モスクワ地下鉄駅巡り / 帰国
2009年6月15日(月) 5:45起床、先ず風呂に入る。さっぱりしてから帰国準備の最終荷造りにかかる。7:15レストランへ行き朝食、
ベーコンとヨーグルトを食べる。9:45有志でロビーに集まり、 モスクワ地下鉄駅巡りに出かける。午前はフリータイム、ひとりでは物騒でも皆で渡れば怖くない。ホテル・コスモスから徒歩5分、最寄り駅の6号線ヴェー・デー・エヌ・ハー(VDNHK)駅から地下鉄に乗り、5駅目のチーストィエ・プルドゥイ駅で1号線に乗り換える。2駅目のアホトヌイ・リャト駅で下車、地下道を歩いて最初の目的駅、3号線のプローシャチ・レヴォリューツィ駅に出る。駅名表示はキリル文字なので、ガイドブックのモスクワメトロ路線図が頼り、探検気分にしてもなかなか難しい。プローシャチ・レヴォリューツィ駅には社会主義リアリズムの彫像がずらりと並ぶ。メトロの駅が美術館とは・・・、機能一点張りの日本の地下鉄駅とは雲泥の差、旧ソ連時代には駅も思想教育の片棒を担がせられたのであろう。二箇所目は同駅から3号線で3駅目のキエフスカヤ駅、そこにもソ連時代の栄華を伝えるモザイク画とフレスコ画がずらり、これが地下鉄の駅とは思えない光景である。モスクワ市民は見慣れているのか、
誰も装飾品を眺めるために立ち止まりはしない。むしろ、感心したり写真を撮ったりしている我々を、何事かと怪訝そうに横目に見て足早に歩き去る。モスクワ市民は東京市民よりも早足、皆せかせかしている。エスカレーターの昇降速度がこれまた速い。右側に立ち左側を空けるが、日本人は手摺りにつかまらないと不安になるほどのスピード、そこをロシア人は駆け上がる。三箇所目は、キエフスカヤ駅から環状線(5号線)で3駅目のノヴォスロボーツカヤ駅、美しいステンドグラスが壁面を飾る。いやはや恐れ入りました。まさに地下美術館である。もっと回りたかったが時間切れ、
環状線の次駅、プロスペクト・ミーラ駅へ出て、そこの陶磁のレリーフをちらりと眺め、6号線に乗り換えてVDNHK駅に戻る。モスクワの地下鉄といえども、グループ行動をする限り、治安の悪さを感じない。一旦ホテルの部屋に戻り、SCを持ってロビーに集まる。ロビーではホテル併設の劇場で行われるRUSSIAN NATIONAL DANCE SHOWの案内嬢が、皆にパンフレットを配っている。ロシア旅行のフィナーレにその案内嬢を写真に収めて12:25出発、バスに乗り空港へ向かう。外気温21℃、今日も快適な気候である。6、7、8月の3ヶ月間は学校も夏休み、勤め人は代わる代わる夏季休暇をとり、家族で郊外のダーチャへ
行ってしまうので市内は空いている。途中、レストランで昼食、主皿は肉と米料理、特に目新しいものはない。そこから空港へ向かう道路が大渋滞、片道4車線道路が車で一杯でのろのろしか進めない。お腹も一杯でうとうと。15:45少し早過ぎるとかでショッピングモールに立ち寄り時間調整、アレキサンドル氏は最後までサービス精神旺盛である。スーパーマーケットとホームセンターとブランドショップが入るAwaHという百貨店、 それにIKEAという家具店が連なるパワーセンターで、品物は実に豊富である。飲料売り場にはアサヒのスーパードライまで並んでいる。市民は大型カートに山のように商品を積み上げている。石油、天然ガスを始めとする資源の高騰で資源大国ロシアは豊かになり、国民にもその恩恵は十分行き渡っている。一時のルーブル下落と超インフレ、物不足にあえいでいた時代からみれば夢の暮らし、神様、仏様、プーチン様といったところであろう。16:30再び空港へ。17:15シェレメチェボ空港国際線ターミナルに到着、お世話になったアレキサンドル氏にお礼を言って別れる。個人チェックインと出国検査を無事に済ませ、免税店でウオッカ、ルースキー・スタンダルトの500ミリリットル瓶を購入する。19:20 SU575便に搭乗、来るときと同じエアバスの新型機である。19:50離陸、時計を5時間進め日本時間に合せる。(完)
ロシアのビール
今回のロシア旅行中に飲んだビールは6種類である。レストランで飲むと500ミリリットル入り中瓶が120ルーブル(420円)、生の大ジョッキが150ルーブル(525円)、同じく小ジョッキが100ルーブル(350円)位する。スーパーマーケットで買うと、国産中瓶が30ルーブル(100円)前後と日本より大分安い。但し輸入ビールは高く、例えばドイツ産のErdinger Weissbraeuなどはスーパーでも中瓶1本500円もする。香味は北欧のビールに近く、癖がなくすっきりしている。ピルスナータイプが多いがダークビールや黒ビールもある。ナショナルブランドのバルチカ(BALTIKA)は、アルコールの度数順に0から9の番号がラベルに表示されている。因みに、3は4.8%、7は5.4%である。ロシアは、2007年のビール生産量が1,000万キロリットルを超える世界第3位のビール大国、ウオッカの飲みすぎのせいか男性の平均寿命が50歳台と低く、国を挙げて低アルコールのビールへの切り替えを進めているようである。写真は、上段左がバルチカ3、右がバルチカ7、中段左がシビルスカヤ・カローナ(SIBIRSKAYA KORONA;シベリアの王冠の意味)のノンアルコールビール、右が同じくシビルスカヤ・カローナのアルコール5%ビール、下段左がザラターヤ・ボーチカ(ZOLOTAYA BOCHKA;黄金の樽の意味)、右がサンクトペテルブルクの地ビール、ネフスコエ(NEVSKOE)
赤の広場とクレムリン
2009年6月14日(日) 6:00起床、20階からモスクワ市街を眺めると殆ど起伏がなく、所謂平城(ひらじろ)であると分る。7:00朝食、ベーコンと茹で卵を食べる。9:00バスで市内観光へ出発、外気温18℃。
先ずモスクワで一番高い丘、海抜120mの雀ヶ丘へ。丘の上に1953年建設のモスクワ大学が建つ。スターリン・クラシックという建築様式で、中央の32階建ての高さは236m、正面の幅が450mという威容、とても大学とは思えない。ロシア全土から秀才が集う超難関校で、ここだけはコネも賄賂も効かないらしい。展望台から市街地を眺める。眼下をモスクワ川が悠々と流れ、オリンピックのメインスタジアムであったルージニキ大スポーツアリーナの向こうに中心部の高層ビル群が見える。丘を下り、小湖の対岸からノヴォデヴィチ修道院を眺める。500年近い歴史を誇る女子修道院で、白壁の聖堂と赤レンガの鐘楼の対比が美しい。この湖の畔でチャイコフスキーが「白鳥の湖」の構想を練ったという逸話もある。次に、本日のハイライト、
赤の広場へ向かう。 クレムリンへ通じる大通りを行くと、両側6車線道路の中央にもう1車線、白線道路が設けられている。政府車両専用道路とのこと、独裁国家?はやることが違う。それでも、陰に隠れて既得権にしがみつき、やりたい放題の官僚天国日本に較べれば、分り易いだけましかもしれぬ。10:25赤の広場に到着して解散、11:55までフリータイムになる。石畳が敷かれた赤の広場は、東をグム百貨店、西をクレムリン、南をポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)、北を国立歴史博物館に囲まれる。先ずモスクワ最大 の百貨店、グム百貨店に入る。館内1階には3本のアーケードが通り、ブランド店が軒を並べる。ディオール、
ETRO、ルイ・ヴィトン、バーバリー、MOSCHINO、CORNELIANI、ソニア・リキエル、MAX&Co.、JIL SANDER、エルメス、ARTICOLI、カルティエ、LA PERLA、ピアジェ、CHAVMET、BOSCO SPORT、モンブラン、フェルガモ、COACH、KENZO、SPORTMAX、ICEBERCなど。こんな店は東京にもない。昔は国立百貨店で、食料品や衣類など日用品を並べていたらしいが、そんな面影は今や微塵もない。アーケード通りには名物のアイスクリームを商う露店がある。 アイスバーを1本買ってベンチで一休み。それから食料品売り場へ行き、自宅用に白樺細工
の容器に入った蜂蜜を購入する。再び赤の広場へ出て、レーニン廟、グム百貨店、ポクロフスキー聖堂などを撮影する。1560年建立のポクロフスキー聖堂は、9つの玉ネギ頭のドームを持つ。塔の高さ、形、色使いの全てが非対称であり、数あるロシア聖堂の中でもひと際異彩を放つ。広場には国内外から観光客が集まり、記念撮影に余念がない。12:05バスに戻り市内のレストランへ。名物のキエフ風カツレツは、バターを鶏肉で包んで揚げたもの、ナイフを入れると融けたバターがドロドロと流れ出す。寒い国ならではの料理であろうがいまいち、単なるフライドチキンの方が美味しい。因みに、モスクワにマクドナルドは50店しかないが、寿司店を含む日本食の店は300店もあるとか、日本食は低カロリーでヘルシーなのでダイエットに関心があ
る女性に絶大な人気があるとか。女性が集まる店には必然的に男性も集まる。繁盛する道理である。それにしてもロシアの若い女性は実にスタイルが良い。 色白で青い目とくればまさしく白い妖精、シャラポワやコマネチのような美女がごまんといる。それが20歳を越えると、どうして皆判で押したようにポーニョポニョになってしまうのか、不思議なものである。午後はクレムリンの城内観光、トロイツカヤ塔から入城し、クレムリン大会宮殿、「大砲の皇帝」などを見物して聖堂広場に進む。大統領官邸やロシア連邦大統領府の方へ近づこうものなら、警備スタッフから鋭い警笛を鳴らされる
。ぴりぴりした雰囲気で見学する方も緊張する。聖堂広場は、ウスペンスキー大聖堂、 ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、アルハンゲルスキー聖堂とイワン大帝の鐘楼に囲まれている。嘗てのロシア帝国の国教大聖堂、歴代ロシア皇帝の戴冠式が行われたウスペンスキー大聖堂に入る。内部の写真撮影は禁止、壁も天井も柱も隈なくフレスコ画で飾られ、イコノスタスは巨大で荘厳である。壁際には真鍮製の棺(廟)がずらりと並ぶ。歴代モスクワ総主教廟とのこと、棺の年号を見ると1400~1600年代のものが多い。聖堂から出て世界最大の鐘、「鐘の皇帝」を見学する。高さ6メート
ル、重さ200トン、しかも大砲の皇帝同様一度も使われたことがない。まさに無用の長物の筈が今やクレムリン観光の名物、世の中何が幸いするか分らない。武器庫、ダイアモンド庫の前を通り、ボロヴィツカヤ塔から城外へ出る。15:30バスに戻り、土産物屋へ。 モスクワ市内は銅像だらけ、ちょっとした街角の広場にも、トルストイ、チェーホフ、プーシキンなど、文豪や英雄の青銅像が立っている。土産物屋では買いたいものがなく、手持ち無沙汰の時間が流れる。市内のレストランで夕食を済ませ、ボリショイサーカス鑑賞へ。ボリショイサーカスといっても、所謂モスクワ国立サーカスではなくて、サーカス「ツヴェトノイ・ブリヴァール」という劇団、人民芸術家ユーリー・ニクーニン創設の伝統あるサーカス団である。
19:00開演、観客は6分の入りといったところ、いきなり空中芸から始まり、お手玉芸、空中芸、ピエロ、猫芸、ピエロ、手品、ピエロ、平均台、チンパンジー芸と息つく暇もなく演じられる。木製の椅子が硬いので背中や腰が痛くなるとタイミング良く中間幕、15分間の休憩になる。ロビーには売店が多く親子連れで大賑わい。子供達には欲しいものばかりである。後半の出し物は、白馬芸、黒馬芸、綱渡り、ミンク芸、大玉芸、吊り輪芸、熊芸、飛び板芸と続き、フィナーレは総員の顔見世。21:25幕。動物虐待ではと気になる場面もあったが、オペラやバレエと違って単純明快、分り易い。これで350RUB(1,200円)は安い。22:00ホテルに戻る。部屋に入って冷蔵庫で冷やしておいたビールを飲む。早くも明日は帰国の途、最終荷造りにかかる。0:00頃猛烈に眠くなり風呂にも入らずダウン。(続く)
ロシアで出逢った木の子
今回のロシア旅行で出逢ったきのこは5種類。そのうちのアイカワタケは、サンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿庭園とピョートル大帝の夏の離宮庭園で、カシワと思われる大木の洞に発生していました。また、イタチタケ、タマチョレイタケ、マメホコリの3種類は、モスクワ近郊の古都スズダリのカメンカ川畔を散歩している時、材上に見つけました。最後の不明種は、やはりスズダリのラジヂェストヴェンスキー聖堂の庭園で、切株に生えているのを見つけたものです。発生環境が似ているかと思い、高橋郁雄著の「新版北海道きのこ図鑑」(亜璃西社)を当たりましたが、該当種は見当たりません。外見はキシメジ科のユキワリに似ていますが、ユキワリは地上生とあるのでどうも違うようです。(写真上段がアイカワタケ、中段左がイタチタケ、右がタマチョレイタケ、下段は不明種)

スズダリとウラジミールの白い教会群
2009年6月13日(土) 6:30起床。昨夜寝る時は雷鳴物凄く、今朝は小鳥の声が賑やか、たまら
ず起き出してお茶を沸かす。7:50朝食、クレープとヨーグルトを食べる。腹ごなしに再びホテル周辺を散策、裏手からカーメンカ川の土手沿いに修道院(スパソ・エフフィミエフ修道院)の城壁近くまで歩く。民家が建ち並び、個性的な窓飾りを競う。どこを切りとっても絵の様な風景、こんな町に住んでみたい。倒木上にイタチタケとマメホコリを見つけ、切株にタマチョレイタケを見つける。9:25バスに乗りスズダリ観光へ出発。 人口12,000人の町に50以上の教会があるとのこと、まるで教会博物館のような町である。12世紀にウラジミール・スズダリ公国の首都となり、その時に石灰岩を使った独自様式の白い教会が盛んに建設されたようである。 景観保護のために建物
の高さ制限を実施しており、一番高い建物が市役所の3階建てである。 最初の見学先はスパソ・エフフィミエフ修道院、今朝城壁近くまで散策した寺である。ロシアで2番目に大きい男子修道院とのこと、さもありなん、まるで城郭のように堅固な造りの大規模な寺院である。修道院の創設は1352年、現在の城壁は17世紀のもので、高さ8m、長さ1.5㎞にも及ぶ。スターリン時代には一時刑務所として使われたが、今は200名の修道士が日夜修業に励む。最初に修道院の裏手にある見晴らしへ行き、カーメンカ川の青い流れと、対岸のポクロフスキー修道院とを眺める。聖門をくぐり、鐘楼で催されるベルコンサ
ートを聴く。大小13個の鐘に結び付けたロープを鐘撞き係りが身体全体を使って操ると、おごそかな鐘の音が古都の空に響き渡る。観光客のために一日5回演奏しているとのこと、係員(修道士?)も楽ではない。境内には他に4つの教会とドミトリー・ポジャルスキー公(1612年にモスクワをポーランド軍から解放した英雄、スズダリ大公)廟などがあるが、いずれも外から眺めただけで内部には入らず、それでも建物と調和した庭園が美しい。外へ出ると広場には蜂蜜酒や白樺の樹皮細工を商う露店が並ぶ。中には 、こんな鄙びた所で売り子をさせておくのが惜しいほどの美人もいる。次いでスズダリ発祥の地、クレムリンへバスで
小移動。カーメンカ川に架かる木橋のたもとでバスを下りると、近隣の村から移築された木造教会(18世紀建立のプレオブラジェンスカヤ教会)が建つ木造建築博物館が見える。橋を渡ると、土塁に囲まれたクレムリンの中心にラジチェストヴェンスキー聖堂が建つ。現存する建築物としてはスズダリで最も古く、13世紀の白石教会である。そこも外から眺めるだけなので、聖堂に加えて移築木造教会のニコーリスカヤ教会、鐘楼などを写真に収める。トルコヴァヤ広場へ歩いて行く途中、芝地の切株に純白の大型菌を見つける。噛んでみると少し渋味はあるが穏やかな菌臭、キシメジ科のユキワリやモリノニオイシメジに似ている。11:30村内のレストランで中食、サラダ、ジ
