関門海峡の両岸地ビール

P30100012017年2月22日(水) 関門海峡の両岸で地ビールを買ってきました。

1本は門司港レトロ散歩中に見つけた門司港地ビール工房・ペールエール、小瓶330ミリリットル容が540円、製造・販売は門司港レトロビール株式会社(北九州市小倉北区赤坂海岸9-11)、アルコール分5.5%の麦芽100%ビールです。

もう1本は下関市のカモンワーフで見つけた源平壇ノ浦ピルスナー、小瓶330ミリリットル容が540円、製造・販売は山口地ビール株式会社(山口市大字下小鯖1360-4)、アルコール分5%の麦芽100%ビールです。

さて、どちらに軍配が上がりますか。

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瑠璃光寺(山口市)

P22104452017年2月21日(火) 保寧山・瑠璃光寺(ほねいざん・るりこうじ)の所在地は山口市香山町7-1、曹洞宗の寺院で本尊は薬師如来。文明三年(1471)、陶氏七代陶弘房の菩提を弔うために夫人が山口市仁保に創建したのが始まり。毛利氏の萩移封に伴い、現在地にあった大内義弘建立の香積寺を萩に引寺したため、元禄三年(1690)、瑠璃光寺が跡地に移転してきて現在に至る。大内文化の最高傑作と云われる国宝・五重塔は、室町時代の嘉吉二年(1442)頃の建立、大内義弘の菩提を弔うため、弟である大内盛見が現在地に建設を始め、盛見の死後10年を経て完成した。
15:30長州苑瑠璃光寺店駐車場でバスを降りる。瑠璃光寺の境内である香山公園に入り、国宝の五重塔を池越しに眺める。端正な姿形の品の良い五重塔である。京都の醍醐寺、奈良の法隆寺のものと並び、日本三名塔の一つに数えられることもあるというが素直に納得、まあ東北県人としては、出羽・羽黒山の五重塔も加え四名塔として欲しい気もするが・・。「露山堂・枕流亭」を横目に眺めながら、「うぐいす張りの石畳」P2210441へ進み手を叩いて反響を確かめる。毛利家十三代敬親公夫妻、十四代元徳公夫妻、十五代元昭公夫妻が眠る国指定史跡の「萩藩主毛利家墓所」を見学、本堂で御本尊薬師如来にお参りし、更に水かけ地蔵にもお参りする。五重塔を真下から眺めてから池巡り、若山牧水の歌碑「はつ夏の山のなかなるふる寺の古塔のもとに立てる旅人」(明治四十年六月詠)と、司馬遼太郎作の「街道をゆく」の一節『「長州はいい塔をもっている」と惚れぼれするおもいであった・・』の石碑が建ててある。帰ったらもう一度「街道をゆく 1 長州路ほか」を読んでみよう。長州苑で夏みかんキャラメルとあん桜を購入P2210463すると観光終了、新山口駅へ送ってもらい、この3日間お世話になった防長観光バス運転手の山下さん、ガイドの中野さんと別れる。17:40のぞみ54号乗車、14号車の15A、15B席に座る。早速、駅弁を開き、夫婦あなごめしと山のおべんとうを食べる。車中の暇つぶしに、イヴォ・アンドリッチ著「ドリナの橋」を読み、バルカン半島旅行の思い出に浸る。22:13東京駅着、23:45無事帰宅。

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雪舟庭で出逢ったきのこ 

420170221p22104122017年2月21日(火) 常栄寺の雪舟庭の池の周りを散歩したら、筆塚の手前に並べてあった椅子代りと思われる広葉樹の玉切りに、センボンクヌギタケが発生していました。

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常栄寺(山口市)

2017年2月21日(火) 香山・常栄寺(こうざん・じょうえいじ)の所在地は山口市宮野下2001、臨済宗東福寺派の寺院で本尊は千手観世音菩薩。永禄六年(1563)毛利元就が息子P2210396隆元の菩提を弔うために、竺雲慧心を開山として、安芸国吉田に創建したのが始まり。その後、毛利氏の萩移封に伴い、慶長年間(1596-1615)山口市水の上町に移し国清寺と合寺、更に文久三年(1863)山口市宮野下に移り、大内政弘別邸跡にあった妙寿寺を合寺、現在に至る。大内政弘は明から帰朝した雪舟を招いて北側の後庭を造らせたと伝えられ、これが現在も残る名園、国の史跡並びに名勝「常栄寺庭園」(通称雪舟庭)である。
弥栄神社参拝を済ませ大急ぎで沙羅の木に戻る。松韻亭に上がり、国の登録記念物の庭園を眺めながら、予約しておいたコーヒーセット(特選ブレンドコーヒーに自家製源氏巻付)をいただく。コーヒーは香りが高くまろやかな味わいで絶品。仲居さんの話では、アンアン、ノンノ時代の萩・津和野ブームは完全に去り、観光客が減少して厳しいとのこと、リピーターが期待できないところは今後益々難しいかも。13:50津和野を後にし、最後の観光地山口市へ。国道9号線を走る。リンゴの駅徳佐(ダチョウ牧場併設)を過ぎ木P2210405戸山トンネルを抜けて、14:50常栄寺駐車場着。鐘楼門をくぐり、明治天皇宿泊の間(昭和42年当山に移築)を見学、本堂に上ってご本尊の千手観世音菩薩にお参りしてから、北側の雪舟庭、南側の南溟庭(なんめいてい)を見学する。雪舟庭は池泉回遊式庭園で、中央に心字池、枯山水と枯滝を配して雪舟の水墨画の世界を表現したものといわれるが、門外漢の自分には庭園の素晴らしさがいまいちよく分からない。庭に降りて心字池を一周する遊歩道を歩き、雪舟の筆塚や大内政弘公母君妙喜寺殿の墓などを見学、広葉樹の玉切りに発生したセンボンクヌギタケを見つける。次は瑠璃光寺へ。

