奥の細道みちのく路三十三霊場満願

2017年7月3日(月) 2008年6月21日の第一番陸奥国分寺から開始した奥の細道みちのく路三十三霊場めぐりを、2017年6月15日の第十二番法蔵寺で結願、漸く巡礼を終える。足掛け10年がかり。もともとは仏教文化振興会(現在解散して存在しない)の創立5周年記念として企画・選定されたもので、純粋な霊場というよりも御朱印ガールなどの参拝客誘致の目的で選定に応じた寺院が多い模様。事実、芭蕉の「おくのほそ道」と曾良の「曾良旅日記」の中で、参詣したり坊宿したりした事実が読み取れる寺院は、下記の太字で示した11寺院のみ、三分の一に過ぎない。集客に効果がなかったものか、既に「奥の細道三十三霊場」の看板を下ろしてしまったところも多い。無駄な時間とお金を使ってしまった感が深いが、「おくのほそ道」と「曾良旅日記」を精読できたことと、普通なら絶対行くことがない土地やお寺さんを訪ねたことで良しとする。

第01番 陸奥国分寺(宮城県仙台市):2008年6月21日
第02番 眺海山仙岳院(宮城県仙台市):2016年6月27日
第03番 虚空蔵山大満寺(宮城県仙台市):2015年5月31日
第04番 青龍山瑞巌寺(宮城県松島町):2008年8月9日
第05番 白華山円通院(宮城県松島町):2009年8月28日
第06番 桂林山禅昌寺(宮城県石巻市):2016年9月27日
第07番 無夷山篦峰寺(宮城県涌谷町):2012年9月27日
第08番 柳津山宝性院(宮城県登米市):2009年1月17日
第09番 白魚山大徳寺(宮城県登米市):2009年1月17日
第10番 長徳山弥勒寺(宮城県登米市):2012年9月27日
第11番 関山中尊寺(岩手県平泉町):2011年10月23日
第12番 愛宕山法蔵寺(宮城県栗原市):2017年6月15日
第13番 弘誓山養泉寺(山形県尾花沢市):2015年6月1日
第14番 羽黒山正善院(山形県鶴岡市):2017年6月13日
第15番 天苗山秀麗斎(宮城県名取市):2015年4月21日
第16番 龍澤山善宝寺(山形県鶴岡市):2017年6月13日
第17番 良茂山持地院(山形県酒田市):2016年6月14日
第18番 松河山海禅寺(山形県遊佐町):2016年6月14日
第19番 皇宮山蚶満寺(秋田県にかほ市):2016年6月14日
第20番 黒瀧山向川寺(山形県大石田町):2015年6月1日
第21番 宝珠山立石寺(山形県山形市):2009年8月27日
第22番 観法山光恩寺(福島県二本松市):2015年9月24日
第23番 宝窟山竹駒寺(宮城県岩沼市):2016年6月28日
第24番 吉祥山繁昌院(宮城県大河原町):2016年6月28日 
第25番 星王山妙見寺(宮城県白石市):2016年6月28日
第26番 大悲山観音寺(福島県桑折町):2015年4月23日
第27番 瑠璃光山医王寺(福島県福島市):2015年4月23日
第28番 瀧寿山観音寺(福島県福島市):2016年9月28日
第29番 文知摺観音(福島県福島市):2015年9月24日
第30番 巨邦山大隣寺(福島県二本松市):2015年9月24日
第31番 和田山岩角寺(福島県本宮市):2016年7月21日
第32番 石雲寺(福島県本宮市):2016年7月21日
第33番 成就山満願寺(福島県白河市):2015年5月27日

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奥州観音霊場 第十七番 龍雲山大祥寺(一関市)

P61503152017年6月15日(木) 龍雲山大祥寺の所在地は岩手県一関市花泉町老松字水沢屋敷58番地、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏、札所本尊は十一面観世音菩薩。開創当時は白龍山岡寺と号し天台宗の寺院であったが、衰退して廃寺となってしまい、正平九年(1354)月泉良印禅師が再興開山、曹洞宗に改宗し寺号を改めた。大祥寺は奥州屈指の古刹として知られている。
15:20参道入口駐車場着。長い参道を進み、山門をくぐる。山門前に何故か2頭のライオン像が置かれている。山門に祀られているのは仁王像ではなく、青く塗られた阿形の那羅延(なP6150323らえん)金剛像と、吽形の迹(しゃく)金剛像、本堂も庫裡も新しく、伽藍は皆立派で大寺である。観音堂(平成七年(1995)改築)は左手の丘上に建つ。本尊は等身大(像高166.6㎝)の木造十一面観世音菩薩、平安末期の作で岩手県文化財に指定されている。御堂の扉には固く鍵がかかり内部は覗けない。般若心経を唱えてお参りし、本日の巡礼は滞りなく終了、天気が怪しくなってきたので急いで引きあげる。15:45出発、帰りも国道4号線を走り、18:10無事帰宅。本日の走行距離214㎞。

