 6:00起床。今日も朝は部屋食、アンパンとフルーツヨーグルトを食べコーヒーを飲む。今日は主に一之宮巡り、7時45分に福井アカPb020194デミアホテルを出発し、文京5丁目の社宅へ寄って娘をピックアップ、先ずは気比(けひ)神宮へ。気比神宮の所在地は、敦賀市曙町11-68番地、祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)、創建は大宝二年(702)。
福井ICから北陸道に乗り、敦賀ICで出て、9:45気比神宮駐車場到着。国指定重要文化財の大鳥居を見物に行くと、生憎修繕工事の最中で拝めない。現在の鳥居は正保二年(1645)小浜藩主酒井忠勝公の再建、高さ三十六尺(10.9m)、柱間二十四尺(7.3m)で、春日大社、厳島神社の大鳥居と並ぶ日本三大木造鳥居として名高いとのこと、竣工予定は今年の12月Pb020197末、遥々やって来たのに残念。拝殿にお参りし、そこに展示されている大鳥居の扁額「氣比神宮」(1901年制作、高さ2m、幅1.5m)を見物してから境内を一巡り。一角に芭蕉像が建つ。敦賀信用金庫創立五十周年記念(1982年11月13日)事業として、日本芸術院会員・富永正樹氏に依頼して制作されたもの。「おくのほそ道」によると、芭蕉が気比明神に参詣したのは元禄二年(1689)八月十四日(陽暦9月27日)、敦賀の名月を愛でて詠んだ『月清し遊行のもてる砂の上』の句碑が建っている。その句碑の後ろの樹齢七百年のタブの大木や市指定天然記念物のユーカリの巨樹を眺めてから退出、次は三方五湖のレインボーラインへ。

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平泉寺白山神社(勝山市)

2017年11月1日(水) 平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)の所在地は福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63。主祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)。養老元年(717)、白山を開山した泰澄禅師によって開かれたと伝わる。白山信仰の越前側の禅定道の拠点(越前馬場)として山伏僧兵Pb010152が集まるところとなり、室町時代後半の最盛期には、48社、36堂、6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した。寛政八年(1796)江戸幕府の裁定により、白山山頂が平泉寺領と定められ、白山頂上本社の祭祀権を獲得した。明治時代までは霊応山平泉寺という天台宗の有力な寺院だったが、神仏分離令により寺号を捨て神社となって今日に至る。
14:10駐車場着。今年が開創千三百年、そのせいか奥越の山の中であるに関わらず参拝客が結構多い。老杉が林立し苔むした参道を緩く上っていく。福井の苔寺と称されるPb010180らしいが、本家の西芳寺より素晴らしく、幽玄な雰囲気が漂う。一の鳥居をくぐり、国指定名勝の旧玄成院庭園、御手洗池に立ち寄り、二の鳥居をくぐる。その辺りから眺める拝殿へ延びる参道と、樹木の間一面を埋める緑の苔の景色は何とも厳かな雰囲気、霊域、神域として申し分ない。安政六年(1859)造営の簡素な造りの拝殿にお参りする。拝殿に掛かる「中宮平泉寺」の扁額は一品天眞親王の筆。天正二年(1574)兵火にかかって焼失する以前は、正面四十五間という我が国最大の拝殿であった由、その礎石が左右に残っており、往時の威容を偲ぶことができる。拝殿の後ろにPb010164回り、石段を昇って御本社にお参りする。寛政七年(1795)の造営で祭神は伊弉冊尊。御本社の右に天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀る別山社、左に大己貴尊(大国主)を祀る越南知社(おおなむちしゃ)を配し、三社は白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っている。たいていの参詣客はそこまでで下山するが、我々は更に最上部の三ノ宮と大楠公墓所まで上り詰める。三ノ宮は明治二十二年(1889)の改築、安産の守護神とのこと、その左手に建つ楠木正成公墓塔は、延元年間(約650年前)の建立。吉川英治著の「私本太平記」を読んだばかりなので、大楠公墓所には懇ろにお参りする。三ノ宮の後ろが白山禅Pb010174定道平泉寺登拝口、一本の山道が杉林の中を劔ノ宮へと続き、究極には白山御前峰へと登っていく。それを確かめて引き返し、途中、開山社にもお参りし、15:20車に戻る。福井市へ戻る途中、勝山市内の越前大仏(清大寺)に寄ってもらったが、広大な駐車場に参拝客の車は僅かに1、2台、門前町は軒並みシャッターが下りているし、がらんとして不気味だったので拝観は諦める。16:10無事社宅到着、娘は丸一日ひとりで長距離を運転し大分疲れた様子なので、夕食は適当に外で食べることにして福井アカデミアホテルへ引き上げる。(続く)