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弥栄神社(津和野町)

P22103852017年2月21日(火) 弥栄神社(やさかじんじゃ)の所在地は、島根県鹿足郡津和野町後田67番地、津和野川河畔に鎮座する。祭神は須佐之男命。正長元年(1428)、三本松城主吉見氏が祇園社の分霊を太鼓谷山に勧請したのが始めとされる。永享九年(1437)吉見弘信が社地を下元原(現在地)に遷座し、三本松城の鬼門を守る社とした。創建時より「滝本祇園社」という社名であり、現在の社名に改めたのは慶応三年(1867)のことである。毎年祇園祭の7月20日(ご神幸の日)と27日(ご還幸の日)に行われる国の重要無形民俗文化財・鷺舞は弥栄神社の神事。
P2210388太鼓谷稲成神社にお参りしたのち、再び千本鳥居が林立する表参道の石段を下り、麓にある弥栄神社にお参りする。社殿の傍らに津和野町指定天然記念物、御神木の「弥栄神社の大欅(ケヤキ)」が生えている。樹齢は六百年以上、樹幹におおきな洞ができているが、樹勢今なお盛んな様子。時間が押してきたので、注文しておいたコーヒーを飲み損なっては勿体ないと、集合場所の沙羅の木へ急ぐ。

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太鼓谷稲成神社(津和野町)

2017年2月21日(火) 太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)の所在地は、島根県鹿足郡津和野町後田409番地。祭神は宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)。安永二年(1773)、津和野藩七代藩主亀井矩貞が京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請し、三本木城(津P2210359和野城)の鬼門に当る太鼓谷の峰に社を創建したのが始まり。今では中国地方有数の稲荷神社となり、「日本五大稲荷」と称している(他の4社は、京都市伏見区・伏見稲荷大社、茨木県笠間市・笠間稲荷、宮城県岩沼市・竹駒神社、佐賀県鹿島市・祐徳稲荷神社)。また全国に三万有余ある稲荷社の中で「稲成」の字を当てるのは当社の一社のみ(昨日、参拝した長門市の元乃隅稲成神社をカウントすれば二社)。
沙羅木を出て殿町通りを大橋まで戻り、弥栄神社の境内を通り、千本鳥居(実際には1170本あるとのこと)が連立する表参P2210374道へ。津和野川の河岸段丘斜面に取り付けられた参道は雷光型に山上へと続く。いきなりの急な石段登りに息が切れる。津和野川の流れと町並みを見下ろすテラスに出るとゴールは近い。山上広場には朱塗りの華麗な社殿が建ち並ぶ。正面の本殿は昭和44年(1969)の竣工、年間100万人以上の参拝客を誇る社だけあってさすがに豪壮なものである。拝殿にお参りし、本殿の後ろへ回って奥宮にお参りし、更に右手高処の元宮にもお参りする。これであっけなく津和野観光は終了、森鴎外記念館や西周旧居、津和野城址へも行ってみたかったが・・、まあ近くに島根県内最高峰の安蔵地山(標高1263m)もあることだし、登山がてら又来よう。

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津和野町散歩

P2210353_22017年2月21日(火) 11:10松陰神社を後に津和野へ向かう。峠越えの道、萩・津和野線(県道11号線)を走る。信号がない上に走る車も少ない。むつみ(鍛冶屋)で左折、県道13号線に入る。臙脂色の石州瓦を乗せた民家が印象的、道の駅うり坊の里を過ぎると間もなく、山口・島根県境にさしかかり津和野町に入る。12:20食堂兼土産物屋の沙羅の木駐車場に到着。早速、沙羅の木の男性スタッフ?に引率されて殿町通りを見学する。定番の堀割に泳ぐジャンボ鯉、水が濁っているし、水温が低いせいで動きも鈍い。津和野カトリック教会、津和野町役場津和野庁舎、多胡家老門、藩校養老館(保存修繕工事中)、津和野川に架かる大橋の橋詰に建つ鷺舞像まで。鷺舞像から引き返し沙羅の木に戻る。予め昼食を注文していた人は沙羅木の食堂へ、フリー食の人は出発時刻の13:50までフリータイム。我々は来る途中のバスの中でパンをかじり昼を済ませたので、日本五代稲荷の一つ、太鼓谷稲成神社へお参りに行く。