ャガイモスープに続き、名物のシベリア風水餃子ペリメニが出る。まずまずの味。ロシアの田舎の一般的食事は 、ジャガイモとサワーキャベツとブタの背膏の塩漬けとのこと、質素なものらしい。レストランの庭には、オダマキ、ダリア、ノコギリソウなどが咲く。12:45ウラジミールへ向け出発。モスクワの北東170㎞の所にあるウラジミールは、黄金の輪を代表する史都である。13:25到着、最初に12世紀半ばに造られた城門、黄金の門を見学する。傍らに、嘗て町を取り囲んでいた土塁の名残も見られる。次いで、1158年建立の寺院、ウスペンスキー大聖堂へ。石灰岩の白い外壁を持つ典型的な白石建築であり、
金色に輝く5つの丸屋根が美しい。14世紀初めまではロシアの大聖堂の最高位にあった教会であり、 現在も大本山のひとつである。ロシア各地からの参拝客と外国人の観光客が大勢訪れる。内部は撮影禁止、男性は帽子を脱ぎ、女性はスカーフを被らねばならぬ。天井のアーチ部分に、ロシアを代表するイコン画家アンドレイ・ルブリョフのフレスコ画「最後の審判」が描かれている。ロシア人の参拝者は、余程有り難いのか例外なくお布施を納め、名前を記帳している。外へ出ると陽射しが強い。ウスペンスキー大聖堂の建つ丘を右手に回り込むと、ドミトリーエフスキー聖堂が現れる。外壁一面に施されたレリーフが美しく、「石の詩」とか「石のカーペット」と呼ばれている。そろそろ教会見学にも飽きてくる。丘の上からシベリア鉄道を眺める。ウラジオストクまで9,000㎞、7泊8日の旅とか、いつの日か乗ってみたいものである。14:20バスに戻りモスクワへ向かう。途中、手洗い休憩のドライブインで名物のライ麦クッキーを2枚購入する。価格は120ルーブル。バスは高速道路をひたすらモス
クワへと走る。風景も見飽きたので、各種看板のキリル文字の解読を試みつつ時間を潰す。17:45コスモスホテル到着、 鍵をもらって2076号室に入る。最初に泊まったホテルなので勝手を知っている。18:30ロビーに集合して市内のレストランへ。主料理は名物の壷焼き、野菜と肉の煮込み料理である。壷焼きといっても日本の釜飯のように一個づつ調理した訳ではなさそうで、大鍋で調理したものを個別の壷に分け入れただけのように見える。ホテルに戻り、スーパーへビールとチョコレートを買いに出る。風呂に入るため浴槽に湯を張るとやはり淡黄色、水道管が錆びているのであろう。風呂上りにビールを飲みながら、ちんぷんかんぷんのロシア映画を観る。(続く)
黄金の輪、セルギエフ・ポサード
2009年6月12日(金) 4:15起床、窓から見る空の端が茜色に染まる。既に中天は明るいが夜明けらしい。お湯を沸かして日本茶を入れ、昨夜もらった弁当を食べる。黒パンと白パン、サラミソーセージとチーズ、ヨーグルト、リンゴ、チョコレートの豪華版?。2日間お世話になったホテルを
6:15出発、早朝のサンクトペテルブルク市内を抜けていく。今日はロシアの日(独立記念日?)という祝日らしく、電車もがらがら、車も少ない。サンクトペテルブルクの路面電車の軌道総延長は600㎞で世界一、1980年当時は700㎞もあったとのこと、然しながら走っている電車はがたがたで自慢になるとも思えない。今日は先ずモスクワへ飛び、モスクワの北東に環状に連なる古都群(黄金の輪と呼ばれる)のひとつ、セルギエフ・ポサードを見学し、更にスズダリまで移動する。プールコヴォ1空港に到着し、再び厳しい身体検査を受ける。8:45 SU838便に搭乗、機種は国産のツポレフ154型(Ty-154M)、いかにも旧式でこれで飛ぶのかと心配になる。9:00離陸、何とか飛び上がると、又律儀に軽食がサーブされる。一昨日と寸分違わぬ内容である。10:10モスクワのシェレメチェボ1空港に着陸、現地ガイドのアレキサンドル氏に再会する。11:00バスに乗り、モスクワの北北東70㎞にあるセルギエフ・ポサードへ向かう。モスクワ郊外は森と草原に覆われる。
土地は幾らでもある。もはやソ連時代の集団農場体制は崩壊し、食糧の8割は海外から輸入しているとのこと、畑や菜園は市民が休日を過ごすダーチャ(別荘)の周りに、ほんの申し訳程度に存在するにすぎない。草原は今花の季節、小さな白花をつけたセリ科植物はシラネニンジンかハクサンボウフウに似ている。又、黄花はミヤマキンポゲのように見える。雨が上り青空が覗く。針葉樹のアカマツのような木(トドマツ?)、ヒマラヤスギのような木(ヨーロッパトウヒ?)に交じり、広葉樹のシラカバやドロノキなどが生える。林床にはフキのように大きな葉を持つ
植物が繁茂する。 日本人なら不安になるほど果てしもなく広い。山が見えず地平線までまっ平である。13:00セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギエフ大修道院に到着。 ロシア正教の大本山であり、各地か ら参拝に訪れる巡礼者で賑わう。修道院は要塞のように高い城壁に囲まれる。クラスナヤ門(聖門)をくぐって先ずカメラ料100ルーブルを支払う。 領収証と一緒にロシ ア正教の賛美歌を納めたCDをもらう。敷地内には14~18世紀に建てられた幾つかの教会がある。先ず17世紀に建てられた食堂附属セルギエフ聖堂から見学する。内部は暗く、カメラ料を支払ったものの、フ
ラッシュを焚いてもろくな写真が撮れない。ロシア正教の特徴であるイコン(菩提樹の板に描かれた聖像)とイコノスタス(聖障:奥にある至聖所と、手前の信者が立ち入る礼拝所とを区切るため、5層にイコンを積み上げた仕切り板)の実物を初めて見る。内壁や天井もイコンやフレスコ画やモザイクでびっしり覆われており、西欧の教会のような彫像はなくても非常に荘厳な感じを受ける。ロシアの守護聖人、聖セルギウスの棺が安置されているトロイツキー聖堂は、信者が長蛇の列をなしているため入場を遠慮し、ウスペンスキー大聖堂に入る。1585年完成の大聖堂はタマネギ型をした4つの青いドームの中央に金色の大きなドームを持つ。ドーム屋根の青色や金色が聖堂の白壁に映えて美しい。内部の壁面は隈なくフレスコ画で覆われ、 巨大なイコノスタスが立ち上がる。荘厳且つ重厚な雰囲気で、ロシア正教の聖地の名に恥じない。修道院を後にし、道向かいにあるレストランで昼食、名物のピロシキやボルシチ(ビーツのスープ)を食べる。ピロシキは日本で言えばお焼き、パンの中に野菜餡が入っている。ボルシチの赤い色は少々どぎついが、 真紅の
民族衣装を纏ったウエイトレスは美しい。レストラン附属の売店で自宅用に10個組のマトリョーシカを買う。セルギエフ・ポサード は民芸品の産地でもあり、なかなか出来が良い。15:30同じく黄金の輪を形成する古都、スズダリへ向かう。アレキサンドルさんが運転手に指示してバスは専ら間道を走る。お陰でロシアの田舎の風景をたっぷり味わう。とにかく広い、無原則に広い。景色は北海道より遥かに大きく山どころか丘も見えない。何処までも平原、しかも原野、畑や牧草地は殆ど見当たらない。交通事故が多いと見え、道路脇の処々に十字架が建っている。そのいずれにも新らしい生花が供えてあることに感心する。時々小さな町や村を通過する。田舎町でも若い娘達の服装は垢抜けている。モデルのようにすらりとした体に、カラフルで明るい色のミニが良く似合う。それに較べると男性の服装は暗くて地味、まだ黒や灰色や茶色が主流である。17:30地図にない町に着く。なんでも全員が軍需産業に従事している町で、旧ソ連時代は外国人の立ち入りを禁止していたとのこと、街角のカフェで手洗いを借用する。 日本人を見
るのが初めてなのか、町の人々がもの珍しそうな顔で通り過ぎる。スズダリに近づくと沿道に製材工場が現れる。積み上げられた丸太の山が道沿いに延々と続く。万事日本とはスケールが違う。スズダリの周辺は土地が肥えており農業と畜産業が盛んとのこと、 特産品はキュウリで名物は蜂蜜酒である。また、国内屈指の芸術学院があり、そこの学生が描く水彩画や油絵もお土産に好適らしい。19:10ホテル・スズダリ着、93号室に入る。H・スズダリは、1972年コスイギン首相の命令で建設されたもの、木をふんだんに使った落ち着いた内装である。TVもBBCが入る。食事まで時間があるのでひとり散歩に出る。廃教会の佇まい、飾り窓のある民家、カーメンカ川段丘に
広がる長閑な風景はどこをとっても絵になる。ハマナスが咲きナナカマドが実る。橋上で釣りをする親子がいる。パンを丸めた餌を流れに落とすと直ぐに当りがあり、タナゴの親分のような魚が釣れ上る。魚影はかなり濃い。20:30ロビーに集合し、一同揃ってホテルのレストランへ。ビュッフェ方式の料理はどれもいまいち、仕方がないのでロシア版クレープのブリヌイを、イチゴジャム、ブルーベリージャム、サワークリーム、コンデンスミルクを塗って食べてみる。甘い、甘すぎる。名物のミョードヴハという蜂蜜酒も試す。これ又甘い。それでもアルコール分は8%、結構酔う。その上、松戸市のKさんご夫妻に日本から持参の焼酎までご馳走になり、すっかり酩酊する。酔い覚ましに再びホテルの周辺を散策しているうちに漸く日が暮れる。部屋に戻り、風呂から上ると0:00、明朝はゆっくりなので助かる。(続く)
ライ麦飲料 クヴァス
クヴァス(KVASS)は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの伝統的微炭酸・微アルコール飲料。以前は、夏になると街角でタンクに入れたクヴァスを量り売りしていたらしいが、今ではスーパーにペットボトル入りで並んでいる。工場ではライ麦と麦芽を醗酵させて造り、家庭では黒パン(ライ麦パン)とイーストを原料として作るとのこと、アルコール含量は1~2.5%。写真のクヴァスはサンクトペテルブルクのホテル近くのスーパーで購入したもの、1リットルのペットボトル入りが33ルーブル(約120円)とミネラルウォーターより安い。飲んでみると、糖蜜のような香りと甘味、酸味がある。炭酸ガスが弱いのでスカッとしない。アルコール分も殆ど感じられない。最近はコカ・コーラなどに押され気味とのこと、宣なるかな。
サンクトペテルブルク近郊観光
2009年6月11日(木) 4:30目が覚める。先ず風呂に入ろうと浴槽に湯を張ると、黄色く着色している。
ロシアの水は悪いとは聞いていたが、まさかこれ程とは。ちょっと歯磨きも遠慮したくなる。匂いも埃臭があってよろしくない。それでもシャワージェルでごまかしながら入浴し、さっぱりする。わかめスープと日本茶を飲み、青リンゴをかじる。TVはソニーの薄型、BBCもCNNもEuronewsも入る。なかなか快適なホテルである。7:30コーヒーを飲みに食堂へ。コンチネンタルブレクファストとあったので期待していなかったが、ビュッフェ方式で料理は豊富、コーヒーの序にベーコンやゆで卵、バナナなども食べる。大食堂に他の日本人グループの姿はなく、ロシアにはあまり来ていない様子、ドイツ人やフランス人の団体が多い。9:00バスで出発、サンクトペテルブルクの
南25㎞にあるツァールスコエ・セロー(皇帝の村の意味、現プーシキン市)のエカテリーナ宮殿へ向かう。 今朝は霧が深い。景色がよく見えないので眠くなる。市の入口にあるエジプト門を通過して、10:30エカテリーナ宮殿着。エカテリーナ宮殿は夏の離宮であり、代々のロシア皇族が毎年5月から8月の4ヶ月間を過ごした住まいである。最初の宮殿は1724年、ピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設されたもので、宮殿の名は彼女に由来する。第二次世界大戦時にはドイツ軍に占領され、破壊と略奪の憂き目に遭ったものの、現在は見事に修復されている。ロマノフ王朝の家紋、双頭の鷲が金色に輝く正門から入ると、青い塗装が涼やかなロシア・バロック
様式の大宮殿が正面に 現れる。1791年6月28日、伊勢漂民の大黒屋光太夫が見た景色と今でも変わっていないであろう。井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」を初めて読んだ時以来、いつかは行ってみたいと思っていた宮殿が目の前にある。まさしく夢のようである。今日はドイツから大型客船が入港したとのこと、庭園も館内もドイツ人で溢れている。クロークに上着を預け、ここも又イリーナさんに引率されて見学開始。中央階段を2階へ上り大広間に入る。金箔を押した装飾品が多用された広大な部屋は目映いばかり、 ここで218年前に大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁し、帰国嘆願を行ったかと思うと感無量である。大広間から食堂や肖像画の間を通り、
眠れる天使像を眺めてから、いよいよ琥珀の間に入る。そこは残念ながら撮影禁止、壁の全面を琥珀細工のパネルが覆う。秀吉の黄金の茶室も顔色なし、形も大きさも色も様々な琥珀片を組み合わせているにもかかわらず、全体としての装飾は見事なまでに調和しており、中には額縁様の窪みにモザイク画を形成している箇所もある。きらびやかさは少ないが、優雅で重厚であり本物を感じる。1949年にドイツ軍に持ち去られてしまい、長い間荒廃していた部屋を、サンクトペテルブルクの建都300年(2003年)に合せて復元したもの、以来大人気というのも素直に肯ける。更に、エカテリーナ2世の肖像画のある絵画の間(?)、緑の食堂、青の客間など贅を尽くした部屋を見学してから庭園に出る。エカテリーナ公園と呼ばれる庭園は600ヘクタールもあり、全部は到底廻れない。ごく一部の、冷たい浴場、キャメロン・ギャラリー、大池の畔に建つグロット(東屋のような建物)のみを見学する。
引き返す途中のカシワの木の洞や損傷部にアイカワタケが何箇所か出ている。ロシアで出逢った最初のきのこである。12:35バスに戻り近くのレストランへ。 昼食の主料理はチキン、デザートの焼きリンゴが美味しい。サクランボジュースはいまいち。食後、ピョートル大帝の夏の離宮であるペテルゴーフへ向かう。ペテルゴーフはサンクトペテルブルクの南西30㎞、フィンランド湾に面し、フランス式の上の庭園、中央の大宮殿、噴水群のある下の公園から成る。15:00着、今回は下の公園のみの散策、入口から入って大宮殿前の見晴台に立ち、下の公園とフィンランド湾を眺める。素晴らしい景色である。6月のロシアは美しい。大滝の噴水群やサムソン像を眺めながら
階段を下り、ローマの噴水、傘の噴水、いたずらの噴水などがある道を行く。 公園には、アヤメ、キショウブ、チューリップ、パンジー、ベゴニアなどが咲き乱れ、未だ花をつけてはいないがギボウシがびっしり植えられている。イリーナさんに聞いたところでは、あくまでも鑑賞用であり、ギボウシの若芽(ウルイ)を食べる習慣はないとのこと、もっともである。海辺に建つモン・プレジール宮殿のテラス迄行き、フィンランド湾を眺める。海辺には太公望がいる。フィンランド湾は魚が豊富で結構つれるらしい。そういえばサンクトペテルブルク市内のネヴァ川や運河でも釣り糸を垂れるアングラーの姿を見かける。帰りは深い森の小道を行く。
樹種はカシワ、ハンノキ、ボダイジュが多く、そこにもアイカワタケが発生している。但し、地上生のきのこは全く見当たらない。運河を渡った処から運河沿いに駐車場へ戻る。16:30バスに乗り、サンクトペテルブルクへ引き返す。もう夕方であるが、まだ真昼のように明るい。18:30ジョージアというレストランに着き夕食をとる。主料理はロシア風串焼きのシャシリク、味付けはまずまず、バルチカ7の小瓶を飲む。20:15ホテルに戻る。TVを点けるとWHOが新型インフルエンザのレベル6(PANDEMIC)を宣言したと告げている。とうとう世界的大流行、毒性が強くないのが救いである。昨日に続きスーパー通い、ライ麦醗酵飲料クヴァス(KVASS)を買ってくる。それを試飲するうち23:00、未だ明るいが明日は5時起き、もう寝なければ。(続く)
