TEQUILA”REVOLUCION”

revolucion01 テキーラの原料となる多肉植物のマゲイ(アガベ:竜舌蘭)は、樹液に多量の糖分を含む。これを醗酵させて、蒸留したものがテキーラである。糖分が多く良質な原料からは、100%アガベの高級テキーラが製造できるが、糖分が不足している場合はサトウキビの搾汁液などを混ぜる。但し、テキーラと名乗るためには、アガベ51%以上であることが必要である。写真はメキシコ・シティのベニート・ファレス国際空港免税店で購入したもの、「100% DE AGAVE」の文字が読みとれる。アルコール分35%、700ミリリットル入り壜で29USドルである。

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プエブラとチョルラの歴史地区

2005年11月22日(火)  6:30モーニングコールで起きる。今日が実質的観光最終日である。7:10から朝食、日本人向けにヤクルトがある。果物は皆甘く、コーヒーのポットサービスまである。一流ホテルは贅沢なものである。今日はもともとカリブ海のリゾート地カンクンでフリータイムの筈であったが、今秋相次ぎ襲来したハリケーンのため現地の被害大きく、旅程変更になったものである。これが為に今回の旅行に不参加を決めた人が9名いたという。CIMG19828:00オプショナルツアーのプエブラ観光に出発、メキシコ市の東方120kmにある町である。毎日風邪薬を飲んでいるせいか無性に眠い。3000m級の峠を越えて9:30ドライブインでトイレ休憩、辺りはアマランス(キビの一種)の原産地とかで、蜂蜜で固めたおこしが名物である。売店に沢山並んでいるが、包装が素朴過ぎる。 右手にメキシコ最高峰のポポカテペトル山(5452m)の雄姿が望める。メキシコの畑地は道路や宅地との境界が曖昧、国民性なのかアバウトである。10:50プエブラ到着、海抜2100mほどの高原都市である。お土産品専門のエルパリアン市場を覘き、砂糖菓子の家を観て、タラベラ焼きの工房を見学する。プエブラは昔から焼き物が盛んな町で、素朴でおおらかな図案の陶器は益子や笠間焼きのような味わいがある。記念に小鉢を購入する。プエブラにはコロニアル植民都市の時代、370もの修道院があったとのこと、今でも沢山の教会がある。CIMG2008ソカロに行きカテドラルを拝観、歩いてプエブラの田舎料理を食べさせるというレストランに向う。13:10~14:15昼食、民族楽器の生演奏付きで、 スペインの血が混じるメキシカンはハンサムでセクシーである。モーレなどの郷土料理や海鮮料理が出たが味はいまいち、ボヘミアビールを飲む。午後は、アステカ時代の神殿が残る近在のチョルラ遺跡へ行く。中央高原では最も古い歴史を持つ遺跡で、大神殿トラチアルテペトルは、一辺439m、高さ59mもあり、往時にはテオティワカンの太陽の神殿を凌ぐ威容を誇ったものと推測されている。世界最大級のピラミッドは今は土で覆われ、頂上に教会が建っている。胎内潜りを思わせる見学用の地下道を進むと、この大ピラミッドが7層のピラミッドの重なりから成ることが判る。52年毎にそれまでのピラミッドに新たなピラミッドを重ねて造られているので、少なくとも300年以上CIMG2015かかって築かれたものである。 未だ一部しか発掘が進んでおらず、 規模の大きさは実感できるが見るべきものは少ない。16:40バスに戻り全ての観光を終える。19:00ガレリア・プラザ帰着、夕食はつかないもののメキシコ料理に最早食欲は湧かない。胃の調子が悪いので二人でパンシロンを飲む。一階のバーでマルガリータを飲むうちメキシコの夜は更ける。通りでは早くもクリスマスの飾りつけが始まっている。部屋に戻って、残りの食料で簡単な夕食を済ませ、帰国準備の荷造りにかかる。明日は3:00にモーニングコールが鳴る。