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松陰神社(萩市)

P22103222017年2月21日(火) 松陰神社の所在地は、萩市椿東1537番地。祭神は吉田松陰。明治二十三年(1890)、松陰の実家・杉家の邸内に、実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を神体として祀ったのが始まり。明治四十年(1907)、松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守宮崎八幡の拝殿を現在地に移築して土蔵造りの本殿に付し、同時に県社に列格した。現在の社殿は昭和三十年(1955)の再建。
萩城城下町を後にし、松陰神社へ行く前に村田蒲鉾店に立ち寄る。板カマボコと竹輪を試食、どちらも香ばしく美味しい。高P2210310級魚エソすり身100%の「村次郎」とフグ皮入りカマボコを薦められたがパス。10:30松陰神社駐車場でバスを降りる。境内で、明治維新胎動の地石碑、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録された松下村塾、松陰幽囚の旧宅、孝行竹、天皇陛下・皇后陛下行幸啓碑(平成六年11月19日)、皇太子殿下・妃殿下行啓碑(平成五年7月27日)などを見学してから、松陰神社と、その北隣の松門神社にお参りする。松門神社は松陰神社の旧社殿を移築し、久坂玄瑞、高杉晋作ら塾生・門下生の52柱を祀っている末社。

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世界遺産・萩城城下町散歩(萩市)

2017年2月21日(火) 8:30萩観光ホテルを出発、8:55萩城城下町近くの市営駐車場でバスをP2210261降りる。萩市(人口48,000人)は毛利氏36万石、13代260年間続いた城下町、関ヶ原の合戦に敗れ120万石から36万石に減封された毛利氏が居城を構えたところである。東北地方でいえば、上杉氏の城下町米沢市(人口87,000人)といったところか。萩城城下町は国の指定史跡に登録されており、碁盤目状に区画された町筋が今もそのまま残り、江戸時代の面影をとどめている。慶安橋を渡り、土塀が美しい江戸屋横丁を南から北へ歩く。高杉晋作・伊藤博文両公幼年勉学之所の看板を掲げた円政寺、藩医で蘭学者の青木周弼旧宅(安政六年・1859年築)、木戸孝允(桂小五郎)旧宅を外から眺め、呉服町P2210300すじ(御成道)へ出る。呉服町筋を東から西へ歩き、伊勢屋横丁を左に見送り、国指定重要文化財・菊屋家住宅の前を通り、日本の道百選に選ばれたなまこ壁が美しい菊屋横丁の北の角へ出て解散、10:00バス集合までフリータイム。せっかくなので御用商人の豪邸・菊屋家住宅(入場料600円)に入り内部見学。主屋(17世紀前期築)、本蔵、金蔵、釜場、米蔵(各々18~19世紀築)の5棟が重要文化財で、本蔵と金蔵は写真撮影禁止、米蔵は非公開。御成門、庭園、本屋内の帳場、電話室、御小用場、柱時計(百年以上現役!)、美術品や民具類(遠眼鏡、鉄扇、馬柄杓、陣笠、短筒、尺八、法螺貝、琵琶、短刀(一文字吉平、1250年頃)、長州鍔、雛人形)を順路に従い見学する。釜場には、仙台の我が家で今も使っている竹製椀篭が展示してある。本蔵と金蔵も見学してから退館、菊屋横丁を北から南へ歩き、長大ななまこ壁を眺め、人間国宝・三輪壽雪(1910-2012)の萩焼き作品が展示してあるという彩陶庵、高杉晋作誕生地、晋作広場の高杉晋作像に立ち寄りながらぶらぶら、9:55バスに戻る。次は松陰神社へ。

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厳島神社(萩市)

P22102372017年2月21日(火) 厳島神社(厳島大明神とも、以前は越ヶ浜明神社とも呼ばれた)の所在地は、山口県萩市越ヶ浜4区(萩市椿東6476)、明神池の池畔に鎮座する。祭神は、素戔嗚尊の娘である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫尊(たぎつひめのみこと)の三女神。毛利二代藩主綱広公の時代、安芸国宮島より厳島大神をこの地に勧請し、越ヶ浜地区の氏神様として祭祀、現在に至る。
ホテルで朝食を食べた後、腹ごなしに近所の散策に出る。5分ほど下ると、明神池に出る。もとは島だった笠山が潮流が運P2210234ぶ砂や火山の溶岩で陸続きになったときに、埋め残されてできたる鹹水湖で、今も溶岩の隙間から海に通じているため、鯛、ボラ、チヌ、メバル、エイなど約20種類の海の魚が生息し、学術的にも貴重なものとして国の天然記念物に指定されている。池自体は何の変哲もなく、特別に風光明媚ということでもない。池畔にある風穴を見学、12~13℃という涼しい風が吹き抜け、夏なら天然クーラーが楽しめる場所らしいが、今は全く分からない。その先に三条実美の歌碑「この国の濁らぬ水にすむ魚は游ふさまさへ勇ましきかな」が建つ。橋を渡って厳島神社にお参りし、ホテルに戻る。

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