エルミタージュ美術館
2009年6月10日(水)14:45~18:00 宮殿装飾巡りの後で、西欧美術作品を中心に鑑賞。イタリア美術部門では、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ベヌアの聖母」と「リッタの聖母」、
ティツアーノの「ダナエ」と「悔悟するマグダラのマリア」、ラファエロの「コネスタビレの聖母」と「聖家族」、ミケランジェロの「うずくまる少年」、カラバッジオの「リュートを弾く若者」、マッシモ・スタンツィオーネの「クレオパトラの死」、アントニオ・カナレットの「フランス大使のヴェネツィア到着」など。スペイン美術・フランダース美術部門では、ゴヤの「アントニア・サラテの肖像」、レンブラントの「ダナエ」と「フローラ」と「放蕩息子の帰還」、グレコの「使徒ペテロとパウロ」など。19~20世紀ヨーロッパ美術部門では、セザンヌの「セント・ヴィクトワール山」、モネの「ジヴェルニーの干草」、ルノワールの「扇子を持つ女」と「ジャンヌ・サマリーの肖像」、コローの「牛を追う農夫」、ゴッホの「わらぶき屋根の小屋」と「ライラックの潅木」と「エッテンの庭の思い出」、ゴーギャンの「果実を持つ女」、マティスの「ダンス」、ピカソの「農夫の妻」など。超一級の作品をへとへとになるほど堪能する。なお、エルミタージュ美術館のウエブサイト「The State Hermitage Museum」(www.hermitagemuseum.org)は、わざわざロシアまで行かなくてもよい位充実している。(写真は「クレオパトラの死」)
サンクトペテルブルク市内観光
2009年6月10日(水) 4:45起床、眠い。朝食は弁当が配られるとのこと、先手を打ってメロンパンをかじる。5:00夜明け、夜が短い。5:45ロビー集合、リンゴとトマト、ヨーグルトとサンドイッチ、
それにMWの入った弁当をもらう。空港へ向かう途中のバス車内でヨーグルトとトマトを食べる。今回のツアー28名の内訳は、夫婦が8組、女性の旅友達が4組、一人参加の男性2名(自分もそのひとり)、女性2名である。早朝の道路は空いていて6:30にはシェレメチェボ空港1(国内線TB)に着く。SU839便のカウンターへ行き個人チェックイン、アエロフロートの地上スタッフも全く愛想がなく「乗せてやる」という雰囲気、とても通路側の席など頼めない。どうしてロシア人は誰も彼もが、何か面白くない事でもあるような暗くて硬い表情をしているのであろう。幸い通路側21D席の搭乗券をもらう。安全検査が又厳しく、
靴もベルトも脱がされる。おまけに待合室の椅子までクッションが硬い。いやはや恐れ入りました。7:50搭乗、サンクトペテルブルク行きのシャトル便は満席である。8:30離陸、隣席の若いロシア人女性が胸の前で十字を切って目をつぶる。そんなに危ないのかとこちらまで不安になる。水平飛行に移るや、サンドイッチとジュースの軽食が提供される。9:35サンクトペテルブルク郊外のプールコヴォ空港に着陸、外へ出るとやや肌寒い。10:15迎えのバスに乗り込み市内観光へ。現地ガイドはイリーナさん、40歳くらいの女性である。日本には観光で一度しか来たことが無いらしいが、日本語はぺらぺら、サンクトペテルブルク国立総合大学東洋学
部卒の才媛である。市街地へ向かう車窓から見る光景はモスクワに比べ活気がなく、どことなく沈滞ムードが漂う。 人口460万人の大都市にしては人も車もまばらである。それでも街路樹のマロニエの花が咲き、花壇を三色スミレが彩る。市内観光の始めは「イサク聖堂」、1858年に建立された大聖堂で、ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで、世界で三番目に大きい教会建築とのこと、確かに大きい(三番目はスペインのセビリア大聖堂とする異説もある)。イサク広場でバスを下り、ニコライ1世の騎馬像と大聖堂を写真に収める。聖堂内部には入らず(水曜日は休館、
但し開いていても入らないとのこと)、従ってドームの展望台からサンクトペテルブルクの町並みを眺めることも叶わない。 二箇所目はデカブリスト広場 に建つ「ピョートル大帝の青銅の騎士像」、イサク広場の近くである。ネヴァ川の畔にある広場は旧海軍省と元老院の黄色い建物に東西を囲まれる。広場では新婚さんの記念撮影が行われており、騎士像よりも花嫁の方が見たい。三箇所目は「ロストラの燈台柱」、1810年に建設された古い燈台であり、ヴァシリエフスキー島の岬の先端に2基立っている。ネヴァ川を行き交う船舶を今も見守っているかの様である。ストリエールカと呼ばれる岬の最先端部からネヴァ川対岸のエルミタージュ美術館と、サンクトペテルブルク発祥の地、うさぎ島に建つペトロパヴロフスク要塞を眺める。ネヴァ川と運河が市内を縦横に巡り、まさしく水の都、北のヴェニスである。土産物店で手洗いを借用し休憩する。マトリョーシカの値段を見ると、10個組みで細工の良いものは1個2万円もする。5個組みの手土産クラスで1個1,300円、露天売りなら5個組みが5個で1,500円、まさにピンからキリ。
また、ロマノフ焼きのコーヒーカップ碗皿は、 ちょっと良いと思うものが一客1万円位、結構高い。四箇所目は血の上の救世主教会、1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建つ。ネギ坊主頭の塔を幾つも持つ純ロシア風教会は、色使いも形も奇抜で派手であるが、宗教建築とはもともと大衆の耳目をひくように造るものなのであろう。内部の美しさは世界一といわれ、是非とも拝観したかったが無情にもパス、外観の写真撮影だけで昼食会場のレストランへ向かう。昼食の主料理は白身魚のフライ。午後はエルミタージュ美術館見学(14:45~17:45)、今回の旅のハイライトである。以前(2006年11月15日)、上野の東京都美術館で開催された「大エルミタ
ージュ美術館展」を2時間近くかけて鑑賞したことがあるが、 その時の展示品は僅かに80点、それなのにここには300万点もの収蔵美術品があるという。半日位ではとても回りきれない。館内入口でカメラ持ち込み料200RUB(700円)を支払う。イリーナさんに引率されて宮殿装飾巡りから見学を開始。大使の階段(ヨルダン階段)を昇り、2階の大元帥の間、1812年祖国戦争の画廊、聖ゲオルギーの間(大玉座の間)、パヴィリオンの間(有名な孔雀時計あり)の順で各部屋を見学する。天井を飾るフレスコ画、壁を飾る彫像の数々、室内の調度品、何れも贅沢と華美の 限りを尽くしたもの、
高楼玉殿の余りの眩ゆさに目が眩む。続いて美術品鑑賞に移り、同じ階のイタリア美術部門へと歩を進める。全ての展示室には通し番号がふられているが、一人の画家の作品が展示品の殆どを占める部屋は、画家の名前で呼ばれる。例えば、214室は「レオナルド・ダ・ヴィンチの間」である。そのレオナルド・ダ・ヴィンチから始まり、ティツアーノ、ラファエロ、ミケランジェロ、カラバッジオ、マッシモ・スタンツィオーネ、アントニオ・カナレットなど巨匠の超一級の作品を次々と目の当たりにする。スペイン美術、フランダース(オランダ)美術部門では、ゴヤ、 レンブラント、グレコの作品を、3階の19
~20世紀ヨーロッパ美術の部門では、セザンヌ、モネ、コロー、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、ピカソの作品群を息つく間もなく鑑賞する。最後に再び2階に下りて、小食堂の間や孔雀の間を見学する。2時間半があっという間に過ぎる。ポイントを抑えて効率よく案内してくれたイリーナさんに大感謝、個人で入館したらとてもこうはいかない。それにしても世界屈指の美術館の入館料が僅か350RUB(1,200円)、サンクトペテルブルク市民(ロシア国民)は幸せである。日本の巡回展にも超一級作品が何点か出展されてはいるが、本館を見てしまうと問題にならない。立ち放しで
疲れたので、 1階売店で日本語版カタログ「エルミタージュ」を購入してからカフェで休憩、コーヒーを飲む。結局18:00の閉館時刻ぎりぎりまで滞在、外へ出ると雨も小降りになる。市内のレストラン、チャイコフスキーへ行き、名物のビーフストロガノフとアイスクリームを食べる。牛肉が硬く、味付けもいまいち。但し、ロシアのレストランでは食事の都度、MWとコーヒー(又は紅茶)が付くので飲み物を注文しなくて済む。20:00バルト海に面したホテル、パーク・イン・プリバルティスカヤにチェックイン、これもモスクワオリンピック当時に建設された巨大ホテルである。20:30ようやく6005号室に入る。内装をリフォームしたばかりと見え、こざっぱりしており何より洒落ている。ここに連泊は嬉しい。早速近くのスーパーへビールの買出しに行く。ロシア産ビールの中瓶を2本買うと59RUB(200円)、ビールが安い。部屋に戻りビールを飲むうち酔いが回り、昼の疲れも出て風呂にも入らずにダウン。(続く)
夏彩ロシア8日間の旅
2009年6月9日(火) いつも通り6:00起床、出勤する娘と一緒に南柏駅へ妻に車で送ってもらう。我孫子発7:52の成田線電車に乗ると、成田駅8:37の空港行きにちょうど間に合う。9:00第一ターミナルビル4階出発ロビー着、集合時間の1時間前である。 先ず外貨両替専門店、
グリーンポート・エージェンシーの窓口で1万円を両替する。2,700ルーブル(RUB)と37円手渡される。レートは1RUBが3.69円、後から判ったことであるがロシア国内だと3.3円なので1割ほど悪い。H交通社の受付カウンターでeチケットを受け取り、アエロフロートのカウンターでチェックイン、スーツケース(SC)を預ける。eチケットを見ると、航空運賃が88,000円、空港利用税が15,400円、合計103,400円と記載されている。つまり旅行代金の半分が飛行機代である。H交通社のカウンターに戻り、eチケットを預け、燃油サーチャージ13,300円を支払う。10:30再集合し、添乗員のN氏からロシア旅行心得のレクチャーを受ける。出国審査を済ませ、いつもどおり自販機で海外旅行保険に加入する。11:35モスクワ経由パリ行きSU576便に搭乗、機種はエアバス330-200型で機体は真新しい。
個人端末も付いているし、座席はオレンジ色で明るく、前席とのスペースにも余裕がある。但し、アルコール類は有料で、缶ビールが2€、スピリッツ類は2~5€とられる。搭乗率は7割程度、34D席は3席並びの通路側であるが、他の2席は幸いにも空席である。12:30離陸、モスクワまで10時間のフライトが始まる。早速時計を5時間遅らせる(→7:30)。機は北へ向かい、ハバロフスク上空を飛んでいく。9:20一回目の食事、タラの蒸し物にココナッツ味のソースをかけたシーフードはいまいち、コーヒーは旨い。読売新聞とスポーツ新聞を読む。更に、ガイドブックの「地球の歩き方・ロシア」(ダイアモンド社)を読み込む。11:45バイカル湖の北辺上空を飛ぶ。東京から3,172㎞、モスクワまで4,104㎞のところである。途中アイスクリームが出たりと、アエロフロートもなかなかサービスが良い。肘掛を上げて3席占有して横になる。 暫らくしてから起き出し、
今度は井上靖著の「おろしや国酔夢譚」を読む。17:15ようやくモスクワ郊外のシェレメチェヴォ国際空港に安着、夕方という感じではなく未だ日が高い。新型インフルエンザ対策で乗客一人ひとりの体温測定があり、降りるのにえらく時間がかる。入国検査官が又慎重居士ばかり、そこでも長蛇の列ができる。SCが無事に出てきてほっとする。空港ビルから外へ出ると花盛りのライラックが匂う。北緯56度、北の街は爽やかである。18:20迎えのバスに乗り込みホテルへ向かう。片道5車線のモスクワへの幹線道路は大渋滞、走っている車は日本以上の高級車が多い。看板はキリル文字なのでさっぱり判らない。沿道にはシラカバの自然林が続き、街路樹として植えられているのはボダイジュ、所謂リンデンバウム(Der Lindenbaum)である。モスクワ市街に近づくと、赤白の横縞に塗られた巨大煙突を持つ建物が現れる。
原発かと思ったらそうではなく、現地ガイドのアレキサンドル氏の説明では給湯施設とのこと、市内の建物は全て給湯によるセントラルヒーティングらしい。ガソリンは1リットル20RUB前後(約70円)、家庭のガス代は一人当り月150円で使い放題、さすがに石油と天然ガスの資源大国は違う。19:30コスモスホテルに到着、1980年のモスクワオリンピックに合せて建築された25階建ての巨大ホテルである。バスから降りると、外は柳絮が風に舞う。ポプラ(セイヨウハコヤナギ)の種と綿毛であり、初夏のモスクワの風物詩であるが、街が汚れるので歓迎されてはいない。レセプションでパスポート番号と名前をいちいち控える為、チェックインにも時間がかかる。ロシアは未だに性悪説、「泊めてやる」感覚が支配している。20:00ようやく2051号室に入る。20階なので眺めが良い。四ツ星ホテルにしては質素な部屋だが、シャンプーと石鹸はついている。ホテルの近くの24時間スーパー(SED MOI KONTINENT)へビールを買いに行く。食料品の価格は日本並みに高いが、ロシア産ビールの中瓶(500ml)は1本24RUB(90円)と安い。部屋に戻り、冷蔵庫に入れる。ビールが冷えるのを待つ間に風呂に入る。風呂から上がり、まず持参の電気ポットでお湯を沸かし、緑のたぬきを食べる。ロシアの夏は白夜、22:00を過ぎて漸く薄暗くなる。明朝が早いので、ビールを飲み干してから直ぐにベッドに潜りこむ。(続く)
ルーヴル美術館/帰国
2008年1月21日(月) 5:10起床、いよいよ最終日、SCを詰め直し帰国態勢を整える。今日の午前中はフリータイム、13:00迄ルーヴル美術館近くのレストランに集合すればよい。6:40朝食、ベーコンとプレーンヨーグルトが美味しい。SCをドアの外に出してから今日もホテル付近を散策。9:00バスに余分な手荷物を預けて身軽になり、とりあえず全員で集合場所のレストラン確認へ向う。ホテルから2、3分歩いた所にメトロの駅( COUR ST-EMILION)があり、1.2€の切符を買って地下鉄に乗り込む。乗車時間は10分ほど、四つ目のピラミッド駅で降りる。
添乗員のAさんにレストランの場所を教えてもらってから解散、ルーヴル美術館に入る人、コンコルド広場や凱旋門見学に向う人、ルイ・ヴィトン本店やパリ三越へ買い物に行く人などに分れる。我々はルーヴル美術館組、中庭のガラスのピラミッドから地階ホールに入り、一人9€の入場券を買う。日本語版の館内見取り図と案内書を貰うと10:00、早速見学にとりかかる。16世紀初頭、フランソワ1世が王宮として使っていたという建物はコの字型3階建ての巨大なもの、 とにかく広い、広過ぎる。東京国立博物館や国立歴史民族博物館の比ではない。 古代から19世紀に至る世界有数の絵画や彫刻など30万点以上を収蔵しているとのこと、世界最大級の美術館というのも肯ける。
