男みちのく五能線

2009年9月4日(金) 5:00、地区のDsc08637チャイムで目が覚める。田舎の朝は早い。今日は五能線に乗って仙台に帰るだけであるが、一度ゆっくり訪れて十二湖巡りなどやってみたいもの。朝食の膳には、 魚の照焼き、イカの塩辛、ワラビの漬物、モロヘイヤのお浸し、きのこ汁など一般のホテル泊では味わえない家庭料理が並ぶ。8:30お土産にアオサノリと昼食用のお握りをもらい、十二湖駅へ車で送ってもらう(歩いても10分ほどか)。五能線下り弘前行きが到着すると、団体旅行客がぞろぞろ下りてくる。Dsc08653駅前には大型観光バス2台が待ち受けており、これから十二湖観光へ向かうのであろう。9:09発、車輌左側の座席に陣取る。五能線は鯵ヶ沢駅までは海岸に沿って走るので日本海を常時眺めることが出来るが、逆に海際から急激に立ち上がる白神山地は近過ぎるため拝めない。沿線風景は田畑が主で特にドラマチックな眺望が得られるわけではないが、目に優しい景色が続く。 9:40深浦駅着、深浦市は西津軽の中心地、江戸時代北前船の風待ち湊で栄えた街であるが、Dsc08659昨今の地方都市の例に漏れず元気がない。列車は景色の良い箇所にさしかかると何となくスピードを落としてくれるような気がする。ローカル線ならではの乗客サービスかも、JRも漸く民間会社らしくなったということであろう。 艫作(へなし)、驫木(とどろき)、風合瀬(かそせ)など 読み方の難しい駅名が多い。水森かおりが歌う「五能線」(作詞木下龍太郎、作曲弦哲也)に出てくるよ うな女人は車内に見当たらない。「どこへ行ったらあなたから旅立つことが出来るでしょうか Dsc08667残りの夢を詰め込んだ鞄を膝に列車旅 女みちのく五能線 窓いっぱいに日本海・・・」。五能線にはリゾートしらかみ号のような新型電車より、一、二輌編成の旧式電車のほうがよく似合う。途中から降雨、岩木山も雲に隠れ裾野しか見えない。鯵ヶ沢駅に到着すると日本海の景色ともお別れ、それにしても地方都市の寂れようは只事ではない。駅前といえども閑散、建物も人も皆くたびれていて全く活気がない。列車は広々とした津軽の野に出る。リンゴ畑も現れる。岩木川を渡ると間もなく五所川原駅に着く。Dsc08687今年の夏も五所川原名物の立佞武多(たちねぶた)が多くの観光客を魅了したことであろう。岩木山から漸く雲が取れる。あの山頂に立ったのは去年の夏のことであるが、遠い昔のように懐かしい。周りは見渡す限りのリンゴ園が続くようになる。たわわに実るリンゴは収穫を待つばかり、陸奥板柳駅前にはリンゴ用の大型冷蔵貯蔵庫も見える。12:14弘前駅に到着、3時間の五能線の旅が終わる。さほど旅情をかき立てられる訳でもなし、最果てという感じでもしないし、どちらかといえば平凡なローカル線である。まあ、本当の良さは途中下車し、不老ふ死温泉などに寄り道しないと分らないのであろう。昨年同様、駅ビル内のドトールコーヒーでアイス・バニラ・ラテを飲みながら休憩、序にもらったお握りを食べる。12:40の秋田行きに乗り13:28大館着、名物の明けがらすを土産に買い13:49発の花輪線盛岡行列車に乗り込む。

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博物館網走監獄

2009年7月1日(水) 5:00起床。夜中、Dsc07323雷雨があり突風が吹き荒れて外が騒がしい。朝も回復に至らず。温泉に入ってからロビーへ新聞を読みにいくと、TVが点かないの携帯電話が繋がらないのと大騒ぎ、 関連施設に落雷があったらしい。今日は観光には不向き、部屋でのんびりするしかなく、コーヒーを飲みながら司馬遼太郎の「戦雲の夢」を読む。雨が上ったので8:50ホテルをチェックアウト、とりあえず空港に近い網走へ向かう。再び本降りとなり、能取湖やサロマ湖行きを諦める。天都山にある博物館網走監獄へ。Dsc07265111:00着、鏡橋を渡って入館料一人1,050円を支払い、重厚な赤レンガの正門から中へ入る。見学順路に従い、庁舎、通用門、味噌・醤油蔵、裁判所法廷、休泊所、耕運庫、漬物庫、行刑資料館、二見ヶ丘農場を巡る。 二見ヶ丘農場庁舎内の食堂室では監獄食が600円で食べられる。麦飯(米7、麦3)とさんまの焼き魚定食であるが、記念にと食べている人が結構多い。網走刑務所といえば、昭和40年代の大ヒット映画シリーズ、高倉健主演の「網走番外地」(東映映画全18作)で一躍全国的に有名になった所であるが、館内には映画のポスターも貼られていないし、主題歌も流れていない。真面目な歴史博物館である。 「春に春に追われし花も散る 酒ひけ酒ひけ酒暮れて どうせ俺らの行く先は その名も網走番外地」、昭和も遠くなったものである。Dsc07324明治23年の開設時には網走だけでなく札幌や釧路にも監獄が置かれ、当初は主に政治犯が収容されていたらしい。道内の主要道路建設や農地開拓の労働力として酷使され、命を落とした受刑者も数多く、北海道の歴史を語る上で監獄の存在を抜きにすることは出来ない。更に、五翼放射状平屋舎房、浴場、煉瓦造り独居房、炭焼き小屋、懲罰房などを巡り、12:45見学を終える。オリックスレンタカーの女満別空港店へ行き車を返却すると4日間の走行距離は733㎞、SWIFTの燃費はリッター当り17㎞とまずまずである。空港売店で花畑牧場製の生キャラメルを追加購入してから、空弁を食べる。15:00 JAL1188便に搭乗、今年の北海道旅行も無事終わる。(完)

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野付半島原生花園で出逢った花

  写真上段左はエゾカンゾウ、右はヒオウギアヤメ、下段左はシコタンタンポポ、右はセンダイハギ。野付半島の原生花園にはセンダイハギが大群落をなし、エゾカンゾウやハマナスも多い。 今回は見かけなかったが、クロユリ(花期:5月末~6月中旬)、コケモモ(6月中旬~7月上旬)、ノハナショウブ(6月下旬~7月中旬)、ミツガシワ(6月下旬~7月上旬)も咲く。クロユリが平地で見られるとは、緯度の高い北海道ならではである。 Dsc07187 Dsc07209 Dsc07226   Dsc07178

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野付半島・納沙布岬

2009年6月30日(火) 6:00起床、九州は大雨、関東も雨、当地は幸い薄曇。6:30朝食、茹でジャガイモが絶品、前日同様納豆とシシャモでご飯を2杯食べる。それにしても、宿泊料金は決して安くないのに大食堂が満席の繁盛振り、好ましくも不思議である。Dsc07172 7:40出発、知床横断道路(R44)を走り知床峠に上る。峠は霧とガスで真っ白、何も見えない。これで三回目の訪れであるが景色が見えたためしがない。峠から下る途中、硫黄の匂いがぷんぷんする熊の湯に立ち寄る。無料の露天風呂があり、早朝から利用する人で賑わう。本州ナンバーのワンボックスカーが多く、車中に寝泊りし、露天風呂を梯子しながら北海道を巡る様子、昭和40年代の蟹族の進化形である。8:30羅臼町のヒカリゴケ洞窟(マッカウス洞窟)到着、近くに北海道八十八箇所霊場・羅臼山波切不動尊がある。国内最大のヒカリゴケ生息地とのことであるが、現在は落石事故防止のため金網フェンスに囲まれた一画しか見学できない。Dsc07314立ち位置を指定してあり、そこから薄暗い洞窟を覗いてみたが、どこをどう眺めても何も光らない(後日調べたところによると、フラッシュ撮影するとヒカリゴケの在りかが分るらしい)。勇を鼓して立入禁止の洞窟にも行ってみたが結果は同じ、雨まで降ってくる。傍らに松浦武四郎の歌碑が建つ。「仮寝する窟におふる石小菅 葦し菖蒲と見てこそはねめ」。安政五(1856)年、この洞窟に野宿して詠んだ歌である。ガスがかかり国後島は望めそうもないので望郷台をパス、野付半島へ向かう。 10:05野付半島の先端の竜神崎に着く。辺りは一面の原生花園で、今最も目立つのがセンダイハギの大群落、他にもエゾカンゾウ、エゾノシシウド、シコタンタンポポ、ハマナス、ヒオウギアヤメなどが咲き競う。野付崎燈台まで散策して最果ての花園を楽しむ。Uターンしてネイチャーセンターの駐車場に車を置き、トドワラ目指して歩く。遊歩道沿いにも原生花園が広がり、花を愛でながら40分の道程を歩く。外気温は10~12℃、関東なら真冬の気温でヤッケを持Dsc07315ってきて大正解、それでも体の心まで冷える。途中から雨も降り出す。長い木道を歩いて漸くトドワラの中心に到達するも、昔の写真に較べると林立していたトドマツ 枯木が減少し、荒涼感が大分減退している。この30年ほどの間に倒れたり腐食が進んだりした結果、根株ばかりがごろごろ横たわる。枯木の大部分は樹齢90~120年のトドマツで、樹齢150~170年のエゾマツも混在するとのこと、長い時間かかって砂嘴上に成立したトドマツ・エゾマツ混交林が、砂嘴の沈降や海面の上昇により枯木群に変化し、その枯木群も腐朽が進んで塩湿地性植物群落に置き換えられつつある。やがてこの景色も消滅してしまうのであろう。今日は天気が悪いせいか、名物の北海シマエビを獲る打瀬船は出漁していない。Dsc07320 鉛色の湖面を霧が覆う。道東は淋しい所である。夏でもこれでは冬はたまらない。それでもまばらに家が建ち、漁業を生業とする人間の暮らしがある。車に戻り納沙布岬へ向かう。途中、厚床町内のGSで給油してから厚床駅に立ち寄る。厚床駅は、41年前の北海道周遊旅行の際にホーム待合室に泊めてもらった所、昔の記憶はもはや定かでないが懐かしい。風連湖畔の道の駅スワン44根室で休憩し、14:45ようやく本土最東端の納沙布岬に着く。前回訪れたのは大学4年生の1968年8月16日、あれから随分時間が経ったものである。霧が立ち込め北方四島は全く見えない。岬も以前とは様変わり、何もなかった所に土産物屋が数軒建ち、望郷の家(1972年4月開設)や北方館(1980年8月開館)も建設されている。更に、1981年9月建立の巨大なモニュメント「四島のかけはし」も建つ。風が強く真冬のように寒い。北方館に入り北方領土返還要求書名簿に記名してから館内を見学する。2階に望遠鏡を備えた展望室と資料室があり、資料室には北方領土が歴史的に 日本固有の領土であることを証明する古文書や、1855年の日露通好条約(下田条約)のDsc07240写し等が展示されている。日魯通好条約第二ケ条には、『今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に存るへし 「エトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫より北方「クリル」諸島は魯西亜に属す 「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄往来の通たるへし』とある。元来は千島列島もカラフトも北海道も先住民族アイヌの土地、北方四島返還運動も大事であるが、それ以上にアイヌの人々の権利回復やアイヌ語を含めた伝統文化の尊重と振興に力を注ぐべきであろう。15:10遅くなったのでウトロへ引き返す。ウトロまではナビ表示で193㎞、日本最東端の学校という根室市立珸瑶瑁小学校を写真に収めてから往路を戻る。途中からとうとう本降り、帰りの知床峠も真っ白で何も見えない。18:45ようやくホテル到着、食堂へ直行する。食後、売店でお土産用に生キャラメルを5個予約、生憎花畑牧場製はなく知床産である。ブームに便乗して今では色々なブランドがある模様。それにしても12個入りで650円は高い。風呂上りに北海道限定ビールの北の職人・長熟を飲むうち、長距離ドライブの疲れが出て眠くなる。(続く)

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知床八景

2009年6月29日(月) 6:15起床、好天の兆し、空が明るい。朝食はシシャモと納豆をおかずにご飯を2杯食べる。 食後、宇登呂漁港へ行き知床観光船発着場の下見。Dsc07289_2 その序にオロンコ岩の頂上に登る。急な石段を登って頂上に出ると、そこはエゾキスゲ、エゾノシシウド、ヒオウギアヤメなどの花畑、四等三角点が置かれ、知床連山の眺めが素晴らしい。それもその筈、オロンコ岩は知床八景の一つに数えられている。他の七箇所は、オシンコシンの滝、プユニ岬、フレペの滝(乙女の涙)、知床五湖、カムイワッカ湯の滝、知床峠、夕陽台とのこと、今日は知床八景巡りを試みる。夕陽台はホテルの裏手なので歩いて行ってみる。丘陵の先端部にある展望台で眼下にウトロ漁港とオロンコ岩を望み、 その向こうに果てしないオホーツクの海が広がる。ウトロ夕照は後の楽しみとし、一旦ホテルに戻る。9:20再びホテルを出発しDsc07290ネットで予約しておいた知床観光船乗船へ。船着場にある町営駐車場は有料(400円)、不景気のせいかおおらかだった北海道もすっかり世知辛くなる。駐車場の傍らには、幕末の蝦夷探検家であり、北海道の名付け親でもある、松浦武四郎(1818-1888)の没後百周年の顕彰記念碑が建つ。翁の著作「知床日誌」にある「山にふし 海に浮寝の うき旅も 馴れれば馴れて 心やすけれ」の歌が刻まれている。10:00おーろら号乗船、以前網走港から乗った流氷観光船と同じ船、夏場は岬巡りに転用されている。展望デッキへ上り、進行方向右側Dsc07296のベンチに陣取る。天気晴朗で波静か、これ以上望めないほどの好日に恵まれる。但し、 午前中は逆光になるので写真撮影には不向き。出発して間もなく、半島の脊梁を形成する羅臼岳(1,661m)、三ッ峰(1,509m)、サシルイ岳(1,564m)、オチカバケ岳(1,450m)、知円別岳(1,544m)、硫黄山(1,563m)の知床連山が姿を現す。谷筋には未だ白く雪が残る。船が進むにつれて刻々連山の姿が変化する。知床半島のウトロ側(西岸)は断崖絶壁の連続、オホーツク海の風波に削られた海蝕断崖が岬の先端まで続く。おーろら号は定員400名の大型船なので崖際まで近寄Dsc07291ることはできないが、プユニ岬、湯の華の滝(男の涙)、岩尾別湾、オーバーハング、カムイワッカの滝と、見所に近寄っては離れる操船を繰り返す。 硫黄山航路(所要時間1時間30分、料金3,100円)はカムイワッカの滝を見た所で引き返すが、知床連山の眺めも海蝕断崖の見所もそこまでがハイライト、その先知床岬迄は景色が単調になるのと船旅に飽きるのとでやや退屈する。船内に、加藤登紀子が歌う「知床旅情」と、さとう宗幸が歌う「岩尾別旅情」が流れる。「北の涯知床の 吹く風はつめたく 波荒いオホーツクに 白いカモメはあそぶ 丘の上に咲く一輪の エゾニュDsc07294ーの花によれば 茜色の空に光る 小さな星ひとつ」。「岩尾別旅情」はさとう宗幸が未だ無名時代に、知床の岩尾別ユースホステルに宿泊した際に作った歌で、今もユースホステルで歌い継がれているそうな。同じ仙台出身で、 今では親類縁者だけに、どうしても肩入れしたくなる。「友と語る知床の 岩尾別の宿よ 静かに雨降る夜の 思い出はもう消えぬ ランプを見つめ彼の友と 旅の情うたえば 暗い夜の谷間へそっと 美わしく流れゆく」。ルシャ湾など断崖が切れて石浜となっている箇所には番屋が点在する。一帯は9月から11月にかけて鮭の好漁場とのこと。エンジンの振動が全身マッサージのようで心地好い。知床岬が近づくと、蛸岩、カシュニの滝、観音岩、眼鏡岩、獅子岩と奇岩怪石が立て続けに現れる。11:45知床岬に到達、北緯44度22分、Dsc07297_2東経145度20分の地である。岬の先端部分は台地状の草原で昭和38年建設の知床岬燈台が立つ。薄雲で国後島の島影は 望めない。暫らく岬の沖合に留まった船は、やがてUターンしウトロへ引き返す。 帰りは太陽が中天に昇り、写真を撮るには好条件となる。名所毎に往路と同じく接近と説明をしてくれるが、復路は船室に入り昼寝する人が多くなる。知床岬航路は所要時間3時間45分と長く、料金も6,500円と高いので、どうしても岬の先端を見てみたいと云う人以外には勧められない。13:50漸く宇登呂港帰着、車に戻ってカムイワッカ湯の滝へ向かう。R334から知床公園線に入り、カムイワッカ湯の滝と知床五湖との林道分岐に至ると、何故かカムイワッカ湯の滝・知床大橋方面はゲートで遮断されており通行止め、やむなく知床五湖へ。 知床五湖の駐車場(有料410円)に車を入れると、ヒグマが出没しているため今日は一湖と二湖のみ開放とのこと、昨日は駐車場にも出てきて遊歩道の全てがクローズだったらしい。事故があっては観光のDsc07305目玉に大打撃を受けるので、地元は神経質になっている。世界自然遺産も結局のところ商売道具であり、駐車場の一角には大規模物販店が建ち、広大な笹原の中に無粋な高架木道が遥か彼方まで延びる。 一湖(標高239m、面積1.8ha、周囲0.7㎞、水深3m)と二湖(標高239m、面積5.3ha、周囲1.5㎞、水深4m)を巡ってみたが、団体客がぞろぞろ声高に歩き神秘的雰囲気は 皆無、こんなことなら全面的に立入禁止にした方がよいのでは。もっとも、二湖に映る逆さ知床連山は美しい。帰路、羅臼岳登山口のある岩尾別温泉へ偵察に行く。道路沿いにエゾシカが頻々と出没し危なくて仕様がない。林道の終点に岩尾別温泉・ホテル地の涯が建つ。場所と名前に似つかわしくない近代的建造物である。日帰り入浴料は800円とのこと、これまた鄙には似合わない料金。傍らに無料の露天風呂があり、そちらの駐車スペースは満車である。 次はフレペの滝(乙女の涙)、ビジターセンターの駐車場に車を置き、往復2㎞、40分の林道を歩き始めると、先の林でヒグマDsc07312が出たとかで通行止め、公園管理官が安全を確認するまで待たされる。16:25漸く開放になり、問題の林を足早に通り抜けると、見渡す限りのワラビ原が現れる。太くて良質のワラビが起伏のある台地を隈なく覆っている。 本州では絶対見られない光景である。断崖の先端に四阿が建ち、そこからフレペの滝が眺められる。ウトロ燈台と知床連山を背景に、絶壁をさらさらと海に流下する滝は愛でるに値する。未だ明るいのでオシンコシンの滝へ行く。双美の滝とも称されるオシンコシンの滝は、いつ来ても水量が豊かで見ごたえがあり、日本百名瀑の名に恥じない。18:10ホテルに戻る。夕食は懐石料理、鮭のルイベ、カスベ(エイの頬肉)の煮付け、知床地鶏の鍋などを賞味する。(続く)

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小清水原生花園で出逢った花

上段左はエゾキスゲ、右はエゾスカシユリ、中段左はエゾノシシウド、右はハマエンドウ、下段左はハマナス、右はハマフウロ。個体数は物凄く多いが、種類は以外に少ない。 Dsc06983 Dsc06980 Dsc06995Dsc07000 Dsc06989 Dsc07005

