フィーン庭園/帰国

2007年11月25日(日) 6:30起床、今日はエスファハーンからテヘランまでバスで500㎞の長距離を移動する。P1060335途中カーシャーン市郊外にあるフィーン庭園を見物するだけでテヘラン空港へ直行、帰国の途に着くというスケジュール。 SCをドアの外へ出してから朝食へ下りる。目玉焼きとナツメヤシを食べコーヒーを飲む。8:00出発、今日も好天であるがテヘランは20日以来ずっと大雨だったとのこと、ついている。暫くは昨日走ったのと同じ道を北上する。飛ぶ鳥すらいない砂漠地帯、淡褐色の土石と丈の短いブッシュ以外は何も無い。10:35ガソリンスタンド兼ドライブインでトイレ休憩、売店でビスケットを買う。11:20フィーン庭園到着、サファヴィー朝のP1060338アッバース1世(在位1587~1629)の命により造られた典型的なペルシャ庭園である。立派な城門をくぐると正面に大きな泉池と離宮があり、糸杉の並木が両側に立っている。園内は各種の樹木(イチジク、センダンなど)が鬱蒼と茂り、湧水とカーリーズから導水された水とによる疎水が縦横に流れる。日本ならどこの町にもあるちょっとした親水公園であるが、イランのような索漠とした乾燥地帯では最高の贅沢、水と緑が何よりも貴重なことが一週間の滞在でも良く分かる。昔は庶民が立ち入ることなど許されないP1060342 王族だけのプライベート空間だったのであろう。離宮内に売店があり、バラ水、バラジャムなどを商っている。カーシャーンはバラの栽培が盛んらしい。敷地内にあるミニ博物館にはこの辺り(アブヤーネやカーシャーン)の民具や民族衣装が展示されている。12:20いよいよテヘランへ向け出発、イヤホンガイドを添乗員のKさんに返す。再びバスの中でメンバーとセフィー氏の間で質疑応答が始まる。「イランの食糧とエネルギーの自給率はほぼ100%」、「ガソリン価格は200リットル500円(リットル当り2.5円)」、P1060343 「家庭燃料はプロパンガス、料理、風呂、暖房に幾ら使っても月300円~400円」などと信じられないような羨ましい話が続く。食料品の価格も概ね日本の5分の一程度であるが、車や家電製品などの耐久消費財は日本の3倍はするとのこと、一長一短である。14:00サービスエリアのレストラン(MAHTAB FAST FOOD)で昼食、イランに来て初めてラム肉のステーキを食べる。籠に山盛りのナンと皿に山盛りのサフランライスがついてくる。周りのテーブルを見るとイラン人は皆健啖家、ナンもライスもきれいさっぱり平らげている。どうもナンは前菜(副食)でライスが主食のようである。15:00出発、あと100㎞、P1060364バスは一路テヘランのメフラーバード国際空港をめざしてひた走る。 やがて右手に広大な塩湖(ナマク湖?)が見えてくる。淡褐色の砂漠の中の雪のように真っ白な湖面が眩しい。工業塩を採取している湖で塩分濃度が高く、死海同様体が浮くらしい。また高い山が視界に現れる。上空には巨大な積乱雲が湧き上がり、いよいよ雨季の到来を告げている。 16:05警察官詰め所にタコメーターの記録紙を提出し、速度違反有無のチェックを受ける。右手にホメイニ廟が現れ、スモッグに霞むテヘラン市街が見えてくる。テヘラン市内P1060368に入ると相変わらずの渋滞ではあるが今日は幾分まし、アーザーディータワーの傍らを通過し、日没寸前の16:50空港ターミナル2に到着する。安全運転でここまで無事送り届けてくれたマンスリーさんに挨拶してからターミナルビルに入り、チェックインカウンターに並ぶ。手続きを済むせ、スルーガイドのセフィーさんにお礼とお別れを言って、出国検査を受けるためパスコンへ。18:00出発ロビーに入る。さあ土産物を買おうと思ったが、免税店のスペースは殆どがもぬけの殻で寂れている。聞けば、2004年に市の南に開港したエマーム・ホメイニー国際空港の方へ店舗が移ってしまったとのこと、それにしてもあんまりである。乗客も我々JTB組にグローバル旅行とユーラシア旅行の2組を合わせた日本人の40名がいるばかり、確かにこれでは商売にならない。P1060371 数少ない店のひとつでキャビアの缶詰の値段を見ると、オセトラ(ASETRA)が121米ドル、ベルーガ(BELUGA)が100~112米ドル、セブルーガ(SEVRUGA)は57米ドルとチョウザメの種類によって大分異なる。50グラム(もしかしたら28グラム?)入りでこの価格では年金暮らしの身には手が出ない。19:40搭乗、IR800便の31C席、トイレの横で前席が無いので足元はゆったりしている。隣席のイラン人はエディさん、日本人と結婚し海老名に15年も住んでいるとのこと、今回は里帰りを終えて日本へ戻るところである。機内はガラガラ、ジャンボ機の席が半分も埋まっていない。一人で3席、4席占領することが出来る。21:30一回目の食事が出る。すっかり馴染のNAB、DELSTERの缶を飲む。22:30時計を5時間半進め日本時間(26日4:00)に合わせる。(完)

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ピスタチオ

Dsc05776 ピスタチオは地中海沿岸原産のウルシ科の植物、新石器時代(BC7000頃)のアナトリア高原の遺跡調査(チャタル・ヒュイク遺跡)によると、各種の麦や豆の栽培とともに、ピスタチオと樫の実採取に基づく農耕社会が形成されていたという。日本ではアメリカのカリフォルニア産が有名であるが、生産量はイランが50%を占め世界一。写真の品は干しイチジクと一緒にエスファハーンの乾物屋で購入したもの、1キログラムで約1,000円、楽天市場の価格は品種により異なるが1,700円~2,000円程度なのでほぼ半値である。イラン土産のお勧めナンバー2。

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干しイチジク

Dsc05773 イチジクは小アジア原産の桑科の植物、そういえばトルコのトロイ遺跡に素晴らしく大きなイチジクの樹があったことを想い出す。イチジクという語源は広辞苑によるとペルシア語から来ているという。即ち、中世ペルシア語のanjirの中国語での音訳語「映日果」(インジークォ)が更に転音したもの。ペルシア商人によりシルクロードを辿って中国にもたらされたものと思われる。日本にも中国を経て寛永年間(1624~44)に入っている。現在のイランでも大規模に栽培され、乾しイチジクに加工され販売されている。写真の品はエスファハーンの乾物屋で購入したもの、1キログラム500円と極めて安く、軟らかくて甘くて非常に美味しい。イラン土産のお勧めナンバーワン。

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アブヤーネ村散策

2007年11月24日(土) 同じホテルに3連泊なので体が楽、6:45朝食に降りる。昨日と全く同じ料理が並び、結局目玉焼きと野菜サラダを取る。デザートはグレープフルーツにコーヒーと紅茶。8:30バスで出発、エスファハーンの北120㎞、キャルキャス山の麓にあるアブヤーネ村をめざす。アブヤーネ村は嘗てはゾロアスター教徒の集落だったところで、今でも昔ながらの風習が色濃く残っているらしい。云わばペルシアの原風景ともいうべき山村である。これは期待が持てる。同行者の話では、松本清張の著作「火の路」はゾロアスター教に題材を取ったものらしく、帰国したら是非読んでみようと思う。スモッグのせいかもしれないが天候は薄曇、エスファハーンの街路樹もプラタナス並木が続く。今日は週始めであるが(休日は木と金曜日)、P1060324 渋滞は少ない。9:30テヘランまで続くという高速道路(有料)の入口にすんなり辿り着く。制限速度120㎞/hの3車線の道は荒涼たる砂漠の中を貫いてどこまでも北へ延びる。やがて天空に聳える峨々たる山並が現れる。走行している道路の海抜が2,000mくらいなので、標高3,000~4,000mのスカイラインと思われる。ポツンポツンと現れる山麓の集落はみなオアシスらしい。山頂部に雪を戴く高山が見えてくる。恐らくこの辺りの山塊の最高峰、キャルキャス山(3,899m)と思われる。高速道路を下りてアブヤーネ村に通じる枝道に入る。P1060277 一応舗装されて入るがガタガタ、羊の群れを追う遊牧民の姿を見かけるようになり、マツやザクロなどの樹木も多くなる。渓谷沿いに道は登っていく。 アブヤーネ村は果物と野菜の産地で、アンズ、ザクロ、リンゴ、クルミなどが沢山穫れるとのこと、事実今は柿がたわわに実っている。村民の懐は豊かで、子弟の大学進学率が高く、アメリカに移住して成功している人も多いらしい。11:15アブヤーネ村到着、山峡を吹きぬける風が冷たい。村唯一のホテル(アブヤーネ・ホテル)にバスを横付けしお手洗いを借りる。P1060282 谷の斜面に赤土壁の四角い家が階段状に建ち並ぶ。家が密集しており日本の山村風景とは趣が異なる。早速村内の散策を開始する。老人と子供しか見当たらない。若い人は近くの大きな町(カーシャーンやエスファハーン)へ出払っているらしく、年寄りが手持ち無沙汰に門口や路傍にぼんやり座り込んでいる。確かに服装は異色で、女性はカラフルな花柄のスカーフを被りミディ丈のスカート姿、男性は裾の広いズボンをはいている。土産物屋が2、3軒あるだけで 他には何も無い村であるが、P1060298ぶらぶら歩くうちにくつろいでのんびりした気分になる。シーラーズから観光に来たという女学生の一団に取り囲まれ、東洋人(日本人)が珍しいというので一緒の記念撮影をせがまれる。イランの一般の人々には親米政策をとる日本に対する変なわだかまりはなさそうである。むしろ日本で働いた経験がある人も多く、親日的でホスピタリティーに溢れている。治安も良く街中を一人で歩いていても不安を感じない。現政権の強硬ぶりに胸のうちでは困惑している知識人も多い。それでもアメリカとイスラエルだけは許せないのである。P1060316 12:40村内見学を終えてアブヤーネ・ホテルのレストランで昼食を取る。ナスの煮込み料理とカスピ海沿岸産という2㎝もある超長粒米のライスが出る。米はパサパサで全く粘り気がない。日本人にはちょっと馴染めない。DELSTERブランドのパイナップルとイチゴ風味の2種類のNABを飲む。14:00エスファハーンへの帰途に着く。バスの中でのセフィー氏の話、「学校は高校まで男女完全別学の上、公共交通機関の座席も男女別である」「結婚の申し込みは必ず男性側からプロポーズ、女性側がYES/NOの決定権を持つ」「殆どの男女が結婚するまで童貞と処女である」「体に悪いもの、たとえば酒(アルコール)は飲めない、タバコは吸えない」「砂袋を持たない鳥(カラスなどの肉食鳥)と鱗のない魚は食べない(理由は?)」「女性は外出時チャードルを着用し、他人に肌や髪を見せてはいけない」「男性も外出時半袖シャツや半ズボンは禁止」などなど。1979年の革命後イスラムの戒律を厳格に守るようになったイランの現在は実にストイックな社会である。P1060320 一見息苦しいようにも思えるが、何でもありの昨今の日本社会の乱れ様からみれば、親族殺人や自殺など信じられないというイランの方がまともに見える。15:00ナターズムの町に寄り、そこのジャーメ・モスク(金曜寺院)を拝観する。13~14世紀建立の寺院で、傍らのプラタナスの巨樹は樹齢2,000年とか。この辺りでは有名な寺院らしく参拝者が多い。17:00暮れなずむエスファハーンの街に入った途端、又も大渋滞に巻き込まれる。イランの大都市に共通する名物は交通渋滞である。17:40ホテルに帰着、お腹が痛いのを我慢してきたがぎりぎりセーフ、急いで部屋のトイレに駆け込む。夕食前に有志4人で絨緞を見に行く。マルチェさんとセフィーさんに案内されたのは神学校裏手にある怪しげな店、店内に入るや直ぐに従業員が表戸を閉めてしまう。缶詰状態にされて、政府保証とかいう高級じゅうたんを次々に広げて見せられる。1平方㎝当り140ノット(結び目)とかで、光沢、風合い、紋様とも申し分ないが如何せん高過ぎる。P1060331 玄関マットの大きさで1,600ドルもする。とても手が出ない。同行のご夫婦が2,400ドルもする品物を購入してくれたお陰で漸く解放される。マルチェ氏はほくほく顔、セフィー氏もにこにこ、どうらや2人にしてやられた感じ。ホテルに戻って皆で夕食にスイー・オ・セ橋(33橋の意味)近くのレストラン“33”へ行く。並んだ料理は鱒の唐揚げとおこげご飯、どちらも味はいまいち。夕食後33橋のライトアップを見物、若い人にはロマンチックかもしれないが、年寄りには冷たい風が応えるばかり、イランの秋も駆け足で去く。その後セフィーさんに乾物屋に連れて行ってもらい、お土産に乾しイチジクとピスタチオナッツを買う。前者が40,000RIs/㎏(480円)、後者が90,000RIs/㎏(1,080円)、確かに安い。21:30ホテルに戻る。早くも明日は帰国、風呂に入り、寝る前にSCの荷造りを行う。(続く)

