朝熊山金剛證寺(伊勢市)

2018年1月12日(金) 朝熊山金剛證寺(あさまやま・こんごうしょうじ)の正式名は勝峰山兜率院金剛證寺、所在地は三重県伊勢市朝熊町岳548、伊勢志摩の最高峰朝熊山(標高P1120131555m)の南峰(経ヶ峯)東腹にあり、臨済宗南禅寺派の寺院である。ご本尊は虚空蔵菩薩(江戸時代作)、福威智満虚空蔵大菩薩と称され、日本三大虚空蔵菩薩の第一位とされる。創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を立てたのが始まりと云われるが定かでない。平安時代の天長二年(825)、空海が真言密教の道場として当寺を中興したと伝えられる。その後一旦衰退したが、14世紀末の明徳三年(1392)、鎌倉建長寺五世の仏地禅師・東岳文昱(とうがくぶんいく)が再興に尽力、これにより文昱を開山第一世とし真言宗から臨済宗に改宗して現在に至る。
P112015512:30宇治橋前駐車場出発、伊勢志摩スカイラインを上って12:45金剛證寺参詣者用駐車場着。石段を昇って仁王門をくぐり、仏足石(奈良薬師寺の国宝・日本最古の仏足石(天平勝宝五年(753)作)を摸刻したもの、天保四年(1833)作)を見学してから本堂の摩尼殿(国指定重要文化財、慶長十四年(1609)再建)にお参りする。御本尊の虚空蔵菩薩は秘仏で厨子の扉の中、直接は拝めない。日本三大虚空蔵菩薩と称する寺院は全国に10ケ寺あるが、これまで宮城県津山町の柳津山宝性院、福島県柳津町の霊巌山圓蔵寺、茨城県東海村の村松山日高寺、千葉県天津小湊町の千光P1120144山清澄寺にはお参り済みなので、当寺で5ヶ寺目となる。金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を守る寺として信仰を集め、「お伊勢参りは朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭にも唄われているが、お伊勢さん参りの締めくくりと同時に日本三大虚空蔵菩薩参りも出来て大満足。その後奥の院へ。朱塗りの明星堂を過ぎ、経ヶ峰・八大龍王参詣道を左に見送り、芭蕉句碑(「神垣や おもひもかけず 涅槃像」)を眺めて、竜宮造りの極楽門をくぐる。参道の左右、特に右手に巨大な卒塔婆群が林立し、一種異様な光景が広がる。地元の人々が宗派を問わず、奥の院に卒塔婆を立てて故人を供養する「岳参り」と呼ばれる風習だそうで、卒塔婆の大きさにより志納金は一P1120159基50万円から3万円の10種類、地獄の沙汰も金次第ということか。左斜面に歴代住職の墓や関ケ原合戦で敗れた九鬼水軍の将、九鬼嘉隆の五輪塔も建つ。奥の院(勝峰山呑海院)の山門をくぐり、地蔵堂に祀られる延命子安地蔵尊にお参りして引き返す。13:30バスに戻り、伊勢志摩スカイラインを上り詰めて朝熊山頂展望台へ。外は風が冷たい。富士山、木曽御嶽山、中央アルプスなどは雲の中、20分のフリ-タイムと云われても寒いので、伊勢湾とそこに浮かぶ島々を眺めただけで車内に引き籠もる。ホテルへ戻る途中、真珠専門店のパールファルコに立ち寄り買い物(14:15-14:50)、まだ先のある女性の大部分が何らかの真珠製品を購入し、店内スタッフ総出の見送りを受ける。(続く)

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奥の細道三十三霊場 第八番 柳津山宝性院(津山町)