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小清水原生花園

2009年6月28日(日) 羽田で7:55発のJAL1183便に乗り、9:46女満別空港着。オリックスレンタカー女満別空港店でスズキのSWIFTを借りる。走行距離1,029㎞の新車、やはり普通車は力がある。Dsc07282先ず天都山にある北海道立北方民族博物館へ。山中のハリエンジュの花が今頃満開、関東より1ヶ月以上季節の歩みが遅い。北方民族博物館には、東はグリーンランドのイヌイト(エスキモー)から西はスカンジナビアのサミ(ラップ)まで、広く北方諸民族の文物が展示されている。展示品は充実しており、その一つひとつに、酷寒の厳しい環境に適応して生きる極北の民の知恵と技とが凝縮されている。 次いで、オホーツク流氷館が建つ天都山頂へ。生憎のガスで何も見えず、直ぐ引き揚げる。R244を小清水原生花園へ向かう途中、藻琴にある網走海鮮市場に立ち寄り、シーフードレストラン・Dsc07284オホーツクで昼食、オホーツクラーメンと浜カニ飯を食べる。味付けはどちらも北海道らしくおおらかである。原生花園駅に隣接する道の駅の駐車場に車を入れ、遊歩道散策。花の時期に来るのは大学4年生の夏以来41年ぶり、懐かしい。濤沸湖畔で放牧馬が草を食む風景は昔と変わらないが、 道の駅「はなやか小清水」が開業し、駅舎もすっかり奇麗になる。今は、エゾキスゲ(ニッコウキスゲ)、エゾスカシユリ、ハマナスの花盛り、他にエゾノシシウド、ハマエンドウ、ハマフウロも花を付け、北の浜辺を華やかに彩る。「潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜薔薇(はまなす)よDsc07283  今年も咲けるや」、つい啄木の歌を口ずさむ。一輌だけの列車も風情がある。海辺へ出てみると「日本最北端の鳴り砂浜」看板が立つ。どこをどう歩いても少しも鳴らない。ホテルに入るのは未だ早いので、R102を使い藻琴山小清水高原展望台へ上る。藻琴山(1,000m)登山口があり、展望台の海抜が既に725mなので、1時間足らずで山頂に登れそうである。休憩舎の回廊から近くの屈斜路湖と硫黄山と摩周岳を眺める。 その左手には、斜里岳、海別岳、遠音別岳、羅臼岳も遠く連なる。オーパ!。帰りはR391で小清水経由ウトロへ。山岳道路にはエゾシカ、エゾタヌキ、キタキツネが現れる。さすがは北海道、ミニサDsc07288ファリも楽しめる。17:30ウトロの知床プリンスホテル風なみ季にチェックイン、ここは5年前に流氷を観に来た時も泊まった宿である。西館(旧館)の筈が、3連泊が効いたのか、南館(新館)に部屋を用意してくれる。714号室に入る。夕食は大食堂に於けるバイキング、ズワイガニ、タラバガニ、北海シマエビなどを食べる。大食堂が一杯になるほどの泊り客、結構繁盛している。食事の後で温泉へ入りに行く。入口の入浴注意事項を見ると、日本語、英語、中国語、韓国語に加えて、何とキリル文字のロシア語まである。先日のロシア旅行でさんざん悩まされた文字であるが、今となっては懐かしい。オホーツク海に面した漁港だけに、ロシア漁船がカニの水揚げに来て、ここに泊まる船員さんもいるのかも。温泉の泉質は重曹食塩泉でさらさら、完全放流式である。露天風呂に入ると、夜気が涼しく心地好い。(続く)

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赤城南面千本桜と磯部の百色桜

2009年4月10日(金)  6:00起床、朝一で森のこだまと翠の湯へ入りに行く。森のこだまは浴槽の底に玉石を敷き詰めた大露天風呂、滝見も楽しめる。翠の湯は花涌館という旧館の中にあり昔の湯治場の様、Dsc05441 浴槽の底に敷かれたスノコの下から自噴泉が湧き上る。四万たむらの7箇所の浴場巡りを完遂し満足。 7:30二階大食堂でバイキング方式の朝食、お客より従業員の方が多いのではと心配になるが、お陰でゆっくりできる。豆挽きドリップのコーヒーを2杯飲む。水質が良いせいか、コーヒーが実に旨い。9:30チェックアウト、記念に玄関を撮影してから四万たむらを後にする。先ず県天然記念物の四万の甌穴(おうけつ)に立ち寄る。大小8個の甌穴があると案内板に書かれているが、明瞭なものは1箇所のみ、それでも碧く澄む渓水は美しい。傍らの露店でお土産に名物の黒米の羊羹を購入する。10:45道の駅おのこ(小野子)で休憩、序にギョウジャニンニク、フキ、ヤマウド、ワラビ、里芋、泥ネギなどを購入する。どれも感激するほど安い。12:10宮城村Dsc05526の地の物直売休憩所、風の駅やげんじに車を駐める。 そこから500mほど歩き、電力中研に隣接する道路沿いに植えられた赤城南面千本桜を見物する。赤城南面千本桜は、平成2年3月、(財)日本さくらの会により「さくら名所百選の地」に選ばれている。今日は平日なので人出はさほどでもないが桜はちょうど見頃、赤城山へ向って真っ直ぐ延びる道路の両側は草地や菜の花畑が広がり、レジャーシートを持参すればのんびりと花見酒を楽しめる。又、道沿いの緩斜面に芝桜を植える「芝桜ひろげたい運動」も展開されており、近いうちにサクラと芝桜をダブルで楽しめる名所になるであろう。何と「菜の花摘み無料!」の看板が立つ。上州人はさすがに気風(きっぷ)が良い。こう(来)なくっちゃ。飛び交う言葉も訛り懐かしの上州弁とくれば余計嬉しくなる。Dsc05469 風の駅やげんじに戻り、駐車料金代りに地物野菜を買う。R50へ出て、佐野厄除け大師へ向う。 佐野厄除け大師は西新井大師、川崎大師とともに関東三大師のひとつ、正月三箇日には百万人以上の参拝客で賑わう。何度も側を通りながらお参りするのは今日が初めて。14:45佐野厄除け大師の境内駐車場に車を駐める。鐘楼に下がる黄金色の大梵鐘にまず吃驚、本堂を始めとする堂宇も負けず劣らず煌びやかである。佐野厄除け大師は寺号を春日岡山転法輪院惣宗官寺といい、天慶七年(944)奈良の僧、宥尊(ゆうそん)の開山である。慶長七年(1602)現在地に移転し、徳川時代には御朱印五十石を拝領し寺社奉行も置かれたとの事、葵の御紋がいたるところに飾られている。御本尊は如意輪観音と、そのDsc05537化身とされる元三大師(がんさんだいし)である。 本堂にお参りして車に戻る。R50を更に東に走り、16:50桜川市磯部の桜川公園に着く。この辺りは古来から磯部の百色桜として吉野に次ぐ桜の名所とされた所、国の史跡名勝に指定されており、茨城百景にも選ばれている。世阿弥作と伝えられる謡曲「桜川」はこの一帯を舞台にしたものといわれている。園内には数十種、約一千本の桜が植えられており、シロヤマザクラ11種(桜川匂、樺匂、初重櫻、初見櫻、大和櫻、源氏櫻、白雲櫻、薄毛櫻、青櫻、青毛櫻、梅鉢櫻)は国の天然記念物である。桜まつりは3月28日~4月15日、既に後半にさしかかり葉桜になりつつあるが、なだらかな丘陵地帯を彩る桜花の風情は格別である。今日一日の締めくくりは黄昏のR294ドライブ、順調に走り19:45無事帰宅。(完) 

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四万温泉

2009年4月9日(木) 9:30に自宅を出発し、妻と一泊二日の四万温泉旅行に出る。以前群馬県に9年間も住みながら四万温泉に宿泊したことはなく、今回は清水の舞台から飛び降りる積りで高級旅館を予約、まあ冥土の土産というところ。ETC車載器にカードを差し込み、外環道、関越道を走る。ETCレーンを初めて通過、なるほどスムースで気持ちがよい。11:00嵐山PAで休憩、Dsc05498 渋川ICで高速道を下り妻と運転を交代する。群馬県は第二の故郷、風景はどこもかしこも懐かしく、どの山の頂にも想い出がある。今日は外気温が25度もあり夏日となる。12:45四万温泉日向見無料駐車場着、先ず日向見薬師堂にお参りする。現在の御堂は、慶長三年(1598)伊勢国鹿目喜佐衛門が、真田信幸の武運長久を祈願して建てたものである。寺院建築としては県内唯一の国指定重要文化財であり、県内最古の建物である。こじんまりした御堂であるが、地元の人々に大事にされている様子が窺える。境内に斉藤茂吉(1882-1953)と品川弥二郎(1843-1900)の歌碑が立つ。「四万谷にしげりて生うる杉の樹は古葉をこめて秋ふかむなり」(茂吉)、「粥腹も四万の薬師のおかげにて強飯(こわめし)さへも五杯六盃」(弥二郎)。四万温泉の薬効を求めて、Dsc05509昔から文人墨客や政府要人が湯治に訪れたのであろう。 側にある足湯でくつろいでから、日向見川の畔に建つ無料共同浴場、御夢想の湯を覗いて見る。四万温泉発祥の地の看板が掲げてあり、最近建て替えられたばかり、真新しい。小さい浴槽はせいぜい2、3人しか入れないが、今時無料開放とは、地元の人々のおもてなしの心が嬉しい。次々と若人が入浴にやってくる。附近の樹々はやっと芽吹いたばかりで、シーズンオフの平日の温泉街に観光客の姿は殆ど無い。チェックインできる時刻まで間があるので、四万ダムと奥四万湖見物へ。湖水の色は目の覚めるようなコバルトブルーで今日の青空よりも碧い。とにかく神秘的な色である。 周囲の山々の雪は融けたばかりで、山頂部には雪が残る。Dsc0543114:15今宵の宿、四万たむらに入る。水涌館六階770号室は15畳の和室で広々、最上階なので温泉街の眺めが良い。時間が早いのでたむらの森と呼ばれる裏山の散策に出る。旅館の奥の駐車場から小倉の滝へ通じる道を辿り、湯薬師神社隣の民家の脇から林道を登る。湯薬師神社の創建は宝暦年間(1751-1763)頃か、創立者の江戸屋幸助を顕彰する昭和30年建立の石碑に、「翁没後150年余云々」の銘文がある。境内に建つ馬頭観音4体は、享和三癸年(1803)、文化三丙年(1806)、同四丁年(1807)、嘉永三庚年(1850)に奉納されたものである。館主の田村家個人の氏神様にしては規模が大きく、山口地区全体の守り神でもあろうか。急な林道を登っていくと途中に東屋があり、更にひと登りすDsc05413ると中腹に台地が広がる。そこが散策コースらしく、ヤマザクラが植えられ遊歩道が巡っている。暫らく手入れがなされていないのか荒れており、番頭さんや仲居さんが薦めないのも頷ける。特にヤマヒルが出るとあっては、気温が上るこれからの時期の散策は難しい。16:10部屋に戻る。たむらは温泉三昧を売りにしているだけあって、四万たむらに7箇所、系列の四万グランドホテルに3箇所、計10箇所の浴場がある。いずれも利用できるとのこと、夕食前に甍の湯と竜宮の湯へ入りに行く。甍の湯はいわゆる大浴場であり、熱め、中温、ぬるめの浴槽がある。長湯も烏の行水も自由自在である。竜宮の湯は河原に掘られた露天風呂で混浴である。川が増水すると隠れてしまうらしく幻の湯とも呼ばれる。当然ながら妙齢の婦人の姿はない。それどころかどの浴場も貸切状態で、温泉場にDsc05512来て話し相手がいないというのもどこか物足りない。18:20から夕食、料亭山桜なる個室で食前酒のブルーベリーワインから始まるコース料理をいただく。小付は四万たむら自慢の創作料理の入母屋づくし、家型容器がなんとも可愛らしい。中味は白子豆腐、長芋明太子和え、早蕨黄味酢よごし、姫栄螺、香茸旨煮、地元花豆煮、下仁田産子持蒟蒻の7種類、何れも美味しい。外にも鍋物、造里、煮物、蓋物、揚物、強肴、香物、御椀、御飯、水菓子と山海の珍味が続続。飲み物はISの中瓶。食後再び湯巡りに出て、今度は甌穴の湯(庭園露天風呂)、御夢想の湯(檜風呂)、岩根の湯(タイル風呂)に入る。各々趣向を凝らした浴場で風情がある。泉質は弱アルカリ性硫酸塩泉(ナトリウム・カルシウム一塩化物硫酸塩泉)、無色透明でさらさら、草津のなおし湯と呼ばれるだけに体に優しい。ゆっくりのんびり浸かるのに良いが、のぼせてしまい、今日は是までと切り上げる。(続く)

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塔のへつり・大内宿

2008年11月10日(月) 芦ノ牧温泉不動館小谷の湯に前日から宿泊、熱い温泉が効いたのか久し振りにぐっすり眠る。7:30朝食、2階の大広間に下りる。アジの開き、ゼンマイの煮付け、カニ汁など出るがいまいち。8:45支払いを済ませホテルを出発、“塔の岪(へつり)”へ向う。Dsc03517 湯野上温泉を通り抜け9:10塔の岪入口の大駐車場に着く。昭和18年8月24日国の天然記念物に指定された塔の岪は天下の景勝地であり、阿賀川(大川)が百万年もの長い歳月をかけて浸蝕した渓谷に奇岩怪石が塔のようにそそり立つ。特に今の時期は錦秋をまとって見事な景観を見せている。10本の岩塔は右岸に集中しており、上流側から鷲塔岩、鷹塔岩、獅子塔岩、屋形塔岩、櫓塔岩、九輪塔岩、尾形塔岩、象塔岩、護摩塔岩、烏帽子塔岩と名付けられている。木々に隠れているのか、7、8塔しか数えられない。各塔岩の下部に流水の浸蝕により形成された回廊があり、昔はそこをへつって歩けたようである(現在は立入り禁止)。吊り橋で対岸(右岸)に渡り、護摩塔岩の基部の岩窟に祀られている虚空蔵尊にお参りする。虚空蔵尊縁起の掲示板には、「抑 当所 虚空蔵菩薩は運慶一刀三礼の御作にて霊現験かなる大満薩埋と拝ませ給ふに曰く能満処弁 大非虚空蔵と名付く故 信心の輩は諸難の拂ひ知慧福徳をしたしめ 後世は罪を滅し浄土の宝殿に導かせ給へり 御手に剣 如意 宝珠を持たせ給う 現世二世の尊像なり」とある。まあ何にしても有り難い。露店で原木栽培ナメコを購入して車に戻り、次の観光地“大内宿”へ向う。Dsc03543 10:00大内宿入口にある大駐車場着、外気温は6℃しかない。会津の山間部に雪が降るのも間もなくであろう。「重要伝統的建造物群保存地区下郷町大内宿」と題する高札には、「国選定 昭和56年4月18日 大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅の一つである。この南山通りは会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。Dsc03548大内宿が宿駅として整えられたのは十七世紀中頃と推定され、 本陣・脇本陣がおかれた。保存地区は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約500メートル、東西約100メートルの範囲にある。本地区の町並の特長は寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられていることである。主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、Dsc03552道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の二室を座敷としている。道路の中央には広い溝が設けられ宿場の用水路として利用されたが、明治十九年になって埋め立てられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなど変遷があった。 この町並は、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。また周囲の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている。文部省・福島県・下郷町」とある。藁葺き屋根の建物が未舗装路の両側に並ぶ佇まいは昔の宿場町のままであるが、殆ど全ての家が今や通りに面した縁と座敷とを改造し、土産物や食べ物を商っている。じゅうねん味噌の焼き団子、栃の実モチ、みしらず柿など珍しいが、Dsc03566中でも 民宿大和屋の名物、長ネギ1本で食べるネギ蕎麦に行列ができている。大型観光バスから観光客が続々と下りて来て狭い通りに人が溢れる。町並の突き当りから浄土宗正法寺の高みに登り、大内宿の全貌を目に収める。そこから急な石段を下った三佛堂の辺りは観光客の姿も少なく、軒下には干し柿やトウガラシの束が吊り下がり、晩秋の山里の情趣が深い。11:00駐車場に戻り帰路に着く。今年の9月下旬に開通したばかりのR289を通り、真新しい甲子トンネルを抜けて白河へ向う。途中から眺める二岐山の山頂部は霧氷で真っ白である。西郷村の阿武隈川渓谷展望台から眺める大白森山の頂も又白い。R4、新国道4号線、R16と一般道のみを走り16:40帰宅。2日間の走行距離は632キロメートル。(完)  

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会津ころり三観音詣で

2008年11月9日(日) 4:15起床、稲荷寿司をこしらえて5:00出発。R16、新国道4号線を使い宇都宮ICから東北道に入る。上河内SA、磐越道五百川PAで休憩、西会津ICで高速を下り9:45漸く西会津町の「鳥追観音」に着く。峠を越えれば直ぐに新潟県津川町、辺りの山々の紅葉は既に盛りを過ぎている。Dsc03432 鳥追観音は寺号を金剛山如法寺といい、会津ころり三観音の第一霊場であり、会津三十三観音の番外・結願所でもある。十月一日から十一月三十日まで、徳一大師開創壱千弐百年鳥追観音紅葉祭特別御開帳が行われており、今日は運よくご本尊の正観世音菩薩像を拝むことができる。ご本尊を始め脇立の不動明王像や毘沙門天王像、金剛力士像、観音堂、仁王門は全て福島県指定の重要文化財、境内に聳える樹齢1200年のコウヤマキは県の天然記念物であり、これで拝観料が無料とは感激する。お寺さんはこうでなくてはならない。本堂に登り正観音像を拝し、般若心経と御詠歌(金剛き山の如きの法の寺まこと大悲の浄土なるらん)を唱える。堂内の身代わり撫で佛を一所懸命さすりながら「どうか惚けませんように」と心願する。Dsc03448 参拝に訪れる人々が引きも切らず、さすがは仏都会津、地元の人は皆信心深い。外気温は8、9℃、関東なら真冬の気候である。 次に柳津町の福満虚空蔵尊(霊巌山圓蔵寺)へ向う。ころり観音霊場ではないが、会津三十三観音霊場の番外であり、千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊(千光山清澄寺)と、茨城県東海村の大満虚空蔵尊(村松山日光寺)と並び日本三大虚空蔵尊と云われる名刹、お参りしないわけにはいかぬ。10:40参拝者専用駐車場着、大型バスが並び参拝者の数はDsc03471一段と多い。菊光堂(本堂)に登り虚空蔵尊を拝し、般若心経を唱え、虚空蔵菩薩陀羅尼経呪文(アキャシャキャラバヤヲンアリキャマクボクソハカ)を唱える。懸崖造りの舞台から只見川と錦秋に染まる山々を眺めてから奥の院・弁天堂へ向う。境内の紅葉は息を飲むほど美しく、三脚を立てたカメラマン諸氏はシャッターを押すのに余念がない。弁天堂は室町時代中頃(応永元(1393)年)の建立とみられ、国の重文に指定されている。お参りしてから門前町を散策する。柳津名物粟まんじゅうの元祖という岩井屋で、土産に粟まんじゅうと栗まんじゅうを12個づつ買う。魚淵で天然記念物のウグイの群泳を眺め、竹久夢二の歌碑(みちのくのめぐしをとめは魚淵の魚に卯の花購ひにけり)を見る。Dsc03491昭和5年、夢二46歳の夏、会津旅行で柳津を訪れたときに詠んだ歌とある。 再び表参道から山門をくぐり、撫で牛(郷土玩具赤べこのモデル)を撫でてから駐車場に戻る。次にころり三観音の第二霊場「立木観音」へ向う。12:00立木観音駐車場着、お参りの前に車内で稲荷寿司を食べる。立木観音は寺号を金塔山恵隆寺(えりゅうじ)といい、真言宗豊山派のお寺、会津三十三観音の第三十一番霊場でもある。ご本尊は身の丈8.5mの一木彫で、現在も床下に根のある東北地方で最大級の木造仏、千手観音菩薩である。観音堂とともに国の重文に指定されている。灯明料300円を納め観音堂内に入ってお参りする。般若心経と御詠歌(はるばるとまいりておがむ恵隆寺いつも絶えせぬ松風の音)を唱え、堂内の抱きつき柱に抱きついて「どうか寝込みませんように」と心願する。千手観音菩薩像の左右に祀られる二十八部衆と風神・雷神像は県の重要文化財である。堂前に奉納されている沢山の櫛は、苦と死を納め、少しでも病気の苦しみや死の恐怖を和らげる為と云う。Dsc03500四箇所目は、ころり三観音第三霊場の「中田観音」、13:05山門前駐車場に車を入れる。 中田観音は寺号を普門山弘安寺といい、曹洞宗の寺である。会津三十三観音の第三十番霊場でもあり、ご本尊は十一面観世音菩薩である。ここでも又堂前で般若心経を唱え、御詠歌(めぐりきてよものちさとをながむればこれぞあいづのなかだなるらん)を唱える。観音堂の右手から堂内に入り、抱きつき柱に抱きついて「どうかぽっくり逝けますように」と祈願する。さあこれで一安心、寿命安楽・福寿円満にして悲願の大往生をとげることが出来るであろう。最後に徳一上人が開祖とされる瑠璃光山勝常寺へ向う。Dsc03512 会津三十三観音の第十番霊場であり、11体もの国宝・重文の仏像が残る東北屈指の古刹である。13:50勝常寺着、駐車場はなく山門前のスペースに車を駐める。境内に人の姿がなく、薬師堂も収蔵庫も固く扉を閉ざしひっそりと静まっている。おかしいなと思ったら、拝観するには事前連絡が必要とのこと、国宝の薬師如来像と両脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像を拝み損なう。仕方なく薬師堂の堂前でお参りする。室町時代初期の建立とされる五間四方の薬師堂は会津地方最大級の古建築、国の重文に指定されているだけあって非常に重厚な建物である。境内のイチョウの樹の下で暫しギンナン拾いに興じた後、今宵の宿がある芦の牧温泉へ向う。(続く)