11月23日(水)・24日(木)  2:50起床、いよいよ帰国の日、年寄りにはハードな日程であったが、何とか皆一週間の高地生活をこなす。冬服に着替えてスーツケース(SC)を部屋の外に出しロビーに降りる。サンドイッチの朝食弁当をもらってバスに乗り込み、空港へ向け出発する。CIMG2022 コンビニ(セブンイレブンとOXXOの2種類あり)のみ開いている。4:25空港着、AA(アメリカンエアライン)はチェックインの際、全員のSCを開けて中味を調べるので時間がかかること夥しい。現地ガイドのY氏と別れの挨拶を交わし、手荷物検査を終えて出発ロビーに入る。 免税店で青アガベ100%の高級テキーラを買い、搭乗口の30番ゲート前でサンドイッチを食べる。7:00搭乗、AA1066便は満席である。7:30離陸、抜きん出て高い山が2つ見える。ひとつはメキシコ富士のポポカトペトル山らしい。今日は好天で下界が良く見える。9:50ダラス国際空港へ無事着陸、陽の光が眩しい。今度は米国の入国検査、税関検査、手荷物検査が待ち受ける。往きと同様、両手人差し指の指紋、顔写真を撮られる。うまくいかずに別室に連れ込まれる人もいる。やっと出国ロビーに入る。やれやれとソフトクリームを買って一息入れる。米国のトイレはさすがに清潔で安心できる。12:15ようやくAA61便に搭乗、ガラガラでひとり2座席づつ使える。帰りは偏西風に逆らって飛ぶので13時間もかかるが、これなら助かる。12:38離陸、水平飛行に入ると直ぐに機内食が出るが全く食欲がない。横になったり起きたり、体の位置をいろいろ変える。19:30アンカレッジ上空を通過して日付変更線に近づく。あと6時間、なるほど帰りは時速850~900kmしか出ない。0:00根室沖を通過、あと1時間半、時計を15時間進める。16:15黄昏の成田空港に無事着陸する。(完)

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マヤ紋様のペンダント

CIMG2034 メキシコ旅行中の11月21日、メリダの空港売店で購入したもの。マヤの渦巻紋様である。遺跡の壁面では、ちょうど中華丼に描かれる四角い渦巻模様の如くに表現されている。現地ガイド氏の説明によれば、マヤ人の「零の概念」や「螺旋軸の時間概念」を表すとのことである。この紋様をじっと見つめていると、チチェン・イツァ遺跡にある聖なる泉・セノーテの深遠に吸い込まれそうな気持になる。銀製、純度925。