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世界遺産「エスファハーンのエマーム広場」

2007年11月23日(金) 7:20起床、8:00朝食。目玉焼きと羊肉ハムを食べジュースを飲む。これまでのホテルの中で一番美味しい。キャッシャーで10ドルを両替してもらうと90,000リアル、空港よりレートが良い。風邪気味のメンバーに薬をあげようと部屋に戻ってSCを開けようとしたら開錠できない。先ほど閉めたばかりの錠前式の単純な鍵なのにいったいどうしたことか。夕方戻ってきたら対処することにして9:00市内観光に出発。なんとバスは昨日と同じ、運転手のマンスリーさんがシーラーズから8時間をかけ不眠不休でやってきたもの、イラン人は結構タフである。現地ガイドはマルチェさん、本業は英語教師とのことである。エスファハーンはイラン第4の都市(テヘラン>マシュハド>タブリーズ>エスファハーン)、P10601811597年サファヴィー朝のアッバース大帝(1世)が都を置いたところで、イランの真珠とも称えられる国内屈指の観光地である。 奈良市と姉妹都市であり、先日サッカーアジアクラブチャンピオンの座を浦和レッズと争ったセパハンの本拠地でもある。最初の見学箇所は「チェヘル・ソトゥーン(40本の柱)宮殿」、1647年アッバース2世によって建造された宮殿で、前面の20本の柱が池の水面に映り40本に見えることからそのように呼ばれている。残念ながら池の水は抜かれており、逆さ宮殿は見られない。柱の材質は糸杉で、建築当時 は柱の全面にヴェネチP1060189ア産の鏡が張られていたらしい。宮殿内は博物館になっており、 壁に描かれたトルコ・オスマン朝及びインドとの戦争図3枚と、宮廷内祝宴図3枚は見ごたえがある。また、千夜一夜物語を思わせる美貌の女人を描いた細密画もあり、当時の宮廷生活の華やかさが偲ばれる。インドのタージ・マハル建築に携わったのはエスファハーンから出向いた職人とのこと、美的センスが優れている訳である。二箇所目は「ジャーメ・モスク(金曜寺院)」、金曜日の礼拝にだけ使われるその町で最も格式の高い寺院である。 創建は8世紀にまでP1060210遡るエスファハーン最古のモスク、その後増改築を繰り返して現在に至っているため、様々な時代の建築様式、タイルワーク、アラベスク紋様などが随所に見られ、イラン寺院建築の集大成とされている。タイルがまだ無かった時代に造られた日干しレンガの素朴なドーム、漆喰塗りの繊細なレリーフで飾られた芸術品ともいえるメフラーブ、秘密の地下礼拝堂などを順に拝観する。三箇所目は「ヴァーンク教会」、北の国境のジョルファから連れて来られたアルメニア人の居住区(ジョルファ地区)に建つ教会で1664年に完成したもの、 日干しP1060212レンガで出来ておりモスク様ドームを持つが、その先端に小さな十字架が立っておりキリスト教会だと分る。聖堂内の壁一面に旧約聖書の諸場面が描かれており、近年の修復により輪郭も色彩も鮮やかである。併設する博物館に入ると、ドイツで印刷された世界一小さい聖書(14頁、重さ0.7グラム)をはじめ、アルメニア人の故郷の聖山アララト山を描いた絵画、聖具類、民族衣装などが展示されている。 当時のサファヴィー朝の国教はイスラム教シーア派であるが、他の宗教に対しても寛容だったことが分る。市内のP1060228レストランで昼食、ザクロの果汁とクルミ粉を砂糖と一緒に煮詰めて作ったペースト状のものをライスやナンにつけて食べる。クルミの香ばしさとザクロの酸味がきいていてなかなかいける。また、ニンニクを丸ごとワインビネガーに漬けたピクルスも美味しい。考えてみればクルミ(胡桃)も柘榴もニンニク(葫)もイランが原産地、美味い筈である。ISTAKブランドの桃とレモンの香りをつけたNABを各1本飲む。昼食後、ザーヤンデ川に架かるハージュ橋を見物する。イラン高原最大の河川だけあって水量が豊かで、水色も意外に美しい。 P1060247イランの大都市は下水処理がきちんと行われていると見える。街中にもエジプトやトルコのようにゴミが散乱していることもないし、イランは清潔である。いよいよ今回の旅のハイライト、世界文化遺産の「エマーム広場」の見学に向う。嘗ては“世界の半分”と称えられた世界一美しい広場である。1598年アッバース1世が建設に着手し、完成まで数十年を要したという広場は縦510m、横163mの長方形をなし、その広場を囲むように東にシェイフ・ロトゥフォッラー・モスク、 西にアーリー・ガープ宮殿、南にエマーム・モスク(王の寺院)、北にバザールを配す。それらをつなぐ2層P1060240の回廊部分には200以上の店が軒を連ねている。壮大、壮麗、豪華、絢爛、イスラム美術の極致であり見る者を圧倒する。先ずイラン最初の高層建築、5階建てのアーリー・ガープ宮殿から見学を始める。生憎修復工事が入っていて3階から上へは行けなったが、2階屋上のバルコニーからエマーム広場の全体とエスファハーン市街地、その後背の山並みを眺める。宮殿内壁を飾る細密画(ミニアチュール) は40本の柱宮殿以上に素晴らしい。次いでシェイフ・ロトゥフォッラー・モスクへ。P1060257外壁も内壁も全てブルータイルで美しく飾られるこのモスクは、王族のプライベートモスクであるため、ミナレット(尖塔)や中庭は無くこじんまりしている。それでもアラベスク紋様のタイルワークは実に精緻で息を呑むほど美しい。最後はエマーム・モスクに入る。1612年から建設を開始して1638年の完成まで26年を要した巨大なモスクで、広場に面したエイヴァーンは圧巻である。銀製の重々しい大扉から中に入り、短い回廊を抜けて中庭に出ると、 45度斜め奥にメッカの方向を向いたエイヴァーンと中央礼拝堂の大ドームが目に飛び込んでくる。P1060264くの字型に折れ曲がる大胆な構造にまずびっくり。その上中央礼拝堂のドームは二重構造になっており、内部で発した音が何重にも反響するように設計されている。試しに手拍子を打てば少なくとも7回は木霊する。現地ガイドのマルチェさんがコーランの祈りの一節を唱えてくれる。まるで音楽のように堂内にろうろうと響き渡る。仏教の声明にそっくりである。エマーム広場のライトアップの時間までフリータイムになったので、回廊部分にある土産物店を一回りしてみる。 ラクダの骨の薄片に描いた細密画P1060272は50ドルから170ドルもする。アラベスク紋様のテーブルクロスは30ドル前後、ミーナー・カーリー(銅製の皿や壷にエナメルで彩色した製品)は50ドル前後、じゅうたんは玄関マットの大きさで20万円から30万円、いずれも高価で手が出ない。そのほか、金銀製品、菓子、絵葉書、乾物などを商う店や喫茶店、銀行などがある。シーズオフのせいか閉まっている店も多い。陽が落ちると木枯らしが吹き始め寒くなる。ライトアップされたエマーム広場を写真に収めてから、ホテルへ引き揚げる。17:50ホテル着、早速SCの鍵開けにとりかかる。スルーガイドのセフィーさんがどこかで調達してきたプライアーでは結局歯が立たず、レセプションに電話して金鋸を持ってきてもらう。ホテルの従業員に鍵を切断してもらい一件落着、1階の売店で購入した予備の鍵を取り付ける。18:45皆に一足遅れて地階のイタリアレストランへ夕食に行く。イランに来てイタリア料理というのも変だが、今晩のスパゲッティーが今までで一番美味しい。部屋に戻ってコーヒーを沸かし、ガイドブックを読み返して今日のおさらいをする。(続く)

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シーラーズ市内観光及びビシャプール遺跡

2007年11月22日(木) 6:00起床、まだ外は薄暗い。6:45食堂へ朝食に降りる。8:30市内観光に出発、外は結構冷える。最初の見学箇所は「アリー・エブネ・ハムゼ聖廟」、ドームのブルータイルが朝日に輝き美しい。一般に聖廟はモスクと違い、原則としてイスラム教徒以外は入れないとのことであるが、中には拝観を許している所もある。P1060125_3 入口で女性にチャードルを貸してくれる。内部は天井と壁の全てが鏡張りで眩いほど、中央にアリー・エブネ・ハムゼの棺が安置されている。二箇所目は「キャリーム・ハーン城塞」、ザンド朝(18世紀)時代にキャリーム・ハーンの居城として使われていた城塞で、市の中心にあるショハダー広場に面している。装飾を施された四隅の円塔と淡黄褐色の高い壁が印象的である。内部には入らず外から眺めただけで次の目的地へ移る。三箇所目は「コーランゲート」、エスファハーン方面からシーラーズに入る場合の入場門であるが、現在は幹線道路の傍らに平行して置かれている。P1060136_2 門の上部にある小部屋には古いコーランが置かれていて、旅人の安全を見守っているとのことである。四箇所目は「エラム庭園」、春には250種類のバラが咲き乱れるという楽園も、乾季の今は秋バラがぽつりぽつり咲いている程度である。庭園の真ん中に、ガージャル朝時代(1779~1925)の代表的建築物であるエラム宮殿が建ち、園内には樹齢300年の糸杉並木をはじめ、ザクロ、イチジク、ミカン、ビワなどの果樹も沢山植えられている。市民憩いの植物園で、カップルや家族連れ、それに写生に興じる女学生で賑わっている。散策にはもってこいの気候、フリータイムに園内をぶらぶら歩くと実に気持ちが良い。10:30エラム庭園見物を終えて、シーラーズの西方120㎞に位置するビシャプール(BISHAPOOR)遺跡へと向う。P1060140 通常の観光ルートでは案内しないサーサーン朝ペルシアの王都、しかも千夜一夜物語と関係有りということなので皆の期待大いに高まる。11:35途中の町にある唯一のレストラン(CHESHMEH RESTAURANT)で早目の昼食、有り体に言えばドライブインである。鶏の串焼き、サラダ、ヨーグルト、ライスのメニューは田舎臭い味付けで塩辛い。本格的NABのKHOSH GOVARを1本飲む。それにしても大都会の高級レストランでも、こんな片田舎の食堂でも、請求される金額はNAB一本につき10,000RIs、どうもおかしい。 それと、イランに来て以来毎日野菜サラダをどんぶり一杯食べているがお腹の調子はなんとも無い。カットフルーツも酸っぱいヨーグルトも問題なし。乾燥気候のお陰かもしれないが案外衛生状態は良い。12:30昼食を終え先へ進む。海抜2,000m級の峠越えにさしかかると、グランドキャニオンを思わせる渓谷と、妙義山を巨大にしたような岩山が現れる。地層が積み重なり褶曲しているのが見て取れる。P1060157_2 木も疎らに生えているものの、樹種は単調で広葉樹が一種類だけ、荒涼としたセピア色の世界が続く。イランの国土は懐が深く、どこまで走っても風景はなかなか変らない。14:25ようやくビシャプール遺跡に着く。サーサーン朝のシャープール1世(在位AC241~271)時代の都の跡であるが、ガイドブック「地球の歩き方」にも出ていないスポット、ここまで来る観光客は(特に外国人は)殆どいないようである。 それが証拠に説明版の文字がペルシア語だけで皆目判らない。山峡の河谷の左岸台地上に、崩れたままの廃墟があるだけで、まだまだ観光客を呼べるレベルに至っていない。P1060165 本格的な修復はこれからで、壷などの発掘品は管理棟傍らのテントに雑然と収納されている。それでも遺跡入口にミニ博物館を建設中であり、将来は観光スポットとして脚光を浴びるようになるかもしれぬ。礼拝所、謁見の間、ワレリアンの牢獄などを一巡りするが、2時間半もかけて来る価値があるとはやはり思えない。旅行会社のパンフレットにはお勧めポイントの第一に掲げられているが、誇大広告ではないのかとメンバーも騒ぎ出す始末。大体、千夜一夜物語に出てくる実在の王名はアッバース朝(AC749~1038)のもので、よく調べてみれば時代がずれている。P1060173 こんな索漠とした廃墟に艶めかしさを期待してくる方もどうかしているが・・・。同じ河谷の右岸の崖に彫りこまれたレリーフも見学する。サーサーン朝第4代ワフラーム1世(在位273~276)の戴冠式の様子や、ローマ帝国やアラブとの交戦の様子が描かれ、保存状態が良い。これらのレリーフを観て長時間のドライブにようやく納得する。河の水は底石がくまなく見えるほど美しく、魚影も沢山認められる。16:00シーラーズへ向け往路を戻る。早くも空に満月がかかる。19:00コーランゲートに着きトイレ休憩、19:35シーラーズ国際空港に到着、SCをチェックインカウンターに預けてから空港ビル内レストランで夕食をとる。蒸しチキンにどっさりのサフランライス、誰も食欲がない。香辛料は穏やかであるが、イラン料理はどうも口に合わない。21:15エスファハーン経由テヘラン行きIR328便に乗り込む。機体はロシア製か、珍しく新しい。スチュワーデスも皆飛び切りの美人、これなら良い。直ぐに飛び立ち1時間弱でエスファハーン空港に着く。迎えのバスに乗り、アリカプホテル(ALIQUPA HOTEL)に23:30チェックイン、201号室に入る。ISO9001の認証を受けている街中の4つ星ホテル、設備は旧いがツインベッドがあり、浴槽も広くて深い。アメニティーも何でも揃っている。先ず風呂に入ってさっぱりしてから、カップラーメン(エースコックのわかめ)を食べる。やれやれ、カップラーメンが一番美味いとは・・・、1:00頃ダウン。(続く)

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イランのビール

1979年のイラン革命以降、国民にイスラム法の戒律を厳格に守る事が義務付けられ、体に悪いものは摂取しないというイスラムの教えから、酒類(アルコール)の販売や飲用は禁止されている。したがって現在のイラン人は甘党の人が多く、食事の際の飲み物もコーラやスプライト、或いはミネラルウオーターを頼んでいる。ノンアルコールビール(NAB)もあるが、ビールからアルコール分を除いただけの本格的(?)ノンアルコールビールではなく、香料、クエン酸、ビタミンC、砂糖などを加えたフルーツ風味の甘いものが多い。食事の友というよりも、イランは乾燥しているので止渇飲料として飲まれているようである。(写真は上段左がIRAN BEHNOUSH Co.製のDELSTER PINEAPPLE、上段右が同じくDELSTER STRAWBERRY、下段左がARPANOOSH Co.製のISTAK LEMON、下段右が同じくISTAK PEACH) Delster_pineapplenab Delster_strawberrynab Istak_lemonnab Istak_peachnab