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奥州観音霊場 第十八番 松澤山六角堂(一関市)

P61503132017年6月15日(木) 松澤山六角堂の所在地は岩手県一関市花泉町老松字舘平31番地、本尊は如意輪観世音菩薩。
14:55交差点角の園地に建つ六角堂に到着、傍らの草地に車を駐める。呼称は六角堂であるが実物は方形、多分元の御堂が六角形だったのであろう。一関市老松公民館と老松地区お宝保存会が作成した境内の案内板に、「六角堂は奥州三十三観音霊場のうち第十八番札所で、聖武天皇の命により、天平時代(729-748)に茂呂志賀なるものが建立したと伝えられ、如意輪観音菩薩が安置される。当初は観音森金提寺にありましたが、その後豊隆神社境内に移され、文化P6150311五年(1808)には皆川家の土地に観音堂を建立し、現在に至っています。陸中最古の観音堂です」と説明がある。堂守の皆川家がどの家なのか案内がないので分からないが、御朱印は皆川氏宅でもらえる様である。覗き穴からご本尊を拝観し、般若心経を唱えてお参りする。次は本日の巡礼の最後、第17番札所の龍雲山大祥寺へ。

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奥州観音霊場 第十九番 新山観音堂(一関市)

P61502952017年6月15日(木) 新山観音堂の所在地は岩手県一関市花泉町金沢字長沢前46番地、本尊は十一面観世音菩薩。観音堂は文政年間(1818-1829)、在家別当の熊谷家二代目が建立。
14:30参道入口に到着、舗装道路の行き止まりに道標が立つ。道路は狭く駐車場も無いので、少し戻って民家の入り口スペースに車を駐める。耕作地に挟まれた畦道のような参道を登って行くと、まもなく杉林に入り、丘上のスギ林の中の開けた場所にこじんまりと観音堂が建っている。境内に一関市教育委員会の案内板があり、宝暦十一年(1761)頃この観音堂P6150298に納められた札所納札が個人蔵で市内に残っており、一関市の無形文化財に指定されているとのこと。御堂の扉は開くけれど、ご本尊が安置されているかは垂れ幕の蔭で分からない。般若心経を唱えてお参りしてから引き返す。観音堂の下に堂守の熊谷俊一氏宅があり、もはや無住の様であるが、連絡先の電話番号と、留守の際の参拝作法を示した紙が玄関のガラス戸に貼ってある。それによると、御朱印帳は堂内に備えてある由、納経料300円を賽銭箱に納めて受け取る仕組みらしく、道理で御堂の扉が開いた訳である。次は同じ花泉町の松澤山六角堂へ。

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奥州観音霊場 第二十番 中興山徳寿院(一関市)

2017年6月15日(木) 中興山徳寿院の所在地は岩手県一関市花泉町花泉字西郷目30番地、曹洞宗の寺院である。本尊は延命地蔵尊、札所P6150291本尊は千手観世音菩薩。開山は長禄三年(1459)。
13:55山門前駐車場着。観音堂は本堂の左手前に建つこじんまりした御堂で昭和六十二年(1987)の建築、まだ新しい。傍らの石碑に御詠歌「たのめただ くらきにまよふ のちのよも てらさせ給へ 観音の慈悲」が刻まれている。御賽銭箱に百円玉を入れ、般若心経を唱えてお参りする。堂内を覗いてみたが薄暗くてご本尊は拝めず、境内に他に見るべきものもなく、直ぐに同じ町内の第十九番新山観音堂へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十一番 円通山観音寺(栗原市)

P61502822017年6月15日(木) 円通山観音寺の所在地は宮城県栗原市金成有壁館下69-1番地、曹洞宗の寺院である。札所本尊は馬頭観世音菩薩。開創は大同二年(807)坂上田村麻呂、三上大明神本地観音を建立し、伝教大師を開山とし、別当有壁山円通院と号し、天台宗にして一時は坊舎24坊を数え繁栄したが、後廃退してしまった。有壁城主、菅原帯刀長尚が弘治三年(1557)、登米郡永明寺(葛西氏菩提寺)五世澗室守林禅師を開山として再興し、曹洞宗円通山観音寺と号す。葛西氏没落とともに永明寺も廃寺となったので現在は永明寺の本寺である京都の船井郡京丹波町の玉雲寺末寺となっているP6150285(境内説明板のまま)。
13:15奥州街道旧有壁宿にある観音寺に着き、入り口スペースに車を駐める。坂を上って先ず本堂にお参りする。本堂の左手、墓地の上方へ延びる石段を登っていくと、丘上に「水月堂」の扁額を掲げた観音堂がひっそりと建っている。扉が開いていたので中を覗くと、ご本尊は金ぴかの馬頭観音像、般若心経を唱えてお参りする。大名の参勤交代の宿、旧有壁宿本陣(延享元年(1744)改築)も見学したかったが、今日は霊場を7か所回らねばならず、時間が押しているので、次の第二十番徳寿院へ向かう。

