奥の細道三十三霊場 第十二番 法蔵寺(栗原市)

P61502582017年6月15日(木) 愛宕山地蔵院法蔵寺(ほうぞうじ)の所在地は宮城県栗原市栗駒稲屋敷愛宕47番地、真言宗智山派の寺院で通称愛宕地蔵尊。本尊は大日如来、脇侍に不動明王を祀り、将軍地蔵尊を守護尊として祀る。創建等由緒は不明。
今日は県北の栗原市と、岩手県一関市花泉町にある奥の細道霊場と奥州観音霊場とを7か所巡るつもり、9:40榴岡のマンションを出発。先ずは奥の細道三十三霊場の第12番、栗原市の法蔵寺へ。国道4号線を北上し、11:55山門前駐車場着。早速本堂にお参りし、御賽銭を弾んで般若心経を唱える。本堂のP6150262扉を少し開けてご本尊の大日如来を拝む。本堂の柱に「奥の細道三十三霊場 第十二番」の看板がしっかり掛けてある。「曾良旅日記」の5月14日の記述で、芭蕉と曾良が栗駒町を通過したことは分かるが、当寺に参詣したとは書かれていない。何はともあれここ法蔵寺で、2008年6月21日の第1番陸奥国分寺から開始した奥の細道三十三霊場巡礼をめでたく満願成就、ほっとする。次は同じ栗原市内の奥州観音霊場第22番楽峰山勝大寺へ。

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奥の細道三十三霊場 第十六番 善寶寺(鶴岡市)

2017年6月13日(火) 龍澤山善寶寺(りゅうたくさん・ぜんぽうじ)の所在地は山形県鶴岡市下川字関根100番地、曹洞宗の寺院であり、妙厳寺、最乗寺と並ぶ曹洞宗三大祈禱所のひとつ。本尊は薬師如来。平安時代の天慶から天暦年間(938-957年)頃、天台宗の妙達によって草庵が結ばれ龍華寺とP6130101呼んだものを始まりとする。室町時代・永享年間(1429-1441年)の中興時に寺号を善宝寺と改めた。姿を現した龍神が寺号を授け、境内の貝喰池に身を隠したという伝説が残り、龍神信仰の寺として航海安全や大漁を祈願する全国の漁業関係者から篤い信仰を集めている。龍王殿(文安三年(1446)創建、天保四年(1833)再建)、五百羅漢堂(安政二年(1855)建立)、総門(安政三年(1856)再建)、山門(文久二年(1862)再建)、五重塔(明治十六年(1883)建立)、龍華庵(明治十三年(1880)再建)の六棟は国指定の有形文P6130106化財、また、寺宝の菱田春草筆「絹本著色王昭君図」は国指定重要文化財である。
羽黒山の出羽三山神社を後にし、同じ鶴岡市内にある善宝寺の大駐車場に13:05到着。駐車場の広さは半端じゃない。堂塔伽藍は壮麗であり、寺勢極めて盛んである。総門をくぐり、右側の五百羅漢堂、左側の五重塔を拝観する。仁王像の代わりに毘沙門天像と韋駄天像が祀られる重厚な山門をくぐり、先ずは本堂にお参りする。奥の細道霊場の看板はどこにも見当たらない。本堂の左手から石段を上り、当山守護の龍神を祀る龍王殿にもお参りする。芭蕉の「おくのほそ道」にも、曾良の「曾良旅日記」にも、両人が当寺に参詣した事を示す記述は見当たらない。かつて「人面魚」として有名になったコイが泳ぐ貝喰池まで行こうと思ったが、片道20分とあるので諦める。13:30車に戻り、加茂水族館へ。 

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奥の細道三十三霊場 第十四番  羽黒山正善院(鶴岡市)