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世界遺産「パサルガダエ」と「ペルセポリス」

2007年11月21日(水) 6:30MCで起きる。ホテル朝食をパスし、SCのスペースを空けるためカップラーメンを食べる。部屋の窓から外を眺めるとシーラーズの街並と後背の禿山が眺められる。今日も好天である。7:30コーヒーを飲みに食堂へ下りる。コーヒーを頼むとインスタントのネスカフェの袋を持ってくる。ナツメヤシが軟らかくて甘くて美味しい。8:00バスに乗り出発、運転手は今日から最終日まで担当するマンスリーさん、現地ガイドは妙齢の美人ヘイダリーさん、ヘイダリーさんは日本語が話せないのでセフィーさんが通訳する。ファールス州の人口は約550万人、州都シーラーズ市の人口は180万人でイラン第5の都市である。ザーグロス山脈の山麓、海抜1,530mの高原に位置し、穏やかな気候はブドウの生産に適している。革命前はワインの銘醸地であったらしい。ペルシア帝国発祥の地で、イランではエスファハーンに次ぐ屈指の観光地、今日は近郊にある世界文化遺産、「パサルガダエ」や「ペルセポリス」などの遺跡を巡る。市街地を抜けたバスは北東130㎞にあるパサルガダエめざして幹線道路を淡々と走る。周りの景色は変化に乏しく、淡褐色の乾いた大地がどこまでも広がる。山は草木とて無い岩土の禿山、平原には枯れ色のブッシュが点々と生い茂る。時々僅かに松や糸杉が緑を添える。また耕作地らしき所は地下水による灌漑農業が行われており、米と麦(或いはトウモロコシ)の二毛作、場合によってはヒマワリや野菜も作るらしく案外地味は肥えている。道路はインドや中国に比べれば快適、但し枝道は殆どが未舗装である。要所要所に検問所があり、観光バスやトラックはタコメーターの記録を警察官に提出し、スピード違反の有無をチェックされる。GPSの積載義務もあるとのことで完全な監視社会である。沿道には立派な石油精製施設もある。P1050980 村に入ると民家は日干しレンガ造り、失業率が高いのか昼日中からぶらぶらしている人が目立つ。10:00パサルガダエ遺跡に着く。キュロス大王(2世、在位BC559~530)のもとでBC546年頃に建設が始められたアケメネス朝ペルシア(BC550~BC333)の最初の都の跡である。2500年の時が経ち、古形を保つのはキュロス大王の墓とされる石積みのピラミッドだけ、2つの宮殿とゾロアスター教の神殿は殆ど崩れており、保存状態も修復状態も良くない。経済的に余裕が出来たら本格的修復に着手するとのことであるが、今のままではわざわざ来てみても見所少なく、壮麗なペルシアの都を想像することは難しい。遺跡に明るい秋の陽射しが降り注ぎ、P1060004乾いた風が流れる。まさに兵どもが夢の跡である。 11:15再びバスに乗り、来た道をシーラーズ方面へ戻る。12:15二箇所目の見学箇所ナグシェ・ロスタムに到着。道路近くの岩山の断崖にアケメネス朝時代の王墓が4箇所、ギリシャ十字形に彫り込まれている。向って左から、アルタクセルクセス1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世(在位BC522~486)、ダレイオス2世の墓とされている。墓の下部にはササーン朝ペルシア時代(AC226~651)に描かれたレリーフも残り、中でもシャールプール1世と捕虜となった東ローマ皇帝ヴァレリアヌスを描いた「騎馬戦勝図」と、アルデシール1世を描いた「騎馬叙任式図」は見事である。傍らには先ほどパサルガダエで観たゾロアスター教の神殿がほぼ完全な形で残っている。P1060088 昼食はその辺りで唯一のレストラン、“ラーネイエ・ターヴース(LANEH TAVOOS)”、噴水プールの傍らでナスの煮込み料理を食べる。14:20今回のイラン旅行のハイライト、世界遺産のペルセポリスに着く。大型観光バスが100台以上も入る広大な駐車場にバスは僅かに2台だけ、これでは観光業者はあがったりで、入口のショッピングセンターもシャッターを下ろしている店が多い。何時の世も苦しむのは一般市民である。ペルセポリスはBC512年頃ダレイオス1世によって建設が開始され、P1060083 その子クセルクセス1世によって完成された宗教都市といわれている。111段の左側の大階段(右側は工事中)を登ってクセルクセス門から見学を開始する。儀仗兵の通路、未完成の門、百柱の間、東階段のレリーフ、ダレイオス1世の宮殿“タチャル”、博物館の順に巡る。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれるだけあってさすがに壮大、修復もかなり進んでいる。見所は多いが圧巻は謁見の間へ通じる東階段のレリーフ、王への貢物を手にした23の属国の使者の姿が見事に描き分けられている。P1060091 23国は、メディア、エラム、パルティア、ソグド、エジプト、バクトリア、ドランギアナ、アルメニア、バビロニア、キリキア、スキタイ、イオニア、サマルカンド、フェニキア、カッパドキア、リディア、アランコシア、インド、マケドニア、アラビア、アッシリア、リビア、エチオピアとされ、西はトルコから東はインドまでの強大な世界帝国であったことが良く分る。フリータイムになったので後背のラフマト山中腹の崖に彫りこまれたアルタクセルクセス2世の墓まで登ってみる。様式はナグシェ・ロスタムと同じで、中央石室には巨大な石棺が安置されている。ラフマト山の上空に半月が昇る。廃墟と化した嘗ての栄光の都を、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズタ(“翼ある日輪”として表現される)が今も静かに見守っている。16:10バスに戻りシーラーズへ向けて出発。スルーガイドのセフィー氏によると、今のイランでは観光ガイドだけでは食べられず、皆別の仕事も持っているとのこと、2000年頃までは日本人もドイツ人も大勢来て大忙しだったが最近はさっぱり、むしろアラブ諸国からイスラム教関係者の来訪が増えている。韓国人、中国人も増えつつあるというが全く姿を見かけない。シーラーズ市内に入り、ハーフェズ廟に寄る。ハーフェズ(1325-1389)はイランで最も愛されている抒情詩人、その詩集はコーラン同様家庭に必ず1冊はあるという。ライトアップされた廟の境内はカップルや家族連れで賑わう。18:20ホテルに戻る。夕食はホテル1階のレストラン、ペルシア湾産という白身魚のフライが美味しい。(続く)

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テヘラン市内観光

2007年11月20日(火) 6:40起床、もう日本は正午である。ひげを剃り日焼け止めクリームを塗ってから階下へ朝食に降りる。厚めのナン(バルバリー)と固ヨーグルトとメロンは美味、スイカとコーヒーは不味い。食後外へ出てみると暑くも寒くもなしといった快適な気候、但し空はスモッグでどんよりしており、建物も道往く人の服装も空と同じく地味でくすんでいる。街路樹はプラタナスの大樹、道路の両端に側溝が設けられ、その中を綺麗な水が流れている。アルボルズ山脈の雪融け水とのことで灌漑用水らしい。空気が乾燥しているためドアノブの静電気がすごい。9:30バスに乗り市内観光へ出発、市内の道路という道路は大渋滞、我先に割り込んできては数㎝のところで衝突を回避する神技のような運転にひやひやの連続。街角には軍人や警察官の姿が目立つ。 3年くらい前までは旧式車が多く大気汚染は遥かにひどかったらしい。P1050875今はKIAなどの韓国車が多く、ベンツやトヨタも混じる。10:00最初の見物箇所の「サアダーバード宮殿博物館」の入口に着く。イラン最後の王朝パフラヴィー王家(1925~1979年)の夏の離宮である。シャトルバスに乗り換え、110ヘクタールと広大な敷地の最上部まで上がって「緑宮殿」を見学する。緑色大理石で造られた瀟洒な建物の内部にはお宝がぎっしり詰まっている。フランス製や英国製の家具及び調度品、金糸と銀糸で編んだカーテン、黄金の燭台、黄金の体重計、バカラ製ガラス食器などなど、ごてごてした成金趣味の代物が室内を飾る。王家だけが富(オイルマネー)を独占して贅の限りを尽くしていたことが良く分る。ここにはイラクのフセイン大統領も3泊したというが、どうしてこんな建物を博物館として公開しているのか意図が判らない。革命後の現政府からみれば悪の巣窟のような所であるが、反面教師としているのであろうか。それはともかく敷地内には樹木が多い。プラタナスの葉がはらはらと散りテヘランの秋も今がたけなわ、美しい景色である。P1050918それにしても外国人の観光客が殆ど見当たらない。 これも経済制裁の影響と思われる。バスに乗って市内へ戻る。二箇所目の見学箇所は「ガラス&陶器博物館」(アーブギーネ博物館)、着いた時はちょうど12:00、祈りの時間を知らせるアザーンの声が街中に響き渡る。二階建てのこじんまりした建物の中に、紀元前400年から現在に至る様々な陶磁器やガラス製品が年代順、用途別に並べられている。正倉院の宝物そっくりのカットガラス椀が2個もある。窓から射し込む光を受けて刻々表情を変える水差しや涙壷の優美な曲線は素晴らしい。昼食は市内のレストランで伝統的煮込み料理を食べる。01円筒型の石鍋で牛肉と豆とトマトをじっくり煮込んだもの、エジプトで食べたヌビア料理に似ている。 ビールは無いのでノンアルコールビール(NAB)を飲む。DELSTERという銘柄で、香料を使いレモン風味をつけたもの、飲みやすいが食事の友には合わない。値段は10,000RIs(120円)。三箇所目の見物箇所は「宝石博物館」、なんとイラン中央銀行の地下金庫の中である。警戒は厳重を極め、セキュリティーチェックとボディーチェックは空港より厳しい。内部にはバッグを始めカメラなども一切持ち込めない。やはりパフラヴィー王家が所有していた宝石コレクションが所狭しと並べられ、その豪華絢爛ぶりはトプカプ宮殿の宝物館をも凌駕する。3,000個以上のダイアモンドを埋め込んだ“パフラヴィークラウン”、26,000個の宝石を散りばめた“孔雀の玉座”、51,366個の宝石が埋め込まれた“宝石の地球儀”、世界最大182カラットのピンクダイアモンド“光の海”、他にもイエローダイアモンド、ブルーダイアモンド、エメラルド、ルビー、これでもかこれでもかと云わんばかりで感心するよりも富と権力への執着に呆れてしまう。P1050937 何もかもがキンキラしていてげんなり、地上へ出るとほっとする。最後の見学箇所は「イラン考古学博物館」、こちらの方がずっと落ち着く。イラン全土から収集されたBC5000年から19世紀に至る発掘品や美術品が年代順に並べられている。1時間ではじっくり鑑賞することは出来ず、ペルセポリスから移設した「ダレイオス1世の謁見図」「牡牛の柱頭」「階段のレリーフ」などの主なものだけ駆け足で観て回る。見学を終えて外へ出ると珍しく雨、植物も人間もほっとする季節(雨季)到来である。 何せテヘランの年間降水量はたったP1050945の250mm、街行く人は誰も傘をささず濡れるのを楽しんでいるかの様。16:30外はすっかり暗くなる。相変わらずの渋滞の中をレストランへ。夕食はウズラの串焼きと野菜スープとサラダのメニュー、ビールがないので仕方なくNABを飲む。19:00空港へ向う。やはり大渋滞、日本なら普通の雨だがイランでは大雨らしく、少し雨脚が強まる。途中路線バス専用ラインを走って違反キップを切られるハプニングもあり、空港到着は遅れに遅れる。ぎりぎりセーフでチェックインし、21:45発シーラーズ行きB9(イランエアツアーズ)940便に乗り込む。これまたオンボロ飛行機である。23:00シーラーズ空港に無事着陸、迎えのバスに乗る。23:55今宵の宿アリョ・バザンホテル(ARYO BARZAN HOTEL)にチェックイン、501号室に入る。やはり4つ星ホテルでアメニティーは何でも揃っているものの、いやに浴槽が小さい。深浅2段式で半身浴も無理、これではまるで足湯である。いったいどのように使うのか?。シャワーを浴びると1:15、連日の御前さま。(続く)

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イラン8日間の旅

2007年11月19日(月) 今秋一番の冷え込み、日本海側は北海道、青森から新潟まで雪、湯沢や水上も雪である。10:30家人に送ってもらい南柏駅へ。今日から8日間のイラン旅行の始まり。成田駅で空港行き電車を待つ間に、鮭お握りと缶コーヒーで昼食を済ませる。12:45成田空港第2ターミナル着、スカイポーターのカウンターで昨日運んでもらったスーツケース(SC)を受け取る。AIUカウンターで海外旅行保険に加入してからJTB旅物語の受付カウンターへ行く。P1050853 添乗員はKさんという小柄で目がくりっとした30歳台と思しき女性である。同行のメンバーは自分も入れて12名、内訳はご夫婦3組、女性の2人組、一人参加4名である。両替所で3万円を米ドルに替える。13:50 IRAN AIRのカウンターでチェックイン、SCを預けてから安全検査、出国検査を済ませゲート71へ向う。IR801便テヘラン行きはソウル経由、15:00搭乗すると機内はがらがら、100席以上空いているとのことで中央の4席を独占する。機種はB747spであるが、耐用年数をとっくに過ぎたと思われる極め付きの旧式、機体はガタガタでこれでテヘランまで無事飛べるのかと心配になる。P1050855 米欧の経済制裁により新型機を買えないらしい。16:10漸く離陸、車輪格納時キーキー、ゴトゴトすごい音がする。16:40一回目の食事が出る。宗教上の理由からアルコール類は一切禁止とのことで飲み物はコカコーラ、これで長時間のフライトに耐えるかと思うと辛い。個人用端末は勿論なし、その上映画や音楽のサービスも無い。スクリーンには現在の飛行位置が映るばかりで単調そのもの、おまけに飛行速度も660㎞と遅い。18:30仁川国際空港に着陸、一旦機外へ出る。搭乗券半券と引き換えにTransit Passenger Cardをもらい、再び手荷物検査を受ける。19:30再搭乗、新たな乗客が加わり8割方座席が埋まる。P1050858ソウルからテヘランまでの距離6,528㎞、飛行時間9時間15分、ここからが長い。順番待ちなのかなかなか飛び立たない。21:00雷雨の中を漸く離陸、時間つぶしに浅田次郎の「珍妃の井戸」を読む。21:40再び食事が出る。飲み物は又もコカコーラ、やれやれ。北京上空からゴビ砂漠上空へ、スピードも750㎞にアップ。23:00時計を5時間半遅らせて現地時間(17:30)に合わせる。機はチベット高原の北辺をかすめて飛んでいく。19:45タリム盆地の北、ウルムチ辺りの上空、あと3,500㎞、5時間。21:50タシケント上空、あと1,950㎞、3時間。23:10もうすぐカスピ海という所で機内照明が点る。すかさず軽食とお茶が出る。 イラン航空は食事面のサービスは良い。P10508700:26メフラバード国際空港に安着、外気温13℃、自宅を出てから既に20時間が経つ。それにしても薄暗く地味な空港である。 入国審査にえらく時間がかかる。係官同士がおしゃべりしていてパスポートチェックが捗らない。ようやく入国を許され、両替所で10ドルをイラン・リアル(RIs)に替えると85,000RIs、イランもインフレである。現地ガイドはセフィーさん、40歳くらいのスリムな男性である。来日経験3度、日本語はぺらぺら、早稲田で製本業に従事していたらしい。1:35迎えのバスに乗り込み深夜のテヘラン市街を走る。1:55テヘラン・エンゲラーブホテル(ENGHELAB HOTEL)着、4ツ星の高級ホテルであるがいかにも旧式、440号室に入る。ガウン、スリッパなどさすがにアメニティーは何でも揃っている。とりあえず風呂に入りさっぱりすると3:10、明日のモーニングコール(MC)は8:00、もう5時間もない。(続く)