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奥州観音霊場 第二十二番 楽峰山勝大寺(栗原市)

2017年6月15日(木) 楽峰山勝大寺の所在地は宮城県栗原市金成津久毛字小迫三嶋45番地、真言宗智山派の寺院である。本尊は不動明王、札所本尊は十一面観世音菩薩。遠く平安の昔、延暦二十三年(P6150266804)、坂上田村麻呂が奥州の蝦夷平定の際、此の地に鎮座する白山神社に戦勝の祈願をなし、その帰途勝利の奉賛として境内に観音堂を建立したと伝えられる(坂上田村麻呂が建立した奥州七観音のひとつ)。また、源頼朝が平泉の藤原泰衡を討っての帰途此の地に立ち寄り御礼として流鏑馬(やぶさめ)の一種と思われる那須与一の扇の的を射る野祭りを行った。それが平泉藤原時代の延年の舞と習合して今に伝わり、小迫まつり(小迫の延年)になったと伝えられ、毎年4月の例祭に古式豊かな平安の調べと武者絵巻が繰り広げられる。「小迫P6150271の延年」は昭和五十四年(1979)、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
12:30白山神社鳥居前の草地に車を駐める。鳥居をくぐり随神門をくぐると、立派な観音堂(江戸時代中期)が建ち、その右側に白山神社へ続く石段が上っていく。観音堂の扉は固く閉まっており、ご本尊の十一面観世音菩薩は拝めない(本尊は三十三年に一度開扉の秘仏、前立の観音像があるらしい)。般若心経を唱えてお参りする。石段を上って白山神社にも参詣、その後境内を一回りすると、奥に弓道場がある。随神門の板壁に掛かる的竹奉納札を珍しいものとして眺め、道路の反対側に建つ本堂を拝観してから退場、第21番の円通山観音寺へ向かう。

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奥の細道三十三霊場 第十二番 法蔵寺(栗原市)

P61502582017年6月15日(木) 愛宕山地蔵院法蔵寺(ほうぞうじ)の所在地は宮城県栗原市栗駒稲屋敷愛宕47番地、真言宗智山派の寺院で通称愛宕地蔵尊。本尊は大日如来、脇侍に不動明王を祀り、将軍地蔵尊を守護尊として祀る。創建等由緒は不明。
今日は県北の栗原市と、岩手県一関市花泉町にある奥の細道霊場と奥州観音霊場とを7か所巡るつもり、9:40榴岡のマンションを出発。先ずは奥の細道三十三霊場の第12番、栗原市の法蔵寺へ。国道4号線を北上し、11:55山門前駐車場着。早速本堂にお参りし、御賽銭を弾んで般若心経を唱える。本堂のP6150262扉を少し開けてご本尊の大日如来を拝む。本堂の柱に「奥の細道三十三霊場 第十二番」の看板がしっかり掛けてある。「曾良旅日記」の5月14日の記述で、芭蕉と曾良が栗駒町を通過したことは分かるが、当寺に参詣したとは書かれていない。何はともあれここ法蔵寺で、2008年6月21日の第1番陸奥国分寺から開始した奥の細道三十三霊場巡礼をめでたく満願成就、ほっとする。次は同じ栗原市内の奥州観音霊場第22番楽峰山勝大寺へ。

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奥の細道三十三霊場 第十六番 善寶寺(鶴岡市)