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チチェン・イツァの古代都市

2005年11月21日(月)  2:00に目が覚める。やむなく起き出しメモの加筆など行う。風邪薬を飲むと幾分眠くなり、3:00から6:00頃までうとうとする。朝食を済ませて8:30バスで出発、昨日の続きでCIMG1917ソカロ周辺を見物する。現地ガイドのAさんは一週間前に足の指を骨折したとのことで杖にすがっての案内である。日本を遠く離れた異国でひとり生きるのは楽ではない。アメリカ大陸最古の教会というカテドラルに入り、火ぶくれのキリスト像を拝観する。市内最古の建築物(1549年建造)のモンテホの家を観て、広場にある恋人達の椅子に座ってみる。もちろんツアーメンバーの誰もが似合わないのは承知の上である。州庁舎、市庁舎など行政機関も集中し、ソカロは朝から人々で賑やかである。再びバスに乗り、120km離れたチチェン・イツァ遺跡へ向う。車内ではAさんからマヤ数学の講義を受ける。マヤ数学は20進法で、1の位、20の位、400の位、8000の位、・・・の順に下から上CIMG1919に表記される。「・」は1、「━」は5、「Ф」は0を意味する。例えば1の位に「・・・・」とあれば4である。そして1の位に「━」が3本あり、その上に「・・・」が並んでいれば18である。20の位は「・」が20であり、「━」が100である。これが判ると、遺跡に刻んである建物の建造年が読み取れるという。マヤ文化はレベルが高い。 高速道を制限速度一杯の時速110kmで飛ばし、10:45チチェン・イツァ遺跡に着く。陽射しが強烈である。先ず10世紀の遺跡、新チチェン・イツァのククルカン神殿(エルカスティージョ)から見学を開始する。九層の基壇を持ち、四面全てに91段づつの階段を持つ神殿は、マヤの農耕暦(ハアブ暦)と祭事暦(ツォルキン暦)を象徴している。登ってみるともの凄いCIMG1943急傾斜であるが、頂上から眺める景色は、360度すべて緑のジャングルと地平線である。 続いて、頭蓋骨の台座、150m球戯場、ジャガーの神殿、金星の台座、聖なる泉セノーテ、戦士の神殿、千本柱の間と見学する。壮大な遺跡である。更に、密林を歩いて七世紀の遺跡・旧チチェン・イツァに向う。そこでも始めに泉セノテ・シトロクを観る。泉といっても石灰岩大地の天井が陥没して地底湖が露出したもので、水面ははるか下方にある。 日照りの時期には若い娘の生贄が投げ込まれたというセノテは、陽の光の中でみても不気味である。天文台(カラコル)、教会、尼僧院と廻ってバスに戻る。これでもかこれでもかと石造の大建造物を見せられて、皆そろCimg1962 そろ疲れが出る。遺跡ファンでも食傷気味になる。14:00ビジターセンター内のレストランで昼食、メキシコは生野菜もカットした果物も衛生的に全く問題ない。皆バリバリ、モリモリ食べる。15:00メリダの空港向け出発、バスに乗り込んだ途端、たたきつけるようなスコールが来る。16:30空港着、搭乗手続きを終えてから売店で銀製品(マヤ紋様をデザインしたネックレスとペンダント)を購入する。19:00 AM526便に搭乗、一眠りするうちに、21:10メキシコ・シティの空港に着陸する。 迎えのバスに乗り、今宵の宿のGALERIA PLAZAにチェックインしたのは23:00である。高級ホテルで、部屋にコーヒーポットもついている。一階バーのウエルカムドリンク券もある。夕食は和食の弁当、こんな時間では食欲もなく、日本茶で無理やり飲みくだす。風呂に入ると御前様をとうに過ぎる。やれやれ、明日は6:30のモーニングコールである。(続く)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