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白馬村青鬼集落探訪

2008年10月13日(月) 6:15起床、妻は朝一温泉へ入りに行く。7:00朝食、今日は13:30までホテルに戻っていなければならないので半日しか自由に使えない。Dsc02472いろいろ検討した結果、日本の山里の原風景が残るという白馬村青鬼(あおに)地区を訪ねることに決める。「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、 「日本の棚田百選」にも選ばれている集落である。SCをホテル地階の荷物部屋に預け8:00チェックアウト、駅までぶらぶら歩く。きょうも上天気で白馬連峰の眺めが素晴らしい。8:35白馬駅着、青鬼地区はバスも通わぬ所なので、最寄駅の信濃森上駅まで一駅電車で行き、残る4㎞の道程を歩くことにする。南小谷行き電車に乗り8:57信濃森上駅下車、無人駅で無論タクシーなどはない。 青鬼地区へ向け車道をのんびり歩いていく。Dsc024929:26通橋(かようばし)で姫川を渡ると、そこから登りになる。コナラの木にヤマブシタケが3個出ているのを見つけるも崖地なので手が届かない。9:55ようやく青鬼集落に入る。道路もそこで行き止まり、まるで隠れ里のような村である。入口に駐車場があり一回500円、集金する人もなく利用する人の良心任せの料金箱が設置してある。子供の声も聞えなければ人の姿もない。お店もなければ自販機もない。ひっそりと静まり返り、ちょっと浮世離れした処である。 聞けば住民の年齢は70歳を越えており若い人はひとりも居ないとのこと、典型的限界集落のようである。集落の入口に案内板が立ち、略図とともに次のような説明文が記載されている。Dsc02488「白馬村青鬼重要伝統的建造物群保存地区・山村集落青鬼  一、建築物:14戸ある茅葺屋根(現在は鉄板葺き)の民家は江戸時代末期から近代に建てられたものである。また同時期に建てられた土蔵及び蔵は民家から少し離れた場所に8棟建てられている。集落中央部から石段・石畳を登ったたところにある青鬼神社の創始は大同年間(806-809)と伝えられており、今の神社は明治中期に建造されたものである。二、工作物:集落内には2箇所の石仏群と馬頭観音等が点在している。集落の東側に位置している棚田は石垣で形成されており、日本の棚田百選に認定されている。Dsc02504その棚田に青鬼沢から給水するため2系統の用水路(青鬼堰)があり、これは万延年間から文久年間(1860-1863)にかけて開削されたもので、現在も使用されている。 三、環境物件:環境物件はカツラの大樹とスギの大木、ホウノキ、抜け止めのカツラなどの樹木、カツラの清水、馬場の清水などが集落の各所に点在している。」。成る程、先ず集落奥の高処にある棚田を見物に行く。稲刈りが終わった後で風情はいまいちであるが、なんといっても五竜岳を始めとする白馬連峰の借景が棚田を一段と引き立てている。画布に向って絵筆を振っている人もあれば、三脚を立てて写真撮影に熱中している人もいる。Dsc02494 集落内を一巡りする。急勾配の大屋根で覆われた特長ある形の民家はこの地が豪雪地帯であることを物語っている。道端に無造作に立つ石仏の銘文は天保拾亥歳(1839)など、集落中央から長い石段を青鬼神社へ登る。社殿前に立つ常夜塔の銘は文政四年(1821)、隣に諏訪神社も建ち神楽殿もある。いつまでも静謐な雰囲気に浸っていたいところであるが時間切れ、10:45帰路に着く。帰りも歩き、道端で新鮮なシロヌメリイグチを見つける。復路は下りなだけに楽である。11:45信濃森上駅に戻る。12:13の上り電車で白馬駅に戻り、再び歩いてホテルへ帰る。昨日の唐松岳登山の後だけにさすがに妻も草臥れた様子。12:55ホテル着、最後にひとりで近くの細野諏訪神社へお参りに行く。参道の石段脇に白馬村で最大の大スギ(推定樹齢1000年)が聳え、境内に白馬連峯遭難者慰霊碑も立つ。昭和44年銘の常陸宮妃華子殿下御歌の歌碑(「春浅き細野の夜のさえまさり白馬の山に星はかがやく」)も立つ。14:15迎えのバスが到着し、4日間お世話になったグレース白馬の人々の見送りを受けて白馬村八方温泉を後にする。(完)

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塩の道散策(千国越えコース)

2008年10月11日(土) 6:00起床、小雨。朝食を済ませ8:45出発。雨具を着けて出たが、雲が切れ青空も覗いてくる。Dsc02235 白馬アルピコターミナルで栂池高原行き9:05のバスに乗り、9:25落倉下車、落ち倉自然園入口に立つ石仏群の所から塩の道を歩き始める。塩の道は正式には千国(ちくに)街道といい、内陸の城下町松本と日本海の漁港糸魚川を結ぶ生活道路である。深い谷間の山道を牛方やボッカの背で塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草などを運んだという。戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った「義塩」の故事もこの道に由来するというから少なくとも五百年、松本の歴史からすると壱千年の古道である。 今日は最も良く整備されてDsc02239いる千国越えコースを、落倉集落から南小谷駅まで歩く。10:00松沢薬師堂、境内には庚申塔、二十三夜塔、道祖神など数多くの石仏が立つ。10:15前山百体観音、西国、坂東、秩父の百観音を並べた霊場であるが、現存するのは八十一体である。道端の草むらにナラタケが群生しており、きのこ狩りをしながら行く。11:00沓掛の牛方宿に着く。塩の道に現存する唯一の牛方宿は19世紀初頭の建築、小谷村の有形文化財に指定されている。入場料300円を支払い内部を見学する。土間や囲炉裏、Dsc02263 神棚や仏壇、板戸や生活道具などを見ると、子供時分の記憶が懐かしく甦り、ほのかに 郷愁が感じられる。沓掛石仏群を左に見て親坂を下る。11:25弘法清水、旅人も牛馬も冷たい湧水で喉を潤し一服した場所である。水場には2個の石舟が設置されており、高い方が人間用、低いほうが牛馬用らしい。石舟の上の方に安置されている弘法大師像は安永三年(1774)五月吉日の銘文が刻まれている。錦岩の附近で、コナラの倒木にびっしりとナラタケの幼菌が生えているのを見つける。一週間も経てば大量に収穫できる。Dsc02267 牛つなぎ石を過ぎると、ようやく親坂の下りも終盤、千国の街並が見えてくる。11:45親坂石仏群、傍らに塩の道手水場(トイレ)が建つ。そこの石仏群は殆どが馬頭観音で、銘をみると明治時代に奉安されたものが多い。山道から解放され車道を歩くようになる。千国宿庚申塚を過ぎると間もなく千国番所に着く。石碑に刻まれた「史跡千国番所跡」を読むと、「千国街道千国村番所の創設された年代は明らかではないが、松本藩石川玄番頭康長当時即ち慶長年間に存在していたことははっきりしている。加賀越中越後からの塩、魚類、穀物の要路として手甲キャハンわらじでDsc02295時には汗をしぼりつつ街道を行き交う人々も、この木戸で通行手形を示し荷物の品改めをしてから通っていったのが目に浮かんでくる。松本藩内に番所の数も拾有余あるが、そのうち特に千国番所は重要視され、藩主水野氏の末までは(享保年間)千国庄屋千国三左衛門及び栗田五左衛門のニ家に更番守衛を勤務させ五十俵を給したが、松平丹波守光慈(戸田氏)の代に至り藩士を差し遣わして更番勤務させた。(中略)この辺りの街道筋には毎年暮の市が立ち小谷四ヶ庄は勿論松本からも商人が集まり織布灯火魚貝類等が盛んに商いされたが藩主松平光則の代に至り維新の風は吹き荒れDsc02315明治と改元され翌二年関門廃止令により慶長年間以来二百(四百?)有余年の千国番所もついに終止符を打ち、番役人伊藤軍太夫、市川浪衛門を以て閉門したのである。 (中略)番所では番役人壇上に座し、刀槍銃突棒袖搦等を列して威儀を整え番卒二人を使役して行旅荷物等を検した。南からの行旅荷物には大町の庄屋問屋より通行手形を給し、北からのものは小谷七ヶ村の庄屋がこれを給した。(中略)またこの番所では他国移入品から税金を徴収した。一、塩一駄に付同塩三升二合以上四升迄。一、穀物一石に付同穀三升以上三升五合迄。一、魚類上中下の三等あり一駄に付上百文下五拾文を最高とし中その間にあり。」と書いてある。番所に千国の庄史料館が併設されており、前には歩荷茶屋もある。昔の宿場町の雰囲気が漂う町中をのんびり歩き、千国諏訪神社に参拝する。その先の学校の裏手でクルミを拾う。12:35慈眼山源長寺、上り口の階段脇に三十三番観音が並び、境内には六地蔵などの石仏群が建つ。Dsc02357雨が本降りになってくる。13:10大別当石仏群、ナメコやシイタケが杉林の中で原木栽培されている。こんぴらの足湯を通過し、13:50三夜坂、安永四乙未歳(1775)銘の二十三夜塔が建っている。14:00「熊出没注意」の山道から解放されて南小谷の町に入る。 おたり名産館を覗いてみる。イグチ類が100グラム100円で売られており、中身はシロヌメリイグチ、チチアワタケ、ヌメリイグチ、ハナイグチがごちゃ混ぜである。次々に地元の人が買いに来る。長野県人はイグチ類が大好物とみえる。14:15ようやく南小谷駅に着く。次の普通電車は15:08の辰野行き、時間がたっぷりあるので待合室の座敷に横になる。(続く) 

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白馬八方温泉・美人の湯

2008年10月10日(金) Dsc02528本日よりクラブツーリズムのバスツアーに参加し、「白馬八方温泉のんびり湯ったり4日間」の旅に出る。8:20松戸駅西口に集合し、一行38名に添乗員嬢がついて出発。三芳SAと東部湯の丸SAで休憩し、おぎのや長野店で昼食をとる。14:15白馬村八方にあるホテル“GRACE白馬”に到着、白タイルの外観は瀟洒なプチホテルといったところ、スキーレジャー全盛期の頃に建てられた宿のようである。目の前に薬師堂が建ち、直ぐ近くに細野諏訪神社がある。八方(細野)地区の中心であり、八方尾根のゴンドラリフト乗り場にも徒歩5分、何かと便利なロケーションである。部屋に荷物を置いて早速附近の散策に出る。薬師堂は江戸時代初期の建築(現在の建物は昭和30年に建て直されたもの)で、内部に木喰山居上人(1655-1726)作の聖観世音菩薩立像、地蔵菩薩立像、阿弥陀如来立像の三体を祀る。傍らに聳えるエドヒガンザクラは樹齢数百年の巨樹、境内墓地にはカツラの大樹もある。第二郷の湯(共同浴場?)の前を通り、Dsc02199 白馬ジャンプ競技場(1998年長野オリンピックのジャンプ競技台)へ行き、リフトで展望タワーに上がる。4階の展望ラウンジ、3階のラージヒル観覧ステージ、2階のノーマルヒル観覧ステージの順に巡り、圧倒的な高さからジャンプ台とその先に広がる白馬村の家並みを眺める。白馬秋色、紅葉はすでに五竜岳の中腹まで下りてきている。夕食は和食の会席料理、量は少なめであるが味付けが良い。これは残る3日間の食事が楽しみである。食後、美人の湯(露天風呂)に入りに行く。泉質はアルカリ性単純泉、薄く濁りヌルヌルする。ホテルのHPには源泉掛け流しとあるが、加熱・循環の表示もあり、併用なのであろう。なるほど謳い文句通り温泉も良い。瓶ビールの取り扱いがK・クラシックビール一色で、缶ビールの自販機もKとくれば申し分ない。長野支社は良くやっている。(続く)

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札幌・支笏湖/帰柏

2008年9月20日(土) 6:00起床、札幌の空はどこまでも青い。台風13号は千葉県沖を東方へ去りつつあり、帰京の飛行機に影響はなさそうである。Dsc01256 昨夜コンビニで調達したパンと果物で朝食を済ませ、7:10札幌散歩に出かける。先ずは二条市場へ、街中のホテルはこんな時便利である。早朝の二条市場は観光客の姿も少なく閑散としている。何より品物の値段が高い。幾ら観光客相手の市場といっても、市場と名乗るからにはもう少し庶民的値付けがあってよい。そこから北進し、さっぽろテレビ塔と時計台を見物する。これらも40年ぶりの再訪であるがさほどの感激は無い。午前8時、ちょうど時計台の鐘が鳴る。傍らに立つ説明板によると、「重要文化財 旧札幌農学校演武場(時計台) この建物は、日本最初の農業専門学校として、明治9年8月にクラーク博士を初代教頭に迎えて開校した札幌農学校の演武場であります。演武場は、講堂を兼ねた兵式教練場として第2代教頭ホイラー博士によって計画され、当時の米国中西部開拓地の木造建築様式によって、北海道開拓使工業局の設計監督のもとに建築され、明治11年10月16日に完成しました。時計塔は、明治14(1881)年に米国ボストン市ハワードDsc01287時計製作会社製の時打ち重錘式の大時計を備えて設置され、8月12日の正式鳴鐘以来現在も往時の姿のまま時を告げております。 云々」とある。127年間札幌の街に流れるこの鐘音を、明治40年秋の啄木もきっと聞いたことであろう。「アカシヤの街樾(なみき)にポプラに秋の風吹くがかなしと日記(にき)に残れり」(啄木)。 更に北進すると北2条西2丁目に太陽生命札幌支社のビルがある。カメラを向けていると、何か目新しいことでもあるのかと道行く人が怪訝そうに振り返る(秘密!)。北海道庁旧本庁舎の赤レンガの建物を見てから大通り公園へ行き、噴水前のベンチで少憩、Dsc012839:00ホテルに戻る。9:30チェックアウト、支笏湖経由千歳空港へ向う。453号線を南下し11:00支笏湖畔着、休暇村支笏湖野鳥の森の駐車場に車をとめる。そこから湖畔に下りて湖上遥かの恵庭岳や風不死岳の雄姿を眺める。又、北海道に現存する最古の鉄橋「山線鉄橋(やませんてっきょう)」を渡り、支笏湖から流れ出る千歳川の静寂に見入る。今回の旅行のこれがフィナーレである。12:00トヨタレンタリース新千歳空港すずらん店に到着、約500㎞を走行したPASSOを返却し、満タン給油代を清算する。空港に送ってもらい、ロイズのチョコレート、かま栄の蒲鉾、フノリ等を土産物に追加する。13:40搭乗のANA64便は満席、疲れがどっと出てうとうとしているうちにいつの間にか仙台上空を飛んでいる。(完)

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ニセコアンヌプリ・五色温泉・神仙沼

2008年9月19日(金) 6:00起床、西南日本は台風13号の影響で大荒れであるが、北海道は申し訳ないほど好天が続く。7:00朝食、和食を選びシシャモや塩鮭で御飯を食べる。8:00洞爺パークホテル天翔をチェックアウト、ニセコアンヌプリ登山口がある五色温泉郷へ向う。途中道の駅真狩フラワーセンターに立ち寄り少憩、トイレに入ると細川たかしのヒット曲が流れ出し吃驚。Dsc01210 9:30登山口着、ニセコ山の家の駐車場に車をとめる。偶々札幌東商高の生徒320名の学年登山に出くわし、抜きつ抜かれつしながら山頂(1,308m)に到着したのが11:20、往路を戻って駐車場に下山したのが13:15(姉妹編ブログ「自惚山人ノオト」の「420.ニセコアンヌプリ」に詳述)。ニセコ山の家の 向側にある五色温泉に入る。日帰り入浴料は500円、人気がある温泉のようで次々と入浴客がやって来る。泉質は含フッ素・苦味・食塩・硫化水素泉ということで乳白色に濁り、温泉らしい温泉である。しかも源泉100%の掛け流しで、慢性湿疹や神経痛、Dsc01213糖尿病、アトピーなどに効果があると云う。露天風呂から眺めるニセコアンヌプリやイワオヌプリの景色も良い。又、自販機がKなのも嬉しく、北海道限定の炭酸飲料ガラナを湯上がりに飲む。14:35さっぱりして五色温泉を後にし、ニセコパノラマラインを走って神仙沼へ向う。 14:53ニセコ神仙沼自然休養林入口にある駐車場に車をとめる。一人100円以上とある森林環境整備協力金を納め、木道を歩いて原生林に分け入る。森林を構成する樹種は、アカエゾマツ、ダケカンバ、チシマザクラ、トドマツ、Dsc01226ナナカマド、ハイマツ、ミズナラなど、樹間にはチシマザサがびっしり生えている。神仙沼湿原は標高750mの高層湿原であり面積は4.18ヘクタール、早や草紅葉が始まっている。15:20神仙沼に着く。 沼の面積は1.19ヘクタール、平均水深1.3メートル(最大2メートル)、昭和3年10月7日、日本ボーイスカウトの生みの親である下田豊松氏一行が、ニセコ山系に青少年の心身修養訓練道場の候補地を求め、その踏査中に発見したものである。静寂に包まれる湖面にアカエゾマツが逆さに映り、岸辺にはミツガシワなど高山性の水草が繁る。まさに神秘的風景の別天地、仙境である。湿原を一回りしてから駐車場へ戻る妻と別れ、Dsc01242一人で長沼まで足を延ばす。15:45長沼、こちらもチセヌプリを湖面に写しあくまで静謐である。 16:10駐車場に戻り、宿泊先の札幌東急インへ向う。一旦真狩村に戻り、230号線を走る。3年前に積丹半島を一周した時にも走った道、風景に見覚えがある。17:35中山峠に着き、道の駅望羊中山から羊蹄山の黄昏を眺める。定山渓を通り札幌市内に入る。札幌のど真ん中、すすきのの交差点近くにある札幌東急インに到着したのは19:15、四苦八苦のあげく隣の駐車場に漸く車を入れる。やれやれ、レンタカー付きのフリープランなのにとんでもない街中に泊まらせるものである。1102号室に入り一息ついてから、夜のすすきのへ食事に出る。(続く)