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カイロ市内観光 / 帰国

2007年2月4日(日) 6:15起床、いよいよ最終日。旅行期間中野菜もカットフルーツもバリバリ食べたがお腹は快調、ツアーメンバーも全員元気、やはり気候が良いことが大きい。結局半袖シャツの出番なし、Cimg5673 今の時期なら長袖シャツにチョッキ、場合により上着があると良い。SCをまとめてから朝食に降りる。アップルパイとヨーグルトと果物を食べコーヒーを飲む。エジプトの果物は日射量が多く雨が少ない気候のせいか、糖度が高く皆美味しい。イチゴ、オレンジ、ナシ、バナナ、ブドウ、メロン、リンゴと種類も豊富、今朝は珍しい食用ホオズキまである。実は黄色、かすかに苦味・渋味があるが観賞用の赤ホオズキに較べれば遥かに弱く、甘酸っぱくて美味しい。8:40ホテルをチェックアウトしバスに乗り込む。カイロ市内観光の手始めはムハンマド・アリ・モスク、クフ王のピラミッドの石切り場の側を通り、高台へと登って行く。Cimg5688イスタンブールにあるブルーモスクそっくりの巨大なモスクが丘上に現れる。それもその筈、聞けばブルーモスクを真似て1857年に完成したもの、納得である。 エジプトは国民の90%がイスラム教徒(スンニ派)である。教徒の義務は、毎日5回の礼拝(4:30、12:10、15:45、日没時、18:50)、年1回のラマダン月の断食(日中は飲食禁止)、一生に1回のメッカ巡礼である。又、日々の暮らしの中で聖なる言葉を数多く唱えること、そして貧しい人に喜捨すること(例えば給料の1.5%)も加わる。なかなか信徒も大変である。ムハンマド・アリ・モスクCimg5695のドーム天井の装飾は天目茶碗の紋様を思わせる。ブルーモスクより華やかで美しい。 中庭に回ると八角聖水堂の向うにフランス政府から贈られた時計台が建っている。ルクソール神殿の例のオベリスクのお返しという曰くつきのものであり、最早動かない。テラスからオールド・カイロの街並と、ギザの3大ピラミッドが見渡せる。もっとも大気汚染のせいかはたまた砂塵のせいか、くっきりすっきりとは見えず霞んでいる。次いでエジプト考古学博物館へ移動する。10:30着、ベンガラ色の建物が青い空に良く映える。Cimg5702 内部の写真撮影は当然のことながら禁止、館内は各国からの観光客が入り乱れて大混雑である。ロゼッタストーンのレプリカから見学開始、石棺、ミイラ作成台、アレキサンダー大王像などを観てから2階へ上る。2階にはハイライトとなるツタンカーメン王墓の厖大な副葬品や秘宝の数々が展示してある。黄金の棺、黄金のマスク、宝飾品(ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ベルト、etc.)、・・・。3500年前に造られた品とはとても思えない。どれもこれも芸術的なデザイン、精巧精緻玄妙な造り、見学者からは感嘆の溜め息が洩れる。01_268 2時間の持ち時間ではとても足りない。仕方がないので展示物のカタログを買おうとMuseum Shopへ行く。ところが日本語版は抜粋抄録の薄い冊子しかない。諦めて博物館を出て道路の向い側にある書店を覗くと、英語・仏語・独語の総合図譜が100LE(2,200円)の手頃な値段で売られている。1冊購入してやっと一安心。昼食はナイル川岸に固定してある船上レストランへ行く。名物のコフタ料理は日本で言えばツクネの如きもの、まずまず美味しい。エジプト観光の最後はハーン・ハリーリ市場の見物、観光客相手のお土産品市場らしく、生鮮食料品などの興味深い物産品は見られない。ラクダの形をした香水壜、ナツメヤシなどをお土産に買う。16:15カイロ国際空港着、旅行中お世話になった現地ガイドのマハムード氏ともお別れである。出国検査を受け出発ロビーに入る。免税店で機内で飲む缶ビール(STELLA)を買うと6LE(約130円)、序にナツメヤシを追加購入する。18:10搭乗、MS964便、41D・E席、機内はほぼ満席である。帰りの飛行時間は12時間と、来る時よりも2時間短い。18:45離陸、早速時計を7時間進ませる(→2月5日1:50)。機内はコンコン、ゴホンゴホンの大合唱、皆薄着でやって来て風邪を引いたらしい。マスク姿が随分多い。Cimg5720 エジプト航空の機内映画はつまらないし、音楽もぱっとしない。お酒も出ないし退屈極まる。柿の種を出してビールを飲みながら、「真田太平記(十一)大阪夏の陣」の続きを読む。産経新聞と日経を読み終えてもまだまだ。8:20タリム盆地の北辺を過ぎゴビ砂漠へ近づく。あと5時間余、フルーツケーキとジュースがサービスされる。少しうとうとし気がつくと10:40、北京上空を通過する。まもなく朝食が出るが食欲は全くない。ソウル上空を飛び越え、日本海から中国地方上空へ入る。もう少し、もう間も無く、やはり長い。13:30成田空港に無事着陸。外へ出ると日本はすっかり春、気温15℃は4月並み、これでは太陽の国エジプトより暖かい。異常気象である。(完)

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アレキサンドリア市内観光

2007年2月3日(土) 4:45ドアをノックし車掌が起こしにくる。ベッドを手早くたたんだかと思うと朝食を持って来る。Cimg5566 4種類のパンにチーズ、バター、ジャム、オリーブのピクルスそれにコーヒーが付く。朝からこんなにパンばかり食べる訳がない。トイレは一応洋式、軌道上に垂れ流す方式らしく駅で停車中は使えない。まずまず清潔であるが水の出がチョロチョロで流すのに一苦労する。5:50ギザ駅到着、次のカイロ駅で降りるものとばかり思っていた一同は大慌て。何とか無事全員下車、外は未だ薄暗く結構寒い。警察官が何人も駅構内を巡回警備しており、ものものしい雰囲気漂う。6:05迎えのバスに乗り込みアレキサンドリアへ向けて出発。警察官が一人護衛のために終日バスに同乗するとのこと、いかに観光産業がエジプトの命綱であるかが判る。街は目覚めたばかり、行き交う人もまばらである。ギザの3大ピラミッドの上に満月がかかる。4,000年前から変わらないであろう幻想的光景である。6:35THE OASIS HOTELに寄りお手洗いを借りる。ギザICから高速道路に入り、砂漠の真っ只中を走る。セピア色の乾いた大地がどこまでも拡がる。バスは思い切り飛ばして行く。時々現れる樹木が立ち並ぶ区画は大金持ちの別荘とのこと、砂漠の中に農場まである。沢山穴が開いたタワーはハト小屋らしい。途中から黒雲が空を覆い土砂降りになる。Cimg5606雷鳴轟き稲妻が奔る。エジプトにも雨は降る。道路は水捌けが悪くたちまち川となり、車があちこちで立ち往生する。通勤者と思われるヒッチハイカーがやたらに多い。 アレキサンドリアは人口700万人、カイロ(人口1,300万人)に次いでエジプト第2の都会である。紀元前4世紀、アレキサンダー大王によって建設された街は、典型的な地中海性気候で雨が多い。そのため遺跡は傷みやすく、又、海中に沈んでいるものも多いらしい。9:00アレキサンドリア博物館に着く。三階建ての博物館は、エジプト革命後に外国人所有の別荘を没収して改装したもの、一階は王朝時代、二階はグレコローマン時代、三階はコプトとイスラム時代の遺物を展示している。今日はイタリア人観光客の予約が5,000人も入っているとかで、早朝から館内は大混雑、1時間の持ちタイムでは満足な見学は望むべくも無い。幸い写真撮影はOKなので、展示物を次々にデジカメに収める。午前中にもう2箇所、“ポンペイの柱”と“カタコンベ”を見学する。 前者は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝Cimg5616(在位AC284-305年)が建てた図書館の柱の1本らしく、高さ28mの巨大なものである。材質は赤色花崗岩で、昨日見学した切りかけのオベリスクがあるアスワンの石切り場から切り出されたもの、命名の由来については聞き漏らす。後者はローマ帝国支配時代の3世紀頃に造営された貴族階級の地下墓である。井戸のような円筒状の穴を螺旋階段を伝って降りて行く。地下には3階に亘って石棺様の窪みが沢山壁に穿たれている。後世拡張されて一般市民の墓にも使われたらしい。陰気臭くてあまり気持の良い所ではない。昼食に地中海の見えるレストランへ移動する頃雨も上る。排水溝が不備なのか街中が水浸し、洗濯物は雨に濡れるのも厭わず外干しである。Cimg5627 随分オンボロの市電が走っている。エジプト人は顔の造作が大きく、眼はグリグリ、はっとする美人は見当たらない。11:40~12:30の間昼食、窓から眺める地中海は強風に白波が立つ。今日は荒れ模様の天気である。シーフード料理が出たがボラとイカ、エジプトへ来てまで何も鯔を食べなくても・・・案の定小骨が多くて不味。マイスタービールを飲むと麦芽100%であるのにすっきりして非常に美味い。エジプトのベストビールである。午後は総床面積が東京ドームの1.8個分というアレキサンドリア図書館を外から眺める。そして同じ道を再び2時間半かけてカイロへ戻る。同乗の警察官は手持ち無沙汰で寝てばかりいる。15:00カイロ市内ギザ地区に戻る。カイロも車の渋滞は半端でない。日本車の中では三菱のLANCERが目立つ。15:30今度は金製品の店(AQUA MARINE BAZAAR)へ案内される。自分の名前を彫り込んでもらうカルトーシュ型ペンダントやネフェルトアリ王妃を模ったペンダントが人気の的、女性の購買意欲は幾つになっても凄まじい。材質は18金というが?、持った感じはいやに軽い。添乗員氏と現地ガイド氏は早速カウンターの中に入り込み営業員に変身する。売れると何か余禄があるものと見える。16:50ナイル川畔に建つ正真正銘の5つ星ホテル、セミラミス(SEMIRAMIS INTERCONTINENTAL)にチェックイン、1139号室に入る。今回の旅行中最高のホテル、 部屋もベッドもゆったりしており、調度類の品も良い。Cimg5653 しかもベランダからナイル川とエジプト考古博物館が見える。NHKも入る。 久し振りに日本のニュースを視聴する。 ディナークルーズまで時間があるので、2日ぶりに風呂に入りさっぱりする。ベランダから見えるカイロの夜景は1万ドルクラス(?)、電力事情がよろしくないのか意外に暗い。19:10ロビー集合、ホテルから歩いて直ぐの乗船場へ行く。19:40出船、クルーズ船はナイル川をゆっくり流していく。バイキング式 の料理は代わり映えしないが、生バンドの演奏と歌姫がつき、ベリーダンスショーもある。踊り子はやや年増、お腹に肉がつき過ぎている。後から出てきた男性ダンサーの回転踊りの方は見ごたえ充分、三段スカートを翻し、ひたすら時計周りにくるくる回る。良く目が回らないもの、素晴らしい。ハイネケンビールを飲むと、AL AHRAM BEVERAGES CO.という地元の会社のライセンス生産品、良く出来ている。歌と踊りでエジプト最後の夜が更ける。21:30下船、風はやはり冷たく東京の冬と変らない。もう明日は帰国、早いものである。(続く)

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食用ホオズキ

Cimg56742007年2月4日、エジプト国カイロ市セミラミス・インターコンチネンタルホテルの朝食に供されたもの。実は黄色、甘酸っぱく美味しい。ミニトマトのような食感で、ホオズキらしい苦味と渋味も微かにある。珍果、生まれてはじめて食べる。

ネットで調べてみると食用ホオズキはヨーロッパ原産でフランスやイタリアでは盛んに栽培されているとのこと。日本でも新潟県巻町等で栽培され、楽天市場で果実、苗とも販売されている。興味と関心のある方はお試しあれ。

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ヌビアの遺跡群(アブ・シンベル神殿)

2007年2月2日(金) 5:00起床、モスクの尖塔からコーランの祈りの声が響く。6:00朝食、ゆで卵、野菜サラダにオレンジジュースと軽めにする。SCはホテルに預け必要最小限の手荷物だけ持ってアスワン空港へ向う。エジプトの道路はインドに比べれば快適、両側のグリーンベルトには夾竹桃、鳳凰木、ブーゲンビリアなどの花木が植えられている。8:00空港着、安全検査は非常に厳しく出発ロビーに入るまで2回もある。ベルト、時計、メガネ、小銭など金属は何でも引っかかる。9:00搭乗、MS247便はほぼ満席、アブ・シンベルまで280㎞、僅か30分のフライトである。9:30離陸、直ぐに眼下にヌビア砂漠が広がる。Cimg5519 どこまでも淡褐色一色の単調で荒涼たる景色、その中に道路が一本真っ直ぐに走っている。9:56アブ・シンベル空港に着陸、10:20発のシャトルバス(乗り合いバス)に乗る。15分ほどで神殿近くのバスターミナルに到着、ナセル湖畔に建つ神殿に向って道は下って行く。日差しは強烈、サングラス無しでは眼が痛くなる。それでもさほど暑くないのが助かる。約3300年前にラムセス2世によって建立されたアブ・シンベル大神殿・小神殿はアスワンハイダムの建設による水没の運命にさらされたが、1964~68年ユネスコの協力によりナセル湖の水位が届かない60m上の台地に移転されたもの、Cimg5524 両神殿は今は少し離れているが、元来はもっと寄り添って建てられていたらしい。先ず大神殿の方から見物する。移築の際神殿をブロックに切り分けたため、組立の際後背部をコンクリートドームで補強してあるというが外から見る限り全く判らない。正面4体のラムセス2世坐像は像高20m、日本ならさしずめ相馬の百尺観音である。正面左から2体目が崩れているのはBC27年の大地震の為らしく、移転の際に修復することなく、元のままに頭部や胴体を転がしている。内部は当然ながら撮影禁止、奥行き60mの神殿内部Cimg5526 は大列柱室、前室、至聖所から成る。大列柱室の見所は、オシリス神の姿をした8体のラムセス2世像の柱、ヒッタイトとの壮大な戦闘場面を描いた浮彫(左右全く同じ図案、左の方が保存状態は良い)などである。前室は王妃ネフェルトアリのレリーフが美しい。至聖所には右からラー・ホルアクティ神(太陽神)、神格化したラムセス2世、アムン・ラー神(王の守護神)、プタハ神(万物の創造神)の4体の坐像が並んでいる。春分の日と秋分の日(ラムセス2世の誕生日と即位の日と説明するガイドもいる)である2月21日と10月21日に、太陽の光が至聖所の内部まで射し込み、ラムセス2世と神々Cimg5539 の像が光り輝くように設計されていたものらしい。移築に際し充分に配慮はなされたものの、今では1日後にずれてしまっているとのこと(→22日)、本当かどうかは自分の目で確かめていないので判らない。正妃ネフェルトアリのために造られた小神殿(ハトホル神殿)は、大神殿に比べれば一回り小さいというだけで、これまた堂々たる規模である。正面にはラムセス2世立像4体とネフェルトアリ立像2体が並ぶ。アフリカの澄み切った青い空にセピア色の神殿が良く映える。中に入ると列柱室の壁に彫られた図案は左右微妙に異なる。至聖所の天井や壁は例の如くコプト人の焚き火の煤で真っ黒である。それにしても機械も動力も無い古代によくも手彫りでこれだけの建造物を完成させたもの、ファラオの絶大な権力と技術集団の汗と涙に脱帽する。12:15シャトルバスに戻る。空港に着くと又も厳しい検査、ベルトを外したり靴を脱いだりの大騒ぎになる。13:05MS250便に搭乗し13:52アスワン空港に着陸する。バスでアスワン市内に戻り、エンジンボートでナイル川に浮かぶ島のレストラン(Aswan-Egypt)へ行く。Cimg5556 昼食はヌビア料理の羊肉シチュー(カバブ・ルーラ)、なかなかいける。宗教上の理由で酒類は出さないとのこと、ビールを飲み損なう。午後は古代の石切り場へ“切りかけのオベリスク”を見物に行く。赤花崗岩の石切り場に切り出し途中で放置されたオベリスクが横たわる。BC1500年頃のもので完成していればエジプト最大とされる大きさである。最後は香水(壜)屋に案内される。ガラス細工師がガラス管をバーナーで炙り、ラクダ形やランプ形の香水壜を作ってみせる。中に入れる香水は、クレオパトラやエジプトの女王、蓮の花などと名付けられ、どれでも35gが25ドル、植物から抽出した100%精油なので驚くほど安い。けれども最近の日本人は余り香水をつけないし、それにツアー女性の年齢が年齢、Cimg5560 あの齢で濃厚な香りをぷんぷん撒き散らされても困惑するばかり、迷惑だし、気の弱い男性なら卒倒しかねない。もっとメンバーを良く観て連れて来なくては、、、結局誰も買わない。17:00アスワン駅着、列車の発車まで時間があるので駅前のスーク(市場)を見学する。各種香辛料が山のように積まれている。中でもハイビスカスの花の乾燥品が目立つ。 よくホテルのWelcome drinkに出てくるが、色はともかく埃っぽくて美味しいものではない。ナイルエクスプレスに乗る外国人観光客が大型バスで続々集まってくる。17:50ナイルCimg5563エクスプレスに乗り込む。緑と淡いベージュの2色に塗り分けられた車体は、埃まみれで余り綺麗とはいえない。一等寝台車は2人一室のコンパートメント、広さは一畳半といったところ、SC2個を入れると一杯になる。それでも背もたれクッション付きの3人掛け椅子、洋服掛け、水道付き洗面台、食事テーブル、ダストボックス、大鏡、それに石鹸とタオルまで揃っている。コンパクトながら良く出来ている。トルコ、インド、ベトナムなどの寝台列車に較べれば最上等の天国、内鍵も掛けられる。18:17発車、カイロまで12時間の長旅が始まる。30分ほど経つと担当車掌が飲み物販売に来る。缶ビール1本(LUXOR CLASSIC)とマンゴージュース2本を買う。19:00夕食も運んでくる。肉の煮込み料理とパンのセット、筋肉で歯ごたえがあり過ぎる。噛み切れず飲み込むのに骨が折れる。何の肉なのか、ラクダ?まさか。20:00夕食の膳を片付けた車掌が今度はベッドを作りにくる。もっとも椅子を倒すだけで、毛布やシーツは既に敷いてある。枕を置いて出来上がり、チップに一人1ドル計2ドルを渡す。2段ベッドは幅がありフカフカ、歯磨きしてもぐりこむと適度な揺れも手伝い直ぐに眠くなる。(続く)