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自生山那谷寺(小松市)

2017年10月31日(火) 今日から3泊4日の北陸の旅、娘夫婦が住む福井市へ。6:15出発、外環三郷西ICから高速に乗り、関越道、上信越道、北陸道を走る。片山津ICで高速を出て、14:00ようやく那谷寺大駐車場到着、柏から555㎞。那谷寺は今年開創1300年、しかも御本尊の秘仏十一面千手観Pa310005音菩薩が三十三年に一度開帳される年、しかも、しかも今日が御開帳の最終日(4月9日~10月31日)とあってお参りに寄り道。拝観料600円プラス特別拝観料200円を納め、山門をくぐって境内に入る。頂いたパンフレットに、「那谷寺は白山信仰の寺で、養老元年(717)越の大徳泰澄神融禅師(たいちょうじんゆうぜんし)によって開創されました。禅師は夢に見られた十一面千手観音菩薩のお姿を自らお造りになり、洞窟内に安置し、岩屋の胎内をくぐって、人としての罪を白く清める霊場としました。そして、この地にお堂を建立され、自生山岩屋寺と名づけられました。その後、寛Pa310010和二年(986)に西国三十三番札所を開かれた花山法皇がこの地においでになった時、洞窟内の観音様を拝せられ、西国三十三か所第一番紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の各一字を取って那谷寺と改め、七堂伽藍を御造営なされました。往時は寺院二百五十ヶ坊に及ぶ隆盛を極めましたが、延元三年(1338)南北朝の争い、弘治元年(1555)朝倉景隆により坊舎が焼き尽くされました。しかし寛永年間(1640)加賀藩主前田利常公がその荒廃を嘆き、後水尾天皇の勅命を仰ぎ、岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院等を再建、境内の一大庭園を復興Pa310014され今日のご祈願所とされました。こうして那谷寺は森の中の自然の曼陀羅の寺院として、今も大切に守られております」と由来が記されている。先ず金堂華王殿(平成二年建立)に入り、金堂本尊の大きな十一面千手観音立像にお参りする。次いで、特別拝観領域へ進み、庫裡書院(寛永十四年(1637)改築、国指定重要文化財)に上がって利常公御成の間などを見学、更に、三尊石琉美園に出て阿弥陀三尊のような自然大岩壁や苔に覆われた庭園、茶室、石像などを眺める。地下道をくぐって普門閣の前へ出て、老杉が林立する苔むした参道を本殿へと歩いていくと、Pa310059左手の池の向こうに国名勝指定園の「奇岩遊仙境」が現れる。観音浄土補陀落山を思わせる奇岩の山は太古の噴火跡と伝えられており、山内に自生稲荷大明神が祀られているが立ち入り禁止。本殿を構成する大悲閣拝殿・唐門・本殿は国の重文、拝殿は岩窟中腹に懸崖舞台造りで建てられ、唐門は岩窟入り口、本殿は岩窟内にある。岩窟内の厨子に安置される那谷寺のご本尊は十一面千手観音菩薩坐像、像高は30㎝位か、意外と小さい。ご本尊から延びる紅白の観音綱に触れてご縁を結び、御真言「オン バザラ タラマ キリク」を唱えてから般若心経も唱える。それから本殿のPa310032胎内くぐりを行う。その後は境内巡り、三重塔(寛永十九年(1642)建立、国指定重文、胎蔵界大日如来像を安置)、楓月橋、鎮守堂(白山妙裡大権現を安置)、庚申塚(青面金剛像は伝・平安時代作)、芭蕉句碑(芭蕉は元禄二年(1689)八月五日那谷寺に参詣、句碑は「石山の石より白し秋の風」)、翁塚(おくのほそ道の当該一節を刻印)、若宮白山神社、護摩堂(国指定重文、不動明王像を安置)、鐘楼堂(寛永年間の建立、国指定重文)を回り、最後に宝物館&休憩所・売店の普門閣に入り、青木木米作の青磁如意や初代徳田八十吉作の壺、狩野芳崖作の「不動明王図」などを見学する。15:40駐車場に戻り、福井市へ向かう。