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函館・大沼公園・有珠山

2008年9月18日(木) 5:10起床、朝食前に車で立待岬と函館朝市を回る。6:05立待岬、大学4年の夏以来40年ぶりに訪れた岬はハマナスや芝が綺麗に植栽され、公園としての整備が進んでいる。岬の先端で津軽海峡を眺める。下北半島も津軽半島も霞んでいて今日は全く見えない。 与謝野寛・晶子夫妻の歌碑は昔のまま、Dsc01021「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」(寛)、「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」(晶子)。墓地の一番高処にある石川啄木一族の墓にお参りする。この墓は大正15年、義弟宮崎郁雨と当時の函館図書館長岡田健蔵らによって建立されたものである。傍らには宮崎郁雨と砂山影二の歌碑も立つ。「綿々と夜道をたどる淋しさよ酒はひとりし飲むものにあらず」(郁雨)、「わがいのちこの海峡の浪の間に消ゆる日を想ふ岬に立ちて」(影二)。宮崎郁雨(本名、大四郎)は函館の文芸結社苜蓿(ぼくしゅく)社の同人、明治40年啄木が来函してから物心両面にわたって温かい援助を続け、42年啄木の妻節子の妹ふき子と結婚している。砂山影二(本名、中野寅雄)は、Dsc01025大正7年函館で創刊された文芸誌「銀の壷」の同人として活躍した。 石川啄木を深く崇拝し、その短歌に傾倒していたので、彼の作品には啄木の影響がみられる。啄木一族墓には啄木と妻をはじめ3人の愛児や両親などが入っており、津軽海峡の潮騒を聞きながら永遠の眠りについている。次いで、函館山山麓にある碧血碑(へきけつひ)を訪ねる。函館戦争(1869年)に於ける幕府軍戦没者800名の慰霊塔であり、山襞に隠れるようにひっそりと建てられている。碑石は7回忌にあたる明治8年(1875)、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、碑の題字は戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。因みに碧血とは、「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という中国の故事によるものである。次に駅近くの函館朝市へ移動、ホテルの朝食がなければ“きくよ食堂”にでも入って元祖巴丼でも食べるのであるが・・。今回は見合わせて、鮭トバ、氷下魚、ホタテ貝柱などの乾物を買い求める。7:30ホテルに戻って朝食をとる。Dsc01034 食後の腹ごなしにホテル近くの青柳町を散策、啄木が一家離散の憂き目に会い函館にやって来た時に住んだ町である。あさり坂を上って公園通りを左に進むと石川啄木居住地跡の看板が立っている。現住所でいうと青柳町15-22番地辺り、路地奥とのことであるがひっそりして人の気配もない。「函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花」(啄木)。9:00ホテルをチェックアウトし車で五稜郭公園へ。先ず五稜郭タワーの展望台に上り星形の城郭を眺める。五稜郭は、安政元年(1854)に結ばれた日米和親条約によって開港された函館をはじめとする北辺の防備のため、江戸幕府の手により安政四年(1857)に着工され、元治元(1864)年に完成した西洋式の城であり、Dsc01044 慶応三年(1867)十月の大政奉還後新政府に移管された。明治元年(1868)におこった戊辰戦争では旧幕府脱走軍榎本武揚らによって短期間占拠されたが、新政府軍に平定されてから、開拓使、陸軍省の所管を経て、大正三年(1914)以降公園として市民に開放されている。現在中央部では竹中工務店ほかのJVが函館奉行所の復元工事中(平成18~22年)であり、完成の暁には、五稜郭タワーと並ぶ観光の目玉になるであろう。展望タワーを下りて城内を散策、星形を形造る堀沿いに半周ほど歩く。大正時代から植えられた桜樹が1,600本もあり、春は桜の名所として賑わうそうである。見事なアカマツの大樹も多く、北海道では松くい虫の被害はないのであろうか。10:30函館を後にし大沼公園へ向う。Dsc01066 11:30大沼公園駅着、駅前の駐車場に車を置く。駒ケ岳は平成12年の水蒸気爆発以来、山頂から4㎞以内立入禁止の登山規制が敷かれている。40年前と同じく今回も大沼公園の散策路から姿を拝むしかなし、登れない。それにしても大沼国定公園は様変わり、すっかり開けてレジャーランド化している。貸し自転車、ボート、遊覧船が走り回りあちらこちらで嬌声が上がる。落ち着かないので30分ほどで退散、地ビールの大沼ビールを購入して次の目的地有珠山へ向う。国道5号線を内浦湾沿いに北上し、長万部から37号線に入る。15:00有珠山ロープウェイ山麓駅がある昭和新山駐車場到着、早速15:15のロープウェイで山頂駅へ上がる。山頂駅からは火口原展望台を経て有珠外輪山展望台まで、自然歩道有珠山南外輪ルートを歩く。大有珠、オガリ山、有珠新山、小有珠の溶岩ドーム群と銀沼大火口の荒涼を眺め、噴火湾、洞爺湖、羊蹄山の大パノラマを楽しむ(姉妹編ブログ「自惚山人ノオト」の「419.有珠山自然遊歩道南外輪ルート」に詳述)。17:00のロープウェイで山頂を後にし、今宵の宿、洞爺パークホテル天翔にチェックイン、2606号室に入る。和室の10畳間で広々しているが建物や設備はやや古めかしい。それでも湖畔に面した部屋で洞爺湖と中島、その向こうの羊蹄山の眺めは素晴らしい。18:00夕食、一階の大食堂は一度に500人も座れるような広さがあり、巨大なホテルである。名物の烏賊飯などを食べて満腹になり温泉へ入りに行く。泉質は石膏重曹単純泉、さらさらのお湯である。風呂から上がると20:45、ちょうど湖上花火大会が始まる。花火を酒の肴に冷蔵庫で冷やしておいた大沼ビール(ケルシュ)を飲む。(続く)

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函館の夜

2008年9月17日(水) 本日から3泊4日の北海道旅行、13:38のバスで北小金駅へ出る。15:15羽田空港第2ターミナルビル出発ロビーに到着、16:00集合なので早過ぎるが遅れるよりはよい。16:50発函館行きANA883便は満席、18:05たちまち函館空港に着陸する。もう辺りは薄暗く、北海道の日没は関東より大分早い。トヨタレンタリースのカウンターで受付を済ませ、車で5分ほどの函館営業所へ送ってもらう。Dsc00989割り当てられた車はPASSO(1000cc)、初めて乗る車種なので少々面食らう。19:20函館山の直ぐ下、宝来町にあるチサングランド函館にチェックインし709号室に入る。今年の7月、JALシティ函館から名称が変わり、リニューアルオープンしたばかりなので隅々まで綺麗である。 一休みしてから函館山へ夜景を観に行く。護国神社坂を登りロープウェイ山麓駅まで歩くと10分ほど、結構蒸し暑い。片道切符(580円)で山頂駅へ。標高334mの山頂展望台は観光客で溢れている。中国人と韓国人の団体が多い。世界三大夜景のひとつと謳うだけあって素晴らしい眺めである。暗い山裾の向こうに函館湾と津軽海峡を左右に配して、扇を継いだように拡がる市街地の灯が煌く。函館山山頂は、Dsc00995その標高といい距離といい角度といい、まさに3拍子揃った函館市街地の展望台である。 世界の三大夜景は函館、香港、ナポリ、日本の三大夜景は函館、神戸、長崎、北海道のそれは函館、小樽、札幌との説明があったが、主観によるこの種の選定には異論も多いことであろう。山頂発21:00のバスに乗り、ロープウェイ山麓駅近くのバス停で下車、元町にある聖ヨハネ教会、ハリストス正教会、カトリック元町教会を外部から見学する。元町には旧イギリス領事館もあり、1854年(安政元年)開港当時の面影が今も色濃く残る。因みに、ハリストスとは救世主(CHRIST)を表すギリシャ語XPIΣTOΣの日本語読みであり、本部は東京神田駿河台のニコライ堂、全世界に2億人を超える信徒を持つ東方キリスト教会に属し、日本全国に80ケ所の教会堂があるとのこと、日本には1861年に函館ロシア領事館に到着したニコライ修道神父により伝えられたものだそうである。又、カトリック元町教会は1859年の創建、キリスト教宣教再開の先駆けとして、横浜の山手、長崎の大浦とともにもっとも古い歴史を持つ教会である。聖ヨハネ教会は1878年に英国正公会の日本教会として創建されたものとのこと。22:00ホテルに戻る。(続く)

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越前大野と永平寺

2008年9月2日(火) 7:00起床、昨夜遅くて入り損ねた温泉大浴場へ行く。福井温泉と云い、アルカリ性単純泉である。アパホテル福井片町は歓楽街のど真ん中、こんな所に天然温泉が湧くのであろうか。P1080183お湯はさらさらで温泉らしさは感じられないが、スパもサウナもあり設備はまずまず、日帰り入浴料は1,000円とあり、ビルの谷間で朝風呂を楽しむ。このホテルの売り物は、天然温泉があることと歓楽街の真っ只中に立地することなのであろう。8:00朝食に一階のレストランに下りる。見ればANNEX館の酒類自販機は全てK、北陸支社は良くやっている。9:30昨日と同じバスで出発、今日も晴れており今回の旅は天気に恵まれる。 越前平野に黄金の稲穂と白いソバの花が揺れる。10:20越前大野の平成大野屋前の駐車場に着く。越前大野は奥越の小京都と呼ばれ、織田信長の武将、金森長近が築いた城下町である。P1080179 時間がないので亀山城へ登るのを諦め、七間通り、寺町通り、石灯籠通りの順に町中を散策する。いずれも昔の面影が色濃く残る石畳の道である。七間通りの露店でマタタビの実(虫こぶ)と里芋の茎を買う。こじんまりした町であるが、街路が碁盤目状に区画され、通り名が番号で表されていたり、寺町通りがあったりして仙台に似ている。お寺も昔風の佇まいで好感がもてる。11:30バスにもどり永平寺へ向う。12:05永平寺着、吉祥山永平寺は寛元二(1244)年曹洞宗の開祖道元禅師によって開かれた座禅修業の道場である。現在では横浜鶴見の総持寺とともに曹洞宗の大本山となっている。P1080190 小家の菩提寺大林寺の宗派も曹洞宗なので、今日は本山にお参りするということで身も心も引き締まる。能登の門前町にある祖院総持寺と鶴見の総持寺はお参りした事があるが、永平寺は今回が初めてである。団体受付があり、最初に鉄筋コンクリート5階建ての吉祥閣の一室に招じ入れられ、一同修行僧より拝観心得を神妙に聴く。質実剛健な座禅道場を思い描いてきたが、意外に近代的でシステマティックである。順路に従い、笠松閣(さんしょうかく)、僧堂(雲堂・座禅堂)、仏殿、法堂(はっとう)、大庫院(だいくいん)、山門、祠堂殿の順番に拝観する。奈良、京都の有名寺院の如き国宝・重文級の建物や仏像はないが、修業の中心となる僧堂にずらりと並ぶ単(座禅席)、大庫院前に吊り下げられた大擂粉木(おおすりこぎ)、祠堂殿内壁に掛けられた大数珠などは一見の価値がある。仏殿でご本尊の釈迦牟尼仏を有り難く拝み、祠堂殿で偶々行われていた法要の読経に聴き入る。さすがは大本山、読経も一味違う。ここでP1080192 供養することが出来ればご先祖様も喜ぶのであろうが・・・。山門には永平寺の命名の由来である「吉祥の額」が掲げられており、「南閻浮提日本国越前国吉田郡志比庄傘松峯從今日名吉祥山 諸仏如来大功徳 諸吉祥中最無上 諸仏倶来入此処 是故此地最吉祥 宝治二年(1248)十一月一日」と大書してある。最後に総受所で納経帳に御朱印を頂く。建物を出て参道を下って行くと、杉木立の林床にシロイボカサタケやアセタケ属が沢山生えている。門前町のバス駐車場に戻り土産物店で福井銘菓の“けんけら”(大豆を粗挽し白胡麻、水飴などを加えたひねり菓子)を買う。14:10永平寺を出発、バスは北陸道、名神高速、東名を走り真っ直ぐ東京へ向う。走り出した途端驟雨が来る。湖北の辺りで豪雨に変わる。危うくセーフ、実についている。20:20海老名SA、神戸屋のメロンパンをタイムサービス価格でGET、誠に幸運である。新宿駅西口で大半の同行者を降ろし、22:00バスは漸く上野駅西口に滑り込む。(完)

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おわら風の盆

2008年9月1日(月) 5:30起床、夜来の雨上がる。7:54のバスに乗り北小金駅へ。今日から2日間、クラブツーリズム㈱の企画「越中八尾おわら風の盆見物と永平寺参拝」の旅に出る。P1080137 8:55上野公園口駐車場でツアーバスに乗車、7月末の湯西川温泉行の時には、ここにずらりとバスが並んでいたものだが今日はたったの2台、夏休みが終わると旅人もぐっと減る。新宿の都庁駐車場前でも参加者を乗せ、練馬ICから関越道に乗る。11:15高坂SA、13:00東部湯の丸SA、連日の不安定な天気も少し落ち着いたようで、今日は陽射しが暑い。浅間山の頂は雲に隠れて見えないまま。上信道から北陸道に入り有磯海PAで3回目の休憩、ドライバー2名が交代で運転するバスは淡々と走る。富山西ICで下り、16:40ようやく八尾の町民広場に隣接する観光バス降車場に着く。約4時間、21:00の集合までおわら風の盆初日の自由見学である。P1080145 八尾町には11地区(福島、天満町、下新町、今町、東町、西町、鏡町、諏訪町、上新町、東新町、西新町)があり、それぞれの町内で“町流し”や“輪踊り”が気ままに行われる他、7箇所の特設ステージで“舞台踊り”が行われるとのこと、舞台踊り以外は時間も決まっておらず、各地区の地方(じかた)や踊り手の気分次第で始まるらしい。井田川を禅寺橋で渡り、玉石垣の坂を登って西町に入る。道沿いに並ぶぼんぼり(雪洞)を除けば飾りらしい飾りもなく、ぞろぞろ歩く観光客がいなければ何の変哲もない田舎町である。突然西町で輪踊りが始まり、幸運にも明るいうちにおわら風の盆の一端に触れる。P1080149 なるほど昼見ても艶な踊りである。日本の道百選に選ばれている諏訪町の石畳の道(町道諏訪町本通り線)を南進し、東新町の若宮八幡社の前で町流しの始まるのを待つ。序に若宮八幡社にお参りする。社殿の“蚕養宮(さんようぐう) ”は富山市民俗文化財に指定されており、由緒を見ると天明元(1781)年の建立、陸奥の国から御神霊を勧請し、蚕・養蚕業を祀ったとのこと、明治十一年下新町八幡神社から御神体を分けてもらい若宮八幡社を合祀、昭和二年に改築して現在に至る。八尾町は養蚕業、特に蚕種(蚕の卵)を生産出荷することで発展し、戦前に至るまで町の基幹産業だったとのこと、P1080151 若宮八幡社(蚕養宮)はその守護神として厚く崇敬されてきたのであろう。老杉の巨樹に囲まれた立派な社殿である。薄暗くなり雪洞に灯がともる。三々五々地方や踊り手が集まり、東新町でも輪踊りが始まる。地方が胡弓や三味線を切々とかき鳴らし、その哀調に和して越中おわら節が唄われる。そして楽器の音色と唄とに導かれるまま、無言の男踊りと女踊りがいつ果てるともなく繰り広げられる。「八尾よいとこおわらの本場(きたさのさーどっこいさのさ)二百十日を(おわら)出て踊る」、七七七五調の越中おわら節の歌詞は幾通りもあるらしい。「わたしゃ野山の兎じゃないか月夜月夜に(オワラ)逢いに来る」(野口雨情)、P1080173_2 文人墨客を招いて詠んで貰った秀歌もある。東新町の町流しを観てから諏訪町へ進む。途中の屋台で“富山湾の宝石”と呼ばれるシロエビの唐揚げを買い求め、それを肴にISの生ビールを飲む。旨い!。最後に諏訪町の町流しを見物、諏訪町の踊り手が一番洗練されているかもしれない。町流しが本格化するのは、舞台踊りが終わる夜の10時過ぎから翌日の明け方5時頃迄、時間に制約がある団体ツアーでは真の風流を味わうのは難しい。又の機会、後楽とすることにして20:15町民広場に戻る。団体ツアー客用シャトルバスの行列に並びながら、町民広場の特設舞台で演じられる舞台踊りを観る。工業団地に待機するツアーバスまでシャトルバスで送ってもらい、21:50八尾の町を後にする。もう一度高橋治の小説「風の盆恋歌」を読んでみよう。再び富山西ICから北陸道に乗り、福井北ICで下りる。24:00漸くアパホテル福井片町にチェックイン、八尾近辺のホテルはこの時期一泊3万円に跳ね上がるとのことで、どうしてもぎりぎりツアーの宿は遠くなる。506号室はツインルームであるが非常に狭い。NHKのニュースを見ると福田首相の突然の辞任を報じている。やれやれ、この頃の自民党政治は国民置き去り、国会議員は政局(保身)ばかり考えている。一国のリーダーたるものがこんな無様な姿を2回も続けて曝け出しては、若い人に示しがつかず、国が良くなる筈もない。(続く)

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湯西川温泉

2008年7月27日(日) 5:30起床、曇天。朝食を済ませてから7:26のバスで北小金駅に出る。8:15上野駅着、早過ぎるので周辺を一回りする。国立西洋美術館では「コロー展」をやっている。寛永寺輪王殿の前を通り集合場所の上野公園駐車場に行くと、クラブツーリズムの各方面行きバスがずらりと並んでいる。受付を済ませ、湯西川温泉行きの観光バスに乗り込む。同行のメンバーは42名で大型バスはほぼ満席、最近の燃油サーチャージやガソリンの高騰により一般市民の旅は安近短が主流、温泉一泊バスツアーにシフトしているようである。バスが動き出すと直ぐに缶ビール(のどごし生)を飲み始める御仁もおり、皆旅慣れている。扇大橋入口から首都高に入り東北道を走る。10:00佐野SAで休憩、道路公団が民営化されてからSAの雰囲気がぐっと良くなる。Dsc09087館内は仲見世風に改装されておりこれなら買い物が楽しい。 10:40日光宇都宮道路に入る。このところ寝苦しい夜が続いたせいか、バスの心地好い振動に眠くなる。11:30龍王峡市営駐車場着、50分のフリータイムになる。殆どの人は滝見茶屋へ予約のお昼を食べに行ったが、せっかくの機会なので「全国観光地百選・渓谷の部第5位」の龍王峡を見物することに決める。これまで何度も会津西街道を車で通ったが、龍王峡を見物するのは今回が始めて、遊歩道入口にモニュメントと矢島市郎の句碑(「旅の字は風に吹かるる姿なり」)が建っている。矢島市郎(俳号は矢島三嵩史) は日光国立公園のレンジャー第一号であり、日光博物館館長を務め、 山仲間から「日光の山の神様」と慕われた人である。Dsc09094そういえば日光太郎山の旧ハガタテコースの入口に建つ句碑(「白樺は月が夜来て晒すらし」)も氏の作である。虹見滝の観瀑台に降りると五龍王神社が建つ。ご神体は高さ30㎝にも満たない竜王神(弁天様)らしく、もともとは高原山山麓の弁天沼畔に祀られていたもの、幾多の変遷あって当地に遷座し、川治温泉の守護神として崇敬されている。ご神像の台座には文政八(1825)年、宇都宮明神前の仏師、高田運秀・喜代助親子の合作銘が入っているとのこと、比較的新しいものである。残念ながら扉が固く閉まっていてご神体は拝めない。竜王峡の名称もこの神社に由来するとのこと、滝の名も元は「夜鷹遊ばせの滝」であったものを、上品な「虹見の滝」に改名したらしい。水しぶきがあがり涼しい。虹見橋の上から竜王峡の上下を眺めて引き返す。水量こそ少ないがさすがに見事な渓谷美、川治温泉までの3時間コースを紅葉の時期にでも歩いてみたいものである。Dsc09205 12:20再びバスに乗り出発、川治温泉から先は湯西川ダムの取り付け道路工事が盛んに行われている。五十里ダムがあり、その上流に川治ダムがあるのに、更に上流に湯西川ダムを建設すると云う。本当に日本は土建国家である。13:00今宵の宿伴久ホテル到着、レセプションには㈱観光経済新聞社主催の人気温泉ホテル250選に選ばれたことを示す5つ星ホテルの認定証が燦然と光っている。平家直孫二十五代当主が経営する宿である。湯西川平家は平忠房に連なる血筋らしく、「伴」という苗字も「平の人」を意味する「伻」の文字を「伴」へと変化させたものである。部屋には15:00まで入れないので、ホテルの送迎バスで「平家の里」を見学に行く。Dsc09203平家の里は昭和60年完成の所謂テーマパークの一種で、築300年の古民家を数棟移築保存している。 古民家は、平家落人集落の風俗習慣を伝える民俗資料館(調度営みどころ)、平清盛、敦盛像や武具、甲冑を陳列する展示館(床しどころ)、伝統芸能や民話伝承に活用される郷土文化伝習館(種々伝えどころ)、食堂(餉の館)、生産物直売所(よろず贖どころ)に分かれる。バブル全盛期にオープンした施設の例にもれず、客足が遠のいた今は維持管理が大変そうである。民芸館に並べられた民具も、釜、鉄鍋、蒸籠、お櫃、分銅秤、臼、杵、金具付き和ダンスなどで、ついこの間まで仙台の実家に存在したものばかり、湯西川平家集落に特有のものともいえず珍しさを感じない。Dsc09204 下関赤間神宮から分祀したと云う敷地最奥の赤間神社にお参りしてから、郷土文化伝習館で平家物語琵琶演奏を聴く。平家物語の一節を薩摩琵琶で弾き語りするのは平桜子こと桜井亜木子さん、平家の姫君が源平の昔からタイムスリップして来たかと見紛うばかりのたおやかな美人である。湯西川温泉の標高は750m、例年なら夏の最高気温も25度止まりの山峡であるが、今年は異常らしく結構蒸し暑い。15:00迎えのバスでホテルに戻る。ちょうど大雨が降り始める。545号室は10畳の和室、緑濃い湯西川渓谷を眼下に望める。夕食まで何もやることがないので温泉へ入りに行く。大浴場は総檜造り、ヒノキの香りが床しく漂う。泉質はアルカリ性単純泉、pH9.5、無色澄明で少しぬるぬるする。18:00から平家落人亭3号館で囲炉裏会席の夕食をとる。Dsc09206 室内には沢山の囲炉裏がきってあり、岩魚とトウモロコシを焼く炭火の熱が暑い。その上、お膳の上にもしゃぶしゃぶとすき焼き用のコンロが燃え、室内はまるで釜茹でか蒸し風呂のような有様、お気に入りの浴衣でおめかししてきた女人達は汗で化粧が崩れ、皆本物の平家落武者のような顔になる。献立は食前酒の山桃酒に始まり、前菜がわらびからし漬とフロマージュと合鴨ロースト、お造りが鹿肉たたき、焼物は岩魚串ととうもろこし串、温物は伴久木ノ子すきやき、口代りは平家湯葉しゃぶ胡麻ダレ、蒸物は豆乳蒸し・よもぎあんと八汐鱒アルミ蒸し、凌ぎは山菜そば、鍋物は伴久落人鍋、御飯は竹の子ごはん、香ノ物は三色盛、水菓子はサクランボとグレープフルーツ、こう書いてくると豪勢な山の珍味揃いのようであるが、普段から山菜や野生きのこを食べているせいか余り新鮮味を感じない。これは一種不幸なことであろう。雨も小降りになったので酔い覚ましに温泉街で行われる「竹の宵祭り」に出かける。山から冷気が下りてきて、さすがに夜は涼しい。ロウソクを灯す竹筒照明が雨で使えないため、幻想的雰囲気は味わえないものの、本家伴久萬久旅館若女将の着付け舞などを鑑賞する。ホテルに戻り露天風呂に行くともう誰もいない。湯西川の瀬音を聞きながら湯に浸かり命の洗濯、今日無事に感謝する。