2017年6月13日(火) 羽黒山荒沢寺(はぐろさん・こうたくじ)の所在地は、山形県鶴岡市羽黒町手向手向232番地、羽黒山修験本宗の本山であり、正善院(しょうぜんいん)は荒沢寺の本坊である。本尊は大日如来・阿弥陀如来・観音菩薩。崇峻天P6130016皇の皇子蜂子皇子(能除太子)によって開かれたと伝えられ、 出羽三山に対する山岳信仰・修験道の寺として古くから信仰されてきた。もとは真言宗の寺院であったが、江戸時代に入ると天台宗に属するようになった。明治初年の神仏分離に伴い延暦寺の末寺となり、第二次世界大戦後の昭和二十一年(1946)、島津伝道が独立して羽黒山修験本宗の本山となった。
今日は鶴岡市にある2か所の奥の細道霊場を訪ねることにし、榴岡のマンションを6:00出発、一般道を走り、関山トンネルを抜け、東根市、尾花沢市、新庄市を通る。酒田の手前で左折、羽黒山へ向かい、9:00正善院着、山門右手のスP6130014ペースに車を駐める。山門の傍らに、鎌倉時代の建久四年(1193)建立の本堂・黄金堂(こがねどう)が国指定の重要文化財であることを示す立札が立ち、山門の柱に「奥の細道三十三霊場 第十四番」の看板がしっかり掛けてある。本堂の前で般若心経を唱えてから、堂内を覗くと須弥壇には金色まばゆい御仏が何体も安置されている。お参りを済ませてから境内を一回り、寛文六年(1666)建立のお竹大日堂(本尊はお竹大日如来)にもお参りし、冥府王の石像など見学する。曾良日記の六月十日の項に、「左吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂(正善院の黄金堂)迄釣雪送ル」とあるので、羽黒山・南谷の光陽院紫苑寺に一週間近く滞在していた芭蕉が、正善院に参詣した可能性はある。せっかく近くまで来たのだからと、羽黒山山頂の出羽三山神社へ2度目のお参りに行く。

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奥の細道三十三霊場 第二十八番 観音寺(福島市)

2016年9月28日(水) 瀧寿山観音寺の所在地は福島県福島市上鳥渡字観音寺7、天台宗の寺院。本堂のご本尊は阿弥陀三尊像、大悲閣(観音堂)のご本尊は聖観世音菩薩。当寺は天安二年(858)奥州按察使山陰中納言(伊達家元祖)の発願により、慈覚大師の高弟道叡和尚が、吉野山の白P9280558滝の中から出現した聖観世音菩薩(長野善光寺型)を本尊にいただき開山したと伝えられています。「天安元年の夏、奈良吉野の白滝の所が、夜な夜な光明を放つことあり、民が不思議に思い比叡山の慈覚大師にその事を告げると、大師は自ら駕篭をなし暫く観念せられると、光とともに滝より金銅一尺二寸の観音様が現れ、その霊験あらたかなること筆舌に及び難し」と由来碑には刻されています。山陰中納言は故あってこの地に居住しますがこの霊験あらたかなる観音様を深く信仰し、大発願のもと慈覚大師に願い出て自身の守り本尊とし、大師の高弟道叡とともにこの地に来臨し、上鳥渡玉ノ森山に一宇のP9280554草堂を建てて安置し、白滝の名にちなんで「瀧寿山」を開山したと伝えられています。その後、江戸初期寛永年間玉ノ森山の寺は焼失しましたが、本尊の観世音菩薩は難を逃れ、寛永十八年(1641)に、中興の祖清海和尚により、現在地に現本堂が建立され、上野寛永寺の直末寺として、瀧寿山普門院観音寺を名乗りました。後に元文二年(1737)に東手参道添いに大悲閣(観音堂)が建立され、古来の聖観世音菩薩は大悲閣に移遷され、本堂には新たに阿弥陀三尊来迎像が安置されて、現在に至っております。
仙台から柏に戻る途中に立ち寄り参詣、14:10駐車場到着。「奥の細道三十三霊場 第二十八番」の看板が架かる本堂の前で般若心経を唱える。境内を一回り、市指定文化P9280559財の「輪蔵」(明治十六年(1883)竣工)、五重塔(兼寺宝館)、開運堂などが建ち、立派なお寺である。東側の旧米沢街道に面する方が表参道らしく、文化三年(1806)建立の山門があり、信達坂東二十二番札所、観音寺開基の白滝観音を祀る観音堂が建つ。観音堂前でも般若心経を唱える。また、参道入り口の左側に芭蕉句碑「手を打てば木魂に明くる夏の月」が建つ。出典は「嵯峨日記」で、元禄四年(1691)京都嵯峨の門人去来の落柿舎で詠まれた句であり、奥の細道行脚の途次、芭蕉と曾良が当山に参詣した記録はない。14:40退出、近くの福島西ICから東北道に乗り柏へ。

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奥の細道三十三霊場 第六番 禅昌寺(石巻市)