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奥の細道みちのく路三十三霊場満願

2017年7月3日(月) 2008年6月21日の第一番陸奥国分寺から開始した奥の細道みちのく路三十三霊場めぐりを、2017年6月15日の第十二番法蔵寺で結願、漸く巡礼を終える。足掛け10年がかり。もともとは仏教文化振興会(現在解散して存在しない)の創立5周年記念として企画・選定されたもので、純粋な霊場というよりも御朱印ガールなどの参拝客誘致の目的で選定に応じた寺院が多い模様。事実、芭蕉の「おくのほそ道」と曾良の「曾良旅日記」の中で、参詣したり坊宿したりした事実が読み取れる寺院は、下記の太字で示した11寺院のみ、三分の一に過ぎない。集客に効果がなかったものか、既に「奥の細道三十三霊場」の看板を下ろしてしまったところも多い。無駄な時間とお金を使ってしまった感が深いが、「おくのほそ道」と「曾良旅日記」を精読できたことと、普通なら絶対行くことがない土地やお寺さんを訪ねたことで良しとする。

第01番 陸奥国分寺(宮城県仙台市):2008年6月21日
第02番 眺海山仙岳院(宮城県仙台市):2016年6月27日
第03番 虚空蔵山大満寺(宮城県仙台市):2015年5月31日
第04番 青龍山瑞巌寺(宮城県松島町):2008年8月9日
第05番 白華山円通院(宮城県松島町):2009年8月28日
第06番 桂林山禅昌寺(宮城県石巻市):2016年9月27日
第07番 無夷山篦峰寺(宮城県涌谷町):2012年9月27日
第08番 柳津山宝性院(宮城県登米市):2009年1月17日
第09番 白魚山大徳寺(宮城県登米市):2009年1月17日
第10番 長徳山弥勒寺(宮城県登米市):2012年9月27日
第11番 関山中尊寺(岩手県平泉町):2011年10月23日
第12番 愛宕山法蔵寺(宮城県栗原市):2017年6月15日
第13番 弘誓山養泉寺(山形県尾花沢市):2015年6月1日
第14番 羽黒山正善院(山形県鶴岡市):2017年6月13日
第15番 天苗山秀麗斎(宮城県名取市):2015年4月21日
第16番 龍澤山善宝寺(山形県鶴岡市):2017年6月13日
第17番 良茂山持地院(山形県酒田市):2016年6月14日
第18番 松河山海禅寺(山形県遊佐町):2016年6月14日
第19番 皇宮山蚶満寺(秋田県にかほ市):2016年6月14日
第20番 黒瀧山向川寺(山形県大石田町):2015年6月1日
第21番 宝珠山立石寺(山形県山形市):2009年8月27日
第22番 観法山光恩寺(福島県二本松市):2015年9月24日
第23番 宝窟山竹駒寺(宮城県岩沼市):2016年6月28日
第24番 吉祥山繁昌院(宮城県大河原町):2016年6月28日 
第25番 星王山妙見寺(宮城県白石市):2016年6月28日
第26番 大悲山観音寺(福島県桑折町):2015年4月23日
第27番 瑠璃光山医王寺(福島県福島市):2015年4月23日
第28番 瀧寿山観音寺(福島県福島市):2016年9月28日
第29番 文知摺観音(福島県福島市):2015年9月24日
第30番 巨邦山大隣寺(福島県二本松市):2015年9月24日
第31番 和田山岩角寺(福島県本宮市):2016年7月21日
第32番 石雲寺(福島県本宮市):2016年7月21日
第33番 成就山満願寺(福島県白河市):2015年5月27日

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奥州観音霊場 第十七番 龍雲山大祥寺(一関市)

P61503152017年6月15日(木) 龍雲山大祥寺の所在地は岩手県一関市花泉町老松字水沢屋敷58番地、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は十一面観世音菩薩。開創当時は白龍山岡寺と号し天台宗の寺院であったが、衰退して廃寺となってしまい、正平九年(1354)月泉良印禅師が再興開山、曹洞宗に改宗し寺号を改めた。大祥寺は奥州屈指の古刹として知られている。
15:20参道入口駐車場着。長い参道を進み、山門をくぐる。山門前に何故か2頭のライオン像が置かれている。山門に祀られているのは仁王像ではなく、青く塗られた阿形の那羅延(なP6150323らえん)金剛像と、吽形の迹(しゃく)金剛像、本堂も庫裡も新しく、伽藍は皆立派で大寺である。観音堂(平成七年(1995)改築)は左手の丘上に建つ。本尊は等身大(像高166.6㎝)の木造十一面観世音菩薩、平安末期の作で岩手県文化財に指定されている。御堂の扉には固く鍵がかかり内部は覗けない。般若心経を唱えてお参りし、本日の巡礼は滞りなく終了、天気が怪しくなってきたので急いで引きあげる。15:45出発、帰りも国道4号線を走り、18:10無事帰宅。本日の走行距離214㎞。

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奥州観音霊場 第十八番 松澤山六角堂(一関市)