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ウシュマルの古代都市

2005年11月20日(日)  4:00のモーニングコールで起きる。睡眠時間は4時間余、眠い。5:00バスで空港へ向う。ユカタン半島のメリダは暑いとのことで、今日はTシャツのいでたちである。5:40空港着、スーツケースを預け搭乗券を受け取る。手荷物検査を受けてから、ロビー待合室で支給された和食弁当を食べる。メキシコ料理よりずっとうまい。CIMG1791 空港のトイレは清潔であるが、ドアが全面磨りガラスで透けて見えるのと、上下が開いているのとで落ち着かない。出るものも出なくなる。メリダ行きのAM(エアーメヒコ)420便に乗り込む。ガラガラで空席が目立つ。7:50離陸、一面の雲海に遮られ下界は見えないが、雪を戴く高山が雲の上に美しい姿を現す。 メキシコ湾を横断してユカタン半島にさしかかると、雲が切れて緑一色のジャングルが見えてくる。9:05メリダ空港着陸、さすがに常夏の地、陽射しが強い。現地ガイドは日本人女性のAさん、メキシコ人のご主人と結婚して30年もメキシコに住んでいる。7年前にご主人が亡くなり、メリダに越してきたとのこと、元添乗員で説明は歯切れが良い。9:40迎えのバスに乗り込む。バスは80km離れたウシュマルCIMG1798遺跡目指して、ジャングルの中の一本道を走る。車中ではAさんのユカタン講話が続く。曰く「ユカタン州の州都メリダの人口は100万人、海抜は5~10mしかない低地、常夏の地で3月から10月まで連日30~40℃の気温が続く。頭脳労働には全く向かない気候である。11月から2月は冬に当り気温は25~28℃、乾季でもあり観光のベストシーズンである。 マヤ文化圏はメキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアの中米5ケ国に亘る。低地マヤ人は背が低く体が丸い(猪首でずんぐりむっくり)。ユカタン独自の国旗国家が制定されており、メキシコシティの中央高原文化に対抗している。性格はおっとりしており、親切である。メリダはメキシコでは最も治安が良い町で、夜中でも安心して歩ける。エトセトラ」。 10:40ウシュマル遺跡着、CIMG1844入場料は大人38ペソである。ウシュマルは西暦700~1000年のマヤ文化爛熟期に栄えた都市である。プウク様式と呼ばれる過剰なまでの石組み装飾が施されている。メインゲートから遺跡内に入ると、樹幹(皮)が緑色のセイバの木がある。マヤ人が崇める神木で、成長が極めて速く、6、7年で大木になる。魔法使いのピラミッドは登ることを禁止されている為下から眺めるしかないが、丸味を帯びた優雅な神殿である。遺跡内を体長50㎝~1mのイグアナが走り回る。尼僧院、球戯場を見学してからグラン・ピラミッドに登る。それにしても蒸し暑い。これで本当に冬であるか、日本の盛夏と同じである。名を知らぬ熱帯の花々が辺り一面に咲いている。ニガナやフウロソウモCimg1822ドキである。 最後に総督の宮殿に廻る。前庭に巨大な男根が祀られている。生命の起源として崇拝されたもので、アンコールワットなどヒンズー教 の祠堂に置かれるリンガと同根である。壁面に多用されるX(エックス)紋様のレリーフは「交差」を表し、 これも生命誕生(男女の交差)を始め色々な意味があるらしい。また、渦巻紋様は「ゼロ」の概念や、「螺旋状の時間軸」の概念を表すという。その他、蛇神ククルカン”(アステカのケツァルコアトルと同じで翼がある蛇)や雨神チャックの浮彫、三角型のマヤ・アーチも見ごたえがある。遺跡入口のビジターセンターにあるレストランで昼食、世界一辛いという青唐辛子のソースをつけてタコスを食べる。確かに辛い、後から猛烈にくる。レモン果汁入りビールを飲んで口中をさっぱりする。家内はどこかに帽子を置き忘れてきたらしく、仕方が無いので売店でパナマ帽を買う。午後はウシュマルの22㎞東南にあるカバー遺跡を見学に行く。ウシュマルと同時代の遺跡であり、姉妹都市である。 300近くの雨神チャックで飾られた仮面の神殿を観て、巨大な凱旋門(マヤの擬似アーチ)を観る。そこからウシュマルまで18㎞の古代の道が続いている。CIMG1868アーチの天井にはスズメバチの巣がかかり、うっかり傍に近づけない。付近はランタナの花盛り、家にもホームセンターで購入した鉢物があるが、メキシコ原産であるか。美しい熱帯蝶が舞う。胡桃のような小粒の実をつけた野生のパパイアがあり、アーモンドの木が花をつけ、苦オレンジがたわわに実る。豊穣の大地である。メリダ市に戻り、オーランド病院の庭に建つ野口英世像を観る。ここで博士が黄熱病の研究をしていたことを記念して、玉川学園が1960年代に寄贈したものである。モンテホ大通りに建ち並ぶ当時の富豪の邸宅は、 竜舌蘭から採れる繊維(日本ではタワシの材料)のお陰、タワシ長者である。17:00ホテル・コンキスタドール(五つ星)に入る。ウエルカムドリンクにマルガリータが出るなどメキシコらしい。 404号室は木の香漂う広い部屋で快適である。夕食前の時間を利用し、近くのホテル一階にあるショッピングモールへお土産を買いに行く。19:00夕食、メニューはトマトスープ(塩辛い)、ポークステーキ(焼き過ぎ)、ケーキ(甘過ぎ)にコーヒー、それに”XX”ビールを飲む。(続く)