じっくり鑑賞するには時間が幾らあっても足りない。今回は有名な作品だけに絞って鑑賞することとし、ドノン翼、シュリー翼、リシュリー翼の順に館内を巡って行く。先ずドノン翼1階にある「ミロのヴィーナス」へ向う。有名作品の周りは人だかりしているので直ぐ分る。なんとミロのヴィーナスの周囲に柵らしい柵がない。館内の照明も明るく、写真も取り放題である。こんなに傍近くに寄って世界の至宝を見られるとは感激もの、日本ではちょっと考えられない。一昨年のプラド美術館もそうであったが、欧州の美術館は実に寛容でおおらかである。鑑賞する側は大満足であるが、セキュリティーの点は大丈夫なのであろうか。
又、 スペースが広いので団体が何組入ろうと押し合いへし合いになることはなく、各人のペースでゆっくり鑑賞できる。画家の卵なのか作品を模写している人も幾人か見受けられる。12:30までの2時間半、「ミロノヴィーナス」に続き、「サモトラケのニケ」、「モナリザ(ダ・ビンチ)」、「カナの婚宴(ヴェロネーゼ)」、「メデューズ号の筏(ジェリコー)」、「サンタ・クルス公爵夫人(ゴヤ)」、「民衆を導く自由の女神(ドラクロワ)」、「グランド・オダリスク(アングル)」、「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠(ダヴィッド)」、「モルトフォンテーヌの思い出(C.コロー)」、 「トルコの
浴場(J.A.D.アングル)」、「マリー・マドレーヌ=ギマールの肖像(J.H.フラゴナール)」、「ピエロ/旧称ジル(J.A.ヴァットー)」、「いかさま師(G.ド・ラ・トゥール)」、「レースを編む女(フェルメール)」、それに「ルーベンスのホール」を鑑賞する。古代オリエント美術部や古代エジプト美術部も是非鑑賞したかったがあっという間に時間切れ、残念ながら次の機会に繰り延べる。地下ホールの売店で18€のガイドブックを買ってルーヴル美術館を後にし、オペラ通りの散策へ行く。FOUCHERでお土産のチョコレートを買い、オペラ座前で写真を撮ってからパリ三越へ行く。三越でもバーゲンセールの真っ最中、日本人店員の勧める無名ブランドのバッグを50%オフで購入する。 結局
集合場所のレストランに到着したのは13:40、遅刻したために昼食を食べ損なう。14:15全員が揃ったところで迎えのバスに乗り空港へ向う。15:00シャルル・ド・ゴール空港2Dターミナル着、丸6日間お世話になった運転手のベルナールさんともお別れである。聞けばこれからニースへとんぼ返りするとのこと、長い道中の無事を祈る。家人は現地ガイドの女性に連れられバッグの免税手続きへ行く。 AIR FRANCEのチェックインカウンターでSCを預け、搭乗券を受け取る。安全検査を受け出発ゲートへ。パスポートチェックは無し、フランクフルトで乗り換えるので国内線扱いとみえる。 ほぼ満席のAF231便に搭乗し17:05離陸、よく揺れる。機内サービスのビールは250ミリリットル缶のハイネケン、どこの航空会社も懸命にコスト削減に努めていることが分る。18:05たちまちフランクフルト国際空港に着陸、今度は全日空のカウンターで搭乗手続きを行う。手荷物検査と出国検査を受けてから、免税店で最終土産のウイスキーを購入する。20:30 NH210便に搭乗、54KJ席は生憎の窓側である。21:05離陸、あと10時間半辛抱すれば成田に着く。一眠りする前に、今回の旅の良し悪しをアンケート用紙に記入する。(完)
エスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョンヌ
2008年1月20日、パリのレストランで食べた夕食の一皿。百科事典で調べると、エスカルゴの養殖が盛んなのはブルゴーニュ地方など、冬眠中のものを捕まえ汚れを吐き出させてから茹でて利用するとのこと。殻に茹でた身を戻し、ニンニク、パセリ、エシャロットのみじん切り、レモン汁などと合わせたバターをたっぷり詰めて、オーブンで焼いたものがエスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョンヌ(エスカルゴのブルゴーニュ風)、出てきた料理もこれらしい。味はいまいち、どうも美味しいとは思えない。その上、フランスの安いエスカルゴ料理は殻こそ本物だが、身は台湾や中国から輸入したアフリカマイマイのことがあるらしい。アフリカマイマイは広東住血線虫の中間宿主、くわばらくわばら、エスカルゴを食べるのも命懸けである。
世界遺産「ヴェルサイユ宮殿と庭園」・「パリのセーヌ河岸」
2008年1月20日(日) 6:00起床、NHKで都道府県男子対抗駅伝競走を中継している。7:00から朝食、昼と夜の食事は期待できないので朝しっかり食べる。方形の皿や小鉢が洒落ており、フランスパン、ハム各種、果物各種、ドライフルーツ、コーヒー、紅茶、全て美味しい。
食後腹ごなしにホテル付近の散策に出る。一帯はBERCY VILLAGEとして再開発された地区で、セーヌ河畔のワイン倉庫をそのまま利用したレストランやブティックが建ち並ぶ。ちょうど横浜の赤レンガ倉庫か小樽の運河街といったところである。何と街路樹の数本はフユザクラ、真冬のパリで櫻の花見ができるとは望外の喜びである。9:10バスに乗りヴェルサイユ宮殿へ向かう。バスはパリ南回り高速環状線を走る。30人以上のグループは2班に分けねばならない決まりがあるとのことで、現地ガイドもフランス人のアニさんと日本人の久保さんの二人が来る。セーヌ川の岸辺に停泊する多数の船は、映画スターなどセレブの水上住居とのこと、外観はぱっとしないが内部は豪華らしい。金持ちというのは、何時の時代、どこの世界でも酔狂なことをやりたがる。ブローニュの森の傍を通る。ブローニュの森はパリのグリーンベルト
、セーヌ川はパリのブルーベルトと言うらしい。なるほど。 アニさんは日本に長年住んでいたとかで日本語はぺらぺら、しかもエスプリに富む話術の持ち主である。10:00ヴェルサイユ宮殿前駐車場でバスを降りる。20名と14名の2班に分かれて団体入場口から入る。王室礼拝堂、ヘラクレスの間、豊饒の間、ヴェヌスの間、マルスの間、アポロンの間、戦争の間、鏡の間、ルイ14世の間、平和の間、王妃の寝室、大会食の間を順に巡る。天井画、シャンデリア、彫刻、絵画、調度品のどれをとっても一級品である。
しかも3月末までの期間は、スペインやイタリアなど近隣諸国の宮殿から借用した銀器や調度品も展示してあるので、一層きらびやかである。絢爛豪華とはヴェルサイユ宮殿のためにある言葉かと思われる。こんな建造物を造ったルイ14世はまさに狂れ心の君、フランス革命の遠因となるのも無理はない。南、西、北の順にさっと庭園を一回りする。随所に配された池泉、噴水、彫刻と、幾何学模様に刈り込まれた植栽との調和が素晴らしい。花が咲いている時期なら溜息ものであろう。11:50見学を終えてバスに戻る。免税店(RENAISSANCE)に立ち寄ってからパリに帰り、エッフェル塔近くの中華料理店“FONTAINE DE JADE”でお昼を食べる。タイ料理も出す店のせいか出てくる料理がみな辛い。たまらず青島ビールを飲むと小瓶が1本4.8€。
14:00再びバスに乗り、世界遺産の「パリのセーヌ河岸」見学に行く。 先ずシャン・ド・マルス公園へ行きエッフェル塔を写真に収める。その後、バスの車窓から凱旋門、シャンゼリゼ大通り、コンコルド広場等を見物し、ドラクロワ記念館の近くでバスを降りる。造幣局の脇を通りセーヌ河畔に出る。河畔に並ぶ古本市をひやかしながらシテ島に建つノートルダム大聖堂へ歩く。ノートルダム大聖堂はルイ7世時代の1163年の着工、約170年を費やして1330年頃完成した中世建築の最高傑作である。フランス革命後の荒廃で一時閉鎖に追い込まれた大聖堂は、
20年余に亘る大規模修理(1841~1864年)により中世ゴシック建築の輝きを取り戻したとのこと、歴代国王が戴冠式を行った王室寺院だけあって格式の高さが感じられる。最後の審判の入口、聖母マリアの入口を観てから寺院内に入り、直径13mの北のバラ窓、聖母マリア像、ジャンヌ・ダルク像などを見学する。帰国したら、ヴィクトル・ユゴー作の「ノートルダム・ド・パリ」をもう一度読んでみようと思う。聖堂の見学を終え、再び街中をぐるぐる抜けて、とある街角で迎えのバスに乗る。次は18:00予約のセーヌ川クルーズとのこと、エッフェル塔側のバトー・パリジャン乗船場へ向う。18:00出船、突然エッフェル塔全体がきらきらと輝き始める。普段は変哲も無いライトアップに過ぎないが、18時、19時、20時になると5分間だけ電飾照明が加わるとのこと、さすがは芸術の都パリ、ライトアップも洒落ている。日本語のボタン(番号7)を押して音声ガイド機を耳に当てると、「パリの下、セーヌは流れる」が聞こえてくる。
セーヌ川の水色は悪く荒川や隅田川並み、 抒情的とはとても言いかねるが、河畔にはブルボン宮、オランジュリー美術館、オルセー美術館、ルーブル美術館など一級の歴史建造物が建ち並ぶ。ライトアップされたそれらの建物ひとつひとつを音声ガイドは説明する。但し、平船のせいで目線が堤防に妨げられ景色はいまいち。ノートルダム大聖堂を過ぎた辺りで船は引き返す。帰りは快速運行に変わり何の説明も無くなる。全く愛想もなければ芸も無い。その上、クルーズガイドブックや絵葉書、記念コインを声高に売りつけられては余韻に浸るどころでない。19:10バスに戻り、晩飯を食べに市内のレストランへ行く。前菜に大きなエスカルゴがひとり6個づつ出る。海の貝と違って旨味成分に欠けるので味付けに工夫を要する代物であるが、フランス人は頑固なのかバター焼き一辺倒である。案の定、もさもさして味が無く美味しくない。サザエの壷焼きのように甘辛く煮たらどうだろうか。鶏ももには手をつける気になれず、デザートのチョコレートムースのみ食べる。ロゼワインを飲んだが、並級テーブルワインの味はしれている。21:20ホテルに戻る。早速湯を沸かし、カップラーメンを調理する。(続く)
世界遺産「モン・サン・ミッシェルとその湾」
2008年1月19日(土) 5:40起床、SCの荷をまとめる。今日はTGVに乗る日であるが、SCはトラック便でパリのホテルへ直送されるとのこと、大荷物を狭い列車内に持ち込む必要がなく非常に助かる。最近の団体旅行は進んでいる。 6:20食堂へ行き朝食を取る。クロワッサン、ハム、チーズ、オレンジ、コーヒー、紅茶。やはり朝食が最も充実している。7:30未だ薄暗い中をバスで出発、外気温は12℃と暖かい。8:20少し明るくなる。車窓に流れる沿道の林を眺めると、ヤドリギが沢山着生している。中には1本に10個もぶら下げている樹木がある。あんなに栄養を吸い取られてよくも枯れないものとその健気さに感心する。自分はと言えば、娘と息子の2人にパラサイトされて脛は細る一方、年金生活の今では枯渇寸前の有様である。9:10GSでトイレ休憩、序に売店でモン・サン・ミッシェルの図柄入りビスケットを購入する。
名物オムレツの考案者、マダム・プラール(MERE POULARD)の名前を冠したビスケットは、モン・サン・ミッシェル土産の人気ナンバーワン、試食してみると確かに美味しい。 ノルマンディー地方の民家の屋根は灰黒色のスレート葺きで、南仏のオレンジ色の瓦屋根とは対照的である。バスは高速道を下り、広々とした田園地帯を走る。モン・サン・ミッシェルに近づくと道路の両側にはホテルとレストランが多くなる。昼食の前に全景の写真が撮れるポイントへ行く。海上に孤立して聳える神秘的景観を期待してきたが、現在の修道院島は2車線道路の人口堤防で陸地と結ばれている。接続部の両側に大駐車場も設けられ世俗化が甚だしい。11:30から近くのレストラン“La Bergerie”で昼食、
卵白を泡立てて焼く名物オムレツとムール貝の酒蒸し(ムール貝のノルマンディー風)が出る。オムレツのふわふわした食感が珍しく、ムール貝の味付けも悪くない。これまでで一番美味しい食事にフランス料理を見直す。広い店内はパリから日帰り観光にやって来た日本人グループで満杯、オープンテラスの席まで使う盛況である。12:45モン・サン・ミッシェルの見学を開始、島に上陸し王の門を潜る。両側にレストラン、土産物屋、ホテルなどがびっしりと建ち並ぶ参道を登っていく。参道は狭く、オフシーズンの今でも人で溢れている。それも殆どが日本人である。
中国人観光客が押し寄せる旧正月や夏休みになると島内は地獄に変わるとは現地ガイドの弁であるが、こう狭くてはそれも肯ける。修道院の建物に入った所で入場券を買い、尚も石段を登っていくと最上部の西側テラスに出る。そこから眺める湾内の景色は広濶で、水路が縦横に走る灰色の砂地がどこまでも広がる。ちょうど干潮の時間なのか海は遥か遠くに後退している。付属教会の礼拝堂に入り、16世紀制作の大天使ミカエル像などを観る。ラ・メルヴィユ(驚異)へ移動し、列柱回廊、大食堂、
騎士の間、貴賓室と巡る。最後にフランス革命後 に牢獄として使われた時の囚人労働用の大車輪も観る。1階にある記念品売場に出ると内部の見学は終り、帰りは城壁の上の道を通って王の門近くに降りる。そこにある無料トイレに長蛇の列ができている。なにせ入口近くの有料トイレ(40セント)はオフシーズンという理由で閉鎖中である。これだけの人が来るのに島内に無料トイレが2個しかないとは・・・、もっともカフェに入ってお茶を飲み、序にお手洗いを借りるのがフランス流らしい。それにしても夥しい観光客が連日訪れる観光寺院で、まともな修道僧生活が送れるものであろうか。英仏海峡を渡る冬の風が冷たい。14:50バスにもどりレンヌへ向う。16:10近代的駅舎のレンヌ駅到着、
TGVの乗車時刻まで間があるので暫し自由時間になる。駅のコンビニで今晩ホテルで飲む缶ビール(Heineken)を買う。待合室で時間を潰してから3番線ホームに降りる。 切符も無ければ改札も無し、持っているのは18号車23、24席とメモされた紙片だけ、メンバーは3つの車両にばらばらに座ると言うし、車掌が検札に来たらどうすればいいのか。ともかくも列車の編成表示板を見て乗車位置の見当をつける。17:00定刻通りTGVが 入ってきたものの、車両編成が表示板とは全く異なる。とにかく2等車に乗り込み、車両を移動して指定席を探し出す。やがて添乗員のAさんが団体チケットを持ってきてくれる。TGVの乗り心地は日本の新幹線と比べても遜色ない。滑らかで静かで椅子の坐り心地も良い。
その上トンネルや防音壁がないので景色がよく見える。19:08パリ・モンパルナス駅に到着、再び無改札で外へ出て迎えのバスに乗り込む。車内で弁当と缶ウーロン茶が配られる。今宵の宿はベルシー地区にあるソフィテル・ベルシー、今回の旅で初めての4つ星ホテルである。ホテルへ向う途中エッフェル塔が見えてくる。20:00チェックイン、233号室に入る。さすがはソフィテル、斬新な意匠の調度品が並び、ロビーではピアノの弾き語りをやっている。白木をふんだんに使った部屋はゆったりと落ち着いており、NHKも入る、MW(エヴィアン)のサービスもある。ここに連泊は嬉しい。早速ハイネケンを飲みながら弁当を食べる。ご飯は固めだが、塩鮭、鶏の唐揚げ、卵焼きなど和食はやはり美味しい。23:00(日本時間1月20日7:00)のNHKニュースを見ると東京は昨夜から雪、センター試験の日だというのに受験生が気の毒になる。(続く)
世界遺産「ブールジュの大聖堂」・「シャンボール城」
2008年1月18日(金) 5:30モーニングコールで飛び起きる。6:30朝食、どうもフランスのホテルの食堂は狭い。フランスパン、ハム、洋ナシを食べコーヒーを飲む。7:30未だ暗い中をバスでブールジュへ向け出発。 370㎞、5時間のロングドライブである。8:30ようやく明るくなる。天候は曇り、バスは長閑な田園地帯の一般国道を行く。