2009年1月17日(土) 過日ネットで調べたところ、宮城県にも日本三大虚空蔵尊と称するお寺(柳津山宝性院)がある。Dsc04502所在地は本吉郡津山町、仙台から北東70㎞ほどの距離である。灯台下暗し、仙台に帰省した序に早速訪ねてみる。 10:10出発、国道45号線を北上し、松島、石巻を経由、12:20宝性院着。駐車場も境内も夜来の雪が凍てつきつるつる。山門や御堂はこじんまりしており、寺勢盛んとは言い難いけれども、奥の細道三十三霊場第八番、三陸三十三観音霊場第九番の門札を掲げているところを見ると、名刹、古刹であることは間違いない。境内に掲げられた由緒書を読むと、「日本三所の一 宮城柳津福智満虚空蔵尊 当山は柳津山宝性院と号し、真言宗智山派に属す。神亀三(726)年(第四十五代聖武天皇)秋九月行基菩薩勅を受け東国を巡遊し、Dsc04516この地に来り御修法二十一日間一刀三礼し、 自ら虚空蔵を刻む、その丈一尺二寸もって、 天下泰平、国家安穏を祈り、同月十三日一宇を黄土山の嶺に創立しこれを信心して、一村の守護仏として尊崇した。後宝亀二(771)年三月大伴家持宮城郡多賀城にありし時登山して、これを拝して言うに福島の会津柳津、山口の柳津に安置せる仏像も同じく行基の作で日本三所の秘仏である。かくも尊いものなれば三十三年目毎に開帳する外みだりに衆人これを拝すること恐れありと。其の後弘仁九(818)年(五十二代嵯峨天皇)五月三日弘法大師此の堂に籠もり二十一日間の密行を務め、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものの二体を刻し、 もって其の左右に安置し尚本堂を今の地に移した。其の後中古に至ってしばしば野火にあいましたが幸にして本尊の安泰を得、法灯連綿として現在に至っております。虚空蔵菩薩は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり鰻(うなぎ)は虚空蔵菩薩のお使いの魚で絶対に殺生しないことになっております」とある。又、境内には柳津虚空蔵尊七不思議という「玉こぶの欅」、Dsc04525「雫の桜」、「一夜の松」、「月見の井戸」、「片葉のよし」、「黄土山の黄金水」、「子育ての松」もあり、更に、大伴家持作の百人一首(「鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにけり」)に詠まれている鵲(かささぎ)橋まである。二重、三重に虚空蔵尊の権威付けがなされている。今年は丑年なので一段とお参りする人が多く、松の内が明けた今日でもひっきりなしに地元の人がやってくる。虚空蔵菩薩の御真言(「のうぼうあぎやしや ぎゃらはやおんありぎや まりぼり そわか」)を唱えながら本堂にお参りする。その後、背後の山(黄土山、現在の地図名では大土山)の中腹に建つ奥の院にもお参りする。そして道なき尾根を急登して山頂を極める(姉妹編ブログの自惚山人ノオト「432.大土山」参照)。下山後、津山町のもうひとつの名所、横山不動尊へ向う。     

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村松山日高寺(大満虚空蔵尊)

2008年12月3日(水) 今日はDsc04090日本三大虚空蔵尊の一つ、茨城県東海村にある大満虚空蔵尊(村松山日高寺)へお参りに行く。 最も、ネットで調べると、虚空蔵菩薩を御本尊とし日本三大虚空蔵尊を名乗るお寺は全国に10箇所余ある。北から順に並べると、①青森県南郷村の福一満虚空蔵尊、②宮城県津山町の福智満虚空蔵尊(柳津山宝性院)、③福島県柳津町の福満虚空蔵尊(霊巌山圓蔵寺)、④新潟県朝日村の大満虚空蔵尊、⑤千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊(千光山清澄寺)、⑥静岡県焼津市の福偉智満虚空蔵尊(當目山香集寺)、⑦岐阜県大垣市の美濃赤坂虚空蔵尊(金生山明星輪寺)、⑧三重県伊勢市の徳一満虚空蔵尊(朝熊山金剛證寺)、 ⑨京都市嵯峨嵐山の虚空Dsc04105蔵菩薩(法輪寺)、⑩山口県柳井市の柳井津虚空蔵尊(柳井山湘江庵虚空蔵堂)である。9:00出発、国道6号線を北上し、12:05村松山虚空蔵尊の駐車場に着く。駐車場は狭くせいぜい10台程度しか入らない。本殿にお参りしてから本坊へご朱印をもらい受けに行くと窓口に誰もいない。今日は三重塔建立十周年の法要が行われており、皆そちらに出払っているらしい。待つこと暫し、ようやく納経印を頂く。御本尊の虚空蔵菩薩は秘仏であり、現在は奥の院・仏舎利塔内に安置してあるとのこと、 本堂の長廊下を渡って奥の院にもお参りする。隣には三重塔が聳え、塔頂の九輪が蒼天をバックに金色に輝く。境内には文人の詩歌碑がDsc04103多く、芭蕉の句碑(「埜(の)を横に 馬引きむけよ 時鳥(ほととぎす)」)、山村暮鳥の詩碑(「おう土よ生けるものよ その黒さに太古のかほりが ただようている」)、アララギ派歌人佐藤佐太郎の歌碑(「晴れし日の砂山のうへ濡石は みずから濡れて脂のごとし」)などが建つ。境内の背後の山上には四等三角点が設置されており、傍らに水戸藩第九代藩主徳川斉昭公(烈公)自筆の「村松晴嵐」の石碑が立つ。白砂青松の景勝地であった頃の面影は今も残っているが、一帯は日本原子力東海研究所用地となりフェンスで囲まれ立ち入れない。来年は丑年、虚空蔵菩薩は丑年・寅年生まれの守り本尊なので、今度のお正月は初詣の人でさぞかし賑わうことであろう。隣接する村松大神宮にもお参りすると13:30、矢祭山登山を諦め帰路に着く。