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タスコの歴史地区

2005年11月19日(土) 3:40に続き5:00にも目が覚める。やむなく5:40に起き出し、ひげを剃って日焼け止めクリームを塗り、臨戦態勢を整える。電気ポットで湯を沸かし、コーヒーを飲む。CIMG1728日本茶をペットボトルに詰める。7:00朝食、オーストリアからやって来た団体で食堂は大混雑、ドイツ語が飛び交う。8:30バスでホテルを出発、以下は車中における現地ガイドY氏の話である。「メキシコの物価は日本の 三分の一ほど、例えば牛肉1キログラムが45ペソ、鶏卵2個で3ペソ、牛乳1リットルが8ペソ、トウモロコシ粉1㎏が5ペソである」、「教育制度は日本と同じく6-3-3-4制、中学まで義務教育だが低所得層は就学が困難である」、「男子は18歳から1年間兵役義務がある」「大卒会社員の月給は8,000~9,000ペソ、高卒会社員の月給は3,500ペソ、農業従事者など大部分の人は最低賃金の一日8時間労働で45ペソである」など。バスは3200mの峠を越えて、メキシコ市の南75㎞にあるクエルナバカ市目指して走る。 峠付近は松林が続き、国営の大麦・菜種畑が広がる。 メキシコは緑が多く、日本の山岳道路を走っているような錯覚を覚える。 1時間余りでクエルナバカ市到着、海抜1500~1600mの典型的コロニアル都市は、年間を通じて最高気温が21~23℃と穏やかで、春の都と呼ばれている。1609年メキシコへ帰る途中のスペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴ一行が暴風雨に遭い御宿海岸で座礁難破したが、そのとき大多喜藩の人々に助けてもらった縁で、CIMG1737大多喜町と姉妹都市提携を結んでいる(そういえば御宿町の高台にメキシコ記念塔がある)。先ずカテドラルの見学、境内の火炎木の橙色の花が青空に映える。女性達は、近づいて来る売子の持つアマテ(イチジクの樹皮を溶かして梳いた先住民の紙に、極彩色で描かれた素朴な絵)や自然石ネックレスの品定めに夢中である。教会の内壁には、「EMPERADOR.TAICOSAMA.・・・」の文字と ともに豊臣秀吉によって長崎で処刑された26聖人の殉教壁画が描かれている(メキシコ人神父が含まれていた為)。 反日感情が気懸かりになったが、メキシコ人は総じて親日派とのこと、韓国や中国の指導者とは異なり、素朴で陽気でおおらかで気持が良い。 次いで、アステカの征服者エルナン・コルテスが建てたコルテス宮殿を見学する。今は博物館で、CIMG176216世紀当時の文物が展示されている。巨匠ディエゴ・リベラが描いた、二階バルコニーにある壁画は見事である。再びバスに乗り、更に100㎞南下して、今年世界遺産に登録されたばかりのタスコへ向う。タスコ到着後、丘の上のレストランで昼食、テラスから眺める家々の甍はオレンジ色で、白壁とのコントラストが何とも美しい。昼食後、ソカロ(中央広場)までそぞろ歩きして街を見物する。16世紀から銀山の町として発展してきたタスコは、コロニアル様式の美しい街並みと石畳の道が当時のまま保存され、どこを切り取っても絵になり写真になる。メキシコらしいデザインの銀製品を求めて有名店に入ってみたが、いまひとつぴんとくるものがない。石畳の狭い道を登り詰めてソカロに出る。町の中心広場は大勢の人で賑わう。CIMG1761広場の東側にあるサンタプリスカ教区教会を見学してから、その下の丘に広がる庶民市場を見物する。生鮮食品や日用雑貨を売る店が所狭しと並び、中にはクミルという虫まで売っている。カメムシを二回り大きくして沢山の脚をつけたような姿、潰してスープの隠し味にしたり、炒って酒の肴にするらしい。もしかしたら 知らないうちに食べてしまったかも。帰りは乗り合いタクシーでバスの所まで戻る。17:10バスに乗り込み、ホテルへ直帰する。峠越えの頃から雨が降り出し、メキシコ市内では大渋滞に遭遇、予定より1時間遅れて20:30漸くプラザ・フロレンシアに戻る。夕食は白身魚のフライ、ニンニクが効いていて今日は美味しい。コロナビールは少し日向臭がある。明日のモーニングコールは4:00、風呂に入って早く眠らねば。(続く)