2016年9月27日(火) 桂林山禅昌寺(けいりんざんぜんしょうじ)の所在地は宮城県石巻P9270494市山下町1-4-8、臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は如意輪観世音菩薩(伝行基作)。寺伝によれば、田道将軍の従者であった和恵と権三が、田道将軍の墓の傍に庵を建てたのが始まりで、のち慈覚大師がその庵を天台宗全正寺と改めたといわれている。その後、建長七年(1255)執権北条時頼の時代、鎌倉建長寺の末寺として大覚禅師開基、古澗和尚が中興開山、寛永十年(1633)松島瑞巌寺の雲居禅師によって桂林山禅昌寺と改められ、京都花園の大本山妙心寺の末寺となって現在に至っている。
今日は石巻市内の霊場巡り、8:00出発。国道45号線を走P9270500り、9:40禅昌寺山門前駐車場着。山門の左右の柱に「奥の細道三十三霊場 第六番」と「三陸三十三観音霊場 第七番」の看板が掲げてある。本堂前に進み般若心経を2回唱える。1回は東日本大震災で亡くなった人々の鎮魂のため、もう1回は両親と弟の供養のために。その後境内を一回り、97名の名前が刻まれた東日本大震災当山物故者鎮魂碑、若宮丸遭難供養碑、(株)宍戸寄進の大観音像などが建ち、東屋や庭園を備えた立派な寺院である。若宮丸供養碑の説明板には「この供養碑は、寛政十一年(1799)に石巻裏町の米澤屋平之丞が持船若宮丸の漂流を知り、生P9270496死不明のため七回忌供養として建立したとみられます。若宮丸は、寛政五年(1793)十一月二十七日、沖船頭平兵衛以下十六人が乗り組み、米千百石を積んで石巻河口を出帆して江戸に向かいましたが嵐に遭って漂流し金華山沖を北に流され、ロシアに流れ着きました。十六人のうち帰国できたのは津太夫、多十郎、佐平、儀兵衛の四人で、文化元年(1804)のことでした。ロシア使節の船に乗り、大西洋、太平洋を横断して帰国しましたが、奇しくも初めて世界一周した日本人となったのです。供養碑は平成元年の春、禅昌寺の庭園を直していた時に石橋の土台となっていたのが発見されて建て直されました。平成五年十一月二十七日 若宮丸乗組員海難二百年遠忌実行委員会」とある。井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」の主人公・大黒屋光太夫(天明二年(1782)漂流、寛政四年(1792)帰国)のような人物が、何と石巻にも居たのである。初めて知りました。尚、「奥の細道」にも「曾良旅日記」にも芭蕉らが当寺に参詣した記録は見当たりません。次は奥州観音霊場第八番の梅渓寺へ。

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奥の細道三十三霊場 第三十一番 岩角寺(本宮市)

2016年7月21日(木) 和田山常光院岩角寺(わでんさんじょうこういんがんかくじ)の所在地は福島県本宮市和田字P7210019_2東屋口84番地、阿武隈山地中部に位置する標高337mの岩角山全山を境内地とする天台宗の古刹である。本尊は毘沙門天尊像。仁寿元年(851)天台宗三世慈覚大師の開創と伝えられ、以来天台密教の道場として栄えてきた。江戸時代には二本松藩主丹羽光重公の篤い信仰と庇護を受けている。
16:20山門下の駐車場着。早速山門をくぐる。此の寺にも奥の細道三十三霊場の看板は見当たらない。心の池に架かる阿吽橋を渡り、慈覚大師が身を清めたとされる金華水を見てから、時間は遅いけれP7210043ど山頂の奥の院まで上ってみることに。仁王尊石像二体(明和四年(1767)作)、秘仏出世大黒天(寛永元年(1624)作)を祀る大黒天堂、西国第一番如意輪観世音像、毘沙門堂(本堂、文久二年(1862)再建)、岩窟弁天、西国第四、五、六、七、八番観世音像、那智観音堂(元禄六年(1693)再建、本尊は如意輪観音)、抱きつき石、准胝子宝観音像、奥の院・阿弥陀堂、愛宕地蔵堂、鐘楼、縁結び胎内くぐり、展望台、遥拝石、三山祠跡、西国第二十三番千手観音像、舟石(雨乞い祈願霊石)、案内地蔵、男女別胎内くぐりの順に見学し又お参りする。花崗岩侵食地形の全山が福島県の名勝及び天然記念物にP7210033_3指定されており、山中には巨岩怪石が数多露出、表面には西国霊場三十三カ所の観世音像(江戸時代初期の作)をはじめ、菩薩、天王、天神など808躯もの霊像が線刻されている。山頂の鐘楼で日本三鐘の一つと銘打つ四面鐘(元禄九年(1696)鋳造)を1回撞き、遥拝石に上って眼下に広がる二本松の田園地帯を眺める。大分薄暗くなってきたので慌てて下山、17:05車に戻る。何時の日かもう一度、次回はゆっくりお参りしたいお寺さんである。 

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奥の細道三十三霊場 第三十二番 石雲寺(本宮市)