牧草地、畑地、農家、ポプラ並木が次々に現れる。どこを切り取っても絵になる風景が延々と続く。9:00道路沿いにある公衆トイレで手洗い休憩を取る。フランスの規則では4時間超の運転になる場合、運転手に45分間の休憩を与えねばならないとのこと、ベルナール氏は規則の適用を厳格に要求する。バスはなおも田園地帯を淡々と走る。絵になる風景といっても、こうも蜿蜒と続くとさすがに飽きてくる。乗客の退屈を察してベルナールさんが気を利かせたらしく、車内にシャンソンが流れる。「枯葉」「男と女」「オー・シャンゼリゼ」など日本人好みの曲ばかり、久し振りに聴くと新鮮である。11:45今度は高速道のSAで二度目のトイレ休憩、併設のGSのガソリン価格を見ると、SUPERがリッター250円、GASOLEがリッター220円と日本より大分高い。
レストランの一品料理の値段が800円から1,500円、トラック運転手などは節約のためSAで車内に寝泊りし自炊しているらしい。12:30ようやくブールジュの町に入る。 先ず腹ごしらえ、LE COLBERTなるレストランに入って魚料理を食べる。鱒のムニエルとジャガイモコロッケの味付けはいまいち、田舎の食堂の田舎料理である。Heinekenの250ミリリットル瓶を4€で飲む。13:55から世界遺産の「サンテティエンヌ大聖堂」を見学する。1195年に建設を開始し、13世紀後半に完成したという大聖堂は堂々たる威容を誇る。シャルトルの
大聖堂と並ぶゴシックの代表建築物というのも肯ける。正面扉の聖人像などの彫刻群、 聖堂内部の創建当時のままのステンドグラスなどは、宗教的にも美術的にも素晴らしいものなのであろうが、聖書と西洋史に通暁していない 身にはちんぷんかんぷん、残念ながら真の価値が判らない。ともかくも37mある天井が高い。内部はステンドグラスを除けば装飾が少なく空漠としている。石造りの建物の内部は窓が小さいので薄暗く、寒々と底冷えがする。とても長居できる所ではない。まあ世界遺産の拝観料が無料というだけでも稀有で有り難いことではあるが・・。40分ほどで見学を切り上げバスに戻る。再び150㎞、2時間のバスの旅、ロワール渓谷にあるシャンボール城へと向う。世界遺産に登録されている
「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」には、フランスルネサンス建築の古城が140もあるとのこと、 16世紀早々にフランソワ1世によって建設されたシャンボール城もそれらを代表する城館のひとつである。16:05シャンボール場の駐車場に着く。城の敷地は山手線の内側に匹敵する面積とのことで、城門をくぐってからも深い森の中を延々と走らねばならない。入場はオプションで一人6€(25名以上の団体割引)必要とのことであったが、全員が中に入ることになる。ここまで来て外観の写真を撮るだけでは余りに勿体無く、最初から入
場観光として旅程を組んでいない方がおかしい。天才レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したという二重螺旋階段、回廊式テラス、400以上もあるという迷路のような部屋を時間の許す限り巡る。王と王妃の寝室には調度品が置かれ絵画も飾られており、当時の華やかさを偲ぶことができる。夥しい鹿の角、熊や狼の剥製、当時の狩猟の様子を描いたタペストリーなどを飾る部屋もある。17:30バスに戻る。意外に日は長いがさすがに薄暗くなる。この辺りまで北上してきても東京の冬よりは大分暖かい。トゥール(TOURS)の宿へ更に1時間余のバスの旅、 今日は一日バスに揺られっ放しである。18:40三ツ星ホテルのトゥローヌ(H・TURONE)にチェックイン、125号室に入る。ビジネスホテルのツインルームといったところ、シングルベッドを2台並べたシンプルな部屋である。浴室も狭い。19:15からホテルの食堂で夕食、サラダにポークの唐揚げ(?)を食べる。飲み物はシードル(リンゴ酒)、発泡性で アルコール分は4.5%、フルーティーで甘く飲みやすいが、1本(330ml)5€はちと高い。部屋に戻ってデジカメの電池を充電し、風呂に入る。明日のMCも5:45と早い。(続く)
フランスのビール
今回のフランス旅行では、クローネンブルグ、ハイネケン、青島ビールの3種類を飲みました。クローネンブルグはドイツ国境に近いアルザス地方のストラスブールで生産されているれっきとしたフランス産ビールですが、ハイネケンはオランダから、青島ビールは中国から輸入されたものでした。フランスでも近年健康志向が高まり、ワインより低アルコールのビールへと酒類消費がシフトしているとのこと、どんな田舎のレストランにも置いてありました。但し1種類しか置いていないので銘柄を選ぶ楽しみはありません。又、殆どの店がハイネケンなので、旅の後半は銘柄探しを諦め、専らワインやシードルを飲みました。価格はというと、クローネンブルグ(330ml缶)がレストラン3€、コンビニ1.5€、ハイネケン(250ml瓶)はレストラン2.5~4€、コンビニ2.3€(330ml缶)といったところ、日本よりもかなり割高です。因みにパリの中国料理店で飲んだ青島ビール(330ml瓶)は4.8€(800円)もしました。

世界遺産「アヴィニョン歴史地区」・「リヨン歴史地区」
2008年1月17日(木) 6:15起床、短時間だがぐっすり眠ったのですっきりする。朝食に行き、クロワッサン、チーズ、ヨーグルトなどを食べる。 コーヒーも美味しい。腹ごなしにホテル周辺の散策に出る。アヴィニョンはローヌ川の畔に位置し城壁に囲まれた古都、1309年から68年間ローマ法王庁が置かれ7代に亘るローマ教皇が暮らした町である(いわゆる教皇のバビロン捕囚)。
ホテルは法王庁宮殿に隣接する一等地にあり、入口を出ると直ぐに街の中心の時計台広場がある。石畳の落ち着いた雰囲気の広場を市庁舎やオペラ劇場、フランス銀行支店などが取り囲む。南仏は暖かくコートがあればセーターは不要なほど、 大通りを30分ほどぶらぶらする。9:00全員がロビーに集合し、現地に暮らす日本人女性の案内で世界遺産の「アビニョン歴史地区」の見学に行く。先ずローヌ川に架かるアヴィニョン橋(サン・ベネゼ橋)を見物する。「アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ、・・・」というフランス民謡で有名な12世紀建造の橋は、度重なるローヌ川の氾濫で半ば以上が失われている。次いで法王庁を見学する。
内部の写真撮影は禁止であるが、特に撮りたくなるものがあるでもないがらんどうの建物で痛痒は感じない。分厚く巨大な壁に囲まれた15,000㎡の宮殿内を昇ったり降りたりしながら観て回る。修復を施された法王の寝室が唯一の見所、色タイルを敷き詰めた床、3種類の植物(ブドウとカシワとツタ?)で一面づつ塗り分けられた壁、派手さはないがしっとりした落ち着きがある。威厳と格調を備えた渋さがある。また、厨房の八角錐の煙道も珍しい。毎年夏季になると中庭に舞台と観客席が設営され、世界中から有名な演出家や役者が集まってきて公演が開催されるとのこと、今は古井戸が目立つだけで空漠としている。
昼食まで自由時間になったので、街中のスーパーマーケット(SHOPI)へ行き、クッキーとチョコレートを5種類づつ買う。昼食はレストランでプロヴァンスの郷土料理を食べる。野菜のトマトケチャップ煮と肉の煮込みと洋ナシのパイで味はまずまず。Heinekenの小瓶(250ミリリットル容)を飲むと2.5€とられる。13:05バスに戻りリヨンへ向け出発。陽射しが暖かく南仏はもうすぐ春である。バスは高速道路を制限速度一杯の時速100㎞で快調に飛ばす。 右手奥にアルプスの雪嶺が見えてくる。なんと原子力発電所が高速道路の傍近くにあり、風力発電塔も夥しい数で建ち並ぶ。
広大な耕作地帯が蜿蜒と続き、つくづくフランスは農業大国であると実感する。食糧自給率100%というのも素直に肯ける。14:30手洗い休憩、カフェテリアのトイレを借用する。トイレはどこも清潔で水勢も強く安心して使用できる。しかも洗面台も便器も洒落ている。外国に来ておっかなびっくりトイレを使わなくてもいいなんて、何と幸せなことだろう。リヨンのあるローヌ・アルプ地方は昔から絹織物工業が盛んで、パリコレに出品される洋服生地は殆どがこの地方の産、また、ファッション関係の学校も多い。 日本で有名なものとしては、ボージョレ・ヌーボーとシャモニーのモンブランがある。
ローヌ川は川幅一杯にとうとうと水が流れる。 日本の河川と全く景色が異なる。恐らく上流にダムがないのであろう。16:10リヨンの街に入り、真っ直ぐフルヴィエールの丘に上る。丘上に建つノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂はリヨン市民の浄財で建設されたもの、立派な聖堂である。聖母マリアを祀る聖堂内を見学してから、展望所のテラスへ出てリヨン市街を眺める。リヨンはフランス第3の都市(パリ>マルセイユ>リヨン>ツールズ>ニース)であるが、世界遺産の旧市街(リヨン歴史地区)は言うに及ばず、新市街も含めて建物の色使い、高さ等が統一されている。遠くから眺めても近くから見ても実に調和がとれていて美しい。リヨン市街の遥か向こうにおぼろげながらモンブラン(4,808m)の姿が認められる。残念なことに旧市街に立ち寄ることなく、バスは新市街のベルクール広場へと移動する。その代わり夕食まで自由時間になったので、エルメスやルイ・ヴィトンなどブランド店が軒を並べる通りへ行き品物を見定める。ヴィトン通に
言わせると日本より15%程度しか安くないとのこと。日本では無名のブランドのバッグを50%オフで購入する。18:30から“三匹の子豚”(Le Pere Fillion)レストランで夕食を取る。メニューは川カマスのクネルが入ったサラダとローストチキン、それにババロアの3品である。リヨンはミシュランの3つ星レストランが一番多い町というので期待して来たが空振り、その片鱗すら感じられないのはどうした訳か。19:45チューリップ・イン・サフィールにチェックイン、102号室に入る。3つ星ホテルであるが、やはり色使いが洒落ている。インターネットアクセスコネクターやズボンプレッサーまである。風呂から上がると21:30、お湯を沸かして日本茶を作りペットボトルに詰める。(続く)
世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク建築」
2008年1月16日(水) 6:40起床、SCの荷造りをしドアの外に出してから食事に下りる。7:00になっても外は真っ暗、夜明けが遅い。狭い食堂は団体旅行客でまるで戦場のような騒ぎ、ウェイターやウェイトレスが少ないので料理の供給やテーブルの後片付けが追いつかない。フランスパンや乳製品は香りも味も良く非常に美味、さすがは本場である。部屋に戻ってトイレに座ると便座が冷たいのなんの、出るものも出なくなる。温かいウォシュレットが恋しい。8:30出発、モナコ観光へ向う。バスの運転手はベルナールさん、最終日のパリまでずっと運転してくれるとのこと、腕は確かだが気難しいことでも有名らしい。バスはイタリアへ続く海沿いの国道を走る。次々に現れる湾には多数の小型ヨットが停泊しており一帯は高級別荘地、プール付きの瀟洒な邸宅が建ち並ぶ。なんでもビル・ゲイツの別荘もあるらしい。
この辺りの海岸はコート・ダジュール(紺碧海岸)と呼ばれ風光明媚なところであるが、今日は生憎の雨、青い筈の地中海も空も鉛色で冴えない。モナコ公国はヴァチカン市国に次いで小さな国で面積は皇居の2倍の1.95k㎡、人口は35,000人であるが、モナコ国籍を持つ人は5,000人だけで他は外国人とのこと、フランスとイタリアからモナコに毎日通勤してくる人が多い。 国境には淡褐色の標石が建つだけでバスは停まることもなく通り過ぎる。9:45屋内大型駐車場に入る。他に観光バスの姿はなく閑散としている。駐車場からエスカレーターとエレベーターを乗り継いで高台のモナコヴィル地区へ上がる。モナコ大聖堂に入り、グレース王妃の墓に詣でる。主祭壇の前に並ぶ歴代大公、王妃の墓の中で、何故かグレース王妃の墓にだけ花が手向けられている。街中を抜けて大公宮殿前広場へ出る。雨はいよいよ本降り、テラスからモナコ市街、モナコ港、モンテカルロのF1コースを眺める。雨に煙るモナコも一興、なかなか風情がある。11:00バスに乗りこみ
ニースへ戻る。沿道の樹木は パラソル松(地中海松)、糸杉、ユーカリ、プラタナス、それにカナリヤ諸島からもたらされた椰子の木など。また、リュウゼツランやウチワサボテンも目立つ。緯度は北海道の宗谷岬と同じくらいであるが暖地であること判る。11:45ニースの街に戻り、海岸沿いの大通り、プロムナード・デザングレ(イギリス人の散歩道)を散策する。暖かい季節なら日光浴を楽しむノーブラの女性がそこかしこで見られる所である。雨も上がる。そこから歩いてレストラン(La Castia)へ行きお昼を食べる。前菜のニース風サラダは何のことはない、野菜サラダにツナが入っているだけの代物、メインディッシュは焼き豚のあんかけ、それにデザートのアイスクリームが付く。ビールを頼むとKronnenbourgの缶が出てくる。これが3€(500円)は高い。13:25バスに戻りアルルへ向け出発、延着のSCを受け取りに空港に寄る。
昨日の疲れからいつの間にかうとうと、眼が覚めると車窓から広大なブドウ畑が見える。この辺りの耕作面積の半分はブドウ畑とのこと、納得の景色である。15:00高速道のSAでトイレ休憩、売店でMWを求めるとエビアンの1ℓボトルが1.2€(200円)する。プロヴァンスに近づくと行く手にサント・ヴィクトワール山が見えてくる。セザンヌが生涯描き続けた白い石灰岩の山である。長い平頂を持つ姿はちょっと荒船山に似ている。ピーター・メイル作「南仏プロヴァンスの12か月」がベストセラーになったのは何時だったか、帰国したら再読してみよう。プロヴァンス地方のお土産としては、セミの置物(お守り)、カリソン(アーモンド・ヌガー)、
石鹸、サントン人形がお勧めとのこと。17:00アルル郊外の跳ね橋(ヴァン・ゴッホ橋、またはラングローワ橋)に着く。橋は1926年に再建されたもので、行き交う船もない運河にひっそりと架かる。120年前のゴッホの絵の世界そのままの光景が眼前に現れるとは、、、感激ものである。アルルはゴッホが晩年の一時期を過した町、ゴッホゆかりの場所が多く、また「アルルのローマ遺跡とロマネスク建築」として世界文化遺産にも登録されている。アルルの街に入り、ローマ遺跡の円形劇場と円形闘技場、写真学校(Ecole nationale de la photographie)、フォーロム広場の夜のカフェ(カフェ・ヴァン・ゴッホ)、
市庁舎、ロマネスク建築のサン・トロフィーム教会、エスバス・ヴァン・ゴッホの順に巡る。夕闇が迫るにつれ雲が茜色に染まる。すみれ色の空とのコントラストが鮮やかになる。印象派ならずともこの光と影にくまどられる風景を前にすれば思わず絵筆を握りたくなる。アルルは美人の産地としても有名らしく、毎年7月初旬に女王を選ぶお祭りが催されるとのこと、その応募の条件は「代々当地に居住している」「18~24歳、独身」「プロヴァンス方言を読み書きできる」こととなかなか厳しい。街を歩きながら美人を捜してみたが、黄昏に紛れてしまったか見当たらない。18:00からLa Bohemeで夕食、白身魚料理とパスタが出たが味付けがいまいち、皆に習って白ワインを飲む。バスでアヴィニョンへ移動し、21:00旧市街に建つホテル・メルキュール(MERCURE)にチェックイン、309号室に入る。こじんまりした部屋であるが、淡いパステルカラーの色使いが憎い。お洒落で上質な部屋に家人も満足そうである。風呂から上がると22:40、時間は遅いが夕食に殆ど手をつけなかったためにお腹がすいたので、カップラーメン用の湯を沸かす。(続く)