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東寺・六波羅蜜寺

2007年9月30日(日) 6:20起床、最終日はとうとう雨、今日も肌寒く長袖のシャツを着る。長い残暑が一転、急に晩秋を思わせる気候になる。P1050264 7:15朝食一番乗り、張り切って食べるほどの味でもないが・・・。8:30チェックアウト、大荷物を抱えバスで京都駅に出る。コインロッカーに荷物を預けてから歩いて東寺へ向う。駅から15分ほど、東門から入る。東寺(教王護国寺)は真言宗の総本山だけあって境内は広く、五重塔、金堂、講堂、食堂などの建物が偉容を誇る。五重塔をぐるりと回ってから金堂に入る。五重塔、金堂は建物自体が国宝、講堂も重文であるが、堂内に祀ってある仏像も又素晴らしく殆どが国宝ないしは重文の指定を受けている。 金堂には薬師三尊像(本尊薬師如来像、脇侍日光、月光菩薩像)が祀られている01_2。般若心経を唱えてお参りした後、暫し仏前の壁にもたれて三尊の有り難いお姿に見入る。次に講堂に入ると、ご本尊大日如来を中央に、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の21躯の仏像が立体曼荼羅を形成するように安置されている。弘法大師の密教の教えを表現する空間が広がる。講談社の週刊日本の仏像№4「東寺・不動明王と立体曼荼羅」で写真を見てはいるが、御堂の中で見る実物は有難味が全く異なる。壁にもたれたり座り込んだりして仏像群と向き合い瞑想に耽る人も多い。食堂、大師御影堂、宝物館を巡った後、共通拝観券で筆頭格の塔頭観智院も見学する。02こじんまりしてはいるが国宝の客殿をはじめ、宮本武蔵筆の「鷲の図」「竹林の図」、五大の庭、五大虚空蔵菩薩像(重文)、愛染明王像など見所が多い。 再び歩いて京都駅に戻ると11:40、駅ビル11階のレストラン街へ上がり美々卯で昼食にする。午後はバスで六波羅蜜寺へ。西国観音霊場第17番札所であり、空也上人立像をはじめとする重要仏像の宝庫でもある。巡礼の会の団体と一緒に本堂に上がり、先達の唱える般若心経に唱和する。ご本尊の十一面観音菩薩立像(国宝)は秘仏とのことで残念ながらお姿は拝めない。納経印を戴いた後に宝物館を拝観する。館内には空也上人立像をはじめ、地蔵菩薩立像、地蔵菩薩坐像、四天王立像、薬師如来坐像、閻魔王坐像、平清盛像、運慶坐像、湛慶坐像、弘法大師坐像(いずれも重文)、奪衣婆像、司録像、司命像など鎌倉時代に制作された珠玉の仏像が立ち並ぶ。本堂裏手のこじんまりした宝物館ではあるが、さすがに週刊日本の仏像の一冊(№17「六波羅蜜寺 空也上人像と東山」)を占めるだけのことはある。満足してバスで京都駅に戻ると15:00、お土産を買って新幹線ホームに入る。(完)

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鈴虫寺・高山寺・天竜寺

2007年9月29日(土) 6:00起床、曇り。7:00朝食、2階の大広間でツアーメンバーと一緒に和食の弁当を食べる。 8:10明星観光のバスが迎えに来る。ガイドさんが美人に代わる。最初の見学先は最近人気の鈴虫寺(妙徳山華厳寺;臨済宗永源寺派)、P1050181 本当は近くの世界遺産の西芳寺(苔寺)の方に行きたかったが、ツアーであれば如何ともし難い。松尾大社にほど近い駐車場から西芳寺川に沿って歩くこと15分、80段の石段を登りきると鈴虫寺の山門に着く。一同講堂に入り、お茶とお菓子をいただきながら住職の法話を拝聴する。法話の内容は殆どが鈴虫寺の宣伝、堂内座敷には鈴虫の飼養箱が8箱置かれており、各箱に雄500匹と雌500匹合わせて1,000匹入っているとのこと、本当かどうかは分からない。箱内に電球を灯して昼夜の別をなくし鈴虫の生態を狂わしているようで、お寺にあるまじき生き物のP1050202 虐待ではないかと疑う。山門前にあるわらじばきの幸福地蔵のお守りも法話が効いて大人気、求める人が多くなんとも商売上手なお寺である。 二箇所目は世界遺産登録の高山寺(真言宗御室派)、周山街道(R162)を通り10:50高山寺下の駐車場に着く。駐車場から裏参道を登る。入母屋造りの石水院は1206年の開山時から残る唯一の建物(国宝)で、かの有名な鳥獣人物戯画のレプリカが置いてあるとのこと(本物は国立博物館に寄託)、拝観したかったが40分しか時間がないので諦める。中興の明恵上 人を祀る開山堂、P1050194 御廟を見学して最上部の金堂(重文)にお参りしてから山を下る。三尾(槙尾、栂尾、高尾)は紅葉の名所であるが今は僅かに色づいたモミジが1、2本ある程度、未だまだ早い。昼食はバスに乗って2、3分の所に建つ川床料理の高尾錦水亭、渡辺淳一の小説「ひとひらの雪」の一場を思わせる京都郊外の料理旅館である。もっとも明寿会の如き熟年メンバーがどやどやと入り込んではしっとりした雰囲気も台無し。清滝川の河岸にしつらえられた川床に上がり、さざえのクルミ和え、子持ち鮎の塩焼きなどを賞味する。午後は嵐山へ移動し13:00京福嵐山駅前で一旦解散、P1050219 15:20の集合時間まで自由散策になる。すぐ目の前にある世界遺産の霊亀山天龍寺(臨済宗天龍寺派大本山)を見学しに行く。庫裏の入口で拝観料を支払い、達磨大師が描かれた大衝立を見てから書院に入る。長い廊下を渡って多宝殿で襖絵を見学、再び大方丈に戻り龍の襖絵を見、濡れ縁に座って夢窓国師作庭の名園曹源池を眺める。その後庭園へ回り平和観音と愛の泉、硯石を見学し、最上部の百花園や竹林まで足を運ぶ。百花園も今咲く花は芙蓉だけでやや寂びしい。15:20京福嵐山駅に戻る。 そこからトロッコ嵯峨駅まで 歩き15:50発のトロッコ電車に乗る。P1050235 青青とした保津峡を眺めながら25分、16:30終点のトロッコ亀山駅に着く。紅葉の時期には素晴らしいであろう眺めも今の時期はいたって平凡、それでも若いカップルで立ち席も出るほどトロッコ電車の人気は高い。迎えのバスでホテルへ戻ると17:50、夕食がないので今日も外へ調達に行く。(続く)

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高台寺・延暦寺・三千院

2007年9月28日(金) 4:30起床、暗い中レミの散歩を済ませコーヒーを飲んだだけで5:40出発、歩いて南柏駅へ向う。7:03東京駅新幹線ホームに着き、7:36発のひかり363号岡山行きに乗り込む。今日から家人と2泊3日の京都旅行、世界文化遺産に登録されたお寺を中心に巡礼する。10:20京都駅着、夏の様な日差しが照りつけ関西は未だ暑い。H交通社の添乗員Oさんに案内され、迎えに来た明星観光の大型バスに乗り込む。今回のツアーメンバーは45名、P1050120 さしもの大型バスも満員である。11:00知恩院前の駐車場に着き一旦解散、13:00の再集合まで昼食も含め自由散策になる。八坂神社や円山公園は時間に余裕があったら見物することにして、先ず鷲峰山(じゅぶさん)高台寺(臨済宗建仁時派)を訪ねてみる。秀吉の菩提を弔うために北政所(ねね、出家して高台院湖月尼)が1606年に開創した寺である。受付を済ませ方丈に上がると、京焼き名工の茶碗がショーケースにずらりと並べられている。仁清、乾山、頴川、仁阿弥道八ら名人上手の作品は焼き物好きにはたまらない。 太閤秀吉が桃山城で実際に使用しP1050137 たという桐文棗などもあり、さすがに夫人の寺である。建物といい庭園といい侘び寂びの閑寂な風趣が色濃く実に気持ちが落ち着く。中国やタイの原色が氾濫する騒々しい寺とは大違いである。小堀遠州作の名庭園を眺めてから、開山堂、観月台、霊屋(いずれも重文)、そして境内最上部に位置する傘亭と時雨亭(ともに茶室、重文)を順に見学する。中では霊屋(おたまや)内陣の須弥壇と厨子に施された「楽器尽くし」や「花筏」意匠の蒔絵が見事である。高台寺蒔絵といって桃山時代の漆工芸術の粋を集めたものらしい。P1050148 傘亭からの下りでタバコウロコタケ科のワヒダタケに出逢うおまけ付き、すっかり満足して高台寺を後にする。ねねの道を戻る途中、共通拝観券で高台寺嘗美術館にも寄り、蒔絵調度品や掛け軸に描かれた33観音像を見学してから知恩院前の集合場所に戻る。若干時間があるので知恩院(浄土宗総本山)の本堂へお参りに行く。三門前と境内に法然上人八百年大遠忌法要の大立て札が掲げてある。堂内で般若心経の結句部分(掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶)P1050150 を唱えてから集合場所に戻る。 13:00バスに乗り比叡山延暦寺へ向う。13:45東塔第一駐車場着、再集合まで1時間しかないので根本中堂へお参りするだけで精一杯、標高が高い分市内よりは幾分爽やかである。国宝の根本中堂に入ると光による劣化を防ぐためか実に暗い。1200年灯り続ける3基の不滅の法灯の奥に安置される本尊薬師如来像は秘仏とのことで拝めず、それにしても暗い。外へ出て根本中堂の正門である文殊楼へ登る。登楼する階段は見上げるような急勾配、滑り止めの桟が足裏に当って痛い。P1050162 凛々しく涼しいお顔立ちの文殊菩薩像にお参りする。その後境内の茶店で名物のくずきりとくずもちを食べ一服。比叡山延暦寺は世界文化遺産に登録されているが寺域が広すぎてとりとめがない。またコンクリートの建物が多く余り感心しない。14:45バスに戻り、 伝教大師像が建つ峰道展望台に寄って琵琶湖を眺めてから三千院(天台宗門跡)へ向う。15:45大原の里に着きバスから降りて呂川沿いに15分ほど歩く。三千院を訪れるのは3回目であるがこんなに歩いた覚えがない。やはり歳である。御殿門をくぐり宸殿に上がる。01廊下から往生極楽院と杉木立と苔の海(有清園)とを眺める。何年経ってもこの眺めは変らない。往生極楽院にも上がり国宝の阿弥陀三尊像にお参りする。観音、勢至両菩薩の倭坐りのお姿と御堂の舟底型天井とを確かめる。三尊とも慈悲に満ちたお顔とお姿の有り難い御仏である。 庭園にはシュウカイドウやリコリスが一面に咲いている。福寿延命の金色水を一口飲み、金色不動堂を経て最上部の観音堂まで登る。身の丈3m、金色に輝く聖観世音菩薩像にお参りし、十句観音経を唱えてから引き返す。17:10バスに戻り今宵の宿の京都シティホテルへ向う。昔出張の時に何回か泊まったことがある。17:45チェックイン、705号室、ビジネスホテルのツインルームは非常に狭い。荷物を置いて外へ食事に行く。(続く)

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白馬村秋色

P10500142007年9月10日(月) 「秋の白馬フリータイム4日間」というコース名の白馬温泉郷に3連泊するバスツアーに行ってきました。3日目は生憎の雨模様で山へ行けなかったのでホテル周辺をのんびり散策しました。田んぼには稲穂が垂れ畑には蕎麦の白い花が一面に咲いて、今年の秋の実りも確かなようです。蕨平地区の石仏群、大出地区の吊り橋と北野社とを順に回ってホテルに戻ると早やお昼過ぎ、天神の湯を独り占めし白馬三山の裾野や長野オリンピック のスキーP1050029ジャンプ台を眺めながらゆっくり温泉に浸かりました。午後は雨がひどくなってきたので完全休養の読書タイム、田部重治著の「山と渓谷」を読み進めました。

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利尻島の旅(2/2)

2007年7月24日(火) 5:00起床、体の節々痛む。朝湯にゆっくり入り目を覚ます。目の前の浜では 朝採り昆布を家族総出P1040504で並べる作業の真っ最中、漁家の朝は早い。高級昆布として有名な利尻昆布も1等から4等までの規格があり値段も倍違うとのこと、今年は天候に恵まれず今日が2回目の浜干しらしい。それだけに今日は昨日以上の好天で礼文島もくっきりすっきり見える。7:00朝食、有機栽培大豆の抽出成分を与えているという鶏の卵は殻が3倍も厚い。卵黄も盛り上がりオーナー自慢の一品である。なんでも魚介類以外の食材は全て島外から取り寄せているとのこと、米も野菜も有機栽培品らしくこだわりも筋金入りである。納豆、 ホッケの塩焼き、黒豆の煮物、フノリの味噌汁が出て朝からご飯を2杯も食べる。ウエルカP1040522 ム・ドリンク券でモーニングコーヒーを飲む。豆を冷蔵庫から出した後20分かけて常温に戻し、手で挽いて煎り出す本格コーヒー、その香りと味はひたすら深い。徹底したこだわりである。レンタカーを10時に頼み、ペシ岬遊歩道へ散策に出る。海岸の岩場に行くと見慣れないタンポポが咲いている。葉も茎も丈夫で、茎が分枝し花がついている。後で調べると北海道の高山に咲くというフタマタタンポポのようである。10:00レンタカーで島内観光に出発、軽自動車を頼んでおいたはずなのに普通車(日産CUBE)を手配してくれる。P10405423連泊すると色々特典がある。料金は3時間まで5,000円、その後1時間延びる毎に1,050円増しである。先ず利尻山神社へお参りに行く。その後反時計周りに島内を一周し主な見所を訪ねる。最初は北端の富良野園地、いわゆる原生花園で今はエゾフウロ、ハマエンドウ、ハマナス、ヒオウギアヤメなどの花が見られる。2箇所目は利尻山の五合目、沓形コース登山口にある見返台園地、標高450mの駐車場から四阿の建つ展望台までひと登り、路傍にはミヤマウツボグサやヨツバヒヨドリが咲く。展望所からはハP1040561イマツ帯の上に聳える利尻山と、群青色の日本海に浮かぶ礼文島がくっきり見渡せる。デジカメの電池が厳しくなる。 昨日は充電する間もなくダウンしてしまい大失敗。山を降り3箇所目の沓形岬公園へ行く。沓形港に隣接する場所でクロユリやハマナスが咲く原生花園であるが今は花が少なく、紅花のシュムシュノコギリソウばかり目立つ。外気温21℃、陽射しが強く気温以上に暑く感じる。礼文島が間近に望める。また利尻山の姿も素晴らしいが、最近出来たホテルの建物が邪魔になる。もっと景観に配慮して建設地を選んで欲しいもの、P1040564 全く勿体無い。園内に建つミニビジターセンターに立ち寄り利尻島のキノコの解説板を読むと、これまで島内で発見されたのは200種類ほど、毎年シーズンになると島の人達も夢中になってハタケシメジ、フキサクラシメジ、ボリボリ(ナラタケ)、ラクヨウ(ハナイグチ)を探し求めると書かれている。キノコの宝庫の筈であるが、今回はチャコブタケの幼菌一種類に出逢っただけでキノコ観察は不発に終わる。4箇所目は西海岸にある寝熊の岩と人面岩の奇岩怪石、および北のいつくしま弁天宮、P1040570 いずれも余り感心しない。5箇所目は南端の仙法志御崎公園、個人的にはそこから眺める利尻岳の姿が一番美しいと思われる。左右にバランスよく両翼と裾野を引いた姿は何時まで眺めていても飽きない。山の美形コンテストがあれば間違いなく日本のベスト10に入るであろう。海岸に自然磯観察場が設けられており、エゾバフンウニ、キタムラサキウニ、ナマコなどを観察できる。カラスが浅場のウニを捕まえては上手に殻を割って食べている。利尻島のカラスは日本一のグルメである。6箇所目は南浜湿原、利尻島一大きい湿原はミズバショウやミツガシワの群落があるが花期は過ぎ、今はタチギP1040573ボウシの青紫の花ばかり目立つ。とうとうデジカメの電池が切れる。7、8箇所目のオタトマリ沼と姫沼園地はどちらも湖畔まで行ってみただけで一周1.1㎞の湖畔周遊歩道には入らず、湖面が穏やかなら見えるという逆さ利尻富士も今日は拝めない。15:00宿に戻る。 今日は台湾からの観光客7名を含め20名弱の宿泊客で大繁盛、何となくほっとする。ベッドに横たわり、ジェームズ・ヒルトン作「失われた地平線」を読む。作中のシャングリ・ラの舞台は崑崙山脈深くの隠れ里、どう読んでも雲南省の中甸とは結びつかない。中国(人)はP1040580パクリの達人である。18:00夕食、3連泊だと特別メニューも付いて一段と豪華、 ウニ尽くしに加えてホタテのお造り、磯ツブの煮物、ホッケの焼き蒲鉾、チカのフライ等が並ぶ。この3日間で一生分のエゾバフンウニを食べた気分である。生ビールと赤ワインを飲んで酔う。酔い醒ましに一人でペシ岬に登りに行く。礼文島の後に沈む夕日を眺める積りであったが低い雲に妨げられる。暮れるにつれ利尻山の姿が紫色のシルエットに変わる。上空にかかる半月の風情も捨てがたい。近畿地方今日梅雨明け、本州の夏本番も近い。