2017年6月13日(火) 龍澤山善寶寺(りゅうたくさん・ぜんぽうじ)の所在地は山形県鶴岡市下川字関根100番地、曹洞宗の寺院であり、妙厳寺、最乗寺と並ぶ曹洞宗三大祈禱所のひとつ。本尊は薬師如来。平安時代の天慶から天暦年間(938-957年)頃、天台宗の妙達によって草庵が結ばれ龍華寺とP6130101呼んだものを始まりとする。室町時代・永享年間(1429-1441年)の中興時に寺号を善宝寺と改めた。姿を現した龍神が寺号を授け、境内の貝喰池に身を隠したという伝説が残り、龍神信仰の寺として航海安全や大漁を祈願する全国の漁業関係者から篤い信仰を集めている。龍王殿(文安三年(1446)創建、天保四年(1833)再建)、五百羅漢堂(安政二年(1855)建立)、総門(安政三年(1856)再建)、山門(文久二年(1862)再建)、五重塔(明治十六年(1883)建立)、龍華庵(明治十三年(1880)再建)の六棟は国指定の有形文P6130106化財、また、寺宝の菱田春草筆「絹本著色王昭君図」は国指定重要文化財である。
羽黒山の出羽三山神社を後にし、同じ鶴岡市内にある善宝寺の大駐車場に13:05到着。駐車場の広さは半端じゃない。堂塔伽藍は壮麗であり、寺勢極めて盛んである。総門をくぐり、右側の五百羅漢堂、左側の五重塔を拝観する。仁王像の代わりに毘沙門天像と韋駄天像が祀られる重厚な山門をくぐり、先ずは本堂にお参りする。奥の細道霊場の看板はどこにも見当たらない。本堂の左手から石段を上り、当山守護の龍神を祀る龍王殿にもお参りする。芭蕉の「おくのほそ道」にも、曾良の「曾良旅日記」にも、両人が当寺に参詣した事を示す記述は見当たらない。かつて「人面魚」として有名になったコイが泳ぐ貝喰池まで行こうと思ったが、片道20分とあるので諦める。13:30車に戻り、加茂水族館へ。 

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出羽三山神社(鶴岡市)

2017年6月13日(火) 出羽三山神社の所在地は山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7番地、標P6130033高414mの羽黒山の山頂に鎮座する。祭神は、月山神社が月読命(つくよみのみこと)、湯殿山神社が大山祇命(おおやまづみのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の三柱、出羽神社(いではじんじゃ)は出羽神(いではのかみ)・稲倉魂命(うがのみたまのみこと)の二柱。今を去ること千四百年の昔、推古天皇元年(593)、第三十二代崇峻天皇の第三皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)が羽黒山頂に伊氐波神(いではのかみ)を祀る羽黒山寂光寺を建立したのが始まり。蜂子皇子は、続いて月山と湯殿山も開山し、月山神と湯殿山神を勧請して羽黒山三所大P6130041権現と称して三山の神々を合祀、今日まで続く出羽三山信仰、羽黒派古修験道の礎を築いた。
9:30出羽三山神社駐車場着。前回は、山頂駐車場に車を駐め、三神合祭殿にお参りしてから、石段を下って五重塔を拝観し、随神門から退出したが、今回は正式参拝、随神門から神域に入る。始めは石段下り、途中、秡川に流下する須賀の滝(不動滝)と不動堂を拝観し、山中最大且つ最古の巨木「羽黒山の爺(じじ)スギ」(推定樹齢千年以上、幹周8.25m、樹高30m)を見物する。近くに「婆(ばば)スギ」と云う巨樹もあったが、明治三十五年(1902)の暴風で倒れP6130059てしまったらしい。国宝の五重塔(応安五年(1372)再建)を見学してから、いよいよ長い長い石段登りにとりかかる。一の坂、二の坂、三の坂と山頂まで2446段もの石段が続く。踏み幅が狭いのでひどく歩き難い。途中、二の坂茶屋、芭蕉塚、芭蕉と曾良が奥の細道行脚の時滞在した高陽院紫苑寺があった南谷への入り口などがあり、カナダ人の青年二人と相前後して上る。二人は主に群馬県に滞在して、草津温泉、万座温泉を体験し、谷川岳登山に挑戦した由、明々後日の16日に離日し帰国の途に就くとの事。10:40表参道石段の終点鳥居をくぐり、漸く羽黒山山頂に到達、鳥居の前の右P6130061側に能除太子御坐石(おまし)がある。先ずは開祖蜂子皇子を祀る蜂子神社にお参りし、次いで本殿の三神合祭殿にお参りする。総朱塗りの本殿は豪壮で、高さ28m、桁行24m(13間2尺)、梁間17m(9間2尺)の威容を誇る。現在の建物は文政元年(1818)の完成、国の重要文化財に指定されている。拝殿の中央に月山神社、向かって左に湯殿山神社、右に出羽神社の扁額が掲げてあり、神妙に家内安全を祈願する。それから境内を一回り、鐘楼(元和四年(1618)再建)も大きい。中の大鐘は建治元年(1275)銘、古鐘では東大寺、金剛峯寺に次いで古く且つ大きいとのことで、鎌倉P6130078幕府の寄進である。御札授与所、東照社、末社なども見学し、茅の輪をくぐってから下山する。途中、二の坂茶屋で一休み、名物の力餅(抹茶付きミックス餅2個、500円)を食べる。テラス席からの下界の眺めが素晴らしく、庄内平野の彼方に日本海も見える。12:10ようやく随神門に戻ると、足腰がガタガタになりヨロヨロ。更に門前庭園を一回りすると、入り口の出羽三山神社社務所では山形県神社庁東田川支部第三区会の総会の準備中、12:20車に戻る。

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