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ホルス神殿とコム・オンボ神殿

2007年2月1日(木) 4:30起床、髭を剃り日焼け止めクリームを塗る。 5:30朝食、生のナツメヤシを初めて食べる。Cimg5409_1 褐色で小さなプルーンほどの大きさ、見た目は冴えないが干し柿のような味で美味しい。6:30バスに乗り出発、ターミナルに一旦観光バスが集合し、コンボイ形式でアスワンまで南下するとのこと、前後に警察車両の護衛がつく。治安の悪い地域なのであろうが、エジプト政府が観光産業をいかに大事にしているかが分る。それというのもGDPに占める観光産業の比率は最大で、石油産業や農業より重きを成しているとのこと、特殊言語(日本語、中国語、韓国語、・・・)を話せるガイドのステータス(収入)は医者や弁護士、 教師などより高いらしい。Cimg5415それにしてはマハムード氏が36歳にもなって独身であることがどうにも解せないが・・・。7:00ターミナルに大型バスやマイクロバスが10台ほど勢揃いし出発する。軍団はナイル川沿いの道路を南下し110㎞先のエドフを目指す。緑地帯はナイル河岸から僅かに数百メートル幅しかない。樹木は殆どがナツメヤシで単調、それも埃を被って瑞々しさがない。エドフの町が近づくとバナナ畑が広がるようになり、道沿いにバナナを売る露店が建ち並ぶ。その辺りまで来ると運河にゴミが少なくなり水色も良くなる。Cimg5418 8:00路肩にずらりとバスを停めてトイレ休憩、チップは1LE要る。エジプトは何でもお金であるが、トイレチップは特に煩わしい。レストランでも博物館でも空港でもトイレには必ず番人がいる。お手拭用の紙をちぎってくれるのはよいが、二言目には“バクシーシ”と言って手を伸ばしてくる。常に小銭を準備しておかねばならず、これでは出るものも出なくなる。安心してできるのはホテルの部屋と飛行機の中だけ、これでは膀胱炎や便秘になりかねない。再び出発、バスの中ではマハムード氏がTシャツとポロシャツの注文を取るのに忙しい。カルトーシュ(遺跡等に残る王名を記した楕円形)に注文者の名前を入れて刺繍したTシャツが15ドルでポロシャツなら20ドルとのこと、何でも日本人経営の縫製工場で加工するらしい。現地旅行会社もあれやこれやと抜け目がない。マハムード氏の語るところではエジプトの物価は安く、鶏1羽10LE(220円)、牛肉1㎏20LE(440円)、ガソリン1ℓ18円、アパートの家賃3,000円、Cimg5448 平均的給料が3万円とのこと、ざっと日本の10分の1から20分の1位である。とすると売らんとするTシャツ1枚が2万円にも3万円にも相当することになり、どうりで力が入る訳である。8:50エドフにあるホルス神殿に到着する。ホルス神殿はプトレマイオス朝時代(BC305~30年)に136年かけて建造されたもので未だ世界遺産に登録されてはいない。これは屋久島で樹齢1000年以下のスギを小杉と呼ぶのと同じようなもので、他の国にあれば真っ先に世界遺産に登録されてもおかしくない。エドフの町の守護神ハヤブサの神(ホルス神)に捧げられた神殿で、Cimg5437 保存状態も非常に良い。見所は高さ36mの巨大な塔門、入口上部には太陽神・蛇神・ホルス神の3神を表すレリーフが飾られている。列柱室の柱頭の装飾はヤシやパピルスをモチーフにし、エジプト様式とヘレニズム様式とが混在する。柱のカルトーシュの中に王名が記載されていないのは、プトレマイオス朝の諸王政権が短命であったことを示唆するらしい。後世コプト教徒(原始キリスト教信者)が神殿内に棲みつき、暖をとったり食事を作ったりしたために、柱上部や天井には真っ黒な煤が認められる。神殿内部は各国の観光客で大混雑、 ホルス神像と至聖所の前は写真を撮ることもままならない。10:10コム・オンボの町へ向け出発、エドフから更に60㎞南である。今度は一面にサトウキビ畑広がる。Cimg5457 ちょうど収穫時期で、馬車やトラックや貨車に刈り取ったサトウキビを満載し精糖工場へ運搬する姿を見ることができる。 サトウキビには夏キビ(紫色、糖度は並)と冬キビ(黄色、糖度が高い)があり、今の時期は後者である。11:20コム・オンボ神殿到着。コムとは小さな山、オンボは黄金を意味し、昔は金を産出した土地とのこと。コム・オンボ神殿は土地の守護神ホルス神(ハヤブサの神)とナイル河の神ソベク神(ワニの神)に捧げられたもので、BC93年頃のプトレマイオス7~10世の時代の建立である。2つの神に捧げられたために塔門の入口、通路、至聖所の全てが2組存在し、特異な二重神殿構造を持つ。列柱の浮き彫り には2,000年前の彩色が鮮やかに残っており感激する。湿潤な東南アジアや日本と違い、極度に乾燥した気候が遺跡の保存に一役買っているのであろう。植物の侵入がないだけでも随分違う。通路の壁画、至聖所の黒花崗岩製供物台、 ナイル川の水位を測る井戸、鰐のミイラなどを見学する。Cimg5481 13:15アスワン市内に入り、今宵の宿バスマホテル(BASMA HOTEL)のレストランで昼食を摂る。又もケバブが出る。ステラビールを飲むとDA臭があり不味、デザートの生ナツメヤシのみ美味しい。14:10一旦割り当ての部屋(546号室)に入り一休み、最高級の5つ星ホテルというが絨毯はじめ設備が旧い。勿論スリッパ、歯ブラシなどのアメニティーは一切無し、それでもMW1本がサービスされる。14:30再びロビーに集まり午後の観光へ出発。アスワンとは市場という意味で、昔から隊商の交易都市として栄えた所、今はCimg5484アスワン州の州都で近代的ビルが建ち並ぶ。 イギリス支配時代の1902年に完成したアスワンダムの堰堤上を通り、アギルキア島に建つ世界遺産のイシス神殿を遠望する。15:00アスワンハイダム着、1970年ドイツとソ連の協力により完成した巨大なダムは琵琶湖の面積の7.5倍という広大なナセル湖を出現させている。ナセル湖は全長500㎞に及ぶ途方もないスケールの人造湖であるが、堰堤は意外に低く、こんな落差で十分発電できるのか疑問になる。上流も下流も荒涼とした岩山と砂漠、Cimg5499_1 全く緑が見当たらない。日本のダム湖のイメージとは180度異なる。帰りにヌビア砂漠の赤い砂を少しサンプリングする。 アスワン市内に戻りナイル河畔からファルーカ(帆掛け舟)に乗る。風任せの舟遊び、アガサ・クリスティーが滞在し「ナイルに死す」(映画のタイトルは「ナイル川殺人事件」)を執筆したという最高級ホテル“OLD CATARACT”も見える。ナイル川もこの辺りでは清澄そのもの、川面を渡る風が涼しい。ヌビア人船頭の舟歌まで飛び出しゆったりと長閑な気分になる。いやにサービスが良Cimg5506いと思っていたら案の定、川の中ほどで船を停めるや石やラクダ骨や貝製のネックレス、腕輪などを並べ始める。買わないうちは船をぐるぐる廻して岸に着けてくれない。やれやれ、 とうとう皆何かは買わされる。17:00ホテルに戻る。日本人観光客は多い筈なのにどこのホテルでもNHKが入らない。電気ポットで湯を沸かし日本茶を淹れる。序にデジカメの充電も行う。19:00夕食、名物のターメイヤ(ソラマメのコロッケ)もいまいち、部屋に戻って又もカップ麺(マルちゃんの坦坦麺)を食べる。(続く)

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エジプトのビール

Sakara_1 今回のエジプト旅行で飲んだビールは、AL AHRAM BEVERAGES CO.製のステラ(ALC.4.5%、個人的嗜好評価:☆☆)、サッカーラ(ALC.4.0%、☆☆)、マイスター(ALC.5.2%、☆☆☆)、ハイネケン(ライセンス生産品、ALC.5.0%、☆☆☆)と、EGYPTIAN INTERNATIONAL BEVERAGE CO.製のルクソール(ALC.4.5%、☆★)、ルクソール・クラシック(ALC.5.0%、☆☆★)の6種類、エジプトはさすがにメソポタミアと並ぶビール発祥の地だけあって現在のビールも王道を行くものが多い。01_263 ステラとサッカーラは若干ジアセチル臭があり、ルクソールは苦味が粗い。最も50℃を超える真夏のエジプトで飲めば評価は全部☆☆☆☆☆になったかも。レストランで飲むと500ミリリットル壜が25~30L.E.(550~660円)、日本で飲むのと変わらない。禁酒国なので値段を高く設定していることもあろうが、ツーリスト料金によるところが大きい。とにかく飲み物がやたらに高い。50ドルくらいは酒代で直ぐ飛んで行く。