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メキシコシティの歴史地区・テオティワカンの古代都市

2005年11月17日(木) 6:00起床、好天。今日からいよいよ神秘のマヤ遺跡を訪ねる8日間のメキシコ旅行である。8:30 RVRで成田空港へ向け出発する。いつも車を預ける駐車場に10:00着、第一ターミナルビルへ送ってもらう。早過ぎて旅行会社の受付がいない。それもその筈、集合時刻は11:25である。2万円を米ドルに替える。11:00過ぎに係員が来たので、海外空港税と燃油サーチャージの55,600円とオプショナルツアー代の24,000円を支払い、航空券を受け取る。AA(アメリカンエアライン)のカウンターでチェックインしてスーツケースを預け、ようやく身軽になる。2階のタリーズコーヒーでお茶を飲みながら12:00の再集合を待つ。今回は14名のメンバーに、Kさんという女性添乗員が付き、合計15名の団体旅行である。夫婦は我々だけで、母娘、姉妹、友人、旅行友達の2人組と旅行仲間の4人組で、男性が3人、女性は11人である。Cimg1582 12:45搭乗、AA176便の最後部席に座る。B-777型機はほぼ満席、Dallas/Ft.Worth空港まで10,332km、11時間の空の旅が始まる。13:53離陸、朝日新聞を読む。そして、ダイアン・レイン主演の映画「MUST LOVE DOGS」を観る。17:00日付変更線を越えると残り7,156km、浅田次郎著「王妃の館(上)」を読み始める。機は高度11,000mを時速1000~1100㎞で快調に飛ぶ。21:10太平洋を渡り切り、北米大陸西端のシアトル上空にさしかかる。あと3時間、2,748kmである。時計を15時間遅らせる。9:21(日本時間18日の0:21)Dallas/Ft.Worth国際空港に着陸、外気温2℃、空が青く澄んでいる。乗り継ぐだけであるのに、米国のチェックは厳しい。両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られ、手荷物検査では靴まで脱がされる。やっと通り抜けて11:45メキシコシティ行きAA675便へ乗り込む。早速入国カード二人分と税関申告書を記入する。或る時は秘書、あるときはポーター、そして又記録係やガードマンでもある。眠い。12:00離陸し、14:32メキシコ市のベニート・ファレス国際空港に着陸する。実に自宅を出発してから21時間経過している。中南米は遠いので人気がないとか、そういえば日本人観光客は他に乗っていない。空港は改装の真っ最中で雑然としている。税関はロシアン・ルーレット方式、各自がボタンを押して青ランプが点けば無検査、運悪く赤ランプが点くとスーツケースを開けねばならない。公平ではあるが、怪しげな人物でも素通りできる確率が高い。とりあえず50USドルをペソに両替する。1USドルが10.5ペソなので、1ペソは約11円である。 迎えに来てくれた現地ガイドはYさん、50代の男性で日系2世、ご両親は和歌山県出身とのことである。日本語はちょっとたどたどしいが、充分理解できる。15:55バスに乗り込み、ホテルに直行する。車窓から見る街の佇まいはゴタゴタ、雑然、混沌としており、中国よりひどい。都市圏まで含めると2,300万人が住む世界最大の人口を抱える都市は、大気汚染とスラム街も世界一である。独立記念塔近くのホテル・プラザ・フロレンシアに16:30到着、801号室に入る。安普請のビジネスホテルといったところ、ギリギリツアーでは多くを望めない。疲れてベッドで一眠り、その後持参のポットで湯を沸かしラーメンを食べる。19:00頃ダウン、全ては明日である。