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千光山清澄寺(能満虚空蔵尊)

2008年11月27日(木) 昨日は清澄寺に行き損なってしまったが、7年近く前に家族でお参りしているので、当日の日記をひもとき記事を作成する。

Dsc03946 2002年1月20日(日) 千光山清澄寺(日蓮宗)

御本尊:十界曼荼羅

所在地:千葉県鴨川市清澄322-1

妻と娘と3人で房総ドライブ旅行の途次、今年が日蓮上人開宗750年という清澄寺にお参りする。なんといっても境内に聳える樹齢千年の巨スギが目を引く。本堂にお参りしご朱印帳に記帳してもらう。ついでに本堂の左側から登っていく参道を辿り、妙見堂が建つ清澄山(妙見山)に登る。山頂からは重畳する房総の山並が見渡せる。

略縁起:宝亀二年(771)不思議法師開山、虚空蔵菩薩を祀り山岳霊場となる。承和三年(836)慈覚大師円仁が訪れ天台宗となる。建長五年(1253)日蓮聖人が初唱目・立教開宗する。元和四年(1618)徳川秀忠命により真言宗に改宗する。昭和24年(1949)岩村義運上人が日蓮宗に改宗し現在に至る。なお、千年杉(高さ47m、幹周り14m)は国指定天然記念物、中門、旭森経塚遺物、石造宝筺印塔、石幡、梵鐘は千葉県指定有形文化財である。

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霊巌山圓蔵寺(福満虚空蔵尊)

Dsc03451 2008年11月9日(日) 会津三十三観音霊場番外 霊巌山圓蔵寺(臨済宗妙心寺派)

御本尊:虚空蔵菩薩

所在地:福島県河沼郡柳津町

御詠歌:柳津は岩にそびえて懸造り 前には只見の舟の浮はし

略縁起:「柳津虚空蔵尊絵巻縁起」天正十二年(1584)によると、今から凡そ千百八十有余年の昔、大同年間(元年806年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられる。Dsc03477御本尊福満虚空蔵尊は弘法大師の御作と伝えられ、日本三所(他の二所は千葉県安房郡天津小湊町の千光山清澄寺能満虚空蔵尊と、茨城県那珂郡東海村の村松山日高寺大満虚空蔵尊)の一として霊験の顕著なこと他に比なしと云われている。至徳二年(1385)大師の遠孫義乗法師、臨済宗興徳寺に参禅修業し改宗、興徳寺末山となる。その後二、三改宗を試みたが定まらず、寛永四年(1627)南宗和尚代、再び臨済宗妙心寺派に属し宗旨を確立した。老若男女貴賎を問わず参拝者は数多く、 中でも戦国の武将織田信長、豊臣秀吉、秀次、蒲生氏郷、加藤嘉明諸公何れも菩薩を尊信し、特使を代参させ寺領等を寄進された。徳Dsc03484川将軍家では、永久祈願所とし、十万石待遇の礼をとり五年毎に住職を江戸城に招き、将軍との謁見を許され厚く保護された。会津保科家(三代より松平姓)は、正之公以来明治維新に至るまで山林荘田寺領等の寄進に歴代心を尽くされたと記録されている。当山は開山以来水害火災等による堂塔伽藍の焼失崩壊は止むことなく続き、現堂宇菊光堂は八回目の御堂である。文政元年(1818)の火災により灰燼に帰したものの、住職喝巌和尚を始め六宗徒の信者達の並々ならぬ尽力と、藩主松平家の特別の保護により、文政十三年(1830)八月十三日見事落慶した。爾来臨済宗の法灯は今日も燃え続けている。

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