下の写真はカイロのエジプト考古学博物館にある“Woman brewing beer”像、石灰石・彩色、BC2563-2423頃。

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古代都市テーベと墓地遺跡

2007年1月31日(水) 6:00起床、快便、お腹の調子は悪くない。生野菜やカットフルーツを食べてもどうやら大丈夫な様である。7:00バイキング方式の朝食、さすがはシェラトン、パン、果物、野菜サラダ、ジャム、ドライフルーツ、コーヒーなど皆美味しい。レストランはナイル川に面し眺めも良い。8:00ロビーに集合して出発、今日も長袖にチョッキ姿、空気はひんやりしているが陽光は早くも強烈である。今日はルクソール市のナイル川東岸・西岸に分布する世界遺産を終日観光する。Cimg5283_2 太陽が昇る東岸には生者の世界としての神殿群が、そして太陽が沈む西岸には死者の世界としての墓地遺跡群がある。先ずは西岸観光へ向う。バスの車窓から眺める西岸上空には観光用気球が何個も浮かんでいる。何でも上空から王家の谷を眺める趣向らしい。最初はメムノンの巨像、新王国絶頂期の王アメンホテプ3世(在位BC1402~1364年)の坐像であるが、一枚岩から削りだしたものではなく組み石方式で造られている。そのためローマ支配時代に起きた地震で崩れたらしく顔面など欠落部分が多く傷み激しい。Cimg5308 坐像の後にあったという葬祭殿は今は跡形もない。続いて王家の谷へ移動する。新王国時代(BC1565~1070年)の王墓62基が発見されている王家の谷は、リビア砂漠の外れ、一木一草もない荒涼とした岩山の奥深く、まさに隠れるように存在する。谷奥にはピラミッド型のテーベの峰が聳え、確かに死者の世界を思わせる。70LEの入場券で見学できるのは公開されている王墓のうちの3箇所まで、今回はマハムード氏の引率でラムセス4世、7世、9世の王墓を見学する。中ではラムセス4世の墓室が見事で、Cimg5303 壁面を埋めるヒエログリフ(神聖文字)テキスト、ホルス神に供物を捧げる王の浮彫、太陽の船のレリーフ、石棺の装飾などが美しい。墓室内の写真撮影は禁止、監視人が厳重に見張っている。NO.62のツタンカーメンの墓は別料金(80LE)、副葬品は最終日のエジプト考古学博物館で見学できるので入場を見送る。陽光が眩しくサングラス無しでは眼が痛くなる。それでも爽やかな気候で観光には今がベストシーズンであろう。10:45王家の谷近くに建ち並ぶ大理石店のひとつ(PIRAMIDS FACTORY FOR ALABASTER)に行きトイレ休憩。Cimg5328今でこそ大理石を加工販売して地道に暮らしているが、 昔は王墓の盗掘を生業(?)にしていた集落とのこと、とんでもない大金持ち揃いらしい。昨日のピラミッド内の登り降りのせいで腿の筋肉が痛む。西岸観光の最後はハトシェプスト女王葬祭殿、1997年11月11日のテロ事件で観光客60人が犠牲になった所である。葬祭殿はテーベ山の切り立った断崖を背にして建つ壮大な建造物で、ハトシェプスト女王(在位BC1490~1468年頃)の威勢を今に伝えているが、女王像や壁画などは次王トトメス3世によって破壊されたり削り取られたりしており見所は少ない。日差しが強烈になり大分気温が上がってくる。Cimg5357 これでは盛夏の観光はたまらない。昼食に東岸へ戻る。ルクソール市内のレストラン(GREEN LACE RESTAURANT)にて昼食。前菜にゴマペースト、サワークリーム、キャベツのマヨネーズ和え、茄子ペーストの皿が出て、それにアエーシ(円盤型のふにゃふにゃしたパン)を浸けて食べるのがエジプト流であるが、どれも味がぼけていて美味しくない。メインディッシュはケバブで、角切り肉(牛か羊?)とピーマン、タマネギ、トマトの煮込み料理、それに例の如く炒飯が付く。“食べられる”という程度の代物、ビールはサッカーラ(SAKARA)を飲むが味わいが薄く、DA臭と酸味があっていただけない。Cimg5373 午後の東岸観光の手始めはカルナック神殿、新王国の歴代諸王(トトメス1世、ハトシェプスト女王、トトメス3世、セティ1世、ラムセス2世、・・・)により新たな建造物が次々に寄進されたという巨大な複合神殿である。その中核をなすのはアメン大神殿、古代都市テーベの守護神アメンに捧げられたものである。羊頭のスフィンクス参道、ラムセス2世像、ラムセス2世が建てた大列柱室、トトメス1世が寄進したオベリスク(柱塔:22m)、ハトシェプスト女王が寄進したオベリスク(30m)などが見所、とにかく大きい。Cimg5375 オベリスクの先端から上部にかけて黄色っぽいのは黄金箔のキャップの名残とか、今から3000年以上も前に造られたことを思うと、全てが途方もないスケールと精緻極まる芸術性を備えている。設計者、施工者、監督者、職人などの優れた技術者・技能者の集団が存在したのである。聖なる池の傍らにあるスカラベの像を反時計周りに5回廻る。願い事が叶うらしい。その後ナイル川畔に建つルクソール神殿に移動する。ルクソール神殿はアメン大神殿の副神殿として、アメンヘテプ3世とラムセス2世により建立さCimg5387れたものであるが、規模は本神殿に勝るとも劣らない。 第一塔門前に建つオベリスクの1本は、19世紀中頃にフランスに寄贈されて今はコンコルド広場前に立っているとのこと、歴史の偶然がなせる業である。神殿は、塔門、中庭、列柱廊、至聖所から構成されており、至聖所の壁には後世のコプト教徒(原始キリスト教)が礼拝堂として利用した名残のフレスコ画が見られる。また、第一塔門に続く左側建物はイスラム時代にモスク(ガーマ・アブー・イルハッガーグ)として利用され、それが現在も活きている。巨大神殿のCimg5401 見物の梯子は流石にくたびれる。16:30ホテルに戻り一服。18:25再びロビーに集合し、少し離れたホテルのレストランへ中華料理の夕食に行く。スープは美味であったが、エジプト風中華料理はいまいち、野菜ばかりで肉や魚が殆ど出ない。ホテルに戻って風呂に入る。風呂上りに両膝の上にサロンパスを貼る。昨日のピラミッド内昇降が予想外に応える。山登りで鍛えている積りであったが・・・使う筋肉が別とみえる。21:00頃ダウン。(続く)

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メンフィスのピラミッド地帯

2007年1月30日(火) 6:00起床、眠い。髭を剃り洗顔、ラノリンクリームとUVカットを塗る。6:45朝食、バイキング方式の洋食でとりたてて珍しいものはない。生野菜やカットフルーツも試しに食べてみる。Cimg5197 ホテルの両替所で50$をエジプトポンド(LE)に替える。レートは1$=5.7LEなので1LEが22円である。7:45昨日と同じバスに乗ってギザの3大ピラミッドへ向う。街中も川の中もゴミだらけ、これでは世界遺産も台無しである。8:10クフ王のピラミッドから見学開始、外へ出ると結構寒い。長袖シャツにヤッケを着てきたがちょうど良い。盗掘者が開けたという入口から玄室まで入る。狭く急勾配の木製階段通路であるが、前半部分は天井高が90㎝と低く屈んで歩かねばならない。その後は4500年前の建造当時の高天井の回廊が玄室まで続く。特に壁画がある訳でもなく、玄室にも空の石棺がポツンと置かれてあるだけ、壮大な外観に比べ内部は拍子抜けするほどつまらない。Cimg5199 これで入場料が100LE(2,200円)は高い。9:05展望所という高処へ移動する。砂漠の中に並び立つ3大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)が遠望できる場所であるが誠に埃っぽい。直ぐにラクダ引きが寄ってくる。乗るのは1ドルだが降りるには10ドルかかるとか、全く油断も隙もない。写真を撮るだけでもバクシーシ(チップ)を1ドル請求される。エジプトは何でもお金である。次いでカフラー王のピラミッドの参道脇に鎮座するスフィンクスを見物に行く。髭がないのでやや威厳に欠けるが、一枚岩を削りだして造られた巨像である。 髭は大英博物館Cimg5207にあるとのこと、返してもらう訳にはいかないのであろうか。ピラミッドはもともとピラミッドコンプレックスとして、河岸神殿・(参道)・葬祭殿・ピラミッドの3点(4点)セットで構成されていたが、現在では神殿や葬祭殿が失われてしまったものが多い。中ではカフラー王のピラミッドが往時の姿を最もよく留めているとのこと。10:30パピルス屋(PHARAOHS LAND PAPYRUS INSTITUTE)へ連れこまれる。そこでパピルスの茎の断面が三角形であることを知る。ツタンカーメンの玉座に描かれた「ひとつのサンダル」図案のパピルス1枚を土産に買うと140LE(3,080円)、幾らなんでも高すぎる。ピラミッド周辺で売られているものの中には50枚1,000円の物もある。安物はパピルスではなく木を薄く削って張り合わせた物らしいが、コストはさして変わらないのでは?。とにかく日本人観光客専門の店はべらぼうに高い。昼食は魚料理レストラン(PEACE ABOUZED)、養殖魚なのかカビ臭く、前菜を挟んで食べるアエーシ(エジプトパン)の味もいまいち、先が思いやられる。ステラビールを飲むとDA臭があり感心しない。Cimg5236 食後ダハシュールへ向う。農業用水用の運河はまるでゴミ捨て場、あらゆる生活ゴミが捨ててある。水はココア色、大型動物の死体も所々に浮いており凄まじい光景である。13:00ダハシュールの赤いピラミッドに到着、そこも内部に入場する。入口から急傾斜の板敷きスロープを一直線に玄室まで下って行く。玄室に着き階段を登ると再び部屋(こちらが本当の玄室?)があり、そこで行き止まる。内部は饐えたアンモニアのような刺激臭が充満しており、呼吸をするのも憚られる。早々に退散するも帰りのスロープ登りは山よりきつい。屈折ピラミッドは赤いピラミッドの横から遠くに眺めただけで直ぐにメンフィスへ向う。道の両側にはナツメヤシの樹林が続く。実は食用、葉の繊維は縄、葉芯はベッド、幹は建材に使うとのこと、捨てるところがない有用植物である。Cimg5262 13:50メンフィス到着、アラバスター(雪花石膏)製のスフィンクスとラムセス2世の巨像(15m)を見物する。こちらのスフィンクスは端正な顔立ちをしている。更にサッカラへ移動し14:35ジョセル王の階段ピラミッドに到着。エジプトピラミッド建設の先駆けとなった6層からなる階段状ピラミッドは、BC2700年頃に第3王朝のジョセル王によって築かれたものである。形も大きさもメキシコのテオティワカンの太陽のピラミッドに良く似ている。高処にある展望台に登ると17のピラミッドを眺めることができる。Cimg5264 ギザの3大ピラミッドはもとより、赤いピラミッド、屈折ピラミッド、・・・、既に崩れているものも多い。今回のツアーはイヤホンガイド付き、ガイドと離れていても良く聴き取れ、メモを取るのも写真を撮るのも自由自在、実に便利である。砂埃のせいかデジカメ(CASIO EXILIM EX-Z50)の調子が良くない。レンズカバーの開閉が思うに任せず、果たしてこれから先どうなることやら。今日の観光予定はこれで終り、15:15ルクソールへ飛ぶためカイロ空港へ向う。16:35国内線空港ビル着、厳しい安全検査を2回くぐり抜けて出発ロビーに入る。16:48搭乗、MS235便はがらがら、半分位しか席が埋まっていない。ルクソールまで1時間のフライトであるが、飛び上がると直ぐにフルーツケーキとパックジュースが出る。JALやANAにも是非見習って欲しいもの。18:10ルクソール空港着陸、迎えのバスに乗り込み夕食会場へ向う。砂漠地帯の夜は冷える。登山用ヤッケが大活躍、扇子や虫除けスプレーの出番はなさそうである。18:55 FIRSTなるレストランに着き夕食、ステーキ、ピーマンとトマトの煮物、炒飯が大皿に盛られて出て来る。どうも食欲が湧かない。ルクソールビール(壜)も美味しくない。20:05シェラトン・ルクソール(SHERATON LUXOR)の321号室に入る。最高級ランクのホテルだが昨夜よりましという程度、部屋が少し広い。早速風呂に入ってさっぱりする。持参の電気ポットでミネラルウォーターを沸し、カップラーメン(エースコックのワカメ)を食べる。これが一番美味い。序に緑茶を500㏄作りペットボトルに詰める。(続く)

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謎と神秘のピラミッド エジプト周遊8日間

2007年1月29日(月) 6:00起床、曇天。朝のお勤め、摩訶般若波羅蜜多心経を読経して10:00出発、いつものようにRVRにスーツケース(SC)を2個積んで成田空港へ向う。今日から8日間、J社のツアーに参加しエジプト旅行である。11:30 PARK500着、今回は6回目なので料金はかからないとのこと(スタンプを5個集めると1回無料)、マイクロバスで第2ターミナルビルへ送ってもらう。11:40成田空港第2ターミナルビル着、先ず3万円を米ドルに両替する。12:40エジプト航空のカウンターでチェックイン、SCを預け搭乗券を受け取る。添乗員はI.S.さん(女性)、ツアーメンバーは15名(夫婦7組に一人参加の男性1名)とこじんまりしている。安全検査、出国検査を済ませ88番ゲート前ロビーに入る。時間がたっぷりあるので干し芋を食べながら「真田太平記(10)大阪入城」を読む。延着のため予定より1時間遅れて15:15やっと搭乗、MS965便はほぼ満席である。15:55離陸、カイロまで9,600㎞、13時間40分の空の旅が始まる。機は八ヶ岳を右に見て南アルプス、中央アルプスを越えて行く。17:10最初の食事、魚料理を選ぶ。韓国上空を横断し黄海を西進、北京上空にさしかかる。それにしてもよく揺れる。しかも時速700㎞と遅い。「真田太平記(10)」を読み終え、産経新聞とサンスポを読み終えても21:05、まだまだ遠い。ゴビ砂漠とチベット高原の境を飛ぶ。22:10夜食にお握りと大福餅が出る。エジプト航空の機内映画と音楽はつまらない。仕方がないので「真田太平記(11)大阪夏の陣」を読み始める。雪原なのか白い大地の所々に街の灯りが見える。25:25アラル海上空にさしかかる。27:30カスピ海を過ぎアルメニアの首都エレバン上空にさしかかる。あと1,720㎞、27:45再び食事が出る。目的地の現地時間は20:45、どうやら夕食の積りらしい。食欲はなく少しうとうとする。29:00ベイルート上空、あと700㎞・1時間、時計を7時間遅らせ時差を調整する。23:06(日本時間1月30日6:06)漸くカイロ国際空港に着陸、正味飛行時間14時間10分、1回のフライトとしてはこれまでの最長記録である。自宅を出てから既に20時間経過している。直行便といえども決して楽ではない。外気温は13℃と意外に低い。入国審査の前に25$支払い、収入印紙のようなVISAを2枚パスポートに貼ってもらう。0:00迎えのバスに乗る。現地ガイドはマハムード氏、カイロ大学文学部日本語学科卒の36歳、この道10数年のベテラン男性で日本語ペラペラ。時間が遅いのに街には車も人も沢山出ている。0:45カイロ市内ギザ地区にあるジョセル・パートナーホテル(ZOSER PARTNER HOTEL)に到着、最上階の7011号室に入る。コンパクトなツインルームで簡素、灯りが暗い。早速バスタブにお湯を張ると赤茶けた色で、錆のようなモロモロが沈む。体や髪を洗うとかえって汚れそうで、歯磨きには用心してミネラルウォーター(MW)を使う。風呂から上がると2:00、明日のモーニングコールは6:15、やれやれ初日からハードである。(続く)

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トロイ遺跡/帰国

2005年3月1日(火)  トルコ周遊の旅も今日が最終日、4:40起床、5:30朝食。コーヒーとチャイを飲んでから付近を散策。ホテルの後ろにビーチがある。01遠浅の藻場で水は澄んでいる。一帯は高級別荘地、今は閑散としているが、灯りの点いている家もある。外は寒い、5℃くらいか。路傍には紙くずやビニールゴミが散乱していて実に汚い。見ているとトルコ人は平気で路上にゴミを捨てる。この国の公衆道徳はどうなっているのか。 8:00出発、トロイ遺跡の見学に行く。遺跡発掘をしたドイツ人シュリーマンはトルコでは泥棒扱いで評判が悪い。遺跡は9層の都市(第1市:紀元前3000~2600、・・・、第9市:紀元前350~紀元後400)から成るが、シュリーマンの発掘で破壊されたためか、保存修復状態はあまりよくない。見事に枝を広げたイチジクの巨木がある。石垣のみ残る遺跡内を駆け足で周り、最後に“トロイの木馬”に登る。目玉がないので復元したのかもしれないが、遊園地のような代物で世界遺産に似合わない。チャナッカレから出る予定のフェリーが強風のため欠航になったので、LAPSEKIという港へ廻る。白波が飛ぶダーダネルス海峡を進むこと30分、GELIBOULというヨーロッパ側の港に着く。イスタンブールへの道をバスは淡々と走る。途中から吹雪いてきて峠を越えると銀世界に変わる。水田のような耕作地がある。途中の食堂で昼食、テキルダーキョフテ(肉団子)を食べる。さていよいよ空港へ向う。車内でアンケートに記入するうち、バスはアタチュルク国際空港のゲートをくぐる。時刻は15:30、雪が雨に変わる。(完)   