2016年7月21日(木) 石雲寺の所在地は福島県本宮市本宮町字坊屋敷1番地、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦如P7210002来か。ネットで調べたが、山号、本尊、創建年等の由緒は判らずじまい。
9:40柏の自宅を出発。一般道(R6、R294、R408、R4)を走り仙台へ帰省する途中、本宮市内の奥の細道三十三霊場の二か所に立ち寄ることに。先ずは第三十二番札所の石雲寺へ。16:00石雲寺の山門前駐車場着。山門、本堂、庫裡、鐘楼など建物は比較的新しく、大きな構えの寺院である。「奥の細道」と「曾良旅日記」に当寺に立ち寄った記録はなく、そのせいか奥の細道三十三霊場の看板はもはや見当たらない。境内に水原秋櫻子と堀口星眠の師弟句碑(「竹外の一枝は霜の山つばき」(秋櫻子)、「旅枕願の糸も叶わずに」(星眠))が建つのみ。他に見るべきものもなく、本堂にお参りしただけで退出、次は岩角寺へ。

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奥の細道三十三霊場 第二十五番 妙見寺(白石市)

P62800592016年6月28日(火) 星王山妙見寺の所在地は宮城県白石市柳町16、日蓮宗の寺院である。本尊は開運北辰妙見大菩薩。安政六年(1859)、江戸の柳島妙見(現在の墨田区業平)から妙見大菩薩を勧請して妙見堂を建立したのが始まり。芭蕉と曾良が城下町白石に投宿したのは元禄二年(1689)旧暦五月三日、当時は影も形もなかった此の寺院が奥の細道霊場のひとつに選定されているのはどうした訳であろう?。
15:15 JR白石駅傍のサンクス駐車場に車を置き、歩いて妙見寺参詣へ。日蓮宗の寺院らしく、境内に日蓮大聖人像が、併営のひかり幼稚園敷地に日蓮大聖人御幼像が建つ。妙見堂と本堂(北辰殿)にお参りする。妙見堂の柱には「奥の細道三十三霊場 第二十五番」の看板がしっかり掲げてある。遅くなったが最後に、角田市の奥州観音霊場第四番斗蔵寺へと向かう。

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奥の細道三十三霊場 第二十四番 繁昌院(大河原町)

P62800442016年6月28日(火) 吉祥山繁昌院(きっしょうざん・はんじょういん)の所在地は宮城県柴田郡大河原町字町254、曹洞宗の寺院である。本尊は釈迦如来。慶長十年(1605)村田の龍島院八世洲山麟芸和尚が上町の西浦に開山、明治五年(1872)現在地に移転した。柴田三十三観音第十二番札所(魚藍観音立像)に選定されており、御詠歌は「吉峯にかがやく法の灯は のちの世までも照り榮えなん」。
14:30白石川の畔にある繁昌院到着、山門前の駐車場に車を入れる。山門に立派な仁王像が立つが、奥の細道三十三霊場の看板は見当たらない。それでも境内の選佛堂の前に芭P6280051蕉句碑「鶯(うぐいす)の笠落としたる椿かな」が建つ。ネットで調べると、この句は元禄三年(1690)二月六日伊賀上野の西島百歳亭で詠んだもの、弘化三年(1848)大河原町の俳人村井江三が此の地を通過した芭蕉を偲び、近くの韮神山の山裾に建立した句碑の模刻である。本堂にお参りしてから、境内に建つ魚藍観音像にもお参りし、次は白石市の第二十五番妙見寺へ。

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奥の細道三十三霊場 第二十三番 竹駒寺(岩沼市)

2016年6月28日(火) 宝窟山竹駒寺(ほうくつざん・たけこまじ)の所在地は宮城県岩沼市桜1-2-49、真言宗智山派の寺院である。本尊は不動明王。江戸時代まで竹駒神社の別当P6280039寺であり、寺伝によると、後冷泉天皇の御代(在位1045-1068)能因法師(998-1058)が陸奥を旅する途中、竹駒神社の社の傍らに庵を結んで神に仕え、歌道に精進して悟りを得たとあり、その時の庵が竹駒寺の始まりとされる。
三菱電機のサービスセンターに依頼したエアコン修理が午前中に終わったので、午後から雨中の霊場巡りに出発。先ずは竹駒寺へ。13:50竹駒寺近くのセブンイレブンの駐車場に車を駐め、缶ビールを購入してからお参りに行く。竹駒寺は岩沼市役所にほど近い街中にあり、山門の柱に「奥の細道三十三霊場 第二十三番」の看板が掛けてある。「曾良旅日記」の五月四日の項に『岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。』と記述されており、芭蕉らが訪れた時は竹駒寺は竹駒神社の直ぐ傍にあったことが分かる。明治維新の神仏分離政策により現地に移転したもの、境内は狭く、山門、本堂、瑠璃殿、庫裡など皆新しい。弘法大師像はあるが、芭蕉関連の碑は見当たらず。本堂にお参りしただけで退出、大河原町の第二十四番繁昌院へ向かう。

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