美しきフランス・世界遺産紀行8日間
2008年1月15日(火) 5:30起床、今日からいよいよフランス8日間の旅が始まる。今朝は今冬一番の冷え込み、霜が降りて屋根が真っ白になる。7:20車にSC2個を積み、家人と成田へ向う。件のPARK500に到着、車を預けマイクロバスで空港まで送ってもらう。9:15第一ターミナル着、団体受付カウンターへ行く。H交通社の添乗員Aさんから航空券を受け取り、二人分の燃料サーチャージと海外空港諸税費79,600円也を支払う。最近の原油高を反映して燃料サーチャージが極めて高い。次いでANAのカウンターへ行きチェックイン、SCを預け搭乗券を受け取る。両替所で円をユーロに替えると、1ユーロが167.33円もする。たちまち懐が寂しくなる。10:10集合場所に行くと同行は34名、なんとそのうち15名は一人参加で、夫婦は新婚さんと我々の二組だけである。今日の出発は一人参加優遇日に当り、通常追加料金58,000円の半額で済むとのこと、なるほどど納得する。出国審査を通過しスタバでコーヒーを飲む。マイレージ加算手続きを済ませ、満席のNH201便(B777-300)に搭乗、31J・H席、幸運にも通路側に当る。Aさんの話によると、全日空は個人客を優先し団体客は空いた席へ適当に割り付けられるとのこと、夫婦でもばらばらになることがあるらしい。ごもっとも、格安の団体客の分際で席を選ぶなどもってのほか、ぎりぎりツアーであれば忍の一字である。それにしてもANAのエコノミークラスの座席は狭い。救いは個人端末が付いていること位、12:25いよいよ離陸する。飛び上がると直ぐに右手に日光連山の雪嶺が見えてくる。早速オーディオを9CHに合わせ、「さだまさしSpecial~天までとどけ~」を聴く。曲目は「都忘れ」「精霊流し」「関白宣言」「案山子」「天までとどけ」「かささぎ」「赤い月」「眉山」「窓」の9曲。中継地のロンドンまで12時間35分のフライト、先は長い。キリン一番搾りを飲みながら、読売新聞を読み、フランスの案内書を読む。14:00昼食が出る。茶そばとハッシュドハンバーグ、それにハーゲンダッツのアイスクリームが付く。機は凍てついた白い大地の上空を飛んでいく。個人端末の画面をビデオに切り替え、映画「3:10 TO YUMA」(2007年米)を観る。1957年製作の「決断の3時10分」のリメイク版で、主演はラッセル・クロウ、共演はクリスチャン・ベールとピーター・フォンダである。続いてもう一本、「鳳凰わが愛」(2007年日本・中国合作)も観る。こちらは中井貴一とミャオ・ブゥが主演である。只酒を飲み過ぎたせいか気持ちが悪くなり、途中でトイレに屈み込む。 映画を2本観てもまだ19:30、仕方が無いので3本目の映画「パーフェクト・ストレンジャー」(2007年米)も観る。主演はハル・ベリーとブルース・ウイルス、画面が小さいので眼が疲れる。一休みしてから持参の文庫本、亀井勝一郎の「私の美術遍歴」を読む。ロンドンが近づくと三度目の食事が出る。0:47ようやくヒースロー空港に安着、Flight Connectionsの案内に従い、バスにも乗ってFCターミナルへ移動する。再び手荷物の安全検査を受け、British Airwaysのカウンターで個人チェックイン、搭乗券を受け取る。次のフライトまでまだ3時間もあり待ち時間が長い。前回ヒースロー空港に降りたのは1992年の12月、15年ぶりで何もかも様変わりしている。ロビーの三方には免税店が軒を並べる。BOSS、BALLY、BURBERRY、AUSTINREED、THOMAS PINKなど、HARRODSもある。どこも新年のバーゲンセールの最中で、中には50%オフの品物まである。5:32ようやくBA352便(AIRBUS A320)に搭乗する。6:20離陸、すぐ軽食が出る。飛行中に自宅を出発してから24時間が過ぎる。7:55(現地時間1月15日23:55)深夜のニース国際空港に安着、ようやくフランスに入る。時計を時差分の8時間遅らせる。SCを受け取りに行くと同行の一人の荷物が出てこない。ロンドンで積み残しがあったようで、最近はSCの延着が頻繁に起きる。迎えのバスに乗り込みHOTEL APOGIAに到着したのは0:50、狭くて旧くて薄暗い300号室に入る。何でもニースはホテル代が非常に高く、団体旅行ではこのクラス(☆☆?)にしか泊まれないとのこと、またしても忍の一字である。風呂から上がると2:00、明日のモーニングコール(MC)は6:45なのでもう幾らも寝る時間がない。(続く)
アルハンブラ物語
ワシントン・アーヴィング著「アルハンブラ物語」(岩波文庫・上下2冊、1,500円)をインド旅行の行き帰りの機内で読む。先々月のスペイン旅行の復習である。著者のW・アーヴィング(1783-1859)は、アメリカ公使館書記官としてスペインに滞在していた1829年、グラナダに旅行し、偶然の幸運からアルハンブラ城に数ヶ月間住いする。その幻想的な日々が、宮殿内の処々に伝わるさまざまな物語を織り交ぜて、詩情豊かに綴られる。スペイン最後のイスラム王朝、グラナダ王国の人々に対する鎮魂碑とも言える作品は、深い旅愁を湛えている。物語を読み終えると、グラナダの風景とアルハンブラ城の思い出がさまざまに甦り、改めてしみじみと旅情が深まる。再び彼の地を訪れたくなること請合いの好著であり、スペインを旅した人には是非一読をお薦めする。
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トレドの旧市街
1月15日(日) 6:50起床、エアコンをつけているのに部屋が冷えてくる。マドリッドは寒い。念のため今日の観光に備えてホカロンを2袋ずつ持つ。7:45~8:20朝食、パンにニンニク下ろしを塗ってしまい大失敗、スペイン人は大蒜好きとみえる。8:45出発、先ずプラド美術館に向う。今日は日曜日
なので団体見学は禁止で個人見学になるとのこと、その方が煩らわしくなくて良い。ゴヤの像が立つ北門から入り、正味1時間半の駆け足見学、そんなに広い美術館ではないが、やはり時間は足りない。ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」「カルロス4世の家族」、エル・グレコの「胸に手を置く騎士の肖像」、スルバランの「無原罪のお宿り」、ボッティチェルリの「オスタジオ・デッリ・オネスティの物語」、ティントレットの「胸を見せる貴婦人」、デューラーの「アダム」「イブ」などを観る。それで精一杯、仕方がないので売店で日本語版カタログ「プラド美術館」を買って我慢する。次に向ったのは”TYMYR"なる免税店、皮革製品の店で、スペインのブランド”ロエベ”や”カンペール”の製品を並べている。この手の店にかける時間が惜しい。買物に興味がない人にとっては完全なアイドルタイムである。やっとソフィア王妃芸術センターに移動する。プラド美術館は写真撮影OK(フラッシュは禁止)であったが、こちらは全面禁止である。約1時間、ピカソの「ゲルニカ」や「青い服を着た婦人」、そしてミロやダリの作品を見学する。スペイン広場で写真を撮影してから、昼食(13:00~)になる。パエリアの専門店”LA PAELLA REAL”で、大皿山盛りの野菜サラダとエビ・イカ・ムール貝入りパエリアを食べる。 有名店とのことであるが味はいまいち。14:20最終観光地トレドへ向けバスで出発、トレドは1981年以来奈良市と姉妹都市の関係を結んでいる。15:45トレド着、タホ川対岸から市街を一望できる丘へ行き、写真を撮ってから市内観光に入る。レンガ造りの旧市街を散策した後、カテドラルを見学する。立派な大聖堂ではあるが教会見学続きでやや食傷気味、それでも宝物室にある聖体顕示台に嵌め込まれた数個の巨大なキャッツアイは見事である。続いて、サント・トメ教会にあるエル・グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」を観る。何でもスペインでは世界十大絵画のひとつとしているらしい。400年間無修復というが、 絵の具の色など今でも美しく鮮やかである。バスに戻るために歩いてタホ川に架かる橋を渡ると、水面は合成洗剤の泡(?)で真っ白、まるで昔の多摩川を見るようである。下水処理がまだ不完全とみえる。帰路、トレド名物”マジパン(マサパン)”の店に寄る。アーモンド餡の月餅といったところであるが、試食するとわりと美味しいので3箱購入する。18:00トレドを後にし、バスでマドリッドに戻る。19:00コロンホテル着、夕食まで時間があるので帰国準備の荷造りにかかる。20:10再びバスで街中のタブラオ”TORRES BERMEJAS”(赤い塔)へ、ディナー付きフラメンコショーを観に行く。一人65€かかるナイトライフがオプショナルツアーでないなぞ、
感激ものである。名前の通りアルハンブラ宮殿を模したという内装はきらびやか、かぶりつきの席で20:30から2時間、女性ダンサー4人の情熱的踊りと、男性ダンサーの華麗なステップを堪能する。女性ダンサーは期待に反し熟女ばかり、うちひとりは過熟気味、年齢のせいか息切れが目立つ。真打の男性ダンサーはプロフェッショナル、30~35歳位か男の色気たっぷりで、女性は皆うっとり見惚れている。23:00ホテルに戻る。風呂に入って荷造りを終えると24:00、明日のモーニングコールは4:00である。
1月16日(月)17日(火) 4:00起床、5:00ロビーに集合してバスで出発、外は本降りの雨である。マドリッド国際空港へ着き、SCを預け、出発ロビーに入る。AF2101便は満席の乗客を乗せ7:40離陸、9:15にはシャルル・ド・ゴール空港に着陸する。そこまでは順調だったが、乗り継ぎ通路は仙台七夕をも凌ぐ混雑、特に手荷物検査の所で大渋滞している。無理も無い、厚着しているコートやジャケット、さらにはブーツまで皆脱がされている。時計やベルトは金属探知機に引っ掛かる。やれやれ1時間しか乗り継ぎ時間がないというのに絶望的状況である。さすがの添乗員U氏も真っ青で、顔が引き攣っている。それでも何とか交渉が功を奏し、一行30名の検査を優先的にしてもらう。皆汗だく、離陸予定時間を過ぎた10:35、漸くAF272便に乗り込む。200人乗りのAIRBUS(A330型)に80人程度しか乗客がいないガラガラ状態、初めは欠航の予定であったが、急遽飛ぶことになったらしい。不思議に思っていたら、ファーストクラスにユーミン夫妻が乗っていたとかいないとか、或いはそのお陰かもしれない。団体客30名より、ファーストクラス1名の方がはるかに儲かる。11:00離陸、全員2席から3席を占め、ゆっくりくつろぐ。かねて用意の亀田の柿の種を取り出し、機内サービスで”1664”(クローネンブルグ社製ビール)を飲む。眠ったり起きたりしていると、いつの間にかハバロフスクの上空にさしかかる。あと2時間30分、時計の針を8時間進ませる。6:45雨の成田空港へ無事着陸。
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セビーリャ製陶器
セビーリャ市のサンタ・クルス街にある陶器店で購入した絵皿。直径17cm、価格13.5ユーロ(2,000円)。裏側を見るとスペイン語で「ESTA PIEZA CERAMICA HA SIDO FABRICADA Y PINTADA A MANO ARTESANAMENTE EN ESPANA, SUS COLORES SON INALTERABLES LOS DISENOS SON CREADOS POR」と書いてある。大意は「SIDO工房製作、絵付けは職人による手書き。色彩は色褪せることなく、デザインは独創的!」といったところか、まスペイン語なので余り自信はない。値段といい大きさといい、お土産には手頃かも。
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セビーリャの大聖堂/コルドバの歴史地区
1月14日(土) 5:30起床、ようやく時差にも慣れてくる。このホテル大型なだけにシーズンオフの今はガラガラ。隣にサッカー場があり、試合がある時だけはサポーターで一杯になるらしい。7:00朝食、嬉しいことにコーヒーとホットミルクのポットサービスがある。8:45バスに乗りセビーリャ市内観光に出発、街路樹は何と殆どがオレンジ、しかもたわわに実がついている。 1929年万博(イベロ・アメリカ博覧会)の各国パビリオンや、 グアダルキビール川の畔に建つ黄金の塔などを車窓から眺める。メリメ作「カルメン」の舞台となった有名な旧王立煙草工場は、今はセビーリャ大学に衣替えしている。万博のメイン会場、スペイン館が設置されたスペイン広場(マリア・ルイサ公園)を見物する。半円形の建物に沿うように造られたベンチには、スペイン国内58都市の紋章・歴史的場面・都市の位置が色タイルで美しく表現されている。ムリーリョ公園のコロンブス記念塔を見てから、サンタクルス街の狭い路地を散策する。様々な鉢植え植物を並べた各家の中庭(パティオ)が実に美しい。街角の土産物店でトイレ休憩、 序に花鳥画が美しいセビーリャ焼きの絵皿2枚と扇子を模ったキンキラの焼物を買う。キスの小道と呼ばれる極端に狭い路地を通り抜けて、世界遺産の”カテドラル(ヒラルダの塔)”見学に行く。もうひとつの世界遺産”アルカーサル”は残念ながら外壁を眺めただけで通り過ぎる。大聖堂では時間があると言うのでヒラルダの塔(鐘楼)に登ってみる。イスラム時代は大モスクのミナレットだった部分である。高さは98mあり、70mの鐘撞堂の部分までスロープで登ることができる。サグラダファミリアの塔よりずっと楽であり、上からはセビーリャ市街が一望できる。カテドラルは1403年から約100年を
費やしモスクを基礎に造営されたもので、バチカンのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂と並ぶ世界三大カテドラルのひとつだそうである。インカからもたらされた黄金2屯を使ったという豪奢な主祭壇、キューバのマホガニー材で造られた彫刻細工が見事な聖歌隊席、コロンバスの棺、ムリーリョ作の宗教画「サン・アントニオの礼拝」などを見学する。確かに豪華絢爛ではあるが、中南米植民地の冨を強奪して築かれたものと考えると感心ばかりもしていられない。昨年メキシコでアステカ帝国の無残な廃墟や優雅なコロニアル都市を見たばかり、どうしても同情はそちらにゆく。12:10バスに乗りこみ、 コルドバへ移動する。車中は疲れたのか居眠り組が続出、14:00コルドバに着いて遅い昼食となる。昼食会場の”ALMUDAINA”(食料品市場の意味)は有名レストランらしく、
訪れた要人の写真を壁に掲げてある。メニューはタパス(TAPAS)、すなわち小皿料理ということで、イカのリング揚げ・メルルーサのフライ・クリームコロッケ・スペイン風オムレツが大皿にまとめて出される。おつまみにちょうど良く、壜ビール(AMSTEL)を美味しく飲む。15:00~16:30コルドバ市内観光、アルカサールの外壁を眺めてから、世界遺産に登録されている”メスキータ”の見学に行く。巨大モスクの内部に教会の礼拝堂を嵌め込んだ異空間である。 ミフラーブ(壁龕)は9世紀後半に造られたままのオリジナルである。モスクに付き物のオレンジのパティオ(中庭)はイスラム教徒の瞑想の場所らしい。