11月18日(金) 1:00と4:00に目が覚める。海抜2240mの高地のせいか、うつらうつらするだけで好くは眠れない。5:00からベッドの中で読書、「王妃の館(上)」を読み終える。6:30漸く明るくなる。7:00朝食にレストランに下りる。パンもチーズもハムも果物も美味しい。やっと人心地がつく。朝食後、隣のコンビニでミネラルウォーターを買う。1リットルのペットボトルが10ペソ、600ミリリットルの方は4ペソである。腹ごなしに集合時間までホテルの付近を散策、独立記念塔がCIMG1627建つレフォルマ大通りまで往復する。9:00出発、大型バスに14名なのでゆったりと一人2座席を占有する。「お早うございます」は、スペイン語で「ブエノス・ディアス」である。レフォルマ大通りを進むと500m毎にロータリーが有り、その中央にアステカ王・ クアウテモック記念像、コロンブス記念像などが建つ。オフィス街が続き日本企業も多い。 コロニアル都市の面影を残す旧市街にさしかかると、1614年伊達藩の遣欧使節・支倉常長一行80名が宿泊したという「タイルの家」がある。郷土の先人が400年も前に、サン・ファン・バウティスタ号で太平洋の波濤を越え、はるばるとやって来たことを思えば感慨もひとしおである。ソカロ(中央広場)は明後日の革命記念日に備え、観覧席などの設営中である。メトロポリタン・カテドラルに入り、黒いキリスト像など拝観する。晩秋というのにブーゲンビリアを始め色々な花が咲いている。周囲を山で囲まれた メキシコ市の年間平均最高気温は23.4℃、最低気温は9.6℃であり、中国の昆明と同じく春城である。CIMG1634但し、空は残念ながら昔の東京のようにスモッグで煙っている。再びバスに乗り、三文化広場を車窓から眺めて、グアダルーペ寺院へ向う。寺院に入り、メキシコ国民の尊崇を集めるグアダルーペ聖母の奇跡の布を拝観する。 寺院の庭には奇跡の故事に因むバラが沢山植えられており、今が花盛りである。再度バスに乗り、50㎞北のテオティワカン遺跡へ向う。メキシコ市の郊外は山の天辺までスラム街に覆われている。スラム街も当初のテント村ではなく、ブロック積みの恒久的家屋に変わりつつある。 車窓から、ユーカリ、マツ、ヤナギ(ピルル)、ヤシ、ベンジャミンなどの樹木を認める 。ベンジャミンは地植えで大樹に育っている。収穫は終っているが、トウモロコシや黒豆、カボチャの畑が続く。また、メキシコはサボテン国、種類は1000余種もあり、そのうち6種のみ野菜代わりに利用しているとのこと、今日の昼食に出るらしい。CIMG1655昼食会場のレストランは月のピラミッドの裏手にある。NEGRA MODELOなる黒ビールを飲むと30ペソ、サボテン料理(煮物)は香草が効き過ぎ、さしたる味ではない。ちょうど胡瓜の古漬けのような食感である。敷地内には竜舌蘭の一種マゲイが植えられているが、高さ2~3mもある巨大なもの、樹液に糖分が多く、これを醗酵させたものがプルケ、プルケを蒸留したものがテキーラである。 ウチワサボテンも巨大、まるで樹木である。 昼食を終えてテオティワカン遺跡の見学に移る。西暦350~650年頃繁栄した巨大宗教都市遺跡である。月のピラミッド(高さ42m、底辺150m×130m)に登り、死者の道を歩いて、太陽のピラミッド(高さ65m、底辺225m×225m、階段248段)に登る。海抜は2300m位か、空気が薄いので傾斜がきつい階段登りは息が切れるが、ピラミッドの頂から眺める景色は神秘的である。火山岩を泥で固めたピラミッドは、CIMG1715建造当時漆喰で覆われ、貝殻虫から採るコチニールなどの顔料で彩色されていたらしい。 メキシコシティにバスで戻り、最後は国立人類学博物館を見学する。メキシコ国内の古代遺跡から発掘された重要文物が集中展示されている。 第5室テオティワカンでは雨神チャルティトゥリクエの像、 第6室トルテカではトゥーラの戦士像、第7室メヒカ(アステカ)では太陽の石「アステカ・カレンダー」、第8室オアハカでは「踊る人」のレリーフ、第9室オルメカでは巨大人頭像、第10室マヤではパレンケの王墓などを見る。とても2時間や3時間では足りない。閉館ぎりぎりの19:00まで粘ってからホテルに帰る。ホテルの夕食はいまいち、VICTORIAなるブラウンビールを飲んだがそれも感心しない。朝晩と日中の気温差が大きいのと大気汚染のせいか、鼻水が出て風邪気味となる。一服薬を飲んで23:00過ぎベッドに潜り込む。(続く)

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