P61503132017年6月15日(木) 松澤山六角堂の所在地は岩手県一関市花泉町老松字舘平31番地、本尊は如意輪観世音菩薩。
14:55交差点角の園地に建つ六角堂に到着、傍らの草地に車を駐める。呼称は六角堂であるが実物は方形、多分元の御堂が六角形だったのであろう。一関市老松公民館と老松地区お宝保存会が作成した境内の案内板に、「六角堂は奥州三十三観音霊場のうち第十八番札所で、聖武天皇の命により、天平時代(729-748)に茂呂志賀なるものが建立したと伝えられ、如意輪観音菩薩が安置される。当初は観音森金提寺にありましたが、その後豊隆神社境内に移され、文化P6150311五年(1808)には皆川家の土地に観音堂を建立し、現在に至っています。陸中最古の観音堂です」と説明がある。堂守の皆川家がどの家なのか案内がないので分からないが、御朱印は皆川氏宅でもらえる様である。覗き穴からご本尊を拝観し、般若心経を唱えてお参りする。次は本日の巡礼の最後、第17番札所の龍雲山大祥寺へ。

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奥州観音霊場 第十九番 新山観音堂(一関市)

P61502952017年6月15日(木) 新山観音堂の所在地は岩手県一関市花泉町金沢字長沢前46番地、本尊は十一面観世音菩薩。観音堂は文政年間(1818-1829)、在家別当の熊谷家二代目が建立。
14:30参道入口に到着、舗装道路の行き止まりに道標が立つ。道路は狭く駐車場も無いので、少し戻って民家の入り口スペースに車を駐める。耕作地に挟まれた畦道のような参道を登って行くと、まもなく杉林に入り、丘上のスギ林の中の開けた場所にこじんまりと観音堂が建っている。境内に一関市教育委員会の案内板があり、宝暦十一年(1761)頃この観音堂P6150298に納められた札所納札が個人蔵で市内に残っており、一関市の無形文化財に指定されているとのこと。御堂の扉は開くけれど、ご本尊が安置されているかは垂れ幕の蔭で分からない。般若心経を唱えてお参りしてから引き返す。観音堂の下に堂守の熊谷俊一氏宅があり、もはや無住の様であるが、連絡先の電話番号と、留守の際の参拝作法を示した紙が玄関のガラス戸に貼ってある。それによると、御朱印帳は堂内に備えてある由、納経料300円を賽銭箱に納めて受け取る仕組みらしく、道理で御堂の扉が開いた訳である。次は同じ花泉町の松澤山六角堂へ。

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奥州観音霊場 第二十番 中興山徳寿院(一関市)

2017年6月15日(木) 中興山徳寿院の所在地は岩手県一関市花泉町花泉字西郷目30番地、曹洞宗の寺院である。本尊は延命地蔵尊、札所P6150291本尊は千手観世音菩薩。開山は長禄三年(1459)。
13:55山門前駐車場着。観音堂は本堂の左手前に建つこじんまりした御堂で昭和六十二年(1987)の建築、まだ新しい。傍らの石碑に御詠歌「たのめただ くらきにまよふ のちのよも てらさせ給へ 観音の慈悲」が刻まれている。御賽銭箱に百円玉を入れ、般若心経を唱えてお参りする。堂内を覗いてみたが薄暗くてご本尊は拝めず、境内に他に見るべきものもなく、直ぐに同じ町内の第十九番新山観音堂へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十一番 円通山観音寺(栗原市)

P61502822017年6月15日(木) 円通山観音寺の所在地は宮城県栗原市金成有壁館下69-1番地、曹洞宗の寺院である。札所本尊は馬頭観世音菩薩。開創は大同二年(807)坂上田村麻呂、三上大明神本地観音を建立し、伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号し、天台宗にして一時は坊舎24坊を数え繁栄したが、後廃退してしまった。有壁城主、菅原帯刀長尚が弘治三年(1557)、登米郡永明寺(葛西氏菩提寺)五世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号す。葛西氏没落とともに永明寺も廃寺となったので現在は永明寺の本寺である京都の船井郡京丹波町の玉雲寺末寺となっているP6150285(境内説明板のまま)。
13:15奥州街道旧有壁宿にある観音寺に着き、入り口スペースに車を駐める。坂を上って先ず本堂にお参りする。本堂の左手、墓地の上方へ延びる石段を登っていくと、丘上に「水月堂」の扁額を掲げた観音堂がひっそりと建っている。扉が開いていたので中を覗くと、ご本尊は金ぴかの馬頭観音像、般若心経を唱えてお参りする。大名の参勤交代の宿、旧有壁宿本陣(延享元年(1744)改築)も見学したかったが、今日は霊場を7か所回らねばならず、時間が押しているので、次の第二十番徳寿院へ向かう。

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