メスキータ周辺に広がる旧ユダヤ人街も世界遺産である。白壁の美しい街の中に有名な花の小道がある。さすがにこの時期に花は少なく美しさもいまひとつ、行き止まりの小広場ではたわわにレモンが実る。観光を終えてコルドバ中央駅へ向う。テロによる列車爆破事件があったせいで、空港と同じような手荷物検査がある。ホームに入り、17:45発のスペイン新幹線AVEに乗り込む。1992年にフランスのTGVの技術を導入したものであるが、停車の時にギギー、キキーと音がうるさい。二等車のせいか車内の質感もいまいち、日本の新幹線の勝ちである。それでも走り出せば乗り心地はなかなか良く、19:35マドリッド・アトーチャ駅にすべりこむ。
アトーチャ駅の構内はまるで熱帯植物園、ヤシの木などの樹木や植物が所狭しと植え込まれている。どうもスペイン人の感覚が分らない。迎えのバスに乗り、ホテルに入る前に夕食に直行する。今日は中華料理、レストランは”京城酒家”である。現地食材を使ったスペイン風中華であり、味はともかく中国人(?)従業員の行儀が悪い。愛想が全くない上、食事も済んでいないうちに飲み物料金を清算に来る。21:00ホテルにチェックイン、4つ星のフェスタ・グランホテル・コロンの部屋は今までで一番上等、ここに連泊は嬉しい。持参のポットで水道水を沸かし日本茶を飲む。硬水だが結構いける。
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グラナダのアルハンブラ宮殿
1月13日(金) 5:30起床、スペインの枕はどのホテルでも細長くて柔らかい。どうもこのナマコのようなタラコのような枕の寝心地が良くない。7:00朝食、メロンにオレンジ、ハムにベーコン、レタスにトマト、スペイン風オムレツにヨーグルトと4つ星ホテルの朝食は豪華である。ギリギリツアーは朝食が一番おいしい。CNNニュースを見ると日経225が16,455円に上昇している。8:15徒歩でアルハンブラ宮殿見学に出発。グラナダスの門を潜って、初めにカルロス5世宮殿に入る。今はアルハンブラ美術館と県立美術館であるが、内部の円形ホールをちらりと見物しただけで、アルハンブラ宮殿(王宮)の見学に移る。スペイン最後のイスラム王朝、ナスル王国21代の王によって造営された宮殿内は、天井や壁、柱の全てが細密なアラベスク模様で覆われている。トプカプ宮殿のタイル装飾にも感心したが、この肌理細やかな仕事は脱帽ものである。まさに滅びの前の爛熟である。アラヤネスの中庭、ライオンの中庭、
ハーレム宮(二姉妹の間)などを観て廻る。「アルハンブラ物語」の作者ワシントン・アービングが滞在した部屋もある。廊下に出ると、世界遺産に登録されている旧市街”アルバイシン地区”の街並みが見渡せる。最後に夏の離宮ヘネラリフェ庭園に行く。息を呑むほど美しい庭園らしいが、今の時期は花が少ないのが残念である。予定では3時間の筈の見学が1時間半で終わる。どうも慌しいと思ったら、予定にはない伝統工芸店に連れていかれる。GAUDIという寄木細工とリアドロの専門店である。 そこでの時間が不必要に長い。箱根の寄木細工はここグラナダの技術を学んだとのことであるが、本家の製品はキラキラしくいまいち感心しない。
その後ミハスへ向けバスで長距離移動する。朝晴れていた空の雲が厚くなる。イベリア半島のこの辺りは岩だらけの大地である。13:00ミハス到着、太陽の海岸コスタ・デル・ソルの山側斜面に広がる白い町である。最近はキャノンのTV宣伝「アマポーラ・・・」で日本でも有名になりつつある。街中のレストラン”EL PADRASTRO”(高台の意味)に入り昼食をとる。イカスミライスは冷凍イカなのか味が抜けている。ポークは塩蔵肉のように塩辛く、その上ピンク色の甘いソースがかけてある。不気味な味で、お世辞にも旨いとは言えない。ミハス市内見物は氷雨の中、コスタ・デル・ソルも日の光と青い空がなければ魅力半減である。サン・セバスチャン通りで記念写真を撮り、
闘牛場、ラ・ペーニャ聖母礼拝堂、展望台と廻る。”アマポーラ”の店で名物の生花を封じ込めたアクセサリーを買い、陶器店でタラベラ焼きの大皿を買う。道迷いをして危うく出発時間に遅れかけたが、ギリギリセーフでバスに戻る。セビーリャに向う途中に立ち寄ったドライブインでオリーブ油やオリーブ石鹸も買う。旅も中半、誰にお餞別をもらった訳でもないが、そろそろ土産物の品揃えにかかる。19:00セビーリャのホテルに到着。シルケン・アル・アンダルスホテル(HOTEL AL-ANDALUS PALACE SEVILLA)は超大型ホテル、部屋も広くアメニティも充実している。 19:40からホテル内のレストランで夕食、個性的料理はないがそれが助かる。野菜サラダが豊富で、メルルーサのフライやビーフシチューなど皆おいしい。風呂に入ってさっぱりすると22:00、スペインは夕食が遅いのでどうしてもこの時間になる。
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カンポ・デ・クリプターナ
1月12日(水) 今日は世界遺産の見学は無く、風の大地ラ・マンチャ地方の見物である。シンプルな朝食を済ませ8:30バスに乗り出発。スペインの国土面積は日本の1.4倍、今回の旅もトルコ同様バス移動の時間と距離が長い。標高1,001mの峠を越える。赤茶けた大地は延々見渡す限りのブドウ畑である。風力発電用の風車が丘を埋めて林立する。100基以上もあるかと思われ、壮観である。10:40ドライブインで休憩。その後もブドウ畑や小麦畑などの丘陵地帯が延々と続く。北海道のセブンスターの丘など霞んでしまうほど、途方もないスケールである。12:15カンポ・デ・クリプターナ町の風車が建ち並ぶ丘に到着。青い空に白壁の風車が良く映える。これぞスペイン、ラ・マンチャ地方ならではの風景である。32基あったという粉挽き風車も今は観光用に10基残るだけ、そのうちの1基”インファンテ(INFANTE:スペイン語で王子の意味)”の内部を見せてもらう。 2階建てのこじんまりした風車は、オランダのザーンセスカンスで見た5階建ての風車に較べるとず
っと小さい。風が冷たい。ラ・マンチャはまさしく風の大地である。昼食をとるため、プエルト・ラピセ町にバスで移動する。車窓から眺めると腰壁が青く塗られている家が目立つ。魔除けの色とのこと、トルコのナザール・ボンジューの色と同じ意味を持ち、アラブ系住民の住居である。また黄色い壁の家もある。そちらはユダヤ人の住居とのこと、壁の色で住んでいる人が分かる。昼食レストランは”ドン・キホーテの旅籠”なる店、ドン・キホーテの作者セルバンテスが泊まったという由緒ある宿である。400年後の現在はレストランと土産物や、中庭の店入口にドン・キホーテの像が立つ。”ドン・キホーテ定食”のメニューは、トマトスープにチキンの煮込み、デザートは”花嫁のケーキ”である。 当時のレシピを
基に作られた名物マンチェゴ料理の味はいまいち。道路向かいの陶器店で本場のタラベラ焼きを並べていたがイメージと異なるのでパス、メキシコの方がデザインもセンスも良い。再びバスに乗りアンダルシア州グラナダへ向う。峠を越えると今度は一面のオリーブ畑である。オリーブは全て手摘みで収穫され、労働力はジプシーに負っているとのこと、それにしても見晴るかす限り山も谷も平地もオリーブの木一色である。こんなに需要があるのかと疑問になる。16:15ドライブインで休憩、バレンシアオレンジのフレッシュジュースを飲む。見ると一杯のジュースを搾るのに5、6個もオレンジを使う。まるでバッティングセンターのボールを入れるマシーンの如き搾り機である。一杯1.8€は安い!、
そして旨い!交通標識にアラビア語併記が現れるとグラナダも近い。グラナダはスペイン最後のイスラム王朝ナスル王国の首都、今もその影響は街のあちこちに色濃く残る。真っ白なシェラ・ネバダ(雪白の山脈の意味)が見えてくる。グラナダの町はその山懐にある。18:15今宵の宿、ホテル・アリサレス(HOTEL ALIXARES)到着。アルハンブラ宮殿まで歩いて5分という好立地である。4つ星ホテルの内装は成る程イスラム的、調度品といい色タイルといいシックである。19:30~20:30ホテル内のレストランで夕食、メルルーサ(タラ目の海魚)のフライが美味しい。煙臭いシェリー酒と地ビール”ALHAMBRA”を飲む。グループの30名中24名は、添乗員氏の薦めに乗り、本場のフラメンコダンスを観に出かける。21:30から2時間はかかるというので、自重して部屋に直帰する。それでも風呂から上ると22:00になる。
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バルセローナのグエル公園
2006年1月10日(火) 3:55起床、何と雪が積もっている。選りによって今冬初雪である。4:40出発、RVRを慎重に走らせて、6:00PARK500に着く。駐車場も開いたばかりである。車を預けて空港まで送ってもらう。6:30成田第一エアターミナル着、集合時刻まで1時間も間があるので椅子で一休み、娘と息子に出発メールを打つ。みずほ銀行の両替所で6万円をユーロに替える。レートは1ユーロが146円、現地スペインでは156円位とのこと、日本で替えていくのが得らしい。夜が明けると空港内滑走路は真っ白である。それでも飛行機が飛ばないほどの雪ではない。7:40受付開始、海外空港税と燃油サーチャージを二人分、計33,800円也を支払い航空券を受け取る。添乗員はU氏、外見は天才バカボンのお父さん、話し方は綾小路きみまろ調である。今回は30名のツアー、内12組がカップル、女友達2組、一人参加2名である。カップルは殆どが夫婦のようであるが、中には「どういうご関係ですか?」と思わず尋ねたくなる雰囲気の二人がいる。うーむ、世の中は広い。今回の旅は面白くなりそうである。AF279便パリ行きは、満席に近い乗客を乗せ9:50離陸、男体山と中禅寺湖の真上を飛んで日本海に抜ける。日経と読売新聞を読んで時間を潰すうち、11:00一回目の食事が出る。14:00バイカル湖の北辺を飛行中、あと8時間である。うつらうつらしたり、本多勝一著「カンボジア大虐殺」を読んだりする。中間点を過ぎた辺りで、カップヌードルとアイスクリームのサービスがある。AFはなかなかサービスが良い。フランス映画「JOYEUX NOEL」(メリークリスマス)を観る。日本では「戦場のアリア」という題名で、今年のGWに恵比寿ガーデンシネマ他でロードショーが予定されている。20:00ストックホルム上空を通過したところで、時計を8時間遅らせる。21:00二回目の食事が出る。 機内の空気が悪いせいか頭が痛くなる。22:05(現地時間14:05)9,720kmを飛んで、雲が低くたれこめるシャルル・ドゴール空港に着陸する。広い空港で乗り継ぎも容易ではない。入国審査を経て、手荷物検査を受け、出発ロビーに入る。頭痛が治まらないのでバファリンを飲む。16:20離陸のバルセロナ行きAF1948便は空いており、3人掛けに2人で座れる。 17:35バルセロナ国際空港着陸、自宅を出てから実に21時間、前回のメキシコと全く同じである。スペインは遠い。シーズンオフのせいか空港ロビーは閑散としている。今回はロスト・バゲッジなし、27個全部出てくる。幸先が良い。迎えのバスに乗り込み、バルセロナの南西43kmにあるリゾート地、シッチェスにあるホテルへ向う。19:10ホテル・アンテマーレ(HOTEL ANTEMARE)着。「海の前ホテル」「渚ホテル」の名前通り、直ぐ近くが地中海らしいが真っ暗で何も見えない。
1月11日(水) 朝食の後、バルセロナ市内観光に出発、バルセロナはカタルーニャ州の州都で人口180万人、スペイン第2の都会である。高速道に入るも渋滞でノロノロ運転、これが平日の常態らしい。スペイン広場で現地ガイドのⅠ氏をピックアップ、スペイン女性と結婚して10数年日本語ガイドに従事している人である。U氏もⅠ氏も甲乙つけ難いほど良くしゃべる。街中をトロトロ走る黄色い車(大文字のエル(L)の看板を掲げている)は教習車、この国は教習所というものはなく、路上でぶっつけ本番の教習をやるらしい。先ずモンジュイックの丘に上り、市街地と港を眺める。緑の多い所で花も数種類咲いている。サグラダファミリアの鐘塔が街中に遠く小さく見える。次に世界遺産のグエル公園に移動する。鬼才ガウディが設計施工した公園はまるでおとぎの国のよう、破砕タイルで彩られた様々なモニュメントが建ち並ぶ。ガウディ建築は曲線の芸術といえる。 有名な”波打つベンチ”に座ってみると、実に座り心地が良い。見た目は奇抜でもしっかりツボは押さえてある。人間工学的にも申し分ない。
なるほど天才のやる仕事は違う。次に街中のサグラダファミリア(聖家族教会)見学に行く。ガウディのライフワークとなった教会は1882年の着工以来123年を経て尚半分も完成していない。完成は100年後とも200年後とも言われてきたが、最近工法が石積みからコンンクリートに変わり、 2025年には完成するとのことである。狭い螺旋階段を登り、 生誕のファサードの鐘塔に登ってみる。階段は一方通行で、くるくると小回りなので目が回る。受難のファサード側はエレベーターで昇れるので(2€)そちらが楽である。塔頂からバルセロナ市街を眺めただけで、急いで降りる。革製品の店でトイレを借りてから、ピカソ美術館に行く。館内写真撮影は全て禁止である。主として10代中後半の作品が展示されているが、デッサン力には既に天才の片鱗窺える。ピカソの後期抽象画は好きになれないが、初期作品は好ましい。14:00やっと昼食の時間になる。港近くのレストラン”MARINA MONCHO'S”に入り、カタルーニャ名物のパスタのパエリアを食べる。アサリとイカが入った焼きソバ風、デザートもクレマ・カタラーナ(カタルーニャ風クリーム)であり、 味はまずまずである。大皿一杯の野菜サラダが嬉しい。
15:15バレンシアに向けて出発、途中SA(AUTOGRILL)で休憩した時にミネラルウォーターを買い、苦いコーヒーを飲む。ミネラルウオーターは1.5リットルペットボトルが1.35ユーロ(200円)、ビール小瓶が1.9ユーロ(280円)、ガソリンも1リットル1ユーロなので結構物価は高い。バレンシアが近くなると赤茶けた大地が広がりだす。暗くなった空を眺めると、今日は満月である。19:50ホリディ・イン・バレンシア(3つ星)到着、同じ旅行会社のバッジを着けたグループが他に2組いる。アメリカ系ホテルなので部屋に電気ポットとコーヒーが置いてある。一服した後、近くの”BAR MARI”に夕食に行く。地元の人が利用するローカルな店であるが、料理もローカルである。旅程表 には「ソパデアホと魚料理をお楽しみください」なんて書いて
あるのでついつい期待してしまう。その実態はニンニクスープ(ソパデアホはスペイン語でニンニクのスープの意味)とメザシのフライである。「あれ、これだけ」という感じ、まるごと1個のバレンシアオレンジが出てあっさりおしまいになる。まあギリギリツアーではこんなものであろう。ビールを飲むと、ハイネケンの現地生産品(あるいは輸入品?)AMSTEL、あまり美味しくない。スペインはやはりワインの国である。
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ポンペイの考古地区 / 帰国
2004年12月10日(金) 5:15起床、実質的には今日が最終日である。7:00朝食、フルーツサラダやホットチョコレートが嬉しい。