7月25日(水) 6:00起床、7:00朝食、P1040594昨日と同じメニューであるが味噌汁に珍しい海草(ギンナンソウ?)が入っている。 再びモーニングコーヒーをご馳走になり8:00チェックアウト、3日間お世話になったヘラさんの家を後にする。フェリーターミナルへ行きフィルイーズ宗谷号に8:25乗船、観光大使が歌う利尻旅情の歌声に送られ北の島に別れを告げる。天気は下り坂、来た時より風が強く波が荒い。10:40稚内港着、稚内駅まで歩きコインロッカーに荷物を預ける。とうとう小雨が降ってくる。駅裏にある北市場へ行くとカニやウニなどの生ものが主体、仕方が ないので南稚P1040591内駅との中間にある副港市場まで15分かけて歩いていく。旭川以北最大のショッピングモールというだけあって、北のガラス館、日帰り入浴施設(港のゆ)、スーパーマーケット、屋台村(波止場横丁)、レストラン、海産物専門店(丸善)などが集まっている。丸善に入り利尻昆布や鮭トバ、姫タラなどのお土産を買い足す。鮮魚が実に安く、近所に住んでいるなら買いたくなるものばかり、生サンマ1尾28円、真ツブ1個750円、ホッキ貝4個550円、活きホタテ5枚500円、宋八ガレイ10枚300円、黒ガレイ2枚450円、生青鱒1尾500円、時鮭1尾3,200円などの値が付いている。波止場横丁のラーメン店“北の香り”に入って昼食、帆立ラーメンを食べる。再び歩いて稚内駅に戻り、直ぐ近くの宗谷バスターミナルで13:35発空港行きのバスを待つ。(完)

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利尻島に咲く花(3/3)

2007年7月22日~25日、利尻山及び海岸で観察したもの。写真は、左から右、上から下への順で、1.ミヤマウツボグサ、2.ミヤマオグルマ、3.ミヤマシシウド、4.ミヤマバイケイソウ、5.ヤマハハコ、6.ヨツバシオガマ、7.ヨツバヒヨドリ、8.リシリトウチソウ。01_15 02_5 01_17 01_19 01 01_2 01_3 01_4

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利尻島に咲く花(2/3)

2007年7月22日~25日、利尻山及び海岸で観察したもの。写真は左から右、上から下への順番で、1.ゴゼンタチバナ、2.シュムシュノコギリソウ(紅)、3.シュムシュノコギリソウ(白)、4.チシマアザミ、5.ハイオトギリ、6.フタマタタンポポ、7.ホソバイワベンケイ、8.ミヤマアズマギク。      01_9 05 01_10 01_11 01_12 02_4 01_13 01_14

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利尻島に咲く花(1/3)

2007年7月22日~25日、利尻山および海岸にて観察したもの。写真は、左から右、上から下への順番で、1.イブキトラノオ、2.イワギキョウ、3.エゾカンゾウ、4.エゾグンナイフウロ、5.エゾツツジ、6.エゾフウロ、7.エゾミソガワソウ、8.エゾヤマゼンコ0202_3。         01_4 01_5 01_6 04_2 01_7 01_8

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利尻島の旅(1/2)

2007年7月22日(日) 5:00起床、P1040503 小雨降る中6:18のバスで北小金駅へ。8:05羽田空港第2ターミナルビル着、出来てから初めて来たが実に広い。ANA571便稚内行きは満席、10:00離陸、 新聞を読むうちにたちまち北海道上空にさしかかる。11:40稚内空港安着、結構蒸し暑い。空港ターミナルビル前から宗谷バスに乗りフェリーターミナルへ向う。12:40稚内港東日本海フェリーターミナル着、稚内と鴛泊を結ぶフェリーは1日4便しかなく、次は最終の15:30発である。フェリーターミナル2階の食堂で昼食を食べながら時間潰し、つぶ刺しが美味い。稚内P1040358を訪れるのは大学4年の夏以来39年ぶり、日本最北端の町は相変わらずどことなく寂しい。15:10乗船、Bデッキ2等船室は和室、足を伸ばしたり横になったりしてくつろぐ。17:10鴛泊港に入る。港から徒歩5分、ペシ岬遊歩道入口に建つ大型ペンション“ヘラさんの家”にチェックイン、部屋はふたご座と名付けられた洋室である。12室もある大きなペンションなのに今日の宿泊客は2組だけ、夏休みなのに空いている。一時の離島ブームはとうの昔に去り、利尻山をめざすツアー登山の団体客も6月がピークとのことである。 風呂とP1040367トイレは共同であるが館内は手入れが行き届き清潔、雲南省のホテルより余程まし。夕食前にペシ岬展望台に登ってみる。三角点のある頂上まで15分ほど、宿のサンダルを履いて出たので歩きにくい。残念ながら礼文島はガスの中、その代わり利尻山の雲が 取れ天を突く鋭峰が姿を現す。明日は好天が期待できそうで幸先が良い。18:30~19:30夕食、ホタテのバター焼きに始まり、エゾバフンウニのお造り、ゴマ豆腐とウニの蒸し物、ツブの和え物、エゾアカメバルの唐揚げ、ウニのお澄ましまで、北の海の幸がフルコースで出てくる。P1040375オーナーこだわりの食材は一級品、味はもちろん超特急、ここに3連泊は嬉しい。明日 利尻山に登ることを決め、朝食代わりのお握りを頼む。5:00に登山口まで車で送ってもらえるとのこと、有り難い。NHKの大河ドラマ「風林火山」を観てからお風呂に行く。お湯は塩化ナトリウム炭酸水素泉というれっきとした温泉、近くの利尻富士温泉からタンクローリーで運び込み、加温、循環、塩素殺菌しているとのこと、浴槽は本格的岩風呂で5人くらいは楽に入れる。食事は美味しいし、お湯は良いし、清潔だし、安全だし、やはり海外旅行よりずっとくつろげる。

7月23日(月) 宿の車で登山口の北麓野営場まで送ってもらい、鴛泊コースを往復して利尻山に登頂。標準コースタイム10~11時間P1040473のところ12時間もかかる。 8合目の長官山から上は高山植物の花盛り、イブキトラノオ、イワギキョウ、エゾカンゾウ、エゾグンナイフウロ、エゾツツジ、エゾフウロ、エゾミソガワソウ、エゾヤマゼンコ、ゴゼンタチバナ、シュムシュノコギリソウ、バイケイソウ、ホソバイワベンケイ、ミヤマアズマギク、ミヤマオグルマ、ミヤマシシウド、ヨツバシオガマ、リシリトウチソウなどに出逢う。9合目から上は正念場の胸突き八丁、急傾斜のガレ場が続き、ロープに縋ってやっとの思いで頂上に辿り着く。(詳しい山行記は姉妹編ブログ「自惚山人ノオト」をご覧ください)(続く)

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姫路城・大原美術館

2006年9月30日(土) 6:00起床、再び金泉、銀泉に入る。朝風呂が癖になりそう。4日連続の好天、明日からは天気下り坂とのことである。7:00朝食、生卵と納豆でご飯を2杯食べ、コーヒーも飲む。Cimg4626 8:00出発、今日最初の観光地は世界遺産(1993年登録)の姫路城、妻は数年前に娘と来たことがあり、二度目である。9:20到着、入場料は600円と良心的。5層7階の大天守が青空にすっくりと聳える。なるほど美しい。気品があって優雅である。頑丈一点張りの外国の城砦とは雲泥の差、日本人の美意識の結晶、それも純度100%と言える。これなら世界文化遺産として胸を張れる。西の丸、百間廊下、化粧櫓、姥が石、腰曲輪と順路に従い見学する。大天守は最上階まで登り、そこに祀られる長壁(オサカベ)神社にお参りし、姫路市街地の眺望を楽しむ。腹切丸とお菊井戸も見物すると1時間半はあっという間に過ぎる。Cimg4650ホテル姫路プラザに移動し、レストランで名物蛸飯の昼食、まだ11:00なので早過ぎる。 のじぎく国体(野路菊は兵庫県の県花)が今日開幕とのことで、街には関連のポスターや幟が目立つ。旅も終盤、山陽路を西へ走り赤穂城址に12:20着。城址は石垣以外何もない。姫路城を観た後では見劣りするのもやむを得ない。隣接する大石神社に参拝し、名物の塩味饅頭を買う。いよいよ最後の観光地倉敷へ向う。14:50倉敷美観地区到着、街を案内してくれるボランティアの男性が待ち受ける。申し訳なかったが美観地区散策はパス、大原美術館見学へ直行する。Cimg4652 入館料は1,000円、今は「インパクト 東と西の近現代 もう一つの大原美術館展」と題し、児島虎次郎に始まるコレクション収集の歩みと、それらが人々に与えてきたインパクトを振り返る内容の展示構成である。残念だったのは主要作品40点が東京国立近代美術館で開催中の「モダンパラダイス展 大原美術館+東京国立近代美術館:東西名画の饗宴」に出張中であったこと、仕方がないのでエル・グレコの《受胎告知》をじっくり鑑賞する。途中コーヒーブレークを挟んで、工芸館、東洋館、分館まで回ると、集合時刻の17:00が近づく。再びバスに乗り17:45岡山駅到着、4日間お世話になった運転手さんとガイドさんに挨拶して新幹線口へ進む。注文していた弁当を渡されたのは良いが座る所も無し、のぞみ98号の発車時刻19:17まで、時間が有り余る。仕方がないので駅ビル内の喫茶店で時間潰し、コーヒーで腹がガブガブになる。19:15漸く新幹線に乗り込み早速弁当を開く。祭り弁当もあぶり寿司(鯖)も美味とは言いかねる。22:45東京駅着、北小金からタクシーで帰宅するとjust0:00、レミが喜んで迎えに出てくる。(完)

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鳥取大砂丘・出石・天橋立

2006年9月29日(金) 6:00起床、湖上に建つ露天風呂に入る。Cimg4527 湖岸を囲む東の山の端から朝日が昇る。今日も好天である。8:00出発、バスはR9を東進する。車窓から白兎海岸や白兎神社を眺め、8:40鳥取大砂丘に着く。38年前の記憶なので定かでないが、砂丘面積が狭まった気がする。砂丘の頂上に立ち日本海を眺める。汀線の景色も伸びやかで素晴らしい。砂のメッシュが細かく、線香立ての砂に最適とのこと、仙台の仏壇用に少し頂戴する。梨シェークと梨ソフトクリームを食べてから、砂丘会館後背地のクロマツとハリエンジュ混交林にきのこCimg4538探しに行く。林内は好天続きでカラカラ、ツルタケを2本見つけただけに終る。 9:50出発、砂丘付近には特産のラッキョウ畑が広がる。他にも長芋や落花生、梨が穫れるとのこと、砂丘様様である。余部鉄橋にさしかかると10:51の列車がちょうど通過するところ、2時間に1本の列車が見られるとは全く幸運である。来春にはコンクリート橋に架け替えられるとのことで、わざわざ写真を撮りに来ているマニアもいる。12:20出石(イズシ)到着、出石藩5万8千石の城下町だった所で、但馬の小京都と呼ばれる詩情溢れる街である。 沢庵和尚生誕の地であり、沢庵漬け発祥の地でもある。また、隣町の豊岡市日高町は上村直己の出身地。散策の前に花水木なる蕎麦屋で名物皿そばの昼食、信州上田から移封された仙石氏が連れてきたソバ職人によって技法が伝えられ、Cimg4563今では50軒の蕎麦屋が並ぶ関西屈指のそば処である。出石焼の白地の小皿に盛られた蕎麦を、生卵、とろろ、刻みネギ、大根おろしを入れたタレに浸けて食べる。なかなか美味しい。食後街中散策、観光ガイドマップに従い、出石城址、震鼓楼、宗鏡寺(通称沢庵寺)を訪ねる。 途中、正月用に地物の黒豆と大豆を求め、珍しいので黒皮イチジクを買う。イチジクは完熟品、小粒だが甘くクリーミーで美味。震鼓楼の風景はNHKで何度か見たような、、、どこか懐かしい眺めである。宗鏡寺(スキョウジ)は遠かったが、沢庵和尚作庭という庭苑を眺め、和尚の塔所にお参りし、願いの鐘を撞く。満足してバスに戻る。14:00天橋立へ向け出発、今日最後の見学地である。妻は30年前に友達と来たことがあり2度目らしい。Cimg458314:50到着、丹後国一の宮、元伊勢神宮の籠神社(コノジンジャ)の鳥居を潜り、 左へ進むとケーブル乗り場に出る。展望所がある標高140mの傘松公園まで僅か4分、天橋立が架かる宮津湾がパノラマで広がる。さすがは日本三景、素晴らしい。四大観(大高森、富山、扇谷、多聞山)から眺める故郷松島の景色と甲乙つけがたい。股覗き発祥の地という高台まで石段を140段登る。西国28番札所成相寺に続く参道である。 傘松と名づけられたアカマツが枝を広げ、売店がある。そこまで登って来る観光客は殆どいない。踏み石を独占し、二人でゆっくり股覗きをやり、心ゆくまで絶景を楽しむ。帰りはリフトを使ってバスに戻る。バスは舞鶴自動車道と中国自動車道を使い、一気に有馬温泉へとひた走る。途中、神戸三田IC近くから懐かしい神戸工場を見る。18:00有馬ビューホテルにチェックイン、602号室は8畳間、やれやれ丁度良い広さである。19:00夕食、但馬牛(?)にしては硬く歯応えがあるが、ともかくもサイコロステーキの牛鍋がつく。食後早速温泉へ行く。さすがは日本の名湯、良いお湯である。金泉(有馬温泉元湯の含鉄強塩泉)と銀泉(六甲山中に湧くラジウム泉)の2種類の浴槽があり、かわるがわる入ってゆっくり温まる。(続く)

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出雲大社・足立美術館

2006年9月28日(木) 7:00朝食、珍味はなく和食に果物とコーヒー。今日は世界遺産の見学はないが、出雲大社がいずれ文化遺産に登録されるかもしれぬ。8:00出発、昨日と同じバスに乗り、廿日市ICから高速道に上がる。中国地方を縦断し、浜田ICでR9に降りる。島根県に入ると民家の屋根瓦は油を塗ったようなテカテカの臙脂色、石州瓦と言って酸性雨や塩害に強く、この辺りの特産である。Cimg4457山陽パルプの工場が建つ江ノ川河口、温泉津(ユノツ)温泉を通り出雲大社へ向う。 出雲市内に入って島根ワイナリーに寄り昼食、ワイナリーの見学で試飲のワインを飲み過ぎふらふらになる。喫茶室のシャルドネで昼食、ころもばかりが大きいエビと鯵のフライが出る。真っ赤な顔で参拝するわけにもいかないので、巨峰ソフトクリームを食べて酔いを醒ます。13:00出雲大社着、御祭神は言うまでもなく大国主命(オオクニヌシノミコト)で、大己貴命(オオナムチノミコト)など13の別名を持つ大神である。先ずCimg4468 神楽殿に昇って正式参拝をする。千家宮司による有り難い祝詞に始まり、妙齢の巫女が神楽舞いを奉納し、ツアー一同を代表して長老が玉串を奉げる。一同御守りと御神酒を頂戴し、 最後に八足門から御本殿の瑞垣の内に入り、“二拝四拍一拝”の形式で参拝する。神楽殿と本殿でそれぞれ御朱印を戴き、娘に縁結びの御守り、息子に交通安全の御守りを受ける。今回の旅行の目的を果たし、ほっとしてどっと疲れが出る。14:20安来市の足立美術館へ向け出発、車窓からは、なかなか拝めないという三瓶山(1,126m)や大山(1,729m)が見える。天気だけは大当たりである。宍道湖や松江城も車窓から眺め、16:00足立美術館に到着。Cimg4496 創設者は地元の実業家、足立全康氏である。近代日本画壇の巨匠達の作品を収蔵する美術館は、広大な日本庭園の中に建つ。庭園の四季に合せて年4回常設展の展示替えを行うとか、名園と名画との調和が第一に重んじられている。「庭園もまた一幅の絵画である」とは全康氏の言葉であるが、館内の窓から見る景色は確かに一幅の山水画、アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で4年連続日本一に選ばれているのも肯ける。個人的には整い過ぎているようなPhoto_8 気もするが、、、何分維持管理費は莫大であろう。1時間15分しか持ち時間がないので忙しい。庭を眺めた後、横山大観、竹内栖鳳、河合玉堂、橋本関雪、榊原紫峰、上村松園などの日本画を鑑賞する。更に陶芸館で河合寛次郎と北大路魯山人の作品を堪能する。入館料は大人2,200円、茶室や喫茶室で寛ぐ時間も欲しい。日がな一日ゆったり過ごせる地元の人が羨ましい。18:45東郷池畔に建つ羽合温泉望湖楼にチェックイン、601号室は12畳間、修学旅行じゃあるまいし広過ぎる。19:30夕食、冷凍ながらズワイガニがまるごと一匹付く。他には刺身、蟹鍋、天麩羅など、昨日の宿より内容は濃い。冷凍蟹は身離れが悪く、名人上手でも食べるのに四苦八苦。食後温泉へ、pH7.92、さらさらのナトリウム-塩化物泉である。本物の温泉はやはり温まる。(続く)

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厳島神社

2006年9月27日(水) H旅行社の「安芸の宮島・出雲大社・天橋立と足立美術館夫婦ふたり旅4日間」に参加、今年2回目の国内旅行に行く。10:10東京駅着、集合場所は八重洲北口、早速受付を済ませる。添乗員は40歳前後の体と声が大きい男性S氏、今の時期は一日も休みが取れないとのことで大分草臥れている。Cimg4420今回のツアーメンバーは13組・26名、いずれもフルムーン組である。 10:50発のぞみ21号博多行きのグリーン車(8号車)に乗る。新幹線のグリーン車に乗るのは新婚旅行の時も入れて今回が3回目、座席がゆったりしているので寛げる。 日経と読売の新聞2紙、「アジア怪食紀行」(小泉武夫著)を読み、家人が作ってきたタラコお握りを食べる。14:50広島駅到着、外に出ると暑い。迎えに来た両備バスに乗って宮島口へ行き、16:00発のみやじま丸で渡海、学生時代以来38年ぶりに宮島に上陸する。Cimg4416寝殿造りの華麗な社殿は昨年塗り替えられたばかりで、朱色が鮮やかである。亘り廊下を巡り、宗像三神《市杵島命(イツキシマヒメノミコト)、田心姫命(タコリノヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)》を祀る本殿に参拝し、御朱印帳に記帳してもらう。今回は干潮時で砂浜が露出し、海上に浮かぶ荘厳な社殿の姿は残念ながら拝めない。重要文化財の五重塔と千畳閣も見学する。1996年に世界文化遺産に登録されて以来、観光客で賑わっているように見える宮島も、過疎化と高齢化は急ピッチで進んでいる。Cimg4419 もみじ饅頭を土産に買って、17:35みやじま丸に再乗船、宮島口に戻る。18:00安芸グランドホテルにチェックイン、853号室は10畳間で二人には広過ぎる。19:00から夕食、牡蠣グラタン、牡蠣フライが出るが味はいまいち。21:40ホテルの桟橋から宮島ナイトクルージングに出発、大鳥居を2回くぐってくれる。これでこそ正式参拝である。海中を1m近い大魚(鱸?)が泳ぐのを見る。ホテルに戻って漸く風呂に入る。大浴場ではあるが沸かし湯、初日のホテルはやや期待はずれ。(続く)