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ぺルガモン遺跡

2005年2月28日(月) 4:45起床、風呂に入り洗髪する。7:00荷物をドアの外に出し朝食に降りる。ヨーグルトが美味しい。001 腹ごなしにエーゲ海の砂浜を散策する。オフシーズンのビーチは侘しい。時雨の中8:00出発、初めて高速道路を走る。この2、3日気温が20度を越えた為か、道端のタンポポ(?)が一斉に開花している。但し今日から天気は下り坂でまた寒くなるという。港湾都市イズミールを通過、トルコ第3の都市であり石油化学プラントや原油タンクが建ち並ぶ。ファイク氏はここに家族4人で住んでいる。一般のサラリーマンの月給は5、6万円が相場であるが、氏は技術者だった頃20万円貰っていたらしい。当時はエリートだった訳である。今は日給月給制で一日70米ドル位らしい。01エーゲ海沿岸の別荘は100~120平方メートルの一戸建てが6~10万米ドルとのこと、意外に安い。 オリーブ畑が次々に別荘地に開発され、土地成金(マガンダと呼ばれる)が続々誕生しているらしい。知識人も金持ちには叶わない。今日はアレクサンダー大王の遺産を受け継いだ栄光の都、 紀元前2世紀には第2のアテネと讃えられたほど繁栄したペルガモン遺跡を見学する。11:00アスクレピオンに到着、ギリシャ神話の医学の神アスク02レピウスに捧げられたという古代の総合病院跡である。温泉療法と暗示による精神療法、投薬とリハビリ、そして観劇によるリラックスを組み合わせて多くの病人達を治したという。現代とさして変わらない。アクロポリス下市へ続く聖なる道、プロピオン(前門建築)、コロネード(回廊)、聖なる泉、劇場、地下道などを見学する。聖なる泉は2000年以上を経た今でもなお涸れずに湧き出ており、しかもラジウムを含有しているとのことである。次に連れて行かれた先はトルコ石屋、どうも土産物屋ツアーの様相を呈してくる。03 日本人相手の専門店のせいか値段は吃驚するほど高い。ニセモノは割ると中が白いので直ぐ分る。大理石の粉を固め表面着色した故である。本物は芯まで青い。次は昼食、ベルガマ市内のYENI MEYDAN RESTAURANTへ行く。名物のカドゥン・ブドゥ・キョフテ(貴婦人の太もも風肉団子)と野菜天麩羅が出る。午後一はアクロポリスの見学、丘の上や斜面に造られたペルガモン王国の王宮や神殿跡である。正直なところ遺跡見学にも飽きてくる。 雨が本降りとなり今回の旅行で初めて傘を使う。紀元前2世紀の城壁、南西斜面に造られた大04劇場(数ある古代都市の劇場の中で最も急傾斜)、トラヤヌス神殿などを見学する。ゼウスの祭壇はベルリンのペルガモン博物館に復元展示されており、神々と巨人族の壮絶な戦いを描く浮き彫りは素晴らしいそうな、一度訪ねて見たいものである。寒いので1時間弱で見学を切り上げチャナッカレへ向う。途中ガソリンスタンド(GS)で休憩、トルコのGSも新旧交代の時、新GSは明るく、売店・カフェを併設している。旧いGSはあちこちで潰れている。売店の缶ビール(500ミリリットル)が1本170円、結構ビールは高い。沿道には見渡す限りのオリーブ畑が続く。18:30漸くチャナッカレにあるイリスホテル(IRIS OTEL)に到着、119号室に入る。ホテルはトラピックス3グループ95名の宿泊客で大混雑している。部屋はビジネスホテルのツインルーム並みの広さ、TVはトルコ語CHだけで衛星放送は入らない。19:00から夕食、珍しくサバの焼き魚が出る。最後のディナーなので皆でお喋りしながらゆっくり食べる。(続く)

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エフェス都市遺跡

2005年2月27日(日) 5:00起床、6:00朝食。ヨーグルトにチェリーソースをかけると美味。腹ごなしにホテルの周りを散歩する。糸杉の葉を見るとスギではなくヒノキのような感じで、固い毬果と花粉をつけている。日本では伊豆の下田でも雪が降ったらしい。8:00バスに乗りエフェスへ向け出発、220㎞の道程である。早速ファイク氏の講義が始まる。トルコの伸びるアイスクリームの原料はヤギ乳であり、夏場にしか作らないこと。オリーブの実のピクルスの色に3種類あるが、収穫時期が異なるためであり、緑色は11月上旬、黄色は12月上旬、黒色は12月下旬から1月上旬の収穫品、その中で特に黒は塩漬けにされるとのこと。この辺りは暖かいのか麦の芽が青々と伸びている。オリーブの木は常緑で、葉裏は銀色である。01 傘松(地中海マツ)の並木もある。9:50ドライブインで休憩する。地中海性気候で暖かく雨が多いために周囲の山々はマツの緑に覆われる。キノコを採りに山に分け入る村人は多いらしいが、マツタケが採れるかどうかファイク氏は知らないとのこと、これだけマツの木が生えていればきっと出るであろう。今日最初の見学先はセルチュク郊外の「聖母マリアの家」、標高500mほどのブルブル山の上に建てられたレンガ造りの小さな教会である。聖母マリアはイエスの死後に聖ヨハネとともにこの地に移り住み、余生を送ったという。祭壇の聖母マリア像の両側に生花が供えられ、ロウソクの炎が揺れる。キリスト教徒の聖地として厚く信仰されており、訪れる信者は現在も後を絶たない。階段下に“聖なる水”が湧き出していたが、手を濡らすに止める。“SULTAN et LOKANTASI”なるレストランで昼食をとる。02いわゆるロカンタ、簡易食堂である。日本人向けということで羊ではなく牛の串焼きが出る。どうも味付けがピリッとしない。 周囲に広がる果樹園は桃畑である。食後、皮工房へ連れて行かれる。美形モデルのファションショウ付きであるが、スーツやコートの直売品が1着5~10万円もする。Made in Turkeyでは買う人もおるまいと思ったが、ツアーメンバーの男性が何人か根負けして購入する。社長はどこにでも居る。ようやくエフェス都市遺跡へ移動し、 14:50から見学を開始。エフェス都市遺跡の起源は04、紀元前11世紀に成立したイオニア人都市国家にまで遡るが、現在残るのは紀元前2世紀にローマ帝国属領となってから築かれた都市の遺跡である。シルクロードの西端に位置する世界最大の都市遺跡は、これまでトルコとオーストリアの協同チームが110年間発掘を続けてきているが、未だに全体の10分の一しか進捗していないとのこと。オデオン(小音楽堂、2世紀中頃)、 ハドリアヌス神殿(138年頃建立)、公衆トイレ(1世紀)、05セルスス図書館(117年完成)、大理石通り、娼館への案内図、商業アゴラ、大劇場(紀元前3世紀)、アルカディアン通りなどを順に見学する。とても2時間では廻りきれない。17:00とうとう時間切れ、ホテルへ向う。今宵の宿は五つ星のスルメリ・エフェソスホテル・クシャダシ、エーゲ海に臨むリゾートホテルである。307号室に入る。部屋に入るとセミダブルベッドひとつ、石鹸2個置いてあるだけの簡素なシングルルーム、気持ちよいほど何もない。星の数を間違えているのでは?、これはせいぜい三つ星クラスである。窓からエーゲ海が眺められるのが救い、冬のエーゲ海は白波が立ち寒々している。19:00夕食、豆粉をベースに他の具や野菜をくたくたに煮込んだもの、そろそろトルコ料理にも飽きてくる。部屋に戻りTVをつけるとトルコ語放送のCHしかなくちんぷんかんぷん。ベッドに横になるうちにいつしか眠り込む。(続く)

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ヒエラポリスとパムッカレ

2005年2月26日(土) ヒルトン・コンヤは2002年にできたばかりの高級ホテルであるがどうもベッドがしっくりしない。6:00から朝食、アンズ、イチジク、ブドウの乾果にヨーグルト、野菜サラダ、 鰯の酢漬け、パンをとり、コーヒーとチャイも飲む。ギリギリツアーの常としてどこでも朝食が一番美味い(?)。 8:00出発、今日も423㎞、6時間の長距離バスの旅が始まる。朝一恒例となったファイク氏のトルコ事情の講義を拝聴する。「トルココーヒーの豆の産地はイエメンであり、チャイの茶葉の産地は黒海沿岸のリゼ(RIZE)である。云々」。001バスはとらえどころのない茫洋とした平原地帯を行く。 次々と雪嶺が現れる。芽吹きの季節が近いのかポプラの枝先や梢が萌黄色にふくらんでいる。アクシェヒル近くのドライブイン“KIRAZLIBAHCE”(サクランボ畑の意味)で休憩、周辺には文字通りサクランボ畑が一面に広がる。外気温5℃、寒い。トイレには洋式とトルコ式があり、後者はタイで経験済みである。イラクから引くという天然ガスの導管が荒涼たる大地に延々と横たわる。時々驟雨、こんなところにも人間の暮らしがある。ディナール近くのレストランで昼食をとる。01標高1,000m、風が冷たい。デザートに出た名物の固ヨーグルトに蜂蜜をかけたものは、皿を逆さにしても落ちないほど粘りがある。 給仕人のパフォーマンスが楽しく、また味も良い。 綿畑が広がるようになると、世界遺産の「ヒエラポリス」と「パムッカレ」は近い。初めに古代都市遺跡のヒエラポリスを見学する。パムッカレの背後の丘陵地帯に点在するヒエラポリスは、紀元前190年頃ペルガモン王によって築かれ、後にローマの直轄となった都市遺跡である。14世紀の大地震で壊滅的打撃を受けるまで人口10万人を擁し繁栄を謳歌したらしい。“ネクロポリス”(墓地)の近くにはシルクロードの一部という道形が今も残る。まず“北の浴場”を見物、そして“ローマ門”からヒエラポリスの目抜き通り“アルカディア通り”を“ビザンチン門”まで歩く。全長1200m、幅13.5mの堂々たるメインストリートである。この道が西安まで続くと思うと気が遠くなるようである。 パムッカレとはトルコ語で「綿の城」という意味、ヒエラポリスの丘から下方に展開する石灰棚地形である。同じく世界遺産の石灰棚地形「中国・黄龍」よりも色白で純白、IMAGE0012遠くから見るとまるで雪を被っているように見える。最上部に源泉があり石灰棚を温泉が流下している。靴を脱ぎ立ち込んでみると暖かい。暫し足湯を楽しむ。流れが枯渇して干上がっている箇所もあり、ファイク氏は世界一だと自慢するが、全体の規模、迫力は黄龍に遠く及ばない。16:20バスに乗りホテルへ向かう。今宵の宿は山間にあるリーカス・リバーホテル(四つ星)、“Thermal Hotel”の看板が出ている。無論日本の温泉ホテルとは異なり健全そのものである。16:50 7203号室に入る。温水プールやスパは無料とのことで皆ひと泳ぎに出る。ホテルにはドイツ人観光客も多く、片言のドイツ語で尋ねてみればライプチヒから来たとのこと、今の季節のトルコ旅行は格安である。19:00からビュッフェ方式の夕食、スープも煮物もスパゲティもピリッとしない。デザートのケーキはどれも蜂蜜がべとべと、甘過ぎる。やれやれ食べるものがない。部屋に戻りリンゴとオレンジをかじる。NHKのニュースを観ると東名が降雪結氷により通行止めとのこと、日本は未だ冬の最中にある。(続く)

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トルコの国民酒・ラク

yeni_raki01   アルコール度数が43度と高いので一般的には水割りで飲む。水をくわえるとカルピスのように白く濁るので、「ライオンのミルク」とも呼ばれる。ブドウの搾り粕が主原料で、醗酵・蒸留して得られたアルコールにアニス(せり科の植物)の精油を加えたもの、一種のハーブ酒、薬用酒である。えもいわれぬアニスの芳香と甘味があり、最初はちょっと飲みにくいが、すぐに病みつきになる。写真の700ミリリットル壜が空港売店で一本1,300円(15トルコリラ)、安い!重い!、トルコのお土産の一押し。

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コンヤ市内観光

2005年2月25日(金) 6:45ドアの外へSCを出し朝食にレストランへ下りる。昨日の残り物のような食事、それでもヨーグルトにかけるソースやジャムは色々ある。アンズやイチジク、サクランボ、ブドウなどの蜂蜜漬けもある。 小さなオレンジは甘く美味しい。紅茶とコーヒーを飲む。018:00出発、途中じゅうたん工房に寄る。トルコ絨緞は世界でも最高の品質を誇る。二重結びを特長とし極めて耐久性に優れ、200から300年は優に持つと云う。マルマラ海南岸のブルサ地方は養蚕が盛んであり、絨緞の原料となる良質の絹糸を産出する。絨緞の価格は、絹の質・染料(サフランかタンポポか)・織子の腕・サイズで決まるとかで、中でも“HEREKE(ヘレケ)”が最高級ブランド、トプカプ宮殿に敷かれており、一畳が145万円もするらしい。カッパドキアでは、お嫁さんは絨緞織りの腕が良いこと、 お婿さんは水甕が上手く焼けることが条件である。02ラクダの谷を抜けてコンヤへ向う。コンヤまで220㎞、3.5時間のバスの旅、冬というのに陽の光が強烈である。大地は乾燥しており川は干上がっている。小麦畑のみ薄青く見える。バスは荒蕪地を一直線にどこまでも走る。11:10アクサライの町を通過、日本人はこんな所には住めそうもない。11:35スルタンハニに到着、 隊商宿を見学する。石造りの城壁に囲まれた要塞のような建物である。中央にモスクが建つ中庭を囲むように城壁に沿って大部屋小部屋があり、当時の道具が並べられている。03板に溝を穿ち石片を埋め込んだものは、ラクダが体をこする道具である。隣に青空市場があり、覗いてみると食料品が驚くほど安い。2TLで大きなレジ袋一杯のオレンジが買える。野菜は、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ネギ、葉物、各種豆類、クルミ、ヒマワリの種など、果物は大小さまざまなオレンジが多い。市場を覗くのは異国の旅の一番の楽しみ、鯉まで並んでいる。コンヤ市内に入り先ず昼食、会場は隊商宿を改造したというレストランである。 豆スープもトルコ風ミートピザ(ピデ)も味がいまいち。食後、独特の旋回舞踏で有名なメヴラーナ教団の総本山だったメヴラーナ博物館を見学する。青タイルの尖がり屋根が印象的な建物である。04イスラム教の開祖ムハンマドの顎鬚が納められているという小箱がある。メヴラーナ(「我が師」という意味で、教団創始者ジェラルディン・ルーミーを指す)はじめ教団の発展に尽くした名僧達の霊廟、旋回舞踏の際の衣装、儀式用道具、コーランなど宗教関連の品々が並び、門外漢に面白い処ではない。次のカラタイ神学校は、現在ではモザイクタイルの博物館であるが、内部を見学することなく門の写真を撮るだけ、 やれやれ丸一日走った挙句見学時間がたったの1時間では救われない。16:30今宵の宿ヒルトン・コンヤにチェックインし1209号室に入る。052002年に出来たばかりの五つ星ホテルで、27階建てはコンヤ一高い。但し周辺は大学設置で開発された所で言わば新開地、原野の中にカラフルな高層マンション群が建つ。夕食の前に隣接の百貨店兼スーパーにお土産を買いに行く。スーパーの陳列棚に並ぶ食料品も驚くほど安い。例えば乾しブドウ500グラムが100円、紙パックのジュースが25円、ロクム(トルコ風ゆべし)が1箱240円という具合、物価はざっとみて日本の5分の1位である。つい感激してロクム6箱、ハーブティー6箱、乾しブドウ2袋も購入してしまう。19:00から夕食、メニューはスープと鶏肉の煮込みとピラフ、これがヒルトンの出す料理かと首を傾げるような皿ばかり、どうもトルコ料理は味がぼけていてピリッとしない。食後もう一度MASERA百貨店へ出かけてみる。靴、洋服、生活雑貨ともセンスが良くない。値段は日本の8掛け位、食料品に較べると大分高い。部屋に戻り風呂に入ってからデジカメの電池を充電する。22:00過ぎ就寝。(続く)