7:30バスでポンペイ遺跡観光に出発、一人15,000円のオプショナルツアーであるが、参加者は34名中22名、皆買物は済んだようである。ポンペイまでは南へ230㎞、片道3時間の行程である。 高速道路の制限速度はバスが100km、乗用車は130kmであるが、まるでミズスマシのように走行レーンを右に左に変更する車が多い。我々のバスまで同様でカーレースさながら、冷や冷やドキドキの連続である。カッシーノ山(標高2,400m)を左に見ながら、太陽高速道1号線を南下する。途中有名なアッピア街道に出合うが、両側が傘松並木の幅1mほどの細い道である。ヴェスビオス火山(1,281m)が見えてくる。主峰は浅間山によく似ている。
最後の噴火は1944年であるが、およそ50年毎に噴火を繰り返しているとのこと、そろそろかもしれずきょうは命懸けの観光になる。山麓から中腹にかけて沢山の民家が建っている。 何を好んであんな危うい所に住むのか知らないが、マフィアに関係する人々とのこと、避難のための道路が盛んに建設されている。 10:30ポンペイ着、2,000年前の古代都市が昔のまま地中から掘り出されて眼前にある。毎年200万人訪れる観光客のうち30万人が日本人とのこと、一日平均1,000人?である。神殿、貴族館、商店街、遊郭、浴場、居酒屋、円形劇場、井戸、石臼、 踏み石、馬繋ぎ石、馬車の轍の跡など、古代の人々の暮らしが良く判る。 12:00遺跡近くのレストランで昼食、貝スパゲッティ、シーフードフリッター、パンに小粒オレンジのメニューで今回一番の美味、イタリア料理を少し見直す。帰路、エルコラーノの街のカメオ専門店ドナディオに寄る。 カメオの材料はチョコレート色とオレンジ色の2種類の法螺貝で、前者の方が高級である。イタリア旅行の記念に740ユーロの品を一個購入する。妻は嬉しそうであるが、たかが貝細工が10万円もするかと思うと騙されたようで釈然としない。ナポリは車窓から観光しただけ、沖合にカプリ島が見える。雨の高速道を走り、18:00アルドブランデスキホテルに戻る。
12月11日(土)・12日(日) 5:15起床、荷造りし帰る準備である。スーツケースをドアの外に出し7:00から朝食、
白パンやクロワッサンを食べジュース、チョコレートミルク、コーヒーを飲む。 イタリアは夕食より朝食の方が美味しい(?)。8:30出発、9:00にはレオナルド・ダビンチ空港に到着する。FINN AIRのカウンターでチェックインし、スーツケースを預ける。免税品はパスポート、搭乗券、TR(Tax Refund)書類と4点セットでTRカウンターへ持って行き検品、検印してもらう。それにしてもTR書類は青、黄、白と何種類もあり、ポストにその場で投函するもの、成田まで持参するものに分れる。素人はお手上げである。わざと複雑にして税金を返さぬ積りではとついつい勘ぐりたくなる。AY782便に乗り込み、時計の針を1時間進める。12:34離陸、機はアペニン山脈を越え、雪嶺がずらりと並ぶヨーロッパアルプスを越える。15:40ヘルシンキ空港着陸、既に薄暮が迫る。成田行きへの乗り換え時間を利用して空港内で最後の買物をする。トナカイのサラミソーセージ、スモークサーモンにスモークトラウト、コケモモのジャムなど買ってユーロを使い切る。17:00 AY73便に乗り込む。あと9時間の辛抱である。(完)
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ローマの歴史地区・ヴァチカン市国
2004年12月9日(木) 4:30起床、昨夜はお湯が出ずそのまま寝てしまったので、先ず朝風呂に入る。ここは日本のH旅行会社御用達のホテルとみえて、我々以外にも色違いのツアーバッジを下げた団体客が何組もいる。
9:00ローマに向け出発、道中糸杉や傘松、オリーブ林やブドウ畑が車窓を流れる。10:30雑貨店で休憩、トリュフ入りチョコレート、カラスミ、ハム・ソーセージ、ワインなど土産用食糧品を売っている。皆の買い物意欲は衰えず、次々と買い漁る。 カラスミを試食、日本製品に較べるとコクがない。ローマのシンボルツリーは傘松(地中海性松)とのこと、樹冠が丸くこんもりと繁り、葉針が長い。松喰い虫の被害が無いのか、樹勢盛んである。ローマ市街を囲む3世紀の城壁を眺めながら、昼食会場のピザ屋へ向う。陽光燦燦と降り注ぎ、汗ばむような陽気になる。 昼食メニューはピザ(カプリチョーサ)丸ごと一枚に生ハム、そして白ワインとジェラートである。
ピザにはペペロンチーノ(オリーブ油に刻み唐辛子を浸したもの)をかけて食べたが、タバスコよりずっと辛い。ローマの白ワインの味もいまいち、更に口直しにエスプレッソを飲むとこれが苦い。ローマ市内見物は先ずコロッセオからスタート、2,000年前に建造された円形闘技場である。 傍らにはコンスタンティヌスの凱旋門が建つ。サンタ・マリア・マッジョーレ教会、統一記念堂、ローマ市庁舎、フォロ・ローマなどは車窓からの見物である。テヴェレ川を渡ってヴァチカン市国に入る。 サン・ピエトロ広場は140人の聖人像に囲まれ厳かな雰囲気である。スイスの衛兵が守るサン・ピエトロ大聖堂に入る。カトリック教の大本山、イタリア一の規模を誇る大聖堂である。ハイライトは、ミケランジェロ23歳時の傑作、ピエタ像であるが、
他にも金銀をふんだんに使用したモザイク画や大理石の彫刻などで天井、壁、床が埋め尽くされている。贅の限りを尽くした建物である。全世界に6億人の信徒を持つ宗教力にすっかり圧倒されてバスに戻り、トレビノ泉とスペイン広場の見物に行く。どちらも人、人、人で大混雑、けれどもヘップバーンのような美人はどこにもいない。「ローマの休日」は1953年の映画、時間が経ち過ぎている。夕食はレストランBAIA、メニューはパスタ(ペンネ・アラビアータ)、子牛ローストにフルーツポンチ、どうも味はいまひとつである。だんだんイタリア料理不信の気持が募る。21:10今宵の宿アルドブランデスキホテルに到着、214号室は内装が明るく清潔で今回の旅のベストホテルである。ただし周囲は真っ暗で何も無いところ、それでも部屋代を見ると206ユーロもする。(続く)
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フィレンツェの歴史地区・ピサのドゥオーモ広場
2004年12月8日(水) 5:30起床、モーニングコールは7:00であるが目が覚めてしまう。未だ外は暗い。
クロワッサンとコーヒーの簡素な朝食を済ませ9:00出発。フィレンツェ市内に入る道路にはゲートが設けてあり、 観光バスはそこで一台当り2~3万円の観光料金を払わねばならない。 先ずフィレンツェ市内を一望するミケランジェロの丘に上る。オレンジ色の甍が連なる町並みと中心のドゥオーモが見える。TVや雑誌でお馴染の光景である。バスは街中に入れず、随分手前の駐車場で降ろされる。シニョーリア広場、ウフィツィ美術館、ヴェッキオ橋、ドゥオーモなど市内を歩いて見物する。皮製品の工房と販売の店がずらりと並び、大道芸人や絵描きが沢山いる。サン・ジョバンニ洗礼堂の扉、天国の門(ギベルディ作)の前で記念写真を撮り、午後オプションのピサ観光に出掛ける組はレストランで早い昼食をとる。
味はやはりサイゼリアの勝ち。13:30北西80kmのピサ観光にバスで出発する。我々のグループ34名中の12名に、同じ旅行会社の別グループから20名ほどが加わった混成団である。天気は下り坂、次第に雲が厚くなる。車窓からアペニン山脈の形の良い山々を眺める。 14:40ピサ到着、バスは市街地手前の駐車場止まり、パーク&ライド方式である。シャトルバスに乗り換えてピサの広場へ行き、洗礼堂、ドゥオーモ、斜塔を見物する。斜塔の傾斜は5度とのことであるが、もっと傾いているように見える。内部見学には15日前の予約が必要との事であるが、結構塔上に登っている人が多い。大聖堂や洗礼堂の外壁は他国との戦争で勝利した時の戦利品らしく、よく見ると文字が残ったままの大理石を寄木のように組み合わせてある。観光地にはジプシーが多く、スリや置き引きの被害が絶えないとのこと、皆胸の前に自分のバッグをしっかり抱きしめる。18:00フィレンツェの街に戻り、ドゥオーモ広場で一旦解散になる。再集合まで街を散策し、本場のジェラートを食べる。夕食は香港大酒楼なる店、未だイタリア料理の真髄を味わっていないというのに何故か中華料理である。食事を済ませて外へ出ると雨、今回の旅で初めての本格的な降雨である。再びバスに乗り、連泊のパレスホテルに戻る。21:00着。(続く)
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ヴェネツィア観光
2004年12月7日(火) 5:00起床。
M氏から今日のスケジュール届く。毎朝手書きのA4一枚、ドアの下に入れてある。 実にまめな添乗員である。7:30から朝食、クロワッサンにハム、ヨーグルト、ジュース、コーヒーが付き夕食より美味い。8:30出発、冬のイタリアは雨が多い筈であるが今日も好天、幸運である。 映画祭で有名なリド島行きフェリー発着場があるトロンケットなる船着場へ向う。海の中道のような長大橋道路を走り、水上バス(ヴァポレット)に乗り換える。ウミウやカモメの遊ぶアドリア海を進むこと20分、12年ぶりにヴェネツィア本島に上陸する。早速ゴンドラ乗り、6人乗りで62ユーロが相場である。船頭は時々
美声を聴かせながら、迷路のような細い水路を静かに流していく。家々の汚水が垂れ流しなのか、残念ながら水色は美しくない。 下船してサン・マルコ広場見物、1966年の高潮では潮位が1m32㎝も上昇し広場は完全に水没したとのこと、そのときの水位が建物に刻まれている。観光が生命線のヴェネツィアにとって地球温暖化は脅威である。サン・マルコ寺院に入ると、内部は黄金4屯とヴェネツィアガラスを使ったモザイクで埋め尽くされている。色大理石もふんだんに使われており、まさに豪華絢爛である。「嘆きの橋」で記念撮影に収まると、後は2時間余の自由時間となる。「リアルト橋」を
目指して名品店街を行く。ヴェネツィアグラスや仮面を売る店が多い。 値段はピンキリで中国製の偽物も多いとか、12年前に皮鞄を購入した店も健在である。 リアルト橋は大運河に最初に架けられた橋であるが、山型の形状が美しい。街中で見つけたKING BURGERで昼食、ビーフのクレープ包みを食べる。家人も場慣れしてきてティラミスやフルーツサラダを買ってくる。サン・マルコ寺院に再び入って、二階のバルコニー(ロッジア)を見物してから集合場所に行く。同じツアーの女性達は、EENDI、GUCCI、PRADAなどブランド品の大袋を抱えて、
皆満足そうに戻ってくる。午後2時、サン・マルコ広場に大鐘楼の鐘の音が鳴り響く。再び水上バスに乗り、朝のバスに戻る。フィレンツェ郊外のプラトという町にあるホテル・パレスにチェックインしたのは18:30、すっかり日が暮れる。今日は夕食が付かないので、皆で近くのスーパーへ食料の買出しに行く。ギリギリツアーの面目躍如というか、本領発揮である。果物や野菜は量り売り、自分で好きなだけ袋に入れ、秤にかけて商品ボタンを押すと、値段がプリントされたラベルが出てくる。それを袋に貼り付けて、レジに持参しお金を払えばよい。全般に食料品は日本より安い。柿やプルーン、それにBACIのチョコレートも購入してホテルに戻る。(続く)
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イタリア周遊8日間 / ミラノ&ヴェローナ市内観光
2004年12月5日(日) 低気圧が台風並みに発達し夜半から大嵐となる。7:32のバスで南柏駅へ行く。風雨は収まったが、
架線に倒木あるとのことで常磐線も成田線も不通、やむなく成田空港までタクシーを飛ばす。 いきなり出鼻をくじかれるが、何とか9:50の集合時刻に間に合う。添乗員はM氏で34名のツアーである。11:55発AY074便に乗り込む。ヘルシンキまで7,837km、9時間のフライトである。 時計を7時間遅らせる。12:30漸く離陸、長い道中を日経、朝日、読売3紙と司馬良太郎の「燃えよ剣」を読んでやり過ごす。 機内食は14:00と20:30の2回出るが、その後のトイレ争いが激しい。21:40(現地時間14:40)定刻通りヘルシンキ国際空港に着陸、サンタの服を着た可愛い子供達が出迎えてくれる。ミラノ行きAY795便に乗り継ぐ。外は既に薄暗い(外気温6度)。16:15離陸、さらに時計を1時間遅らせる。南西方向に飛ぶので太陽が沈むのに追いつき、夕焼けが見えてくる。 3度目の機内食はハンバーグ、やはり味はいまいちである。ミラノは大都会、
上空から100万ユーロの夜景を眺める。18:00着陸(日本時間2:00)、自宅を出発してから僅か19時間でミラノに居る。地球は狭くなったものである。欧州は7年振りであるがEUになって入国手続きも簡単、空港からバスで50分のリパモンテホテルに20:00チェックインする。
12月6日(月) 4:45起床、夜中に何回も目が覚める。このホテルには我々を含め日本人団体3組が泊まっており日本人ツアー客専用宿である。7:00バッグを廊下へ出して朝食に行く。 オートミール、パン、牛乳にコーヒーの簡素なもの、
イタリア人の朝食は実に質素なものらしい。イタリア第二の都市ミラノの人口は150万人、日本企業の進出が盛んで日本人も2,000人住んでいる。 先ずスフォルツェスコ城見物 、ミラノ最大のルネサンス建造物とのことで堂々たる城である。市内の壁はイタズラ書きが目立ち、街は汚い。ソフィアローレン主演の「ひまわり」に出てくるミラノ中央駅を車窓から眺めて、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)ヘ向かう。イタリアのゴシック建築を代表する最高傑作で、1386年の着工から完成まで500年を要したという壮大な建物である。 そこで2時間の自由行動となり、ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(十字型アーケード)を抜けてスカラ座見物に行く。プラダ店で娘と嫁に財布
を買うと400ユーロが消える。ドゥオーモの屋上に階段で登る。石段の狭い通路で、白衣観音の胎内巡りに比べると殺風景で何の味付けもない。体が冷えてきたので向い側の百貨店に入りトイレを捜す。トイレは4階と7階の2箇所にしかなく長蛇の列、イタリアは公衆トイレが少なく不便きわまる。 イタリア人はBARに入ってカプチーノを頼みトイレを済ませるとのこと、もちろんその方がスマートに決まっている。13:10バスに戻ってヴェローナへ向う。高速道の両側にはブドウ畑が広がる。 15:00ドライブイン(AUTOGRILL)でトイレ休憩、有料で50セントである。ピザを買うと半径30㎝もあり
、4分の1枚が3ユーロである。先ずレジでお金を払い、レシートを持ってカウンターに行くと焼いてくれる。マルゲリータの具は少なく、やたらに歯応えがある。 ヴェローナ市内はロミオとジュリエットの舞台、15:55~17:15の間散策する。ロミオの家、スカラ家の廟、シニョーリ広場、エルベ広場、ジュリエットの家、アレーナなどを見物する。ジュリエット像は、その胸に触ると幸運に恵まれるとかで、ふくらみがピカピカである。19:00今宵の宿アレキサンダーホテルに入る。夕食はラザニア、サーモンステーキ、サラダにアイスクリーム、飲み物はワインを頼んだが、お世辞にも美味とはいえない。サイゼリアやらんぷりーるの方がまだ美味い。(続く)
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