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琉球王国のグスク及び関連遺産群

2006年2月6日(月)  H社企画の「沖縄大感謝祭3日間」というツアーに参加し、沖縄の世界遺産見物に行く。 なんと一人29,800円の格安旅行である。8:45羽田第一ターミナル着、受付で搭乗券を受け取り出発ゲートに入る。10:15離陸のJAL1911便は、強い向かい風を受けて30分も遅れ、那覇空港着陸が13:00になる。外気温21℃、空気が生ぬるく暖かい。01やはり南国である。現地添乗員氏の出迎えを受け、バスに乗り込む。一行42名で大型バスも満席、しかも今日だけで6組到着しているとのこと、激安ツアーは大人気である。早速観光を開始、今日は南部戦跡巡りが主である。①糸満市・琉球ガラス村、②ひめゆりの塔、③平和記念公園、④琉球の館(紅型染めやミンサー織の染織工房)と順番に回り、18:10那覇市国際通りに近いエッカアネックスHにチェックインする。ビジネスホテルで部屋もベッドも狭い。国際通りへ夕食に出て、海鮮居酒屋ふるさと万歳に入り、かりゆし定食を食べる。沖縄そば、グルカンの唐揚げ、白身魚の刺身、モズクの三杯酢、山芋豆腐などがお膳に並ぶ。グルカン(標準和名タカサゴ、フエダイ科)は虹色の魚体に似ず淡白な味である。オリオンビールも苦味弱くあっさりしている。

2月7日(火) 7:45出発、今日も土産物屋巡りが多い。①那覇市・サンゴ加工所、 ②那覇市・DFSギャラリアCIMG2722(昨年1月にオープンした国内発の免税店、沖縄経済振興策のひとつと思われる、 ルイ・ヴィトンのみ非免税、琉球びーどろの花生を買う)、③首里城(守礼の門から入り、世界遺産の「園比屋武御嶽石門(ソノヒヤンウタキ)」を見て、瑞泉門、漏刻門、廣福門、奉神門とくぐって正殿広場に出る、平成4年に復元された正殿は朱色の漆が鮮やかである、南殿から入って正殿内を見学し、北殿から出る)、④恩納村・万座毛(沖縄本島随一の景勝地だけに、断崖に打ち寄せる波の景色が美しい、風が強く風の岬でもある)。ネオパーク沖縄に隣接するゴーヤハウスで昼食、ゴーヤ膳を食べる。売店で乾燥アオサを購入する。 アオサもモズクもウミブドウも今は全て養殖物である。⑤名護パイナップルパーク(パイナップルワインを試飲、パインソフトクリームを食べる)、CIMG2745 ⑥本部町・琉宮城蝶々園(日本一大きな蝶というオオゴマダラとその黄金蛹を見る)、⑦本部町・美ら海水族館(海洋博記念公園内にある、ジンベイザメが悠然と泳ぐ様は圧巻、南海の魚類は色鮮やか、グルクンは沖縄の県魚である)。18:20恩納村にあるHみゆきビーチに到着。東シナ海を望む部屋は10畳の和室、プライベートビーチを持つリゾートホテルである。今日は満室らしく、同じ旅行会社の色違いのバッジを着けた人がぞろぞろ居る。18:30から夕食、バイキングであるが品数少なくお盆の上の皿が埋まらない。それでも琉球舞踊(四つ竹踊り・日傘踊り)のサービス付き、ニッキュウパーでは文句も言えない。

2月8日(水)  8:20バスで出発、今日は一段と風が強く寒い程、NFのヤッケを着てちょうど良い。CIMG2763 予報では最高気温15℃、沖縄の真冬である。午前中に①恩納村・琉球村(移築された古民家が数棟並び、ハブセンターもある)、②読谷村・黒糖工場(黒糖の製造工程を見学、サトウキビの茎をローラーで潰して搾汁し、それを煮詰めるだけ、売店で黒糖水飴と味付けミミガーを買う)、③座喜味城跡(世界遺産、石積みの城壁しか残っていないが、沖縄最古のアーチ門をくぐって、二の廓・一の廓を見学する、城壁に登って東シナ海を眺める)と廻る。沖縄の世界遺産は「琉球王国のグスクと関連遺産群」として9箇所指定されているが、どれもこじんまりして物足りない。これだけで観光客を呼ぶのはちょっと苦しい。12:00那覇の県庁前まで送ってもらい、OPツアー組と別れてフリータイムになる。国際通りを歩いて、牧志第一公設市場見物に行く。野菜、果物、魚、肉に見慣れないものが色々ある。CIMG2771 野菜はシマラッキョウ、シマトウガラシなど”シマ”が付くものが特産品である。果物ではカニステル(エッグフルーツ)、タンカン、シークワーサー(ヒラミレモン)などが、魚貝類ではマングローブ林で獲る泥蟹やエビ、それにアオブダイ、ハリセンボン、シャコガイなどが珍しい。豚は肉ばかりでなく、顔面、耳、足、皮、内臓、○●などあらゆる部分が売られている。市場を出て壺屋通りに焼物を見に行く。壺屋焼物博物館の向い側にある陶宝堂に入ると、人間国宝金城次郎氏の作品を展示販売している。壺も皿も数十万円の値札が付いており、とても手が出ない。氏の長女宮城須美子氏の作品ならば家計の許容範囲である。家人と相談の上、魚紋花瓶を一点購入する。 公設市場に戻って昼食に沖縄そばと沖縄ぜんざいを食べる。どちらも味はCIMG2775 いまいちである。17:25の再集合までまだまだ時間があるので、モノレールに乗って首里城近くにある世界遺産「玉陵(たまうどぅん)」を見学に行く。第二尚氏王統の陵墓であるが、首里城に較べると観光客も少なくひっそりしている。県庁前に戻り、ステラおばさんのクッキー店でお茶を飲み迎えのバスを待つ。それにしても今日は寒い。薄着で来たために東京より寒く感じる。17:25バスにピックアップしてもらい、那覇空港に向う。「またんめんそーれ」である。JAL1930便は20:10那覇空港離陸、22:05羽田空港着陸、モノレール・山手線・常磐線・千代田線と乗り継いで、最後は北小金駅からタクシーを使う。0:10帰宅。

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古都京都の文化財

2005年9月23日(金) JR東海ツアーズ企画の「ゆったりお値打ちチョイスプラン京都」に応募し妻と娘と3人で家族旅行に出かける。京都の世界遺産を巡る旅である。家を8:30に出て東京発10:36のひかり369号に乗り込む。新幹線のグリーン車に乗るのは新婚旅行以来30数年ぶりである。CIMG1266 おしぼりとコーヒーのサービスも付く。松茸弁当を食べ、「大興安嶺探検」を読むうち13:20京都駅到着。大きな荷物をコインロッカーに預け、JR奈良線で宇治平等院鳳凰堂へ向う。さすがにお茶どころ、門前町にはほうじ茶を炒る香ばしい匂いが漂う。鳳凰堂内の本尊”阿弥陀如来像”と”雲中供養菩薩像”26躯を拝観し、鳳翔館内で”梵鐘”と残りの”雲中供養菩薩像”26躯を観る。阿弥陀如来像の光背、天蓋、台座は修理中で取り外されている。寺内の塔頭最勝院の一隅に源三位頼政の墓があり、辞世の句「埋もれ木の花さくこともなかりしに みのなるはてぞ悲しかりける」も掲げてある。平等院の見学を終えて、宇治川の対岸にある宇治上神社に行く。本殿は1060年代の建立で、現存する日本最古の神社建築である。覆屋(オオイヤ)の中に中殿、左殿、右殿の3棟の内殿があり、それぞれ応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)を祀る。京都駅に戻り、駅ビル11階のイートパラダイスで晩飯を食べ、19:15ブライトンホテルにチェックイン。435号室はデラックスツインで3人でもゆったり、日本のシティホテルは快適である。

9月24日(土)  6:00起床、好天である。御所の中を通り抜けて出町柳駅に出る。叡山電鉄の鞍馬行きは15分毎にある。 今日は洛北巡り、鞍馬寺から貴船神社に山越えする。8:50鞍馬着、CIMG1178 仁王門をくぐると参道は九十九折りの山道となる。 彼岸花が咲き金木犀が香る。鬼一法眼社、由岐神社、大杉社などにお参りしながら登っていくと、本殿金堂前に出る。左右を護るのは狛犬ならぬ福虎である。 ご本尊で国宝の”木彫毘沙門天立像”は、同じく国宝の”木彫吉祥天立像”、”木彫善膩師童子立像”とともに霊宝殿3階に安置されている。初代管長が与謝野晶子の直弟子だった関係で、晶子の書斎”冬柏亭”が山内に移築されている。更に登ると、源義経公背比石があり、大杉権現への道が分かれる。その辺りが鞍馬寺の最高点で、そこから道は下りになる。僧正ケ谷不動堂、義経堂などを経て10:40奥の院の魔王殿に着く。一休みしてから急坂を貴船神社めざして降る。西門を潜り抜け貴船川を渡ると、CIMG1206そこが貴船神社である。ご祭神は水の供給を司る神の”高龗神”(タカオカミノカミ)である。お御籤を水に浮かべると大吉などの文字が浮き出てくる水占いが珍しい。 貴船川を上流に辿り、中宮の結社(ユイノヤシロ)に行く。祭神は縁結びの神様、磐長姫命(イワナガヒメノミコト)、桂のご神木には良縁を願う沢山の絵馬が結びつけてある。中には「飽きられませんように、捨てられませんように」と真に迫るものもある。更に上流に行くと奥宮がある。”船石”を見学し、お参りして引き返す。貴船口までの道沿いには川床料理の店が切れ目無く続く。見るからに涼しげであるが如何せん値段が高い。昼食膳で一人前6000円から18000円もする。「ゼロがひとつ多い」「ゼロがひとつ・・・」とつぶやきながら歩いて12:45貴船口に着く。 再び叡山電鉄で出町柳駅に戻る。駅前で簡単な昼食を済ませ、歩いて賀茂御祖神社(下鴨神社)に行く。そこでも縁結びの社の相生社は大繁盛である。CIMG1224 中門をくぐると十二支ごとの守護社(言社:エトノオヤシロ)があり、本殿拝殿がある。祭神は賀茂氏の祖、玉依媛命(タマヨリヒメノミコト)と賀茂建角身命(カモタケツヌノミコト)である。 出町柳駅に戻りタクシーで二条城へ向う。15:00から一時間ほど駆け足で、二の丸御殿、本丸庭園、天守閣跡、清流園などを巡る。寺社見物は山歩きよりもくたびれる。一旦ホテルに戻り、ひと休みしてから18:10のシャトルバスで夕食に出る。河原町の”本家鳥初”の座敷にあがり、水だきコースを注文する。料理もビールも旨い。

9月25日(日)  8:00ホテルをチェックアウトし、シャトルバスと地下鉄で京都駅へ出る。今日は娘と別行動、CIMG1242 妻と二人で清水寺行きのバスに乗る。 五条坂を登って9:30清水寺に着く。本堂に上がり、出世大黒天に触れる。 もはや出世とは無縁であるのに、悲しい性である。家内安全を願い大鐘も撞く。清水の舞台から京都の街を眺め、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院へと順路に沿って参拝する。 そして鎮護社の地主神社(ジシュジンジャ)へ廻る。そこも縁結びの社で女性が熱心にお参りする姿が目立つ。音羽の滝の水を柄杓に受けて飲む。茶団子を食べて一服してから、歩いて建仁寺へ向う。臨済宗の大本山で栄西禅師の開山である。法堂(拈華堂)の本尊釈迦如来坐像と迦葉、阿難の両脇時、天井画の「双龍図」、「風神雷神図」、三門(望闕楼)、CIMG1259 方丈、枯山水の前庭”大雄苑”、勅使門などを拝観 する。また、秀吉ゆかりの茶室”東陽坊”と”烏帽子石”なども観る。今回の旅はこれまで、13:00京都駅に戻る。娘は三十三間堂など5ケ寺を巡って御朱印を戴いてきたとのことである。14:36のひかり416号に乗り込むと、疲れがどっと出る。ビールの酔いも回りぐっすり、目を覚ますと品川である。関東は台風17号の影響で、昨日から今日にかけて大荒れの天気だったらしく、なんとも幸運な3日間を過ごしたものである。  

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積丹半島岬巡り

2005年7月15日(金) 好天、今回の旅もまた天気に恵まれる。今日は羊蹄山に登る予定であったが、山は旭岳と樽前山に登って 満足したのでCIMG0911 積丹半島巡りに変更する。8:00札幌のホテルを出発して小樽、余市を通り、11:00積丹岬 駐車場に着く。隧道を抜けると「日本の渚百選」の島武意海岸に出る。昨年は上から眺めただけであったが、今回は海岸まで崖道を下りてみる。ゴロタ石の石浜でニシキウズ科の巻貝(バテイラ?)が沢山いる。水色はコバルトブルー、九寨溝の五彩池を凌ぐほどに美しい。聞こえるのはウミネコの鳴き声と台湾語だけ、波も穏やかで静かである。遊歩道に戻り積丹岬灯台まで歩いてみる。神威岬へ向かう途中、”元祖うに丼”の看板に惹かれて漁師直営店の”みさき” に寄る。生うに丼はとろけるような舌触り、CIMG0924甘くて新鮮で文句なしにうまい。キタムラサキウニを使う”並”は2200円、エゾバフンウニを使う”上”は一日25食限定の3000円である。13:00神威岬着、今回は先端の灯台まで歩いたが、これがなかなか遠い。岬の草地や断崖にはエゾフウロ、エゾカンゾウ、ツリガネニンジンなどが咲き乱れ、まるで高山のお花畑のようである。35分ほどかかり先端に達する。こちらの灯台の歴史は積丹岬のそれよりずっと古く、初点が昭和21年8月25日である。海上を飛ぶウミネコの白が海の色によく映える。半島西岸を岩内まで走り岬巡りを終える。札幌へ戻る途中で五色温泉に寄り、ニセコアンヌプリの登山口を下見する。次回は羊蹄山とニセコアンヌプリ登山が目標である。ホテルに戻ってシャトルバスですすきのへ出る。今夜はちょうど豊平川の花火大会、北国の短い夏を彩り、夜空を五色に染める。

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法隆寺地域の仏教建造物群

2004年3月9日(火)  飛火07野荘の朝食もマズマズ、コーヒーのフリーサービスが嬉しい。8:00出発、近鉄奈良駅から電車に乗り西大寺と橿原神宮前で2回乗り換える。9:40飛鳥駅に降り立つ。 今日は一転して暖かい好天、気持ちよく12kmのウォーキングに踏み出す。 レンタル自転車で廻るのが一般的らしく、全コース歩く人は稀である。10:00高松塚壁画館、高松塚古墳を見学する。遊歩道・道標・WCなどコースは良く整備されている。10:45鬼の雪隠、鬼の俎岩、10:50天武・持統天皇檜隈大内陵、11:05亀石。露店で買った明日香ミカンを食べながらゆるゆる歩く。飛鳥路はとても長閑である。11:25橘寺、聖徳太子誕生の地で08ある。寺内の休憩所で昼食。12:20石舞台古墳、剥き出しになった石室は韓国の支石墓より遥かにスケールが大きい。13:05岡寺(西国七番霊場)、厄除開運の寺で本尊の如意 輪観音は日本最大の塑像である。 境内の最上部まで登ってみると洞窟内にも観音像が安置されている。13:55酒船石、14:10明日香民族資料館。14:10飛鳥寺、本堂に日本最古の釈迦如来像がある。15:00入鹿の首塚、15:20甘樫丘、丘の上に登ると飛鳥の里が一望できる。天の香具山・耳成山・畝傍山の三山も指呼の間である。16:10漸くコース終点の橿原神宮前駅に着く。6時間半、良く歩いたものである。17:20飛火野荘に帰る。他の宿泊客はお水取りに出掛けたのか食堂も風呂場も閑散としている。お陰でゆっくりくつろげる。

3月10日(水)   8:15チェックアウト、近鉄奈良駅のコインロッカーに荷を預けバスで法隆寺に行く。午前中法隆寺を見学、南大門・中門・五重塔・金堂・大講堂・聖霊院・大宝蔵院・夢殿と案内書の通りに廻る。 国宝、重文目白押しであるが、やはり百済観音像や玉虫厨司(大宝蔵院収蔵)が印象深い。 中宮寺にも入り、ご本尊の如意輪観音を拝む。バスで西ノ京へ移動、近鉄郡山駅前で昼食用に買った寿司を車内で食べる。こうなると旅の達人である。西ノ京では最初に薬師寺を拝11観する。平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」(玄奘三蔵院伽藍収蔵)を観たかったが今日は公開していないとのこと、金堂・大講堂・西塔・東塔など見物する。東塔を除き再建された伽藍3棟は余りにキラキラしく、世界遺産の趣に欠ける。それでも宮大工西岡常一氏が樹齢2000年の台湾檜を用いて 造営した伽藍は荘厳である。最後に唐招提寺を見る。金堂は大修理中であり、国宝の鑑真和上像も拝めない。仕方が無いので庭を一巡りする。唐招提寺東口からバスに乗り近鉄奈良駅に戻る。16:00発京都行き近鉄線特急と16:56発東京行き新幹線のぞみを乗り継いで帰京、20:30には無事帰宅、大和古寺巡礼の終りである。  

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古都奈良の文化財

2004年3月7日(日)  東京駅発8:36のひかりに乗り込む。名古屋から先は各駅停車、のぞみの増発で昔のこだま並みの扱いである。 富士山は良く見えたものの米原付近は吹雪、11:25京都着、雪が舞い底冷えする。駅のコインロッカーに荷物を預け市バスで大覚寺へ向う。02 大覚寺を拝観、宸殿にある狩野派の襖絵など観る。山門前の蕎麦屋「しぐれ茶屋」で昼食、名物の鰊そばで腹ごしらえした後、寂庵経由で化野念仏寺へ行く。 八千体を超える石仏・石塔が西院河原に整然と並ぶ。想っていたより小さな寺である。更に平家物語ゆかりの祇王寺も訪ねる。苔生す庭が美しい。雪は本降りとなるが二尊院も拝観、藤原定家が小倉百人一首を選定した時雨亭跡や坂東妻三郎の墓がある。 嵯峨野散策もそこまで、急いで京都駅に戻る。荷物を回収しタクシーで今宵の宿の会社厚生寮に向う。17:50にチェックイン、辛うじて夕食に間に合う。自分は初めて利用するが鴨川畔の風雅な建物、妻は10年ぶり二度目である。他に利用客はなく貸切り状態、部屋は鴨川を望む「貴船」、8畳間なのでゆったりできる。夕食も美味しく、冷えた体を風呂で温める。

3月8日(月)  9:00厚生寮をチェックアウト、東福寺駅で京阪電車からJR奈良線に乗り換える。10:35奈良駅着、今日も真冬のような風が吹く。05  先ず宿泊先の厚生年金施設「ウエル飛火野荘」に行き、荷物を預けて身軽になる。歩いて興福寺へ行き見学を開始、五重塔・三重塔・北円堂・南圓堂(西国三十三観音第九番霊場)・東金堂・国宝館など巡る。国宝館の阿修羅像が素晴らしい。うっかりして厚生寮の部屋の鍵を持ってきたため、奈良東向郵便局からゆうパックで送り返す。 ひと仕事を済ませ、冷えた身体を奈良国立博物館の食堂に入って温める。 午後は華厳宗大本山東大寺の見学に向う。まるで修学旅行である。南大門・大仏殿・正倉院・二月堂・三月堂・四月堂など拝観する。若草山を眺め春日大社経由で一旦飛火野荘に戻る。18:00まで休憩し、再度東大寺の二月堂に行く。3月1日から14日の間行われている春告げの行事「お水取り」の見物である。大松明10本が上り、堂上から火の粉が降り注ぐ勇壮な行事は見応え充分である。満足して近鉄奈良駅前に夕食にゆく。  

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紀伊山地の霊場と参詣道(熊野本宮大社・速玉大社)