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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石群

2005年2月24日(木) 5:00起床。せんべいとヌガーを食べジュースを飲む。アンカラエクスプレスのトイレは割合清潔である。6:30夜明け、列車は樹木一本見当たらぬ平原を走っている。牧草地か小麦畑か見渡す限りの平原が広がり、遠くの山は赤土でなだらかである。北海道のセブンスターの丘を何倍にも広げたような景色である。  7:00車掌が起こしにくる。05川は洗剤の白い泡に覆われ、ごみがたくさん浮いている。昔の多摩川を見るようで、これではうっかり水道水は飲めやしない。8:00アンカラ駅到着、ホームからいきなり駅の食堂へ連れて行かれる。朝食は、チーズ、オリーブピクルス、パンにコーヒーの簡素なもの。迎えのバスに乗りカッパドキアへ向け出発、274kmを4時間半かけて走る。トルコは広く移動距離が長い。 走り始めてすぐにエンジントラブル発生、1988年製三菱自動車のバスでは仕方がない。幸い30分ほどで直る。現地ガイドのファイク氏の本職はプラントエンジニアで、10数年前に3回に亘り来日して茨城県鹿嶋の石油化学工場でプラント建設を学んだとのことである。 01然るに、トルコの政治体制が変わり、国有企業が民営化されて失職し、6年前からやむなく旅行ガイドに身をやつしているらしい。氏の現政治体制に対する不信と怨みは深い。20年前は1TLが1円、それがデノミ直前は13,000TLが1円になる超インフレ、その結果大学進学率は5、6%に下がり、文盲率は35%に上昇したとのこと、中級生活者の殆どが貧困階級に身を落としたらしい。時々天気雨が降る。 11:00トルコ第2の湖”塩湖”の畔で休憩、この湖でトルコの塩の95%を生産しているとのことである。風光明媚という所ではなく、渺茫として捉えどころがない。今は5m位の水深があるが、乾季の8、9月には50㎝ほどになり湖岸に塩が析出する。001  湖畔の土産物屋で1袋100円の塩や魔除けのナザル・ボンジューを購入する。その先は小麦畑が延々と広がる単調な風景が続く。トルコの典型的住居は二階の方が一階より一回り大きい頭でっかちな造り、漆喰壁と屋根瓦がカラフルである。雪を被るハサン山(標高3,500m)が見えてくる。その奥にも高峰が連なる。アワノス(AVANOS)の街の洞窟レストランで昼食をとる。鱒の塩焼きは美味、卵とジャガイモとチーズのミックスパイはいまいち。今日最初の見学先は“カイマクルの地下都市”、地下25mもある地下5階が最深部、ひと一人がやっと通れる地底の迷宮である。キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために掘ったもので、02日本なら大谷石の採掘場跡を思わせる所、教会を始めワイナリー、食糧倉庫など生活に必要な設備機能を全て備えている。  次いで“ウチヒサール”を遠望する。尖った城という意味であり、尖頭型の岩山に数多くの住居が穿たれている。崩壊が激しく、今では住人も下の街に移住し、現在住居跡は倉庫として利用されている。かっては山頂まで登ることもできたが、仏人ツアー客に怪我人が出てから団体登頂は禁止になったとのこと。同じ台地上から“鳩の谷”を眺める。イスラム教徒は鳩を聖なるものとして大切にしており、エジプトで鳩料理を食べる人間は全てキリスト教徒らしい。それにしても手袋も帽子もマフラーもいらないほど暖かい。更に、展望台からギョレメ谷を見下ろす。CIMG0128三角錐の岩と岩の間に集落が点在する。山峡に佇む西上州や奥久慈の集落のようでもあるが、ずっと鋭く乾いた景色である。最後に日没と競争しつつ、キノコ岩が林立するゼルベパシャバー(キノコの谷)へ移動する。まさにキノコのような奇妙な岩が林立する。黒い傘の部分は硬い溶岩(玄武岩)であり、白い柄の部分は軟らかい火山灰(砂岩)とのこと、堆積した火山灰の上を溶岩が覆い、その後の何万年にも亘る風雨の浸蝕により形成された奇観である。ちょうど日暮れ、ホテルへ向かうバスの車窓から眺めるローズバレーの夕景が美しい。18:00ウルギュップ(URGUP)にあるペリシアホテルにチェックイン、4304号室に入る。一応四つ星ホテルであるが部屋も浴室も狭い。夕食は貧弱、ビュッフェ方式であるがメインディッシュ(肉、魚など)が見当たらず腹にたまるものがない。オプションのベリーダンスを見送りデジカメの充電にとりかかる。変圧器が大活躍、海外の旅には欠かせない。風呂から上がり、梅干を食べ生茶を飲んでお腹を落ち着かせる。21:00頃就寝。(続く)

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イスタンブールの歴史地区

2005年2月23日(水) 空港やホテルで見かけるトルコ人の顔形は、写楽の描く”市川えび蔵”そっくり、頭の形がトガリアミガサタケを思わせる。眼光鋭くオスマントルコ帝国の末裔は誇り高い。浅い眠りで2:00と4:00に目が覚める。4:45起床、機内食しか食べていないので腹ペコである。クッキーと生茶で一息つく。CIMG0024NHKニュースが、今日23日関東と北陸で春一番が吹いたと告げている。 いよいよ花粉症にはつらい季節の到来である。十五夜なのかイスタンブールの月も丸く美しい。ヒルトンホテルの朝食はセルフサービスながら高級、格安ツアーにここまでサービスして大丈夫であるか心配になる。ボスポラス海峡の対岸から朝日が昇る。9:00出発、イスタンブール市内観光に向かう。雲は多いが青空のぞき暖かい。金角湾にかかるガラタ橋を渡り旧市街に入る。 先ずブルーモスクの見学、トルコを代表するモスクで青いイズニックタイルが内壁すべてに張られている荘厳なもの、床にもトルコ絨毯を敷き詰めてある。 キリスト教の大聖堂と異なり内部装飾はいたって簡素である。イスラム教は偶像崇拝を禁じており、壁面はすべて植物をモチーフにした紋様で飾られているにすぎない。01_2階段様の説教台(ミンバル)と龕状のミフラーブ(メッカの方向を示す)が目立つ程度である。 直径5mの4本の大円柱でドームを支えている。堂内の半ばに仕切りがあり、異教徒(見学者)はミフラーブには近づけない。外へ出てトプカプ宮殿の見学に向かう。街路樹にはスズカケノキの大木が並ぶ。 アヤソフィアの脇を進み、城壁のメインゲート「皇帝の門」を潜る。そこは第一庭園でアヤ・イリニ教会が建つ。尖り屋根の左右の塔を備える「表敬の門」はいかにもイスラム的城壁の雰囲気を醸し出している。そこをくぐって第二庭園に入る。議事堂、武器展示庫を見る。02_2 1460年スルタン手植えの樹齢540年のプラタナスの巨木がある。 当時の台所には銀器、青磁、白磁がところ狭しと並べられている。ここはシルクロードの西の端、中国文物の終着点でもある。衣装展示室には歴代スルタンが着用した上着(カフタン)が並ぶ。模様はチューリップ、ザクロ、唐草、シダなどで金糸、銀糸、絹で織られた贅沢なもの、写真撮影は禁止である。宝物館にも10TL(850円)払って入ってみる。4室に分かれており、各室に10~15個の宝物が展示してある。 ここも撮影禁止、歴代スルタン愛用の玉座、剣、食器、宝石箱、フラスコなどであるが、すべて金、銀、宝石(ダイヤ、エメラルド、ルビー、サファイヤ、トルコ石、etc.)をびっしりとはめ込んだキラキラしいもの、スルタンは中国皇帝より派手好みである。中には世界で7番目に大きい86カラットの「スプーン職人のダイアモンド」や、世界最大級のエメラルド3個をはめ込んだ「トプカプの短刀」があり、女性陣は皆溜息ばかり。第四庭園のテラスに出て金角湾を眺め、ボスポラス海峡を眺める。05芝生には白いタンポポが咲きピラカンサが赤い実をつけている。百日紅も紫陽花もある。12:30尖塔(ミナレット)から祈りの声、アザーンが響く。アーアーアーアーオーオーオーオーと節を付けて朗々と響く。市内のレストランで昼食、ドネルケバブは塩茹での羊肉をパンの上に散らしたもので不味、デザートのカステラ団子は蜜が垂れるほどの代物で甘過ぎる。グラスビールが8TL、トルココーヒーが5TLと飲み物は高い。午後一はアヤ・ソフィアの見学、537年完成のビザンチン建築の最高峰である。今から1500年も前の建造物であり、当初教会だったものがモスクに改修され、現在は博物館になっている。03ちょうど大ドーム天井の修復中で、鉄パイプで高い足場が組まれている。 中二階の回廊に上り、有名な「ディーシズ(請願)」などのモザイク画を観る。長い間漆喰に塗りこめられて隠れていたビザンチン芸術の傑作である。二箇所目は地下貯水施設である「地下宮殿」の見学。今は50㎝程度の深さしかないが、「涙目の円柱」など336本の円柱が立ち並ぶ幻想的空間である。柱の礎石に、「逆さメドゥーサ」や「横向きのメドゥーサ」の石頭が据え付けられており、ちょっと不気味な感じもする。最後にグランド・バザールの見物に行く。貴金属や皮革製品、絨緞など同じような商品を並べた店が所狭しと並ぶ。呼び込みが相当しつこい。観光客相手の土産物屋であり、コピー商品(ルイ・ヴィトン、フェンディ、ブルガリ、etc.)が氾濫している。中国や韓国以上に取り締まりは緩いようで、皆堂々と陳列している。途中で辟易しカフェでトルココーヒーを飲みながら集合時間を待つ。夕食は市内レストランの炭火焼き鳥とトルコ風ピザ、味はいまいち。その後バスでハイダルパシャ駅へ向う。途中の道は大渋滞、一寸刻みでしか動かない。20:50漸くハイダルパシャ駅着、アンカラエキスプレスの発車予定時刻は22:30、吹き抜けの寒い駅舎で所在無く時間をやり過ごす。ボスポラス海峡を挟んだ対岸にライトアップされたブルーモスクやアヤ・ソフィアが眺められる。気温15℃と比較的暖かいので助かるが、又咳がひどくなる。22:00乗車、2人用のコンパートメントを独り占めする。洗面台、冷蔵庫、2段ベッドなどの設備があり、クッキー、ヌガー、ジュースも置いてある。22:30車掌がベッドメーキングに来る。着の身着のまま早速ベッドにもぐりこむ。アンカラまで9時間半の夜汽車の旅である。列車は随分揺れる。ヨタヨタ、モタモタ、ブルブルと走る。それでも飛行機に較べれば身体を伸ばせるだけ天国、長い一日がやっと終わる。(続く)

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魅惑のトルコ周遊9日間

2005年2月22日(火) 妻に南柏駅まで車で送ってもらい10:07の電車に乗る。天気は良いが北風が強く寒い日である。我孫子と成田で乗り換えて11:50成田空港第2ターミナルビルに着く。お握りを食べながら12:25の受付が始まるのを待つ。料金が格安のせいか参加者は95名もおり、赤色組、桃色組、灰色組の3組に分けられる。自分は赤組32名のメンバーに入る。01 卒業旅行と思しき女子大生のペアが5組、新婚さんが1組いる。添乗員のT氏は30~35歳位の男性で、H交通社の契約社員とのこと。出国審査を済ませ、搭乗口のD95へ行く。14:25発トルコ航空(TK)51便はJALとの共同運航である。イスタンブールまでの約10,000㎞を12.5時間かけて飛ぶ。14:50離陸、機内サービスでトルコ産ビールのEFES PILSNERを飲みながら、開高健の「オーパオーパ モンゴル・中国篇、スリランカ篇」を読み長旅の退屈を紛らわせる。23日2:40(現地時間22日19:40)、イスタンブールのアタチュルク国際空港安着、時計を7時間遅らせる。外気温は11℃と割合暖かい。早速空港の両替所で米ドルをトルコリラ(TL)に換える。50US$が61.5TLになったので、1TLは約85円である。02 今年の1月1日にデノミを実施し6桁切り下げたとのこと、今は新旧2種類の紙幣が混在しており紛らわしい。20:30迎えのバスに乗り込みホテルへ向う。咳が止まらず体調が悪い。これでは前途が思いやられる。現地ガイドはファイクさん、バスの運転手はラマザン氏である。車中におけるファイク氏の説明によると、イスタンブールの人口は公称1,000万人であるが、その他にホームレスが200万人いるので欧州一らしい。21:30ヒルトン・イスタンブールにチェックインし304号室に入る。さすがは五つ星の高級ホテル、ミニバーのBUDWEISERの小瓶が1本21TL(1,800円)もする。電気ポットやバスローブ、スリッパなどが見当たらないのは、格安ツアーゆえ取り外されているのであろう。それでもツインのゆったりした部屋、浴室も広く贅沢は言えぬ。風呂に入ってから風邪薬(カコナール)を飲む。一日の疲れと薬の効き目とでNHKを観る間もなく眠くなる。(続く) 

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