2003年5月4日(日) 5:00起床、好天。昨日までの日記を片付けてから朝風呂に行く。髭を当たりさっぱりする。食堂の壁にサツキマス(アマゴの降海型)の魚拓が飾ってある。最大のものは59cmもあり、地元では“のぼり”と呼んでいる。熊野川は遡行してくるサツキマス釣りのメッカである。朝食を済ませ、宿の車で瀞峡遊覧船発着場の志古へ送ってもらう。9:30出船、定員54名のウォータージェット船は熊野川の支流、北山川を瀞峡まで1時間かけて遡行する。河原は広く水は清らか、GWなのでオートキャンプ、カヌー、川遊びに興じる人が多い。両岸の山にはクリの木が多く今が花盛り、特有の香りが漂う。天下の名勝瀞峡にさしかかると船の天井が開く。両岸を眺め易くする仕掛けで、そそり立つ断崖の中、最深部24mという碧色の流れを進む。下瀞の終わりで一旦下船休憩、旅館があり、三重、奈良、和歌山三県の県境に当たる。昨日山中で見かけた紫色の小花をつけたマメツツジは、紀州名物“コメツツジ”として売られている。13 船は更に上瀞まで進んでから引き返す。帰りはまっしぐら、次々とジェット船と擦れ違う。 瀞峡探勝の終わりである。志古に戻り11:47のバスで熊野本宮大社へ向う。12:17熊野本宮大社前下車、百数十段の長い石段を登って参拝する。夏のような日差しで蒸し暑い。檜皮葺きの本殿は壮麗そのもの、左から第一殿は夫須美大神、第二殿は速玉大神、第三殿は家津御子大神、第四殿は天照大神を祀る。参道入口に店を構える珍重庵で名物のもうで餅セットとめはり寿司を賞味し、13:16のバスで新宮へ出る。バスは熊野川の流れに沿って36kmを走る。14:26新宮駅着、早速熊野権現(速玉大社)に詣でる。 14大鳥居も社殿も全てが朱塗りで華やか、これで熊野三山の参詣を果たす。ご神木は国指定天然記念物、樹齢1000年の梛(ナギ)、平重盛の手植えで、我国最大(高さ20m、幹周り6m)のナギの巨樹である。「千早振る熊野の宮のなぎの葉を変わらぬ千代のためしにぞ折る」(定家)。参拝の後、新宮市内の見物に出る。紀州徳川家家老、水野家の居城であった丹鶴城址公園に登る。熊野川上流の山々、熊野灘、新宮市街などを一望できるview point、「高く立ち秋の熊野の海をみて誰そ涙すや城のゆふべに」、与謝野寛の歌碑が建つ。花は終っているが櫻と藤の名所らしい。コンパクトな平山城であるが石垣は立派である。マクドナルドでアイスコーヒーを飲んで一休み、その後“浮島の森”と“徐福公園”に行き市内名所を一巡りする。新宮駅で南紀特産の三宝かん(蜜柑の一種、皮厚く実は小さい。種も多いが上品な味)を食べ、ウツボの干物や那智飴を買う。18:00のバスで熊野川温泉さつきに戻る。夕食は鮎の塩焼き、穴子の天麩羅に鰹のにぎり寿司もつく。公共の宿にしては美味過ぎる。

5月5日(月) 5:15起床、今日も好天、暑くなりそうである。昨日と全く同じメニューの朝食を済ませチェックアウト、8:09のバスで再び新宮へ出る。新宮発9:14の特急南紀号に乗り伊勢へ向う。17_111:14多気駅着、付近は伊勢茶の産地らしく茶畑が多い。11:32の鳥羽行きに乗り換え、11:50伊勢市駅に着く。駅前から外宮への参道が始まるが、門前町の雰囲気には程遠く パチンコ屋などが多く並ぶ。 GWというのに閑散、日本人の信仰心もとみに薄れ、神社仏閣詣でよりもUSJやTDL遊山である。外宮(豊受大神宮)は境内広大、クスノキ、タブ、スギの巨木生い茂る。神楽殿、正宮、土宮、風宮、別宮多賀ノ宮など全ての神殿が檜をふんだんに使い贅を凝らす。雅楽の音色がどこからともなく流れて来て神聖な雰囲気をいや増す。さすがは日本一の大社である。バスで内宮へ向う。五十鈴川の清流を宇治橋で渡る。16 内宮は、おかげ横丁など仲見世や門前町が発達しており、参拝客で賑やかである。内宮だけにお参りする人も多いらしい。そこも巨樹、巨木が生い茂り神域広大、五十鈴川には鯉や似鯉、ウグイの姿が見られる。13:20正宮にお参りし伊勢神宮参拝も果たす。この3日間で5社1寺を巡り少し参拝疲れを覚える。伊勢名物は赤福、海に近いので干物、カマボコなども特産品である。バスで宇治山田駅に出て、14:52の近鉄特急で名古屋へ向う。16:20名古屋着、16:44発のぞみで東京に戻る。どの新幹線も行楽を終えて東京に戻る人で大混雑、19:30南柏駅着。熊野は遠い。(完)

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紀伊山地の霊場と参詣道(那智大社・大雲取越)

2003年5月2日(金) 8:40出社、今朝のニュースによると、SARSの患者、死者とも増え続け、31の国と地域で計5,865人と391人に上ったとのこと、暫く収まりそうも無く、日本に飛火するのも時間の問題か、GWというのに成田空港も天安門広場もガラガラである。半休を取り12:00過ぎに退社、社宅に帰り昼食を済ませる。リュックに着替え一式を詰め込み14:00出発、川崎駅へ向う。快速アーバン号の中では、「街道をゆく・第17巻」を読んだり居眠りしたり、すっかり休暇モードである。16:50川崎駅改札口で妻と待ち合せ、バスで浮島ターミナルへ行く。ターミナルは古びており、うらぶれている。GWというのに船客も少なく、いかにも時代遅れの輸送手段、乗船名簿に記入したりして時間を潰す。当初は宮崎~川崎間直行のみであったのが、昨年から那智勝浦や高知にも寄港するようになったらしく、㈱マリンエキスプレスの経営も楽ではない。18:30乗船、Pacific Express号の船内も薄汚れており錆が目立つ。BデッキA403号室、4人部屋の個室でTV、シャワー、トイレ、2段ベッドが完備している。早速妻手造りの弁当を食べる。食後船内探検に出ると、レストランはバイキング方式で一人1,500円、結構混んでいる。サウナ付きの展望大浴場に行く。浴槽が3つあり、10人位同時に入れる。22:00ベッドに入り、ゆらり、ゆらゆら、機関の音と振動を子守唄代わりに眠りにつく。

5月3日(土) 5:00起床、今日も好天で幸先が良い。お握りとコーヒーの朝食を済ませるうち、那智勝浦港が近づく。02_37 5:50入港、照葉樹の新緑が盛り上がる山の様子は房総の風景に似る。バスが接続しており、那智駅乗り継ぎで那智山へ登る。6:50神社・お寺前駐車場着、早速参拝へ向う。早くも団体さんがやってくる。参道石段の途中に史跡中世行幸啓宿泊所、実方院があり、庭内には樹齢450年、和歌山県指定天然記念物“モッコクの大樹” がどっしりと根を下ろしている。先ず那智熊野大社へ参拝する。ご神木は“那智の楠”(樹齢800年)で樹高27m、胸高8.3mの巨樹、胎内潜りまである。やはり県指定天然記念物である。全国約4,000社の熊野神社の本社であり、夫須美大神(伊邪那美尊)が主神、1,680年の歴史を誇る。ご神木脇の階段を下って行くと青岸渡寺の境内に入る。西国33観音霊場第一番札所の大寺である。本堂は熊野最古、築450年の檜皮葺きの建物で、天正18年豊臣秀吉が再建したものである。ご神木は樹齢700年のタブノキ、同じく県指定天然記念物の巨木である。境内は広いが、良く手入れされている。国指定重文、元享2(1322)年建立の六角堂・宝篋印塔や三重の塔、阿弥陀堂(納骨堂)などを見学する。03_17 どこからでも那智滝が見え、5月の新緑とツツジの花が美しい。手洗いを済ませてすっきり、8:30熊野古道(大雲取越)に入る(標高350m)。両側は老杉鬱蒼としており、苔生した幅広の石段が延々と続く。林床にはムラサキマメツツジ(仮称)、フユイチゴ、それに関東では見かけないシダが多い。9:00大戸平(那智高原)、昭和52年に植樹祭を実施した所である。古道の両側はびっしりスギが植林されていて景色の良い所は殆どない。ひたすら前へ前へと歩く。9:55登立茶屋跡(690m)、10:40船見茶屋跡、「幟たつ沖のけしきや船見茶屋」の歌碑があり、東屋がある。妙法山を正面に拝み、那智湾、太地方面を望む展望所である。11:00船見峠(883m)、そこから急降下して11:15八丁ノ掘割(花折街道分岐、色川1.9km)、古道も大雲取林道(舗装車道)に所々寸断されている。大雲取林道を1.5km歩き、12:15地蔵茶屋跡(765m)につく。逆方向から来たハイカーが10人ほど東屋で弁当を広げている。地蔵堂にお参りし、渓水の畔で一服する。道はそこから再び登る。12:45石倉峠(840m)、斉藤茂吉翁の「紀伊のくに大雲取の峰ごえに一足ごとにわが汗はおつ」の歌碑が建つ。水筒も底を着き、谷の水を飲み飲み進む。鞍部(765m)に下り着くと、そこにも長塚節の「かがなべて待つらむ母に眞熊野の羊歯のほ長を箸にきるかも」の歌碑がある。昔の文人墨客も苦労してこの峠を越えたのである。05_8 アップダウンが多く本当にきつい。13:35越前峠(871m)、大雲取山(966m)への登山道が分かれており、経験者向きと道標にある。そこには土屋文明の「輿の中海の如しと嘆きたり石をふむ丁(よほろ)の事は伝へず」の歌碑がある。そこから道は延々と下る。14:10胴切坂(660m)、14:55楠ノ久保旅籠跡、15:05休憩所、水道があり冷たい清水を補給し生き返る。真夏のように暑い日で、蝉の鳴き声がやかましい。15:30円座石(わろうだいし)、16:00漸く県道へ出て熊野川町小和瀬の南方商店前(標高200m)に着く。那智大社前でバスを降りてから約9時間のウオーキング、途中茶店も商店も自販機も全く無く、実にハードなコースである。熊野古道の中では一番きついかも。電話をかけてマイクロバスに迎えに来てもらう。19人のグループと相乗りで熊野川温泉「さつき」に入館する。部屋は10畳間の冨士根、ゆったりしており新しい。早速温泉(アルカリ性単純泉、泉温27.8度)に入って汗を流しさっぱりする。「さつき」は財団法人熊野川町ふれあい公社が運営する公共の宿、日帰り入浴(11:00~21:00)も受け付けており、ために館内も風呂も混雑するのが難であるが、地鶏のスキヤキや鰤の塩焼きなど料理は美味しい。キリンラガーの中壜(滋賀工場、4月中旬製造)を飲むと疲れが出て20:00頃ダウン、妻は宿泊客専用になった時間にもう一度風呂に行ったらしい。(続く)

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屋久島(弥生杉)

2001年8月27日(月) バイキング方式の朝食を済ませ島内観光に出発、先ず益救(やく)神社に寄る。1,100年以上の歴史がある由緒ある社で、祭神は天津日高彦火火出見尊である。境内にクマゼミやギャーギャーと鳥のように鳴くセミ(小型のミンミンゼミの如し)の声が響く。実が梨やリンゴのように大きいツバキはリンゴツバキである。10:05白谷雲水峡自然休養林の駐車場に車を入れる。雨が落ちてきたので合羽を着る。ホテルや島内観光スポットで見かけた顔に何人も出会う。行く所は皆一緒の狭い島である。園内は良く整備されており、02_4 屋久島の植物観察ができる。順路に従って進み、植物に掛けられた札をひとつ一つ読んで行く。ワラビ科ナチシダ、マンサク科イスノキ、ツバキ科ヒメシャラ、ハイノキ科ハイノキ、常緑広葉樹が多い。10:40弥生杉、樹高26.1m、胸高周囲8.1m、樹齢約3,000年とある。この木を観に来るだけでも価値がある。ワラビ科ユノミネシダ、ガガイモ科キジョラン、ヤブコウジ科マンリョウ、センリョウ科センリョウ、マキ科ナギ、ウコギ科ハリギリ、カエデ科ヤクシマオナガカエデ、アカネ科アリドウシ、ブナ科アカガシ、マツ科ツガ、ブナ科ウラジロガシ、クスノキ科ホソバタブ、関東で馴染の木も多い。11:10二代大杉(胸高周囲4.4m、樹高32m)、昨日から巨大な杉を何本も見ているのでもう驚きも感激もない。11:20さつき吊橋を渡る。ハイノキ科ミミズバイ、ハイノキ科クロバイ、11:35飛龍落とし、ヤマグルマ科ヤマグルマ、クスノキ科イヌガシ、ツバキ科モッコク、ツツジ科サクラツツジ、ウコギ科カクレミノ、バラ科ホウロクイチゴ、ツバキ科リンゴツバキ、ヤブコウジ科タイミンタチバナ。植物好きには堪らない所である。11:50駐車場に戻る。午後は、“枕状溶岩”を見物してから、安房港へ寄り岩壁釣りを見る。釣師5人のうち3人は女性、今晩のおかずにでもするのか、オキアミこませのサビキ仕掛けでアジやサヨリを釣っている。大型の魚が沢山見え、魚影は濃い。屋久島随一の高級ホテル“いわさきホテル”にも立ち寄る。アプローチも立派、館内も立派、一番と二番では質差が大きく、会社でいえば社長と副社長位違う。14:40フルーツ・ガーデン、ガイドの案内と果物(スターフルーツなど)・ジャムの試食付きで入園料500円である。グァバとタンカンジュースも味見する。15:40青少年旅行村、指定キャンプ場は学生達のテントで溢れている。渚の遊歩道を歩くとハマユウやクワズイモが目立つ。仲間のガジュマル(屋久島一の巨樹)、平内の観音竹自生地なども見物して17:50ホテルに戻る。夜の食堂は昨日までと大分顔ぶれが変わる。屋久島観光は2泊3日コースが一般的らしい。

8月28日(火)6:00起床、一番風呂に入った後荷造りする。8:45ホテルをチェックアウト、安房まで行き屋久杉加工品専門の店を3、4軒覗く。仙台の神棚用に恵比寿様と大黒様の彫り物二体を買い求める。空港前の日石SSでガソリンを満タンにし、満タン証明書を付けて車と鍵を返す。便利なシステムである。それにしてもガソリン1リットル133円は高い(当時関東では90円前後)。4日間の総走行距離は356kmである。11:00空港カウンターにチェックイン、荷物を全部預けて身軽になる。観光客が続々空港に集まる。夏休みも間も無く終わる。11:50離陸、鹿児島空港でJAS374便に乗り継ぎ15:07羽田着、17:30にはもう自宅で荷解きにかかる。(完)

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屋久島(縄文杉)

2001年8月25日(土) 5:45起床、天気予報では鹿児島地方は今日から4日間雨、どうなることか。前から行きたい所だったらしく家人は嬉しそうである。8:00のバスで北小金駅へ、二人ともリュックを背負い、登山靴や着替えを詰め込んだキャリーバッグを引く。まるで運び屋である。9:30羽田着、夏休み最後の週末でチェックインカウンターは大混雑である。JAS373便は予定より遅れて11:15離陸、鹿児島まで1.5時間のフライトである。12:52鹿児島空港着陸、 13:00発JAC075便へ慌しく乗り換える。YS-11型機である。どちらもほぼ満席、不景気とはいえ世界遺産に登録された屋久島は人気スポットらしい。家族連れや若い人も多い。13::55屋久島空港着陸、高曇り、湿度が高いのか蒸し暑い。01_14 レンタカーが既に空港駐車場に置いてあり、カウンターで鍵を受け取ってカローラⅡに乗り込む。世の中便利なものである。因みに今回の3泊4日のパック旅行代は、航空運賃、ホテル代、レンタカー費込みで193,000円也、韓国やタイに行くよりずっと高い。14:25宮之浦港近くのシーサイドホテル屋久島にチェックイン、屋久島ではいわさきホテルに次いで2番目とのことでマズマズである。初日は島内を一周する道路を反時計周りに走り、観光名所を訪ねる。14:45志戸子ガジュマル園、ガジュマルのほかにもモクタチバナ、アコウ、イスノキ、オイランアザミなど関東では見かけない種類の植物が多い。15:21いなか浜、海亀の産卵地は砂の粒子が粗く、色も黄色っぽい。島内には廃車や残材が無造作に積み上げられており、世界遺産の島にしてはお粗末であるが・・・人間の生活があるので仕方が無い。16:00永田岬・屋久島燈台、明治29年完成の灯台は今年で点灯105年、 陰に小祠がある。16:50大川(おおこ)の滝、日本の滝100選に選ばれた屋久島第一の名瀑である。落差88mはともかく水量が多くダイナミック、標高1,935mの山岳島を流れる急流は至る所に滝をかける。17:03大川湧水(名水100選)、17:26平内海中温泉、なんと脱衣所がない。常連さんらしい老人が入るのを見ていると、岩礁(温泉)手前の道の行き止まりでいきなり素っ裸になる。女性は水着でも着ていないとちょっと入れない。17:53千尋(せんぴろ)の滝、今の時期はやや水量が少ない。18:55ホテルに戻る。部屋は最上階の角の413号室、眺めが良く広いツインルームである。19:00~20:00夕食、丸茹でのアサヒガニを肴にビールを飲む。

8月26日(日) 4:10起床、真っ暗、南の島の夜明けは遅い。昨晩頼んでおいた朝食代わりの弁当を受け取り5:00出発、眠い。途中ヤクサルの群れを見かける。6:10荒川登山口着、既に駐車場は満車、道路にも溢れており、少し手前の広場に車を駐める。標高は630mほど、登る前の腹ごしらえか皆弁当を広げている。高曇りでまずまずの天気、安房森林軌道(トロッコ道)に踏み出す。枕木が邪魔で歩き難く単調な道である。それでも鉄橋から見下ろす荒川、安房川、太忠川の谷は巨岩累々、清流が渓を走る様は瑞々しい。道端の植物はシダ類やホウロクイチゴ(葉がフユイチゴ似)が多い。山中至る所で水が湧き出しており、「1ケ月に35日雨が降る」と云われる島だけのことはある。水筒要らずの山である。7:15大山神社、そこで朝食の弁当を開く。おにぎり2個と昆布の佃煮、梅干が入っている。安房川本流の長い鉄橋を渡ると、小杉谷小・中学校跡に出る。 屋久杉伐採の前進基地で昭和45年に閉鎖されるまで、130世帯530人が暮していた場所である。今は植物に呑み込まれつつある。案内人が引率する10人ほどのグループが何組も行く。小グループや家族連れ、カップルもぞろぞろ行く。抜きつ抜かれつ、みな縄文杉を目指して懸命に歩く。白谷雲水峡分岐を過ぎて間も無くの8:10、簡易トイレ6基が設置されている小杉谷山荘跡に着く。その先にある“三代杉”というのは倒木再生・切株再生した子杉と孫杉が親杉と一本になっている珍しいもの、樹齢は1,200年、1,000年、350年とのことである。9:30トロッコ道の終点、大株歩道入口に着く。登山口から5.5km、01_8縄文杉まで110分の地点である。標高は940mほど、まだ殆ど登った感じはしない。そこから本格的登りになるが、要所に木の階段や木道が取り付けられている。9:50翁杉、前日宮之浦岳に登ったハイカーが続々下りてくる。9:55ウィルソン株、切り株であるが胸高周囲13.8m、樹齢3,000年の巨樹である。株内の洞に小祠が祀られている。湧水も湧き出ている。10:53大王杉、山中赤い樹皮のヒメシャラの大樹も目立つ。11:07夫婦杉を通過、11:36とうとう念願の縄文杉とご対面である。胸高周囲16.4m、樹齢2,200年(7,200年説もあるが・・)の世界一の巨杉である。歩き出してから5時間余、今回の旅行の最大の目的を果たせて二人とも満足する。観覧台に上るのも写真を撮るのも順番待ち、その頃から雨になる。雨具を着けザックカバーを付ける。菓子パンを食べて一服してから、12:00下山。蒸し暑いので雨具を着ても内側から濡れる。夫婦杉の所でヤクシカ2頭に出合う。随分と小型で痩せている。帰りもトロッコ道歩きは結構時間がかかる。16:35漸く荒川口に出る。大型バス(屋久島交通、まつばんだ交通)が何台も団体客を迎えに来ている。定期バスは6:25と17:15の2本しかない。16:45無事駐車場到着、実に10.5時間の長丁場である。本格的山登りに匹敵し、足弱の年寄りや子供には無理である。今回は体調が悪いので、明日の宮之浦岳登山を諦める。18:00ホテルに戻り先ず風呂に入る。夕食は黒豚の煮物、ビールを飲んで部屋に戻るなりそのままダウン、翌朝まで爆睡する。(続く)

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